2006年11月25日

スタイル

 こんばんは、裏部長です。最近どうもこのBlogは流行っていないようです。門弟諸君の書き込みを少ないし、リンクの張ってある先のブログ・ランキングにおいてもその閑散ぶりが露呈してきております。わたくしは頑なに毎日の書き込みを欠かしませんが、みんなもできるだけ書き込んでください。

 さて本日の裏部長は、朝はやくに起きて朝食も早早に外出。髪を切ってきました。帰宅後はもういつもの如くで、ちょっとだけ仕事をやったあとは御馴染みの映画鑑賞。ぐーたら生活の再来です。
 今日観た映画は『女王蜂』(日本映画1978)です。横溝正史原作、市川崑監督、石坂浩二さんの主演の金田一耕助シリーズ。これはたしか四本目でしたでしょうか。一作目の『犬神家の一族』(1976)、二作目の『地獄の手毬唄』(1977、三作目の『獄門島』(1977)につづく東宝版の金田一です。同シリーズとしては、五本目となる『病院坂の首縊りの家』(1979)があります。
 『女王蜂』のストーリーは、まだ観ていないひとのために書きませんが、現在ではすっかりお馴染みとなった名探偵の推理もの、この形態の典型的物語といえましょう。ただ、TVで毎日のようにやっている二時間もののサスペンス・ドラマとは深みが違います。あれらはこのミステリ映画の要素を、何倍にも薄めて出した出涸らしの珈琲がごとくものです。

 ある事件が起こる、そこへ探偵がやってくる、当然依頼主がい、探偵が調べまわるのを嫌う人間がい、妙に馴れ馴れしい人間もいる。そのうち第二第三の事件が起こる。謎を追う。無能な刑事もいっしょに捜査する。たまに探偵自身も襲われたりする。ヒロインが愛らしい。被害者たちに共通の過去が見えてくる。ドス黒い歴史が見えてくる。三人くらい殺されたころに探偵は手を打ち、そして関係者全員を一室へ集める。
 
            「犯人は、あなたですね」

 あとは犯人自身の独白でもって事件の真実があかされ、探偵たちの隙を見て毒をあおったり崖から飛び降りたりして自殺する。残された関係者たちは悲劇に泣く。
 こうして流れを書くと非常に陳腐で、ありきたりな構成ですが、しかしこの見せ方を考え出したのは、今日わたくしが見たような昔の映画なのです。いや、もっといえば原作者の横溝正史さんだった、といえるでしょう。それくらいこの時代のミステリ映画というものは貴重なのです。

 さて、市川崑監督ですが、このひとの映画を観たことのあるひとはもうご存知の通り、おもしろい演出をする方のようです。特にこの金田一シリーズでは字幕の使い方がとても斬新。大きな活字で、しかも、思いもかけないところへ急に出てきたりする。殺人が俳句にあわせて行われていると判ったときには、その死体の映像をバックに真っ白な字で俳句を出す。ストーリーを無言のうちに前進させるため、テロップのようにして出すのも、一定の速度では出さず、速く出る部分とゆっくり滲むようにして出る部分をあわせて出す、などなど。それが、一定の暗さをキープした蔭蔭滅滅とした映画の最中にいきなり出てくるのですから、そりゃ怖くなるわけです。
 あの字幕の出し方、演出の仕方は完全に、市川監督の個性スタイルでしょうね。唯一無二。あのひとだからこそできる芸当なのでしょう。
 今日はそんな映画を観ていて、裏部長はふとこんなことを考えました。

 スタイルって、何だろう?

 たとえば仕事をするにも学校生活を送るのにも個性とか暮らしのスタイルというものは必要ですね。拘りというとすこしネガティブなイメージがありますが、信念といえば正しく聞こえます。みなさんはそんな自分だけのスタイル、持っているでしょうか。
 わたくしは一応持っているつもりです。空手をやるときのスタイル、体道をやるときのスタイル、仕事へ行くときのスタイル、小説を書くときのスタイル、読書のスタイル、ぐーたら生活のスタイル、映画鑑賞のスタイル、友情のスタイル、愛情のスタイル……。あることはありますが、然し、それは本当におのれの個性に根ざしたスタイルか、と問われると正直不安でもあるのです。

 先の映画のことでいえば、市川監督は特にこれといって変な意図があってあんなふうな演出をしているのではないと思います。ただ単純にそうしたほうが理解しやすいからとか、そうしたほうが怖いからとか、観客のことを最大限に考えたうえで行なったことだと思うのです。こうしたほうが格好よく見えるだろう、とか、奇をてらった映画のほうが専門家の評価が高いから、とか、そんな理由ではやっていないはずです。映画的に不純な動機であんな映画は作られないはずです。
 
 もし自分だけのスタイルというものを確立できるのなら、純粋な気持でそうしていると胸を張って云えるようなものにしたい。裏部長はそう思います。そのためにはもっともっと勉強をして、そして、もっともっと自分を知らなければいけないのでしょう。人生、是すべて修行です。

 さあて、明日はどんなスタイルでゆこうかな。
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2006年11月24日

隙ねえ・・・。

 こんばんは。会社を出たら外は一面の雪だった・・・裏部長です。今日の札幌は朝から雪の降りどおしで、午後以降は薄っすらと積もる有様。それも、しっかりとは積もらず、シャーベット状態でべちゃべちゃになっておりますから、歩くときには大いに難儀しました。積もるのならひと思いにしっかりと積もってもらいたいものです。

 今日、仕事の最中にふと自分の右手の甲を見てみると、薬指のつけ根が変色しているではありませんか。指で押してみるとたしかに痛い。青タンというやつです。原因は水曜日の約束組手ですよ。それしか考えられません。
 そこからさらに目をおろしてゆくと、手首にはもっと大きな青タンが・・・・・・まあ、これは水曜日以前からあったもので、あの稽古でさらにその色が深くなってしまっただけでしょうが、たしかにある。しかも大きい。見るからに、痛い。
 こんな痣、端から見たらまるで被虐待児です。幼児であれば児童相談所へ通報されているところです。現に、わたくしの両親などはこの痣を見てよい顔をしません。おそらく、武術をやっていない人すべてが同じリアクションをするのでしょう。
 しかし、当の本人はいたって平気。いやむしろ得意なくらいで、あちらこちらの傷をみんなに見せて歩いたりして・・・・・・。そこへ来て、空手でつくる擦り傷や青タンはどれも、生活に支障を来たさないところに出来ておりますので余計にたちが悪い。これが手の甲ではなく掌にできたとか、足まわりに来て歩くのがしんどいとか、そういう事態になればまた話はべつですが、いづれの傷も大事なく、加えて日常生活に支障がまったくないわけですから、こりゃどうしたって心配などしなくなります。
 みんなも同じような経験があるんじゃないでしょうか。

 さて、昨夜の師匠のBlogにあった「隙」の話ですが、たしかに裏拳打ちは入っておりました。あの夜の約束組手で、対処策がまったく浮かばず、混乱したのはあの反撃に対してのみでした。今までに味わったことのない衝撃でした。
 ですから今日はひがな一日、何かというとそのことを考えておりました。こんなことはこれまで云われたことがありませんでしたが、しかし栃木遠征でのY先生とのやり取りなど、ヒントは多少持っておりますので、どうにか工夫してみたいと思います。今ひとつ考えている案は来週、月曜日あたりに試してみたいと考えております。

 ちなみに今夜のタイトルは、加藤茶さんの「あんたも好きねえ」を文字って「隙ねえ」としただけのことでございます。カトちゃんのこのギャグを知らないひとには何のこっちゃさっぱり解らぬ話でありました。
 それではみなさん、よい週末を。
posted by 札幌支部 at 21:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2006年11月23日

不思議な武術

 こんばんは。勤労感謝の日の裏部長です。祝日があって仕事が休みになるのは結構なのですが、どうもこう中途半端なところに出て来られると、生活のリズムが狂ってしまっていけません。今日なんぞも朝九時過ぎという早起きなんだか寝坊なんだかよく解らぬ時間帯に起床し、仕事を片づけながらも、映画を観たりTVを見たり、結局いつもの週末とほとんど変わらぬ内容の一日を過ごしただけで、而して明日はまだ平日、という塩梅。ひと思いに殺してくれっ!といった感じです。

 昨夜は札幌支部としてはかなりヒート・アップした稽古で、運動量のせいだけではない妙な熱さが全身に満ちて、大いに身体を使いましたが、今日はどういうわけか筋肉痛などの肉体的疲労がいっさいありませんでした。武術というのは不思議なものです。あれだけ動いていながら、内容のよい日のあとは爽快で、どんなに色色なメニューをこなしても、力み悩み滞った稽古のあとはなんともいえぬ疲労感と筋肉痛に悩まされます。ほんに武術というものは不思議でございますなあ。

 あんまり感想ばかりのBlogだと退屈でしょうから、少しは込み入った話をしますと、最近の稽古の印象ですが、どうも「受け」よりも「攻撃」を磨く段階に入っている可能性があります。というのも、昨夜の稽古でもそうでしたが、約束組手において、師匠へ突いてゆくことこそあれ、師匠の突きを受けるということがここ数箇月ほとんど無いのです。空手の上達サイクルは相互作用の螺旋階段式で、攻撃が成長すれば今度は受けのレヴェルが上がり、受けの質が高くなればそれに応じて攻撃の精度も上がってくる。昨夜のように師匠がいてもそうなのですから、わたくしたち、少なくともわたくし個人に関しては、今は「攻撃」を磨く時期なのかもしれません。

 昨夜の稽古で露見した現時点でのわたくしの課題点は、拳です。ハナからがっしりと握った状態で構えることをあまりしない裏部長は、追い突き一本のあとの二本目、三本目、もしくはそれ以降の攻撃に際して、両手を開いたり握ったりすることに馴れておりません。いや寧ろ、開いておくことは問題がなく、だからこそ最近やりはじめた「打ち」はとっつき易い稽古課題になっているのでしょう。優先課題は、拳をつくること、手を握ることなのです。
 これは師匠も、馴れだ、とおっしゃっておりましたが、要は握った拳ないし突きの強度が問題なのではなく、開いた状態もしくは半開きに近い状態から瞬時に握りこむ感覚、その反応が必要なのです。しかも、一本だけに留まらない約束組手では、相手の反応にあわせて攻撃のパターンを変えてゆかねばならず、咄嗟に拳の反応を起こさなければならないため、その感覚の修得は生半可なものではないように思われます。

 栃木や奈良の諸先輩方はそういった悩みを持ったことはありませんか。拳を瞬時に握る感覚を、どのくらいの段階でたしかなものにしたのでしょうか。なにかアドヴァイスがあればお教えください。

 明日は土日に行なわれる入試の準備のため、稽古は休みです。門弟諸君においては風邪をひかず、元気に、来週の月曜日に会いましょう。
 裏部長でした。
posted by 札幌支部 at 20:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2006年11月22日

裂けてぇぇええ!!

 こんばんは、裏部長です。今日は朝からすこし雨模様で、午前中、アラ晴れたかなと思える時間帯はあったものの、午後からはすっかり雪。陽が暮れるころにはすっかり積もって冬景色となっておりました。北国というのは恐ろしいものです。ほんの二三時間で秋が冬になってしまうのですから。

 今日は空手の稽古でしたが、どうも変則的な内容になってしまいました。
 午後六時、わたくしはいつものように教室で待機をしておりましたが、待てど暮らせど誰も来ない。そのうち師匠から電話が入って、二十分ほど仕事のため遅れる、という。仕方なく待つ。ON君が泥棒のように窓から入ってきて二人になる。師匠、顔を出されて、もう少しかかるといい、再び仕事へ。わたくしとON君はふたりぎりで基本稽古を始めたのですが、そのうち部長とTY君が来て四人に。基本稽古をひと通りやり、手廻しをし、其場でのワン・ツー、其場からの追い突き・逆突きをし、約束組手を始めたころに師匠が来られ、追ってS呂君も来るという、なんともおかしな人数の増え方をした一日でありました。

 師匠参加後は約束組手のみ。これが白熱しました。ここのところ師匠に対して突いてゆくという機会に恵まれていなかったため、ここぞとばかりに全力でかかってゆきました。もう一本だけとは云いません。師匠が下がればそれを追って二発三発と突き、横へ動けばさらにそれを追って突き、また打つ。これに応じて師匠もいろいろな技を見せてくださるから、もう自然と攻防は熱くなってきます。
 結局、正味三十分弱の約束組手でしたが、濃すぎるほどの内容があったと思います。わたくしなんぞは突きが威力の割りにきちんと出来ていないため、右拳の小指・薬指間と薬指中指間の股のところがすこし裂けて、血が滲んでおりました。階級的におなじ部長やS呂君なんかは、ここへ来る前に数年間の空手経験がありますが、わたくしは師匠のもとでの二年半ほどしかないため、どうも拳を握るということに馴れていないようです。それも、手を開いている状態ないし半開きの状態から握りこむというの動作に馴れていないのです。
 今後の課題がまたひとつできました。

 また栃木のY先生の影響もあって、最近ちょろちょろとやり出した「打ち」に関してもすこしアドヴァイスを頂いたので、今後の稽古で練ってみたいと思っています。ただ、「打ち」はあくまでも応用と考えたく、やはりその前に正統なる「突き」をものにしたい。拳をきちんと握るというところから次のステップは始まりそうです。

 明日、明後日の稽古は休みです。つまり、次回の稽古は翌週の月曜日。十二月に入ると若干その予定に変動が出てくるやもしれませんが、門弟諸君は雪に負けず寒さに負けず、今日の稽古のようにハッスルして頑張ってください。
 裏部長でした。

 ちなみに。
 本日のタイトルは、TVドラマ『トリック3』で高橋ひとみさん演ずる犯人がさまざまなシーンで口にする決め台詞です。ま、どうでもいいことですが。
posted by 札幌支部 at 22:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2006年11月21日

少年を想う

 こんばんは。札幌はいますっかり雨です。今日の正午あたりから降り出して、すっかり秋雨といった塩梅。肌寒い季節になって参りました。
 どうも裏部長です。今日は稽古もなく、仕事のあとは例によって引きこもりの生活に戻ったハムスターのような裏部長ですが、一冊本を読了しました。
 タイトルは『空白の叫び』、作者は貫井徳郎さんです。小学館から出ている単行本で、上下巻の二冊でひとつの作品になっています。ちなみに、今日わたくしが読んだのは下巻のほうで、つまりはすでに上巻は読了しているわけですが、両巻ともに五百ページを超える文量で、少し疲れました。この作家さんはセンテンスが長い。読んでいて遅遅として進まないのです。乗ってこないというか、テンポが悪くて、なんだか一気に読んだという感じがしませんでした。
 内容は、というと・・・・・・下巻の帯にはこんな文章があります。

「殺人者となった少年は、更生できるのか」

 この一文から察してお判りになるように、この『空白の叫び』という小説は、十四歳の少年たち三人がそれぞれの生活のなかで葛藤や憎しみや恐怖をおぼえ、その末に殺人者となり、少年院を経て、最後はそれぞれに悲劇的な結末を迎える、といった内容の作品であります。ある少年は自分にまとわりつく自分より低能な少年を、またある少年は性的な関係を結び、離れられなくなった女教師を、そしてもうひとりの少年は自分の母親を・・・・・・どこかで聞いたような話ばかりがこの小説では描かれています。
 これは以前このBlogでも書きましたが、ここ数年は、少年犯罪を描いた作品(フィクション)が現実の事件に追いつかないという異常な事態になっています。十年、二十年前にこの作品のようなものが世に出されればそれこそ「少年犯罪を深刻に描いた問題作」と評されたものです。それが今はどうでしょう。この小説に書かれている少年たちの苦悩、犯罪、その精神など、日頃のTVニュースで報じられている事件に比べたら、ただの一例に過ぎません。これは相当に恐ろしいことです。

 これは私見ですが、若者たちの人間性は年年、さまざまな箇所で幼児化しているような気がします。今から二十年ほど前であれば、まだ学校には体罰もあった、校内暴力が問題視され、校則が生徒たちを縛っていました。あの頃は、若者たちは自分へ迫りくる圧力に対して闘ったものです。それがある面では暴力となり、またある面では不良化になってしまった。しかし、それは結果であって、若者たちは十分に闘っていたのだと思います。
 しかし、最近ではどうでしょう。若者たちは闘っているでしょうか。否。わたくしは寧ろ、逃げているのだと思います。
 情報化社会で、身近なところにたくさんの情報が溢れている。感性とか人間性とか個性とか、そのひとを表現するカテゴリーにも多様性が出てくる。つまり、周囲のひとたちとは違うけども自分はこう思う、これが個性なんだト、そういう主張が出てきて、集団のなかで統一性が無くなる。判断基準が個人の感性に任せられる。教師が自分に対してだけ厳しい、クラスメイトが虐める、親が話を聞いてくれない、受験はどうしよう、将来は、夢は、希望は、あらゆる場面で回答を求められる。その結果として、犯罪に走る。これは闘った結果ではないとわたくしは思います。正面からぶつかって闘えなかったから殺す。ナイフを出して、庖丁を持って、バスを乗っ取る、肉親を刺す、学校を襲う。これは、すでに社会に負けているのです。
 ここ二三年はその傾向がさらに強くなって、若者たちはなにか急激なる問いや圧力に遭遇した際、闘わず殺すこともせずに、一番手っ取り早い「自殺」を選ぶようになった。今すぐにでも出来る、たったひとりで出来る「逃げ」に走るのです。

 わたくしも昔は少年犯罪を描いた作品をむしろ熱心に書いていた時期もありましたが、最近はぱったりそういったジャンルのものは書いておりません。おそらく書けないのでしょう。今日書いた悲劇が、明日には日常になっているのですから。
 少年よ、今きみはなにを想う。

 なんだか今日はすこし深刻になりすぎてしまいました。明日からはもっと明るくやります。
 裏部長でした。
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2006年11月20日

「教える」は教わること。

 こんはんば、裏部長です。今日の札幌はよく晴れて気温も高く、過ごしやすい一日でした。しかし当の裏部長は朝から躰の様子がおかしく、特に寒いわけでもないのに指先の感覚が鈍くなって、よく物を落としました。老化かもしれません。
 さて今夜は師匠不在の日ではありますが、きちんと稽古をしてきたので、まずはそのご報告からどうぞ。


2006年11月20日(月)晴れ。部長は肩の痛みのため、欠席。
 午後六時、札幌大学1002教室にて空手の稽古。師匠不在。参加者はON、S呂、新人のSTという珍しい組み合わせ。
 基本稽古。全てをSTに合わせ、其場突き、前蹴り、内受け・外受け、廻し蹴り、下段払い・上段受けまでを丁寧におこなう。以下その注意点。
 其場突き:肩を出さない、力まない、腰と連動させて突く、腕と腰の密着、突く位置の高さ、回転に流されぬようまっすぐ拳を伸ばす。
 前蹴り:構えた時点で重心を前へ移す、蹴りに合わせて腰が浮かぬよう注意、足先に力を入れずリラックスして蹴る。
 受け:最後に拳を返すこと、受ける部分とその軌道、各受けの防禦区域とその効果。
 廻し蹴り:上足底で蹴る意味。
 手廻し。
 後半は組分けをして稽古。
 まずはS呂のみ、型「転掌」の復習。全体の流れ、形は悪くないが、足下・膝・腰の締めがイマイチ。腹のなかに大きな玉があるように想定し、それを転がすようにして打つのが理想であることを再確認する。
 私がONの「平安初段」を見ている間、S呂にはSTの其場突きを指導してもらう。
 ON、現在はまず全体の流れを覚えるのみ。この型は猫足立ちができなければ何ともいえないので、まずはその要所を押さえてもらい、あとは転進する際の足の位置などを確認する。
 最後は私がSTの稽古を見、S呂とONには約束組手(中段追い突き)をしてもらう。
 ST、どうも肩に力が入りやすい。突きは腕力ではなく、腰で突くということ、片方の腕が出たらもう片方の腕は引っ込む道理、軸の安定性、それらを実際にこちらの腹を突かせて確認する。彼はまだ空手の稽古二日目だが、どんどんと変化している。
 八時過ぎ、終了。談話室前で、ONの激しい私生活を知って少し驚く。


 新人のST君はよくやっています。今日も稽古に遅刻しそうになって、息咳きって走ってきたたほどで、今週は水曜日以外稽古はないよと云うと「水曜日は来られないんですよ。一週間、稽古できないのか・・・・・・」と至極残念そうでした。あれくらいの気持があれば大丈夫でしょう。
 御馴染みの後輩たちのなかにも成長が見られています。ONはいつも体調悪そうな顔をしていながらきちんと来ていますし、その腕前も決して退化するということはありません。まあ来ないこともありますが、来たらきちんと真剣に稽古しています。私語の多い誰かさんとは大違いです。
 そして今日の収穫はなによりS呂君です。彼はもうすぐわたくしたちと一緒に初段補へ上がるのですが、今日はその前にちょっと試してみました。彼に新人のST君やON君の指導を任せてみたのです。わたくしはON君の型を見ながら、またST君の其場突きを見ながら、例の「捨て耳」でもって彼のアドヴァイスを聞いておりましたが、いやあ実に的確な指摘ばかりで、その成長ぶりに感嘆してしまいました。
 大体のところで云うと、S呂君が出したアドヴァイスとしては、ST君へは「力んで肩が出ないようにする」「引き手をもっと意識して、引き手で突くようにする」「軸を安定させる」で、ON君へは「軸の移動をもっと安定させ、ゆっくり動いてもその動作が行なえるようにする」というものでしたが、これらは現在の彼らにもっとも的確な助言だとわたくしも考えております。
 まあST君にしては稽古報告に書いた通りですが、ON君の場合、もう大方全体のバランスが取れてきて、追い突きがサマになってきた。こういった段階を迎えると今度はもう単純に、軸を前足へ移動させて突く、という段階になる。現在ウチではH君なんかが取り組んでいるテーマですね。わたくしが代わりに見たとしてもおそらく同じことを云ったでしょう。
 あんまり褒めるのもいけないので、ムチの意味もこめて進言しますが、わたくしもS呂君もようやくそういうふうに見ることができて、後輩たちの未完の部分を指摘することができるようになってきましたが、見つけられるのと矯正できるのとは大いに違いますね。間違いに気づいても、では何をどんな風に伝えればそれが直るのか、これがすぐには判然としない。どうしたって自分のやっている感覚で考えてしまいますから、相手にとって本当にわかりやすい言葉ではなかなか表現できないんですね。
 わたくしも最近はそんなことでいろいろと考えさせられております。師匠はそういった意味でも大きい存在ですね。たった数行の文章で、たちどころに門弟たちを成長させてしまうわけですから。

 上記の通り、今週は水曜日の稽古以外はお休みです。ST君は残念ですが、他の門弟諸君はそういうことで、是非水曜日に来てやってください。
 裏部長でした。
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2006年11月19日

ぐーたら

 はい、どうも。寒くなってからすっかり引きこもりっ子の裏部長です。こう寒くては外へ出るのも億劫になってしまって、もういけません。週末は完全にこたつの中のネコです。
 今日はたっぷり寝て十一時過ぎに起き、朝食なんだか昼食なんだかよくわからない食事をして、そのあとはずっとTVを見ていました。録画してずっと見ていなかったTVドラマなんかを立て続けに見たわけです。フジテレビ系列の『のだめカンタービレ』、『僕の生きる道』、日本テレビ系列の『14才の母』、WOWOWで放送された『4400』『CSIマイアミ4』などなど。『のだめカンタービレ』に関しては、一気に三話を消化しました。基本的にふざけた、TVドラマとしては見るところの殆どない作品ですが、現代の日本を知るために見ております。

 そうかといって最新のものばかりを見ていると目が曇ってしまうので、その合間合間にむかしの映画などを観たりもしておりますが、そういった古い時代の作品を見ていると、最近のTV時代劇などはまったく見る気がしてきません。現在はテレビ朝日で太閤記なんかをやっていて、テレビ東京では忍者の端くれみたいな女を主人公にしたものをやっていますが、どれも駄目ですな。見ていられない。不世出のスターと呼ばれた俳優陣、彼らが活躍する華華しい映画なんかを観ているせいでしょうが、これは辛く悲しいことです。だって、現代の若い人たちはあれが時代劇だと思っているわけでしょ?まあ、若いひとはあまり時代劇自体を見てはいないだろうけど、武さんの『座頭市』なんかがよい例で、昔のホンモノを知らずに育ってしまうわけですから、これは悲しく、そして恐ろしいことだと思います。
 
 空心館門弟諸君は時代劇など観ているでしょうか。こないだ部長らに「桃太郎侍」を云ってもわかってもらえませんでした。やはりこれも年代のギャップというやつでしょうか。

 さて明日からは新たな一週間。新人も入って、少しは活気づいてくれることでしょう。
 明日は師匠不在ながら稽古をします。気張ってゆきましょう。
 裏部長でした。
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2006年11月18日

空手という名の零細企業

 こんばんは。引きこもり気味の裏部長です。今日は朝はやくから起きて朝食も早早に支度をし、近所にある病院へ行ってインフルエンザの予防接種を受けてきました。左の二の腕あたりにブスッとやられてきましたよ。これでこの冬は安泰ですが、久方ぶりに注射というものを打たれたためか、その後はすこし体調が悪く、夕方までパソコンに向かってある仕事をしていたのですが、酷い頭痛を引き起こして、つい先刻まで寝ておりました。
 みなさんもインフルエンザと予防接種の副作用(?)には気をつけましょう。

 さて、昨夜のわたしの書き込みに対し、師匠が過分なお褒めのお言葉を書いてくだすっておりましたが、なんもそんな大したことはやっておりません。仕事の合間に空手の型のノートを作ったのもほんの気まぐれでして、よ〜く考えれば、そんなことしてないで真面目に仕事しろ!とお叱りを受けてしかるべしなのです。
 しかし、どうしてわたくしが最近になって急にそんなことをしているかといえば、先日から稽古に参加している新人ST君の影響があります。彼が水曜日の空手の稽古を体験し、木曜日の体道稽古へ来たときに、当然の流れで昨夜の感想を聞きました。すると彼は開口一番、「型が恰好よかったですね」とこう云ったのです。
 その表情はまさに感動そのもので、師匠の型はもちろん、わたくしたちが打った型についても恰好よかったと云ってくれたのです。まあ後者については世辞でしょうが、ただ、では彼が褒めてくれたから型を見直すようにしたのかと云うと、実はそうではなく、ST君はひとしきり感想を述べたあとで、「空手の型の本って、何かあるんですか」と訊いてきた。これを受けてわたくしはノートを書き始めたのです。
 みなさんもすでにご案内の通り、空手という武術は競技系、フル・コンタクト系に関わらず、相当数の流派・会派が存在し、たとえばわれわれのやっている糸東流に限ってみてもさまざまな会派があり、その差異は所有する型の内容に現れます。同じ流派であっても会派が違えば、もっと云うと、教える師範が違うだけでもその内容は変わってきます。
 ですから、すでに出版されている空手関係の本を買い、そこに載っている技や型の解説を比較対照として参考にするのは可能なのですが、わたくしどもの流儀「藤谷派糸東流拳法空手道」の型はそこには載っていないし、正確にいえば、同流儀における日本武術研究所空心館経由の技・型に関してはおそらくどの書物でも確認はできないでしょう(似ている内容があっても、です)。これは柔道や合気道などの大衆武道にはない、とてもとても心細いところなのです。

 ですからわたくしはそんな問いを発したST君に、「空手というのはそういうものだから、もし自分たちの流儀の資料を持ちたいのなら、自分で作るしかない」と答えました。これが、自らもう一度型を振りかえってノート化するに至った理由であります。

 こういったことで云うと、最近では書店に並んでいる武道書のなかに、読んで得るところのある空手関係書物というのはほとんど無くなってしまいましたね。師匠からも紹介され、わたくしも読んだ摩文仁賢和先生の『攻防拳法空手道入門』くらいが最後の砦、そのご子息が書かれた『武道空手への招待』でお終いでしょう。札幌支部の後輩諸君もこの二冊は読んでおいてください(A君からの情報ですが、前者の本が札幌大学の図書館に入ったそうです)。

 いよいよ冬が来て、これからいっそう寒くなります。引きこもる日が増えて、運動不足にならぬよう気をつけたいものです。
 裏部長でした。
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2006年11月17日

愛すべき十二本の型

 こんばんは、裏部長です。昨夜のわたくしの書き込みには多数のコメントをいただきましてありがとう存じます。なかには門弟以外の方からも書き込みがあり、嬉しい限りです。

 今夜は空手の稽古がありました。昨夜までは師匠も「明日はなにも用事がないから」と、最初からの参加を喜んでおりましたが、そうは問屋は卸さない。案の定、またも仕事が入り、結局七時過ぎからの参加となりました。どうも金曜日が鬼門であるのは部長だけではないようです。
 まあ中盤からは師匠が指揮されましたし、おそらく師匠のBlogで書かれるとは思うのですが、わたくしなりに、今夜の稽古内容を書いておきます。


2006年11月17日(金)曇り。稽古前、TVで男子中学生首吊り死の報を聞く。
 午後六時、札幌大学1001教室にて空手の稽古。師匠は小一時間ほど遅れる。参加者は部長、苫小牧っ子のH、少し遅れてOBさん。
 基本稽古ひと通り。前蹴り、廻し蹴り、横蹴りに関しては、ゆっくり蹴る、疾く蹴る、初速を意識して蹴る長く蹴る、上段を蹴る、など、さまざまな蹴り方で稽古をする。
 手廻し。このあたりで師匠到着。
 其場でワン・ツー。
 後半は約束組手と型。まずは私と部長が約束組手(中段追い突き)、HとOBさんが型「平安三段」をやり、その後、OBさんは新しい型「平安四段」を、Hは私たちに加わって約束組手をおこなう。
 Hは前足への重心移動ができてきて、バランスも悪くない。ただ着地した際、若干右側に傾く傾向あり。
 部長とは一本目以降の攻防を。突きだけではなく、外からの打ち、各種蹴りを効果的につかい、また足が止まらぬよう、手よりも腰から下で相手を追うようにして攻撃する。
 最後は全員それぞれの型稽古。部長は「転掌」、Hは「平安三段」。私は新しい型「鷺牌初段」を教わる。
 八時過ぎ、ある慶事のため、三本締めにて散会。


 約束組手では少しハメを外し、突きだけではなく打ちも使って攻めてみましたが、やはり馴れていないためか難しいですね。相手を追うことと突きなどの形ある攻撃を同時に成立させなければならないのですから、なまなかなことではありません。まあ、分不相応だとは思いましたが、たまにはこんなこともして刺戟を感じてみたい年頃なのです。
 わたくしに限って云えば、今日新しく「鷺牌初段」という型を教わりました。これは次の初段の型ですね。
 いやあ、難しい!細かいというかややこしいというか、見馴れぬ動きに加え、各動作に含まれる技の内容が高度で、着実に型のレヴェルが上がっていることを感じました。しかし、いつもだったら面喰うところでしたが、今日はどういうわけか「型」というものを再認識した日だったので、面白いほど躰に沁み込みました。
 師匠のもとで稽古をはじめて最初に教わった型「平安二段」から数えると、こないだの「転掌」でちょうど十二本の型を習ったことになります。つまり、「平安二段」「平安初段」「平安三段」「平安四段」「平安五段」「十六」「内歩進初段」「新生」「抜塞大」「三戦」「腕秀」「転掌」ですね。
 今日仕事の合間にこれらの型の内容を最初からノートに書きだしてみたのですが、こうして改めて文章にしてその内容を読むと、いくら初歩の型とはいえ内容がある。武術の型としてきちんと成立しているのですね。先達たちがひとつの型だけで三年稽古したという歴史を見るまでもなく、やはり空手は型なのだなあと、遅すぎるほどの認識をしたのであります。
 そんな日の「鷺牌初段」ですから、難しい以上に愉しいひと時でした。

 さあ、あっという間に年末です。年を越したらあっという間に春になって、そして札幌支部としては三度目の栃木遠征がやって来ます。
 来年はどんなことになるのやら・・・・・・?
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2006年11月16日

礼節

 こんばんは。裏部長です。稽古へ行こうと自宅を出たときは雨でしたが、大学に着いたときはもう雪でした。すっかり冬ですね。吐く白い息が当たり前になってきました。
 さて今夜は体道稽古。師匠は例によって冒頭三十分ほど遅れて来られましたが、一応は参加されて、人数の多い稽古になりました。わたくしは冒頭、新人たちの復習を見、いろいろとアドヴァイスをしつつ部長の復習にもつき合い、最後には自分のほうで新しい技をひとつだけ教わりました。自分のやっている浅山一伝流体術では三つ目の段階「下段之位」へ入り、今日はその一本目「前双手」。単純ながらなかなか奥深く、ノートに書く際はすこし梃子摺りました。

 参加人数は、部長にA君に新人のST君、その前の新人ふたり、少し遅れてH君とかなり多かったわけですが、なかにはかなり稽古態度のよくない人間がおりました。とにかく稽古中に私語が多い。もちろん無言でやれとは云いません。稽古ですから、出来た出来ない、どうやったら上手くゆくか、というようなことを侃侃諤諤と話し合って稽古するのは良いわけです。わたくしもそうしております。
 でも、明らかにふざけているような会話、度を超した大声、不真面目とも取れる態度はいけません。これは恐らく師匠、後輩たちもなんとなく判っていると思います。わたくしも今日は癇に障って、あと少しで注意するか直接行って張り倒すところでした。今度また同じような態度を取るようであれば云います。誰がなんと云おうと注意するつもりです。
 とにかく最低限の礼節、挨拶などはきちんとしましょう。武術を稽古しているのですから、最低限のことは全うしましょう。

 明日は空手の稽古です。裏部長でした。
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2006年11月15日

新人さん、いらっしゃーい

 こんばんは、裏部長です。稽古後の教室で、馬鹿話をしながら着替えていたころ地震があったようです。帰宅してみれば、TVの画面いっぱいに津波警報が・・・・・・。
 沿岸部の住民のみなさん、十分にお気をつけください。

 さて今日は稽古の日。師匠のBlogにもあった通り、新人ST君(何だかイニシャル表示が多すぎてよく判らなくなってきましたが・・・・・・)がやって来ました。現在、文化学部の二年生。これを聞いた途端に部長らが「次期部長候補に・・・・・・」と迫っておりました。
 部長、がっつきすぎです。後継者不足は以前からの問題ですが、初日の新人にそう切迫した要求を突きつけてはいけません。ただまあ問題が問題ですから、今後入門してくる新人さんは、彼らが手薬煉ひいて待っていることをお忘れなく。

 師匠の打つ型、久しぶりに見ました。「十八」ですか、たしかに冒頭過ぎの四股立ちのところでブレがあったように見えましたが、全体としては迫力十分。稽古後、SR君が「先生の十八は凄い!」と絶賛しておりました。
 しかし、いくらキャリアの差があるとはいえ、師匠の型を見るたびに「ああ、自分もあれくらい巧く打てたら」と思います。技の締まり躰の締まり、動作のメリハリはやはり凄い。ああいったところに日頃の稽古の成果が出てくるんでしょうね。わたくしたちも精進せねばなりません。

 どうやらST君は正式に入ってくれそうだし、そろそろわたくしたちも黒帯が近いから、稽古にも張りが出てきそうです。
 明日は体道稽古。ST君も来るそうです。

 なんか最近、あんまり面白いことを書いていないような気が・・・・・・。
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2006年11月14日

ほっこり

 こんばんは、裏部長です。めっきり寒くなってきました。みなさん、お風邪などお召しではないでしょうか。
 久しぶりに師匠の書き込みがありましたが、やはりご多忙なようで、ご同情申し上げますもうやだ〜(悲しい顔)ここんところ頓に忙しくなられて、稽古で合えぬ日が多くなっております。昨日来ていたOBさんなんかも基本的に月曜日と金曜日しか来られないから、数箇月来ずっと師匠と会っていません。せっかく「平安三段」が出来てきているのに見てもらえない、と、昨夜も嘆いておりました。
 大学の先生というのも大変なもので、やれ四時半から会議が入った、とかね、今日は無いって云ってたのにも関わらずまた六時から会議が入った、とか、まあ会議がほとんどなのでしょうが、師匠もたいへんです。まあそれだけ頼りにされているのであれば弟子としてこれほど嬉しいことはありませんが。

 さあて今日は稽古のない日ですから、ざっくばらんに書こうかと思っていたのですが、別段これといって書くこともないので、わたくしにとっての「ほっこり」するものを挙げておきます。
 この「ほっこり」という言葉、こないだTVでリリー・フランキーさんが使っておりましたが、まあ所謂ホッとする瞬間とか物とかそういう意味で、わたくしなんぞは自宅に帰って過去の稽古VTRを見る、最近はそれでいくらか癒されております。特に先日のような、他の同業者たちの自慢話ばかりを聞かされてきたあとなどは殊に覿面で、とても助かっております。
 というのもね、取材ですからこちらもいろいろな話を引き出そうと質問をする。すると向こうも応えてくれるわけですが、全ての質問には答えませんね。つまり、
「極意である○○とは何ですか」
 と訊いても、やれ、
「それは具体的な技である」
 と云ったり、またやれ、
「いや、○○は精神なのだ。心の作用なのだ」
 なんて抽象的なことを云うからこちらも焦れてきて、
「じゃあ実際に見せてください。やってみてください」
 と云うと、
「それは極意ですから見せられません」
 とこうなる。向こうは秘伝を守ったつもりで意気揚揚、雑誌社の人間はそれでも興味が尽きないからさらに食い下がる。でもわたくしはもういいです。「ああそうですか、そんならそっちで勝手にやってください」と打っ遣ってしまいたくなるのです。

 控えめに話していながら結局自分のところの宣伝、自慢になる。そんな同業者たちの話を聞いていると本当に滅入ってきますね。ここに来てようやく、師匠や師範が空心館の宣伝をしない理由がわかったような気がします。うまく伝わらなかったときのことは勿論、それに対して興味のない人間からしてみれば、団体の宣伝くらい不愉快なものはありません。

 みなさんはどんなものを見て「ほっこり」しますか。
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2006年11月13日

あわや独り稽古

 こんばんは。裏部長です。最近どうも高校における単位不足問題以降、イジメ関係のニュースが多いように思われます。学校の校長たちは自殺するわ、生徒たちもイジメを苦にして自殺するわで、毎日暗い話ばかり。しかも、被害に遭う子も加害者の子も、一時期と比べると低年齢化し、中学生が多いようです。
 今から七〜八年ほど前は「十七歳」というキーワードがありました。あれは確かバス・ジャックの犯人が十七歳の少年で、その事件以降おなじ年代の少年たちによる犯罪が多発したため、マスコミでは『十七歳の心の闇』なんていうキャッチ・コピーで報道したためでしょうが、最近では「十七歳」から「十四歳」くらいに下がっているような気がします。
 少年犯罪を小説に書くのが難しい時代ほど、悲惨なものはありません。

 さて今日は師匠不在の稽古。先週に引きつづき部長も所用のため欠席で、厭な予感ぷんぷんで行ったのですが、一応はやってきました。
 午後六時、1002教室。しかし、稽古開始時間になっても誰も来ず。これは先週とおなじ展開ですが、今日はわたくしもそのまま帰ることはせず、ひとりでも稽古をしようと思っていましたから、十五分くらいまで待って、それから自主稽古を始めました。
 其場突き、前蹴り(左右六十本づつ)、受け四種。ここまで終えたところで、これまた先週も来られていたOBさんがいらっしゃる。
 二人での稽古。まずは型。OBさんの「平安三段」を見る。すでに大方できているようなので、さらに細かい点、つまり、猫足立ちの後ろ足の膝の開き具合、そのときの半身、受けと攻撃のメリハリなどなどを指摘しました。
 後半は約束組手。せっかくOBさんがいらっしゃったので、刻み突きに対する「技」をいろいろと。
 二度受け・二度打ち、通常の捌きに指の作用を加える、躰の揺れをつかう、反撃に転ずる、腕押さえ若しくは躰押さえに繋げるetc.
 OBさん、なかなか勘よく、「難しい、難しい」と云いながらも無難にこなしてくれます。わたくしもそれほど巧くはありませんが、どうにか要点を伝えることだけは全うできたと思います。
 午後八時、最近門弟の参加率が低いことを嘆いて散会。

 ここ一週間ほどの裏部長は、全身にへんな力みがあるかと思えば、今度はその逆で妙に脱力がすぎて躰が締まらず、拳すら思うように握れない有様でしたが、今日は「たった一人でも稽古をしよう」という強い気持で行ったためか、駄目なりにある程度は動けて、突きも突けました。何かの過渡期なのかのしれません。
 
 あっ、そういえば昨日、札幌でも雪が降りましたね。初雪です。今朝方まではうっすらと積もっておりました。
 嬉しくとも何ともありませんが。

 裏部長でした。
 
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2006年11月12日

吾を知る

 こんばんは。一日ぶりの裏部長です。この空心館札幌支部のBlogがスタートしてより数箇月、一日として書き込みを絶やして来なかったわたくしも昨日ばかりは果たせませんでした。皆勤賞ならず、といったところでしょうか。
 そうかといって、誰かほかに書き込んでいるかな?と思って今日ひらいてみれば、閑古鳥が鳴いておりました。みんな、もっと書いてください。

 この週末はわたくしにとって初めての、ある経験をしました。云ってしまえば仕事、それも取材という名の、少し特殊な仕事でありました。内容は、われわれのやっていることと少なからず関係のあるジャンルのものなので、ここでは明かせませんが、非常に稀有な体験をしたと思います。
 取材ですから、当然、取材する側と取材される側の人間がおります。わたくしは前者で、後者の取材対象の方方はこれまで一切の取材依頼を断ってこられたある団体のトップ。今回は、その組織の創設者の紹介をメインに、という条件つきでどうにか取材を受けてもらったのです。
 そんな状態ですので、もうこちらは気の使い通し。まさに幇間のような腰の低さで相手をヨイショ、適度に笑い、適度に訊き、その話にさも興味があるといった表情で貴重なエピソードを伺う。そんなことをした週末だったわけです。
 しかし、そういった体験を実際にしてみると、もちろん興味ぶかい話も当然あって、それに関しては心底感心したのですが、なかにはどうでもいい話、取材としては使い様がない話などを長長とされる場合もあります。わたくしも幇間のような気持でやっているとはいえ本物の幇間ではなく一人の人間であり、書き手であり、そして未熟ながらも武術をやっている者なので、やっぱりそこでは我が出てきて反論、もしくは意見を云いたくなります。しかしそれはやはり許されないのでグッと押さえる。我を殺すわけですね。それをやった上で仕事をする。そうすると心のなかにさまざまな感情が湧いてきます。ときには高揚感、ときには緊張感、そしてときには不快感。
 そんな感情を心のなかに得たとき、ああ自分はそういう人間なのか、と自身について知ることができたような気がしました。ああ自分はこういう人間には合わないんだ、こういうことを云われると不快に思うんだ、ここまでは妥協できてそこ以上は曲げられないんだ、とね。

 大人の世界に入って、厭なことをしながら生きてゆくというのは文字どおり厭なことで、特にわたくしの目指そうとしている世界はそれらのものを排除し、いわば我儘に、いわば子供のままに生きていたほうがむしろ作品として生きてくるような世界なので、余計わたくしなんかはそう思うのかもしれませんが、こうしていろいろな他者と出会うことで吾を知るということはあるかもしれません。たいへん疲れますが、よい週末であったとも思っています。

 明日からはまた新たな一週間。
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2006年11月10日

拳が握れない・・・・・・

 こんばんは。部長の粗相には寛容な態度をとる裏部長です。もう二年以上のつき合いですから。もう、つーと云えばかーと云うほどの仲ですから。稽古開始から三十分以上連絡がなかった時点で、「ああ、今日もか」とすんなり合点のゆくお兄さんなのです。

 今日は空手の稽古。師匠は午後四時半から会議があり、結局長引いて教室へは七時過ぎに来られました。参加者は苫小牧出身のHのみ。師匠到着までにやっていた稽古は、基本稽古ひと通り、手廻し、移動稽古(追い突き、逆突き、追い突き・裏拳打ち・逆突き、五連続)。師匠到着後は、蹴りのヴァージョンについて、型。蹴りの種類の話では、前方への横蹴りなど初めて見るものもあり、非常に興味をそそられました。

 しかし、わたくしにとっては、今日の稽古はまったくの駄目、納得など一切できない最悪のものでした。何よりも思うように拳が握れないのです。別に筋肉痛があるわけでも風邪をひいているわけでもないのですが、どうも躰が締まらないのです。
 突きがメインなのにこんな有様ではいけないですね。ほかの誰でもない当の自分でそう思います。せっかくの稽古なのに残念なことをしました。

 来週からは性根を入れ替えてがんばります。おそらく部長も同じ心境でしょう。
 裏部長でした。
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2006年11月09日

余暇

 どうも、裏部長です。わたくしは昨夜のBlogにも書きました通り、本日の稽古には参加しておりません。きっと、今日も降りつづく雨にも負けず、集いに集った門弟たちによる、熱い熱い体道稽古が繰り広げられたことでしょう。その模様は師匠のBlogでご覧ください。

 じゃあお前は何をしていたんだ?というと、実は落語を観にいっておりました。札幌は大通り公園に面したビルのなかにある道新ホールという、五百人ほどが入る小屋での『柳家三語楼改メ六代目柳家小さん襲名披露全国公演』。わたくしにとっては初めて生で観る落語でした。
 出演は、鈴々舎馬るこ、鈴々舎風車、柳家花禄、鈴々舎馬風、お中入り、襲名披露口上、三遊亭小円歌(三味線漫談)、六代目柳家小さんの順。冒頭のふたりは若さに溢れた高座、花禄さんと馬風師匠はもう爆笑につぐ爆笑でキャリアを感じさせてくれました。お中入り(休憩)をはさんで口上、そのあとに出られた小円歌さんは女性、粋な三味線を聴かせて最後には「かっぽれ」まで踊ってくれました。
 そしてラスト、今夜のトリ、六代目柳家小さん!・・・・・・でしたが、わたくしとしては今日いちばんこの人が面白くなかった。一番のヴェテランなのに、どうも笑えない。それまでの人たちに勢いがあったのか、この人に元気がなさすぎるのか、それはどうか判りませんが、いまいちの印象でございました。
 ともあれ初めての生で観る落語、十分に堪能してきました。

 今日のわたくしのBlogはこんなところで失礼をいたします。明日は空手の稽古です。
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2006年11月08日

怠惰な筋肉

 こんばんは、裏部長です。佐呂間の竜巻はとてつもない爪痕を残しました。TVでもその様子が何度も放送されていますからご覧になった方もいらっしゃるでしょう。亡くなった方はすべて働き盛りの男性ばかり。なんとも悲しいことでございます。
 同じ北海道人として、心からご冥福をお祈りいたします。

 さて今夜は空手の稽古で、師匠も部長も参加しての一夜となりましたが、その模様は師匠のBlogでお読みください。
 わたくしは例によって自分の感想を。

 先週の木曜日から今日まで、大学では稽古らしい稽古をしていなかったので、その間はもっぱら自宅での一人稽古。まあやれることは限られておりますから、最近再開した拳立て伏せや指立て伏せ、其場突きなどを続けていたわけですが、やはり拳立て伏せなどをすると腕や胸の筋肉がついてしまうのですね。知らず知らずのうちに硬くなってしまい、今日の稽古ではそこから力みを取るのに四苦八苦でございました。
 しかし、そういった鍛錬を全くやらないというのも如何でしょうね。ある程度は鍛えておいて、それでも通常どおり稽古ができる、脱力できるというほうが良いのではないでしょうか。まあ自分もそんな考えで、つい最近から毎日の自主稽古を再開したわけですが、躰を鍛錬しておきながら適度に脱力して稽古をする、これは今後の課題になりそうです。

 今夜の稽古の最後は型。わたくしと部長とS呂君はいづれも次「初段補」へ上がる面面ですから、『腕秀』と『転掌』を師匠に見てもらいました。二つともやればやるほど難しくなるような気がして、わたくしなんぞは全く自信がありませんが、おそらく今月中にはこの段階が終了するものと思われます。諸先輩方に恥ずかしくない状態へ、どうにかレヴェルを引き上げたいものです。

 明日は体道稽古、金曜日は空手の稽古がありますが、わたくしは所用のため明日は欠席します。師匠のもと、みんなで投げ投げしてください。
 
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2006年11月07日

古流柔術と筋力

 こんばんは。今日も雨に降られた裏部長です。久しぶりに二日連続の雨、それもかなり強く、通勤に際してわたくしも大いに濡れました。こういうときに限って妙に気温が高かったりして、なんとも気候というものは不可思議であります。
 つい先刻入ってきたニュースでは、道北のある町で竜巻が発生し、アメリカ並に建物なんかをなぎ倒して、現時点で九名の犠牲者が出ているようです。
 現地のみなさんはさぞご心痛のことでしょう。

 さて、今日は稽古がないのでちょっとした疑問を提示してみたいと思いますが、われわれも体道のなかで稽古している数数の古流柔術。古いものでは竹内流からはじまり関口流不遷流浅山一伝流渋川流神伝不動流・・・・・・などなど、その数は多ございますが、これらの各流儀には、有名無名に関わらず、数多の達人たちが伝説となって残っております。
 最後の古流柔術流派として有名なのは「大東流合気柔術」ですが、この流儀の中興の祖・武田惣角さんはもちろん、もっと古いところでいえば天神真楊流柔術開祖の磯又右衛門力信流柔術大江安左衛門渋川流柔術開祖・渋川伴五郎起倒流柔術の達人といわれた鈴木安兵衛、不遷流・武田物外etc
 挙げればキリがありませんが、こういった、武術史に名を残している達人たちには必ずといって良いほど武勇伝があり、また同じく必ずといってよいほどの割合で、その内に豪力ぶりをうかがわせる話が多く残っております。
 たとえばある人は、お寺の大きな鐘を片手でかるがると持ち上げたとか、またある人は子供のころ、大人が三人集まってようやく運べる大木を、なんと三本まとめて一人で担いで運んだとか、そんな話がゴロゴロあるわけです。まあもちろん、それら全てが本当かどうかは判りませんが、まったく嘘であるとも思えないので、恐らくは実話であるというようなものも少なからずあるのでしょう。

 そこでこう考えるのです。柔術の技やその腕前に、筋力的な力は必要か否か?

 ウチの師匠も本部の方方も、常常「無駄な力を抜け」と云われます。これは体道に限らず、空手や剣などをやっていてもそうですね。とにかく適度に脱力してやわらかく行なえ、と。
 しかし、古の名人達人たちのそういったエピソードを聞くと、あながち肉体的なパワーは殊柔術に関していえば有効なのではないか、過去の達人たちが達人たりえたのはそういった筋力的素養があったためではないか、そんな疑問を得てしまうのです。
 
 まあ、かといって自分も明日から筋力トレーニングをしよう!とは思いません。躰がぶよぶよにならない程度に気をつけるのみですが、しかし過去の人たちのことを思うと・・・・・・。
 ご意見のある方はお寄せください。

 明日は空手の稽古。師匠がいらっしゃれば自ずと参加人数は多くなるでしょう。
 裏部長でした。
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2006年11月06日

美学

 こんばんは、裏部長です。今日の札幌は、朝から篠つく雨でたいへんでした。雨の量が多いうえに風も強いときているので傘をさしていても足下が濡れるという、なんとも云えない不快感とたたかう一日でありました。
 そういえば今日こんなことがありました。わたくしはある会社のビルで管理業務という仕事をやっているのですが、その受付にぶらりとやって来たひとりの女性がすこしおどおどした声でこう云ったのです。
「あのお、このビルにこれをポスティングしたいんですけど、許可は必要ですか」
 もう半年以上もこの業務をやっているわたくしですから、ちょっとやそっとのことでは驚きません。至極冷静な心持でもって、訊き返しました。
「えー、その、ポスティングってなに?」

 結局その女性はどこかのお店の営業員で、広告のチラシをこのビルの郵便受けへ「投函」してもよいか、と訊いていたのです。
 手紙などを(ポストへ)投函すること、これをポスティングというそうですが、しかし現代人というのはどうしてこんなところにまで英語を使いたがるのかねえ。わたくしは吃驚してしまいました。
 だって向こうも日本人、こちらも日本人なんだから、歴とした日本語で云えばいいじゃないですか。「このチラシを投函したいのですが」と云えばいいじゃないですか。
 ヘッ、なにが「ポスティング」だ。「ポスティングしたいんですけど許可は必要ですか」……丁寧なんだかふざけているのか、よくわからない物云いでございます。

 さて、今日は師匠不在の稽古の日ですが、部長がなんでもフルマラソンに出たというので、その疲労のため欠席。通常通りわたくしは定時に教室へ入っていたのですが、三十分経っても誰も来ず。仕方なく帰ろうとしているところへ、学外から参加されているOBさんがいらっしゃる。しかし、すでに時刻も時刻だし、これ以上人数の増える予感がしなかったので、そのまま一階の談話室で文字どおり談話をして散会としました。お互い雨のなかやって来たのに残念ではありましたが、たまにはこんなこともあります。

 というわけで今日は結果的に稽古なし。スペースを埋めるために、ある美学についての逸話をお話ししましょう。

 落語の世界で名人といわれる人はたくさんいますが、そのなかでも名を馳せたひとりに、八代目桂文楽がおります。精密に計算された構成、高座へかける前には何度も台本を推敲し、稽古に稽古を重ねて口演されていた噺家さんですが、この文楽師匠がある日(昭和四十六年八月三十一日)、落語研究会において『大仏餅』という噺をやった。すらすらと話してきてある場面に差し掛かったとき、ハタと言葉が出なくなった。声が出なくなったわけではありません。その次の台詞が出てこなかったのです。
 普通の噺家であれば適当なアドリブなどを挟んでどうにか誤魔化しますが、この文楽師匠はそのあたりが非常に真面目で、しかも自分の芸に誇りを持っていますから、パタッと噺をやめて、

「勉強し直して参ります」

 そう云って深く頭を下げると、そのまま楽屋へ下りてしまいました。
 八代目桂文楽はその後、二度と高座へは上がらず、同年十二月十二日、七十九歳でその生涯を閉じたのです。

 わたくしはこの話に、芸人というか職人というか、一つの道に生きる人間の美学のようなものを感じますね。これを武術家にあてはめてみるとどうなるかは判りませんが、同じ芸事に励む者同士、わたくしたちも斯く潔い人間でありたいものです。

 水曜日からはきちんと稽古します。

 
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2006年11月05日

昔を愉しむ難しさ

 こんばんは。裏部長です。ここ数日の札幌の天気は、日中晴れて、夜はすこし雨が降るという、なんとも不思議なもので、まさしく「女心と秋の空」ですが、この言葉、本当は「男心と秋の空」が正解だそうです。女よりも男のほうが目移りして困る、といった意味なのでしょう。

 言葉の話をつづければ・・・これは最近仕入れた知識ですが、よく高評価を得たことを受けて「この商品は折り紙つきです」などと云いますが、これは間違い。「折り紙」は鶴とか飛行機とかを折るあの折り紙のことで、この場合は「おりかみ」が正解です。
 また「百鬼夜行」を「ひゃっきやこう」というアナウンサーがいますが、これも違って本当は「ひゃっきやぎょう」。言葉というものは難しいものです。
 しかし、よくこんな話をすると、「あんた、年の割りに細かいことに五月蝿いのね」なんて厭な顔をされますが、そんなマメ知識を得たときはむしろ得意げになってもらいですね。つまり、自分はここにいない友人たちよりも少しだけ賢くなった、と喜んでもらいたいのです。
 わたくしなんぞは言葉をつかってどうにかこうにか生きてゆこうとしている人間ですから、そういった知識を得たときは嬉しく感じます。得したな、と思いますよ。

 さて、今日は朝から映画鑑賞をしました。観たのはどちらも邦画で、一本目が『幕末太陽傳』(日本映画1957)、二本目が『獄門島』(日本映画1977)です。
 『獄門島』は、有名な金田一耕助シリーズの一作で、監督は市川昆。二時間ちょっとの長い映画でしたが、退屈することなく観ることができました。
 この金田一シリーズは一貫してひとつのトーンというか、作品の雰囲気が統一されているので、当たり外れが少ないように思われます。まあ、そのトーン自体が非常に暗いので、馴染めないひとは一生馴染めないでしょうが、しかし、観ているなかで「これはホラーなのか、それともコメディなのか」と、観客が迷ってしまうような作品にはなっていません。最近の日本映画に見習ってもらいたいところです。
 でも、こういった作品に出てくる死体はどうして白目を剥いているんでしょうね。あの死に方が映画全体の不気味さを醸しだしているのかもしれません。

 二つ目の『幕末太陽傳』は川島雄三監督の白黒作品。出演者には、フランキー堺石原裕次郎南田洋子菅井きん小沢昭一さんなど豪華なメンバーが顔を揃えています。
 舞台はタイトルにあるように幕末ですが、その内容は奇想天外で、基本的には落語の「居残り左平次」や「品川心中」、「三枚起請」、「お見立て」などの噺がクロス・オーヴァし、そこへ裕次郎演ずるところの高杉晋作ら、幕末の志士たちが登場して、エゲレス(イギリス)公使館を焼き討ちにゆく、という史実に至る、コメディ・タッチの時代劇。尺もあまり長くなく、しかし時代考証などはしっかりと為されていて、当時の遊女たちの話し方生活のリズム品川という土地の特徴などがよくわかる作りになっています。
 しかしこの作品は、ある程度落語を知らないと面白くもなんともない、と云えるでしょう。
 たとえば、そのお店の遊女で、指名数ランキングで常に上位を争うふたりの女がつかみ合いの喧嘩をするシーンがあるのですが、このときの喧嘩の原因は、片方がもう片方の女へ、「お前なんかお茶っぴきじゃないか」と云ったことにあります。これを聞いて女が烈火のごとく怒ったのです。
 この「お茶っぴき」(お茶挽き)というのは、お客に指名されず、ずっと待機していることを云います。よく時代劇で吉原なんかが出てきて、男たちが店のなかを覗く。そこは格子になっていて、なかに女の子たちがずらっと並んでいる。「ああ、おいらはあの娘が好みだな」なんてことを云うシーンがよく描かれますが、中見世などでは、お客はあそこで良い娘を見立てて指名し、店へ上がるのです。よって、指名のない女はそこでずっと坐り通し、そのことを「お茶挽き」というのです。
 このほかにも難しい言葉や習慣が出てきます。
 こういったお店では、初めて来た客は花魁にお酒を注いでもらって少し居て、その日はその程度で帰ってしまいます。なかには口を利いてもらえずに帰ってくるお客もいるくらいです。しかし、その花魁に惚れたとなればすぐに二度目となる。この二度目に来ることを「裏をかえす」といいます。これがわからないと落語『居残り左平次』のサゲが理解できませんし、劇中の台詞もよくわからないと思います。
 遊女がお客に対して乱発していた「起請文」というのは一種の契約書で、誰誰と年季があけたら夫婦になります、といった文章と血判が押された、熊野の護符です。昔から、その起請文を一枚書くと(つまりは、そんな重要な約束を破ると、という意味)、烏が三羽死ぬといわれ、また一方の遊郭では毎朝、大量の烏がやってきてエサをねだって大いに啼く。それが五月蝿くて遊女たちはゆっくり朝寝もできない・・・・・・。
 これを踏まえていないと、落語『三枚起請』は意味不明です。「三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい」なんて都都逸や、この映画の中盤のシーンも理解できないのです。

 上記のように、現代に生きるわたくしたちは、たった一本の古い映画、そこに描かれている古い日本を理解するのに、これだけの知識を新たに仕入れなくてはならないのです。
 ちなみに、落語『居残り左平次』は、見ず知らずの男たちと品川で大いに遊び、結局代金を払えずにそこの店に居残るのことになった左平次が次第に店の人気者となり、最後はいろいろと理由をつけて金を真新しい着物をもらって出てゆくという噺。店の男衆たちは、何かというと自分たちよりも左平次のほうが持てはやされるので面白くない、皆で亭主に抗議し、それを受けて亭主は左平次へ出ていってくれと云うのだが、「実は自分には前科があって、店を出た途端に御用となってしまう」と嘘をつき、旅の資金と返送用の着物をもらって店を出る。男衆たちは腹立たしい。
「あんな奴にどうして金なんか」
「いいじゃないか。これで帰ってくれるんだから」
「面白くねえ。そいじゃせめて裏からかえしてくれよ」
「何を云うんだ。あんな奴に裏かえされてたまるか」
 と、これでサゲになる。つまり、裏から帰すのを、店へ二度目に来る「裏を返す」にかけた地口オチというやつですな。

 『三枚起請』は、同じ遊女から同じような起請文をもらっていた三人の男たちが、怒りにまかせて仕返しにゆく。問い詰めると遊女は逆ギレ。
「あたしはこれが商売だよ。これからだって何枚でも書いてやるさ」
「お前知らないのか。熊野じゃな、起請一枚書くごとに烏が三羽死ぬってんだぞ。てめえ、そんなに烏なんか殺して何しようってんだ」
「あたしも遊女だもの、ゆっくり朝寝がしてみたい」
 これがサゲです。なかなか乙な噺でしょう。

 映画の話がすっかり落語話になってしまいました。落語嫌いのひとは勘弁してください。
 明日からは新たな一週間。気張ってゆきましょう。
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