2006年11月05日

昔を愉しむ難しさ

 こんばんは。裏部長です。ここ数日の札幌の天気は、日中晴れて、夜はすこし雨が降るという、なんとも不思議なもので、まさしく「女心と秋の空」ですが、この言葉、本当は「男心と秋の空」が正解だそうです。女よりも男のほうが目移りして困る、といった意味なのでしょう。

 言葉の話をつづければ・・・これは最近仕入れた知識ですが、よく高評価を得たことを受けて「この商品は折り紙つきです」などと云いますが、これは間違い。「折り紙」は鶴とか飛行機とかを折るあの折り紙のことで、この場合は「おりかみ」が正解です。
 また「百鬼夜行」を「ひゃっきやこう」というアナウンサーがいますが、これも違って本当は「ひゃっきやぎょう」。言葉というものは難しいものです。
 しかし、よくこんな話をすると、「あんた、年の割りに細かいことに五月蝿いのね」なんて厭な顔をされますが、そんなマメ知識を得たときはむしろ得意げになってもらいですね。つまり、自分はここにいない友人たちよりも少しだけ賢くなった、と喜んでもらいたいのです。
 わたくしなんぞは言葉をつかってどうにかこうにか生きてゆこうとしている人間ですから、そういった知識を得たときは嬉しく感じます。得したな、と思いますよ。

 さて、今日は朝から映画鑑賞をしました。観たのはどちらも邦画で、一本目が『幕末太陽傳』(日本映画1957)、二本目が『獄門島』(日本映画1977)です。
 『獄門島』は、有名な金田一耕助シリーズの一作で、監督は市川昆。二時間ちょっとの長い映画でしたが、退屈することなく観ることができました。
 この金田一シリーズは一貫してひとつのトーンというか、作品の雰囲気が統一されているので、当たり外れが少ないように思われます。まあ、そのトーン自体が非常に暗いので、馴染めないひとは一生馴染めないでしょうが、しかし、観ているなかで「これはホラーなのか、それともコメディなのか」と、観客が迷ってしまうような作品にはなっていません。最近の日本映画に見習ってもらいたいところです。
 でも、こういった作品に出てくる死体はどうして白目を剥いているんでしょうね。あの死に方が映画全体の不気味さを醸しだしているのかもしれません。

 二つ目の『幕末太陽傳』は川島雄三監督の白黒作品。出演者には、フランキー堺石原裕次郎南田洋子菅井きん小沢昭一さんなど豪華なメンバーが顔を揃えています。
 舞台はタイトルにあるように幕末ですが、その内容は奇想天外で、基本的には落語の「居残り左平次」や「品川心中」、「三枚起請」、「お見立て」などの噺がクロス・オーヴァし、そこへ裕次郎演ずるところの高杉晋作ら、幕末の志士たちが登場して、エゲレス(イギリス)公使館を焼き討ちにゆく、という史実に至る、コメディ・タッチの時代劇。尺もあまり長くなく、しかし時代考証などはしっかりと為されていて、当時の遊女たちの話し方生活のリズム品川という土地の特徴などがよくわかる作りになっています。
 しかしこの作品は、ある程度落語を知らないと面白くもなんともない、と云えるでしょう。
 たとえば、そのお店の遊女で、指名数ランキングで常に上位を争うふたりの女がつかみ合いの喧嘩をするシーンがあるのですが、このときの喧嘩の原因は、片方がもう片方の女へ、「お前なんかお茶っぴきじゃないか」と云ったことにあります。これを聞いて女が烈火のごとく怒ったのです。
 この「お茶っぴき」(お茶挽き)というのは、お客に指名されず、ずっと待機していることを云います。よく時代劇で吉原なんかが出てきて、男たちが店のなかを覗く。そこは格子になっていて、なかに女の子たちがずらっと並んでいる。「ああ、おいらはあの娘が好みだな」なんてことを云うシーンがよく描かれますが、中見世などでは、お客はあそこで良い娘を見立てて指名し、店へ上がるのです。よって、指名のない女はそこでずっと坐り通し、そのことを「お茶挽き」というのです。
 このほかにも難しい言葉や習慣が出てきます。
 こういったお店では、初めて来た客は花魁にお酒を注いでもらって少し居て、その日はその程度で帰ってしまいます。なかには口を利いてもらえずに帰ってくるお客もいるくらいです。しかし、その花魁に惚れたとなればすぐに二度目となる。この二度目に来ることを「裏をかえす」といいます。これがわからないと落語『居残り左平次』のサゲが理解できませんし、劇中の台詞もよくわからないと思います。
 遊女がお客に対して乱発していた「起請文」というのは一種の契約書で、誰誰と年季があけたら夫婦になります、といった文章と血判が押された、熊野の護符です。昔から、その起請文を一枚書くと(つまりは、そんな重要な約束を破ると、という意味)、烏が三羽死ぬといわれ、また一方の遊郭では毎朝、大量の烏がやってきてエサをねだって大いに啼く。それが五月蝿くて遊女たちはゆっくり朝寝もできない・・・・・・。
 これを踏まえていないと、落語『三枚起請』は意味不明です。「三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい」なんて都都逸や、この映画の中盤のシーンも理解できないのです。

 上記のように、現代に生きるわたくしたちは、たった一本の古い映画、そこに描かれている古い日本を理解するのに、これだけの知識を新たに仕入れなくてはならないのです。
 ちなみに、落語『居残り左平次』は、見ず知らずの男たちと品川で大いに遊び、結局代金を払えずにそこの店に居残るのことになった左平次が次第に店の人気者となり、最後はいろいろと理由をつけて金を真新しい着物をもらって出てゆくという噺。店の男衆たちは、何かというと自分たちよりも左平次のほうが持てはやされるので面白くない、皆で亭主に抗議し、それを受けて亭主は左平次へ出ていってくれと云うのだが、「実は自分には前科があって、店を出た途端に御用となってしまう」と嘘をつき、旅の資金と返送用の着物をもらって店を出る。男衆たちは腹立たしい。
「あんな奴にどうして金なんか」
「いいじゃないか。これで帰ってくれるんだから」
「面白くねえ。そいじゃせめて裏からかえしてくれよ」
「何を云うんだ。あんな奴に裏かえされてたまるか」
 と、これでサゲになる。つまり、裏から帰すのを、店へ二度目に来る「裏を返す」にかけた地口オチというやつですな。

 『三枚起請』は、同じ遊女から同じような起請文をもらっていた三人の男たちが、怒りにまかせて仕返しにゆく。問い詰めると遊女は逆ギレ。
「あたしはこれが商売だよ。これからだって何枚でも書いてやるさ」
「お前知らないのか。熊野じゃな、起請一枚書くごとに烏が三羽死ぬってんだぞ。てめえ、そんなに烏なんか殺して何しようってんだ」
「あたしも遊女だもの、ゆっくり朝寝がしてみたい」
 これがサゲです。なかなか乙な噺でしょう。

 映画の話がすっかり落語話になってしまいました。落語嫌いのひとは勘弁してください。
 明日からは新たな一週間。気張ってゆきましょう。
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2006年11月04日

ある名人の言葉

 こんばんは。何時間もパソコンに向かい、頭痛に悩まされている裏部長です。わたくしはどうも長時間このパソコンというやつに向き合うことが苦手で、すぐに肩が凝って頭が痛くなってしまいます。人間が古いのでしょうか。

 さて今日も軽めに。よくウチの師匠も云っていることですが、最初のうちは其場突きも蹴りも、内受けすらも初心者はできません。そのうち徐徐にコツを掴んでいって馴れてきて、それまで出来なかったことが出来るようになってくる。後から入ってきた後輩たちを見ればその差が歴然として判るものです。
 しかし、そういう風にすこし出来るようになると、出来ていなかった頃の自分の動きを再現することができなくなります。たとえば後輩たちにその例を示そうにも、「良い例」はできるのですが「悪い例」、つまり出来ていなかった頃の動作ができないのです。
 師匠曰く、そのどちらの例も示せるようになれば凄い!というのですが、有段者のなかの師範代クラスの方方はこれができるわけですね。だから他人に教えることができるのです。
 もちろん師範代でなくても、本部のO先輩や奈良のM田先輩たちも同様ですね。あのくらいまで行ければ、わたくしのような人間でも「良い例」と「悪い例」をやって見せることができるのです。

 これを他の世界で云い表したひとがいました。舞踊の世界では名人といわれた、七代目の坂東三津五郎です。
 この人はその世界で確実に名人といわれながら、「名人会」と名のつくところへは決して出ず、「自分は名人を目指してやっているが、未だその段階には達していないので辞退いたします」と、その信念を貫き通した方ですが、この坂東三津五郎さんがこんな言葉を残しておられます。


「出来る人間は“出来ない”真似も出来る。出来ない人間は“出来ない”真似すら出来ない」


 ね?どこかで聞いたような言葉でしょう。やはり芸事の世界というのは同じものなのかもしれません。

 
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2006年11月03日

控える。

 こんばんは、裏部長です。今日は祝日のため、札幌支部での稽古は休みです。OBさんなんかは月曜日と金曜日くらいしか来られないので残念至極といった感じでしょう。
 栃木のY先生方はひきつづき本部道場での稽古風景を書いてくれておりますが、右を封印するというのは凄い話です。もうそんな段階に入られたのですね。次お会いするときにはどんな変貌を遂げているのか、少し恐ろしいくらいです。

 さあ、部長の書き込みにもあった通り、最近このBlogではわたくしや本部道場からの書き込みが大半を占めて、肝心の札幌支部からの書き込みが非常に少ない!これは裏部長の個人的なBlogじゃないんだから。みんなも書き込んでくれなきゃ困る!
 ということで・・・・・・今日からわたくしの書く量をすこし控えます。全く書かないとは云いませんが、あまりにも沢山書いて、それだけでこのBlogが成り立っているように見えないよう、ほんの挨拶程度にとどめて、他の門弟諸君の書き込みを促したいと思います。

 本部や奈良の諸先輩方はぞんぶんに、大いに書き込んでください。わたくしも、そういったものにはきちんとコメントを書きます。
 では、どうぞ!
posted by 札幌支部 at 21:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2006年11月02日

体道考察

 今晩は。裏部長です。栃木のY先生ならびにご子息のT君は、本部道場での稽古風景を書いてくれておりますが、こういった書き込みは有難いですね。あの肌寒い道場での活気あふれる様子が見えるようで、できれば懲りずに書き続けてもらいたいものです。

 さて今夜、札幌支部では体道稽古の日でしたが、師匠は「北方文化フォーラム」という大学内のイヴェントで不在、S呂君やON君はロシア語の勉強で忙しく、OBさんは来られない日だし、KB君も来ない、来るとすればA君やH君ならびに部長くらいなもので、あまり参加人数に希望の持てない日だったのですが、案の定その予想は当たってしまい、ひさしぶりにやらずの稽古となりました。
 開始時間の午後六時をまわってもわたくし一人。つい最近入ったばかりの新人ふたりは来るだろうと踏んでいたのですが結局来ず。そのうちH君が顔を出し、こちらも大学内でのイヴェントの関係で来られない旨を聞く。
 そうこうしているうちに部長からメールあり、これから自宅を出てこちらへ向かうという。
 彼が到着したのが午後七時。ほかに参加者はいないし、これから支度をして稽古をはじめても、満足に一時間すらできないため、今日は稽古なしとする・・・・・・とはいえ、部長もせっかく自宅から走ってやって来たので、待っていた間にわたくしが考えた体道の技の応用を少しやって散会とする。

 で、その応用です。彼は現在「日本伝天心古流拳法」の免許之位を復習中なのですが、この課程の十二本の技を、昨夜稽古でやった実戦的用法に照らし合わせて考えると果たしてどんな動きになるのか?これをやってみたのです。

 一本目の「阿修羅落」は相手がこちらの袖を掴みに来る、その勢いをそのまま後方へすこし逃がし、すぐにもどして型の通り下方へ極める。
 二本目の「閂返」はいったん相手の攻撃を受けてから逆方向へ押しもどす技なので除外、三本目の「肘砕」も密着型のため保留。
 四本目の「胸取投」は、こちらの胸倉を掴みに来る相手の勢いをそのまま方向へ流して投げるものと、掴まれた瞬間に相手の顔面(もしくは顎)へ当身を、いったんその身を仰け反らせておいてから後方へ投げるふたつの流れをやる。
 五本目の「車返」は合気道でいう突きの小手返し、六本目の「打込両翼」は同じく合気道の横面打ちに対する捌きを用いてやる。
 七本目の「小手担」は「五月雨」の応用。八本目「後抱取」、九本目「後取」、十本目「前肩取」は動きが少ないため除外。
 十一本目の「下り藤」は躰の密着で相手を投げてしまう。十二本目の「紅葉返」も密着しているため除外して考える。

 除外して考えた技は、相手の攻撃手段とその動きが膠着しているものであり、捌きに流れが生まれないため、出来ないことはないけれど今日はやらずに置いた、ということです。
 とにかく体道でやる技というのは、いわゆるですから、ひとつひとつの動きが硬く、その動作も制限されているため、大切な崩しを得るのがたいへん難しいと思います。まあ、だからこそ、それらをきちんと修得できれば凄まじい威力を発揮するのでしょうが、初歩のうちはその流れというか、崩れを生む動作や、実際に間合いをとって、構えた相手からの攻撃に対して遣う場合の応用などに関してよく解らない部分があるように思われるのです。
 そこで、今日はわたくしの微細な合気道経験をモチーフに、体道の技を流れのなかで利用するとどうなるか、というのを考えてみたのです。
 ま、ただの私見ですが。

 体道という、あまり他の道場には見られない修行方法を行なっているわれわれとしては、この有効な稽古内容をどうにかして空手や実戦的用法のなかに組み込んで行きたいものです。
 若輩ながら生意気なことを申しました。来週からはまた稽古に励みます。

 裏部長でした。
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2006年11月01日

捨て耳

 こんばんは、裏部長です。今日、旭川では朝方に雪が降ったそうです。札幌はまだ大丈夫ですが、夜など風が冷たく、とてもウチの部長のように半袖では帰れません。
 今日は空手の稽古で、師匠も参加されたわけですが、参加者はわたくし以外にA君と、少し遅れて部長があったのみだったので、あまり空手の稽古らしい稽古はしませんでした。
 ただ・・・・・・最近このBlogでもいろいろと書いている実戦的技術についての稽古はやりました。体道のほうで使う挫(ひしぎ)を武器(ナイフなど)に見立てて、素人で若干正気を失っている相手が攻撃を仕掛けてきた場合、どのあたりに目附をし、どのタイミングでどの方向へ避けて、そのあとどういった対処をするか。実際にいろいろとやってみましたが、やってみると難しいながら予想していたよりは出来るかな、と思える程度で、むしろ解り易かったという感じです。
 具体的な方法論については師匠が書かれるでしょうし、もし書かれていなければ口伝ということで勘弁してください。さほど小難しいことではないのですが、知っているのと知らないとでは大分差のあるような話だったので、今日稽古へ来たひとの特権として、ここでは公にしないこととします。

 まあ、栃木のI先生のコメントを見れば大方わかってしまいますが・・・・・・。

 今夜のタイトル「捨て耳」とは、またも落語の世界のことです。まあそれほど大した話ではないのですが、たとえば前座さんが楽屋で仲間たちと馬鹿話をしている、その合間にも高座では先輩がお客さん相手に落語をやっているわけです。その先輩が噺を終えて下がってくるとき、お囃子が入りますが、これは前座さんの演奏になります。そんなとき、もし馬鹿話で盛り上がりすぎてしまうと演奏が間に合わなくなり、あとで大いに叱られてしまうのです。
 そんなときに教わるのがこの「捨て耳」です。つまり、目の前のたれかと話していながら後方の高座の様子を把握し、「サゲ(オチ)が近いな」と判断したらこちらの会話を打ち切って下座へ向かう……要は、意識と聴覚を離して操る技術で、これを身につけていると、たとえば一気に何人もの話を聞くことだって可能になってしまいます。
 わたくしもよくこの稽古をひとりでやっています。外を歩く際なんかも、後ろから走ってくる自転車の音から、その間合い、自転車の種類、乗っているひとの性別なんかを当ててみようとするんです。これ、なかなか面白いですよ。

 明日は体道稽古。
posted by 札幌支部 at 22:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2006年10月31日

受け崩し同時

 こんばんは、裏部長です。
 太気拳の「ヨッシー」さん、コメントありがとうございます。近いうちに必ず、こちらからもそちらのBlogへ書き込みをしたいと考えております。

 栃木のI先生のコメントは頷けるものばかりです。実戦というものは一瞬です。「やった!」と思ったときにはどちらか一方が倒れていなくてはおかしい。そういった意味で、捌いてから当身は遅い、よく解ります。体道なんかでも同様で、形としてはいつも区切って稽古しますが、一瞬で流れのままに行なう場合はきっちり当身をしていてはその瞬間でストップしてしまいます。合気道はこの方面で、すっかり当身を省いてきました。その結果、あの流れるような動きが出来上がったわけですが、その反面、肝心要の当身を忘れ、いや忘れたなんて次元ではありませんね、もうすっかり最初から無かったかのような認識で流してしまうため、技の深み(攻防における技のキレ)が消えてしまったのです。それが武道性の欠如だと云って、いま盛んに話題としているところなのですが、このあたりのことはウチの空手もしくは体道で厭というほど指摘されております。

 つまり、相手がこちらへ攻撃を仕掛けてくる。突いて来るかもしれないし、木刀で殴りかかってくるかもしれない。掴みかかってくる可能性だってある。これを捌く、受け流す、そこからこちらの技に入るというとき、動き始めたときにすでに相手が崩れていないと嘘です。相手は第二第三の攻撃を用意しているか若しくは逃げることを考えているわけですから、技に入った瞬間でやっつけてしまわないと、殺意をもった相手を投げたり押さえたりすることは不可能なのです。
 ですからI先生のお話にあったように、相手の攻撃を捌いた瞬間が相手の崩れた瞬間であって、崩れたということは技がかかったということですから、相手を地面へ引き倒す技であったなら、その次の瞬間にはもう倒れているはずです。当身を入れる余裕はないでしょうね。それに、それくらいのテンポで動かないと、武術の技なんかは遣い物にならないのです。

 と、まあいろいろと偉そうなことを書きましたが、これは理想です。最初からそれが出来れば師範などいらないようなもので、I先生くらいのレヴェルだから普段の稽古でスッとやれたのだろうと思います。
 しかし、これを単純化して考えれば、技のきっかけを「捌く」という言葉で表現した上で、『捌いた瞬間に相手を崩せていればそれで良い』と云うことができる。捌いてから崩す(投げる、押さえる)ではなく、捌いたら崩れている、という状態を常に作り出す。これさえ出来れば武術はできたことになるのではないでしょうか。

 多少大仰な意見ばかりでたいへん恐縮ですが、わたくしは何事も単純化して考える質なので、こんな風に考えてみました。あとは実践あるのみです。
 
 明日はおそらく師匠も来られて、いつも通りの空手の稽古です。
posted by 札幌支部 at 21:08 | Comment(3) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2006年10月30日

突きながら考える

 こんばんは、裏部長です。苫小牧っ子のH君の書き込みは身につまされる話です。まああの事件は、捕まえた側の人間がきちんと訓練された警備員であるかどうか、ただの保安員であったのかどうか、そこんところが判然としないので何とも云えないのですが、もし警備員であれば教育不足、万引きGメンのおばちゃんならば職務の穴と云ってよいでしょう。どちらにしても油断のならない話です。

 実戦における武術の応用に関してはほどほどにして、本日も稽古をしてきたので、まずはそのご報告を。


2006年10月30日(月)晴れ。気づけばもう十月も終わりである。
 午後六時、札幌大学1002教室にて空手の稽古。師匠不在。冒頭、参加者は部長のみだったので、今日は型だけの稽古にしようか、などと相談していたところOBさんがいらっしゃったので通常どおりの稽古をはじめる。
 基本稽古ひと通り。今日は本数少なめ。
 手廻し。
 型。OBさんは「平安三段」を細かく。部長は「転掌」の確認。
 約束組手(中段追い突き)。栃木方式でおこなう。いろいろなことを考えながら突く。
 OBさんへ突いてゆくときは、とりあえず脱力。向こうにきちんと反撃を入れさせ、それを二本目(左手)で捌くようにする。一本目をサッと突く。そのスピードと軽さ、しかし、軽く突いているうちに相手の胴体に隙が見えたため、そこへ当てる突きにしてみる。
 部長へ対しては近間からの、例の「スッと入ってパッと突く」を実践。無駄な動き、力み、ブレを排除して一瞬で突く。その勢いを止めずにどんどんと攻める。二本目三本目はまだ馴れぬため上手く突きにならないが、それでも押してゆくことはできた。
 八時、終了。


 先週金曜日の稽古がいけなかったのか、今日は右太腿に痛烈な筋肉痛があって蹴りが思うように出せませんでした。極力脱力してどうにか稽古には附いていったが、筋肉痛が残るようではまだまだ力みがある証拠でしょう。反省反省。

 最近ひそかに発見している武術と落語の共通項ですが、わたくしがどんなに声高にその発見に悦び勇んでも、後輩たちはあまり喰いついてきませんね。落語なんて聴かないのでしょうか。ひとりで盛り上がっている裏部長でした。
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2006年10月29日

武を考える

 こんばんは、裏部長でございます。
 昨夜のわたくしの書き込みに、本部のI先生がコメントを寄せてくださいましたが、なかなか興味ぶかい内容で、勉強になります。ウチの師匠もここんところはあの事件のせいで少し実戦的な技法というか対処法というか、素人相手の攻防術のようなものを検討しはじめておりまして、まあ遊びのような雰囲気で一度、挫かなんかを持って自由に攻撃をさせ、それを捌く稽古をしてみようかと云っております。いざやってみると恐らく予想以上にあまり巧くはできないように思えますが、しかしI先生のお話などを読むにつれ、やってみようという気にもなりますね。

 ただそういった実戦的な動きを考える際にわたくしはどうしてもある言葉が気にかかるのです。それは合気道養神館の故・塩田剛三さんの言葉で、これは合気道開祖・植芝盛平さんもおっしゃっていたことらしいのですが、つまり「実戦では投げが三分に、当身が七分」という教訓です。お二人はどちらもそういった実戦経験の持ち主ですし、わたくしも一時期は真剣に合気道をやっていた人間なので、これは無視できない言葉なのです。

 まあ「投げが三分に当身が七分」というのは、向こうが多人数であった場合であって、ひとりの人間に時間をかけていては次から次へと掛かってくる第二第三の敵に応じきれない、だから一瞬で倒すことのできる当身を多用するのだト、こういう意味なのですが、これを考えるとI先生のコメントにあったお話とは少し違ってきて、またわからなくなってしまうのです。
 相手が刃物などの武器を持っていれば尚のことで、その腕を取ろうとか、関節を極めようとか、投げようとか、押さえ込もうとか想って動いてしまうとそれにだけ意識が集中してしまうがために、かえってこちらの動きが鈍くなって、相手の予想外の動きに対応できない、なんてことはないのでしょうか。まあ、わたくしたちはそんな稽古をまだしてもいないので、実感としては何もわかっていないのですが、なんとも腑に落ちない感じではあります。

 話は変わりますが、同じくわたくしの書き込みへコメントを寄せてくだすった太気拳のヨッシーさん、ありがとうございました。そちらのBlogはまだ詳しく拝見しておりませんが、わたくし自身、太気拳が嫌い(むしろ好きなくらい)ではないので、近いうちにコメントを書きにゆきます。引きつづき、こちらのくだらない文章もお閑でしたらお読みください。

 さて、明日からはまた新たな一週間。金曜日以外は通常どおり稽古はあります。
 裏部長でした。
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2006年10月28日

失念

 どうも今晩は、裏部長です。ここ最近は稽古でも刻み突きをやるようになったせいか、右足の上足底が若干腫れているような、そこんところだけ皮膚が厚くなったような、そんな気がしております。

 ああ、稽古といえば昨夜の稽古ですが、師匠が到着されるまでに一応はいろいろとやっておりました。基本は受けまでですが、移動もやって、軽く約束組手もやりました。師匠のお話も武術に関したことばかりではなく、あのナイフ男の事件についても話し合いました。奈良のM田先輩の書き込みにもあった宇都宮市ナタ男事件と同様、日頃あんな人間がいきなり襲い掛かってきたらどうするか?果たして現在やっている稽古、その技の内容で対応できるのか?現に警察官たちは警棒を持っていながらブスブスと刺されてしまった。日頃から訓練を絶やしていないだろう彼らからしてこうなのだ。道場でしか稽古をしていない我我は大丈夫なのだろうか・・・・・・。

 これはわたくしもよく考える問題です。つまり、武術らしい武術と実戦的護身術の違いですよね。よく興味をもってわたくしも護身術関係の本を読んだりしておりますが、そこで説かれている技法は、武術的観点から見ればほとんどがおかしいものばかりで、しかし向こうから見ればわれわれの動作のほうが「使えない」ものに見えるわけで、そのあたりの解釈をどうするか、どこで妥協をするのか、ということが大変この難しいわけです。
 師匠もそれらの問題に関しては一考されているようで、わたくしたちはそれに沿おうと思いますが、一度諸先輩方のご意見も伺いたいものです。

 今日はこんなところで失礼いたします。
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2006年10月27日

師匠は志ん朝だ!

 こんばんは、裏部長です。世間では日ハムの日本一と、二十九歳無職男による警察官傷害事件と、全国各地の高校における単位不足騒動でてんやわんやの様相です。北海道でも騒動の一翼をになう高校がいくつか発見されておりますが、なかにはこれから不足していた単位分の授業をやる、なんてことを云っている学校があるとか。これは生徒も怒りますよ。
 だって、もともとその授業をやらずに済ませていたのは、それよりも他の科目のほうが大学受験には重要で、そこに時間を割きたいがため、という理由からでしょう。つまり受験に必要のない勉強に時間はあてられないト、そんな無駄は省きたいのだト、そういうことで改竄をやっていたわけです。
 それなのに、ですよ。こんな切羽詰った状況で、やらずに置いていた授業をすべてやるというのです。時間を空けるために打っ遣っておいたものを結局やることにしたのです、しかも、ただでさえ時間のないこの時期に・・・・・・。これはある意味で因果応報。生徒たちからしてみれば言語道断ですね。

 ちょっぴり世間を皮肉ったところで、今日の稽古ですが、一応はやりました。ただ参加したのはわたくし以外はS呂のみで、部長も誰もほかには来ませんでした。師匠も一時間ちょっと会議のせいで遅れたため、動いての稽古、というものは殆どやりませんでした。
 しかし、師匠が参加されてからの稽古は、密度が濃い!もう書くのが面倒臭いほどいろいろなことを教えていただきました。わたくしの、ワン・ツーに対する受け技への質問を皮切りに、最終的には視覚を操るような話まで、現場にいた人間でないと、とてもとても吸収することのできないような話ばかりで、むしろ少人数であったためにできた稽古でもあります。
 詳しくは師匠のBlogを見てください。

 わたくしの収穫といえば、型の話。
 わたくしが訊きます。
「型を新しく教わるときに、師匠から何度見せてもらって憶えますか」。
 師匠、
「師範は三回で憶えてきたと云ってたよ」。
 わたくしはこれを聴いて思わずハタ!と膝を打ちました。ずっと考えていたことが的中したからです。
 それは以前のBlogにも書いた、武術と落語の共通点です。落語では師匠より新しい噺を教わる際、最初から最後までを、師匠に三回見せてもらい、四度目の対面で弟子がそれを演じてみせます。これを「噺(ネタ)をあげてもらう」と云いますが、どういうわけかこれが三回なのです。
 ですから、もしかしたら空手の型なんぞも、師匠から見本を見せてもらうのは三回程度ではないか?そんな予想をしていたのです。まさか本当に的中するとは思いませんでした。

 こんな発見で興奮しているのは、落語好きでもある自分だけかもしれませんが、そういった共通項をいくつも見つけ始めると、だんだんと師匠たちが歴代の噺家に見えてきて仕方がありませんね。
 たとえば、師範は五代目の古今亭志ん生師匠。「あー」とか「えー」とかいう声からして落語の世界へお客をひきこんだ昭和の大名人です。
 そのご子息で、若くして名人と評された三代目の古今亭志ん朝師匠。これは誰でもないウチの師匠です。歯切れのよい調子で、大活躍をしました。
 そう考えてくると、本部道場で居合などをご指導されているM師範は、通称「黒門町の師匠」とよばれた八代目桂文楽師匠。まだ見ぬ天上人のようなW先生は六代目の三遊亭円生といったところでしょう。

 志ん朝さんと同時期の名人たちといえば、八代目橘家円蔵師匠、ご存知!立川談志師匠、昭和の爆笑王・林家三平師匠のお三人でしょうが、ここには本部のI先生、Y先生、O先輩あたりが当て嵌まるのではないでしょうか。

 えー、落語を知らないひとには何のことだかさっぱりわからない話を書いてしまいましたが、そんな発見をして、今夜はひとり興奮しております。上記のように考えてみると、なるほど師範は志ん生です。そのご子息で、なおかつ若いころから名人と云われた志ん朝師匠はほかのたれでもない、ウチの師匠そのひとでありましょう。こんな一致はなかなかあるものではありません。なんだか嬉しくなってしまいます。
 しかし、ひとつだけ気掛かりなことがあります。それは、志ん朝師匠が六十三歳という若さで亡くなったということです。
 師匠、出来うる限り、長生きしてください。

 
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2006年10月26日

楽屋話

 こんばんは。ついに北海道日本ハムファイターズ、四十四年ぶりの日本一です!新庄が泣きました!札幌ドームが揺れました!
 中日ファンにはごめんなさい。でもやっぱり地元だから。

 裏部長です。今夜は体道稽古でした。わたくしは毎度のごとく、後輩たちの相手と復習、そして自分の復習のみでした。その合間合間で空手のほうの疑問質問を師匠へぶつけ、その都度いろいろな回答をいただきました。今日はそのほうが有意義だったかな?
 しかしまあ藝事においてはこの何といいますか、稽古や本番のとき以外の場というのが案外大切でして、そこで師匠や先輩から聴ける話を俗に「楽屋話」といいますが、これが修行には有効なんですね。今日なんかは体道の稽古でしたが、その合間で聴けた追い突きの話、ワン・ツーに対する技の解釈、過去の先輩方の武勇伝、競技試合でのエピソードなど、ただ単純に話として面白い以上に、これらの内には隠れた教えがあるものなのです。
 とはいってもこういった内容の話は、そこからどんなものでも吸収してやろうという気でもって聴いていないと通り過ぎてしまいます。レイダーを張っておく必要があるのですね。なかなか難しいことです。

 今夜は特に書くこともなかったので、これくらいで失礼します。明日は空手の稽古です。
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2006年10月25日

一事が万事

 こんばんは、裏部長です。日ハム対中日の日本シリーズが現在、札幌ドームで行なわれております。地元チームの勇姿をひと目見ようと、超満員の観客たちが毎日詰め掛けております。
 彼らがドームへ行くのに乗る地下鉄が、わたくしが札幌大学へ行くのに乗る地下鉄と同じなのです・・・・・・。
 今日もたいへんでした。時間がちょうど合ってしまって、車輛のなかは時間はずれの通勤ラッシュ状態!むんむんとした湿気のなか、わたくしは這う這うの態で「月寒中央駅」へ降り立ちました。
 明日もあるんだよなあもうやだ〜(悲しい顔)

 さて、本日は師匠が会議のため不在ではありましたが、月曜日の挽回もかねて、きちんと稽古をしてきたので、そのご報告をいたしましょう。


2006年10月25日(水)晴れ。朝の札幌は、あと二度さがると氷点下。
 午後六時、札幌大学1001教室にて空手の稽古。参加者は部長とS呂のみ。
 基本稽古ひと通り。なんでもS呂は一時間ほど前に食事をしたとかで、動作のたびにヒィヒィ云っている。そのたびに具合の確認をしてから次のメニューへ移る。
 手廻し。其場でワン・ツー。
 移動稽古(追い突き、逆突き、追い突き・逆突き、刻み突き、ワン・ツー)。
 約束組手。栃木方式で、中段追い突き。突く際は、一本目の突きにあまり意識を残さず、素直に突き放ってしまって、すぐに二本目へ取りかかるほうがよい。受けに関しては、S呂には先日師匠から見せてもらった、ギリギリまで待った上に若干重心を前へ乗せ、前足の太腿で相手の前足のふともも裏を弾くように受けるやり方を試させる。これができると、そのまま相手の背後に廻りこんで肩をとり、下へ崩すことができる。
 最後はローテーション方式でワン・ツー。受け側はただ単に受け流すだけでなく、柔術的な技でやわらかく捌いてもみる。
 八時、終了。


 型は師匠より時間をとってやるよう云いつけられていましたが、参加者が上記のふたりのみで、わたくしを入れたこの三人はいま一様に「転掌」をやっているため、あえて今日はやりませんでした。今はまだ師匠がいないと流れの確認しかできないもので。
 
 タイトルにした「一事が万事」は受けのほうの印象から発した言葉です。というのも、今日は後半にワン・ツーをやりました。普段はあまりやらない約束組手で、受けるほうも単に捌くのではなく、柔術的に相手の腕をおさえたり、背後をとったりして稽古したのですが、この際にS呂君から、「やはり柔術(体道)もやっておいて方がよいのか」という質問が出ました。彼は空手のみの参加で、体道のほうはあまり修行していないのです。
 わたくしはこれにこう答えました。たしかに現時点では、部長にしたって七十二本もの技(日本伝天心古流拳法)を知っており、わたくしはそれプラス二十四本(浅山一伝流体術上段之位〜中段之位)の技を知っているのだから、それらを一切知らないひとからしてみれば、柔術的なボキャブラリーはあるかもしれない。今日みたいに指定なく、なんでもよいから捌いてみようということになると、そういったレパートリーが少ないと動きにくいかもしれぬ。
 しかし、空心館では、空手そのもののほうに既にそういった雰囲気の「技」が多数あり、それを修得できれば、敢えて無い時間を拵えて無理に体道を習う必要はないとおもう。今日彼にやってもらった、相手の背後をとる動きなんぞは、習熟すれば追い突きにもワン・ツーにも蹴りにだって応用できるだろう。
 すべて一事が万事なのだ。わたくしはそう答えておきましたが、どんなもんでしょうか。

 今日のように、支部内ではトップのほうの人間たちしかいない日なんかは割りとトントン進んで、もっとハイ・レヴェルなものを求めたいような心持になります。この勢いを明日へ繋げてゆきたいものです。

 明日は体道稽古。おそらく師匠は参加されるでしょう。
 裏部長でした。
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2006年10月24日

サイクリングかよっ!

 こんばんは、裏部長です。昨夜はちょっとした小用のため稽古を欠席し、すべてを部長らに託したのですが、A君の書き込みでもわかるように、なんとその部長自体が来ていなかったというので、A君をはじめ稽古するために教室へ足を運んだ後輩諸君をただそのまま帰す羽目となってしまいました。残念なことですが、師匠のいない月曜日の稽古ですから、その際の責任者たるわたくしたちの落ち度ですね。本当に申し訳ないことをしました。

 どうしても少数でやっているわたくしどものような処ではこういった各人のスケジュールの穴が鉢合ってしまうことが多くございます。わたくしなんぞも、今日は師匠が会議で部長も風邪で休み、自分がいなければ稽古が成り立たないなと思って教室へ急げば結局ほかの誰も来ずにトボトボ独りで帰ってくる、といったことを何度も経験しておりますから、昨夜のようなことも左程珍しくないといえば珍しくないのですが、後輩たちを引っぱってゆく任にあるわたくしや部長がどちらもいないというのは矢張いけません。

 これは云い訳になりますが、昨日、事前にわたくしは、部長へ欠席の旨をメールで通達しておきました。もし彼も都合が悪かったらそのときは返信があるだろうと待っておりましたら、結局返信はなかったので、ああ彼は稽古に出るんだなと判断してそのままにしておいたのです。
 しかし、箱をあけてみれば、サイクリングかよ!お前は定年退職したあとの元気な老人か!稽古の前にまず授業だろ!と、三村風に突っ込まざるを得ません。
 エピソードとしては部長の元気な様子がわかって、それはそれで大変よろしいのですが、しかし部を預かる部長としては甚だ無責任としか云い様がありませんね。サイクリングに行くなら行くで前の日かその当日の早い時間帯にわたくしか師匠へ連絡をしなさいよ。その時点で部長が来られないことを知っていればこちらも何かしらの対処ができたのです。
 これはお互いに今後の教訓にしましょう。

 明日は六時から1001教室で空手の稽古です。月曜日に何もやっていないので、みな元気なことでしょう。
 溌剌とした稽古をしましょう。裏部長もきちんと務めます。
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2006年10月23日

欠席づく

 こんばんは、裏部長です。今夜は空手の稽古ですが、わたくしは小用のため欠席しております。最近はどうもスケジュールの関係で参加できないことが増えているような気がします。すっかり欠席づいております。
 稽古報告は部長がやってくれると思います。
 水曜日からは参加します。
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2006年10月22日

ドラマづく

 えー、裏部長です。北海道ではそろそろ、朝方などの時間帯に「雪」が降るかもしれないという天気予報が流れはじめています。もちろんわたくしたちの暮らしているようなところにはまだ降りませんが、峠や山の上などはもう大変でしょうね。一気に冬色へ染まってしまいます。

 札幌支部は札幌大学の教室を借りて稽古をしていますが、ここが何とも厄介なところでして、まず冷房というものがありませんから夏が暑い。窓をあけても日差しがありますから、室温が下がらないのです。加えて、冬は暖房が入ります。これがもう親の敵にでも出会ったかのような強さなのです。よって、冬は冬でとても暑い。むしろ雪が積もれば窓も開かなくなりますので、冬のほうがよっぽど暑いかもしれません。
 ですから、これからの季節、札幌支部での稽古はよいダイエットになります。わたくしも怠けきったこの躰を鍛え直したいと思っております。

 さて、昨日はホラー一色の一日でしたが、今日はTVドラマ一色の日曜日となりました。
 わたくしは映画と同様にTVもよく見る人間で、TVドラマは一応すべてチェックするようにしています。まあ中には見る気の起きない、至極くだらないものも多く、そういったものは最初から見ませんが、少しでも見所のあるような作品は根気強く見ています。
 またCS放送のほうでやっているTV時代劇などもチェックしておりますから、もう一日二十四時間では足りないくらいです。いま見ているのは『銭形平次』と『鬼平犯科帳’71』と『風来坊』くらいですが、『暴れん坊将軍』のSP版が特集で放送されていますし、来週からはその第一シリーズ、栗塚旭さん主演の新撰組ものも始まりますから、もう大変です。

 今日はまず寝起きに鬼平と風来坊を見、気分をかえて昨夜の「めちゃイケ」を見、日本テレビ系列で放送されている『14才の母』の第一話を見ました。本当はこのほかに、フジテレビ新月9の『のだめカンタービレ』第一話、火曜十時の『僕の歩く道』第二話、NTV土曜九時の『たったひとつの恋』第一話・第二話、WOWOWで放送されているアメリカのTVドラマ『CSIマイアミ4』第二話なども見たかったのですが、残念!時間がありません。本当に、一日二十四時間では足りません。

 よくTVをたくさん見ていると思考能力が落ちる、などと云われますが、わたくしのような人間はむしろTVから離れてはいけないように思えます。というのは、TVは現在の日本ですから。ドラマを見るだけでも、現在の日本ではどんなものが受け容れられ、そしてそこからどんな反響を生んでいるのか、これがわかるわけです。ニュース番組や新聞からは吸収できないことばかりです。
 だからこそTVをたくさん見、それと同じくらい読書をします。どちらか一方だけに偏ると、わたくし自身もどちらか一方だけの偏った人間になってしまう気がするのです。
 みなさんはどうでしょうか。

 明日からは新たな一週間。月曜日はいつも通り師匠はおりませんが、水曜日からは参加されます。
 有意義な一週間にしたいものです。
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2006年10月21日

ホラーづく

 こんばんは。裏部長です。今夜から日本シリーズが始まります。わたくしは別に野球好きでも、どこかのチームの熱狂的ファンでもなんでもないのですが、やはり地元の北海道日本ハムファイターズに勝ってもらいたいですね。新庄も今年で引退しますし、なにせここ数年来ずっと日本一にはなっていないのですから、どうしても期待をしてしまいます。
 前半はアウェイですが、頑張ってもらいたいものです。

 奈良のM田先輩からの書き込みがありました。わたくしの質問にお答えいただき、深く御礼を申し上げます。
 構えたときの前の手を開くという些細なことが、よくよく考えると、全身の脱力に繋がっているのかもしれません。そうした構えをするに至ったのは、ただ単純に師匠から教わったからであり、深く考えずにやり続けておりましたが、あながち分不相応な状態ではないのかもしれません。
 指の感覚についても少しではありますが考え始めています。今はまだ人さし指あたりの意識だけですが、開いて構える以上そのあたりのことは深く掘り下げてみたいと思っております。
 今後ともよろしくお願いいたします。

 昨夜の部長は、稽古へ来ていた門弟全員の予想どおり、いつもの有様でノック・ダウンしていたようです。事前に連絡がなく、また稽古が始まってもメールなどが届かぬ場合、大抵そうなのです。札幌支部のちょっと笑える「お約束」のひとつです。
 わたくしはあまりやらない方ですが、友人に根っからのゲーマーがいて、一度前にオンライン・ゲームというものを見せてもらったことがあります。時代は今あんなところにまで達しているのです。いやあ、ハイテクというのは凄い。なにせ、部屋にいながらにして何処か別のところにいる人とおなじゲームで遊ぶことができるのですから。
 おじさんにはついて行けない世界です。

 今日は朝からホラーづいていました。昨夜は稽古のあとに後輩たちと季節外れの怪談話をしましたが、その尾を引いているようです。
 まず、つい最近放送された『世にも奇妙な物語』のSP版を見ました。わたくしはこのTVドラマが幼いころから大好きで、おそらくほとんどのものを見ていると思いますが、ここ数年のものはいけませんね。どれも中途半端なんです。怖そうで怖くないし、不思議なようでただ意味不明なだけだったなんてものばかりなのです。今回もそうで、驚くような話はありませんでした。強いて云えば、各話の冒頭にあるショート・ムーヴィー風の作品のなかに、過去にもあった『ボタンを押す男』というのがあったこと、これに驚いたくらいです。昔はあれくらいの、無説明に怖いというような作品がたくさんありました。
 これであまり恐怖を得なかったので、今度は映画です。観たのは『ハイド・アンド・シーク 暗闇のかくれんぼ』(アメリカ映画2005)です。主演はあのロバート・デ・ニーロと、天才子役とよばれるダコタ・ファディング。
 ハイド・アンド・シークというのは隠れんぼのことですね、タイトルにもありますが。母親が自宅の浴槽で不審な死に方をする。これを機にひとり娘は気がふれてしまい、小児科のある精神病院へ入院しているが、心理学者でもある父親は自分で引き取って田舎の一軒家へ引っ越したいと申し出る。
 避暑地である田舎へ引き移ったふたり。しかしある日を境に、娘は目に見えぬ友達・チャーリーの存在を主張する。もちろん父親にはその姿が見えない。
 次次と起こりゆく犯人不明の悪戯、隣家の女性が殺される、犯人はチャーリー、全てのことはチャーリーの仕業・・・・・・。
 まあ、最後にはそれまでの流れを一気にひっくり返すドンデン返しが待っているのですが、ここでは伏せておきましょう。
 作品としては中の中といった感じでした。もっと怖いかな?と思って観たので免疫があってそれほど怖く感じなかったのかもしれません。俳優陣の演技も悪くなかったし、作品としてもそれほど長くはありませんでしたから快適に観ることができました。これは幽霊関係のホラーではなく、人間そのもののホラー映画ですから、得体の知れないものに襲われる類の作品が苦手なひとでも観られると思います。

 わたくしは別にホラー映画が好きなわけではなく、むしろ苦手なくらいで、勇気を出して観始めたはいいが、開始十分くらいで観たことを後悔するような男です。スリルを愉しめない人間なんですね。
 それでも、これも勉強だ、と思うから極力観るようにはしているのですが、それでも手が伸びないシリーズがあります。
 それは日本の『呪怨』です。Vシネマ版の昔のシリーズは観ているのですが、酒井法子さんらが出演されている劇場版からは観ていません。というか、観られないのですね。もう予告編だけで十分、ってな具合です。
 ジャパニーズ・ホラーの特徴は、ゆっくりと迫り来る恐怖と、気づいたらそこにいる恐怖ですね。別に牙をむいて襲いかかってくるわけでもなく、頸を絞めてくるわけでもない。派手さもないし、血もあまり出ません。それでもあんなに怖いのは、そこに静寂があるからです。まだ正式には観ていませんが、映画『呪怨』のワン・シーンで、マンションのエレヴェータで上へあがっているとき、そのドアの窓から各階の廊下が見える、そこにあの青白い顔をした少年がこちらを見上げて立っているのです。しかも、各階すべてに。撮影手法としても興味ぶかいですが、なにより怖い。実際にそんなことになったら絶叫ものです。

 何はともあれホラーづいた一日でした。さて、明日はなにづいてみようかな。
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2006年10月20日

不徳を恥じて季節外れの怪談話

 こんばんは、裏部長です。今日のような気温が一番よいですね。麗らかに晴れた空、気温は十五度を下回らず、風もさほどに冷たくない。道端ではからからと枯葉がころがり、忘れられてしまったような蜻蛉が淋しげにとんでゆく・・・・・・ああ、なんとも風流ですな。
 まあ、そんな老人のように考えずとも、いまの北海道はなかなか良い季節です。あっという間に訪れる冬にむけての準備期間に入ったわけです。

 今夜も師匠&部長不在ではありましたが、稽古はきちんとしてきたので、そのご報告をいたしましょう。


2006年10月20日(金)曇ったり小雨が降ったり。男心と秋の空、である。
 午後六時、札幌大学1001教室にて空手の稽古。参加者はS呂、おすぎさん、KB、OBさん。部長はなぜか連絡もなく欠席。
 基本稽古ひと通り。前蹴りまでは左右五十本づつ蹴るが、受けのあたりで、おすぎさんが病み上がりであることが判り、そこを慮って廻し蹴りからは左右三十本づつとする。
 手廻し。其場でワン・ツー。
 移動稽古(追い突き、逆突き)。KBは若干突くときに躰が浮いてしまう。それをさせぬように、前へ出す膝のやわらかさをアドヴァイスする。
 後半は型&約束組手。「平安三段」がすでにほとんど完成しているOBさんと、あまり型にはタッチしていないおすぎさんには約束組手(中段追い突き)をしていてもらい、その間、私とS呂とKBは型をやる。
 まずは私とS呂で「転掌」の確認。この型は細部の要点がかなりあり、深い部分に関しては師匠のいるときにやることとし、今日は流れの確認にとどめる。
 S呂にはそのままOBさんらの列に加わってもらい、私とKBは「十六」をやる。
 KB、この数日間で型の流れは覚えてきていたようで、今日からは細部に入る。初動の足幅、上半身の傾き具合、躰をもどして二本突きの際の四股立ち、掬い受けと逆突きのタイミング、突き出すふたつの掌底の向きとそのときの腕の曲がり具合、猫足立ち・手刀受け、突き・蹴りともに浮かない、浮かないでいて蹴りはそれでもきちんと蹴る、クルッと廻って猫足立ち・支え受けの際の軸の取り方、裏掛けのスピード、鷺立ちの際の腰の高さ、横打ち・逆突きの際の躰の浮き。これらを注意して行なう。KB、なかなか吸収はやく、だいぶ様になってきた。
 後半は、私とS呂、あとの三人の二組で約束組手。三人にはローテーションで中段追い突き。私たちはまず、S呂が中段追い突きをし、最後は私が刻み突きを突いて彼がそれを捌く(腕押さえ&投げ)。メビウスの輪を意識する。
 締め括りとして全員でローテーション。この間に師匠が顔を出してくださる。
 各人の中段追い突きに関してレクチャーを受け、八時過ぎ終了。
 稽古後、談話室で文字どおり談じて話す。昨夜参加したONの話から肝試しの話になり、最終的には季節外れの怪談話をして散会する。


 わずかな時間ではありましたが、師匠の教えを受けられて後輩たちは良かったのではないでしょうか。特に受けをとって追い突きを軽く入れられていたKBなどは、その未体験の迫力に心底驚いておりました。
 わたくしがそのとき得た教えとしては、稽古のなかの突きに関して云えば、一本として同じ突きはない、という言葉です。約束組手で中段追い突きを十本突くといっても、まったく同じ突きを十本やっていては意味がない。相手が変化して技が通用しなかったり、受けようとしても受けられなかったりすることにより、考え、悩み、反省をして次に活かそうとする。そうすることで、たとえば十本の追い突きであっても、突くたびに変化するというのです。
 これは案外、目から鱗のような考え方で、わたくしなんぞは少し感動したくらいです。また技の成長過程における「螺旋階段」の考え方もわかりやすく、今後の参考にしようと思いました。

 さて最後にとても重要なことを書かねばなりません。
 数日前、大学校内に貼った部員募集ポスターのことに関してわたくしは怒りのような気持をこのBlogに載せました。このことに関して、わたくしがそう云った相手側の、札幌大学空手部の方方がすくなからぬお怒りを抱いていらっしゃるということを何処からともなく伝え聞きました。
 たしかにあの文章を省みると、「迷惑行為か売名行為としか考えられない!」というような表現がありました。これは見方によっては中傷のようにも受けとれますし、何よりもそんな身勝手で早合点な文章を、全世界どこに住んでいる人間でも見ることができるインターネットという媒体に無断で載せたことは、謝罪して余りあることだと思います。
 ここに改めて、お詫びを申し上げます申し訳ありませんでした

 ただ、です。
 まずお断りをしておきますが、わたくしは正直に云って、札大の空手部に対し憎しみのような感情はこれっぽっちも持ってはいません。むしろ同じ空手という武道に生きる同朋だと思って誇りにしているくらいです。みなさんのほうがわたくしなんぞよりも空手に関しては先輩ですから、そこに憧れの気持こそあれ、憎悪のような感情なんてあるはずがないのです。
 これをまず申し上げておいて、みなさんの懐の深いところを見込ん云い訳がましいことを附け加えますが、なにもわたくしはあの文章をただの思いつきで書いたんじゃないんです。書くに至った原因、元があるんです。そう、それは他でもないあのポスターです。大学側から「貼るときはなるべくすき間を作らずに」と云われていたからといって、あの貼り方はいけませんよ。痛くもない腹を探られてもおかしくはない貼り方です、あれは
 広い掲示板の中央にわたくしたちのポスターが貼ってある、みなさんはこれを挟むようにして二枚のポスターを貼っていらっしゃった。ぴったりと合わせて、文字どおり挟み込むように貼ってありましたね。あれはおかしいですよ。無駄なすき間を作らずに貼るんだったら、二枚をこちらの横にならべて貼ればいいでしょ。もしくはその下にならべて貼るとかね。なにも挟む必要はないのです。昔買ったVHSのヴィデオ・テープ一本とDVDディスク二枚を収納するときに、テープをディスクで挟まないでしょ?テープはテープ、DVDはDVDでまとめて入れておくでしょう。それが普通ですよ。ただでさえ同じ武道系サークルの白黒ポスターなんだから、尚のこと左様であると云うしかありません。
 いやお怒りはわたくしがそれを早合点してBlogにアップしたことだとは解っております。けしからん、と、許せない、とおっしゃるのならその怒りをわたくしは甘んじて受けましょう。自分で書いたことですから、誰でもない自分自身でその責任は取りますが、人間「他人の失敗を責める前に自分の不徳を恥じろ」という言葉があるくらいです。本当にこちらにだけ責任があることなのかどうか、もう一度お考えになってくれても良うございましょう。

 なお、わたくし「裏部長」の書いた文章はわたくしの一存で表現したものであり、空心館そのものはもちろん、師匠の瀧元誠樹や後輩たちには一切関係がありません。その責任はわたくし一人で取ります。

 
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2006年10月19日

少人数稽古

2006年10月19日(木)晴れ。師匠不在。部長も体調不良のため欠席。
 午後六時、札幌大学1001教室。稽古開始時刻となっても誰も来ず。仕方ないので、六時半ころまで待ってそれでも来なかったら帰ってしまおうと教室で待機しているとONが来る。彼が来たのならほかにも何人かは来るだろうという淡い期待をもって談笑に耽るが、六時半をまわっても来ず。ONは空手に来るのが久しぶりだし、意慾もあるので稽古をすることに。
 時間がないので、基本稽古は受け四種まで。
 手廻し。
 移動稽古(追い突き、逆突き、追い突き・逆突き)。ONはまだ少し力みがあって、突くたびに辛そうである。脱力を促す。
 型。彼もまた「平安初段」に留まっているので、これを稽古する。猫足立ち、手刀受けなど、この型ではじめて体験する壁を見据えて。
 約束組手(中段追い突き)。ONには追い突きのあと、そのままの位置で逆突きも突いてもらい、その感覚をもってもう一度一本だけの追い突きをやってもらったりする。受けの際には、きちんと反撃をいれる練習をする。
 八時、終了。


 こんばんは、裏部長です。今夜は師匠がいない上に部長までも不在で、最初から門弟諸君の集まりが危ぶまれていたのですが、案の定の展開で、久しぶりの少人数稽古となりました。以前であれば、二人ぎりの状況ではそのまま帰ってしまっていたわたくしですが、奈良のM田先輩のお諌めもあって改心し、今日はかれと差し向かいで汗をかきました。
 こういった場合、自分の技のことはほとんど考えず、とにかく目の前の後輩のことだけを考えて稽古できるので、違った意味でリフレッシュできたような気がします。今日のわたくしのアドヴァイスが彼にとって有効なものであることを祈ります。

 自分のことで云えば最近、構えについて変わってきたように思えます。以前は左手をひらき、右手は握って構えていましたが、最近ではどちらも軽くやんわりと握って構えるようにしています。これは別にそうしようとしてやっているわけではなく、気づいたらそうなっていたもので、脱力を考える意味でも良い状態かな?と思っていますが、正直どうかは判りません。
 みなさんはご自分の構えについてどのように考えていらっしゃいますか。軸のこととか、腰のこととか、そういった細かいことの前に、手の形についてどうお考えでしょうか。栃木や奈良の諸先輩方に伺いたいです。

 明日も師匠はおりませんが、稽古はあります。
 裏部長でした。
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2006年10月18日

報告しますっ!!

 どうも裏部長です。今朝TVの天気予報を見ていて吃驚。「九州四国地方では天気のよい夏日となるでしょう」って、こっちは吐く息が白いほど寒いんじゃー!歩いてないと寒くって風邪を引いちまうんだー!と、眠気の残った目を怒らせておりました。日本列島はなるほど、長い

 さて今夜も師匠不在ながら稽古をしてきたので、至極あっさりとそのご報告から。


2006年10月18日(水)晴れ。TVでは北朝鮮の核実験問題ばかり。
 午後六時、札幌大学1001教室にて空手の稽古。参加者は部長と東京都出身のAのみ。
 今日は私の勝手な思いつきで、先日まで続けていた回数を少し減らし、蹴りに関しては左右四十本づつを蹴るのみにとどめて基本稽古を行なう。
 手廻し。其場でワン・ツー。
 移動稽古。追い突き、逆突きをとにかく念入りに。追い突き・逆突きもやる。
 型。Aはそろそろ「平安初段」を卒業したい。細かな注意点を与え、私と部長は「転掌」の確認をおこなう。
 後半は約束組手。私が命名したやり方(「栃木方式」)にて、受けを固定してまわしてゆく。
 Aは勢いもついてきてなかなか良いが、そこからの変化が難しい。突きを放つタイミングを変えてみたりもしたが、どうも芳しくない。これは師匠に見てもらうしかないだろう。受けに関してはとにかく反撃をきちんと入れること。知らず知らずのうちに寸止めで当てないことに馴れてしまい、いざ「きちんと突いて」と云うと突けない。彼は身長があるので、上段への反撃もやってみる。
 部長は、どうしても二本目以降を出すときに一旦止まってしまう。よって、そこへこちらが攻撃をすると、向こうが突っ込んできているのにも関わらずこちらが優勢となってしまう。これではいけない。とにかく相手がどんなことをしようとも構わぬといった態で、何がなんでも突き進む。これは当面の課題になりそうだ。
 八時、終了。談話室でONやS呂に会う。しばし談笑。


 基本稽古の本数を減らしてやってみたのは、ひとえに「飽きてきたから」です。いや何も怠惰な意味ではなく、ゆっくり十本蹴って、それからきちんと五十本づつ蹴ることにさほどの意味がないように思われた、ということなのです。
 どうしてもそれだけの本数を蹴るとなれば、一本一本に全力を出すことはできません。軸をきちんと取って全身から力みをとり、必要最低限の力で蹴りを出す。これをしなければ何十本もやれません。以前のわたくしみたいに、あっという間にヘロヘロになってしまいます。
 たしかにそんな稽古にも意味はあるでしょうが、そうすると今度はバシッと蹴る稽古にならないような気がしたのです。蹴っているようで蹴っていないような感じがしたのです。
 ですから今日は、ゆっくり蹴るのも入れて左右四十本づつとしました。案外軽く感じたので、明日は十本づつ追加してやってみようかと思いますが、それくらいで打ち止めになるかもしれません。
 これが報告@、です。

 報告のAは、わが空心館札幌支部の部員募集ポスターの一件です。すでに門弟諸君は知っていることでしょうが、わたくしたちは有志を募るため、なかなか乙なデザインのポスターを大学校内に入り、その下に「ご自由にお取りください」なんていう書き方で道場のあらましを紹介したチラシを入れて掲示しておりますが、今日行ってみるとその隣に、大学の空手部のチラシが貼ってあるじゃありませんか!しかも、掲示板にはたくさんスペースがあるのに彼らはわたくしたちのポスターにぴったりとくっつけて貼っていたのです。知らないひとが見たらひとつの団体かと思ってしまいます。
 中央棟のポスターでは、こちらの宣伝チラシがなくなってその入れ物が空になっていたことを良いことに、空手部はなんと自分たちのポスターの一部をそのなかへ入れていたというではありませんか。幸い、見つけてくれた部長が憤怒のあまりすぐに取り除いてくれたそうですが、なんとも腹立たしい限りです。
 向こうに他意はないかもしれない。ただ単にそうなってしまったのかもしれませんが、しかし現状はあまりにも不可解で、迷惑行為か売名行為のようにしか思えません。返す返す口惜しいことです。

 そこでまずは師匠にお願いなのですが、各ポスターいづれも宣伝チラシが少なくなっておりますので、早急に刷り増やしていただいて補充をお願いします。手が空かなければ後輩に云ってください。またその際に上記の現状をお聞きください。わたくし始め部長はもちろん、今日談話室で会ったS呂君らも憤慨収まるところ無しといった塩梅です。

 明日は体道稽古ですが、師匠はおそらく不在なので、空手をやる予定です。
 今日はすこし不愉快な裏部長でした。
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2006年10月17日

空手と落語の意外な関係

 こんばんは。裏部長です。今日の札幌はへんな天気でございました。早朝は晴れていたものの、午前八時くらいから急に大雨となり、午後に入るとまた止みました。気温は十四度前後と、さほど寒いというほどではありませんでしたが、それでもあまり良い天気だったとは云えませんね。
 本部道場のほうでは審査が行なわれたようで、Y先生のご子息であるT君や五十代にして頑張っていらっしゃるMさん、おめでとうございます。おもえば昨夜の時点で書くべきところでしたが、すっかり忘れていたため、ここに書きます。
 われわれも励みにして頑張ります!

 さて今夜は稽古がないので、ちょっと思いついたところを書いてお暇を頂戴いたしますが、空手という武術のなかにはさまざまな型がありますね。有名なところでいえば平安シリーズの五つとか、ナイファンチンとか三戦とか、そういった古くからある型に加えて、現在うちではKB君なんかがやっている十六や新生などという比較的新しい型もあります。その数は相当なもので、加えてわれわれの修行している糸東流という空手流儀は他の流派にくらべて所有している型の数が多いので、なおのことその修行は多様になります。
 ほかの流派やほかの会派では、たとえば、
「ウチじゃ五つの型しかやりません。まあ、平安とか、そのあたりのものは基本としてやらないこともないけど、一応はその五つに絞って、これを一生涯かけて修行する。そのなかで武術的なカラダの使い方を学んでゆくのです」
 と云うところもありますが、わが糸東流では何十という数の型を階級ごとに稽古してゆきます。現在、いまだ一級のわたくしにしたって、四之型と十二之型を抜かしても十二個もの型を習っているほどですから、有段者になればその数はさらに増えます。
 
 空手と並行して修行される体道のほうも然りです。通常の道場ならば、たとえば「日本伝天心古流拳法」ならそれひとつ、「浅山一伝流体術」ならばそれだけひとつで修行をするもので、ウチのように次から次へとさまざまな武術流儀を経験することはかなり稀なことでしょう。それぞれの内に一生をかけるに見合う内容があるし、奥深さも相当なものです。上記の型に対する考え方のように、ある一定の数の技(ひとつの流儀)を一生かけて稽古する、そんな考え方が当たり前になっていても仕方のないことではあります。

 では、何故わたくしたちは多くの「型」を習うのでしょう。

 とまあ疑問を提示してみたものの、これに関してはすでにわたくしどもも師匠からいろいろと解説を受けているので、改めてここに書くことはいたしません。わたくしが書きたいのはそんなことではなくて、要は「型をたくさん稽古することの意義」を考えてみたいのです。

 いろいろな空手関係の本を読むと、「あんまり多くの型を学ぶより、少なくてもいいから幾つかの型のみを修行し、掘り下げていったほうがよいのではないか」と不安に感じることが過去に何度かありました。そのときはどうにか師匠を信じることで乗り切っておりましたが、現在はちがいます。わたくしなりに、これ!といった考えを持っているのです。
 それは、落語との共通点です。
 落語の世界へ入り、真打ちになるあいだに、噺家さんたちは本当にたくさんの噺(ネタ)を覚えます。自分の師匠について、たまには他の流れの師匠のところへ行って特別に稽古をつけてもらうこともあります。
 例をあげるならば、若いころから名人といわれた古今亭志ん朝師匠のネタとしては、現在CDになって発売されているものだけでも、

『三枚起請』『お若伊之助』『唐茄子屋政談』『酢豆腐』『鰻の幇間』『寝床』『刀屋』『佐々木政談』『夢金』『碁どろ』『おかめ団子』『茶金』『百年目』『品川心中』『抜け雀』『高田馬場』『甲府い』『火事息子』『厩火事』『真景累々淵―豊志賀の死』『明烏』『船徳』『居残り左平次』『雛鍔』『愛宕山』『宿屋の富』『文七元結』『お直し』『芝浜』『百川』『大山詣り』『粗忽の使者』『真田小僧』『駒長』『井戸の茶碗』『今戸の狐』『三軒長屋』『羽織の遊び』『佃祭』『搗屋幸兵衛』『代脈』『蔵前駕籠』『黄金餅』『大工調べ』『柳田格之進』『干物箱』『付き馬』『三年目』『お化長屋』『子別れ・下』『富久』『二番煎じ』『お茶汲み』『崇徳院』『御慶』『堀の内』『化物使い』『お見立て』『火焔太鼓』


 と、なんと五十九個もあります。これはもちろん知っている、というだけではなく、きちんと高座にかけることができる、つまりはお客さんの前で披露してお金を頂戴できるという段階のものであります。
 
 たくさんの噺を持っている噺家さんはなにも志ん朝師匠だけではなく、長くやっているひとであればあるほどこれくらいは所有しております。
 では何故そんなに多く必要なのか・・・・・・これは寄席(よせ)という場所とその興行形態に関係があります。
 真打ちになって、さらにかなり上のほうになってくると、寄席へ出るのは夕方から夜にかけて、ということになる。楽屋へ入ると前座さんが、その日にすでに出演された方方の名前とそのネタの題名を控えていてこれを見せてくれる。
 当たり前の話ですが、前に出たひとと同じネタはできません。加えて、たとえば前に出たひとが『締め込み』なんて噺をやったりすると、これは泥棒の噺ですから、同じような泥棒モノの噺はできない。そんな風に限定が出てきてしまうのです。
 だから噺家さんたちはより多くのレパートリーを持っていなければならないのですね。今日はあの噺をやろう、と思って寄席へ来てみればすでに誰かがやっていた、自分はほかに準備をしていない・・・・・・なんてことにならないためにです。
 もちろん例外はあります。数百人以上入るホールでの落語会などでは、事前にプログラムを作る関係上、その日にやるネタを公表しますし、ヴェテランになってきて十八番というのが出来てくると、高座にあがった瞬間にお客さんから「火焔太鼓!」とか「芝浜!」とかいう掛け声がかかる、そんなときはその噺をリクエストに応えてやるわけです。このような場合には上演するネタは限定されます。
 しかし基本的には高座にあがるその瞬間までネタは未定です。その日の気候、自分の体調、お客さんの様子を見た上でもっとも相応しいネタを選ぶのですから、レパートリーは多くあってありすぎることはないのです。

 そんな落語の世界を知ると、なんだか自分たちも同じ境遇にいるような気がしてなりません。まあ我我は上記のように、五十も六十もおぼえるわけではありませんが、型だけにおいて考えてみても、数多くのレパートリーをもてるほどたくさんの型をやることによって武術的な躰をつくってゆく・・・・・・なにしろ武術も藝事ですから、わたくしたちも噺家さんたちと同じ道を歩んでいるのかもしれません。

 なんだか書いているうちに支離滅裂となってきたので、ここら辺で終わっておきます。ただ「武術家も藝人である」というのがわたくしの持論なので、それをはっきり書いておきたかったのです。うまく伝わったかはわかりませんが。
 明日は師匠不在ながらも稽古はあります。頑張りましょう。
 裏部長でした。
posted by 札幌支部 at 20:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記