2013年01月02日

侮るなかれ

 おはようございます。裏部長です。

 正月休みをよいことに、最近の思いのたけを――。

 空手に偏っている点についてはご容赦ください。





 体道のなかで受け身の練習というのをしたことがありません。ふつう、投げたり投げられたりする技をやる際、たとえばそれが柔道であっても合気道であっても、まずは受け身の練習をし、馴れてきてから具体的な技へと入ってゆくものなのに、体道ではそれをしない。なぜか。


 答えは単純かつ実戦的です。柔の技というのは、投げたり押さえたり絞めたりして、相手を殺傷するものである。その過程で、上手いこと受け身を取られてしまっては、技としては不十分。つまり、相手が受け身を取れず、危ない体勢で床に叩きつけられるように技をおこなう必要があるわけです


 受けを取る人間は、勝手に自分で、傍目から見てきれいな教科書どおりの受け身を取ることができない状況下で、それでもおのれの身を守るために、相手の技のなかからエスケイプしなければならない。だから、そのような受け身を習得するには、受け身を単体で稽古するのではなく、実際に技を喰らいながら実践しなければならないのです。



 これは空手にも言えることでしょう。



 約束組手における立場は二種類あり、ひとつは攻撃する側、もうひとつは防御をする側ですが、前者について指導されたことはあっても、後者についてはあまり多くの示唆を受けてきていません。それは、体道のときと同じように、まずは突きを磨き、その磨かれた突きに対峙したあと、受けの稽古がはじまるということなのでしょう。


 だからまず、われわれは突きを学ばなければならないのです




 さて、稽古のなかで再三言われる「脱力」とは何でしょうか。


 力むと筋肉は収縮し、動作にブレーキをかけてしまいます。追い突きをするときに、自分は百パーセントで突いているつもりが、力んでしまっているばかりに、八十〜七十パーセントにまで減って相手へ届いてしまう。これほど非効率なことはありません


 相手へ自分の百パーセントを伝えるには、徹底的に力みを排して、どの部位にもブレーキのかからない動きをする必要があります


 つまり、上手く脱力された状態の突きは、エネルギーの完全なる放出だと言えるでしょう。


 これは腕だけの話ではありません。全身くまなく無駄な力みをなくし、軸を運び、腰を運び、下半身をやわらかくつかい、相手の懐へと入ってゆく。一連の動作のどこにも淀みのない追い突きこそ、放出の集大成だと思うのですが、これを徹底させると、違う現象が起こってきます。


 それは、二本目、三本目の突きへの移行です。


 完全に脱力し、放出しきった瞬間に、そのエネルギーを一本目で止めておく力も排除されるため、勢いは失われず、速度をいっさい落とすことなく、二本目、三本目の攻撃へと展開できるのです。身体にブレーキがかかっていないため、動作に停滞がなく、力んでいないので腕も足も軽い。このあたりは、Y師範代の動きを見ていると、決して漫画や映画のなかだけの話でないことがわかります。


 空手の、とくに有段者が迎えるべき一段階はこの放出と、ブレーキの排除、そして徹底的に脱力された腕や足にあるのかもしれません。つっかえることがないから、相手が横へどければそちらへ、後ろへ下がればその向こうへと追いこんでゆくことも可能になるでしょう。


 それだけ自由に動けると、相手を見る目も変わり、また徹底的に脱力し、放出する突きを蹴りにも、あるいは受けにも応用して何年間も稽古した場合、まず肉体が変わるはずです。筋肉に頼っていないわけですから、胸や肩まわりは自然とスリムになるはずです。




 しかし、武術というのはつねに攻防一致。稽古者はここで立ち止まってはいけません。




 相手に攻撃を仕掛ける。それも、一本で終わらず、二本、三本とたたみかける。追い突きから逆突き、それから蹴り。あるいはワン・ツーから三本目の突き。いきなり蹴ってもいい。脱力と放出を身につけた人は、それだけ自由に、攻撃のコンビネーションを組むことができますし、実践することも可能です。


 ただし、それを相手がただ無条件に受けいれてくれるとはかぎりません。烈しい攻防を好んで展開してくれる空手の人ならば安心でしょうが、もし向こうが柔術の人だったとしたら。それも、ただ柔の技を知っているというだけでなく、体道でやっているような理合いを完全にマスターした人で、一本目の攻撃を制する腕前をもっていたとしたら――。


 当然、攻撃者の二本目、三本目の攻撃は徒労に終わります。いや、それを発動させることも叶わず、一本目を取られておしまいです。こちらが突いた瞬間に、関節を取られるか、投げられるかされて、そこで勝負は幕をおろします。


 自ら攻撃を仕掛ける側の人間は、どんなときもこのことを考えて動くべきだとわたしは思うのです。空手の世界には一撃必殺という、あまり品のよくない常套句がありますが、攻撃する際にも、その攻撃を捌く際にも、稽古をする人間はつねにファースト・コンタクトで勝負を決する覚悟で動かなければ意味がない。何本もの突きや蹴りをおみまいしてやろうと構えるのでもなく、また受けるほうも、ただ突きから身を逃がすだけではなく、“突かせてあげる”動作を何層にも深化させて、その一本目で終わらせる工夫をしなければならない。



 こう考えると、攻撃者は正確に相手の水月を狙い、脱力=放出をしながらもエネルギーは霧散しないよう集中し、きちんと身体(軸)を運び、貫通力のある突きを出す必要がありますし、その威力を生みだすために、二本目、三本目へ期待をしないことが求められます


 たとえ一本のみの突きであっても、約束組手という、互いに動作を把握したうえでおこなっている稽古の場合、相手が受けづらいところをあえて狙うようにもなりかねないのですが、これは先ほどの、一本目を取られることを考えると、約束組手だからこそ採れる突きであって、一撃で終わらせられるものには程遠い。


 怖い突きとは、身体を運び、徹底的に脱力し、エネルギーを放出した上で、寸分の狂いもなくこちらの急所へ飛んでくる突きのことでしょう。そのためには、きちんと相手の胴体の中心を狙わなければなりません


 それに対して受けの人間は、相手に胴体を差しだし、実際に突かせてあげます。しかし、相手の攻撃が正確であればあるほど、まともに喰らっては危ないので、適度な手ごたえを相手へあたえておきながら、最後の最後でその威力を吸収します。流す、と言ってもいいかもしれません。


 これは昨年の栃木遠征で、終盤に師匠が解説していた動きです。


 相手の攻撃のライン上から自分の身体をどかすことでも突かせてあげることはできるのですが、それでは相手に、実際に突いたという手ごたえは残りません。ほんとうの意味での“突かせてあげる”とは、動かず、拳がこちらの胴体に触れ、押し込んでくる力を利用して身体をどかすことです。こうすれば、こちらは自ら受けようとする必要がなく、また、拳に手ごたえがあったあとに抜けてしまうので、相手に崩しを生みやすくなります。




 こうして考えてみると、脱力からエネルギーの放出を習得し、それを肉体に憶えこませたあとは、とにかく洗練の二文字に尽きるということになります。自由になった身体を自由なまま、奔放に暴れさせるのではなく、一点集中で、たった一本の突きでことが済むように稽古する。それを受ける立場の人間も、百パーセントの放出でもってこちらの急所へ飛んでくる怖い突きを、その一点のみで処理する



 つまり、攻撃側と防御側、どちらにとっても同一の、同じ位置にあるたったひとつの接点だけで、何年間も何十年間も、われわれは研鑽を積むことができるというわけです




 伝統芸能の世界も、職人の手並みも、修業を重ねれば重ねるほど無駄が削ぎ落とされ、洗練され、動作はシンプルに、小さく速くなってゆきます。ヴェテランの俳優はたったひとことの台詞で観客を泣かせ、宮大工の匠はその木材をひと目見ただけですぐさま仕事の手順を頭のなかで組みたてます。

 すべからく、武術家も同様だとわたしは信じています。


 腕前の差とは、精度の差なのでしょう。たったひとつの接点で組手をする際、攻撃する側の腕前が上ならばこちらの急所へ突きが入り、防御側の人間がより長けていれば、きちんと突かせた上で威力を流してしまえる。


相対的な強さではなく、絶対的な巧さを求めよ




 もう何年も前に師匠から言われたこのことばが、結局はすべてを表しています。



posted by 札幌支部 at 11:58 | Comment(0) | 裏部長の日記

2013年01月01日

接点をさがす旅へ

 あけましておめでとうございます。

 裏部長でございます。


 新しい年になりました。とはいっても、まったく実感がないのはどういうことなのでしょうか。武術を稽古するのに、新年も正月も関係ない、いついかなる瞬間も修業だ、という考え方が、日常生活へ浸食しきってしまったかのようです。




 今年の裏部長の抱負。


 体道については、粛々と、慎重に、丁寧に稽古してゆきたい。これに尽きます。

 師匠がもどってこられるまでは、わたしは体道のカリキュラムを前へ進めることはできないので、後輩たちに技を教えたり、道新文化センターで拳法図をやったりしながら、体道への理解を深めてゆきたい。


 空手に関しては、黙っていても課題が次から次へと出てくるので、いまは何も考えません。

 ただ日々、稽古を重ねる。それだけで十分すぎるほどたのしい毎日が送れることでしょう。



 最近、空手の組手において気づいたことがあったのですが、それはまた次の機会にでも書くことにしましょう。今日のところは、ブログのタイトルにその想いを込めて、新年のあいさつにかえさせていただきます。


 本年も何卒よろしくお願い申しあげます。

posted by 札幌支部 at 16:00 | Comment(0) | 裏部長の日記

2012年12月29日

愛すべき物好きたちの宴〜稽古納め2012

 おはようございます。裏部長です。


 最近の札幌は、馬鹿な大雪こそなくなりましたが、とてつもなく寒いです。十二月でこんなに寒いのはおかしいと、巷ではもっぱらの噂です。朝起きたらマイナス十一度、みたいなことがあたりまえのようにつづきます。

 先日、新聞にはついに、

酷寒

 という単語が現れました。

 もはや、読み方さえわかりません。




 さて、そんなむごいほどに寒い札幌にて、札幌支部は昨日、無事に稽古納めをしました。


 参加したのは、小学生のOくんと、それに大学生のIくんとAくんのわずか三名のみでしたが、彼らの前向きな姿勢と、そして誰よりも強い情熱とがこころよく反映されたすばらしい一夜だったと思います。



 小学生のOくんは型をがんばっています。いまは「内歩進初段」をやっていますが、火曜日の稽古ではまだ動きが頭に入っていなかったのに、昨日やってみたら、すでに憶えていました。きっと家で復習しているのでしょうね。熱心です。そして、自分よりも年上の人間しかいない稽古の場に、すこしずつではありますが馴れてきています。何より、たのしんで稽古してくれていることがわたしはうれしい。



 そして、IくんとAくんのふたりですが、彼らは病気です


 空手という病におかされた、哀しくも頼もしい後輩たちです




 小学生のOくんはいつも一時間ほどで早退します。昨日はそのあと、まず型をやり、午後七時十五分ころから約束組手をはじめました。


 あれで三十分くらいやっていましたかね。突いた人が受けにまわるローテーション式で、全員が全員とあたるように途中入れ替えたりして、三十分。時計を見て、わたしはそのくらいの時刻に切りあげさせたのです。



 しかし、稽古そのものが切りあげられたのは、なんと一時間後の午後八時四十五分だったのです!

 
 まさに、“怪奇”としか言いようのない現象です。



 わたしは、残りの時間で体道をやろうと思い、七時四十五分に組手を切りあげたのですが、ふたりの後輩の頭のなかには、いまの組手で得た感覚と疑問とが渦をまいていて、早くそれらと向き合いたくて仕方がなかったのですね。


 組手を終えた瞬間から質問や要望の嵐です。突き、腰と手足の分離、脱力――。そんな話をして、時間を忘れないはずがありません。


 八時四十五分で終わったのも、わたしが時計を見てあわてて終了を告げたためであって、あれ、もしそのままつづけていたら、あっという間に九時をすぎていたでしょう。大学は九時までしか使用できませんから、見まわりに来た守衛さんと顔をあわせて、きまりの悪い思いをしたことでしょう。



 空手というのはほんとに不思議な武術です


 昨日の、組手からの一時間、わたしたちはたしかに突きについてあれこれやっていました。しかし、そのほとんどの場面で、わたしたちは誰かに突くという、組手のようなことをせず、自分ひとりだけで突きをやっていたのです


 つまり、後輩たちが追い突きや逆突きをやる、それをわたしが見てあれこれ言う、そうしたらまた後輩たちが「こんな感じですか」と動いてみる、すかさずわたしも「たとえばこんな風にも動ける」なんて言いながら自分で動く、それを見て、また後輩たちが突きを試みる――。


 それはまるで、ひとふりの刀を鍛えるがごとく、突きという技を磨いて磨いて磨きぬく時間でした。広々とした場所も、高い天井も、道具も、何もいらない。技の感覚を有した肉体さえあれば、何時間でも稽古ができるのが空手なのです。


 空手とは、ほんとうに面白い武術です




 師匠と離れて数箇月。最初はどうなることかと思いましたが、いざ離れてみると、自分が稽古する際はもちろん、後輩たちへアドヴァイスをする際にも、意識なんかしなくたって師匠の教えが顔を出してくれるので、いまは何も心配はしていません。これまでの約九年のあいだに、稽古して稽古して稽古しまくったことが、わたしの奥底まで沁みこんでいた証拠です。それに気づくには、こうしてまとまった時間、師匠から離れてみることが必要だったのかもしれません。





 あと数日で2012年が終わります。

 来年もまた空心館にとってよりよい年でありますように。

 そして、いまも時間を忘れて稽古している物好きたちに幸あらんことを。



 裏部長でした。
posted by 札幌支部 at 11:37 | Comment(0) | 裏部長の日記

2012年12月15日

大雪

 こんばんは。裏部長です。


 今年も残すところ、あと数週間です。札幌支部メンバーで栃木の本部道場へお邪魔してからもう半年が経ってしまいました。あっという間の一年です。



 札幌はここ数日、記録的な大雪にあえいでいます。今年は、残暑が長引いたうえに初雪も遅く、そこにきて平年の四倍近い大雪が降ってくるのですから、踏んだり蹴ったりです。もう大変です。


 こないだの土曜日、札幌大学研修センターでの稽古は予定どおりおこないましたが、あやうく遭難者が出る勢いでした。馬鹿みたいな降雪の一方、土曜日ということもあって人も除雪車も入らず、研修センターや札幌大学の敷地内は、わたしの膝ほどの高さまで雪が積もっていました。



 今後はその日の天候を注意深く見たうえで、稽古そのものの実施を検討する必要がありそうです。



 しかしその大雪も、次の週の平日に、通常の稽古のため大学を訪れたときにはきれいになくなっていました。除雪されたのと、そこを幾人もの学生たちが歩いたせいでしょう。



 ふと思うのです。


 たしかに専用の機械によってほとんどの雪は排除された。しかし、手が入る前にそこへ足を踏みいれた人間はすくなからずいて、荒野を疾走するジープよろしく、分厚い雪の平原を、アクセルふかして乗りこんできた自動車も何台かあったことでしょう。


 それらの足やタイヤによって圧縮された雪は、地面と同化する。そこへまたべつの雪が降って、そしてまた圧縮される。何度も何度も同じことが起こり、アスファルトの歩道は重厚かつ硬質な、真っ白な雪道に生まれ変わる。



 武術もまたこれと同じことなのではないか。

 最近、そんなことを考えるのです。



 たとえば空手において、ことさらに琉球時代の、いわゆる「手」と呼んでいたころの空手を重宝がる人たちがいます。いまの空手はだめだ。あの時代の「手」にもどらなければならない。そう提唱して、型などを研究している人もいます。


 これはべつにナンセンスな考え方ではないと思います。ただし、それはあくまで、現在の空手がだめであるという前提に立って考えた場合であって、違う現状とそこに至るプロセスをみつけたとき、同じ論理にはならないはずです。




 摩文仁賢和さんは、はじめ糸洲安恒さんに師事し、そのあと東恩納寛量さんについてさらなる研鑽を積まれた人ですが、両師に学んだとき、それぞれの師匠には数十年の稽古歴があったはずです。つまり、摩文仁さんは、大家とよばれた両師が何十年もかけて獲得した技や方法論を教わったことになります。


 この摩文仁賢和さんが本渡へ渡る。さまざまな武術家と交流し、さらに学び、修業する。そして糸東流をおこし、後継者を育てはじめる。


 そのなかに先代、藤谷昌利師範もいたわけです。藤谷師範は空手の傍ら、体道もやっていたわけで、柔術や半棒術など、多種多様な武術に造詣の深い方だったとききます。


 糸東流の流祖、摩文仁賢和さんから直々に教えを受けた藤谷師範は、空手以外の武術経験もふくめて、さらなる修業を積む。そしてそれを、現在の師範へと継承してゆく――。


 純粋に空手を武術として、技として稽古し、研鑽を忘れない以上、前任者は自分で数十年をかけ構築したものを、次の世代の人間へ渡してゆくわけです。つまり、次の世代の稽古者は、師匠が積みあげた経験の上から出発するのです


 この視点で考えると、かなり思いきった発言ですが、入門から三年を迎えた若き日の摩文仁賢和さんと、現在の空心館において、入門から三年経った人間とでは、その成長度合には大きなひらきがあると言えます。また、きちんと稽古しているならば、そうなっていなければおかしいはずです



 これは、わたしのまだまだ短い稽古経験のなかでさえ言えることです。


 約九年前。わたしが師匠のもとへ入門した当時、師匠は札幌へきてまだ間がなかったころで、そのとき師匠のなかにあったのは、大学や大学院に在籍していたころまでに蓄積したノウハウのみだったはずです。しかしその後、札幌支部での稽古や道新文化センターでの指導、そして何より日々の研究により、さまざまな気づきが生まれてゆく。それにより指導法や稽古メニューも自然と変化していったことでしょう。


 だから、いま頻繁に札幌支部へきている学生たちと、わたしや部長が学生だったころとでは、稽古メニューに若干の変動があります。当時やっていたことでいまやらないメニューは多くあり、また当時はさほど重点的に解説されなかったことが、まだ茶帯である稽古者へ対してもなされるようになりました。


 たった九年たらずのあいだでさえ、変動が起こるのです。いまの札幌支部の稽古者は、わたしや部長が茶帯を締めていたころよりも優れた指導に恵まれているのです。



 
 以前、師範が、「われわれの空手はもう、沖縄の空手とはまったく違うものになってしまった」と発言されていたことを印象深くおぼえています。


 これは何も、こっちが優れていて向こうは時代遅れ、などという意味ではなく、単純に、まるで違う次元のものになってしまったという意味なのでしょう。愛好家がつかう無線機とスマートフォンくらい違ってしまっているのかもしれません。



 先人たちが残した型や技を学び、踏襲しながらも、“いまの武術”をやる。

 どの古典文学も発表された当時は新作であった。

 武術もまたしかり、だと、最近の裏部長は感じています。

posted by 札幌支部 at 21:11 | Comment(0) | 裏部長の日記

2012年11月18日

初雪

 こんばんは、裏部長です。



 札幌でようやく初雪が降りました。観測史上二番目に遅いという記録が出ていました。去年は十一月十四日に降ったのです。今年はそれから一日遅れて、十五日には降ると言っていたのに、晴れるばかりでまったく降らず、翌十六日、師匠の誕生日にも降らず、土曜日は雨ばかりで、ようやく今日といった顛末でした。それもただの雪ではなく、みぞれぎみで、何度か烈しい雷なんかも鳴って、ちょっと妙です。こんな冬のはじまりはあまり体験したことがありません。




 あまり体験したことがない、と言えば、先日おかしな感覚に襲われました。




 出勤時だったのですが、歩いていたとき、ふいに、両腕がものすごく煩わしいもののように感じられたのです。邪魔物。贅肉。余剰品。生まれてからずっとともに生きてきた肉体の一部が、吐き気を催すほど鬱陶しい存在に思えてきて、わたしは戸惑いました。




 いっそのこと肩からばっさり切り落として、身軽になりたいとさえ思いました。これまでにはない感覚でした。




 しかし、もちろんほんとうに切り落とすわけにはいきませんから、さまざまな工夫をもって、わが両腕をより軽く、より柔軟に感じるよう努めることにしました。立っているとき歩いているときには極力ふたつの手に力を入れず、重力にまかせて、ただ肩からぶら下げているつもりになる。Y師範代から教えていただいた腕の鍛練法も加えて、いかに腕を忘れられるかに挑んでみたのです。




 これは現在も進行中で、要観察ではありますが、すこしずつ面白い感じになってきていることはたしかです。実際に稽古をしているときはもちろん、ただ外を歩いているときも、肘が軽いのです。ちょうど、急坂を下っているときに、両膝がそうなるように、まるで「肘が笑っている」ような感覚があります。




 徹底的に腕から力みを抜いた場合、これを力んで突いたり受けたり捌いたりすることは自動的にできなくなるわけで、となると、腕や肩や胸などの筋力に頼らない動作をもって技をやらなければいけなくなる。




 このあたりに、次の一歩が隠れているような気がします。






 今夜は気まぐれに降る初雪のように、いまの裏部長の頭のなかを、思いつくままに書いてみました。



 それでは。


posted by 札幌支部 at 19:21 | Comment(1) | 裏部長の日記

2012年10月29日

荒野に咲く花

 こんばんは、裏部長です。




 みなさんもご存じでしょうが、先日わたしが書いた文章に、貴重なコメントが寄せられました。空心館一同、きっと正座をしてお読みになったことでしょう。



拳や筋肉を鍛える暇があるのなら、技を覚えなさい


技をやっていると、身体が勝手に動きます



 これほど武術の真理をついたことばはありません。目の醒める思いでした。



 

 
 わたしや部長がまだ茶帯を締めていたころ、師範が札幌へいらっしゃったことがありました。2005年の冬で、空手と体道の稽古を、二日連続でつけていただきました。なんとも貴重な、素晴らしい時間でした。



 あのときの映像(空手のみ)を最近よく見かえします。噛めば噛むほど味が出るするめのように、ここまで技の話をしてくださっていたのか!? と、なかば唖然として見ております。


 当時のわたしには、まだ理解できない、とてつもなく深い次元のお話だったのですね。





 たしかに、組手などの稽古体系において、実際にやり合うなかで得られる境地もあるでしょうが、これほど豊富な型や技があるのですから、きちんとそれらの内側へ目を向けて、派手さや勢いにまかせた動きばかりではなく、真に武術的な、そして真に怖ろしい技を身につけなければ、とても「武術をやっている」とは言えません。



 できるかできないかはさほど問題ではなく、要は、志をもつかどうか。やると決めたら、あとは稽古を重ねればよい。それがたとえ高すぎる山であったとしても、登ろうと思わなければ、きっと一生踏破することはできない。






 武術を見つめたい裏部長でした。




posted by 札幌支部 at 19:39 | Comment(0) | 裏部長の日記

2012年10月21日

技がさせる

 こんにちは、裏部長です。



 すっかり秋です。朝も夜も肌寒く、ついひと月ほど前まで「暑い」と言っていた自分が嘘のようです。札幌では、秋を通りこして冬のにおいさえ感じられるほどです。



 稽古をするにはよい季節になりました。






 
 話は唐突に変わりますが、先日『孫文の義士団』という映画を観ました。



 史実に基づいたアクション映画で、しかし、史実に基づいているからこその残虐性もあって、たくさんのキャラクターが命を落とすので、鑑賞したあとには拭えない不快感が胸に残りましたが、濃密な作品であったことはたしかです。



 この映画のなかに、鉄扇をつかう武術家が登場します。



 その男は、かなりのつかい手であったにも関わらず、過去に色恋沙汰で凋落し、家宝の鉄扇も売り払い、いまは路上生活者として無為な毎日を送っています。しかし、そんな彼の過去を知っている新聞社の社長は、道を通るときにかならずいくらかの金をあたえ、温情をかけつづけていました。


 ときは1900年代初頭。皇太后がいた時代です。朝廷の悪政に我慢ならなくなった孫文は、中国全土で同時多発的に蜂起することを考え、その代表者たちを香港へ集めます。ここでの会談が成功するかしないかで、中国の未来はおおきく左右されるのです。


 新聞社の社長は以前から孫文を支持していたので、仲間たちと力をあわせてこの会談を成功させようと決意しますが、朝廷からは凄腕の暗殺者たちが集団でやってくる。しかし、こちらには訓練された人間はほとんどいないという状態です。


 そこで、社長は、あの男に協力を申しでるのです。


 武術家だった男は、これまでかけてもらった温情へ報いるため、無条件でその願いを聞きいれます。社長が買いもどしてくれた鉄扇をもち、伸び放題だったひげを剃り、髪も整えて、もっとも危ない区域を担当するのですが、ここでの戦闘の凄まじさといったらなかったです。たったひとりで、数十人の暗殺者たちに立ち向かうわけですから、無傷で勝利するなんて、日本の時代劇みたいなことには当然なりません。傷つけ、傷つけられの、死闘でした。





 このシーンを見て、「自分だったらどうするだろう」と考えてしまいました。武術をやっている人間であれば、かならず一度や二度は考えたことのある想像です。



 わたしはこの想像から、それぞれの流派がもつ技と、その流派の特徴について考えるようになりました







 たとえば、糸東流という空手流派には、摩文仁賢和さんがそう修業したように、いわゆる「手」の型がすべておさめられています。首里手も那覇手も泊手も、ありとあらゆる型があって、たくさんの型があるということはそのなかにたくさんの技があるということにもなります。

 

 加えて、空心館には体道もあるので、その技の数、種類たるや膨大です。すべての技をコンピュータに入れて、そこへ攻撃やシチュエーションを打ちこむと、かならずや対応に適したものがピックアップされるであろうほどの、多種多様なレパートリーを有しているのです。



 ここまで技があれば、当然、それらの技を用いて攻防をおこなうことになります。師匠が以前から言っていた「相対的な強さより絶対的な巧さ」にも通じますが、とにかく正確に技をおこなうこと。これを前提に稽古をしてゆくわけです。




 しかし一方で、もしそこまでの技数がない流派であったとしたら、それを修業する人たちはどのような方向へ進んでゆくのか



 たとえば、相手が棒で攻撃してくる。「平安五段」や「鷺牌初段」、「抜塞小」などには、棒への対処法が入っていますが、もしそれらの型をもたない流派があったとして、新たに技を創作しないと仮定した場合、彼らは何かほかの技を用いてその状況に対応しなければならなくなります。



 もしかしたら、攻撃を捌くことは考えず、まず肉体を徹底的に鍛えあげて、打たれてもびくともしない、破壊されない身体を拵えるかもしれません



 そうすれば、撲られようが蹴られようが、武具で攻撃されようが平気です。加えて、手も徹底的に鍛錬し、巌のような、硬質な武器へ変化させられれば、あとは相手を引きよせ、その拳をぶつけるだけで攻防は終了します。



 つまり、はじめにもっていた型やそのなかに含まれていた技の数や種類によって、その流派に生きる人たちの動きも肉体も、その流派の特徴をあらわしたものになるということです




 われわれの場合、肉体はあくまで技、その動作をおこなうなかで出来てくるものであるため、筋力トレーニングはほとんどしません。柔術をやるにしても、柔道や合気道ではあたりまえにおこなう受け身の練習もしません。実際に技をかけられるなかで、やられながら習得した受け身でなければつかいものにならないからです。



 空手においても同様で、勝敗を選ぶのではなく、肉体を優先するのでもない、われわれは何よりも、「技」を第一に考えて稽古しています



 相手が突いてくる。蹴ってくる。その動きに反応させられて、こちらの身体が技のなかへ入ってゆく。相手の腕に触れて突きの軌道をずらしたその手は、自分自身が出したのではないのですね。言うなれば、技がその手を出させた。こうならなければ、技で攻防をおこなうという次元には到底達せられないと思うのです。






 なんともまた生意気なことを書いています。自分で出来もしない理想ですが、師範や師匠の動きを見ていると、そう考えずにはいられなくなります。あの摩文仁賢和さんも、写真で見る限り、ごつい身体つきはしていません。指なんかもふつうの人そのものです。それはなぜか。



 技で生きているからです立ち、動き、捌いているのは肉体でも意思でもなく、武術の技だからです。徹底的に洗練された技には、過剰な筋力も肉体も、むしろ不必要なものとして映ってしまうのです




 なので、体力や筋肉を増強したい、ごつい身体をつくって、汗をかきたい、という人には、あるいは、空心館は合わないかもしれません。気合いだ、根性だ、かかってこんかい! というタイプの人には、きっと不満の残る稽古内容かもしれません。





 先日、よく稽古に来ている後輩から、「質のよい稽古を効果的につづけてゆくにはどうしたらいいか」と訊かれ、単純に「よき師を見つけることだ」と答えてしまいましたが、よき師、よき道場とは、その人の性格や好みに合致したものだと言えるでしょう。どんなに技法や思想が優れていても、その人が求めるものと合わない以上、それはよき流派とは言えないのです





 わたしは空心館以外に合う流派を見つけられません。そして、この道場に辿りついた以上、違う場を探す気にもなりません。




 願わくば、同じように思ってくれる人の多く訪れんことを。




posted by 札幌支部 at 12:13 | Comment(3) | 裏部長の日記

2012年09月22日

手を忘れる

 こんばんは、裏部長です。


 
 みなさん、です。ようやく残暑が姿を消しました。本州のほうはそれでもまだ暑いのでしょうが、こちら札幌はついに北海道らしさを取りもどして、胸を張れるほどの秋になりました。


 九月に入っても長く暑さはつづき、百年以上前に観測を取りはじめてから初という真夏日まで記録してしまったうっとうしい日々が終わり、そして、師匠が札幌を離れてからそろそろ一箇月が経ちます。



 稽古の時間は、何も変わることなく流れています。




 火曜日の稽古では、師匠のご子息とともに稽古をはじめられた小学生のOくんが、小ぶりな手足を振りまわしてがんばっています。基本や型の名称はもちろん、最近ではともに稽古している学生たちの名前まで憶え、「今日は○○さん来る?」とか、「茶帯の□□さんは?」などと話すほどです。型はいま「十六」を稽古中です。


 そして昨夜の稽古には、数年ぶりにHくんが来てくれました(以前は“H田くん”と表記していたかもしれません)。


 彼はわたしの同輩で、在学時にはよくともに汗を流しました。札幌大学で大きなイヴェントがあり、教室に貴重な忍びの道具を展示したとき、交代に見張り役をやったのも彼だし、奈良のM田さんがいらっしゃったとき、稽古へ参加していたのも彼です。最近は仕事のほうで時間ができ、数箇月前から土曜日の稽古へ顔を出すようになって、昨日はひさびさの空手稽古ということになったのでした。




 もちろん、それ以外のレギュラー・メンバーも健在で、今年本部へお邪魔した後輩三人も元気にやっています。細身のIくんなど、医科大学でむつかしい勉強に打ちこみ、たいへんな試験があるというのに、その勉強を投げうってまで稽古にやってくるほどです。


 師匠が最後につけてくれた八月二十八日の稽古。Iくんはそのどうしても外せない試験勉強のために、稽古へ参加できず、しかし顔をあわせないまま師匠と一年間のお別れとなるのが悔しかったようで、わざわざ稽古前に大学へやってきて、師匠と挨拶をし、これまでの数年間ありがとうございましたと、礼儀正しく一礼して帰ってゆきました。

 わたしは、なんと殊勝なことだろう、律儀であり、師弟愛にあふれたすばらしい場面だと嬉しくなり、帰宅する彼の背中を見送ったものですが、それから一時間と数十分後――、

「やっぱり来ちゃいました」

 いつもどおり胴衣をもったIくんが、笑顔満開の状態で現れたときの驚きといったら、あなた。

「なんだ、やっぱり来たのか」

「はい。どうせ家にいても稽古のことが気になって勉強に集中できないので、えいっ、行ってしまえと思って、来ちゃいました」


 彼はそういう人なのです。




 そんな武術という名の病を抱えた熱心な後輩たちに囲まれて、わたしは幸せに稽古しています。



 栃木から帰ってきて、つねに考えているのは、Y師範代から教わった例の、

「▽▽▽で突くな。△△△で突け

 という教えです。


 これ、案外重要なことのように思うので、ここでは字を伏せておきますが、突きだけに限らず、すべての動きに用いることができるし、それができたときの身体の軽さ、楽さと言ったらないです。しかし、そうは言ってもまだまだなので、完全にそのようには動けないもどかしさもある。


 だからこそ毎回の稽古がたのしいわけです。師匠からあたえられた課題宿題に取り組みつつも、わたしは単身ひそかにこの難題と向きあい、格闘し、汗を流しているのです。


 


 師匠が中国へ留学してから、多くの人に、「先生の役割を代わりにやって大変でしょう」という労いのことばをかけてもらうようになりました。大学で週に二回の稽古、水曜日と木曜日には道新文化センターで指導をし、月の一度の土曜日の稽古では空手や体道のほかに剣や杖もやっている、というのがいくぶんハードに見えるようです。



 もちろん、運動量以上に責任が増しているので、決しては楽ではありません。空手では上記のように、自分ならではの課題へ手をつけつつ、片やでは型を念入りにやり、体道では後輩たちの柔術を見て、土曜日の稽古では法典流の剣や杖をやり、そこに今度は拳法図まで入ってきた。自らやるだけではなく指導もしなければならないとなれば、これはなまなかなことではありません。



 しかし、わたし自身それをたのしんでいますし、また、それらの武術を学びたくても学べない人がこの世に数えきれないほどいるなかで、ここまで多くの技と向きあえる環境で毎日をすごせることは、幸福以外の何物でもありません。



 それに――。



 師匠はいま書いたわたしの現行スケジュール以外に、大学で体育をやり、そして稽古のあとは深夜まで研究室に残って仕事までして、それであんな風にいつもにこやかにされていたのですから、それに比べればなんのそのです。






 やわらかく、タフな男になりたい、裏部長でした。


posted by 札幌支部 at 20:37 | Comment(0) | 裏部長の日記

2012年09月09日

階段は誰の前にも等しく伸びる

 こんばんは、裏部長です。長らくご無沙汰をしておりました。

 何よりもまず、



 残暑お見舞い申しあげます。




 夕方のニュース番組で、今週いっぱい東京では真夏日がつづくといううんざりするような話題を伝えていました。その地で生活している人すら嫌気がさすほどの暑さ、そして湿気。日本の南に停滞する高気圧のせいらしいですが、そんなこと人間にはどうだっていいですよね。


 暑いもんは暑い! 勘弁してくれ!

 きっと、みなさん同じ意見でいることでしょう。


 そう言うこちら札幌はようやく暑さがやわらいできました。本州に負けず、昨日まで三十度前後の気温がつづき、かなり稀な残暑に見舞われていましたが、どうにか北海道らしさを取りもどしてくれそうです。

 忘れていた夏バテと、急な涼しさによる寝冷えに気をつけなければなりませんね。




 札幌支部ではこの夏も、残暑のなかも、変わらず稽古しています。あまりの暑さと湿気のために、みなの排出した汗で教室の床が濡れ、油を塗ったようになってしまい、組手を中止したことはあっても、稽古を止めることはありません。

 相も変わらず励んでおります。



 唯一変わったことと言えば、師匠が日本を離れたということくらいです。一年間、中国に留学をされるためです。来年の九月の中ごろまで、札幌支部は師匠不在です。



 この間、若輩ながらこの裏部長が札幌支部を仕切ります。


 自らの稽古はもちろん、後輩たちの指導もおこないます。空手の基本、組手、型にはじまり、体道、そして、月に一度おこなっている土曜日の稽古では、剣(刀)、杖、棍などもやりますから、そりゃもう多彩です。目がまわりそうなほどの多彩ぶりです。


 これに加え、道新文化センターでは拳法図もやっているのですから、もしかしたら入門以来、もっとも多くの技を稽古している期間かもしれません。



 空心館にいるからこそ味わえる境遇ですね。




 師から離れ、多くの技といくつもの課題に直面すると、あらためておのれの未熟さ、そして、師の偉大さを知ります。残暑にも負けず、大学の試験勉強さえ見向きもしないで、熱心に稽古へかよってくる後輩たちの姿にも学ばされます。


 わたしは高校時代に合気道をやっていました。空心館へ入ったあとも、師範や、本部道場のみなさんにさまざまな面で影響を受けました。奈良支部のM田さんにも、いろいろと助言をいただいております。


 しかし、やはり師匠を選んだ以上は、その背中を追いかけてゆきたい。空手家ではなく、柔術家でもなく、武術家であろうとする師につづきたいと、年を重ねれば重ねるほど思うようになりました。



 武術家に言い訳は無用です

 できない、わからないということがあってはいけないのです。






 以前、歌舞伎役者の松本幸四郎さんが、あるドキュメント番組のインタヴューで「歌舞伎以外にTVドラマや映画、翻訳ものの舞台演劇までやる意味は?」と訊かれて、こう答えられていたのを思いだします。


役者は、何でもやる必要はないけれど、何でもできなきゃいけないと思うんですよ


 
 武術家とて、同じですよね。





 空手、体道、それ以外の武術。いまわたしたちに稽古できるものは、ありがたいことにたくさんあり、そして必要最低限の環境も用意されています。肉体も精神も健全で、心配すべきは夏バテだけというよい季節です。


 一年後、成長した姿で師匠をお迎えできるよう、いまは黙って、ひたすら稽古あるのみ。





 裏部長でした。
posted by 札幌支部 at 21:35 | Comment(0) | 裏部長の日記

2012年07月01日

熟れる

 あの栃木遠征から、早いもので二週間以上がすぎています。

 師匠を先頭に、後輩たちを引きつれ、金曜日の体道稽古、そして土曜日の空手稽古と、二日連続で本部道場へお邪魔する遠征としてはなんと五年ぶり。しかも今回は過去にないほどの大人数で押しかけ、また本部道場のみなさんにはこれまで以上にあたたかく迎えていただきました。

 だいぶ遅くなってしまいましたが、あらためて御礼申しあげます。

 ありがとうございました。



 初日。

 午後七時半から体道稽古。参加者はわれわれ札幌支部一行のほかは、白帯の男性二名のみ。

 冒頭、今回が初参加の後輩たちは日本伝天心古流中目録、部長は天心古流捕手術上目録の審査を受けました。もちろん、師範直々の審査です。各自、緊張感をみなぎらせつつも、ほどよく柔軟に演武し、大過なく合格の運びとなりました。

 一段落したところで、師範による刀の演武です。鏡心流抜刀術から、無外流、無双直伝英信流など、さまざまな技を見せていただきました。

 これまで体道の稽古時にカメラをまわすということをしていなかったため、師範の刀の演武については記録がなかったのですが、今回はきっちり収めさせていただきました。貴重なVTRとなりました。

 後半は、全員参加の柔術の稽古です。体道の技から離れ、師範がまず見本を示す、それをわれわれがふたりで組になり、稽古するというものです。

 これがとても濃い時間になりました。

 あれはきっと、いわゆる名前のない“”というやつなのでしょう。九十年代前半のVTRで、師範とI師範代、そしてODさんが三人で、投げたり投げられたりする映像を見たことがありますが、そのなかに出てきた技法がいくつかありました。

 具体的には書けませんが、ものすごく単純な動作です。しかし、だからこそ簡単にはできないのです。

 師範もおっしゃっていました。体道でやっているような技のほうがたやすい、指定された動きをそのままやっていれば技がきまるのだから、と。それくらい奥深く、そしてまた、剣や杖、はたまた空手にも共通してくるような味わい深い技でした。勉強になります。


 この日は人数的にひとりあぶれてしまい、そのひとりがわたしでした。なので師範が見本をやり、各自パートナーと向かいあうと、わたしは決まって師匠と組み、畳の端っこのほうで動作の確認をするに留めていました。

 後輩たちや白帯の男性陣が上手くできないというと、師匠が入っていって指導をする。師範がそれを何も言わずにご覧になっている。

 ですから、そこへわたしがすかさず質問に行く、ということをこの日はくどいほどやっていました。過去の遠征を振りかえっても、あれほど師範に質問をしたことはなかったのではないでしょうか。

 その都度、師範はていねいに答えてくださり、また実際に技を見せてくれ、話もしてくださいました。

 わたしは実際の稽古者であると同時に、言葉や物語を通して考え、感じることでおのれの血肉にするという面をもっているため、この稽古の合間の、というより端っこの、師範とのやり取りや会話は、かけがえのないテキストになりました。

 あそこで聴いたいくつものお話があるのとないのとでは、今回の遠征は、わたしにとってまったく違ったものになっていたでしょう。

 最後は二種類の受け身と、それを利用した捨て身の技をご教授いただき、初日の稽古はしずかに幕を下ろしました。



 二日目。

 本部道場の空手稽古へ参加、ということになれば、いつもたいてい、Y師範代が先頭にお立ちになって、われわれがそこについてゆくというかたちがあたりまえだったのですが、今回は違いました。

 Y師範代やそのご子息Tくんなどが到着する前に、師匠の先導によって基本稽古を開始。それも、本部式のものではなく、あくまでも札幌支部のスタイルでした。気合いの声なし。本数も、いつも子供たちといっしょに稽古しているときと同じ程度で、なんだか不思議な時間でした。

 ある二種類の一進一退をやったあとは、もうひたすら約束組手。ここでも札幌スタイルは貫かれていて、突いた人間が次は受けになるというローテーション式でした。きっと奈良支部でもそうなのでしょうから、言うなれば師匠のスタイルですね。

 
 この組手において学んだことは多く、そしてそれは、参加したメンバーがそれぞれ自分なりにいろいろなものを受け止めたのだと思います。わりと長い時間、ただひたすらに組手をしていると、思考は純化され、建前や演技は剥ぎとられて、自分の素が出てきます。それはその人間の過去であり、出発点であり、性格でもあるのでしょうが、それを知るには、ただひたすらに、という時間が必要なのです。

 肉体をぶつけあい、汗を流し、足の先から頭の天辺まで熟れきった果物のようになりながら、当然わたしもそんな素に出逢っていました。自分は何がしたいのか。自分には何ができるのか。そんなことを考え、感じ、突きつけられた夜でした。


 そして、最後の師範の言葉――。



 稽古の締めくくり。全員坐って、神棚へ一礼。師範振りかえって、今度は師範へ一礼。通常は、互いに礼をし、稽古は終わるのですが、今回は違いました。

 師範がおもむろに口をひらいたのです。


 そのときのお話については、ここには書きません。書きませんが、しかし、われわれ札幌支部の人間はあのときの師範のお話を胸に刻みつけねばなりません。いや、札幌支部だけじゃない。師匠について稽古する人間はみな、あのお話を忘れてはいけない。


 師範がお話しになっているあいだ、わたしの双眸は、汗なのか泪なのかわからないもので濡れていました。君たちのやっていることは間違っていない。そのまま進め、と、そう背中を押されたような気がしました。





 お金をかけ、時間をかけ、多少痛い目にも寒い目にも遭いながら遠征に参加した後輩たちのためにも、教わった内容について具体的に書くことは避けます。師匠がいつも言うように、参加した人間がすこしだけ得をして帰れる稽古をすればいよいのです。そして、わたしたちはあの夜、たしかにそれをやったのです。

 有意義な二日間でした。

 多謝。

posted by 札幌支部 at 19:34 | Comment(0) | 裏部長の日記

2012年06月17日

無事帰還

 こんばんは、裏部長です。

 札幌支部一行、無事札幌へ帰ってきました。

 こちらは雨模様のためすっかり肌寒く、日光のときと同じように半袖で乗り越えるのは難しそうです。


 遠征の内容については、また後日。


posted by 札幌支部 at 20:47 | Comment(0) | 裏部長の日記

2012年06月14日

出征前日

こんにちは、裏部長です。

なんだかんだでもう六月も半ば。各地梅雨入り。札幌はこのところ夜になると長袖でも肌寒い有様。

気づけばもう、栃木への遠征が明日に迫っていました。



今回は師匠のほか、裏部長、部長、後輩の三名という大所帯で伺います。

初参加の三名は、諸先輩方の空手のすさまじさに胸を躍らせつつも、体道の稽古中に師範からちゃっかり指導を受けようと意気揚々たるものです。


あたたかく、かつ厳しく、ご指導のほどよろしくお願いいたします。



いつものように、遠征の模様は、無事帰還したのちにアップしますのでいましばらくのお待ちを。



では、いざ栃木へ!
posted by 札幌支部 at 13:18 | Comment(0) | 裏部長の日記

2012年04月28日

愛だったんだよ

 こんにちは、裏部長です。

 北海道もすっかり春で、そして気づけばゴールデンウィークです。行楽地がにぎわい、観光バスが渋滞し、桜が咲き、桜が散り、そして沖縄ではもう梅雨がはじまっているという季節です。

 ほどよい陽光は眠気を誘いつつも、なんだか活動的な空気を運び、背中を押してくれます。




 今年に入ってから、札幌支部では体道のみの稽古を再開しました。

 以前は毎週木曜日に体道の稽古をやっていたのですが、2008年からその曜日に道新文化センターにて古武術講座をやることとなってしまったために、体道のみの稽古日は取らず、ふだんの空手稽古の合間におこなう程度になっていたのです。

 それに、体道をやるといっても、場所は床がコンクリートの教室で、満足に投げることも投げられることもできないという有様。もちろん、どんな場所でも技ができなければいけないのですが、こと投げ技に関しては、できれば畳のある空間で存分にやってみたい。

 そんな話が出たり入ったりした結果、今年の二月から、月に一度だけですが、畳のある武道場を借りて、体道のみの稽古日を設けることとなったのです。

 毎月、第二土曜日にやっています。

 いつも柔道部なんかが稽古しているところなので広いし、天井も高いので、刀、杖、棒、なんでも振り放題です。冬場の寒さ、あるいは来たる夏の暑さだけ覚悟すれば、とても恵まれた環境と言えるでしょう。



 
 空手の稽古においては、いろいろな発見があります。

 不器用で、なおかつどんなことでも自分で体感してみないことには納得できない性分の裏部長は、愚かな試行錯誤をくりかえし、ときには傷つき、ときには反省の嵐に見舞われ、夜道をひとりで淋しく帰ったりしているわけですが、最近気づいたことはこれです。

相対的な強さはつまらない

 師匠は、相対的な強さより絶対的な巧さ、ということをずっとおっしゃっていましたし、わたしもそれを信念にしてきてはいたものの、最初からその考えで出発してしまったために、相対的な強さとは、あるいは、相対的な強さを求めるとはどういうことかを知らずにいました

 もちろん、純粋に武術を稽古してゆくなかでは、相対的な強さになど眼もくれないという姿勢でよいのでしょうが、なにぶんにもやってみないと納得しない質なので、ちょっと試してみたのです。

 とはいっても、どこかの道場へ殴り込みに行ったわけでも試合に出場したわけでもありません。ふだんの稽古のなかで、絶対的な巧さの追求をあえて廃し、強さのみを考えて組手などをしてみたわけです。


 これは不思議な体験でした。

 というのも、わたしはいささか体格に恵まれたところがあるので、この肉体、この体重、この筋肉をあてにした動作をしても、自分よりも格下でなおかつ身体も小さい後輩相手ではじゅうぶん通用してしまうのですね。

 相対的ということは、相手と自分が離れている状態です。独立した自分という存在が、離れているところで同じく独立している相手を攻撃する。蹴散らす。相手が避けようが受けようが構わず、突進し、破壊し、表面化したダメージのみで優劣を判断する。

 これまでにしたことのないやり取りだったために、最初は不思議と楽しささえ感じました。弱いよりも強い状態に人は優越感をおぼえ、満足してしまうものです。わたしも、情けないことに、一時はそんな心境を抱えて稽古へかよっていました。


 しかしこれ、長続きはしなかったのです。


 強さを求めた場合、そこにいる相手全員よりも自分が強くなってしまうと、それ以上の稽古ができない。つまり、深めてゆく過程がないから、結果だけを判断材料にしているから、優ってしまうとそれだけで終わってしまい、それ以上の満足感、手ごたえのようなものを獲得したいのなら、道場を出て武者修行をしなければならなくなる。

 後輩相手でも、馬鹿のように何発もの突きをぶつけ、体格で圧倒し、押して押して押しまくる。もちろん、そういったことをするべき時期も、できるようになる時期もあるでしょう。

 しかし、それだけになってしまうと、稽古は停滞してしまいます

 武術は死んでしまうのです



 愚かな試行錯誤を終え、ふたたび絶対的な巧さ、技の稽古に着手すると、これが面白い面白い。

 追い突き一本をやっているだけで楽しいのです。あれやこれやと発見が訪れる。

 そして、やはり、こちらのスタンスのほうが、腕は磨かれます。こと突きの威力という面だけを見たとしても、相対的な強さを求めていた時期とは比べものにならないほどの内容が生まれています。

 武術はほんとうに奥深い世界です。




 昨夜なんかは「」の話が出たのですが、これなんかはその最たるものですね。

 突きを出すときにはかならず片方の手を引く。この引き手で突いているわけですが、高段者になるとかならずしも手を引いていない場面を多く見受けます。

 これはなぜか。

 もちろん、引ききってしまわないほうが二本目の突きを速く出すことができるわけですけども、じつはそれだけではなかったのですね。

 川なのです。

 自分の身体の前に川が流れているのです


 マットをミット代わりにもって師匠に突いてもらいました。

@一般的な、片方の手を引く突き。

A引き手を残し、それをただそこに置いたまま出した突き。

Bそして、パンチ


 Bの突きが放たれた瞬間、わたしはその変貌した迫力と威力に圧倒されながらも、たしかに、眼の前に師匠の肩幅よりもわずかに狭い、しかしあきらかに水量をもった川が流れたのを見たのです。

 ほんとうに、川が見えたのです。



 その突きを見せていただく数十分前、わたしはわたしで、こんな風な身体の使い方をすればよりよい突きが出せるのではないかという、ちょっとしたアイディアを思いつき、ひとり悦に入っていたのですが、そんな気分はひと息で吹き飛んでしまうほどの技でした。

 
 こういう瞬間を味わい、体験し、そして自らもそこへ向かえる稽古こそ、真に武術なのではないでしょうか。

 そして、そんなやり取りに楽しさを見出せる人だけが、稽古をつづけてゆけば良いのではないでしょうか。
 
posted by 札幌支部 at 13:35 | Comment(0) | 裏部長の日記

2012年01月18日

詮のないこと


 最近ふいに、

武術を稽古するって、どういうことだろう

 と考えたりします。



 師匠のもとへ入門して、来月で丸八年。

 若輩者のわたしが、後輩たちの指導をしたり、道新文化センターで一般の方へ体道を教えたりできているのは、ひとえに師匠のおかげです。

 経験に比して、このような体験ができているというのは、稀なことです。

 ありがたい経験を積ませていただいています。


 ただ――。

 だからこそ、気づいてしまったのかもしれません。




 これはあくまで持論ですが、稽古をするというのはつまり、

自分を白紙にする行為

 なのではないでしょうか。そう思えてならないのです。



 空心館に入った以上、この道場の、あるいは、自分が求めてついた師の有する武術の技術なり、基準なりを共有することが必要になってきます。

 ほかの道場や日常生活のなかで習得したことはあっても、それは、純粋に、空心館の武術をやるという時点においてはまったく役に立ちません。

 それを持ちだした途端に、修得の道は霧で覆われてしまいます。



 つまり、修業者はいったん完全なる素人にならなければならないのです。



 この姿勢を貫く場合、稽古のなかで自分の意見を言うということはなくなります

 空手をするにしても体道をするにしても、その技が、その動作が良いのか悪いのか、自分で判断するべきではないからです。

 どんな些細な動きに関しても、自分で判断せず、すべて師に見てもらう

 そして、出された助言や指摘を百パーセント受けいれ、それを具現化することだけを考え、稽古する



 たしかに、いつまで経っても師がいなければどうにもならない、では話になりません。

 親の脛に齧りつきつづける悪しき子のようでは、ひとりの武術家として自立することは叶いません。


 しかし、それは数十年の修業を経た人間にだけ取ることを許される手段です


 この道へ、この道場へ入門してわずか数年の、あるいはそれ以下の人間がわけ知り顔でやってよい言動では決してないのです。





 わたしが考える稽古論、上達論をまとめるとこういうことになります。


○道場へ入門した以上、師、あるいは先輩の教えを尊重すること。その基準を嚥下し、おのれの心身へ移植することを最優先する

○この姿勢を持つ以上は、稽古中に自分の意見、感想、提案を出すべきではない。いやむしろ、徹底している人間であれば、発する言葉は「はい」以外にありえない

○稽古者は自然と無口になる

○師の発言にはつねに耳を向け、その動作を注視すべし。あたえられた助言はかならず受けとめ、返事をする

○自分はできる、自分は知っている、自分は理解できているなどとは決して思わない。少なくとも、入門して三年を経ていない人間は、「自分はまだ空心館においては素人である」と自戒しなければならない





 人間は十人十色。

 個性は尊重しなければなりません。


 穴だらけの道を、どこもかしこも灰色のアスファルトで覆ってしまうように、稽古者を同じ規格でがんじがらめにする必要はないのかもしれない。


 そうわかっていても、わざわざこんなことを書くのには理由があります。

 それは単純なことです。


 上に書いた条件に合わない人間のほとんどが、最終的に技の上達を諦め、道場を去っていってしまう

 わたしはそれが残念でならないからです。



 どんなタイプの人でも、最終的に動けるようになれば何の不満もありません。

 偉そうなことを言っている鼻もちならない奴でも、きちんと教えた技を教えたようにできているのならよいのです。


 わたしが見てきたなかで言うと、そういったタイプの人間は皆無に等しいです。

 まったくと言ってよいほどいません。


 入門以前に、または道場外で仕入れてきた知識、経験、考察の結果を持ちだし、何かというと自己判断をして、正誤の結論を勝手に出すたぐいの稽古者は、やっぱり下手です。

 空手にしても体道にしても、肝心の技ができないのです。

 出来たようなことを言っている人間に限って、どうでもよいつまらない間違いをし、そのくせ他人のミスにはめざとく気がついて、まるで指導者のような口ぶりでそれを指摘するのです


 はっきり申しあげて、わたしはそういう種類の稽古者を好みません。不愉快です。






 今日、どうしてこんなことを書いたのか。

 鼻もちならない奴がいるのなら、そいつに面と向かって言ってやればいいじゃないか。

 そうおっしゃる方もいらっしゃるでしょう。



 違うのです。



 たとえば、技術面のことであれば、直接言ってあげたほうが身になるでしょう。
 

 その技がどうしてもできない人に、こうしたらいいよとアドヴァイスをすれば、できなかったことができるようになる。

 稽古とはそういうものだし、わたしは何も、やってできない人を非難しているわけではないのです。



 今日書いたことは、いわば、その人の精神面心根に関する部分なのです。

 これは、直接言ったところで、叱りつけたところで、容易に変わるものではありません。



 心根のことについては、その人の魅力、人間性などと同様に、最初から存在している下地のようなものです。

 だから、もともと持っていない人は、何度注意してもできないし、持っている人は、わざわざ指導しなくてもはじめからそうしているものです


 言っても詮のないことなのです。

 だからあえてここに書きました。




 わたしもひとりの稽古者として存在している以上、何よりも自分の修業のことだけを考え、他人のことに頭を悩まさず、ただひたすらに汗を流すべきであることは重々わかっているつもりです。これらのことも、書こうか書くまいか、かなり悩みました。

 その上で書いたことです。不快に思われる方もいらっしゃるでしょうが、ご勘弁ください。



 なお、上記の内容はすべて裏部長個人の想いです。師匠の受け売りではありません。

 その責任は、わたし一人にあります。





 裏部長でした。 
posted by 札幌支部 at 16:23 | Comment(0) | 裏部長の日記

2012年01月08日

稽古初め2012

 



 明けましておめでとうございます。

 裏部長でございます。

 今年も何卒よろしくお願い申しあげます。





 札幌支部の稽古初めは六日でした。稽古納めから一週間とちょっとしか経っていないせいか、正月気分を感じる暇とてなく、いつも通り大学の教室からスタートしました。

 あいにく師匠はお仕事のため欠席。参加は、熱心に稽古している後輩のIくんと、あとは師匠のご子息のみという珍しい顔ぶれでした。


 理論よりも実践考えるより動け

 そんなことを心に刻んだ稽古初めでした。



 
 稽古のなかには空手と体道があるわけですが、強いて目標をあげるとなると、どうしても空手のほうが先に立ってしまいます。

 それも、やはり突きについて。


 今年も目標は、「重く、そして軽やかに」です。

 何のために追い突きを重点的に稽古しているのか。それも、相手の反撃ありきではなく、約束組手のなかで、ごく純粋に追い突きをやっているのには大きな意味があり、それをこそ実践しなくてはなりません。

 それでなければ、この稽古をしている甲斐がないというもの。


 結局は貫通力だと思うのです。きちんと突ききる。障害物など弾き飛ばして、相手の身体ごとなぎ倒しながら、重く素早い突きを相手へ当てる。

 二本目、三本目の突きなど、それができたあとに手をつけるべき代物で、最初の一撃さえまともにできない人間は、どんな手数を増やしても、しょせん小魚の群れ。

 鯱のひと呑みには敵うはずもありません。



 もう何年も前に、奈良のM田さんに言われたことばがここで痛烈によみがえってきます。

手数よりも、ここで決めるという一本

 それを理屈ではなく、体現する一年にしたいです。




 ただし、体道も忘れてはいけません。

 現在やっている内田流短杖術のあと、できれば夏までには天心古流の挫を終わらせたい。そう師匠とは話していますが、果たして行けるかどうか――。

 それに、技数だけではありません。そこから、きちんと武術的エッセンスを吸収しなければなりません。

 これは空手の型も同様で、ただ憶えた、ただ馴れたでは半人前もいいところで、そこから武術的な身体のつかい方を学び、それへ自分を順応させなければ、ほんとうに型をやったとは言えないでしょう。




 まさに、“稽古者多忙”です。

 そうあることに、感謝しなければ。




 今年も空心館とともに。


 
posted by 札幌支部 at 19:01 | Comment(1) | 裏部長の日記

2011年12月29日

稽古納め2011

 こんばんは、裏部長です。

 
 すっかり書くのが遅れてしまいましたが、今週の火曜日が札幌支部の稽古納めになりました

 師匠のご子息ら、子供たちのにぎやかな声。そして、さしていつもと変わらぬ顔ぶれのふたりの後輩たちと、氷点下の夜に汗を流しました。


 その後輩たちも、いまではふたりとも茶帯です。稽古へ熱心に参加している後輩はもうひとりいて、彼も来年にはきっと茶帯を締めることでしょう。

 札幌支部で一度に三名の茶帯が稽古をするというのは、なんと初です。これまでにはなかったことです。


 韓国人留学生Cくんが締めていた以外には、わたしと部長のほかは、茶帯まで達した人間自体がいなかったのです。黒帯までいったS呂くんは他流派の経験者で茶帯は締めなかったし、それ以外の後輩たちは――まあ、言わずもがなといった感じです。


 あらためて長く稽古をつづけることの難しさを痛感します。しかし、だからこそ、長くつづけた先に大きな発見があるのだと思います



 わたしは来年の二月で、師匠のもとへ入門してから丸八年になりますが、最近になってようやく、自分のなかの武術観が変わってきた気がしています


 結局、まっさらな状態で入門したわけではなかったのですね。合気道の経験が深く根づいていたし、それ以外にも、あの本を読み、この映像を見て、あくまで独学ながらも、あれやこれやと知識を溜めこんで稽古をはじめてしまったがために、師匠や諸先輩方の動きを目の当たりにしながら、どこかでそれ以外の残像を見ていたのではないか。

 そんな反省を、最近はことあるごとにしているのです。



 現在、体道では内田流の短杖術を稽古しています。

 やるたびに笑えてくるほど面白い流儀です。ひとつひとつに武術のエッセンスが煮こごりのように詰まっていて、これまでにない感動をあたえてくれます。

 こういった技を稽古していると、武術というのは筋力ではない、年齢や体力ではない、といったごく当然なことを痛感せずにはいられません。

 そしてもっとも強く刺戟されることはこれです。

武術は繊細で、かつ地味なものだ


 必要最低限の動きで、小さく、速い。武術というのはすべからくそうした形状へと向かってゆくのだとすれば、技そのものの内容はもちろんのこと、それをおこなう武術家もまた、動けば動くほど繊細で、そして地味な表現に行き着くのでしょう。


「やっていけば、浅山なんかは面白いよね」

 この台詞はわたしの個人的な意見ではありません。つねづね師匠が、そして、今年の九月に本部道場へお邪魔した際、師範もまた口にされていたことばです。

 
 いまようやく、わたしはその真意に触れはじめているのだと思います。



 先代、藤谷師範は杖の技に長けていたとか。

 杖、短杖、棒、半棒――。その腕前たるや恐ろしいものであったと師匠から伺っています。

 そして、体道のなかには、多種多様な杖関連の技があります。

 加えて、わたしは杖や棒が好きなのです。武具のなかではもっとも強い興味があります。




 いくつもの兆し。藤谷派糸東流拳法空手道と体道がある、空心館という道場の、師匠のもとへ入門したことの意味を、あらためて噛みしめつつ、2011年の書き納めといたします。



 裏部長でした。
posted by 札幌支部 at 20:30 | Comment(1) | 裏部長の日記

2011年11月19日

地つづき

 こんばんは、裏部長です。


 札幌ではついにが降りました。ついに冬到来です。

 木曜日の朝など、地面のどこもかしこも真っ白になっていました。

 しかし、わたしはこの季節が好きです。というか、この季節におこなう稽古が好きなのです。師匠のもとへ入門したのも冬だったし、札幌支部メンバーで本部へお邪魔したときも寒い季節でした。

 道場内の熱さと外気の肌寒さ。このなんともいえない対比が、その当時のことを思い出深くさせているのかもしれません。



 さて今週は、栃木のT君とも親しいT田さんら懐かしい面々が札幌支部の稽古へ参加してくれました。

 賑やかな稽古はやはりたのしいものです。



 裏部長はというと、ここ最近は面白いくらい稽古が面白い。行くたびに発見があり、収穫があり、また同じ量の反省点を抱えます。

 
 昨日の稽古なんかもそうで、得るものが多かったなあ。

 
 結局、地味な稽古の積み重ねなのです。いくら特殊な動きをしたところで、他者の物真似をしたところで、そんなものは本当の武術にはなりえない。


 そして、そういった稽古をくりかえした結果つくられる肉体、生まれる動作こそが、目指すべきへとつながってゆくのでしょう。


 一途に、ただひたすらに没頭すること。その大切さを日々痛感しています。



 とはいえ、やればやるほど面白く、知れば知るほど恐ろしい世界です。


 数年前には、ただ速いなあ、凄いなあと思っていた師匠の動きが、いまではまるで違って見えます。

 速いには速いなりの意味があり、それは往々にして物理的な、がむしゃらに頑張って生みだせる術理ではなかったりする。

 それらを目の当たりにしたときの驚愕と恐怖と快感については、きっと今日まで稽古をつづけてきた人間でなければわからないものなのでしょう。知覚できただけで幸福というものです。



 地道な稽古はときとして窮屈さを感じさせるかもしれません。だから、武の世界で生きるかなりの人たちは、自分なりに解釈した動作や、大声をともなって鍛えた筋肉や根性に頼る方向へと進んでいってしまい、真に武術たりえているものはその数を、残念ながら、徐々に減らしていっているそうです。

 師範のお話を伺うと、空手に関して言えば絶望的だとさえ思えます。



 師匠と空心館に出会えたことをいまこそ感謝したいです。

 そして、一度気づいたのなら、もう一生迷わずに、道場外の余計な騒音には惑わされず、純粋に、素直に、稽古を重ねてゆきたい。


 これはきっと、わたしの人生にさえ関わる大切な決意になるはずです。


posted by 札幌支部 at 19:49 | Comment(0) | 裏部長の日記

2011年11月13日

武術だなあ。

 
 こんばんは、裏部長です。


 十一月になってしまいました。すっかり秋です。ちょっと強い風が吹けば、街路樹から何枚もの葉が散って、乾いた音がアスファルトの道にひろがる今日この頃、みなさんいかがお過ごしでしょうか。




 九月のひとり旅以降、いろいろと考えるところがありましたが、いまはむしろ純粋に、これまで以上にたのしんで稽古にいそしんでいます。


 二日前の稽古では空手の基本から移動をやり、そして約束組手といういつもの流れのなかで、刻み突きに対する受けをやったのですが、これなんかは奥深くてねえ、やりながら感心してしまったほどでした。


 そりゃレヴェルの高いことに触れれば心が刺戟されるし、新たな課題となってくれるし、その過程で発見することは多々あるわけですが、そういった単純な印象とはわずかに異なる、懐かしさにも似た感動があったのです。



 思い起こせば七年ほど前。まだ大学生だったわたしが師匠のもとへ入門し、空手や体道を習いはじめたころ、毎回の稽古が新鮮な感激に満ちていました。いや、それだけではない。わたしは確実に、「武術」というものを志していました。

 武道ではなく、格闘技ではなく、ましてやスポーツなどではない、武術を



 
 金曜日にやった受け技は、刻み突きを前の手で右から左へ受けるというものでした。ただ手を払うだけでは、拳はよけられても相手の身体は突進してきて、二本目の突きを喰らってしまう。だから受けと同時に、その体をも崩せる動きをしなければいけない。

 そんな技でした。



 稽古の最中、わたしはしきりに、

武術をやってるなあ

 と心のなかで呟いていました。




 ここ最近になって、師匠のおっしゃるように、空手や柔術などといったジャンルに固定せず、総合性と一貫性をもった【武術】を稽古しているのだなという認識がわたしのなかにも生まれてきました。

 無論、刀も、杖も、棒も、すべて同様にです。



 屈強な肉体と健全な年齢を有し、足腰を鍛え、拳を巌のようにしたところで、ただがむしゃらにそれをぶつけるだけでは威力は発生しない。素人には痛みをあたえられても、玄人にはきかない。


 武術とは、いかに効果的な動きをおこなうかだ


 師匠はそうおっしゃいました。


 たとえ老齢で筋力がなくても、効果的な部位へ、効果的な攻撃を、効果的な間合いと速度でもってぶつけることができれば、相手へ効果的なダメージをあたえられる。


 瞬発力も若さも筋力だってある若い有段者が、逆立ちをしても師範には敵わない現実を、われわれはつねに忘れてはいけません。


 そして、一度気づくことができたなら、それが空手であろうと柔術であろうと剣術であろうと杖術であろうと、すべて同じなのだ、武術として実現できるのだと信じ抜くべきです。




 これはわたしと、わたしよりも若い後輩たちに伝えておきたいことでした。

 諸先輩方、またまた生意気な文章、お許しください。




 とことん知らなければわからないことがある。


 武術はほんとうに奥深く、そして、やはりたのしいものです。


posted by 札幌支部 at 20:13 | Comment(0) | 裏部長の日記

2011年09月26日

裏部長ひとり旅

 こんばんは、裏部長です。


 すっかりです。天気予報で「23度」などと出ていれば今日は涼しいなあと驚いたものですが、今となっては、街角の温度計が21度を指していても、今日は温かいなあと心底思ってしまいます。


 ほんと、現金な肌でございます。


 そんななか、訪れた栃木はいまだ真夏でしたね。新栃木駅から降り立ったとき、過去に三度しか来たことがないにも関わらず、夏休みに田舎の祖父母へ会いにきた小学生のような心持ちに襲われました。


 それは、今から二週間ほど前のことです。





 9月13日、火曜日。


 前日、東京に用事のあったわたしは、不馴れな乗り継ぎをくりかえして、どうにかこうにか三軒茶屋から新栃木まで行かねばなりません。


 これが存外しんどいものなのです。


 あたりまえのような真夏日のなか、三軒茶屋から渋谷、そこから湘南新宿ラインで栗橋、栗橋で乗り換えて田園風景のなかを進むことしばし。


 新栃木駅に着いたのは午後三時すぎだったでしょうか。ほとんど無人の駅前広場には、数台のタクシーと、あとは燦々たる日光のみがありました。



 夕方まで時間をつぶし、道場へ向けて歩きだしたのが午後六時すぎ。


 昼間にくらべればあきらかに気温は下がっているものの、それでも暑い。道の隅々まで浸透している湿度と熱が、重いキャリーバッグにまとわりつきます。


 不思議なことに、道場へは迷わずに辿りつきました。過去に三度ここへはお邪魔しているわけですが、そのときはいつも師匠がいて、車で来ていたので、こうして自力で、それも徒歩で行くなどというのは、方向音痴なわたしにとってはちょっとした冒険だったのですが、自分でも驚いてしまうほどスムースに到着。

 
 まるで、毎週ここへかよっているかのような足どりで、四年ぶりの本部道場へ。



 道場では少年部の稽古中。窓という窓を開け放ち、玄関も開けたままなので、近づくにつれて子供たちの元気な声が聞こえてきます。


 そしてもちろん、そこには師範の姿も。



 勝手な印象ですが、四年ぶりにお会いしたとは思えないほど、失礼なくらいの親近感と愛着にも似た感触をもって師範と再会できたような気がします。わたしたちのような一介の稽古者にとって、師範は雲の上の存在です。言わば、若手噺家にとっての志ん生、文楽、あるいは可楽みたいな方なのです。


 それでも、そうしてお会いして、時候の挨拶もほどほどに、道場の板の上にあぐらをかいて、少年部の稽古を眼前に眺めながら、いろいろな話、あれやこれやの武術談義ができたことは、やはりいくら支部と言えどもつねに師範とのつながりのなかで稽古をしているのだなあという感慨をあたえてくれました。

 

 師範のお話は、ざっと言ってしまえば、武術をきちんと修めている武術家のなんとすくないことか、ということに尽きます。


 空手に限らず、柔術の方面にしても、何にしても、とにかく紛いものが多すぎる


 他者を批判することも、自分を賛美することも師範の本意ではなく、それらのお話はあくまで、武術を心底愛して追求している人間からの警告、あるいは悲しき愚痴のようなものでした。伺いながら、わたしは愕然とし、また惨憺たる想いにも襲われたものです。


 この国で武術を真に学び、そして真におこなっている人間は、そう多くないということですね。



 少年部の稽古が終わり、三々五々大人たちが集まってきて、八時くらいから一般部の稽古がはじまります。


 懐かしやY師範代、その御子息のTくん、彼が言うところの猛獣Mさんら、この夜は有段者ばかり数名だけのシンプルなメンバー。

 本部道場独特の準備運動から基本、ワン・ツー、足まわしなどとつづきます。


 型を挟み、後半は約束組手。


 熱気舞いあがる道場内に、頼りになるのは隅に置かれた巨大な扇風機ひとつ。踏みこむ足の圧力と、拳が皮膚を撓ます震動に、残暑厳しい夜の稽古は、固まりかけの溶岩がごとく重厚に進んでゆきます。



 稽古終了後、Y親子、猛獣Mさんの計四名でささやかな食事。Tくんの驚異的な食欲。Y師範代のグローブのような掌。猛獣Mさんの、波乱万丈な人生と多趣味で器用なその指先。



 この夜、わたしはYさん宅に泊めていただきました。きれいなご自宅で、奥様にも親切にしていただき、TくんはTくんで積もる話に花を咲かし、気づけば午前二時すぎ。


 身体のあちこちに熱を残したまま、わたしたちは慌てて部屋の電気を消したのでした。




 師匠の弟子としてや札幌支部のメンバーのひとりとして訪れたときと違い、今回は単身、言わば<個>の状態で稽古に参加したせいか、いろいろなことを学び、また同時に、さまざまなことを考えさせられました。


 そして、それは今もなおつづいています。


 今日こうして綴った旅の回顧録のなかに、具体的な指導内容や技のことを書かなかったのは、それを書けるほど、わたしのなかでまだ十分には吸収できていないからです。戸惑い、概念の揺れ、新発見。どれもがわたしに浸透し、次なる変化を急かすのですが、それに対応できない自分もいるわけです。


 今回なぜ単身で栃木へ行ったのか

 東京に用事があり、そのまま帰ってくるのはもったいないから行った? せっかくだから? もう四年も行っていないから?


 違うのです。それ以外に、誰にも打ちあけていない動機がわたしのなかには存在していたのです。

 
 だからこそ、あの夜に稽古のなかで感じたこと、その前後に伺ったことはどれも鮮烈で、いまだにわたしの体内で小さな炎を燻らせています。


 それらについて書くのは、もうしばらくお待ちください。




 師範、Y師範代、Tくん、猛獣Mさん、そして稽古にいらっしゃっていたみなさん。


 緊張感のない顔で北の地からやってきて、汗だくになって稽古し、さっさと帰っていったこのわたしを、たとえ一時とは言えあたたかく迎えてくださって、本当にありがとうございました。


 またお会いできる日を待ち望んでいます。



posted by 札幌支部 at 20:12 | Comment(3) | 裏部長の日記

2011年08月15日

ザンショハイツマデ?

 裏部長です。


 終戦記念日です。巷ではすっかり東北の震災、または原子力発電所の事故でもちきりですが、TVなどでは細々と特別番組を製作し、あの年の夏を伝えています。

 どんなに鈍感でも怠惰でもいいから、こういう季節くらい、戦争の悲惨さを思いだしたいものです。




 さて、ひさしぶりに栃木のTくん、ならびに奈良のMさんからコメントをいただきました。

 最近はすっかり閑散としていたので、嬉しい限りです。




 栃木ではあいかわらず日々の稽古がつづけられ、また奈良では、コメントにもあったように抜刀術や体道の研鑽に余念がないといった印象を受けました。

 関東の地にも関西の地にも、凄腕の猛獣……失礼、猛者たちがいる。

 空心館の一員としてこれほど力強く感じることはありません。



 余談ですが、最近ブログに技の内容や発見などについて、わたしは書くことを控えています。これは以前、奈良のMさんから「武術は秘するもの」という指摘を受けたことにより、意識的にそうしていたらいつの間にか書かなくなってしまったというもので、いまでは習慣のようになっています。

 だから、今後の記事もあまり読んでいて面白くはないかもしれませんが、ご勘弁ください。



 そうそう。

 唐突ですが、明日の札幌の予想最高気温は二十四度です。多少、湿気はあるものの、全道的に涼しい一日となるでしょう、とTVで天気予報士が笑顔で言っています。


 夏はもう終わってしまったのでしょうか。


 べつに蒸し暑い日々が収束を迎えることは構わないのですが、そうしてすっかり残暑をすぎ、秋の色さえ見えてきたころに、いまだ夏まっさかりの北関東へ出向く……。



 なんともスリリングなひとり旅になりそうです。



 
posted by 札幌支部 at 18:58 | Comment(0) | 裏部長の日記