2006年10月25日

一事が万事

 こんばんは、裏部長です。日ハム対中日の日本シリーズが現在、札幌ドームで行なわれております。地元チームの勇姿をひと目見ようと、超満員の観客たちが毎日詰め掛けております。
 彼らがドームへ行くのに乗る地下鉄が、わたくしが札幌大学へ行くのに乗る地下鉄と同じなのです・・・・・・。
 今日もたいへんでした。時間がちょうど合ってしまって、車輛のなかは時間はずれの通勤ラッシュ状態!むんむんとした湿気のなか、わたくしは這う這うの態で「月寒中央駅」へ降り立ちました。
 明日もあるんだよなあもうやだ〜(悲しい顔)

 さて、本日は師匠が会議のため不在ではありましたが、月曜日の挽回もかねて、きちんと稽古をしてきたので、そのご報告をいたしましょう。


2006年10月25日(水)晴れ。朝の札幌は、あと二度さがると氷点下。
 午後六時、札幌大学1001教室にて空手の稽古。参加者は部長とS呂のみ。
 基本稽古ひと通り。なんでもS呂は一時間ほど前に食事をしたとかで、動作のたびにヒィヒィ云っている。そのたびに具合の確認をしてから次のメニューへ移る。
 手廻し。其場でワン・ツー。
 移動稽古(追い突き、逆突き、追い突き・逆突き、刻み突き、ワン・ツー)。
 約束組手。栃木方式で、中段追い突き。突く際は、一本目の突きにあまり意識を残さず、素直に突き放ってしまって、すぐに二本目へ取りかかるほうがよい。受けに関しては、S呂には先日師匠から見せてもらった、ギリギリまで待った上に若干重心を前へ乗せ、前足の太腿で相手の前足のふともも裏を弾くように受けるやり方を試させる。これができると、そのまま相手の背後に廻りこんで肩をとり、下へ崩すことができる。
 最後はローテーション方式でワン・ツー。受け側はただ単に受け流すだけでなく、柔術的な技でやわらかく捌いてもみる。
 八時、終了。


 型は師匠より時間をとってやるよう云いつけられていましたが、参加者が上記のふたりのみで、わたくしを入れたこの三人はいま一様に「転掌」をやっているため、あえて今日はやりませんでした。今はまだ師匠がいないと流れの確認しかできないもので。
 
 タイトルにした「一事が万事」は受けのほうの印象から発した言葉です。というのも、今日は後半にワン・ツーをやりました。普段はあまりやらない約束組手で、受けるほうも単に捌くのではなく、柔術的に相手の腕をおさえたり、背後をとったりして稽古したのですが、この際にS呂君から、「やはり柔術(体道)もやっておいて方がよいのか」という質問が出ました。彼は空手のみの参加で、体道のほうはあまり修行していないのです。
 わたくしはこれにこう答えました。たしかに現時点では、部長にしたって七十二本もの技(日本伝天心古流拳法)を知っており、わたくしはそれプラス二十四本(浅山一伝流体術上段之位〜中段之位)の技を知っているのだから、それらを一切知らないひとからしてみれば、柔術的なボキャブラリーはあるかもしれない。今日みたいに指定なく、なんでもよいから捌いてみようということになると、そういったレパートリーが少ないと動きにくいかもしれぬ。
 しかし、空心館では、空手そのもののほうに既にそういった雰囲気の「技」が多数あり、それを修得できれば、敢えて無い時間を拵えて無理に体道を習う必要はないとおもう。今日彼にやってもらった、相手の背後をとる動きなんぞは、習熟すれば追い突きにもワン・ツーにも蹴りにだって応用できるだろう。
 すべて一事が万事なのだ。わたくしはそう答えておきましたが、どんなもんでしょうか。

 今日のように、支部内ではトップのほうの人間たちしかいない日なんかは割りとトントン進んで、もっとハイ・レヴェルなものを求めたいような心持になります。この勢いを明日へ繋げてゆきたいものです。

 明日は体道稽古。おそらく師匠は参加されるでしょう。
 裏部長でした。
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2006年10月24日

サイクリングかよっ!

 こんばんは、裏部長です。昨夜はちょっとした小用のため稽古を欠席し、すべてを部長らに託したのですが、A君の書き込みでもわかるように、なんとその部長自体が来ていなかったというので、A君をはじめ稽古するために教室へ足を運んだ後輩諸君をただそのまま帰す羽目となってしまいました。残念なことですが、師匠のいない月曜日の稽古ですから、その際の責任者たるわたくしたちの落ち度ですね。本当に申し訳ないことをしました。

 どうしても少数でやっているわたくしどものような処ではこういった各人のスケジュールの穴が鉢合ってしまうことが多くございます。わたくしなんぞも、今日は師匠が会議で部長も風邪で休み、自分がいなければ稽古が成り立たないなと思って教室へ急げば結局ほかの誰も来ずにトボトボ独りで帰ってくる、といったことを何度も経験しておりますから、昨夜のようなことも左程珍しくないといえば珍しくないのですが、後輩たちを引っぱってゆく任にあるわたくしや部長がどちらもいないというのは矢張いけません。

 これは云い訳になりますが、昨日、事前にわたくしは、部長へ欠席の旨をメールで通達しておきました。もし彼も都合が悪かったらそのときは返信があるだろうと待っておりましたら、結局返信はなかったので、ああ彼は稽古に出るんだなと判断してそのままにしておいたのです。
 しかし、箱をあけてみれば、サイクリングかよ!お前は定年退職したあとの元気な老人か!稽古の前にまず授業だろ!と、三村風に突っ込まざるを得ません。
 エピソードとしては部長の元気な様子がわかって、それはそれで大変よろしいのですが、しかし部を預かる部長としては甚だ無責任としか云い様がありませんね。サイクリングに行くなら行くで前の日かその当日の早い時間帯にわたくしか師匠へ連絡をしなさいよ。その時点で部長が来られないことを知っていればこちらも何かしらの対処ができたのです。
 これはお互いに今後の教訓にしましょう。

 明日は六時から1001教室で空手の稽古です。月曜日に何もやっていないので、みな元気なことでしょう。
 溌剌とした稽古をしましょう。裏部長もきちんと務めます。
posted by 札幌支部 at 19:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2006年10月23日

欠席づく

 こんばんは、裏部長です。今夜は空手の稽古ですが、わたくしは小用のため欠席しております。最近はどうもスケジュールの関係で参加できないことが増えているような気がします。すっかり欠席づいております。
 稽古報告は部長がやってくれると思います。
 水曜日からは参加します。
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2006年10月22日

ドラマづく

 えー、裏部長です。北海道ではそろそろ、朝方などの時間帯に「雪」が降るかもしれないという天気予報が流れはじめています。もちろんわたくしたちの暮らしているようなところにはまだ降りませんが、峠や山の上などはもう大変でしょうね。一気に冬色へ染まってしまいます。

 札幌支部は札幌大学の教室を借りて稽古をしていますが、ここが何とも厄介なところでして、まず冷房というものがありませんから夏が暑い。窓をあけても日差しがありますから、室温が下がらないのです。加えて、冬は暖房が入ります。これがもう親の敵にでも出会ったかのような強さなのです。よって、冬は冬でとても暑い。むしろ雪が積もれば窓も開かなくなりますので、冬のほうがよっぽど暑いかもしれません。
 ですから、これからの季節、札幌支部での稽古はよいダイエットになります。わたくしも怠けきったこの躰を鍛え直したいと思っております。

 さて、昨日はホラー一色の一日でしたが、今日はTVドラマ一色の日曜日となりました。
 わたくしは映画と同様にTVもよく見る人間で、TVドラマは一応すべてチェックするようにしています。まあ中には見る気の起きない、至極くだらないものも多く、そういったものは最初から見ませんが、少しでも見所のあるような作品は根気強く見ています。
 またCS放送のほうでやっているTV時代劇などもチェックしておりますから、もう一日二十四時間では足りないくらいです。いま見ているのは『銭形平次』と『鬼平犯科帳’71』と『風来坊』くらいですが、『暴れん坊将軍』のSP版が特集で放送されていますし、来週からはその第一シリーズ、栗塚旭さん主演の新撰組ものも始まりますから、もう大変です。

 今日はまず寝起きに鬼平と風来坊を見、気分をかえて昨夜の「めちゃイケ」を見、日本テレビ系列で放送されている『14才の母』の第一話を見ました。本当はこのほかに、フジテレビ新月9の『のだめカンタービレ』第一話、火曜十時の『僕の歩く道』第二話、NTV土曜九時の『たったひとつの恋』第一話・第二話、WOWOWで放送されているアメリカのTVドラマ『CSIマイアミ4』第二話なども見たかったのですが、残念!時間がありません。本当に、一日二十四時間では足りません。

 よくTVをたくさん見ていると思考能力が落ちる、などと云われますが、わたくしのような人間はむしろTVから離れてはいけないように思えます。というのは、TVは現在の日本ですから。ドラマを見るだけでも、現在の日本ではどんなものが受け容れられ、そしてそこからどんな反響を生んでいるのか、これがわかるわけです。ニュース番組や新聞からは吸収できないことばかりです。
 だからこそTVをたくさん見、それと同じくらい読書をします。どちらか一方だけに偏ると、わたくし自身もどちらか一方だけの偏った人間になってしまう気がするのです。
 みなさんはどうでしょうか。

 明日からは新たな一週間。月曜日はいつも通り師匠はおりませんが、水曜日からは参加されます。
 有意義な一週間にしたいものです。
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2006年10月21日

ホラーづく

 こんばんは。裏部長です。今夜から日本シリーズが始まります。わたくしは別に野球好きでも、どこかのチームの熱狂的ファンでもなんでもないのですが、やはり地元の北海道日本ハムファイターズに勝ってもらいたいですね。新庄も今年で引退しますし、なにせここ数年来ずっと日本一にはなっていないのですから、どうしても期待をしてしまいます。
 前半はアウェイですが、頑張ってもらいたいものです。

 奈良のM田先輩からの書き込みがありました。わたくしの質問にお答えいただき、深く御礼を申し上げます。
 構えたときの前の手を開くという些細なことが、よくよく考えると、全身の脱力に繋がっているのかもしれません。そうした構えをするに至ったのは、ただ単純に師匠から教わったからであり、深く考えずにやり続けておりましたが、あながち分不相応な状態ではないのかもしれません。
 指の感覚についても少しではありますが考え始めています。今はまだ人さし指あたりの意識だけですが、開いて構える以上そのあたりのことは深く掘り下げてみたいと思っております。
 今後ともよろしくお願いいたします。

 昨夜の部長は、稽古へ来ていた門弟全員の予想どおり、いつもの有様でノック・ダウンしていたようです。事前に連絡がなく、また稽古が始まってもメールなどが届かぬ場合、大抵そうなのです。札幌支部のちょっと笑える「お約束」のひとつです。
 わたくしはあまりやらない方ですが、友人に根っからのゲーマーがいて、一度前にオンライン・ゲームというものを見せてもらったことがあります。時代は今あんなところにまで達しているのです。いやあ、ハイテクというのは凄い。なにせ、部屋にいながらにして何処か別のところにいる人とおなじゲームで遊ぶことができるのですから。
 おじさんにはついて行けない世界です。

 今日は朝からホラーづいていました。昨夜は稽古のあとに後輩たちと季節外れの怪談話をしましたが、その尾を引いているようです。
 まず、つい最近放送された『世にも奇妙な物語』のSP版を見ました。わたくしはこのTVドラマが幼いころから大好きで、おそらくほとんどのものを見ていると思いますが、ここ数年のものはいけませんね。どれも中途半端なんです。怖そうで怖くないし、不思議なようでただ意味不明なだけだったなんてものばかりなのです。今回もそうで、驚くような話はありませんでした。強いて云えば、各話の冒頭にあるショート・ムーヴィー風の作品のなかに、過去にもあった『ボタンを押す男』というのがあったこと、これに驚いたくらいです。昔はあれくらいの、無説明に怖いというような作品がたくさんありました。
 これであまり恐怖を得なかったので、今度は映画です。観たのは『ハイド・アンド・シーク 暗闇のかくれんぼ』(アメリカ映画2005)です。主演はあのロバート・デ・ニーロと、天才子役とよばれるダコタ・ファディング。
 ハイド・アンド・シークというのは隠れんぼのことですね、タイトルにもありますが。母親が自宅の浴槽で不審な死に方をする。これを機にひとり娘は気がふれてしまい、小児科のある精神病院へ入院しているが、心理学者でもある父親は自分で引き取って田舎の一軒家へ引っ越したいと申し出る。
 避暑地である田舎へ引き移ったふたり。しかしある日を境に、娘は目に見えぬ友達・チャーリーの存在を主張する。もちろん父親にはその姿が見えない。
 次次と起こりゆく犯人不明の悪戯、隣家の女性が殺される、犯人はチャーリー、全てのことはチャーリーの仕業・・・・・・。
 まあ、最後にはそれまでの流れを一気にひっくり返すドンデン返しが待っているのですが、ここでは伏せておきましょう。
 作品としては中の中といった感じでした。もっと怖いかな?と思って観たので免疫があってそれほど怖く感じなかったのかもしれません。俳優陣の演技も悪くなかったし、作品としてもそれほど長くはありませんでしたから快適に観ることができました。これは幽霊関係のホラーではなく、人間そのもののホラー映画ですから、得体の知れないものに襲われる類の作品が苦手なひとでも観られると思います。

 わたくしは別にホラー映画が好きなわけではなく、むしろ苦手なくらいで、勇気を出して観始めたはいいが、開始十分くらいで観たことを後悔するような男です。スリルを愉しめない人間なんですね。
 それでも、これも勉強だ、と思うから極力観るようにはしているのですが、それでも手が伸びないシリーズがあります。
 それは日本の『呪怨』です。Vシネマ版の昔のシリーズは観ているのですが、酒井法子さんらが出演されている劇場版からは観ていません。というか、観られないのですね。もう予告編だけで十分、ってな具合です。
 ジャパニーズ・ホラーの特徴は、ゆっくりと迫り来る恐怖と、気づいたらそこにいる恐怖ですね。別に牙をむいて襲いかかってくるわけでもなく、頸を絞めてくるわけでもない。派手さもないし、血もあまり出ません。それでもあんなに怖いのは、そこに静寂があるからです。まだ正式には観ていませんが、映画『呪怨』のワン・シーンで、マンションのエレヴェータで上へあがっているとき、そのドアの窓から各階の廊下が見える、そこにあの青白い顔をした少年がこちらを見上げて立っているのです。しかも、各階すべてに。撮影手法としても興味ぶかいですが、なにより怖い。実際にそんなことになったら絶叫ものです。

 何はともあれホラーづいた一日でした。さて、明日はなにづいてみようかな。
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2006年10月20日

不徳を恥じて季節外れの怪談話

 こんばんは、裏部長です。今日のような気温が一番よいですね。麗らかに晴れた空、気温は十五度を下回らず、風もさほどに冷たくない。道端ではからからと枯葉がころがり、忘れられてしまったような蜻蛉が淋しげにとんでゆく・・・・・・ああ、なんとも風流ですな。
 まあ、そんな老人のように考えずとも、いまの北海道はなかなか良い季節です。あっという間に訪れる冬にむけての準備期間に入ったわけです。

 今夜も師匠&部長不在ではありましたが、稽古はきちんとしてきたので、そのご報告をいたしましょう。


2006年10月20日(金)曇ったり小雨が降ったり。男心と秋の空、である。
 午後六時、札幌大学1001教室にて空手の稽古。参加者はS呂、おすぎさん、KB、OBさん。部長はなぜか連絡もなく欠席。
 基本稽古ひと通り。前蹴りまでは左右五十本づつ蹴るが、受けのあたりで、おすぎさんが病み上がりであることが判り、そこを慮って廻し蹴りからは左右三十本づつとする。
 手廻し。其場でワン・ツー。
 移動稽古(追い突き、逆突き)。KBは若干突くときに躰が浮いてしまう。それをさせぬように、前へ出す膝のやわらかさをアドヴァイスする。
 後半は型&約束組手。「平安三段」がすでにほとんど完成しているOBさんと、あまり型にはタッチしていないおすぎさんには約束組手(中段追い突き)をしていてもらい、その間、私とS呂とKBは型をやる。
 まずは私とS呂で「転掌」の確認。この型は細部の要点がかなりあり、深い部分に関しては師匠のいるときにやることとし、今日は流れの確認にとどめる。
 S呂にはそのままOBさんらの列に加わってもらい、私とKBは「十六」をやる。
 KB、この数日間で型の流れは覚えてきていたようで、今日からは細部に入る。初動の足幅、上半身の傾き具合、躰をもどして二本突きの際の四股立ち、掬い受けと逆突きのタイミング、突き出すふたつの掌底の向きとそのときの腕の曲がり具合、猫足立ち・手刀受け、突き・蹴りともに浮かない、浮かないでいて蹴りはそれでもきちんと蹴る、クルッと廻って猫足立ち・支え受けの際の軸の取り方、裏掛けのスピード、鷺立ちの際の腰の高さ、横打ち・逆突きの際の躰の浮き。これらを注意して行なう。KB、なかなか吸収はやく、だいぶ様になってきた。
 後半は、私とS呂、あとの三人の二組で約束組手。三人にはローテーションで中段追い突き。私たちはまず、S呂が中段追い突きをし、最後は私が刻み突きを突いて彼がそれを捌く(腕押さえ&投げ)。メビウスの輪を意識する。
 締め括りとして全員でローテーション。この間に師匠が顔を出してくださる。
 各人の中段追い突きに関してレクチャーを受け、八時過ぎ終了。
 稽古後、談話室で文字どおり談じて話す。昨夜参加したONの話から肝試しの話になり、最終的には季節外れの怪談話をして散会する。


 わずかな時間ではありましたが、師匠の教えを受けられて後輩たちは良かったのではないでしょうか。特に受けをとって追い突きを軽く入れられていたKBなどは、その未体験の迫力に心底驚いておりました。
 わたくしがそのとき得た教えとしては、稽古のなかの突きに関して云えば、一本として同じ突きはない、という言葉です。約束組手で中段追い突きを十本突くといっても、まったく同じ突きを十本やっていては意味がない。相手が変化して技が通用しなかったり、受けようとしても受けられなかったりすることにより、考え、悩み、反省をして次に活かそうとする。そうすることで、たとえば十本の追い突きであっても、突くたびに変化するというのです。
 これは案外、目から鱗のような考え方で、わたくしなんぞは少し感動したくらいです。また技の成長過程における「螺旋階段」の考え方もわかりやすく、今後の参考にしようと思いました。

 さて最後にとても重要なことを書かねばなりません。
 数日前、大学校内に貼った部員募集ポスターのことに関してわたくしは怒りのような気持をこのBlogに載せました。このことに関して、わたくしがそう云った相手側の、札幌大学空手部の方方がすくなからぬお怒りを抱いていらっしゃるということを何処からともなく伝え聞きました。
 たしかにあの文章を省みると、「迷惑行為か売名行為としか考えられない!」というような表現がありました。これは見方によっては中傷のようにも受けとれますし、何よりもそんな身勝手で早合点な文章を、全世界どこに住んでいる人間でも見ることができるインターネットという媒体に無断で載せたことは、謝罪して余りあることだと思います。
 ここに改めて、お詫びを申し上げます申し訳ありませんでした

 ただ、です。
 まずお断りをしておきますが、わたくしは正直に云って、札大の空手部に対し憎しみのような感情はこれっぽっちも持ってはいません。むしろ同じ空手という武道に生きる同朋だと思って誇りにしているくらいです。みなさんのほうがわたくしなんぞよりも空手に関しては先輩ですから、そこに憧れの気持こそあれ、憎悪のような感情なんてあるはずがないのです。
 これをまず申し上げておいて、みなさんの懐の深いところを見込ん云い訳がましいことを附け加えますが、なにもわたくしはあの文章をただの思いつきで書いたんじゃないんです。書くに至った原因、元があるんです。そう、それは他でもないあのポスターです。大学側から「貼るときはなるべくすき間を作らずに」と云われていたからといって、あの貼り方はいけませんよ。痛くもない腹を探られてもおかしくはない貼り方です、あれは
 広い掲示板の中央にわたくしたちのポスターが貼ってある、みなさんはこれを挟むようにして二枚のポスターを貼っていらっしゃった。ぴったりと合わせて、文字どおり挟み込むように貼ってありましたね。あれはおかしいですよ。無駄なすき間を作らずに貼るんだったら、二枚をこちらの横にならべて貼ればいいでしょ。もしくはその下にならべて貼るとかね。なにも挟む必要はないのです。昔買ったVHSのヴィデオ・テープ一本とDVDディスク二枚を収納するときに、テープをディスクで挟まないでしょ?テープはテープ、DVDはDVDでまとめて入れておくでしょう。それが普通ですよ。ただでさえ同じ武道系サークルの白黒ポスターなんだから、尚のこと左様であると云うしかありません。
 いやお怒りはわたくしがそれを早合点してBlogにアップしたことだとは解っております。けしからん、と、許せない、とおっしゃるのならその怒りをわたくしは甘んじて受けましょう。自分で書いたことですから、誰でもない自分自身でその責任は取りますが、人間「他人の失敗を責める前に自分の不徳を恥じろ」という言葉があるくらいです。本当にこちらにだけ責任があることなのかどうか、もう一度お考えになってくれても良うございましょう。

 なお、わたくし「裏部長」の書いた文章はわたくしの一存で表現したものであり、空心館そのものはもちろん、師匠の瀧元誠樹や後輩たちには一切関係がありません。その責任はわたくし一人で取ります。

 
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2006年10月19日

少人数稽古

2006年10月19日(木)晴れ。師匠不在。部長も体調不良のため欠席。
 午後六時、札幌大学1001教室。稽古開始時刻となっても誰も来ず。仕方ないので、六時半ころまで待ってそれでも来なかったら帰ってしまおうと教室で待機しているとONが来る。彼が来たのならほかにも何人かは来るだろうという淡い期待をもって談笑に耽るが、六時半をまわっても来ず。ONは空手に来るのが久しぶりだし、意慾もあるので稽古をすることに。
 時間がないので、基本稽古は受け四種まで。
 手廻し。
 移動稽古(追い突き、逆突き、追い突き・逆突き)。ONはまだ少し力みがあって、突くたびに辛そうである。脱力を促す。
 型。彼もまた「平安初段」に留まっているので、これを稽古する。猫足立ち、手刀受けなど、この型ではじめて体験する壁を見据えて。
 約束組手(中段追い突き)。ONには追い突きのあと、そのままの位置で逆突きも突いてもらい、その感覚をもってもう一度一本だけの追い突きをやってもらったりする。受けの際には、きちんと反撃をいれる練習をする。
 八時、終了。


 こんばんは、裏部長です。今夜は師匠がいない上に部長までも不在で、最初から門弟諸君の集まりが危ぶまれていたのですが、案の定の展開で、久しぶりの少人数稽古となりました。以前であれば、二人ぎりの状況ではそのまま帰ってしまっていたわたくしですが、奈良のM田先輩のお諌めもあって改心し、今日はかれと差し向かいで汗をかきました。
 こういった場合、自分の技のことはほとんど考えず、とにかく目の前の後輩のことだけを考えて稽古できるので、違った意味でリフレッシュできたような気がします。今日のわたくしのアドヴァイスが彼にとって有効なものであることを祈ります。

 自分のことで云えば最近、構えについて変わってきたように思えます。以前は左手をひらき、右手は握って構えていましたが、最近ではどちらも軽くやんわりと握って構えるようにしています。これは別にそうしようとしてやっているわけではなく、気づいたらそうなっていたもので、脱力を考える意味でも良い状態かな?と思っていますが、正直どうかは判りません。
 みなさんはご自分の構えについてどのように考えていらっしゃいますか。軸のこととか、腰のこととか、そういった細かいことの前に、手の形についてどうお考えでしょうか。栃木や奈良の諸先輩方に伺いたいです。

 明日も師匠はおりませんが、稽古はあります。
 裏部長でした。
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2006年10月18日

報告しますっ!!

 どうも裏部長です。今朝TVの天気予報を見ていて吃驚。「九州四国地方では天気のよい夏日となるでしょう」って、こっちは吐く息が白いほど寒いんじゃー!歩いてないと寒くって風邪を引いちまうんだー!と、眠気の残った目を怒らせておりました。日本列島はなるほど、長い

 さて今夜も師匠不在ながら稽古をしてきたので、至極あっさりとそのご報告から。


2006年10月18日(水)晴れ。TVでは北朝鮮の核実験問題ばかり。
 午後六時、札幌大学1001教室にて空手の稽古。参加者は部長と東京都出身のAのみ。
 今日は私の勝手な思いつきで、先日まで続けていた回数を少し減らし、蹴りに関しては左右四十本づつを蹴るのみにとどめて基本稽古を行なう。
 手廻し。其場でワン・ツー。
 移動稽古。追い突き、逆突きをとにかく念入りに。追い突き・逆突きもやる。
 型。Aはそろそろ「平安初段」を卒業したい。細かな注意点を与え、私と部長は「転掌」の確認をおこなう。
 後半は約束組手。私が命名したやり方(「栃木方式」)にて、受けを固定してまわしてゆく。
 Aは勢いもついてきてなかなか良いが、そこからの変化が難しい。突きを放つタイミングを変えてみたりもしたが、どうも芳しくない。これは師匠に見てもらうしかないだろう。受けに関してはとにかく反撃をきちんと入れること。知らず知らずのうちに寸止めで当てないことに馴れてしまい、いざ「きちんと突いて」と云うと突けない。彼は身長があるので、上段への反撃もやってみる。
 部長は、どうしても二本目以降を出すときに一旦止まってしまう。よって、そこへこちらが攻撃をすると、向こうが突っ込んできているのにも関わらずこちらが優勢となってしまう。これではいけない。とにかく相手がどんなことをしようとも構わぬといった態で、何がなんでも突き進む。これは当面の課題になりそうだ。
 八時、終了。談話室でONやS呂に会う。しばし談笑。


 基本稽古の本数を減らしてやってみたのは、ひとえに「飽きてきたから」です。いや何も怠惰な意味ではなく、ゆっくり十本蹴って、それからきちんと五十本づつ蹴ることにさほどの意味がないように思われた、ということなのです。
 どうしてもそれだけの本数を蹴るとなれば、一本一本に全力を出すことはできません。軸をきちんと取って全身から力みをとり、必要最低限の力で蹴りを出す。これをしなければ何十本もやれません。以前のわたくしみたいに、あっという間にヘロヘロになってしまいます。
 たしかにそんな稽古にも意味はあるでしょうが、そうすると今度はバシッと蹴る稽古にならないような気がしたのです。蹴っているようで蹴っていないような感じがしたのです。
 ですから今日は、ゆっくり蹴るのも入れて左右四十本づつとしました。案外軽く感じたので、明日は十本づつ追加してやってみようかと思いますが、それくらいで打ち止めになるかもしれません。
 これが報告@、です。

 報告のAは、わが空心館札幌支部の部員募集ポスターの一件です。すでに門弟諸君は知っていることでしょうが、わたくしたちは有志を募るため、なかなか乙なデザインのポスターを大学校内に入り、その下に「ご自由にお取りください」なんていう書き方で道場のあらましを紹介したチラシを入れて掲示しておりますが、今日行ってみるとその隣に、大学の空手部のチラシが貼ってあるじゃありませんか!しかも、掲示板にはたくさんスペースがあるのに彼らはわたくしたちのポスターにぴったりとくっつけて貼っていたのです。知らないひとが見たらひとつの団体かと思ってしまいます。
 中央棟のポスターでは、こちらの宣伝チラシがなくなってその入れ物が空になっていたことを良いことに、空手部はなんと自分たちのポスターの一部をそのなかへ入れていたというではありませんか。幸い、見つけてくれた部長が憤怒のあまりすぐに取り除いてくれたそうですが、なんとも腹立たしい限りです。
 向こうに他意はないかもしれない。ただ単にそうなってしまったのかもしれませんが、しかし現状はあまりにも不可解で、迷惑行為か売名行為のようにしか思えません。返す返す口惜しいことです。

 そこでまずは師匠にお願いなのですが、各ポスターいづれも宣伝チラシが少なくなっておりますので、早急に刷り増やしていただいて補充をお願いします。手が空かなければ後輩に云ってください。またその際に上記の現状をお聞きください。わたくし始め部長はもちろん、今日談話室で会ったS呂君らも憤慨収まるところ無しといった塩梅です。

 明日は体道稽古ですが、師匠はおそらく不在なので、空手をやる予定です。
 今日はすこし不愉快な裏部長でした。
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2006年10月17日

空手と落語の意外な関係

 こんばんは。裏部長です。今日の札幌はへんな天気でございました。早朝は晴れていたものの、午前八時くらいから急に大雨となり、午後に入るとまた止みました。気温は十四度前後と、さほど寒いというほどではありませんでしたが、それでもあまり良い天気だったとは云えませんね。
 本部道場のほうでは審査が行なわれたようで、Y先生のご子息であるT君や五十代にして頑張っていらっしゃるMさん、おめでとうございます。おもえば昨夜の時点で書くべきところでしたが、すっかり忘れていたため、ここに書きます。
 われわれも励みにして頑張ります!

 さて今夜は稽古がないので、ちょっと思いついたところを書いてお暇を頂戴いたしますが、空手という武術のなかにはさまざまな型がありますね。有名なところでいえば平安シリーズの五つとか、ナイファンチンとか三戦とか、そういった古くからある型に加えて、現在うちではKB君なんかがやっている十六や新生などという比較的新しい型もあります。その数は相当なもので、加えてわれわれの修行している糸東流という空手流儀は他の流派にくらべて所有している型の数が多いので、なおのことその修行は多様になります。
 ほかの流派やほかの会派では、たとえば、
「ウチじゃ五つの型しかやりません。まあ、平安とか、そのあたりのものは基本としてやらないこともないけど、一応はその五つに絞って、これを一生涯かけて修行する。そのなかで武術的なカラダの使い方を学んでゆくのです」
 と云うところもありますが、わが糸東流では何十という数の型を階級ごとに稽古してゆきます。現在、いまだ一級のわたくしにしたって、四之型と十二之型を抜かしても十二個もの型を習っているほどですから、有段者になればその数はさらに増えます。
 
 空手と並行して修行される体道のほうも然りです。通常の道場ならば、たとえば「日本伝天心古流拳法」ならそれひとつ、「浅山一伝流体術」ならばそれだけひとつで修行をするもので、ウチのように次から次へとさまざまな武術流儀を経験することはかなり稀なことでしょう。それぞれの内に一生をかけるに見合う内容があるし、奥深さも相当なものです。上記の型に対する考え方のように、ある一定の数の技(ひとつの流儀)を一生かけて稽古する、そんな考え方が当たり前になっていても仕方のないことではあります。

 では、何故わたくしたちは多くの「型」を習うのでしょう。

 とまあ疑問を提示してみたものの、これに関してはすでにわたくしどもも師匠からいろいろと解説を受けているので、改めてここに書くことはいたしません。わたくしが書きたいのはそんなことではなくて、要は「型をたくさん稽古することの意義」を考えてみたいのです。

 いろいろな空手関係の本を読むと、「あんまり多くの型を学ぶより、少なくてもいいから幾つかの型のみを修行し、掘り下げていったほうがよいのではないか」と不安に感じることが過去に何度かありました。そのときはどうにか師匠を信じることで乗り切っておりましたが、現在はちがいます。わたくしなりに、これ!といった考えを持っているのです。
 それは、落語との共通点です。
 落語の世界へ入り、真打ちになるあいだに、噺家さんたちは本当にたくさんの噺(ネタ)を覚えます。自分の師匠について、たまには他の流れの師匠のところへ行って特別に稽古をつけてもらうこともあります。
 例をあげるならば、若いころから名人といわれた古今亭志ん朝師匠のネタとしては、現在CDになって発売されているものだけでも、

『三枚起請』『お若伊之助』『唐茄子屋政談』『酢豆腐』『鰻の幇間』『寝床』『刀屋』『佐々木政談』『夢金』『碁どろ』『おかめ団子』『茶金』『百年目』『品川心中』『抜け雀』『高田馬場』『甲府い』『火事息子』『厩火事』『真景累々淵―豊志賀の死』『明烏』『船徳』『居残り左平次』『雛鍔』『愛宕山』『宿屋の富』『文七元結』『お直し』『芝浜』『百川』『大山詣り』『粗忽の使者』『真田小僧』『駒長』『井戸の茶碗』『今戸の狐』『三軒長屋』『羽織の遊び』『佃祭』『搗屋幸兵衛』『代脈』『蔵前駕籠』『黄金餅』『大工調べ』『柳田格之進』『干物箱』『付き馬』『三年目』『お化長屋』『子別れ・下』『富久』『二番煎じ』『お茶汲み』『崇徳院』『御慶』『堀の内』『化物使い』『お見立て』『火焔太鼓』


 と、なんと五十九個もあります。これはもちろん知っている、というだけではなく、きちんと高座にかけることができる、つまりはお客さんの前で披露してお金を頂戴できるという段階のものであります。
 
 たくさんの噺を持っている噺家さんはなにも志ん朝師匠だけではなく、長くやっているひとであればあるほどこれくらいは所有しております。
 では何故そんなに多く必要なのか・・・・・・これは寄席(よせ)という場所とその興行形態に関係があります。
 真打ちになって、さらにかなり上のほうになってくると、寄席へ出るのは夕方から夜にかけて、ということになる。楽屋へ入ると前座さんが、その日にすでに出演された方方の名前とそのネタの題名を控えていてこれを見せてくれる。
 当たり前の話ですが、前に出たひとと同じネタはできません。加えて、たとえば前に出たひとが『締め込み』なんて噺をやったりすると、これは泥棒の噺ですから、同じような泥棒モノの噺はできない。そんな風に限定が出てきてしまうのです。
 だから噺家さんたちはより多くのレパートリーを持っていなければならないのですね。今日はあの噺をやろう、と思って寄席へ来てみればすでに誰かがやっていた、自分はほかに準備をしていない・・・・・・なんてことにならないためにです。
 もちろん例外はあります。数百人以上入るホールでの落語会などでは、事前にプログラムを作る関係上、その日にやるネタを公表しますし、ヴェテランになってきて十八番というのが出来てくると、高座にあがった瞬間にお客さんから「火焔太鼓!」とか「芝浜!」とかいう掛け声がかかる、そんなときはその噺をリクエストに応えてやるわけです。このような場合には上演するネタは限定されます。
 しかし基本的には高座にあがるその瞬間までネタは未定です。その日の気候、自分の体調、お客さんの様子を見た上でもっとも相応しいネタを選ぶのですから、レパートリーは多くあってありすぎることはないのです。

 そんな落語の世界を知ると、なんだか自分たちも同じ境遇にいるような気がしてなりません。まあ我我は上記のように、五十も六十もおぼえるわけではありませんが、型だけにおいて考えてみても、数多くのレパートリーをもてるほどたくさんの型をやることによって武術的な躰をつくってゆく・・・・・・なにしろ武術も藝事ですから、わたくしたちも噺家さんたちと同じ道を歩んでいるのかもしれません。

 なんだか書いているうちに支離滅裂となってきたので、ここら辺で終わっておきます。ただ「武術家も藝人である」というのがわたくしの持論なので、それをはっきり書いておきたかったのです。うまく伝わったかはわかりませんが。
 明日は師匠不在ながらも稽古はあります。頑張りましょう。
 裏部長でした。
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2006年10月16日

きっとすべてに意味がある

 こんばんは、裏部長です。今朝、仕事へゆくため自宅を出た際、おもむろに息をハァ〜と吐いてみると、なんと白い。今朝のそのときの時点で気温は六度ちょっと。こりゃ寒いはずです。
 そんな秋から冬への直進コースまっしぐらの北海道ではありますが、最近では基本稽古もその回数をそれぞれ増やして、どういうわけか夏のころよりも汗をかいているので、面喰うほどに寒さは感じません。栃木や奈良、秋田などではどうでしょうか。

 さて、毎週月曜日は師匠不在の稽古日です。わたくし裏部長が年長者として稽古報告をさせていただきます。


2006年10月16日(月)晴れ。中学生自殺のニュースにショックを受ける。
 午後六時、札幌大学1002教室にて空手の稽古。参加者は部長、苫小牧出身のH、神奈川出身のKB、学外から参加のOBさん。
 部長先導による基本稽古、手廻し。蹴りなどはもちろん左右六十本づつ。少しづつ馴れてきたような気がする。
 KBのために猫足立ち確認。彼は神奈川でやっていた空手道場にて、平安シリーズ五つなどすでに修得済みで、よって札幌支部では三級の「十六」から本格的に教えるわけだが、この新しい型をおぼえる過程で猫足立ちや手刀受け、各種動作の矯正を行いたい。彼のやる猫足立ちは後ろ足(軸足)があまり曲がらず、よって腰も高い。今回の型では特にこの点を直したいのだ。
 移動稽古(追い突き、逆突き、追い突き・逆突き)。
 型。OBさんは「平安三段」、Hは「平安初段」、KBは「十六」。部長と私はもっぱら指導にまわる。
 OBさんの「平安三段」、ほとんど文句なし。よくまあ久方ぶりにやって来てここまで出来るなと思えるほど完成度高く、あとは四股立ちのときの足の位置とか軸の安定などの細かい点を指導するのみで、私からは云うことがなかった。
 Hの「平安初段」。ようやく手順も覚え、ペース配分もわかってきた。ただ、冒頭の猫足立ちで受けをするあたりの左右がうまく行かない。猫足も若干ぎこちなく、この二つをスムースに行なうことができればかなり良いように思われる。
 KBにはまず「十六」の手順だけを憶えてもらう。そこに隠されている技の内容とか、彼の直すべき箇所については手順を憶えてもらってからすることにし、今日はとにかく反復をしてもらった。
 彼が「十六」を懸命におぼえている間、OBさんと部長には約束組手(中段追い突き)をやってもらう。私もKBを見る間、部長の受けをつとめる。反撃を入れる。部長、これに多少難儀する。イメージとしては、二本目の攻撃が相手の反撃を捌く受けになるわけで、その二本目と相手の反撃のタイミングを合わせるために、一本目の突きをどうにかせねばならぬ。もちろん一本目を疎かにして二本目以降を大事にしてはいけないのだが、かといって一本目をこれまで通りきっちり突いてから二本目を出そうとすると、どうしてもタイミングが合わず反撃を喰らってしまう。その兼ね合い、その躰づかいを修得するのが当面の課題になりそうだ。
 八時、終了。この寒さのなかにあっても部長は半袖姿。鉄人としか云い様がない


 其場突きは百本くらい、蹴りは各種きちんと蹴って左右五十本づつ、というメニューにしてからというもの基本稽古だけで四十分から五十分は使ってしまうので、そのあと移動をするにも型をやるにも約束組手でアツくなるにも時間が足りなくなってしまう。もしかしたら師匠はそのことを考えて、われわれがある程度になったあとはその回数を減らしていたのかもしれない・・・・・・そんなことを今日ふと思いました。ま、推測ですが、師匠はあまり無意味になにかを変更される方ではないので、おそらく全てに意味があるのでしょう。
 ただ基本稽古をきちんとやることはいろいろな面において有意義です。まず体力がつきますし、軸のことも考えさせられます。脱力もできていなければすぐに疲れてしまいますね。そんなことも考えあわせて、当分の間はこのままでいいかな?(後輩たちはどうかわかりませんが・・・・・・)。

 栃木のY先生、コメントありがとうございます。みなさんがこのBlogをお読みになり、わたくしどものことを近しく想ってくださることはこの上なく光栄なことでございまして、むしろ我我のほうこそそんな諸先輩方のお言葉を読むことができて、恐れながら親近感などをおぼえております。
 実はわたくしは師匠の動きを第一に見ながら、ことあるごとに過去のVTR(栃木へ行ったときに撮影したものなど)を見返し、そのなかのY先生の動きを参考にさせていただいております。これは以前に直接云ってしまったことかもしれませんが、わたくしが理想としている動きは師匠とY先生を足して二で割ったようなもなので、Y先生の映像はなによりも参考になるのです。
 ですから、今回のコメントにもあった「力を抜く」ということはその動きから察して、わたくしもすでに日頃の課題にしております。まあ現在のわれわれのレヴェルであまり脱力をしすぎるとかえってふにゃふにゃになりすぎていけませんが、しかしそれでも常にY先生の動きをイメージして稽古に励んでおります。
 改めまして、書き込み、ありがとうございました。

 わたくしの書いたBlogに向けて、師匠、I先生、Y先生という空心館の三羽烏ともいうべき(あまり良い意味でない?)お三方がそれぞれのご見解を書いてくださいましたが、いづれも昨日今日得た教訓ではない、なまなかなものではありませんでしたね。その言葉の端端に若き日からの修行が見受けられるようです。
 札幌支部の門弟諸君はこれらのお言葉を大切にせねばなりません。きっと全てに意味があるのです。師範のお言葉、師匠の歩き方、Y先生の構え方、I先生の呼吸・・・・・どんな些細な動作や教えにも意味はあります。われわれ修行者はそんな小さな教えに目をむけ、常に学ぶようにしなくてはいけません。
 今夜は稽古をしていてもBlogを書いていても、そんなことを想う一日でありました。

 次の稽古は水曜日です。おそらく師匠は不在ですが、気張ってゆきましょう。
 裏部長でした。
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2006年10月15日

寝ても醒めても・・・

 お晩です。裏の部長さんです。いきなりだけど、KAT-TUNから赤西仁が抜けるそうです。ワイドショーでは話題騒然です。理由は「語学留学のため」とか云っておりましたが、どの国へどんな言語をどのくらいの期間勉強してくるのか、留学期間が終了したらグループに復帰するのか、そのあたりのことは一切不明です。事務所側も最初は「来年の三月までの半年間」としながらも結局は「未定」としています。
 怪しいですねえ、こりゃ。
 芸能界というところは表面の商売ですから、基本的にその裏でどんなエゲツナイことをしていようと、一般人たちに見える面さえ立派に勤めていればそれでよいのです。しかし、タイミングが悪くなると今回の騒動のように、それを隠そうとする怪しい言動がわれわれにも見えてしまうのですね。そんな世界で生きる同年代の彼らに心から同情をいたします。

 今日は朝から映画も観ず、これといって何もしない一日でした。したことといえば、TV時代劇をいろいろと見たくらいで、あとはのんびり、ダラダラと過ごしておりました。寝ても醒めても、というやつです。
 明日からの一週間は師匠も参加せぬ淋しい稽古の連続ですが、みなさん頑張りましょう。少しづつ秋から冬の気温になってきて、風邪のひきやすい次期ではありますが、若いんですから、どうにか喰らいついてきてください。

 それでは明日の教室で。
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2006年10月14日

昔日に想いを馳せる

 こんばんは。裏部長でございます。
 栃木のI先生、コメントありがとうございます。札幌支部の門弟諸君はどうか知らないけども、わたくしなんぞはこのI先生やY先生のコメントを待ち望んでおりまして、最近はあまり書き込みがなかったので「アラ、最近どうしたのかねえ」なんて飲み屋のおかみさん風に心配をしておりましたが、久久の書き込みをいただき安心をしております。
 突きに関しては、そうですねえ、奥深いものがあります。ただ単に相手を突く、それも、追い突きで突くといったってその構成要素はたくさんあるわけで、空手をやっている人間はそれを一瞬にして行なわなければならない。まあそれは武術全般にいえるわけで、そう考えると技というのは深い。深すぎますね。段階としてはよく「上には上がいる」と云いますが、技においてはまさに「奥には奥がある」です。
 またI先生のような方でも「相抜け」を修得するのに十年とは驚きましたな。それくらいのものなのです。易易とできるわけがない。
 深みのあるご意見、ありがとうございました。

 しかし、空手だけに限定して考えても、突きひとつからしてそれほど深いんですから、昔のひとたちはどんなに大変だったか知れません。昔、とは、まだ空手という名称がなく、稽古人口も琉球に限られていた時代のことです。この時代の空手は型オンリーですね。基本稽古も移動稽古も約束組手もない。あるのは型の修練とちょっとした部位鍛錬のみで、明けても暮れても型を打ってる。ひとつの型を三年、とかいうんです。現在からは考えられません。
 それでも名人達人たちが生まれてきています。型をやってきただけで、です。もし「名人」という名の段階があって、それがいづれも同じレヴェルだとしたら、現代の名人と昔日の名人とではやっている内容がまるで違うわけですから、基本やって移動やって約束組手やってどうにか名人になっている名人よりも、一生かけて限られた数の型をみっちり稽古しただけで名人となった昔の修行者のほうがよりその深みに達しているような気もしないでもないわけです。まあ、あんまり良い想像ではないでしょうが。
 そんなことを考え出すと、日日の稽古がたのしくも、良い意味で重みを持ってくるような気がします。積み重ねといいますかね、まさしく修行といった感じの稽古が愉しくなってくるように思われます。

 今日は特にこれといって書くことがなかったので、I先生のコメントをもとにダラダラと書きました。
 裏部長でした。明日はまたもあのコーナーが復活?!
posted by 札幌支部 at 19:43 | Comment(1) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2006年10月13日

怖い師匠

 こんばんは、裏部長です。昨夜は結局、その野暮用というやつを片づけるのに午前一時過ぎまでかかってしまいました。まあ、いつもそれくらいまでは起きているので左程に寝不足というわけでもありませんが、何かこう大きな任務を果たしたあとみたいな感じがして、今日一日はどうも緊張感がありませんでした。
 しかし稽古のほうでは元気です。ええ、もうバカな元気。水曜日にすっかり疲れちゃって教訓を得ておりましたから、今日も蹴りは各種左右五十本、受けなんかも前屈立ちの前足がしんどくなるまでやったって驚きません。ヘトヘトになることはありませんでした。進歩というやつです。

 今日の稽古で収穫したこと。

 攻撃:動き出しから突くまでは、躰(おもに拳まわり)に力を入れたり抜いたりしない。そうしているということは、気の流れというか、攻撃の意思が一瞬でも途切れていることになる。
 一本突いてそれを引き、横へ避けた相手へクルッと向きなおって二本目および三本目以降につづける際、向きなおった時点で後ろに重心を置かない。相手へぶつかるくらいに前に立ち、軽く次の攻撃が当たる位置に入る。

 防禦:追い突きに対して、ギリギリまで待って相手を懐によびこみ、寸出のところで前足に重心をのせ、若干沈み気味で躰をかわす。そのときはまるで、前手で刻み突きを突くような心持でおこない、受け終わった瞬間、こちらの前足の膝が相手の前足のふともも裏に当たってその躰を横へ弾くことができるようにする。

 簡単にわけて書けばこんなことでした。何はともあれ、師匠に向かって全力で突いてゆき、一本ならず二本三本と攻撃を展開するような約束組手はエキサイトします。以前はそんな攻防の刹那に師匠が蹴りなどを放ってわたくしたちを驚かせたものですが、今日はいきなり蹴られてもそのまま突っ込んでゆくことができました。
 これも進歩かもしれません。

 今週の稽古は今日でおしまい。来週は月曜日から通常どおりありますが、なんでも師匠が多忙でねえ、もしかしなくても来週いっぱいは不在となるらしいです。
 部長をはじめ、門弟諸君のチカラで頑張って行きましょう。

 それでは良い週末を。裏部長でした。
posted by 札幌支部 at 22:44 | Comment(1) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2006年10月12日

多忙なんだか閑なんだか・・・。

 こんばんは、裏部長です。こんな時間帯に書き込みをしていることから察してもらってもわかるように、今日の体道稽古へわたくしは参加をしておりません。昨夜急に入ってしまった野暮用のために、やむなく休んだのです。おそらく今はみんな、1001教室で投げたり投げられたりしているのでしょう。稽古を休んだのは久しぶりです。

 師匠の北朝鮮核問題に対する文章には驚きましたね。いや、何が驚いたって、文体が深刻なのです。ああいった文体はふだんの師匠からは感じられません。論文なんかを書くときにはああいった感じになるのでしょうか。
 わたくしとしてはこの問題に対してなにも云うことはありません。というのも、是非を判ずるという意味がそこにはないからです。判断するとかしないとか、良いとか悪いとかいう次元ではないでしょ?小難しいことはどうでもいいんです。

 明日は稽古に参加します。ただ、今日はその野暮用のために、おそらく夜半までパソコンへ向かうことになりそうなので、もしかしたらグロッキーな男になっているかもしれません。
 ま、とにかく明日会いましょう。
 みんな、稽古がんばってくださ〜い。
posted by 札幌支部 at 19:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2006年10月11日

この軟弱野郎が!!

 こんばんは、裏部長です。今日のタイトルを見て、「アレ、もしかしたら裏部長さんは気でも違ってしまったんじゃないかしらん」と思われた方もいらっしゃることでしょう。
 でも大丈夫です。わたくしは冷静です。冷静沈着な男なのです。このタイトルは、今日の稽古におけるわたくしへの叱咤激励なのです。

 今日は師匠とA君とわたくしだけの淋しい稽古でしたが、後半の刻み突きや追い突きの稽古では得るところが大きく、また久しぶりにミットのようなものを突いてみて触感としての自分の突きを感じることができました。
 ただ残念だったのは前半、基本稽古のほうです。師匠は先週来のわたくしたちの意見を取り入れてくだすって、蹴りなどの本数を左右三十本づつから五十本づつへ(ゆっくり蹴るのを入れると六十本づつ)増やしてくれたのですが、今日のわたくしはやる気というか、モチベーションが非常に低く、体調が悪いわけではないのに躰がよく動きません。正直に云うと、冒頭の其場突きの時点ですでにキテました。
 そのあとはもう惨憺たる有様です。廻し蹴りが終わったころには、本当に吐きそうでした。その波紋は最後の横蹴りに至って、左右の脹脛がつるという老化現象まで引き起こし、わたくしを落ち込ませました。こんな稽古は久しぶりです。
 後半のところで何とか取り戻したものの、あまり良いことではありません。以後、気をつけたいと思います。

 ミットを実際に突いてみての稽古では、刻み突きにおける腰の前進に関して新たな発見あり。また受けのほうでも新たなポイントが示され、あとはやるだけといった感じです。

 明日は体道稽古ですが、今日の二の舞にならぬよう努めたいと思います。

 追伸。基本稽古における蹴り各種では、個人的にはあまり頑張りすぎず、力まないこと、軸・重心の安定を心がけてやるべし!これも今日の収穫です。

 裏部長でした。
posted by 札幌支部 at 23:26 | Comment(1) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2006年10月10日

嗚呼、嘆きの夜間歩行!

 こんばんは、裏部長です。部長やS呂君、ON君らは学校祭、お疲れさまでした。雨は降るは風は吹くはで大変だったようですが、それでもめげずに売り抜いたのですね。頼もしい限りです。しかし、その結果、部長が病院送りになったというのは心配です。あのひとは頑丈そうに見えてその実かなり繊細な人間ですから、今後の稽古に響かないことを祈ります。

 師匠からは先日のわたくしの書き込みに対する回答を寄せていただきました。たしかに道場差でしょうねえ。うん、それはわかっているのです。ただねえ・・・・・・その道場差というのが、ねえ・・・・・・まあ、その差異がないと各流派、各道場の特色というものがなくなって武術も面白くなくなってしまうし、もし空心館の空手が優れていると知ったならそれは他の同業者に対して誇れることですから、隠し玉のようにして温めておけばよいのでしょうが、う〜ん・・・・・・う〜ん・・・・・・。

 ま、そんな答えの出ない話はまた今度にしてしまって、今日はまたまた映画のことでも書きましょう。稽古のあった日はどうしてもその内で感じた自分の感想のようなものを書いてしまうため、今日のような日にしかそれ以外のことを書けないので、武術以外の文章なんて興味ない!なんてツレナイことを云わないで、どうか最後まで読んでくださいな。

 あっ、そういえば昨夜遅くにようやく小説『アキハバラ@DEEP』/石田衣良(文春文庫 686円+税)を読了しました。映画を観てから読み始めたので、期間としてはかなりかかってしまいましたが、どうにか読了することができました。
 今回は発見がありました。それは、映画やTVドラマになった小説を読む際は、映像のほうを先に見てから読むべし!」これですね。
 よく原作本を読んでから映画を観にいったら全然おもしろくなくてガッカリした、なんて話をよく聞きますが、わたくしにもそんな経験はございます。最近でそんな体験をしたのは、TVですが、TBS系列で放送されていた『白夜行』というドラマがありましたね。山田孝之綾瀬はるか主演の。わたくしはあのドラマが始まる前に東野圭吾さんの原作を読んでしまったのです。
 結果は案の定、ドラマは吐き気を催すほど退屈なものでした。そう感じたのか元からそうだったのかは判りませんが、しかし矢張その方法はおすすめできませんね。
 今回の『アキハバラ@DEEP』は何より、先に観た映画がよかった。それは先日のBlogに書いてある通りで、原作の内容を十分に映画化して成立させていました。つまりそこには視覚的なキャラクターや世界観があるので、それを観てから小説を読むと、イメージがスムースに出てくるんですね。これが読み進めるのに役立ちます。また、小説のほうには出てきて映画では削られているキャラクターやシークエンスを探すのも面白いです。つまり、映画化に際してカットされた部分というのは、削っても本筋には影響のない、本当の意味での無駄なものですから、それが小説にどれほど含まれていたかを知るのはちょっとした映画の勉強になります

 さて、今日わたくしが見てきた映画はまたも日本映画です。タイトルを、夜のピクニック』(日本映画2006)といいます。
 原作は恩田陸の同名小説。主演は、多部未華子石田卓也。脇役に郭智博西原亜希貫地谷しほり松田まどか柄本佑、友情出演風に加藤ローサ。年配者としては嶋田久田山涼成南果歩。監督は『13階段』などを撮った長澤雅彦(今回は脚本も共同執筆しているとか)。
 ストーリーとしては簡単です。ある高校に名物行事「鍛錬歩行祭」というのがあって、まる一日をかけて往復八十キロメートルの道のりを徒歩で行き来する。生徒たちはみな指定の白ジャージを着て、長い列をつくって歩く。なんといっても高校生の24時間テレビみたいなものですから、その間にはいろいろなドラマがある。まあ、ほとんどが恋がらみですけど、彼らの人生と恋路が、まっすぐに伸びる歩行コースに重なって、辛いけど立ち止まるわけにはいかないんだ、みたいな感じにおさまる映画です。

 わたくしの感想としては、最悪。もう心底ガッカリというやつです。みなさんもそうかと思いますが、映画なんてものは開始三分、かかっても五分でその優劣が判ります。逆にいえば、優れた映画は開始五分程度でお客さんの心をガチッと掴んでいるものです
 今日のこの映画は見事に手離しました。あとはもう苦痛の二時間です。久しぶりに途中で寝てやろうかと思ったくらいです。
 まず第一に原作が地味話にすこしも派手なところがないんです。だって、高校生たちが一列になって歩いているだけですから。撮影のアングルもその横顔や前からのツー・ショットないしスリー・ショットということになる。そんな画に動きの出るはずがありません。
 脚本としても、行列は前に進んでくれますが、それにあわせてストーリーも前進させることができていないので、どうしても停滞感で出てきます。これは伊丹十三さんがうるさく仰っていたことですが、「映画は常に現在進行形でなければならない」のですから、そりゃ眠くなるはずです。
 そこでたぶん脚本家は考えたのでしょう。歩いている現在の主人公たちがなにかを見る、誰かを見つめる、それがきっかけで過去のシーンが蘇る。つまり、あちらこちらに回想シーンを入れることで飽きさせないようにしています。これは苦肉の策でしょうが、過去へもどるということは確実に現在進行形ではありませんから結局、停滞です。これはかなり手痛い。
 笑えないギャグ・シーンや、アニメーションといっしょに映るシーンも意図がはっきりせず、観客の集中力を奪っています。
 
 第二の過ちはキャスティングです。この映画はことごとく配役ミスで成り立っています。
 主演の多部未華子さんは魅力のあるひとで、キリリとした切れ長の目が意思のつよさを表していて、それだけはとても結構なのですが、どうも主演という器じゃない。それに監督も彼女をメインらしく撮れていませんから、どうもその他大勢のようになってしまって影が薄くなってしまっています
 もうひとりの主演、石田卓也君はまったくいけません。このひとはどうも眉間にシワを寄せる癖があります。あれはおそらく演技ではないでしょう。もうのべつ険しい目つきをしているのです。たしかに硬派なところのあるキャラクターではありましたが、それにしてもああ毎度毎度睨まれては困ります声もあまりよくありません
 脇をかためる西原亜希さんや加藤ローサさんは、つい先日までフジテレビ系列で放送されていたTVドラマ『ダンドリ!』に出ていたひとで、貫地谷しほりさんは映画『スウィングガールズ』に出ていたひとです。今回のキャスティングではこの貫地谷しほりさんが一番よかった。

 撮影のことに関しては、ただ残念のひと言に尽きますね。
 冒頭、歩行祭のスタート地点である校庭に主人公の少女がやってくる、いっしょに登校した別のクラスの友達とわかれて自分のクラスの集合場所へ歩いてゆく、その途中では実行委員がルートの確認をし、カップルは互いの健闘を祈ってお守りなんかを渡したりし、馬の仮面をかぶって躍っている二人組みもいれば、すぐに男を惚れさせてしまう魅惑の女子生徒があたりの男子たちへお菓子を配っている・・・・・・など、これらのシーンをなんとこの監督はワンシーン・ワンカットで見せました。つまり、主人公が入ってくるところから校長の挨拶がはじまるまでの数分間を一度もきらずに撮影したのです。この手法は黒澤明さんから三谷幸喜さんまで活用しているもので、俳優たちの緊張感を掻き立てる以上に、現実の時間とリンクさせて臨場感を出すことができるのです。
 ブレの少ないステディカムというキャメラでこの長廻しのシーンを見せたわけですが、しかしこれが残念。ただ長く一気に撮った、というだけで、それ以上の凄さがない。むしろ人物が入れ代わり立ち代り動くので観ているほうで気持わるくなるだけでした
 先日、TVでも放映しておりました映画『あずみ』の後半で、上戸彩オダギリジョーがたたかうのを、縦回転三百六十度のキャメラ・ワークで見せたシーンがありましたが、あれも同じ結果です。撮影手法の大変さの割りにさほどの効果が出ない・・・・・・
 名人といわれた噺家の古今亭志ん朝師匠は、

       「奇をてらうのと切り口が斬新なのは違う」

 と云われておりましたが、本当にその通りだと思いました。撮影した当人たちは達成感がありますから、どんなに時間が経ってもそれに気づきませんが、製作した本人たちが熱狂してしまったシーンほど良くないものはないのです

 この作品でよかったところ。多部未華子の涼やかな目、貫地谷しほりの小気味よい声、ラスト、すべての蟠りがとけて皆でいっしょにゴールしたとき、その裏側に書かれている「START」の文字が見えたところ(スタート・ゲートはリバーシブルでゴール・ゲートにもなっている→これはゴールではない、スタートなのだ)、撮影にパナヴィジョンのキャメラを使っていたこと。
 これくらいです。点数をつけるなら、百点中二十点がよいところ。とても、大人料金を払って観にゆくようなものではありません

 今日のような駄作もわたくしにとっては良い勉強になります。悪い例でも一度カラダに通しておくと、あとで自分が同じような場面に遭遇したとき気づきますから。「ああ、このままだとあんなダメ作品になってしまう!」ってね。

 長くなりました。今日はこのへんで。
 明日は空手の稽古です。
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2006年10月09日

嗚呼、哀しき老爺たち

 裏部長です。どうもこのBlogは週末になると書き込み率がさがるようですね。いけません、いけません。毎日のように来ている門弟諸君はわかっているでしょうが、全く関係のないページから飛んできたひとは、長らく更新されていないと知って、ろくすっぽ読まずに去ってしまう可能性があります。不肖裏部長がひとり淋しく不退転の決意でどうにか書き込んでおりますが、もっと皆皆さまにも頑張っていただきとう存じます。

 さて、今日は体育の日。TVでは出雲駅伝をやっておりましたが、スポーツの秋ですね。北海道はもう十分肌寒いですけど、冬になる前のほんとうに丁度より季節です。そろそろ紅葉、といった感じでしょうか。
 今日はこれと云って書くことはありません。朝も遅く起きてダラダラとTVなどを見て、小説の清書などをしただけで映画も観ませんでした。週末恒例の映画評論のコーナーはお休みです。期待していたひとはゴメンね。

 ただ、そうかと云って挨拶のみで終えるのも味気ないので、先日ふと感じたことを書いておきます。

 わたくしは現在、ある警備会社で働いておりますが、諸諸の理由でいまは制服を着ず、ビルの管理業務に従事しておりますが、そのなかで半年に一回「現任教育」というのがあります。これは警備員として働いているひとならば全員が必ず受けなければならないもので、法律でそう決まっているのです(「警備業法」という法律です)。
 警備員に必要な法律の知識、数数の事態を前にしての対処法から実務においての率直なディスカッションなどをするわけですが、その内には当然「護身術」というものもあります。
 教本のなかには主に、素手による防禦と反撃の仕方、護身棒の扱い方、護身杖の扱い方などがございますが(ほとんどが実戦に不向き)、ウチの会社は警備業のみの会社ではなく、また加えて適当な指導者がいなかったために、これまではその稽古を殆どやっておりませんでした。そのせいで起こった事故や事件があまり無かったせいでもありましょう。たいへん無防備な考え方です。
 それが、わたくしは入ったことで少しはその稽古ができるだろうということになり、夏に行われた現任教育ではわたくしが指導官になって空手の抜手術などをレクチャーしました。師匠に教わったとおりに、懇切丁寧に指導をしたのです。
 しかし・・・・・・これが惨憺たる有様でした。
 まず第一に、警備員として働いているひとがほとんど老人であるということ。二十代のわたくしが最年少で、最年長はもうすぐ七十歳というひとです。よって体力がない。集中力がない。本当は解っていないのに教えて五分ほどで「ハイハイ、わかりました」と教授を放棄する。あとは半分ふざけて談笑をしながらの稽古です。いや、あれはただの談笑でした。警備員が聞いて呆れます。もし少しでも格闘技の経験があって、実際にヒトを殴ったことのある誰かがあの老人たちに襲いかかったなら、おそらく誰かは死にます。
 きっと、三人くらいは一撃で死んでしまうことでしょう。

 この顛末をよんだ原因は三つあります。ひとつは、実際の勤務においてそのような護身術を必要とする現場に出遭ったことがないため。ふたつめは、それが故に、わざわざ老体にムチ打って稽古をする意味を見い出せないため。そして三つ目は、指導するこちら側が、彼らのような老人たちにたかだか十分間ほどのレクチャーをしたところで実戦に役立つとは到底考えておらず、最初から半分諦めていたため、でしょう。
 わたくしたちのように週三回から四回の稽古を毎週、真面目につづけていても万全ではないのに、常に実戦の場に立たされる彼ら老人たちにそれ以上の実力をのぞむのは最初から無謀なことではありますが、そういった仕事なのだから仕方ありません。もし本当に護身術をかれらに教えたいのなら、毎週何度かの稽古日を定めて、その練習を続けさせることです。そうしなければ、いつか事故が起きます。

 老いるということはそういった面で非常に辛いですね。まず他人の話を聞かなくなりますから。わたくしも社会に出て、いろいろな人と出逢ううちに、「ああ、こんな大人にはなりたくない」と思う他人がだいぶ出てきたように想われます。
 空心館本部道場の方方には、そんな大人がいないことは不思議でなりません。

 今週の稽古は水曜日からです。
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2006年10月08日

人体を突くということ

 こんばんは。今日も風がつよく、あんまり良い天気ではありませんでしたね。部長たちはそんな今日も大学祭でがんばっており、ご同情申し上げます。師匠も出勤だとおっしゃっておりましたから、日がな一日ヒマにしていたのは、もしかしたら裏部長だけだったかもしれません。

 何だかふと思いつくと、ここ最近のこのBlogではあまり武術的なことを書いていない気がしたので、今日はそんなところを埋めるためにも、まあさして大したことではありませんが、武術に関係したことを書きたいと想います。

 わたくしは師匠のもとへ来るまでは合気道いっぽんで、空手の「か」の字も知りませんでした。拳の握り方はもちろん、足の上げ方や構えの仕方、攻撃の捌き方など、空手の技術に関してはなんら持ち合わせていなかったのです。だから最初のうちはまさに四苦八苦といった態で、毎日アワアワしながら稽古をしていましたが、もう最近はどうにかそのあたりにも馴れ始めて、細かな技の話にも対応できるようになりました。
 そうこうしている間に、嬉しいことにどんどんと後輩たちが増えて、札幌支部も賑やかになってきたわけですが、師匠や部長が不在の際などはわたくしが先導役を買ってでて稽古をします。新人が入ってきたら拳の握り方から蹴りの話、構えと重心の関係から捌き方の理論にいたるまでを、まあ殆ど受け売りですが、わたくしのほうで伝えてしまうことがよくあります。
 そのなかでは一応、師匠の方針を踏襲して、かなりの鈍感人間でない限りは初回の稽古で移動、もしくは約束組手までをひと通りやってしまうのですが、最近その約束組手を指導していて気づくことがあったのです。
 それは「人体を突くということの難しさ」です。これなんぞはとても何気ないことで、空手をやっているひとならば日常、もちろん道場の内だけででしょうが、当たり前のようにしている行為です。ただこれが案外むつかしい。これまで打撃系の武道をやったことのない人ならば勿論ですが、過去に空手の経験がある若しくは現在もどこかでやっているという人でも満足に突くことができないのです
 わたくしはたまに、新人に対して構えを解き、こちらの腹部へ思いっきり突けと云うときがあります。そうすることで相手との間合い、突いたときの衝撃や自分の躰のバランスなどを学べるからです。真面目に稽古をつづけて一年も経つと、もうこちらとしても黙って喰らっていてはキツくなりますが、それまでの新人の突きであればどうってことはありません。たとえ彼らが空手の経験者であっても、です。
 これはどういうことでしょうか
 つい先日入ったばかりの新人二名はいづれも空手の経験者、ひとりは高校で競技空手を、もうひとりはそれより若いころにフルコン系の空手をやっていたそうですが、彼らの突きにはまだまだ耐えられます。何週間とか何箇月とかいった短い期間ではなく、数年間空手をやってきた彼らの突きが屁でもなく、ウチで零からはじめて一年足らずのひとの突きがもう耐えられないほどの鋭さを持っている・・・・・・これは紛れもない事実なのです。

 技術論として、突きというものはどういうものか、そんなことを問うていては限りがありませんが、もっと広い意味で問うて、空手という大きなフィールドにおいて、どうしてこうも突きの精度というものが違うのでしょうか。なにも空心館の自慢をするわけではありませんが、わたくしはここの空手しか知らないもので、どうもその差異がおかしく感ぜられて仕方がないのです。同じ空手なのにどうしてこうもレヴェルが違うのか?わたくしだってまだ初めて三年も経っていません。そんな未熟者の突きがどうして「素人には突いちゃいけない危険な突き」で、わたくしよりも長く稽古しているひとの突きが「黙っていても耐えられる突き」にしかならぬのか?

 みなさんのご意見を伺いたく存じます。裏部長でした。

 
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2006年10月07日

雨に想うこと

 こんばんは。便秘ぎみの裏部長です。みなさん、お通じのほうは如何でしょうか。

 S呂君の悲壮感ただようBlogでもお判りの通り、札幌大学の学校祭は、降りしきる雨と強い風、加えて肌を刺すような気温の低下と、残念な結果となりました。祭りを満喫する前に売り子として活動をしなければいけない彼らは大変だったでしょう。察するに余りあります。

 実はわたくしも今日は午後から大学へゆきました。いえ、大学祭へ行くためではありません。師匠のお誘いで、師匠の研究室で行なわれる研究会へ参加するためです。
 これは札幌大学の大学院、文化学研究所というところの企画で、まあ主として頑張っているのはウチの師匠ですが、方方からいろいろな先生方を読んで貴重なお話を伺おう、というもので、今年のものではこれが二度目の開催になるそうです。わたくしは学問とは縁遠い人間で、また大学院とも関係はありませんが、今回は参加人数が極端に少ないというので、なかば席埋めの役割として呼ばれたわけです。
 とはいえ、わたくしが全く興味を持たずに行ったかというと、そうでもありません。わたくしは小説なんぞを書いてますね。肩書きとしたら「小説家」とか「作家」なんてことになるでしょうが、これらを全てひっくるめると「アーティスト」ということになり、これを日本語へ訳すと「藝人」ということになります。昔から「藝人は乞食袋になれ」と云うように、藝人は自分のなかへは出来うる限りさまざまなものを入れておきたいものなので、わたくしも門外漢だとは知りつつも、恐れず行ってしまったわけなのです。

 感想としては別に幻滅したとか、退屈だった、なんてことはありませんでしたが、恐れていた事態は少なからずわたくしの身体のなかで起こっておりました。
 今回のゲストは奈良の工業高等専門学校のM先生で、テーマは「刑法と近代スポーツ史」。そのお話や文章はとても興味ぶかく理解できて、また今日のお話の前半はかなり愉しく聴くことができたんです。学問を毛嫌いしているわたくしにとっても有意義な時間でした。
 しかし後半からがいけない。休憩のあとは質疑応答です。参加されていた様様な大学の先生方が質問する、師匠のもとで研鑽に励んでいる大学院生のH田君らも負けじと質問をする、その都度M先生がお答えになる・・・・・・こうなるともう、わたくしのような門外漢は気分が冷めてしまいます。「はいどうぞ、そっちで勝手にやってください」という心持になってしまう。彼らがどんなに言葉をとばし、理論を披露しても、それらの声はわたくしの顔前を素通りしてゆきました。
 わたくしは痛感しました。ああ、やはり学問のひととは同じ世界に住めないのだと。自分の知らない世界を知り、そこからさまざまなものを吸収する気で行った人間のその熱意さえも冷めさせる学問の壁は大きいものです。

 大学を出るともう夜で、しかし雨はまだ降っていました。その空を見上げて、ふとそんなことを想った夜でした。
 
 尚、わたくしは学問や学者といった方方を批難しているわけではありません。ただわたくし個人の好みのことを書いているだけで、学問を愛し、学問に生きているからといって、わたくしの文章に腹を立てるのは筋違いというものです。師匠はわたくしのそんな文章の書き方を見て、「もう少し柔らかく書いて、敵を作らないように」と諭してくださいますが、藝人は云いたいことを云い書きたいことを書く人間なので、自分の意見を出すときは遠慮をしません。
 あしからず。
 
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2006年10月06日

彼は本当にアンフェアだったか

 どうも、裏部長です。今日の稽古は、札幌大学の大学祭のためお休みでした。部長やON君、S呂君あたりはその準備に大童になっていることでしょう。
何でも彼らはインドネシアの料理屋台を手伝うそうで、明日明後日と、大学構内で売るそうです。ただ明日の天気予報は雨なんだよね。彼らの商売繁盛のためにも、予報が外れることを祈ります。

 さて、稽古もなかったので、思いついたところを少し書いて今日は終えてしまいたいと思います。

 先日、フジテレビ系列で放送されたTVドラマ『アンフェア』のSP版が放映されましたが、見たひとはいるかな。篠原涼子主演で、原作は秦建日子『推理小説』(河出文庫 590円+税)。警視庁捜査一課の刑事で、検挙率ナンバー・ワンを誇る雪平夏見が、身の回りでおこる数数の殺人事件にいどむクライム・サスペンスだ・・・・・・と云えば聞こえはよいですが、内容はからっきし。TV版では原作にないオチをつけていましたが、すべてが最後の最後で取ってつけたような話で説得力に欠け、あれならば、わたくしが考えていた真犯人のほうが良かった、そう思います。

 ドラマを見ていて、わたくしは「ああ、この流れだとこのひとが犯人だな」と推量をつけました。こういうタイプの話では、どうしても構成の仕方が似てしまい、結果的に同じような位置づけの登場人物が真犯人になってしまうのですが、これは逆に云うと、そのひとが真犯人だとすべてがスッと胃の腑に落ちるということなんですね。見ているほうも納得がゆくのです。
 ですから、わたくしもこの十一本のドラマを見ていて、多分このひとだろうな、という推量はしていたのですが、案の定、さっき思いついたようなエンディングで締まりません。ガッカリです。だからこのドラマのことなんかはすっかり忘れていたのですが、つい数日前、その続編ともいえるSP版が放送されました。
 一応、前作を見ているので、こちらも見てみました。すると、どうでしょう。
 続編のほうで出てくる真犯人が、わたくしの推理していた人だったのです

 あの事件の起こし方や謎の配置、主人公の過去と、彼女にむかって事件が起きているという構図、真犯人を明かしたときの意外性なども鑑みて、やはりあのひとがすべての黒幕だった、と最初からしていればこんなことにはなりませんでした。製作者側はおそらく最初から、十一本の連続ドラマをつくり、そのあと数箇月してから続編のSP版をつくり、さらにその尻を引っぱって映画まで作ってしまおうと算段していたのでしょうが、もし最初の十一本でそこまでを詰め込むことができたなら、今回の三倍、いや、五倍優れたサスペンス・ドラマになっていたことでしょう。

 同じジャンルでしかも同じTV局系列で放送されたTVドラマ『沙粧妙子・最後の事件』(1996.7.12〜9.20水曜九時)と比べれば、そのレヴェルの低さがよくわかります。まあ、当分はこのドラマを超えるものは出てこないでしょうけど。

 真剣に見てくれる視聴者に対して、誰よりもTV側がアンフェアだった。
 こんなオチで今夜は勘弁してください。

 裏部長でした。
posted by 札幌支部 at 20:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記