2013年07月01日

7月の稽古日程

 こんばんは、裏部長です。


 7月の札幌支部の稽古日程が決まったので、お知らせします。


 今月も、札幌大学1001教室にて、毎週火曜日と金曜日の夜6時からおこないます。先月下旬に、師匠の奥さまとご子息がひと足早く帰国され、現在は火曜日の稽古のほうへ来られています。少年部二名、いたって元気で、とてもにぎやかです。


 また武道場での稽古は、今月からふたたび第2土曜日にもどり、13日の夜6時からということになります。参加者の顔ぶれにもよりますが、最近は通常の稽古時に体道を多くやっているので、武具の技に時間をさくかもしれません。


 なお、もうすぐ大学は夏休みに入りますが、一応その期間中も稽古を実施する予定です。来月以降の予定については、また確定したのちお知らせします。



 よろしくお願い致します。
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2013年06月29日

受け止める器がなければ、蛇口をひねる歓びもない

 こんばんは。裏部長です。


 六月もあと一日で終わり、いよいよ夏本番といった季節がやって来ます。本州でも、師匠がいる中国でも、すっかり蒸し暑い毎日がつづいているようですが、札幌はいたってのんきです。昨日など、稽古を終えて大学から出てくると外は涼しく、長袖でないと歩いていられないほどで、今日も、こうして家で文章を書いているわたしは長袖姿です。


 こんな夜は、かえって、寝冷えをしないよう気をつけなければなりません。



 さて今夜は、最近わたしがあれやこれやと考えている技のことについてとことん書いてみよう――と思ったのですが、ごめんなさい、またの機会にします。

 
 いや、というのものですね、どうも最近、自分の考えていること、言いたいこと、検証したいこと、その結果確信したことなどが山ほどあっても、たいていの場合それらは稽古の場で消化されて、あとに残らないのですね。これが、いまいち納得できなかったり、さらなる課題を見つけたりしてしまったときなら、ここにその想いをぶつけることができるのですが、幸か不幸かまったく残らない。すっからかんなのです。


 稽古としては、当然いまの状況のほうが衛生的です。しかしねえ、ひとたび深海に住みついてしまった魚は水面へあがってこられないように、一度深いところで技を考えはじめてしまうと、ひとつの気づきによって動作が劇的に変化したとしても、数日としてその場に留まることができなくなるのですね。じっとしていられなくなるのです。そして、さらに次のステップへと、早く進みたくて我慢できなくなるのです。


 そんなサイクルのなかへ入ってしまえば、日々の稽古は有意義なことこの上なく、修業する立場の人間としてはこれほどたのしいことはありません。しかし唯一つらい点としては、すべてのものを稽古で吸収し、また吐きだしもしてくるので、ここにわざわざ活字にして提示する意欲を失ってしまうことです。これまで、いまのような状態に陥ったことがなかったため、裏部長、大いに戸惑っております。




 ちなみに、今日のタイトルは、安部公房著『砂の女』の冒頭の一文、「――罰がなければ、逃げるたのしみもない――」をもじったものです。



 蛇口も、それをひねる手も、流れでる水も器も、すべて自分のなかに存在してしまうという哀しさよ!



 裏部長でした。


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2013年06月23日

枯れない花のために

 おはようございます。裏部長です。


 昨日の師匠の書きこみ、とても興味深く読みました。そして、すこし方向違いかもしれませんが、こんなことを考えてしまいました。




 ここ最近、空手の追い突きについては改良や発見の機会が多く、たった一本のシンプルな攻撃であるにも関わらず、日進月歩、次々と新しい顔を見せてくれています。この追い突きという技が大黒柱として存在しているからこそ、多くの型や、体道のなかにある膨大な量の技にも、適度な距離感で接してゆけるのかもしれません。

 
 約束組手においては、前手のつかい方に凝っています。前に構えたこの手をすぐには引かず、突きの寸前まで、もっと言えば突きはじめている段階においてもまだ引かないようにしておくというのは、すでに師匠や師範から教わってきたことですが、たとえば、「前の手を残しておくことで、相手の反撃を捌くことができる」とか、「両方の手をバランスよく構えたまま身体を運んでゆくと、相手は追い突きがくるのか刻み突きがくるのかわからず、またこちらもその両方をつねに出せる状態で動ける」とかいうポイント以外にも、じつはこの手の活用法があるのではないかと考えはじめているのです。


 前手を引かず、相手の胸へつくくらいまで残しておいた場合、自分の前のスペースは、すぐに引いたときとくらべてかなり狭くなっていることがわかります。だいたい胴体の幅の三分の一か、半身をキープした状態だと、身体の半分ほどのスペースしか空いていないでしょう。しかし、追い突きである以上は、空いたスペースがどんなに狭かろうと、足を入れ、腰を入れ、最終的には拳も入れなければなりません。


 身体が入るということは、その方向へエネルギーが放出されるということで、前手が壁となって残っている以上、そのエネルギーは向かって右側にしかあふれていかないはずです。そして、その方向にはつねに相手が立っているのです。


 ここへ、足は弧を描いて出す腰骨を相手の股関節へぶつけるように運ぶ、などの基本的な動作をより明確に導入することにより、追い突きはこれまでの何倍も鋭く、厚く、相手を崩すという意味ではより正確に技と言えるものになります。相手のいないほうへ力が漏れてしまうことがないので、身体のつかい方によっては、二本目、三本目への突きにも容易かつ素早くつなげることができます。


 数日前の稽古で、S呂くんがこの方法論へアプローチしてきました。わたしが先輩風を吹かして教えたのではなく、彼のほうから、「追い突きのときに、どうしても左のほうへ流れてしまう」という発言があり、ならばと、上記の前手の話をしてみたところ、たちまち突きそのものが変化してしまいました。ただ前の手を残して、狭いスペースへ身体を入れてゆくイメージをもっただけで、追い突きが一段と厳しくなったのです。


 このような追い突きをされると、受けのほうの人間はその場に立っていられなくなり、崩されてしまいます。しかし、だからといって下がるわけにはいきません。相手がこちらの懐のなかを抉ってきたときこそ、それを包括してあまりあるほどのやわらかさと吸収力で、威力を呑みこんでしまわなければなりません


 そのような受けを目指す際、反撃は不要な気がします。突っ込んでくる相手に拳や蹴りで反撃をする、あるいは投げや押さえ技へもってゆこうとする、これらの反応は自覚的、能動的にできるものなので、つい熱くなるとしてしまいがちですが、攻撃をしつづける相手に反撃をしようとした瞬間に、吸収するという感覚が見えなくなるような気がします。突きや蹴りなどの打撃はもちろん、投げよう押さえようという柔術的な選択肢さえ奪われ、ただ受けることしかできない状態で相手の突きを吸収し、崩す。いわば、100パーセント受けしかない人間になって、追い突きをする相手と向かいあう。


 たぶん、これくらいの徹底した意識をもたないと、いつまでも心のどこかで、危なくなったら突いてしまえばいい、膠着したら組みついて倒してしまえばいいという、腕力や体格に頼った考え方を支持してしまうような気がします。もちろん、武術とは攻防一致で、どちらか一方しかないというのはありえませんが、こと稽古においては、とくに組手においては、「攻防」をいっぺんにしようとするのではなく、攻撃は攻撃で磨き、それを受ける際にはわずかにも攻撃の要素を残さず、100パーセント受けの状態で相手の突きを吸収する。この両者を兼ね備えた者だけが、組手においてやり合える、つまり、攻防ができるのではないでしょうか






 ……と、長々と書いてきましたが、これが今日の本題ではありません。


 師匠の書きこみで感じたのは、これくらいわたし自身が熱く興奮しながら語る話も、人によってはまるで関心のない、物好きの戯言にすぎないということなのです。


 道場という空間へ稽古のために集う人間は多種多様で、もちろんその道場の方針や技術や雰囲気に魅かれるからこそやってくるわけですが、だからといって、そこに顔をそろえた門弟が全員、まったく同じ性質をもっているわけではありません。空手も、柔術も、刀も、杖も棒も挫も、すべて均等に熱意をもって稽古し、探究を怠らず、つねに貪欲に修業をつづける人間ばかりではないということです。


 現に、これは札幌支部にかぎった話ではありませんが、空手には大いに興味があるが、体道はいまいち、という人もいれば、体道で出逢うさまざまな技や身体の動かし方が面白く、逆に突いたり蹴ったりする烈しい動作にはどうも馴染めない、という人もいるでしょう。前者に体道を、また後者に空手の動作を、懇切丁寧に指導したところで、所詮は受け取り手のほうにそれを吸収する機構がないのですから、無理におこなえば、植物に水をあげすぎるようなもので、その根はいずれ腐ってしまいます。



 ひとつの道場のなかで志をひとつにし、ともに稽古をしていても、門弟それぞれに性質が違い、吸収できる養分の種類も異なる。水分をほとんどあげないことでかえって甘くなる果実も、つねに注意して栽培しなければ咲くことのない花も、同じ植物で、栽培する人間はその種類ごとに手の加えようを判断する必要があります。そのためには、頑なにならない心と、寛容さが必要なのかもしれません。


 

 ……となると、昔ながらの指導方針、つまり、「手とり足とり教えることはしない。技は盗んでおぼえる」というのは、存外理にかなっているのではないでしょうか。欲する者だけが残り、そうでない者は去る。頑ななように見えて、こういったスタンスのほうがより寛容なのかもしれません。


 
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2013年06月11日

立ち方について

こんにちは。

今回も、立ち方について気づいたことを記しておきたいと思います。
というのも同じ太極拳でも、やはり流派のようなもの(これは老師の違いかもしれませんが)で解釈や留意点は違うようで、同じ准备から起势でも立ち方が違うからです。
私が教わっている@簡化24式とA楊式でも大きな違いがあるので、その点を記します。

その違いとは、膝を折るかどうかにあります。

視点を変えてみれば、腰椎を鉛直方向に立てるように、股関節を緩めてお尻を縦回転に巻き込むようにしていき、脊椎を横から見たときにまっすぐにするイメージをつくるのですが、そのために膝を折るか、それとも腰から上を軽く前傾しお辞儀をするような姿勢にするか、という違いになります。

これまで、前者を教わってきていましたし、太極拳の中でのイメージは膝を折るものでした。
空手の稽古においても、壁に踵から後頭部までまっすぐつけた状態から歩きはじめるために膝を折ることを教えていました。
重心や身体の移動には、膝を折ることが要だと考えていました。

そして、むしろ前傾姿勢をとるのは避けてきたきらいがあります。

しかし、先日来、楊式の先生からは、膝を伸ばし(無駄に力は入れません)、股関節を緩めてお尻を巻き込む、というよりも腰椎から頸椎までをまっすぐにするように意識すると前傾姿勢にならざるをえないのですが、前傾姿勢をとるように指導されています。
他には、胸骨と鎖骨の接点あたりを脱力することと下顎を引くようにする(無駄に力は入れません)も注意されます。
こうすることでも、やはり上肢には電気的な刺激があります。
そして、当然ながら重心移動の力はみなぎることになります。

腰の在りかたが、私の修得してきたものと逆なように、この立ち方も逆の解釈です。
新たな身体感覚の修得につながるものと期待して稽古に励んでいます。


そう言えば、单鞭の姿勢を細かく(ミリ単位で直されます)正されていったときに、ふと快い雰囲気に包まれました。
時々あることですが、立ち方や技がはまると、何とも言えない心地よさに包まれます。
その時、間をおかずに老師から「很舒服对吧」(とても気持ちがいいでしょう)、と声をかけられました。
その通りなのですが、そう指摘されたことに対しては恐ろしさも感じた私でした(苦笑)。

この気持ちよさが、なかなか再現できずにいます。
再現しようとする力や意識が邪魔なのでしょうね・・・。
なかなか難しいです。
難しいからこそ面白いのですが・・・。

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2013年06月01日

自己規制の虎

 こんにちは。また裏部長です。



 数週間前からようやく北海道も春になりました。最近では夏日になることも多く、今日もすでに気温は二十六度をこえています。こんな日にいつもの教室で熱く稽古をしていると、窓ガラスが白く曇り、床が汗でぬれ、まるで油を塗ったかのようになります。


 今年もまた暑い季節がはじまろうとしています。




 
 かなり前の話ですが、空手の約束組手において、師匠から、

内受けをすることが、かえって相手の突きを招き入れてしまうことがある

 という話を伺ったことがありました。


 そのとき自分が何色の帯をしめていたのか、まったく記憶にないのでかなり昔のことだと思われますが、当時はいまと違って、かなり基本に忠実に内受けをしていたのでしょう。相手の突きが前手に触れ、それが前手の捻りを生み、その捻りが身体をも動かし、内受けとなるのが、そこに発生した捻りが相手の突きを自分のほうへと導いてしまう、ということでした。


 あのころは、「へえ、そういうものなのかあ」と思って、額面どおり受けとっていましたが、最近その事項について違った見方ができるようになりました。


 つまり、前手の捻り問題以外にも、相手の突きを自分のほうへ招き入れてしまう原因があるというのがわかってきたのです。




 たとえば、相手が突いてくるのに対し、下がってしまったり、腰を引いてしまったりしては、どうしたって拳は自分のほうへと飛んできてしまいます。これはわりかし初歩的な、また具体的な技術面での話ですので、理解し、そうならないように稽古すればべつだん問題はありません。できないところをできるようにし、以後注意していればよいだけの話です。


 大切なのは、下がりもせず腰も引かずに構え、避けていながら、相手の突きを自分のほうへと招き入れる身体ができているか、ということなのです。




 自ら突く際にも、相手の突きを受ける際にも、はじめのうちは身体が緊張し、硬くなってしまいます。とくに、腕をあげて構えている上半身は、嫌が上にも硬直し、胴体が一枚の板のようになってしまう。この状態で突くと、要は壁が突進していっているようなもので、動きが大きくなり、一本目の突きを引いて相手へ向きなおり、二本目を突こうとすれば、身体は遠心力に負け、外へ流れてしまいます。


 この突きしかできない状態で受けをやってみると、身体は同様の状態に保たれているので、すこし硬いわけです。この硬いというのは具体的に言うと、おのれの懐に余裕がないということでもあります。


 懐に余裕のない相手へ追い突きをする場合、懐を抉るように、寸前まで拳を飛ばさず、鋭く、厳しく突こうと思うと、意外に入れづらいものです。なぜならそれは、そこに突くスペースがないからです。だから逆に、こういった状態の相手へは、弾道ミサイルのようではなく、馬鹿正直に、電車道方式でまっすぐ突きぬかせたほうが拳はあたりやすくなります。


 これは、体道のなかで柔術をやっていても気づけるポイントです。投げ技の際、相手が倒れるスペースに自分が居つづけてしまうと、相手は崩れたくても崩れられず、動きは止まってしまいます。とくに、張りつめていた緊張を解くことで相手を倒すような場合は、きちんと崩れる場所を確保するようにおこなうと、相手は面白いほどたやすく投げられてくれます。




 さて、それでは、懐に余裕のない状態の身体から、そうでない身体へと変化させるためにはどうしたらよいでしょうか。


 わたしはいまのところ、突き自体に関しては、腰の切りかえしと、約束組手における二本目への転身をやりながら、すこしずつ上半身のやわらかさ(あるいは脱力の加減)を学んでゆくのがよいかと考えています。動作が単一の方向だけでなく、多種多様になり、加えて身体そのもののあつかいも、一枚板ではなく分割してつかえるようになれば、自然、相手の突きを受ける際にも張りつめた力みが消え、懐に余裕が出てくるはずです。


 この余裕が出てきた相手に、馬鹿正直な電車道方式のまっすぐな突きは入らなくなります。それも、弾かれたり拒絶された上で入らないのではなく、やわらかく、空間を包括されるかのように避けられてしまうのです。


 ここまで来てようやく、攻撃をする側は追い突きの精度を高める作業に入れるわけです。その一端は、足を弧を描いて出す出した足にきちんと軸をのせるギリギリまで突かないなるべく前手も引かないでおく腰を相手の股関節へぶつけるように、などなど、白帯のころに習ったことばかりですが、これらが新たな追い突きのページをひらいてくれるのですから、教えとは怖ろしいものです。たとえば、前手を寸前まで引かないという一項をもってしても、その効果は絶大で、決して軽んじてはいけない教えです。


 それらのことに、いまになってようやく理解が追いつくのですから、稽古というのは深いものです。


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6月の稽古日程

 おはようございます。裏部長です。


 札幌支部の六月の稽古日程が確定したので、お知らせします。


 今月も、札幌大学1001教室にて、火曜日と金曜日の夜六時からおこないます。ただし、十四日の金曜日、十五日の武道場稽古は、学校行事のためお休みです。


 よろしくお願い致します。


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2013年05月25日

雲の上の山

 こんばんは、裏部長です。


 落語のマクラめいた前置きはやめにして、一気呵成に本題を並べてみます。すべて、最近の稽古のなかで気づき、考えつづけてきたことです。




 体道について。技が上手くいかない場合、たいていは力の入れすぎと、動きを必要以上に大きくしていることが原因になっています。たとえば、天心古流の「後襟止」は、相手をこちらの足もとまで引き崩す技で、つまりは足もとへ倒すだけの力が生まれればよいのに、馴れないうちはそれ以上の力をつかおうと、全身で相手の腕を引っ張ってしまうことが多く、これでは、崩すどころか、相手を床へ落とすことさえできません。

 しかし、違った目で見てみると、できないときの動きのほうが、あきらかに大きな力を生みだしているように思えます。相手の腕を綱引きよろしく全身で引っ張っているのです。自分が立ちあがる力を利用して、相手をこちらの足もとへ引き崩すほうがよほど非力で、現に、技が上手くいったとき、相手はこちらの足もと以上にどこかへ動いてしまうことは稀です。要は、それだけの力しか発生せず、また相手にも伝わっていないということになります。

 なぜ、エネルギーの大きな前者が失敗に終わり、さほど莫大なエネルギーを生まない後者が技を成功させるのか。これは「後襟止」に限らず、すべての技に言える疑問であろうと思います。

 裏部長の推測としては、技には「」があって、そのなかに過不足なく力や方向がおさまったときにだけ、いわゆる技の力というのが生まれ、そこをすこしでもはみ出した瞬間、それがどんなに巨大なエネルギーであっても、相手を制する動きにはなりえないように最初から構築されているのではないか、というものです。先の「後襟止」の場合、どうしてこちらの足もとへ崩す程度の力しか発生していないのに相手は崩れるのか、という疑問は、そっくりそのままそれが答えで、つまり、こちらの足もとへ崩す技であるから、こちらの足もとへ崩すだけの動きとエネルギーさえ発生させられれば技は成功し、それ以上の力をおもに筋肉でもって拵えようとすると技は失敗する、ということになっているのではないでしょうか。

 武術の技にはあらかじめそういった「枠」が設定されていて、そのほとんどが、縦横無尽に肉体を振りまわすようにはできていない。むしろ窮屈であったり、力みを抜かないと、その姿勢を取ることすら困難な動作さえある。しかし、そこに指定されている動きや身体のかたちこそが、目に見えない技の力であって、だからこそわれわれは、空手の組手や柔道の乱捕りのように体道を稽古しないのではないか。あえて型稽古としておこなうことでしか、その見えない力にはたどり着けないように思えます。


 次に空手の約束組手について。追い突きをする側を「」、受ける側を「」とします。まず盾にとっての組手ですが、当然のことながら、向かってくるのが速くて鋭くて重い、怖ろしい「矛」であればあるほど成長できます。そんな怖い突きを、拒絶せず、止めず払わず、受け入れて呑みこんでしまうことができるようになればなるほど、その盾は怖ろしいものになります。

 では、逆に「矛」をおこなう際どうしたらよいか。受けをやっていたときに感じた衝撃、速さ、重さなどを反映し、自分も、速くて鋭くて重い、怖い突きをやってやろうと思うのがふつうだし、そう志すのが稽古だと思います。しかし、こちらの放つ突きが、速くて鋭くて重い、怖い突きであるかを判断するのは、それを受ける相手のほうです。こちらがどんなにそう信じて突きを放っても、喰らった相手が平気な顔をしてなんらダメージを受けていない以上、それは「へなちょこの突き」ということになってしまいます。

 ここで、攻撃と防禦の逆転ともいうべき現象が起こるのです。

 盾の受けは、文字どおり受け身ではあるものの、どのような受け方をするかは自分で決められます。以前ここにも書いた、自分で動かず、相手にこちらの胴体を実際に突かせて、それによって身体を動かしてもらう受けをする際、動作そのものは能動的におこないませんが、その方法を採るか採らないかは自分で決められます。ふつうに横へ身体を逃がす通常の内受けをしてもよいし、下がってもよい。どの受け方を選ぶかは、能動的におこなえる判断なのです。

 ただし、注意しておかなければならないのは、どの方法論を採るかはこちらの自由ですが、採用したものによって、相手へ知らず知らずのうちに影響を及ぼしていることがあるという点です。相手の突きをぎりぎりのところで避け、すぐさま突きで反撃してやろうと構えている人間と、相手に身体を突かせて、その衝撃をすべて呑みこんでやろうと構えている人間とでは、たとえ同じように立っていてもオーラが違ってきて、それは攻撃する側の人間にとって、板壁と暖簾くらい異なるものです。硬いものへは抵抗できるので力も入りやすい。しかし、暖簾にはいくら突っ込んでいったって、肩すかしを喰らうのみで、張り合いがないでしょう。

 さて、結果は相手が決めると言った突きですが、その点を肯定したところで、問題なのは、突きそのものはやはり自分で自発的におこなわなければならないということです。受けの場合は、相手が突いてきてくれるので、待っていれば技がはじまるのだけれど、突きに関しては、自ら足を運んで拳を放りださないかぎり、事態はひとつも変化しません。この突きが速くて鋭くて重い、怖ろしい攻撃になっているかどうかを自己採点せずに、それでもいま自分が出せる最大限の突きを放つことの矛盾。だからこそ、追い突きであるという約束事が必要なのか――。





 なんだか堅苦しい表現で、結論もないくせに、改行もすくなめに一気に書いてしまいましたが、これらが最近わたしのなかで浮かんでは沈んでゆく課題たちで、しかしそれをあえて雑駁に記したのは、昨夜の稽古でそれらすべてが吹き飛んでしまったからなのです

 
 なんの変哲もない稽古で、約束組手をした相手もすべて後輩たちでした。しかし、何かを指導するためではなく、いま自分が出せる最大限の追い突きをしてやろうと、余裕を切り離し、何本かやってみたときの感触が、これらすべての理屈っぽい考えを払拭してしまったのです。


 技とはこういうものなのでしょうか。修業とはこういうことなのでしょうか。どうも最近、稽古が充実するにしたがって、自分のなかから言葉が消えてゆくようで、すこし戸惑っています。





 追伸。

 五月に入り、数年前までともに汗を流していた「おすぎ」ことS浦くんや、札幌支部三人目の黒帯取得者、S呂くんが稽古へ復帰しました。なつかしい再会でした。


 賑やかな初夏になりそうです。



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2013年05月16日

肚子岔气

こんにちは。

今回のタイトルにした「肚子岔气(ドゥズチャァチィ)」は、火曜日の空手の練習で学生から教えてもらった言葉です。
「おなかが、ひねりすぎで息をすると痛い」ということを表現しているそうです。
辞書で引くと「脇腹が痛い」となりますが、学生たちは腹直筋あたりを押さえて言っていました。

さて、この言葉はもちろん前回の「腰をきる」練習によって漏れてきた言葉。
月曜日には、うまく言葉では伝えきれずにいたのですが、火曜日には言葉よりも動きに工夫をして見せて実践。
2日目ということも手伝ってか、だいぶ腰をきれるようになった途端に痛さを感じたようです。
これは、第1段階としてはうまく伝わって、動きをつくれるようになってきた証拠。

「痛いのは、上手くできている証拠だから頑張って」と声をかけて、練習を継続。

「老师,休息一下?(先生、ちょっと休みませんか?)」と声をかけられても、「もう一動作してからにしよう!」とこちらのペースで進め、ちょっと意地悪くして。


私は型(形)選手を主に指導しています。
6月の全国大会では、女子と男子一人ずつ優勝を狙っている選手がいます。
さすがに上手なのですが、競技組手主流の練習をしてきているためか、「キレ」に物足りなさを感じています。
型の分解、技の意味の理解も不足しています。
この点、私なりの助言でも、少しでも役に立ってくれるならと幸いと、指導しています。

「腰のきれ」をつくるために、細い「軸」をイメージさせることが次の課題です。

中段追い突きの約束組手を軽めにして、「軸」がぶれること、「バランス」を失うこと、力を入れるタイミングと時間などを感じてもらいました。

きっと彼・彼女たちはブレインストーミングしていることでしょう。


言葉が通じないことは、真剣に観て吸収しようとする姿勢につながるので、不幸中の幸いと感じたりしています。
これは私の中国武術の授業でのことも含めて。
posted by 札幌支部 at 23:44 | Comment(0) | 裏部長の日記

2013年05月07日

本日の稽古について

こんにちは、裏部長です。


本日の稽古ですが、所用のため参加できなくなってしまいました。


なので、急で申し訳ないのですが、本日はお休みとさせてください。


よろしくお願い致します。
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2013年04月27日

5月の稽古日程

 こんばんは。裏部長です。



 5月の札幌支部の稽古日程が決定したので、お知らせします。


 来月もこれまで通り、火曜日と金曜日の夜6時から、札幌大学1001教室にておこないます。いまのところ休みはありません。


 また武道場での稽古は、第3土曜日の18日に実施します。時間は通常稽古と同じ、夜6時からです。


 これまで武道場では、その広さや天井の高さを活かして、剣や杖などを多く稽古していましたが、来月は体道を中心におこなう予定です。



 よろしくお願い致します。


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2013年04月23日

じ〜ひ〜

 こんばんは、裏部長です。


 今日、職場から自宅への帰り道、河川敷にある気温計をみたら「15度」とありました。本州に比してみればまだ肌寒い数値ですが、札幌の夕方でこの気温だと、じゅうぶんにあたたかいです。


 ようやく春と呼べる季節になりました。





 そういえば以前、こんなことがありました。


 稽古の直前、あまりに参加人数がすくないので、もうひとりかふたりがやって来るまで休憩し、すでに来ているメンバーと談笑をしていたときのことです。


 まあ談笑と言っても、物好きたちが集まっているので、話題のほとんどは武術に関することです。


 熱心な後輩がいくつか質問をする。それに対して、わたしが自分の意見を述べる。そんなやり取りをしていたとき、後輩のひとりがふいに、


先輩って、深めてゆくタイプの人ですよね


 と言いました。


 これにはすこし面喰ってしまいました。たしかにそうかもしれないが、これまでそんなことを言う後輩に出逢ってこなかったので、肯定するべきかどうか考えてしまったのです。






 たしかに、最近のわたしの稽古スローガンは、『深く深く』です。これは師匠不在となってからのいくつかの実体験にもとづき、導きだしたもので、要は、横へ広げてゆくような稽古は強さを求めて闘いつづけるようなもので、際限がない。いま道場にいる人間をすべて負かしてしまったら、ここではもう何も得るものがないということになってしまい、諸国行脚に出なければならなくなる。道場破りの日々を送るはめになる。


 わたしにはそんな勇気も時間も費用も捻出できないので、横へ広げてゆく手法ではなく、一点をただひたすらに深めてゆくやり方を採用したのです。


 この方針はコストパフォーマンスが高く、なおかつ飽きがこない。武術稽古にはうってつけのやり方です。





 深めてゆく稽古をしていると、日常にいくつも発見の種が隠れていることに気づかされます。


 たとえば、こないだの『ホンマでっか!?TV』。カレーうどんを、汁が服にとび散らないよう食べるため、学問の先生方が知識を総動員し、高価なマシンもつかって正解を導きだすというコーナーでは、固有振動数ということばが出てきました。


 つまり、物には決まった振動数があり、これと上手くあわさった力がさらに加えられると、しだいに大きなエネルギーとなって揺れを大きくするというもので、合致した震動のことを「共振」と言うそうです。浴槽のお湯に手をつけて、水面を押すようにゆっくり大きく動かしたほうが、最終的には揺れが巨大化するというのも、この共振のたまものなのです。


 空手において、突いたり蹴ったりする人の身体もまた、ほんのわずかでも揺れますよね。もし、その一瞬の揺れを捉え、そこに共振する力を加えられたら――。もしかしたら、たやすく投げたり崩したりすることができるのではないか


 TVのバラエティ番組を見てさえこんな発見ができるのです。






 稽古内のことで言うと、最近の裏部長は、やはり「」に注目しています。


 これもちょっとした成り行きのおかげでして、昨年末までわたしの突きの課題は“放出”でした。エネルギーを滞らせることなく、止めることなく、全放出して突く。これを用いた逆突きを、後輩のひとりが携帯電話の動画で撮影したいと言うので、やって見せました。そして、その動画を今年に入ってわたしも見たのですが、映像を目にしてびっくり。


 唖然とするほど、のろかったのです。


 あんなにも鈍重な突きであったとは、自分のことながら情けなく、ちょっと落ち込みました。しかし、放出の原理については誤りでないという自信もあったため、ならば、その状態をキープした上でもう一度スピードにこだわってみようと思い立ったわけです。


 そんなこんなで行き着いたのが、「肘」です。突きの威力は速さと重さの掛け算である。威力を倍にしたい場合、体重を倍にするのは難しい。しかし、速さを倍にすることはたやすい。そのとっかかりのひとつが、最短距離をゆくというもの、と初心者のころに教わりました。


 脇をあけない。拳が最後の最後に返す。そうすることで、拳が遠まわりすることなく、直線的に相手へとんでいってくれる。


 この考え方に立って、さらに検討するに、長く突くよりも短く突いたほうが当然スピードはあがりますね。拳という物体を移動させる距離が違うわけですから、載せているエンジンが同じである場合、短く小さく突いたほうが速い。


 しかし、短く小さく突いたのでは相手に届かない。もちろん、突きぬくこともできないわけです。


 だから、贅沢を言えば、突きは短く小さくおこなうも、拳は通常の突きと同じ位置まで運びたいわけです。そして、それを可能にしてくれるのが、両方の腕にいつも黙っていてくれる「肘」なのです。




 これらはあくまで裏部長個人の研究内容であって、いまだ確定していないものばかりです。ただし、「肘」を意識した突きの速度の違いはあきらかすぎるほどあきらかで、これを利用しない手はないとさえ思っています。あとはその感覚を身体に定着させ、深め、追い突きなどに応用するだけです。






 氷山の一角ということばがあります。水面から顔を出しているのは、氷の塊のほんの一部である。海のなかには、あの一角の何倍もの大きさの塊が黒々と、無言のまま漂っているのです。


 修業する以上、その奥深くまで潜って、氷の全容を目にしたいものです。




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2013年04月22日

明日の稽古

 こんばんは。裏部長です。


 明日の稽古は、仕事の都合でわたしが参加できないため、中止にさせていただきます。


 ひさしぶりに師匠からも書き込みがありました。もろもろ読んで、金曜日までお待ちください。


 よろしくお願い致します。


 
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2013年04月20日

学びの姿勢

 こんばんは、裏部長です。



 春まっさかりで、本州では気温が二十度を超える日があっても、札幌はまだひと桁なんてことがざらにある今日このごろです。うちの駐車場の裏手には、まだこんもりと雪の山が残っています。


 道外では桜も散って、花粉も終わって、あと一箇月ほどもすればもう「暑い」ってことばが聞こえはじめるのでしょうが、北海道の春はゆるやかです。あせらず、いそがず、ゆったりと四月をすごしています。




 先日、こんなことがありました。


 札幌支部ではなく、道新文化センターでおこなっている古武術講座でのことです。

 
 現在、水曜日は六名、木曜日は十一名の受講生の方たちと拳法図を稽古していますが、その技以外に、空手の突きや蹴りや受けの基本、移動では追い突き、逆突き、追い突き・逆突きなどもおこない、定期的に約束組手もおこなっています。空手の技術として習得したいというよりも、追い突きが身体になじんでいないと、肝心の拳法図の技そのものがやりにくいので、かなり早い段階から組手はやるようにしています。


 講座へ入ったばかりの方にはまず、足の運び、腰を最後まで切らない、などの基本的なことを意識してもらい、すぐに突くことを求めず、うるさいほどかたちにこだわって組手をやっていただきますが、すでに一年以上つづけられている方については、もうすこしつっこんだ内容を要求します。


 こないだ、ふだんはあまり組まない女性おふたりに組手をやっていただきました。こういう講座ではどうしても、よくやる相手というのがいつの間にかできてしまい、要は会話も弾むし、気心も知れているので稽古がしやすいというので、こちらとしてもそのカップルを崩さないことが多いのですが、この日は考えがあって、あえてそのおふたりで組んでいただいたのです。


 おひとりはすでに体道で黒帯を取られている方。もうおひとりのほうは、まだ一年ほどの経験ながら熱心で、こんなことを言うと失礼になるかもしれませんが、根性がある人です。すこしでも巧くなってやろう、よくなろうという気迫が表情に表れていて、またその成果がこのごろ着実に体現されはじめてきた方です。


 おふたりの組手は鬼気迫るものがあり、とても真剣でした。というのも、互いに追い突きが鋭くなってきていて、なおかつ受けの立場においても同様のレヴェルで捌こうとするために、おのれの身を安全圏へ逃がしてしまうことがすくない。だから、身体どうしが衝突しそうになることもあり、しかしおふたりともその際に、諦めたり投げだしたりしない人なので、稽古はしだいにヒートアップしてゆくのです。


 組手を終え、拳法図の稽古へ移ります。


 この日の技は、受けが中段追い突きをしてくるものでした。ふたりひと組になって稽古をしているところへ、わたしが順ぐりまわっていって、アドヴァイスをしたり手直しを加えたりしてゆきます。


 根性があると言ったあの女性の組へ行ったときです。


 その方に受けをやってもらって、技のポイントを解説しようとしたとき、これまでの稽古ではついぞ見たことがなかったほど鋭く、速く、まるで杖で突きこまれたかのような勢いでもってその受講生の方が踏みこんでこられたのです。


 これにはお恥ずかしいことに、ふだんの調子で話をしようとしていたわたしは圧倒されてしまいました。


 つまり、その方は、つい数十分前にやっていた約束組手のときと同じ気迫、同じ姿勢でわたしに追い突きをしたのです。厳しさと鋭さから顔をそむけず、怖さをもちながらも一心につっこんでいった組手の結果が、柔術の技にも活かされたのです。




 こういう変化を目の当たりにするとき、いかに真面目に、いかに素直に稽古することが大事であるかと感じさせられます。


 生意気なことを言うようですが、やる気や学ぶ意志などは、その人の目にあらわれるものです。表情や、返事をするときの声にもにじみ、こちらに伝わってきます。わたしは、小心者のせいか、稽古者のそういった面にどうしても気が行ってしまい、だからこそ、稽古へ対する気持ちが稀薄なとき、体調が悪いとき、あるいは何か考えごとをして心ここにあらずのときは、それとなくすぐにわかってしまいます。

 
 しかし、それがどうしようもない事情などによってもたらされたことである場合には、どうにでも対処ができます。馴れないことばかりで戸惑い、頭が混乱しているようであれば稽古のペースを落とし、体調が優れないのであれば、休憩をし、また稽古自体を早めに切りあげることも考えます。現に、道新文化センターの講座ではそのような処置をして、メニューを変えたことがありました。


 ただし、それが本人の意志である場合、わたしにはどうしようもできません。稽古をしよう、学ぼうという姿勢をもたない人間にいくら真面目に向きあっても、感情を抜かれたロボットをあやしているようなもので、ただただ疲労がかさむばかりです。




 先日、「札幌支部にかぎっては、わたしは自分の稽古のために参加している」と書きました。あれに偽りはありませんが、しかしだからこそ、わたしはわたしと同じように稽古へ取り組まない人へ関心をもつことができません。おのれを昇華させるために道場へゆき、胴衣を身につけ、汗を流して稽古しているのです。程度の差こそあれ、そのように稽古しない人と関わっている時間はないし、ましてやそういう人へ懇切丁寧に何かを指導する手間も惜しい。まったく無駄な時間だと言ってよいでしょう。



 過去、ともに稽古をし、ある程度の段階まで進んだ仲間のなかに、自ら進んで「こういう稽古がしたい」と要求した人はひとりもいませんでした。たとえば、現在稽古に来ているKくんも、札幌支部三人目の黒帯になったS呂くんも、空手が好きで、逆に体道は不得手でしたが、稽古において「空手をお願いします」と言ったことなどただの一度もなかった。師匠が空手をやると言えば空手を、それ以外の技をやるときだって黙って懸命に動こうとしていました。わたしや部長に関しては、こんなことを議論の俎上にあげることさえ考えません。



 稽古とはそういうもので、それでもいい、それでも学びたいという人間だけが集まり、技を伝えてゆけばよいのではないでしょうか。わたしはそう思います。





 栃木県出身で、現在は東京で〔みかわ是山居〕という店をかまえる天ぷら職人の早乙女哲哉さんは、ある本のなかでこんなことをおっしゃっていました。


若い人が修業に来ると、私は『あなたたちは、仕事を習いにきたのではないよ。魚を裂いて、天ぷらを揚げてという技術的なことは関係ないよ。修業に来るってことは、我慢を覚えにくるの。我慢を覚えた人はね、黙ってても仕事はできるようになるよ』と言っています。

 中略

 たとえば、修業に入って掃除をするときに、親父さんが気分よく仕事ができるようにきれいに掃除をする。親父さんがてんぷらを揚げていて、『お茶』と言う前にすっと出す。『おしぼりがほしいな』というときに置いてあるようにする。魚の下ごしらえでも、『こういう魚がほしい』と思ったら、そういう魚が出てくる。そういうことができるということは、親父さんと同じ感性だということなんです。
 だから、親父さんに気分よく仕事をさせることができていたら、てんぷらなんてものは、ちょっと練習すれば、親父さんと同じように揚げられるんです。基本がいっしょなんだから
」(『江戸前の流儀』より)。




 
 また、ラジオをおもにやっている語り芸人の日高晤郎さんは以前、このようなお話をされていました。


小学生のころ、授業がはじまると、わたしはすでに教科書やらノートやらは机に出して、黒板をじっと見つめて先生の声に耳を傾けていた。自分ではそんな態度があたりまえだと思っていたのだけれど、ある日、先生が生徒全員に、『おいみんな、ちょっとあいつを見てくれ。とっくに授業の準備を済ませて、黒板を見つめて、先生のことばをひとことも聞き逃さないって顔だ。いいか、あれが学ぶ姿勢というものだぞ。学ぶ側があんな風に真面目にこっちを向いてたら、教えるほうも下手なことができない。ちょっとでもいい加減なことを言ったら、それをそっくりそのまま覚えられてしまう。だから、先生も本気になる。みんなも見習いなさい』と言ってくれた。この、教わる側と教える側の姿勢こそが、学びには必要なのです」(覚え書き)。








 誰かにとって、何かの足しになれば、嬉しいです。


 裏部長でした。

posted by 札幌支部 at 21:35 | Comment(0) | 裏部長の日記

2013年04月03日

4月の稽古日程

こんにちは、裏部長です。


4月の稽古日程が確定したので、お知らせします。


今月も火曜日と金曜日の18時から20時まで、札幌大学1001教室にておこないます。


ただし、12日の金曜日、13日の土曜日、16日の火曜日はお休みです。


よろしくお願い致します。


posted by 札幌支部 at 17:59 | Comment(0) | 裏部長の日記

2013年03月30日

個としての一歩

 こんばんは。あらためて裏部長です。


 札幌ではすっかり路上の雪も減り、気温もあたたかく、春の予感に満ちあふれるような毎日がつづいておりますが、このくらいの時期のほうが風邪をひきやすいのです。氷点下の寒さはむしろ物理的でさえあるので、身構え、まっこうから闘うことができるのですが、気温が二度とか三度くらいの、それもすこし風が強い日などは、外へ出た瞬間は、「なんだ、あたたかいじゃん」と思わせておいて、数分も経てば、「あれ、寒いかな」と疑念が生じ、ついには、「薄着してくるんじゃなかった」となるわけです。


 春休みシーズンこそ、気を引き締めねばなりません。




 さて、話は唐突に変わりますが、つい先日のことです。

 稽古終わりに、札幌大学一階の談話室で語らっていたとき、後輩のIくんが、

「先輩、突きが劇的に変化したのはいつころからですか」

 と質問してきました。

 わたしは内心、まだ劇的に変化したとは言えないと感じつつも、ありのままに答えました。

「変化したと言えるのは、ここ二年くらいのものかな」



 これは事実でありました。


 先月で丸九年、空心館札幌支部で稽古をしてきて、ほんとうの意味で変化した、成長したと感じられたのは、つい一年か二年ほど前からだったのです。


 以前、栃木へお邪魔したとき、Y師範代が、「三段くらいのころは変化の連続だった。稽古へゆくたびに、毎日突きが変わった」とおっしゃっていました。時期としてはわたしもその区間に入っているので、諸先輩方が通過されてきた場所へ、いままさに足を踏みいれたばかりなのかもしれませんが、しかし、じつはわかっているのです。


 なぜこの二年ほどで、すくなくとも自分では大きな変化を実感することができるようになったのか、わたしには明確な理由がわかっているのです。




 それは、誰かを真似たり、何かを待ったりすることをやめたからです




 わたしは、実戦でつかえるものを求めて、運命的な流れのすえに師匠と出逢い、空心館へ入門しました。入った当初はほかに門弟もすくなく、ほとんどマンツーマンで稽古をつけていただきました。


 札幌支部ではわたしが最初の稽古者だったため、たとえ入門当時の、白帯のころであっても、後輩たちからすればわたしは先輩で、当然師匠が不在の際には、師匠の代わりをつとめなければなりません。


 空手でも体道でも、ほとんどド素人のころから、稽古のなかで誰かを指導する役を負うてきたことで、現在の、たとえば道新文化センターでの古武術講座のように、道場以外で師匠の代行をすることも可能になったわけですが、すべてがよい方向へ進んだわけではありませんでした。


 わたしは長らく、師匠に甘え、師匠の蔭に隠れてきたのです。本来ならば、自分自身を鍛え、成長させなければならないところを、師匠が身近にいて、また親身に、献身的にさえ指導をしてもらえる環境をよいことに、まるでそこに発生する力を自分のものと勘違いし、おのれの力量から目を背けつづけてきたのです



 ちょうど二年前の夏、わたしはそんな自分自身と訣別し、ほんとうの意味での成長を目指すために、稽古そのものの捉え方を変える決心をしました。もちろん、すでに五年以上もつづけてきたスタンスにひび割れを起こすような作業は、ときに、軋轢や不協和音を生みだしかねず、ストレスを溜めるばかりの夜もありました。


 しかし、ここで引き返したら、またいつもの自分だ。変えるためには進みつづけなければならない。そう自分を鼓舞して、試みを人知れず継続していたころに、師匠が中国へ留学されることになり、仮説は確信へと変化しました。




 いまわたしは、札幌支部の道場にかぎって、誰かを指導するために稽古へゆくことはしていません。あくまで自分の稽古のためにかよっています






個として稽古に臨む。ごくあたりまえのことですが、わたし自身は、最近になってようやく実感し、その重要性を痛感するに至ったのですから、人生とはわからないものです。


 これを気づかせてくれたのは、本部道場のみなさんです。ありがとうございました。






posted by 札幌支部 at 20:07 | Comment(0) | 裏部長の日記

4月の稽古について

 裏部長です。


 札幌支部四月の稽古は、まだ日程が確定していません。おそらく、教室の申請は、四月に入ってからおこなうことになると思います。

 なので、それまでは稽古をお休みにさせていただきます。土曜日の武道場稽古も同様です。


 日程が決まりしだい、ここにも記しておきます。それまでお待ちください。



 よろしくお願い致します。
posted by 札幌支部 at 13:48 | Comment(0) | 裏部長の日記

2013年03月09日

本日の稽古

 こんにちは、裏部長です。


 栃木のY師範代からコメントをいただきました。ありがたいかぎりです。これまで、Y師範代からのコメントは数多くありましたが、そのなかに具体的な技術についての記述はなかったように記憶しています。

 いやそもそも、師範や師範代からコメントが入ること自体、とてもすごいことなのです。

 
 一字一句、噛み締めなければなりません。




 さて、本日予定していた武道場での稽古ですが、昨夜からはじまった暴風雪がやむところを知らず、また違う低気圧が近づいてきているとの報もあり、いまの札幌は気軽に集合できない状態にあります。

 なので残念ですが、今月も中止とさせていただきます。


 北海道では先日、この暴風雪により痛ましい事故が起こり、数名の方が亡くなってしまいました。よもや同様の事故が市街地で起こるとは思いませんが、参加者のなかには小学生も春から社会人となる若者もいるため、気やすく実施に踏みきることができませんでした。


 ご了承ください。

posted by 札幌支部 at 13:54 | Comment(0) | 裏部長の日記

2013年03月02日

やわらかい風

 こんばんは、裏部長です。

 すっかりもう三月ですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。



 いま札幌は、どこもかしこも暴風に見舞われています。家の壁が吹きとんでしまうのではないかと思うほどの風で、何度も不気味な唸り声をあげています。この風が、路上の雪を舞いあげるために視界が閉ざされ、歩道をなでるために、どこもかしこも凍ってすべりやすくなります。

 外出する方は修業だと思って、慎重に足をお運びください。



 新しい年になってすでに二箇月がすぎたわけですが、札幌支部はあいかわらず元気にやっています。後輩たちは春休みにもかかわらず熱心に稽古へ参加し、汗を流しています。

 彼らのなかには、拳の握りを考える者、ひたすら突きにこだわる者、型に苦戦する者、体道に面白味を感じる者と、さまざまいます。ともに稽古へ身を置くとき、思いもかけない意見に出会い、また新たな発見や印象を得られる点で、わたしも多くのことを学ばせてもらっています。


 そういえば、昨年の栃木遠征のときに、Y師範代から教えていただいた肘の鍛練法、すっかり間違っておこなっていたようで、肘に衝撃が集まらなければいけないのを、わたしは腕全体を振っていたがために、肩にかかっていたみたいです。これでは、腕全体の脱力は促せても、要は肩から指先までの長いだらりとした物体を突きの動作のなかで扱うことになるため、エネルギーの放出は可能になっても、肝心のスピードが出ません。


 これに気づかせてくれたのも後輩のひとりでした。


 昨年末、その後輩のひとりが、わたしの突きを携帯電話の動画で撮影したいというので撮らせてみたら、自分でも驚くほど鈍重な動きで、閉口してしまったのです。腕の筋肉を締めず、重く湿った洗濯物をまるめて思いきりぶつけるかのように拳を放りだすことはできていても、長ったらしいものをフルスイングしているために、端から映像を通して見たら、なんとものろまな情けない突きになっていたのです。


 ここから脱出するべく、今年に入ってからもう一度速さを考えはじめ、栃木遠征のときのVTRを見かえしていたときに、Y師範代直伝の鍛練法がきちんと肘に効いていないことを発見し、あらためて実践してみれば、その違いは雲泥の差でした。あの方法で肘を鍛えると、ここまで腕が軽くなるのかと思えるほど、肉体が変わってきます。


 重い拳を自分の腰から相手の胴体へ飛ばす、あるいは、長い腕を伸ばして突く、という動作をする場合、どうしたって速さは失われてしまいますが、ただ単純に、「肘」という小さな物体を飛ばす意識で突きをおこなえば、動かしているもの自体が小さく軽いのですから、突きそのものも速くなり、またそのきっかけも微細な動作で済むようになります



 突きが変われば受けも変わります。わたしは、この肘の変化以降、あらためて、

風のように受けたい

 と思うようになりました。



 相手の攻撃に反発するのではなく、こちらから攻撃をかぶせるのでもなく、ふわりと、やわらかく吸収し、呑みこんでしまう受け。ここさえ押さえられれば、打撃であろうが柔術であろうが、反撃の種類にはこだわる必要がないように思え、またここで制することが可能になれば、自然と争う心も鎮まってゆくことでしょう。


 ただし、風のように受けたからといって、風のような反撃はいまいち完成度に欠ける気がします。その動作は、やわらかいがゆえに、相手へ到達するまでに時間を要するからです。そのほんの一瞬の間で、とくに空手をやっているような人は次の攻撃へと切りかえているでしょう。


 できるなら、風のようにやわらかく吸収し、一瞬のうちに呑みこんだ刹那、まるで電流が走るかのように反撃をおこなってしまう。それは突きでもいいし、投げでも押さえでもいい。とにかく、すべてを一瞬で決してしまう技に行き着かないかぎり、実用的とは言えません。


 きっと、この点をそれ相応の次元で身につけることができれば、その電流部分に体道の技を採用して、打撃相手にもじゅうぶん柔の技を用いられるような気がするのですが、いまはまだわたしにとっては理想の域を出ません。


 地道に、身近なところから積みあげてゆきます。


 上記の突きに関連して、足をひねらない追い突きというのも実践しているのですが、それはまた次の機会にでも書きます。


 
 裏部長でした。
posted by 札幌支部 at 20:11 | Comment(1) | 裏部長の日記

2013年02月27日

3月の稽古について

こんにちは、裏部長です。


やはり、メールの届かない人がいるようなので、掲示板がわりに記しておきます。


3月の札幌支部の稽古は、これまでと同様、火曜日と金曜日の18時から20時まで、札幌大学1001教室にておこないます。


いまのところ休みはありません。


武道場稽古は9日の18時からです。今回は実施します。剣術などもやりますが、できれば体道を重点的に稽古したいので、来られる人(とくに茶帯メンバー)はぜひ。


なお、連絡したいけどメールが届かないという方は、このブログのコメント欄に書き込んでください。こちらも返答をコメント欄に書いておきます。



諸々よろしくお願い致します。


posted by 札幌支部 at 11:44 | Comment(0) | 裏部長の日記

2013年02月09日

本日の稽古

 こんにちは、裏部長です。


 本日予定していた武道場での稽古ですが、参加人数や天候、大雪による交通状況などをかんがみ、中止といたします。ご了承ください。

 なお、全国的にインフルエンザが流行しています。火曜日の稽古に来ている小学生のOくんは、昨日発熱し、病院へ行ってみたらインフルエンザだったそうです。気をつけましょう。



 追記。

 師匠不在のあいだ、札幌支部の稽古スケジュールは裏部長が調整し、だいたい月末に翌月の日程をお知らせしていますが、どういうわけかメールの届いていない方が何名かいらっしゃいます。一応こちらからは、参加される可能性のある方には全員メールをお送りしていますが、何かの事情で届いていないことがあるらしいので、今後師匠が帰国されるまで、連絡事項は逐一ブログに載せることとします。

 連絡事項などありましたら、コメント欄に記入してください。

 よろしくお願い致します。


 裏部長より。
posted by 札幌支部 at 13:53 | Comment(0) | 裏部長の日記