2006年09月08日

自主稽古公開

 こんばんは、裏部長です。今ごろ師匠と部長は奈良ですね。向こうは暑いんだろうなあ。迎え酒ならぬ迎え夏に耐えて臨地研修、頑張ってもらいたいものです晴れ

 さて、今日も一応稽古はあったのですが、開始時間の午後五時になっても誰も来ず、十分くらい経ってH君が来たには来たのですが後がつづかず、結局五時半すぎまで待って、散会してしまいましたもうやだ〜(悲しい顔)少人数でどうにか続けている稽古ですからこんなことは日常茶飯事、むしろH君ひとりだけでも来ただけマシというものです。交通費をかけて来て、結局わたしひとりだけ、という淋しいときも以前に何度かありました。
 それに比べたらマシ・・・・・・ではありますが、しかし、稽古にならなかったことには変わりはありませんふらふら
 えー、これは門弟諸君へ連絡ですが、まだ夏休み期間中の稽古(午後五時〜七時)は何日か残っています。師匠や部長がいる日はなにも問題はありませんが、今日のような、両名ともに不在のような場合、稽古をするかしないかは開始時間のあと三十分程度で判断します。今日のようにわたしと誰かひとりだけ、なんてときは大抵そのまま帰ってしまいます。
 ですから、もし参加したいんだけど三十分以上遅れるかもしれない、というひとは事前にきちんと連絡を入れてください。わたしは大抵来ているので、わたしのケータイへメールでも入れてください。アドレスのわからない人にはあとで教えます。
 いや、というのもね、たとえば来た人間がわたし一人だけで結局やらずに帰った、ということならばまだ良いものの、これが師匠だったら困るわけです。師匠も閑人のプータローじゃないんだから、いろいろな仕事のやりくりをした上で稽古をつけてくださるんです。多忙な中を、スケジュールをどうにか空けて来てくだすっているのに、来てみたら誰もいない、なんてシャレにならないでしょう。失礼千万というものですパンチ
 だから次回より、事前の連絡をお願いします。少しでも無駄なことを省くために、協力をお願いします。

 さて、そんなこんなで書くこともないのですが、今日はちょっと赤裸裸に、わたしが自宅でやっている自主稽古のことなんかを紹介してみようかな。
 ま、大したことではありませんが、わたしも不器用な人間で、ちょっとやそっとのことでは技など覚えられません。身につけるためには大学での稽古以外に、ひとりでやる自主稽古を欠かしません。
 自宅でのひとり稽古の内容は、ざっと下記の通りです。

 基本稽古(其場突き、前蹴り、受け四種、廻し蹴り、刻み突き、裏拳打ち、横蹴り)。
 拳立て伏せ、指立て伏せ、前蹴りスクワット。
 其場でワン・ツー、其場から追い突き・逆突き。
 移動稽古(追い突き、逆突き、追い突き・逆突き、ワン・ツー、逆突き・前蹴り)。
 筋力トレーニング(片方の手で、もう片方の手へ負荷をかけて行なう武術的筋トレ各種)。
 型の復習。
 鍛錬(斜め四股立ちから逆突き、猫足立ちで受け四種・前蹴り・廻し蹴り)。
 鉄アレー鍛錬。指のすり合わせ。


 一時期はこれらすべてを毎日やっていました。ライバルに空手経験者の部長がいましたし、また自分自身も空手が愉しくなっていたため、飽きることなく毎晩汗を流していたのです。
 しかし現在は短縮型になってしまっています。基本は其場突きをメインとし、武術的筋力トレーニングはほとんどしません。鉄アレーも使わなくなったし、拳立て伏せはやってはいますが、回数も三十回ほどしかやらなくなりました。
 何故そうなったかといえば、ただ単純に時間がなくなったというのもその原因のひとつですが、特に筋力トレーニングに関しては、あまりやる必要が感じられなくなったからでしょうか。実際にものを突いたときに手首が負けてしまうので鉄アレーを使い、少しでも躰をシャープにしたいがために筋トレなんかをしてきましたが、それらがすべて空手の基本稽古、云ってしまえば其場突きあたりに集約できてしまった、というわけなのです。また、師匠自身そのようなトレーニングはして来なかったが技に必要な躰の強さは身についているとおっしゃるのでその影響もあり、現在では毎日二十分から三十分ほしかやっておりません。本当はもっとやったほうが良いのでしょうけど。

 みなさんはどんな自主稽古をしていますか?できれば本部の諸先輩方にも伺いたいです。

 さてさて、明日の稽古は休みです。次回は月曜日。遅れても来るというひとは事前にご連絡を。
 それでは良い週末を。裏部長でした。
posted by 札幌支部 at 20:34 | Comment(3) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2006年09月07日

部長いってらっしゃい

 はいはいどうも、裏部長です。なんだかこのBlogも、門弟各人の書き込みに加えて本部の方方からのコメントなども入ったりして、急に賑やかになって来ました。多忙なために肝心の師匠の文章が少ない、というのが残念ですが、そのぶんは我我でなんとかしましょうわーい(嬉しい顔)おすぎさんの報告にもあったように、どういうわけだかBlogのランキングは良い感じですグッド(上向き矢印)外部からの閲覧者が多いのか門弟諸君がせっせとクリックしているのか、それはどうだか判りませんが、しかし上位にあるというのは見栄えとしてもたいへん結構なもので、少なからず宣伝になるでしょう。札幌支部だけでも新たな部員の入門に繋がれば幸いです。

 部長は明日から奈良です。大学の授業の一環で、師匠つきそいのもと臨地研修というのをやりに行くのです。奈良といえばもうそりゃあ良いところで、名所旧跡仏閣寺院、見所満載のうえに空心館の奈良支部もあります。これはあまり大きな声では云えませんが、師匠と部長は夜にこっそりとその稽古に参加するそうです。
 他にも行く生徒はいるんですよexclamation彼らは空手なんか興味ないから参加はしません。得をするのはこの二人だけですexclamation大学の関係で行っているのに、なんという越権行為exclamation×2
 ああ、すみません。すっかりジェラシーを燃やしてしまいました失恋怒ってなんかいないのです。ただちょっと羨ましかっただけ・・・・・・もうやだ〜(悲しい顔)
 部長、あまり体調が良くないなか大変だとは想いますが、無理をしない程度に気張ってきてください。向こうは暑いですからね。水分をじゅうぶんに取って稽古に臨んでください晴れ

 さて今日も師匠&部長不在ながら稽古をしてきたので、そのご報告をいたしましょう。


2006年9月7日(木)曇り。体道稽古の日だが、師匠がいないため空手。
 午後五時、札幌大学1001教室にて稽古。参加者は昨日も参加したON、苫小牧出身で昨日は寝違えたため頸が痛かったH、少し遅れてS呂。
 基本ひと通り(其場突き〜横蹴り)。手廻し。猫足立ち確認、手刀受けで一進一退。ここでS呂が来る。
 移動稽古。追い突き、逆突き。S呂においては、突いたあとの脱力と、それによる拳のもどり(反動)を意識させて逆突きをやらせる。本人、かなり苦戦しながらもどうにか形にする。
 型。ON、Hは「平安初段」、S呂は「腕秀」の確認。
 約束組手。まずは私とON、HとS呂が組み、そのあと私とS呂、HとONでやる。
 中段追い突き。ONは軸の移動よし、ただ上半身に力が入り、肩が出てしまう。腰のもどし、突いたときの体勢など、あまり相手にとらわれず、まずは自分のバランスだけを考えて突くように指導する。
 S呂は先ほどの移動稽古でやった突きで動いてもらう。最初は苦戦したが、徐徐に馴れてなかなか良くなった。つまりこれまでは、突きで1、もどすので2と、突いてもどすのに二拍子かかっていたのが、1で突いたときに脱力をする、力が抜けてなおかつ目一杯のばしきって突いたのなら拳がその反動ですこしバックする、ここまでがひとつになる。バックした肘はすこしコントロールすれば引き手になる。すると、突いて引くのに二拍子かかっていた動作が、たった一拍子で終えられることになるのだ。
 突いたあとの脱力、腰の切り、突き終わったあとのバランス、この三点を注意して突いてもらう。
 七時過ぎ、終了。


 散散悩んでいたS呂に対するアドヴァイスであったが、感覚を養成するものではなく、無理にでもまずは型にはめて動く方法を採用してみた。最初は意識的だが馴れてくれば自然と動けるようになるだろう。
 Hは突っ込む勢いを殺さずによい位置へ着地できるかどうか、ONは力みを取ることが最優先課題だろう。

 今日も特にこれと云って書くことはありませんが、それにしても、気づくと稽古に来ているのはすべて空心館へ入門している人間ばかりで、その熱心さには頭が下がります。志というやつでしょうか。これが長く続くことを祈るばかりです。

 さて明日からは部長がいません。どうにか私たちで稽古を守り立ててゆかねばなりません。
 門弟諸君よ、ご協力お願いしますね。

 ちなみに、昨夜のわたしの二度目の文章ですが、タイトルに誤りがあります。「卒の冴えるような突き」となっていますが、これは「目の冴えるような突き」の間違いです。たしかにそう書いたのですが、目という字を難しいほうで書いたのでそのまま出なかったようです。
 ハイテクは難しいです。
 裏部長でした。
posted by 札幌支部 at 21:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2006年09月06日

卒の冴えるような突き

 どうも裏部長です。今さっき、今日のぶんの書き込みをしてアップしたのですが、そのときになって再びI先生からコメントの入っていることに気がつき、袖ても立ってもいられないので二度目の日記です。
 タイトルには「卒の冴えるような突き」としましたが、私の云わんとしていることは、「卒の冴えるような突き、の話」です。I先生が書かれた突きについてご教授は卒の冴えるほど深く、噛み締めるに十分すぎるほどのものです。わたしもこれを反芻したいと想います。
 また、コメントを送られた当のBlogを書いた部長へ。きちんとお礼の文章をアップした上で、これは今後の参考にしなさい。なかなか無いことですよ。

 それでは簡潔ながらこの辺で。I先生、ありがとうございました。
posted by 札幌支部 at 23:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

感謝感激雨霰!!A

 グッドイブニング三日月裏部長です。残暑厳しい今日この頃、みなさん如何お過ごしでしょうか。北海道は空こそ晴れるものの気温はあまり上がらず、風も吹いて、いよいよ秋といった趣です。季節はすっかり読書のシーズンです本仕事帰りにビールなんかを呑んでたのしむ時期は終わってしまいました。

 さてさて、またもや本部道場からのコメントがありましたexclamationこれに気づいたのは部長で、わたしは教えられていま見ましたが、いやあ驚きました。栃木のYといえば、師範代であるY先生以外にはおりますまい。それに、合わせて「セガレ」さんも書かれているところから考えてもそうです。ザックバランな文章がそのお人柄を表しているようです。
 Y先生、そしてご子息のT君、コメントありがとうございました。しかし、書き込まれたのが午前零時二十分、と・・・・・・こんな夜更けまで起きてていいのかexclamation高校生は早く寝なさーいexclamation
 
 書き込みの内容から察するに、出張中の師匠が本部道場へ寄られ、稽古にも参加されたのでしょう。思い返せばそんなスケジュールであると仰っていたような気がします。
 これは内内の話ですが、本部道場におけるY師範代の立というのは非常に厳しいものがあるのです。というのも、レヴェルとしては、トップにはもちろん師範がいらっしゃるわけですが、師範が御自らご教授されるということはほとんどありません。ましてや組手の相手をするなんてことはない。
 師範の次にいらっしゃるI師範代、先日書き込んでくだすったあのI師範代はたしかにY師範代の先輩にあたるわけですが、現在は腰の痛みなどがあってあまり稽古には参加されておられないと聞きます。
 結局、本部ではY師範代が実力的に、現在はトップなのです。I師範代とY師範代の中間地点にいるウチの師匠は札幌ですからね。どうしてもそういうことになる。
 となると、ですね、Y師範代としては自分の実力を百パーセント発揮してぶつかってゆける相手がいないわけです。道場に来ているのはすべて自分よりも下の人たちですからね。どうしても手加減をせざるを得ない。つまり、燃え尽きるということがないのです。
 ですから、たまに師匠が帰郷をされるとお手合わせをするわけです。そりゃもう激しい技の応酬。その模様を撮影したヴィデオを見て、わたしもどれだけ勉強しているかわからぬほど凄まじい攻防をする。そして必ず最後にY師範代はこうおっしゃるのです。

          「いやあ、気持いいね!」

 やはり、普段から相当溜まっているのでしょう。あの稽古のあとのY師範代のハツラツとした笑顔が今でも眼に浮かぶようです。

 息子さんのT君もひょうきんなひとで、今年の三月にわたしが行くと「次来るときは蟹をお土産に」と云ってききません。面白い人です。今度ほんとうに山のような蟹を持って行ってあげようかしら。

 ああ、忘れるところでした。今日も師匠不在ながら稽古をしてきたので、その模様をご報告いたしましょう。


2006年9月6日(水)晴れたり曇ったり。日程変更最初の水曜日稽古。
 午後五時、札幌大学1001教室にて空手の稽古。参加者は部長と、神奈川県出身で、つい数日前まで帰省していたON君(王・長嶋じゃないよ。わが札幌支部にはOからはじまる苗字のひとが二人おり、区別がつかないので、彼らに限ってはこういったイニシャル表記でゆきます)。
 基本は廻し蹴りまで。手廻し。其場でのワン・ツー(上段刻み突き・中段逆突き)。其場で体捌き・内受け・逆突き。
 移動稽古(追い突き、逆突き、追い突き・逆突き、相手の正中線をとる稽古)。
 型。ONは「平安初段」、部長は「腕秀」の復習。
 最後は約束組手。利き手による中段追い突き。ONは久久ながらよい動きを見せる。かなり遠間からでも軸をきれいに前進させて突いている。
 部長には、腰全体の前進を意識した突きを考えてもらう。
 七時過ぎ、終了。


 今日はかなり簡潔に書きました。
 ON君は、神奈川県は鎌倉のひと。若いころから武術が好きで、特にはが好きなひとです。もう、三度の飯よりも槍が好き。類の槍好き(いやらしい意味ではありませんあせあせ(飛び散る汗))ってやつで、杖や棒術なんかにも興味があるようです。しかしここ数箇月は空手にも同様の興味を示し、今では稽古を続けたいがために卒業後もここに残る、なんてことを云ってくれています。
 頼もしい限りです。
 ただ、真面目でよい子なのですが、おっちょこちょいなところがたまに傷で、意味もなく崖から飛び降りて怪我はするわ、自転車で走行中にてめえで勝手にバス停に衝突して膝は痛めるわで、いつもどこかに痛みを抱えているような人なのです。見ているほうがハラハラさせられます。

 とまあ、今日はこんなところにしときましょう。
 改めまして、Y師範代ならびにご子息のT君、書き込みありがとうございました。部長をはじめ、真剣に稽古を重ねている後輩たちの励みになります。今後ともよろしくお願いいたします。

 明日は体道の日ですが、師匠がいないため、今日と同じように空手をやります。手のあいている人はこぞって参加してください。
 裏部長でした。
posted by 札幌支部 at 23:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2006年09月05日

文文

 どうもどうも裏部長です。今日の札幌は朝から大雨でたいへんでした雨気温もかなり低く、もう少しで吐く息が白くなるところでした。明日もかなり肌寒くなるようです。みなさん、くどいようですが、風邪には気をつけましょうパンチ
 よういえばどこかの幼稚園で、園児たちがハチに刺されて一大事exclamationなんてニュースが流れていましたが、獰猛な蜂たちがさかんに活動するのはこれからなんだそうですね。このすこし涼しくなってきた頃合いにテンションを上げて盛り上がるらしいのです。ですから、よく野を駈けまわっている部長などは気をつけてください。蜂のチカラも馬鹿にはできませんから。

 さて昨夜はI先生の突然の書き込みにすっかり狼狽してしまってアタフタしておりましたが、もう大丈夫ですわーい(嬉しい顔)ただ今日は稽古のない日だったのでこれといって書くことがありませんので、思いついたところで、みんなの文章について書いてみようかな。

 このBlogへは現在、主にわたし、部長、S呂君、H君、おすぎさん、そして師匠などが書き込み、コメントにはI師範代、東京へ帰郷中のA君などが書いてくれているけど、この文章というのは見ていて面白い目なにが面白いかって、内容はともかく、その文体ですよ。これが面白いほど各人各様なのです。
 例えば、部長の書く文章を読むと容易にかれを想像できます。とりとめもなく書いてオチがないところとか、各センテンスがあまり切れずに続いているところとか、たまに日本語が間違っているところとか、これらすべて彼そのものです(別に、馬鹿だって云ってるんじゃないですよ)。S呂君は思い悩んでいる様子がよくわかる文章だし、H君は案外さっぱりと淡白、師匠の文章には業務連絡のような整然があり、おすぎさんは簡潔かつ明るい。I師範代の文章からは真面目が伺え、A君はどこか冷静すぎるほどの切れ味を感じさせます。
 おそらく上記のメンバーは、自分の想うように文体を変化させて書くような手先の技術をつかってこのBlogに書き込んではいないと想うので、それらの文体はそっくりそのまま彼らそのものと云ってよいのでしょう。面白いものです。当たり前かもしれませんが、ひとつとして似た文章がない。それは多分、ひとりとして似た人間がいなということなのでしょう。知らず知らずのうちに人間は個性を持つものらしいです。

 ただ、いち先輩から云わせてもらうと、S呂君は文章が暗いよもうやだ〜(悲しい顔)なんだか詩的でおしゃれな感じはするんだけど、どこか引きこもってる感があっていけない。もっと明るくハツラツとして書いてください晴れ
 部長は日本語に気をつけて。インターネットというのは恐いものですからね、どこで誰が読んでいるかわからないのです。漢字の間違いとかも注意してください。
 あとみんなに云えることは、もっとたくさん書き込みなさいexclamation×2ということです。せっかく本部の方方も読んでくださっているのだから、更新を絶やさぬようにしましょう。

 明日は空手の稽古です。今度はきちんと胴着をもって行きます。
 裏部長でした。
posted by 札幌支部 at 21:03 | Comment(1) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2006年09月04日

感謝感激雨霰!!

 こんばんは、裏部長です。キャァーexclamation参った参ったexclamationこんなことになろうとは、お釈迦様でも知らぬ仏のおとみさんカラオケってなわけで、このBlogをご観覧のみなさんはお気づきになっただろうか。
 新たな書き込み以外に、以前たれかが書き込んだ記事に対するコメントというのがあるでしょう。すでに幾つか表示されていますが、この中になんと「栃木のI」なる方からの書き込みがあったのだexclamation×2イヤァー、困っちゃったなああせあせ(飛び散る汗)こんな方にまで読まれていると知っていたならもっと真面目に書いていたのに・・・・・・だって、栃木でIさんと云ったらひとりしかいないじゃないですか。ええ、あのひとです。あの御方でございますよ。部長やS呂君あたりは見当がつくんじゃないですか。ちょっぴり小柄なあの先生ですよexclamation×2(失礼しました。小柄な、が余計でしたふらふら)。

 ハア、なんか急に緊張してきちゃったたらーっ(汗)I先生といえば、我が師匠よりも上のひとだからね。一度わたしもお会いしたことがあって、そのときの印象としては武術家とは思えぬほど温厚でやさしい方で、正直ホッとした思い出があるくらいだけど、腕前としちゃ師範代のなかじゃトップ。現在おもに本部道場を取り仕切っていらっしゃるY先生やO先輩なども全員、このI先生の影響を受けてるってんだから、こいつあ大変なものです目

 とはいえ、いつまでも緊張してはいられないので、日付が変わらぬうちに本日の稽古報告だけしちゃいましょう。


2006年9月4日(月)晴れ。師匠、昨日より長期出張のため不在。
 午後五時、札幌大学1002教室にて空手の稽古・・・・・・といって、今日はかなり不運な一日であった。まず私自身が、急遽長引いてしまった仕事のために、自宅へ胴着をとりに寄る時間なく、そのままスーツで大学へ来てしまったことだが、わたしが到着した時点ですでに五時半。教室で準備をしていた参加者は部長と有望なる後輩のS呂のみ。しかし、肝心要の部長は、六時には上がらねばならず、しかし教室の鍵は部長の学生証とひきかえに借りているため、彼が終了時にいないと鍵の返却ができない・・・・・・。
 そんなわけで、少し異例の稽古となったが、せっかく集ったわけなので、わたしもスーツとワイシャツの袖をまくって参加する。
 基本は受けまで。手廻し。ここから私も参加して、其場でワン・ツー(刻み突き・逆突き)。両手を開いて立てた構えから突くヴァージョンも試してみる。
 移動稽古。追い突き、逆突き。ワン・ツー、追い突き・逆突きのふたつのコンビネイションを、足の動きを変えて、どちらも逆突き・逆突きになるようにしてやる。追い突き単体で、引き手をヘソの前までしか引かないヴァージョンも。
 ここで部長は早退。
 後半はわたしとS呂のみ。まずは先日のBlogに書いたメビウスの輪の技への応用を説明し、それから再度移動稽古の位置にもどり、先ほどやった逆突き・逆突きの延長で、ワン・ツーや追い突きの、前へ出した足をギリギリのところで床につけず、足が自然と踏み変わる動きでもって突く動きをやる。わたしは以前にやったことがあったのでそうでもなかったが、S呂はやはり少し飛び上がってしまう。この差はなかなか難しい。
 最後は約束組手。利き手による追い突きに絞るが、S呂に、突いた手を(筋力で)引っぱってくるのではなく、突ききった反動で引っぱられてくる感覚を説明するのに苦しむ。腰の引きや腕の脱力、突きと引きの呼吸がひとつになるようにする等等、あまりよい具体的解決法を示せず。
 七時、終了。外は風が涼しい。

 
 今日はあぶなく稽古が立ち消えになりそうな日であった。こういう、師匠不在のときは何がなんでも私は参加せねばならぬ。たとえ少数であっても、やる気をもって来てくれた門弟諸君をかなしく帰らせるわけにはいかない。今日もその判断のおかげで、少しではあるが有意義な稽古ができた。

 しかし、まだ自分は後輩に対し、よい方法論を示せずにいる。S呂君に関しては、たとえば今日やった追い突きの問題点(腰で突きを引き寄せる、突いたら脱力する、など)が解消されれば、恐らくはすべてのセクションにおいてしっくり来なかったものが腑に落ちてくれると想うのだが、その最後のひと押しができる具体的な稽古法が示せない。わたしも彼も、やりたい理想形はわかっているのだが、そこへ至る道を見つけられずにいるのだ。
 師匠がお帰りになる前に、少しでも有効なアドヴァイスをしたい。

 なんだか、ちょっとしたハプニングのあったせいで、書こうと想っていたことをすっかり忘れてしまいましたダッシュ(走り出すさま)思い出したら、またいつか書きます。
 それより、師範をはじめ本部の方方もこのBlogをお読みになっていると知り、こんなに心丈夫なことはありません。是非これからも未熟な後輩たちの稽古日誌ともつかない雑文をお読みいただき、今回のI先生のように、気軽に書き込みをしていただけたらと存じます。門弟一同、背を正して拝読いたします。

 門弟諸君よ、ちなみに明日は稽古のない日です。今月から火曜日の稽古は水曜日に変更となりました。だから、決して間違えて、H君のようにならないこと。
 ハア、久しぶりに緊張感をもって書いた裏部長でした。I先生、本当にありがとうございました。
posted by 札幌支部 at 23:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2006年09月03日

斬首についての覚え書

 こんばんは、裏部長です。最近は夜になるとめっきり肌寒くなって、とてもとても半袖ではいられません。本州の方方はおそらくそんな北海道の気候をうらやんでおられるでしょうが、そんなに嬉しくもないのよ。すぐに寒くなるんだからもうやだ〜(悲しい顔)
 季節の変わり目です。みなさん、風邪には気をつけましょう手(チョキ)

 そういえば武術となんら関係のない話ですが、みなさんは本って読みます?ホラ、ここ数年は若者たちの活字離れがいろいろ云われてるでしょう。わたしが知ってる人のなかにも、一年で一冊も本を読まない、なんて奴がおりますが、みんなはどうでしょう。もちろん漫画とか雑誌はヌキにして数えて、だいたい何冊くらい読んでるもんかね〜?
 師匠は学生時代、大学の先生に「自分の背丈をこすくらいの量を読まなきゃいけない」なんて云われたらしいけど、できればそれくらい沢山の本を読んでみたいものです。ま、これは別に、背の低いひとは読む冊数を少なく見積もってよいということではないんだろうけど、やっぱり一年で百冊、いやそれ以上は読んでいたいよね。わたしの尊敬するあるひとは、週五冊か六冊は読んでるから、一年で・・・・・・考えただけで本の置場に苦しみそうです。

 本は読まないけど映画はよく観る、ってひとはどうでしょう。一年で何本くらい観るのかな?映画館へ行って観る回数なんてたかが知れているのでしょうが、でも好きなひとはよく行くからねえ。どんなもんでしょう。
 『鬼平犯科帳』や『剣客商売』などで知られる小説家・池波正太郎さんなんかは、どんなに忙しくても月に十五本、通常は月に二十本以上観ないとムズムズしてくるって云ってたから相当なものです。現にご自分を「シネマ・ディクト映画狂)」なんて称していたからね。こんなひとは今もいるのでしょうか。

 今日は稽古がなかったので、特にこれといって書くこともなくダラダラしておりますが、最後に、部長の書き込みを受けて、斬首についての覚え書を少少。
 打ち首、なんて時代劇でしか聞かない言葉ですが、武士の場合は責任の取り方として切腹罪人は斬首というのが江戸時代の風習でした。武士の場合は全身まっ白の装束を着て、まずは自分で脇差を腹に刺す。左から右端までクゥーと真一文字に斬りさき、今度はそこから真上へ引き上げて抜き、前へ戻して頸を打たれる・・・・・・というのがルールですが、人間そうそう度胸があるわけもないので、江戸がはじまって何十年か経ったころにはもう、自分で自分の腹を切る動作は省略されていそうです。元禄のころで有名なものといえばあの忠臣蔵がありますが、あの勇敢なる四十七士たちも、扇子を脇差にみたてて腹に立てるマネをして頸を打たれたと云われています。
 しかし中には、まさしくハラの据わったひとがいたもので、江戸初期、旗本ではあるが仕事のない、半分グレちゃったような武士たちが「旗本奴(はたもとやっこ)」などと呼ばれて恐れられていました。現在の暴力団のような存在で、町なかで町人たちにいちゃもんをつけては暴れ、金をせしめる、そんな集団だったわけです。
 その中にいた頭目の男はしかし、相当に度胸のあったひとらしく、いろいろと暴れたあと、ついに捕まって切腹となったとき、決まり通り、本物の脇差で腹を斬り、十文字に裂いてから前へもどし、右脇で刀を構えている武士に「さあ、どうぞ」と微笑んで云ったという。そんな話も残っています。
 ちなみに、罪人たちが頸を打たれるのは牢内にある庭のような場所で、土の地面にバスタブのような穴があけられており、その前へ膝をつき、頸を差し出すわけですが、この場所を「土壇場」といいます。これは今でもつかう言葉ですよね。

 さて、刀で頸を斬るとどうなるか?別にわたしは実際にたれかの頸をバサッと斬ったことがあるわけでもないのですが、聞いたところによると、斬った瞬間に頸の骨がズブズブとなかへ埋まってしまうのだそうです。おそらく肩や背中の筋肉が収縮するのでしょう。斬った途端に入っていってしまう。
 だからかも知れませんが、斬った瞬間はあまり血が出ない斬った刀にも血はあまりつかないそうです。頸のない肉体はそこから少しづつ傾き、ついにはドサッと地面に倒れる。そのときになって初めてドバァと血が噴き出のだそうです。

 ああ、なんとも残酷な話を書いてしまいました。一応のマメ知識として仕舞っといてください。

 明日からは新たな一週間。稽古のほうはわたしと部長で引っぱってゆきます。
 裏部長でした。
posted by 札幌支部 at 22:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2006年09月02日

顧みて年月を想う

 どうもみなさん今晩は。毎度おなじみ裏部長です。

 最近どうも書き込みが少ないな〜。いろいろと推察してみるに、恐らくほとんどと云ってよいほど、このBlogを見ているのは我が空心館関係のひとだけらしいので、門弟諸君はヒマを見つけて読み、そしてとりあえず何でもいいから書いてください。これはあくまで空心館札幌支部のBlogであって、決して裏部長個人のBlogじゃないんだから。ね?初めてここを覗いたひとが活気を感じられるような場所にしましょうよ。
 それにこれは連絡事項ですが、訪れたひとは種種あるブログ・ランキングのページを開いて、そこに入っている私たちのBlogを別ウィンドウで見てください。何でもそれだけでランキングへの投票が完了するらしく、一つところからは一日一回しかできないらしいけど、そうすることで順位の変動が起こるようなので、来たひとはなるべくそうしてください。

 さて、明日からの一週間、師匠は出張のため不在。よって、今日はその前におこなう最後の稽古というわけだったのですが、これまたちょっとした異例稽古になったので、まずはその模様をどうぞ。


2006年9月2日(土)晴れ。まったく関係はないが、裏部長の兄の誕生日。
 午後五時、札幌大学1001教室にて空手の稽古・・・・・・のはずが、開始時間になっても誰も来ず。
 師匠とわたし。ひとまず誰かが来たらすぐに始められるように、胴着に着替え、机なども片づけて待機。その間にいろいろな話をする。
 武術の話。空心館では、基本的に入門から三年で黒帯をとらせる。つまり初段になるわけだが、これがどうして「三年」なのか?そこに意味はあるのか?現状としては、三年で黒帯までという設定の上で、たとえば十級では四之型という型をやり、初段の前にある初段補では転掌と腕秀のふたつをやる、といった風に、その段階で修行すべき型などが決められているから、それらをすべて消化するのに三年かかる、と説明できなくもないが、これに関しては師匠も別段考えたこともなかったという。
 昨夜の稽古報告。追い突きからの変化、そのレヴェルの違い(後ろ足の位置、腰の回転で突く場合と腰の前進で突く場合の変化)。変えた引き手からの二本目の突き、最近あまり拳がきれいに返らなくなったこと、突き方の遍歴、剣術などにおける袴の存在、琉球唐手と空心館の空手・・・・・・等等。
 他愛もない話。わたしの仕事の話、奈良のM先輩の話、本部道場師範代のY氏らの話、映画や小説の好みの話、柔道の初段について、師匠が門人の素質を見る方法・・・・・・等等。
 立ち話もあれなので、師匠は坐り、わたしは立ったまま談笑。気づけば六時過ぎ、いまだ誰も来ず。
 終了。来週以降のことを話し合って散会す。


 というわけで、出張の準備をおしてまで師匠に来てもらいながら、参加者は私ひとりという、なんともお恥ずかしい稽古であった。胴着姿になり、場所もつくっておきながら一切動かず、一滴たりとも汗を流さない稽古はひさしぶりである。
 しかしながら興味ぶかいお話はいろいろと聴けた。それこそ、明日からでも参考にできる話や、こんなところでは到底書けないような話まで、かなり肚をわって会話を交わした。
 そんな中でも、報告でも書いた「三年」という月日に関してすこしご紹介したい。

 我が日本武術研究所空心館では、たとえば現在うちで稽古しているS呂君のような、すでに数年間ちがう空手の道場で稽古をし、少なくても茶帯以上であるひとならば例外となるが、そういった経験のないひと、つまり私のように、空手のかの字も知らないズブの素人が入門した場合、黒帯を締めるまでには三年間という年月が必要になる。
 世間では、なにかの武道で黒帯を持っているというとそれだけですごいと褒められるが、空心館ではちがう。空手に関しては、黒帯をとるまでは空手ではない。本当の空手は初段以降、つまり黒帯を締めてから教えると云われる。
 云うなれば、初段までの三年間は、それから空手のかの字を学ぶための躰づくり、簡単にいえば準備体操のようなものなのだ。
 これをもっと具体的に説明すると、入門から初段までの三年間は、動作(技)における型にそのひとを嵌めて修行する期間といえる。突きの動作、受けの動作、蹴りの動作、重心の話、軸の話、さまざまな要点を細かく細かく、ときにはミリ単位で修正し、「この動作はいい、この傾きはだめ」といったふうに、厳密に動作の良悪を判定してゆく。当然この期間に、修行者たちに動きのなかの自由はない。自分勝手に動ける余地はないのだ。指導された動き、指導された技のみを、指導されたままに行なう、この三年間はそのためにある。
 これを、平均的な数字でいうと、週三回から四回の稽古日程でおこなう。これを比較的真面目にこなして、三年で黒帯、晴れて初段となる。
 では黒帯をとると、どうなるのか。ここからは、それまでに作ってきた身体的な型を壊しはじめる。師匠はこれを「個性をつくる」とおっしゃったが、斯くの如しで、そのひとの身体や特徴にあわせて、その人だけの技を練ってゆくのだ。だから初段以降は、追い突きひとつにしても、その技の趣が修行者によってかなり違う。あるひとは歩幅を短くしてサッと突き、あるひとは今まで以上に腰を落とすことを意識して突く。同様に受けも変わり、蹴りも変わってゆく。
 これがつまり、「本当の空手」のスタートである。変化と成長の日日である。

 その「本当の空手」を教わる準備にどうして三年という期間が必要なのか、それはまだ判然としていない。現段階で云えることといえば、たとえば、ある程度空手のうごきに馴れるにはだいたい三年くらい必要だから、とか、「石の上にも三年」なんてことも云うからもしかしたら昔の古い教えかなんかから引用してそうしているんじゃないか、とか、それくらいの推測しかできないが、最終的には、その門人がどんなに下手であろうとも師匠のほうでどうにか三年のあいだに初段レヴェルまで引っぱりあげてくれるので、ひとまず安心していればよい。ただ、ひとつの何かをある程度できる段階にまで成長させるのにもし三年という期間が最低限必要なのだとしたら、現在わたしが取り組んでいる「」もまた、その法則に含まれているのかもしれない。

 おもえば私がその夢と本気で取りくむようになったのは、師匠のところで稽古をはじめた頃からである。まだその当時はなんとなくといった感じで、だから厳密にいえば、やりはじめてからおおよそ二年ほどが経ったくらいで、空手のほうで云えばようやく茶帯を締めはじめた程度。空手のかの字を学び始められる初段にさえなっていないのに成功するはずがない・・・・・・そんな励ましを自分にしたかったのかもしれないが、しかしそう考えれば、人間たかだか二年くらいで夢が叶うはずもない。焦るだけで結果が出ないのは仕方がないことなのだ。そんなことで苦しむよりも、もっと前を見て、明るくいたい。
 今日はそんなことを想った。

 みんなは夢を持っているだろうか?夢を持っているひとはそれを追いかけ、常にアプローチしているだろうか?
 夢を追いかけることは孤独だ。終わりのない戦争のようなものだ。田舎じゃ青空の下、無邪気な笑顔を見せてころげまわっていた少女が、都会へ出て笑顔を失うように、失敗し、挫折をするたびに心が折れそうになる。暗闇が恋しくなる。孤独に耐えられなくなったひとは、その暗闇に吸い込まれてゆく。
 そして、本当の独りになってしまう。
 でもそんな苦しい瞬間にちょっと思い出してみようよ。アレ、俺がこの夢追いかけ始めて、今年でどのくらい経ったのかな、って・・・・・・もしかしたら、あなたはまだ夢の黒帯を取っていないのかもしれない。
 夢のゆの字に、まだ手が届いていないのかもしれない。

 なんだかしんみりと詩みたいな文章を書いてしまいましたが、最近わたしも夢の途中ですこし心が弱くなっており、そんな中でふと自分の夢の修行期間と空手をやっている期間がリンクしていることに気づいて、上記のようにすこしだけホッとしたくなったのです。裏部長はこう見えて弱い人間ですから。神奈川出身の後輩・O君のように、たま〜に鬱のような状態になるときもあるのです。最近のBlogで少しだけ怒ったような文章を書いたのはそのためでもあるのです。
 しかし、今日の師匠のお話で少しは気が晴れたような気がします。まだ自分は夢のほうでも黒帯を取っていないのです。そんな若輩者がすぐに華華しい成功をおさめるはずがないのです。
 
 来週いっぱいは師匠不在で、金曜日からは部長もいません。基本的にはわたしが責任をもって稽古をしますが、いかんせんここ数日の参加状況がこんなですから、もしかしたら惨憺たる有様になるかもしれません。
 門弟諸君、裏部長がまた鬱になる前に稽古に来てください。なあに、別に汗を流すつもりで来なくてもいいのです。わたしを慰めるつもりで来てください。
 
 明日も青空を見たい裏部長でした。
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2006年09月01日

愚痴愚痴

 どうもどうも、裏部長でごわす。すっかり涼しくなって参りました。本州ではまだ残暑とやらが厳しいらしく、ご愁傷さまです。帰省中のA君やO君よ、はやく帰っておいで。

 さて本日は師匠不在ながらもどうにか稽古をしてきたので、まずはそのご報告からはじめましょう。


2006年9月1日(金)晴れ。もう九月である。時間の経つのは速い。
 午後五時、札幌大学1001教室にて空手の稽古。師匠不在。参加者は部長と、苫小牧をこよなく愛する男・Hのみ。
 基本稽古ひと通り(其場突き〜横蹴り)。手廻し。ここまでは部長が先導する。
 続いてわたしの先導で、昨日習った白拍子の動き、メビウスの輪動作をやる。わたしは昨日の教授でどうにかそのコツをつかんでいたようで、無難にできるが、今日はじめてそれらを眼にする部長らはかなり難儀そう。簡単そうに見えてもやはり難しいのだろう。
 時間がないので、移動稽古は追い突き、逆突き、追い突き・逆突きのみにとどめる。
 後半は約束組手。
 体道稽古のときに、今日来ているふたりが、日本伝天心古流拳法初伝中段之位四本目「両山嵐」という技で四苦八苦していたので、その受け側の動作を確認するべく、合気道の片手取四方投げ(表)を、片手・両手・諸手の三種類にわけて私が施す。技をかけられるに従って受けの体勢をつくる、その流れを躰で確認してほしかったのだ。
 部長らふたり、勘よく、すぐにコツをつかむ。あとは捕りの技術のみだ。
 残りの時間は中段追い突き。わたしは先日習った、引き手の動きに注意して突いてみる。と、なるほど動きが変わった。
 七時過ぎ、終了。


 相も変わらず参加者が少ない。ふたりでも来ているだけマシではあるが、しかしOBも入れて三人というのはあまりにも淋しい。毎度のことだが、どうにかならないのだろうか。
 わたしはもう学生ではなく、すでに社会人として働いている身だ。仕事の関係でいまはどうにか稽古へ参加できているが、いつ来られなくなるかわからない。そんなOBが一番出席率のよい稽古でいいのだろうか?

 とはいえ、こういった愚痴はいつものことで、所属している門弟のその絶対数からして少ない上に、数人が本州へ帰省しているため、休暇中はどうしても閑散としてしまう。今日のように師匠がいないとなると余計に左様だ。

 稽古の内容からもわかるように、今日はこれといって発見も驚きもなし。自分の課題や目指している動きを確認した程度に過ぎなかった。とにかく今は躰に沁みこませたい動きが多すぎる。

 明日は師匠が来ます。日曜からの出張にあわせて、その準備に追われているなか無理を云って来てもらいます。
 門弟諸君、稽古は午後五時からですよ〜。
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2006年08月31日

錬る

 こんばんは、裏部長です。挨拶早早こんなことを云うのはアレですが、たま〜に「こんばんは」を「こんばんわ」と書くひとがいますね。メールとかこのBlogとかでね。あれはワザとああやって書いてるんでしょうか?もしそうだとしたら間違いです。
 こんばんは、は、「今晩は」ですから、最後につくのは「わ」ではなく「は」ですね。これは「今晩は〜〜〜で、○○○でございますねえ」なんていう文章(あいさつ)の冒頭部分が切りとられて、それ単体で使われるようになったもので、そう考えれば当然「は」でしょう。文体や見た目のおもしろさでそう書く以外にはきちんと「は」で書きましょう。日本人なんだからね。

 さて本日は体道稽古でした。その稽古内容をどうぞ。


2006年8月31日(木)晴れ。気づけばもう八月最後の日である。
 午後二時過ぎ、札幌大学1001教室にて体道稽古・・・・・・ではあるが、時間になっても私以外はたれも来ず。連絡もなし。
 仕方ないので、またも師匠と差し向かい、まずは現在わたしがやっている浅山一伝流体術中段之位十二本を復習する。技の内容はすでに頭へ入っているし、実際に動いてみても、細かなポイントの修正以外はほとんどすんなり済んでしまい、数十分もせずに十二本目「山脈取」まで行ってしまう。
 まだ誰も来ない。
 仕方ないので、空手の型「転掌」の復習をする。最近はすっかり「腕秀」の稽古に集中していたため、その前に習っていたこの型をやるのも数箇月ぶりだ。流れの確認、各動作の間合いや呼吸を思い出しながら稽古する。
 まだ誰も来ない。
 仕方ないので、師匠と談笑して時間をつぶしていると、ようやく部長が来る。なんでも至急片づけねばならぬ用件があったらしく、それを終えて駈けつけたのだという。
 ここからは早い。私のほうはもうやること全てやってしまっているので、すぐに部長の稽古に入る。
 日本伝天心古流拳法免許之位ラスト三本、つまり「前方」「下り藤」「紅葉返」をやる。わたしは専ら受け。
 体道では新しく技をならうと、持参したノートか何かに自分でその内容を記してゆく。 
 部長が書いている間わたしたちはヒマなので、1:上段への逆突きを前手(左手)の手首ないし手の甲の張りで外へ外す稽古。2:「技」にあった〈メビウスの輪〉の話。3:同じく「技」にあった〈白拍〉という動きの話・・・・・・などをする。後者ふたつの動きは興味深いことこの上なし。
 四時過ぎ、終了。明日から、つまり九月からの稽古日程について話し合ってから散会す。


 「技」というのは当団体、つまり、日本武術研究所空心館にしかない技法のことで、今日師匠から解説をうけたメビウスの輪白拍子という動きは、さまざまな技法に繋がってゆく、とても重要な動作のことである。まあ記載したところで、文章を読んだだけでは到底理解できないものばかりなので、ここに書いてもよいのだが、一応、空心館オリジナルのものだし、師範のお許しも得ずにあまり何でもかんでもオープンにすることは控えたいので、その詳細を見せることはしないが、こうしたいろいろな動きを本当にいろいろとやることが稽古であり、武術の修行である、というようなことはご理解いただきたい。

 このふたつの動きはいろいろな技に繋がってゆく、と云ったが、つまりこの動作自体は「技」とは云えない。あくまでも技の要素、エッセンスを含んだ動作であるだけで、これだけですでに成立した技法とは云えないのである。
 では、そんな動作をどうして稽古するのか?しかも一つや二つではない。これら二つ以外にもそんな動作はたくさんある。それこそ憶えきれないほどあるのだ。稽古のなかではそれらを毎日、とっかえひっかえ繰り返すのだ。
 それが「錬る」ことであるという。まずはすべての動作を大きく、そしてゆっくりと行なう。この動きを躰に馴染ませてゆく。
 馴れてきたら、その動きの幅をすこしづつ小さくしてゆく。速くしてゆく。呼吸を乗せてゆく。
 そして最終的には、技のなかで遣う。長年かけて積み重ね、錬りに錬ってきた動作のエッセンスがその動きの端端にあらわれ、ただの受けが受けでなくなる。反撃が反撃でなくなるのだ。

 もちろん、そう簡単に巧くはならないし、上記のような段階には容易に行けない。そこへ達するには長く苦しい修行の道があるのだ。決して、二段とばし三段とばしには上がってゆけない階段があるのである。

 なんだか今日も支離滅裂な感じになってしまいましたね。本日の稽古で師匠の口から「錬ってゆく」という言葉は出て、それが妙に印象深かったため、ご報告にからめてこんなことを書いてしまいました。「技」に関してはべつに秘伝視しているわけではないのですが、わたし個人としてはとても重要かつ貴重な教えだと想っているので、すこし大仰に書きました。部外の方は良いように想像しておいてください。

 さてさて明日は、師匠、仕事のため石狩へ行かれるため、不在です。稽古は部長を先頭におこないます。
 ヒマは人はこぞって参加してください。
 肘の痛みに馴れてきた裏部長でした。
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2006年08月30日

藤谷派糸東流拳法空手道紹介B「撓る突き」

 もっこりもこみち、裏部長です雷
 冒頭のことばに意味はありませんわーい(嬉しい顔)思いつきです。別にふか〜い意味があったわけではなく、ただ思いついた言葉をあいさつにしているだけなのですモバQ

 わたしは気まぐれな男なのです晴れ

 とはいえ、速水もこみちはいま売れているそうです。テレビ朝日系列ではドラマ『レガッタ、そして映画では初主演作となる『ラフ』が公開間近となり、最近はいろいろな番組へ宣伝のために出ているのをよく見かけます。わたしの記憶が正しければ、あのひとは最初、TVドラマ版の『逮捕しちゃうぞ』かなにかで無口な修理工の役でデビューをし、どうでもいいような学園ものにどうでもいいような役で出演を重ね、大きく注目されたのが第二弾目の『ごくせん。芝居がようやく見られるものになってきたのは最近ですね。それに応じて人気も鰻昇りになっているようです。

 しかし、あのひとは不幸だなあ、と想う。あのスタイル、あの顔、あの足の長さゆえに不幸だなあと、私なんぞは想うのです。
 だって考えてもみてください。たしかに見た目はバッチリです。あんなに足が長くて顔が小さくて、笑うと真っ白な歯がキラリぴかぴか(新しい)というようなひとは滅多にいません。いわゆるイケメンというやつですね。そういった意味では完璧かもしれません。
 ただしあのひとは俳優です。演じるひとなのです。あの顔で、たとえば、団地に住む主婦たちの下着を盗もうとしているエロ親父の役ができますか?あのスタイルで乞食の役ができますか?おそらく、何をやっても「速水もこみち」。どんな役でも「スラッとカッコいいイケメン青年」になってしまうことでしょう。
 そういった意味で考えると、あのひとのあのスタイルの良さは、俳優としての(もしくは芸能人としての)武器でありながら同時に、彼自身へも向けられる武器になっていると云えます。
 そうは想いませんか?

 前に一度書きましたが、ラジオで有名な日高晤郎さんも同じことをおっしゃっていました。そのひとの特技や長所は、もちろんその道においては戦える武器になるが、しかし同時に、自分を縛る脅威にもなる、と。
 これなんかは武術においても云えるのではないでしょうか。
 たとえば躰がやわらかいひと。こういった人には柔術の関節技があまり簡単にはかかりません。武術においてはどの面に関しても躰がやわらかいということは、願わくば皆がそうありたいと願う好条件です。ですから、躰がやわらかいということはとても良いことなのです。
 しかし、躰がやわらかく、技が容易にかからない所為で、かえって技の効き目を察知する感覚が養われず、受けとしての動きが発達しにくくなるでしょう。躰が硬すぎるのもいけませんが、ある程度は硬さをもち、痛みを感じやすい躰をもつことで、むしろ技からの脱出をおぼえることができる・・・・・・これもその一例と云えるのではないでしょうか。

 今日もまたちょっとカタい話をしてしまいましたが、これもふっと思いついて書いたまでのことです。深い意味はありません。「ああ、そう云われればそうかなあ」なんて位に読みとばしてください。

 さて、今日は稽古がないので、なにか稽古報告以外のことを書こうと想うのですが、書き始めるとすこし長い話になるものばかりなので、今日は日頃のBlogの延長でもって、「突き」に関する覚え書を少少。


 わが空心館では突きの理想を、「腕をムチのようにしなやかに使い、まるでそれはゴム紐のよう、拳はその先に括りつけられた石ころのようにして突く」なんて表現で云いますが、これが目標です。
 私なんぞは温故知新の大好きな人間で、空手をはじめた当初からも、理想は、まだ空手というものが沖縄(琉球)にしかなく、名称もただ「手」としか云われていなかった時代のものが優れていて、現代のものは競技化、スポーツ化のせいですっかり風化してしまった空手であると想っていましたが、どうもそうではないらしいです(一般的な競技空手、スポーツ空手などは知りませんが)。
 というのも、これは師範から聴いた話ですが、写真などの資料を見るかぎり、琉球唐手の突きは、腕をまるで棒のようにして突くもので、たしかに拳は硬く鍛えており、当たれば痛いかもしれないが、受ける側としては受けやすいものであるといいます。たしかに私の手元にある資料写真でも、腕の硬さが見てとれます。
 腕を棒のようにして突くとどうなるか?受け側は相手の腕の肘あたりに手を添えるだけで、突きは外れていってしまいます。これは木の棒をもってやってみればすぐに解ることで、まっすぐに伸ばされた硬い腕は、どこか一点を押さえられるとそこを支点にして方向を変えてしまいますね。突き自体はまっすぐ進んで来るのですから、すこし躰をひらけば当たらないわけです。

 一方、腕をムチのように使いやわらかく突こうとしたらどうなるか?これは、打ち振るわれるムチを手で方向転換させようとするのに同じく、撓りますから、容易に方向を変えることはできません。肘あたりを押さえても、いかんせん腕自体がムチですから、まるで生きた蛇のようにその頭(拳)が内へ入ってきてしまうわけです。しかも拳は石ころのようになっていますから、こちらの躰へ触れた瞬間、瞬く間に弾丸のごとく威力を発します。
 
 この点からしても、腕をムチのようにして突く利点が判ったと想います。もちろん速さも増せば、突きの軌道もそうそう簡単には眼で追えなくなるため、たまに消えたように見えときが出てきます。わたしも師匠や、本部道場師範代のY先生にこの突きを出してもらったことがありますが、どう受けようかと考える前に、人間の防衛本能がはたらき、思わず眼をそむけてしまいました。
 あのとき、拳はたしかに消えて見えました。

 今日書いた突きのポイントは初心者から指導するもので、べつに、すぐに上手くできなくとも、一応門弟諸君は心がけておいてください。意識することで、イメージが変わり、動き自体も変わってゆくはずです。
 明日は体道稽古。はてさて、一体何人来るのやら・・・・・・たらーっ(汗)
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2006年08月29日

またも口伝

 夜半に失礼いたします。裏部長でございます。そろそろと気温も低く安定しはじめ、いよいよ秋か〜といった感じでございますが、こういう季節の変わり目というのが案外あぶない。気温の変化にカラダがついてゆけず、風邪をひいてしまうことがよくあるものです。
 みなさんも気をつけてください。

 今日も雨が降っておりましたが、そんな中にあっても、きっちり稽古をしてきたので、そのご報告をいたしましょう。


2006年8月29日(火)曇りのち雨。夕方から大雨になる。
 午後二時過ぎ、札幌大学1001教室にて空手の稽古。参加者は昨日、稽古が終わってすっかり人気のなくなった教室へ来て、はじめて時間を間違えたことを悟った苫小牧のひと、Hのみ。部長からは音沙汰がない。
 基本ひと通り(其場突き〜横蹴り)。いまだ左肘の痛みは消えないが、しかし今はすこしその捉え方が変わってきている。というのも、左の突きに関しては、知らず知らずのうちにその肘の痛みを躰がおぼえてしまい、よって腕がのびきる寸前に筋肉でその勢いをとめる癖がつきはじめていたのだが、これは百害あって一利なしという戒めをもって、むしろ今は、痛みを感じるほどバシッと突かなくては不安になるようになったのだ。だから今日も、こちらから痛みを欲するが如く、バッシバッシと突いてみる。
 其場で体捌き・内受け・逆突き、逆突きを前蹴りにして同様の動き、猫足立ちになりながら上段受け・内受け・下段払い・逆突き、其場でワン・ツー。
 移動稽古(追い突き、逆突き、追い突き・逆突き、刻み突き、ワン・ツー)。
 約束組手は、利き手による中段追い突きのみ。Hは突き終わる位置の話、わたしは引き手の位置について新たに教わる。
 最後は型。Hは「平安初段」、わたしは「腕秀」。わたしはどうも最近の傾向で、おもに左の突きのあと拳をひらく癖があるらしい。これは早急に直したい。
 四時過ぎ、終了。降り出した雨のなか散会す。


 今日はどちらかといえばオーソドックスな、稽古らしい稽古だったかもしれない。基本をやり移動をやり約束組手をやって最後は型、これが通常の稽古メニューなのだ。
 Hは突きの重みというか、迫力が出てきたようだ。突っ立っている人間をかれが突けば、おそらく軽く吹っ飛んでしまうだろう。しかし贅沢をいえば、まだ少し硬い。それはカラダが硬いとか関節が硬いというような肉体的なことではなく、動作として硬いのである。メインである突きに関して云っても、初動(突き始め)と突き終わりだけに力を張り、そのあいだには脱力して腕をムチのように使えたら、型にしても約束組手にしても、多分もっともっと変化することだろう。

 わたしが今日、新しく教わったことと云えば引き手の位置についてだが、これなどは地味な話だが有効で、かつ変化を促す教えであったと想う。その動きはさほどに複雑なものではなく、よってすんなり吸収することができたが、吸収したあとのほうが大変であった。つまり、それまで普通にできていた一本目の突きのあとの動作が、簡単に行なえるようになったが故に扱いづらくなってしまったのだ。
 こんな話はおそらく、それを体験した当の本人しか解せぬもので、読んでくれている後輩諸君はなんのことだがサッパリという感じだろうが、こういう些細な変化というものは毎日の稽古のなかに沢山あふれている。たとえば手の位置、足の位置、膝の曲げ具合、躰のライン、呼吸、可動域の使い方。それらの、数ミリ単位の動きの話が、それまで知ってはいたが使えずにいた動作を可能にするのだ。
 往往にしてそんな教えを「口伝」というのだろう。わたしはそう想う。

 今日といい昨日といい、あまりにも稽古が淋しすぎるぞexclamation部長、生きていたらちゃんと連絡を入れなさいexclamationほかの門弟諸君も、夏休み中はここ数週間のBlogを読んでもわかるように、参加人数が少ないから、密度の濃い稽古をするチャンスなんだぞexclamation気張って来なさいよexclamation雨でも、雷が鳴っても、気合いを入れて来なさいよexclamationH君を見習いなさい。あのひとは昨日も今日も雨に濡れて帰ったんだから・・・・・・もうやだ〜(悲しい顔)

 明日は稽古休み。みんなも気温の変化と体調にはじゅうぶん気をつけてください。
 裏部長でした。
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2006年08月28日

腰と柔らかさと私

 おばんです。裏部長です。残暑きびしい今日このごろ、みなさんはいかがお過ごしでしょうか・・・・・・なんて、こりゃ本州以南の話。今日の北海道はきのうまでの暑さがウソのようにすっかり涼しく、しまいにゃ雨は降るはトンボは飛びまわるはで、すっかり秋の装いです。こんな気温が続くようだと、そろそろ半袖をしまう準備をしなくてはなりません。
 なんだかんだと云っても、やっぱり北海道の夏は短いのですね。

 S呂くんのことをもっと知りたいという隠れたS呂ファンのために少しその情報をアップしておくと、彼は車好きです車(セダン)走ることが大好きなひとです。ここ最近のガソリン値高騰に嘆いている人のひとりです。ヒマがあると峠を攻めます。攻めすぎて事故ったこともありますむかっ(怒り)
 彼が自動車とおなじくらい真剣にとりくんでいるのが武術です。まあ、特にといえば空手でしょうね。青春をつぎごんで頑張ってますよ。若いのにノジョも作らずせっせと稽古に来ています。ファンの方はかれを応援してあげてください。
 さて、S呂くんの書き込みにあった突きの話ですが、その関係にあるちょっといい話を今日の稽古で仕入れてきたので、そのご紹介もかねて、本日の稽古報告と参りましょう。


2006年8月28日(月)曇りのち雨。すっかり肌寒い。
 午後二時過ぎ、札幌大学1002教室で空手の稽古。参加者はわたしだけ。ここ最近はなかったことである。
 師匠と差し向かいで稽古。基本は、まず廻し蹴りまでやり、それから手廻しをし、そして横蹴り(おそらく師匠は、まだ左肘の痛むわたしを慮り、刻み突きと裏拳打ちを外してくれたのであろう)。
 移動稽古(追い突き、逆突き、追い突き・逆突き)。狭い教室のため、あっさりとやる。
 後半はもっぱら質疑応答。以前にもあったこういう師匠と差し向かいの二人ぎりの稽古では、正直云ってあまりやることがない。後輩がひとりでもいればそのひとに合わせて、たとえば型をやるとか、約束組手をするという内容を用意することができるが、私しかいない場合、型は先日来やっているし、其場でやる動作や移動関係は改めてやってもあまり意味はないし、約束組手はただの確認で終わってしまうため、発展的な稽古ができないのだ。
 とはいえ、せっかくの場なので、いろいろと質問をする。
 空手における「相抜け」の話。膝のやわらかさ腰は入れない、構えたままの形で前進する、ゆったりとした速度、そこからの反撃などなど。
 の話。前手は動かさない、指先もしくは手刀部分を相手の腕に沿わせ、その勢いを躰へ伝えて外す、相手の突きを弾かない、押さない、膝・腰・前手の揺れ、その体感etc.
 いくら待っても誰も来ず。汗もすっかり乾いてしまったが、それは動きとして激しい稽古をしなかっただけで、思い返せば高レヴェルの話ばかりであった。
 四時半、終了。雨のなかを帰る。


 「相抜け」というのは専ら古流の剣術のなかで使われる用語で、相手が攻撃してくる、それに対してぶつからず、まるでその脇を素通りするかのように抜けてゆく技法を云う。わが空心館においてもこの「相抜け」という技法は存在し、むろんのこと突きなどに対して行なう。まあ、稽古のなかにおいて正式にやるのは、その門人が二段か三段くらいの腕前になってからで、よって今日の話題はかなり高いレヴェルにあったわけだが、しかしそこから得られる示唆は、現在のわたしの動きへ影響を及ぼすに十分であった。

 今日教わったことはそれこそ口伝の名に相応しいほどの細かい話ばかりで、特にこの「相抜け」に関してはわたしも、今はまだ感覚的ないし視覚的に捉えているだけなので、それをそっくりそのまま文章にするのは難しいのだが、ただその中にあって、先日の『矛盾』の話とリンクする部分があったのでそれをご紹介したい。
 わたしが矛盾だと云ったのは腰の使い方であった。これまではとにかく突くときは腰を目一杯ふって(まわして)突けと教えられ、実際そうしてきたわけだが、ある時期になると今度は「腰を廻さずに突け」と云われるようになる。こんなの矛盾してるッ!と書いたわけだが、その廻さない腰とそこから生まれる動作およびその威力ないしスピードは計り知れないものがあるというのだ。

 腰を振ると、振りきるのに時間がかかる、腰を振っているわけだからそれだけの幅ができる、大きく振り出せばも出てしまう、突きは腰の動きとリンクするわけだから、出した腰のほうの拳で突こうとすると、また大きく振りもどさねばならない。相手の攻撃に対する受けにおいても同様で、たとえば相手がこちらの中段(水月)へ追い突きをするとして、これを、こちらは構えた足の位置をほとんど変えず、上半身(または膝までの下半身)をやわらかくつかって正中線を外し、突きを逃がす。このとき、右腰は後ろへ逃げているわけだが、そこからその腰を相手の右体側へ入れ、相手の斜め後方へそのまま抜けてゆく。これがいわゆる「相抜け」なのだが、これまでの「腰を振って突く。腰をまわして受ける」という動きをもってこれをやれば、動作がどうしても大振になり、相手とぶつかることになる。これは実際にやってみればすぐにわかることだ。
 では、相手の側面へ自分の躰すべてを通りぬけさせるにはどうしたらよいか。それは、「腰を廻さない」ことだ。腰を切らないと云ってもよい。つまりは構えた状態の腰の形をほとんど変えに、後ろ足をいわゆる抜き足差し足のようにして斜め前へ差しいれるようにして抜ければ、相手とぶつからずに済み、結果、「相抜け」となる(理論上はそうであるが、この技は相当な修練が必要で、茶帯風情が興味半分でやる技ではない)。
 つまり、これまでやってきた、目一杯腰をきって行なう突きや受けの速さもしくは威力を前提にしたうえで、今度は腰を切らない、廻さない。行なう動作としてはただ、腰全体を前へ押し出ということくらいだ。これをする。
 この腰の使い方ができれば、空手におけるほとんどの動作が様変わりする。
 その順番はこうだ。まず突いてくる相手へ対する受けが変わる(「相抜け」の要領。腰のふりを徐徐に小さくしてゆく)→受けが変わると反撃の仕方も変わる腰をまわして突かない腰の前進で突く)→反撃が変わるとン・ツー、つまり刻み突き・逆突きのコンビネイションが変わる(いちいち腰を切って突かない。逆突きで腰の前進を)→ワン・ツーが変わると逆突が変わり、逆突きが変わればい突が変わる追い突きの変化がいちばん難しい。この突き方における腰の使い方を変えられれば相当なものだ)。
 
 なんとも説明不足で、今日の稽古を見ていなければまったく解らぬような文章で申し訳ないが、そんなこんなで、腰の使い方ひとつで突きがまるっきり変わってしまうのですね。突く位置とか、それは当たればいいのか当たって倒れなくちゃ意味がないのか、なんてことは超越しちゃって、腰の使い方が自由になってくれば(上記のように使えるようになったら)、拳が当たれば腰を入れて突きこむ、当たらなかったら腰は出さず、次の攻撃につかう、なんて話になってくる。
 つまり、自由自在なのです。はあ、早くそんなレヴェルになりてえなグッド(上向き矢印)

 わたしの今日の収穫は、「相抜け」に関する知識を得たことと、自分のえと受け方のコツを仕入れたことです。前者はただ参考にするだけの話ですが、後者は明日にでも試しながら吸収したいものです。全身足の底から指のさきまで柔らかくつかって受ける、なかなか出来るものではありませんが、そろそろ私はそれをやらねばならぬようです。
 
 今日はさびしい稽古になりましたが、明日からはおそらく、活気と熱意にあふれた後輩諸君がこぞって稽古に参加してくれることでしょう。そして稽古のあとはこぞって、このBlogにその日の感想や疑問なりを書き込んでくれることでしょう。
 この意味、わかってください、いい加減・・・・・・もうやだ〜(悲しい顔)

 では、明日稽古で。雨が降らないことを祈る裏部長でした。
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2006年08月27日

藝人たるもの記憶で語れ

 さくら〜ふぶ〜きの〜・・・というわけで、いいですなあ。24時間テレビ。みんなは見てるかな?平成教育委員会なんか見てるんじゃないの?WOWOWで「夢人島Fes.2006」?だめだめ!世界を愛で救うんだからexclamation最後はみんなでサライを唄うんだからexclamation×2
 しかし、それにしてもあの武道館の客席はどうにかならんのかね。よーく見るまでもなく、何処も彼処もKAT-TUNのファンばっかりじゃないか。あの六人を見るためだけに押しかけてる輩じゃないか。みんなでチャリティを、みんなの愛で世界を・・・・・・なんて云っていながら、最終的にジャニーズのコンサート状態でどうにか盛り上がっている態を装ってる。あれさえなければもっと番組の評価も上がるのだろうが、なんとも残念である。

 さて今日は稽古がなかったので、そのご報告はなし。ただその代わりと云ってはなんだけども、少しだけをさせてください。
 それは昨夜のBlog。自分の書いた文章にはいくつかがありました。約束組手は中段追い突きだけではなく、その前に上段への刻み突きを左右やりましたし、移動稽古のなかでは、相手の中心をとる対人稽古もやりました。これはまったくもって私の失念というかド忘れというか、さほど集中もせずに書いたための結果であり、数えきれないほどのひとの眼にふれるBlogに書くこむには甚だ軽率であったと想います。改めてここに陳謝いたします。
 ただ意見なんかはあのままで、撤回する必要はないと想います。ま、あれで怒るひとなんざいないと思いますがね。

 でもね、こういうことはよくあるのよ。自分はなんでも記録を見ずに記憶で書くタイプなので、あとで読み返すと辻褄があっていない箇所がたくさん見つかる、ということは日常茶飯事なのです。
 しかし、それが藝人というものだといいます。ラジオで有名な日高晤郎さんも常常云っておられますが、知識は知識として吸収して、そして一度忘れてしまうのが本当なのです。吸収して呑みこんで、あとは躰に残った感覚で藝にむかいあうのです。
 われわれの場合、その藝とは武藝、つまり武術ですね。考えてもみてください。武術が必要になるときなんてえのは、ふいに訪れる実戦の場でしょう。街なかで突然、見ず知らずのひとに襲われる、そんなときに防衛のために用いるのが武術です。そんなときに、いちいち知識や記録に頼ってたたかえますか?
「ちょっと待って。いま確認してくるから」なんて云って、自分でつけている技のノートを読み返しながらたたかう人はいません。ポカンとして見守ってくれる敵は映画や漫画のなかにしかいません。

 まあ、あまり意識しているわけではないですが、私はそんな理由で、武術においても文章においても、記憶でやるようにしています。いわば感覚、気持ですね。だから昨日のBlogのように事実が抜けていたり、順序が合っていなかったりすることもあります。そんな記事を見つけたら見つけ次第わたしのほうで、あとできちんと訂正します。
 だから門弟諸君はもちろん、このBlogをご愛好されている方は、毎日かかさず読んでね黒ハート(結局、宣伝かよッ!)

 明日からは新たな一週間。九月からは稽古時間などが変わり、曜日も「月、水、木、金、土」の週五日となり、夏休み中は午後五時から七時まで、夏休み明けからは通常どおり午後六時から八時までになります。
 北海道の冬はきびしい寒さが当たり前ですが、そんななかでも弛まぬ稽古を続けてゆきましょう。
 最近、またダイエットをはじめた裏部長でした。
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2006年08月26日

武術であるということ

 うー、うー、うー。ああ、思いつかない!駄目だ、おれには無理だー!!
 というわけで、今夜からアニメ台詞でのあいさつを中止します。ごめんなさい、もう思いつきません。勢いでこんなことを始めましたが、よくよく考えてみると、私はアニメそんなに詳しくないのよ。みんながすぐにそれと判るような台詞なんて知らないもの。ね、この苦しみわかってよ。
 ま、わたしのそんな書き出しに興味を持ってくれているひとなんかいないと思うので、独断で今日からふつうのあいさつに変えさせてもらいます。

 今夜から始まった二十九回目の「24時間テレビ」、メイン・パーソナリティはいま人気のKAT-TUNということで前評判もたかく、そのせいですっかり影が薄くなっておりますが、フジテレビ系列では女子のバレーボールが凄いですよ(まあ、こっちもジャニーズは絡んでおりますが)。今年の全日本はつよい!よく拾うし、それによく防ぎますよ、相手のアタックを。ここまで粘り強くなるにはそりゃ大変な苦労をされてきたのでしょうね。応援したいものです。

 さて、今日も稽古をしていたので、まずはそのご報告から。


2006年8月26日(土)晴れ。薄れてきたとはいえ、やはりまだ暑い。
 午後二時半、札幌大学1001教室にて空手の稽古。参加者は、苫小牧っ子のHと有望なる後輩・S呂。もちろん師匠も参加。
 基本は受けまで。すぐに移動稽古へ移る。追い突き、逆突き、追い突き・逆突き、前蹴り・廻し蹴り、横蹴り、相手を前に立たせて、五連続(刻み突き〜前蹴り〜逆突き〜一歩踏み出て下段払い〜逆突き、相手の前足を刈ってから上段追い突相手の前手を足で払って上段追い突、同じ払いからそのまま横蹴り
 後半は型。Hは「平安初段」、わたしとS呂は「腕秀」をやる。
 ここで師匠は早退。残りの時間は約束組手(利き手による中段追い突き)。Hは現状維持といった感じ。S呂はなかなか安定してきている。突きの焦点、腰の引き、足の運び、少しづつではあるが矯正されているのではないだろうか。しかし、試しに受け側をそのまま下がらせ、相手にどんどんと突かせる稽古をすると、二本目以降は突きが定まらない。これは皆おなじことで、二本目三本目がきれいに突けるまでにはまだ道が長そうだ。
 四時過ぎ、散会。


 本当は、今日のBlogではこれといって書くことはない。何故といって、今日の稽古で得たものがほとんど無かったからだ。刺戟がなかった、とも云える。後輩たちにとってはどうだったかわからないが、私にとっては基本も移動も型も約束組手も、すべてが現状維持であった。よって、そこに新たな発見や研究心をかきたてられるような刺激はない。無論、それを受けて書く内容もないわけだ。せっかく愉しみに読んでくれてるひとには申し訳ないが、たまにこういう稽古はある。上へ上へとつづく階段の、そのステップに立ち止まって、ひと息いれてるようなこんな時期には、こうした感じの稽古も仕方がないのだろうとおもう。みんなにも経験があるんじゃないかな。

 といって、吸収したものがなかったというわけでもない。先日、師匠にお渡しした、ある護身術の本に関して、たとえば相手がナイフのような武器を持っていた場合のこちら側の構えについての教えなどは、今日はじめて聴いた内容もあり、云い換えれば今日の稽古がなければ知りえなかった知識だとも云えるので、その点はよかったと思う。しかし、それは知識の習得であって、武術的技術の修得ないし向上ではない。だって武術って感覚でしょ?躰でおぼえて、躰で行なうものでしょ。だったら、知識を得ただけで喜んでちゃいけない。知ったつもり、巧くなったつもりになってちゃいけない。

 そんな厳しいことを自分自身に云いながらTVをつけると、黄色いTシャツが眼にはいった。毎年恒例の24時間テレビ。今年のテーマは「絆」だそうだ。振り仮名は「キズナ」となっているが、これは間違い。絆とは、相手と自分をつなぐ気持の「綱」という意味だから、仮名をふるなら「キヅナ」とするべき・・・・・・あっ、また知識が出た。こんなこと知っててもなんの徳にもならない。
 24時間テレビでは毎年、九時過ぎに二時間ほどのドラマが放映される。今年はKAT-TUNの亀梨和也主演で、全身の骨が溶けるという難病にかかった少年の実話をドラマ化したという。
 配役といい、題材といい、まさに24時間テレビらしいと思うが、しかしこれらのドラマを見るたびに、わたしは勿体無いとおもう。せっかくのゴールデン・タイム、しかも24時間テレビという特別な枠で二時間、TVドラマとしては好条件といえる環境なのに、どうして毎年ドラマらしくないドラマを作るのか?お泪ちょうだいの題材ばかり選ぶのか?
 これは故・伊丹十三監督も云っておられたが、障害とたたかう人たちを応援するといって、難病にかかって死んでしまった誰かをドラマに描くのは、フィクションの性格として不成立である。難病の恐さや、それと闘い、悲しくも死んでいったひとを描けばなにかを伝えられると思っているのかもしれないが、その深刻さを伝えたいのなら、実際にいまその病気と闘っているひとを追ったドキュメンタリーを作ればよい。そのほうがリアリティがあるし、また逆にフィクションとしてどうしても製作したいのなら、実話にはない何を加えなければならない。
 たとえば、大雑把にいって、「ただの悲劇にしない」「深刻にしない」「病気や障害を全面に出さない」「お泪ちょうだいにしない」「娯楽性をもりこむ」「悲劇による泪ではなく、ハッピーエンドを迎えたその感動で泪をさそう」・・・・・・これらを全うすることがフィクションとしての二時間ドラマを成立させる間違いのない方法だろう。製作者たちは考えてもらいたいとおもう。

 どうしてこんなことを書いたかというと、このフィクションらしさというようなものが、おなじく武術にもあると思ったからだ。つまり、武術らしさというものである。それは突きにも、蹴りにも受けにも、投げ技などにもあるもので、私たちはそんな武術らしさを学ぶために稽古をする。刺戟があろうがなかろうが、発見があろうがなかろうが、日日の稽古を続けるのである。

 実はこれ、最近怠け癖のある自分に対して云っている言葉なのです。左肘の痛みがいまだ治らず、満足な稽古ができないために、フラストレイションが溜まっているのでしょう。読んでくれたひとは、あんまり気にしないでね。
 こんなときには言葉を励みにしましょう。日本伝天心古流拳法初目録のなかにあった歌を最後に書いておきます。

  「稽古には 清水のすえの細々と 絶へす流るる 心こそよき

 心を改めたい裏部長でした。
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2006年08月25日

見る―真似る―盗む

 ったく、気障な野郎だぜ。おれだよ、裏部長だよ・・・・・・飛ばねえ豚はただの豚だ。
 たまにはハードボイルドに始めてみました。新作『ゲド戦記』はあまりお客が入っていないようです。まあ、そんなことはどうでもいいですが。
 改めましてこんばんは。ようやく北海道の夏も終わりにさしかかってきました。風も涼しいし、気温もさほど上がらなくなってきて良い天気です。もうすぐ秋が来ます。
 さて今日は師匠不在ながら稽古をしてきたので、そのご報告を忘れないうちにやっときましょうか。


2006年8月25日(金)晴れ。よい日和である。
 午後二時過ぎ、札幌大学1002教室にて空手の稽古。参加者は部長と有望なる後輩・S呂、中国拳法のS浦。師匠は不在。
 本日借りた教室にはプロジェクターがあり、ヴィデオなどを見ることができるため、まずは私が持ってきた過去のVTRなどを見る。一本は今年の三月、わたしと師匠のみで行った栃木遠征の稽古風景。最後に師匠と、おなじく本部道場師範代のY氏との組手を中心に見る。S呂、あらゆるところで感嘆の息をもらす。
 次に、平成三年というから今より十五年前の映像。これは師範ともうひとりの師範代で、うちの師匠の上に位置するI氏、現在は指導もされている長身のO氏の三名が、空心館にしかない技法(通称「技」)を演武しているVTRで、部長などもじっくり見たことのないI師範代の突きなどを見る。
 少し遅れてやってきたS浦。NHKで三年ほど前に放送された中国武術大会のヴィデオや、つい先日の演武大会のDVDなどを持参する。これらも見る。S呂、しきりと競技者たちの高い跳躍力と柔軟性に驚く。
 気づくともう四時になろうとしている。慌てて支度をし、稽古開始。
 基本は受けまで。そのまますぐに約束組手へ移る。
 最初、わたしとS呂、部長とS浦、次にわたしとS浦、部長とS呂の組み合わせでおこなう。
 S呂、先ほどのVTRで見た師範代たちの動きをイメージして突いてくる。これがなかなか良い。視覚的に得たイメージを体内で具現化し、真似してみた結果、これまで出てこなかった速さやテンポなどが自然とにじむようになったのだ。見るということはよい稽古になる。
 S浦には、極力相手とぶつからない受け方を指導する。
 五時過ぎ、あれやこれやと談笑してから散会する。


 「藝は盗め」とよく云う。落語などでもどうだし、芸者の世界でもまともに教えてくれる師匠などいやしない。みんな、蔭から師匠の動きを見、それを真似するところから修行をはじめるのだ。
 武術も「武藝」というくらいだから、やはり多分にその要素はあると思う。つまり、盗むということが上達に繋がるといえるわけだ。盗むとは真似ることであり、真似るためには師匠の動きを見なければならない。これは簡単にできるようで、そうそう容易いものではない。そんなことが大切だなんて、気づいていないひとも多くいるのではないだろうか。
 私は師匠のもとへ入門したとき、同期で入った部長にライバル心を持っていた。なぜなら彼は高校時代、空手部に所属して競技モノながら空手をやっていたわけで、突きにしても蹴りにしても私より数段巧かった。正直まったくと云ってよいほど敵わなかった。わたしはそれが口惜しかったから、自宅に帰ってからも毎日欠かさず自主稽古をした。そしてそれ以上に、師匠の動きや言葉、その一挙手一等足をもらさぬように観察した。
 それが現在に繋がっている。今日S呂にはやってみたが、たとえばVTRの中にあったY師範代の追い突き、I師範代の追い突き、O先輩の追い突き、師匠の追い突きをわたしは真似してやることができる(ただの物真似だが)。こんなことが出来るようになったのも、師匠の真似をするようになってからだ。

 武術において、見る―真似る―盗む、という過程はとても重要である。なかなかやれるものではないが、門弟諸君は日頃から励んでもらいたい。稽古のなかで師匠がやっている動き、その手の形や膝の曲がり具合、指先の柔らかさ、突いたあとの姿勢、声の出し方、視線の送り方・・・・・・自分以外のたれかへ師匠が指導をされているときも油断してはいけない。稽古で師匠が発した言葉はすべて自分のためである、そう想って修練しましょう。

 明日は師匠も参加しての稽古。部長がいないので、S呂くん、休まず来てください。
 裏部長でした。


 
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2006年08月24日

反射してますか?

 こんばんは、裏部長であります。あっ、とうとう現れたな!コラッ、待てい、ルパ〜ン!!
 というわけで、今日もアニメの台詞からスタートです。誰のセリフかはもうわかってるよね。そう、あのひと。あの警部。どんな目に遭っても決して死なないタフなおじさんです。追われているほうも大変ですが、追うほうはもっと大変でしょうね。そのうち走りすぎて死んじゃいますよ、きっと。

 さて、今日は木曜日。木曜日といえば体道稽古ということで、まずはそのご報告から。


2006年8月24日(木)晴れ。気温、たいぶ下がってそろそろ夏バテが来そうな日和。
 午後二時過ぎ、札幌大学1001教室で体道稽古。参加者は部長と、苫小牧出身のHのみ。師匠は会議のため、少し遅れて到着。
 部長は日本伝天心古流拳法免許之位から「小手担」「後抱取」「後取」の三本、Hはおなじく天心古流の初伝中段之位から「両山嵐」「片山嵐」「鉈裏投」の三本を、わたしは浅山一伝流体術から「込之抱」「帰投」「山脈取」の三本を教わる。
 Hらが「両山嵐」という技に苦戦する。これは、合気道でいうところの四方投で、相手がこちらの両手を前から自分の両手でもってつかんでくる、そこから相手の腕のしたを掻い潜るように回転し、相手をエビゾリに反らせてそのまま前へ投げてしまう技だが、どうも投げる段になって相手の崩しがうまくゆかぬ。原因はいろいろとあるのだが、その対処法がいまいちよく見えず、師匠もしばし苦慮。
 最終的には、捕りの動きも未熟ながら、それ以上に、受けのほうが妥当な受身の方法を知らず、また床がコンクリートのため怖がり、無意識のうちに投げられまいぞという姿勢になっていることが流れを滞らせている原因であると解った。
 われわれの柔術の稽古はまず型ありきで、特別に受身だけを稽古するということはない。私なんぞは合気道をやっていたときに厭というほど畳のうえを転げまわっていたから何ともないが、柔術関係の経験がほとんどない後輩たちにはやはり難儀なのだろう。師匠もこれからはその指導方法を考えるといっていた。
 稽古後、わたしが興味を持っている或る総合護身術の本を師匠へわたし、意見を乞う。師匠、そのなかに載っている技の連続写真を見て、すぐさまその問題点、技の不成立を指摘される。
 五時過ぎ、終了。


 受身の問題に関してはすでに以前にもこのBlogに書いたが、とても難しい話である。わたしは合気道をやっていたときに受身はうるさいほど教わったし、ふだんの稽古のなかで当たり前のように飛んだり倒れたりしていたから、空心館の体道稽古をはじめるに当たっても、たとえそこがコンクリートの床であったとしても、あまり悩むことなく受身をとることができたが、わたし以外の門弟、つまり後輩たちのなかには、そういった経験をしている人間がほとんどいない。受身の稽古をしていない人間が多数いるのである。
 受身とは、ただ投げられるとか押さえられるという「動的役割」だけのものではない。相手の技をうけて自分の躰が傷ついたり、それによって致命的な怪我を負わないためにおこなう防衛手段のひとつであり、これも立派な武術の技だといえる。そんな経験を抜きにいろいろな技を稽古したのでは危ない。これは気づかねばならぬ問題であった。
 
 しかしながら、本部道場でもとりたてて受身だけの稽古をやっているわけでもないし、そのせいで怪我をしたとか、技がどうしてもできない人間が出ているわけでもないから、師匠がその修行システム(受身や構えなどの初歩的指導はやらず、実際の技や型のなかから学んでもらう)を踏襲したのはなにも無謀なことではない。むしろそこには先達たちの修行の証があるわけで、そんな達人たちへ近づきたいのなら私たちもそれに従うべきなのだが、要はその稽古方法ではないのであろう。
 大切なのは、「反射できているか」、これに尽きる。

        「反射してますか?」 

 これは映画監督の溝口健二さんがよく俳優たちにかけていた言葉です。その意味がわかるでしょうか。
 俳優たちは演技をするとき、台本にあるセリフをおぼえて現場に臨みますね。そのとき、たとえばひとつの部屋のなかに五人の男女がいて、これから始まる夏休みの計画について、あれやこれやと話し合っている・・・・・・こういった場面があるとして、彼らは「用意、スタート」の声とともに、一斉に話しはじめるわけです。
 もちろん喋るのは台本に書かれているセリフです。決められたことばを決められた順番で決められた感情にのせてしゃべる、これが彼らの仕事であるわけですが、ヴェテランや有能な俳優以外はどうしてもこれが段取になってしまう。何気ない会話のシーンなのに、どういうわけか、学芸会で演技をしている高校生のように、決められた順番に従って話している、といった雰囲気になってしまうのです。
 これは無理もありません。なにせ喋ることばも順番も決められているわけですから。俳優たちの心のなかでは、「Aが喋ってBが笑って、Cを黙らせてDが突っ込んだあとに俺のセリフだ」なんていうナンバリングがされていて、演技をしながらその順番を待っているのです。そして自分の番が来ると、待ってましたとばかりにその短いセリフを嬉嬉として云うのです。
 これが当たり前なのです。実際にやってみればわかります。そうしないと長いシークエンスなど演じられるものではありません。それは、仮に「プロフェッショナル」と呼ばれているひとたちでも同様です。

 しかし、これって変じゃありませんか。だって、日頃わたしたちはそんなこと考えて喋っていないもの。数人で集まって世間話をしているとき、あいつが喋ったから今度はおれが、なんて計算をして話すひとはいないでしょう。ただ単純にひとの話を聴き、頷き、たまには驚いて、そのうち自分の意見が思いついたので、「でも、それってさ」なんて云いながら割り込んでゆく。
 これが当たり前です。つまり、相手のことばに対し、無意識のうちに「」をしているわけです。
 溝口さんはこれを俳優たちに確認したのです。「あなた、ちゃんと反射してますか」ってね。

 今日の稽古で出た受けの話をうけて、私はふいにこんな話を思い出してしまいました。あんまり関係はないかもしれないけど、武術における捕りと受けの関係も、考えずに反射できる間柄でありたいものです。

 明日は師匠不在のため、自主的に稽古します。来られるひとはぜひ来てください。
 裏部長でした。
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2006年08月23日

スーパーな男

 おっす、おら裏部長手(チョキ)(ネタが尽きたので、今日からはアニメ特集です)。
 いよいよ札幌支部の本丸ともいうべき師匠の書き込みがありましたね。ようやく形が整ってきました。やっぱり師匠が書いてないと締まりません。それに、なにかあればすぐに答えてくれるということがわかれば門弟諸君もどんどん質問などができるでしょう。
 有意義なBlogになりそうです。

 師匠がおすぎさんへ宛てた回答などは興味ぶかいですね。まあ、そのほとんどは日頃の稽古で教わっている内容そのものですが、たとえば、稽古においては、受けのときは受け100の突き0、攻めるときは突き100の受け0という比率でやってみろ、とかいう言葉は、当たり前のようでなかなか気づけぬものです。受けのときは相手の攻撃すべてを呑みこむような心持で構え、突いてゆくときは構えた時点でガラッとスウィッチを入れ替えて火の玉のようになって相手の懐へ飛び込んでゆく・・・・・・そんな稽古を心がけたいものです。
 
 さてさて、私はというと、今日は仕事終わりに友人と会い、札幌シネマフロンティアで映画を観てきました。
 観たのは、『スーパーマンリターンズ』(アメリカ映画2006)。云わずと知れたあのシリーズの続編で、五年前に突然いなくなってしまったクラーク・ケントことスーパーマンが地球へ帰ってくるところから物語は始まります。
 正直なところ、私はあまり期待をせずにいたのですが、観てみてびっくり!まあなんと面白かったことか!まさに圧巻です。呆れるほど愉しく、アクション・シーンでは開いた口が塞がらないほどの迫力におもわず笑ってしまいました。綻びのないCGやVFXをふんだんに使い、前シリーズなんかは足下にも及ばないほどスケールの大きな作品になっています。あんな映画を作られたんじゃ、日本映画など、逆立ちしたって太刀打ちできません。

 しかし、みなさんは知っていましたか?私もあんまりこの手の作品には詳しくないので今日はじめて知ったのですが、スーパーマンは空を飛べるだけではないのですよ目
 まず彼の眼からは光線が出ますー(長音記号1)赤く細いが強力な光線がビューってなもんで凄まじく出る。空から降ってくるコンクリートの破片だとか地表だとか、そんなものは軽く貫いてしまうほどの光線が、両眼から出のです。
 加えて、すこし強く息をはけば、それは冷気となり、迫り来る焔なんぞをあっという間に消してしまう。水に濡れてもすこし飛びまわれば乾く。スーツの下にあの全身タイツみたいな恰好をしているのに、いつも汗ひとつかいていない
 そんなこと以上にわたしが驚いたのは、彼に透視能力があることです。あのひとはどんなものでも透かして見ることができるのです。だから、好きな女性が家のなかで料理をしているところやエレベーターでビルの屋上へ上がってゆくときなんかも、まるでレントゲンのように見える。その倍率もあいつのサジ加減ひとつですから、もっとその度合いを強くすればもちろん彼女のアレなんかも見えちゃうわけで・・・・・・黒ハート

 いやあ、いいですな〜グッド(上向き矢印)こういうヒーローものの映画を観ると、男の子なんぞはやっぱり「俺にもこんなチカラがあったらなあ」なんて考えるものですが、今日のわたしもそんな風でした。もし自分にスーパーマンの能力すべてが備わっていたらどんなに良いだろう。あんな風に空がとべて、あんな風にいろんなものを覗き見、じゃなくって透視できればどんなに愉しい人生が送れるだろう。そんなことを想ったわけです。
 しかし、たぶん無理でしょうねえ。いやよしんば明日、朝起きてわたしがクラーク・ケントになっていたとしても、恐らくスーパーマンにはなりますまい。だってスーパーマンはヒーローだもの。正義の味方だもの。市民たちの英雄はその能力を悪用したりせず、ちゃんと毎日おこたらずに困った人たちを助けるわけでしょう。だからヒーローなんで、力を得たそばから銭湯とか女子校へ行って、あんなことやこんなことをしようなんて考えている人間は、きっと悪魔に魂を売り渡したデヴィルになってしまうのです。その躰は醜く変形し、ガラガラとしただみ声でヒロインをいたぶるような小悪党に成り下がってしまうのです。

 そんなことを想うと、スーパーマンも楽ではありませんね。私たちはやっぱり普通の人間でゆきましょう。超人的な能力なんてない、だから毎日、地味な稽古でもつづけて、武術を修行する人間でゆきましょう。そのほうが合っているのです。やれ体力が続かないだの、やれ肘がまだ痛いだのとブツブツ云いながら今日も胴着をきて汗を流す。そんな毎日でゆきましょう。

 明日は体道稽古です。
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2006年08月22日

怠惰はカラダのためならず

 こんばんにゃん、裏部長でやんす。ああ、そろそろ挨拶の仕方もネタが尽きてきた・・・・・・。
 今日の札幌は、雨が降ったとおもえばすぐに晴れて、傘をしまったらまたポツポツ降ってくるという、なんとも不安定な天気で、過ごしやすいんだか湿気が鬱陶しいんだか、よくわからない一日でした。やっぱり、暑くてもいいから少しはカラッとしている天気がいちばんですねぴかぴか(新しい)

 おすぎさん、ランキングの順位が少しづつ上がっているそうで、何よりです。ただ、まだそのページの最初にないのが口惜しいな。次のページに行かなきゃ見らんないんだもの。できるなら、ランキングの画面になった途端にわれわれのBlogのタイトルが眼に入るようにしたいものです。
 突き(攻撃)と受け(防禦)の比率に関しては、近いうちに師匠から回答があるでしょうが、私としては最初は五分五分、しかしそのうち、受けのウェイトが攻撃を凌駕してゆくような気がします。
 師匠の構えを見てください。両手ともに開いています。あれは防禦の構です。私たちのやっているような、拳を握る構えはまだ撃(反撃)の余地を残している構ですね。相手の攻撃を受けるか捌くかして、そして握っているほうの手で反撃を加えるわけです。
 それが普通なわけですが、レヴェルが上がってゆくうちに、基本的にはちらから仕掛けないようになります。あえて突きこむ隙を見せて相手に攻撃させ、それを捌いて制してしまう。投げてもよし、押さえてもよし、もちろん改めて拳を握って反撃してもよし。
 結局、受けというものが反撃(攻め)をも含んでしまって、パッと見、受けだけになります。
 おそらく、それが理想なのでしょう(あまり真剣に受け止めないでね。間違ってるかもしれんからがく〜(落胆した顔)

 さて、今日も稽古をしてきたので、とりあえずそのご報告から。


2006年8月22日(火)曇りときどき雨。中途半端な天気である。
 午後二時半、札幌大学1001教室にて空手の稽古。参加は、苫小牧出身のHのみ。ひさしぶりの参加である。
 基本稽古ひと通り(其場突き〜横蹴り)。
 移動稽古(追い突き、逆突き、逆突き・前蹴り、逆突き・逆突き、追い突き・逆突き、足を出して刈る・そのまま追い突き)。裏部長、不覚にも基本稽古の時点で体力を使い果たし、フラフラのていでどうにか附いてゆく。
 後半は型。Hは「平安初段」を、わたしは「腕秀」を。
 わたしの課題は、猫足立である。前足の位置、後ろ足の向きなどをかなり厳密に直される。そろそろ黒帯が近づいてきているため、自然とその指摘内容も細かくなる。
 四時過ぎ、終了。小雨のなか、散会。


 猫足立ちにおける課題の対処法としては、出す前足はこれまでより外へ、蟹股ふうに出してみる(思い切って股間をひらくイメージ)、後ろ足(膝)を真正面へ向ける、その形で受けたり突いたりしてブレない位置をさが・・・・・・などがあるだろうと思われる。しかしこれらはいづれも私の体内の感覚なので、しごく不明確で、うまく出来ているかは未だわからない。

 しかしまあ今日の稽古はしんどかったもうやだ〜(悲しい顔)なにせ基本稽古を最後までやったのは久しぶりであったし、暑さも加わって、移動を始めるころにはすっかりヘロヘロになっていたのである。だからそのあとの稽古はついてゆくのが精一杯で、正直あまり良い内容ではなかったとおもう。
 こういう稽古を経験すると、やっぱり「怠惰はカラダの毒である」と痛感する。怠けた結果はほとんどの場合、下半身に出る。足腰の鍛錬というものは一様にして辛いもので、自主稽古などでは避けてしまう傾向がつよい。自然、あっという間に衰えてくる。その成果が今日のような稽古につながってしまうのである。
 大東流の名人と謳われた佐川幸義さんなども云われているように、武術の基礎は下半身にあるという。どんなに柔らかく、ほとんど筋力を使わないような技をやるにしたって、下半身の盤石なる強さがなければ威力は出ない。
 こりゃ、また気を引締めねばならぬ。

 さて、師匠からの連絡のおかげで、札幌支部のほとんどの門弟諸君はこのBlogの存在を知ったようです。これからドシドシ新たな書き込みが増えることでしょう。わたくし裏部長は、意地でも毎日書き込もうと決意しておりますが、みんなもいろいろと書き込んでやってください手(チョキ)手(チョキ)
 明日は稽古休みです。
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2006年08月21日

ああ、矛盾。

 どうもみなさん、こんばんみ。裏部長です。甲子園での話題には触れないでください。負けた試合に興味などありません。勝敗を決している以上、「よくやった」などという慰めは必要ない、ただのキレイごとです。そんな言葉は彼らには要らないのです。

 さて、本日夕方に札幌支部の門弟諸君へ、師匠からこのBlogでの書き込みマナーが通達されたと思いますが、これらは必ず守ってください。厳守ですよ、厳守。誹謗中傷は断じていけません・・・・・・という私からして、たま〜にそんな風なことを書いてしまいますが、みんなは真似しちゃだめだぞ。するんだったら表現に気をつけなさい。明らかにそうと判る書き方をしちゃいけないよ。やれ「○○の空手は使えない」とか「××っていう武術家はヘタクソだ」なんていう表現はいけません。書くんなら、読んで数分してから「あの野郎、ひでえこと書きやがって」とづいて憤慨するような文章にしなくちゃ(って、しちゃダメだぞexclamation

 冗談はそのくらいにして、お盆あけ最初の稽古をしてきたので、その内容をざっとご報告しましょうかねぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)


2006年8月21日(月)晴れ。まだ夏の暑さは消えぬ。
 午後二時半、札幌大学1002教室にて空手の稽古・・・・・・とは云っても、開始時にはわたしと師匠しかおらず、そのうち、以前から師匠とも交流のあった中国拳法家のOさんが来られて、師匠の関係された本の内容に対するいろいろな質問を受けたので、前半はその応答にあてる。
 の話、立ち方の話、足を刈るということ、崩すということetc.
 そうこうしているうちに、有望なる後輩・S呂が来たため、通常の稽古にもどる。
 基本稽古は其場突き、前蹴り、受け四種まで。それからはその場にて、体捌き・内受け・逆突き、猫足立ちになりつつ上段受け・内受け・下段払い・逆突き、足を前に出して猫足立ちになりつつ内受け・下段払い・逆突き、前後への両足のスクロールと両手の揺れ、その場での追い突き。
 後半は約束組手。わたしはS呂と、師匠はOさんと組む。
 上段への刻み突きに対して、前手の捻りで受ける。わたしは左ひじの、いわゆる「武術的成長痛」がいまだ治らず、四苦八苦のていで突く。
 上段への逆突きを、前手の返しで外へ外す。私だけこれが巧くできなかった。課題になる。
 終了間近、S呂が悩んでいる中段追い突きの指導を師匠にお願いする。師匠もこのBlogに書き込んだ彼の苦悩に満ちた文章を読んでいるらしく、すぐに引き受けて指導してくださる。
 S呂に関しては、突きが逃げないようにする、もっと分の腰を相手の股間へぶつけるように踏み込むなどのポイントが与えられる。端から見ていると、さほど悪くはないようだ。あと少し
 ついでに私も見てもらう。現在の形から脱皮するには、少しレヴェルは高いが、腰の回転で突くのではなく、あくまで腰全体の押し出でもって前へ突くようにすべし、というのだが、これがなかなか難しい。今すぐできる必要はないが、すこし研究してみたい。
 五時、終了。S呂と、最近ガソリンの値段が高いねえ、などという話をして帰路につく。


 中国拳法家のOさんとは、ご自分でもお弟子さんを抱えておられる方で、数箇月前に師匠と出会い、実際に稽古へ来られるのは今日が二度目である。後半はわたしたちの稽古に参加もされた。その研究心たるや頭がさがるほどである。
 
 悩みに悩んでいるS呂も、もしかしたら光が見えてきたのかもしれぬ。彼自身、空手のキャリアは長いのだから、決して遠回りはしていないはずだ。本当にあと少し。気張ってもらいたい。

 当のわたしとしては、上段逆突きに対する技と追い突きに課題が出た。こういった、その日の稽古でうまく出来なかった技をわたしは自宅へ持ち帰り、自分でいろいろと稽古してみるのだが、ここ数箇月はなかったことだ。「出来ない」と悩むことはたしかに辛いが、しかしそれがないと上達しない。
 しっかり努めてみたい。

 さて、今日のタイトルにある「矛盾」と何か・・・・・・と云って、こりゃ何てことはない、武術修行にはよくある、方向性の転換とでも云うべきものなのだ。
 つまりね、例えば逆突きひとつ取って見ても、最初はガッシリ腰を廻して突けと云われるわけ。腰の回転でもって拳を放り出せ、ってね。だから最初のうちは、これでもかってほど腰をフルに振って逆突きを突く。当分のあいだはそればっかり。だからこっちも、それが正解だと想って、一所懸命にやるわけよ。腰まわりの贅肉が捩れて落ちちゃうんじゃないの?ってくらい腰を廻すわけ。
 でもね、あるときからこう云われるわけ。

「じゃあ、次は腰をまわさずに突いてみて」

 これを矛盾と呼ばずになんと呼ぼうかexclamationこれまではとにかく腰を振れ、腰を出せと云ってきたのが、今度は出すなと云う。今日の追い突きでもそう、腰を中華料理屋にあるターン・テーブルのように廻して突けと云われてきたのが一転、今度は回転させず、腰自体をそのままの形で前へ出せという。いきなりこんなことを云われたら、そら有望なる後輩・S呂でなくても混乱します。「今まで自分がやってきたことは何だったんだ」と不安になります。
 ああ、矛盾・・・・・・っていうのは、そういうことです。

 しかし、それは武術の階段を一段のぼることでもあります。大股に踏み出しても足が簡単には届かない、高い高い階段のステップに、その足先をかけることなのです。登りきるのはしんどいことですが、しかしその高みに立ったとき、それまで見たことのなかった景色が見えるでしょう。悩み苦しんでいた昨日までの自分がちいさく見えることでしょう。
 だから、私たちは闘わなくてはいけないのです。ちょっとだけ理不尽な、そんな矛盾の連続と。

 なんだか、自分で自分を励ますような文章になってしまいました。べつに落ち込んでいるわけじゃないので、心配しないでください。いなくなっても探さないでください(誰がいなくなるかッexclamation

 明日も稽古あり。参加できるひとは奮って来てください。
 自主稽古に余念のない裏部長でした。
posted by 札幌支部 at 21:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記