2006年12月04日

たったひとつの突き

 こんばんは、裏部長です。今日、札幌は最高気温が氷点下となる、いわゆる「真冬日」となりました。いやあもう寒いのなんの!わたくしは毎朝七時過ぎに自宅を出るのですが、その時点での気温はマイナス四度。そのままとんずらして何処かへ行ってしまいたくなるような寒さです。これからもっと寒くなると思うといまからウンザリします。

 さてさて今夜は師匠不在の稽古日です。まずはそのご報告から。


2006年12月4日(月)曇り。夜、満月を見る。
 午後六時、札幌大学1002教室にて空手の稽古。師匠不在。部長は体調不良のため、欠席。参加者は新人ST、傷だらけのON、少し遅れてOBさん。
 基本稽古ひと通り(蹴りは各種、左右五十本づつ蹴る)。STには、前蹴りには大別して三種類の蹴り方(脱力した足でぶらんと蹴る、初速を疾くして小さく蹴る、ズドンと長く蹴りこむ)があることを説明する。
 ON、しきりと廻し蹴りや横蹴りに違和感を訴えるが、こちらから見たぶんには悪くない。いや、むしろ良すぎるくらいで、多少蹴る位置が低かったり正中線へ達していなかったりするだけであり、フォームとしては申し分ない。この旨はきちんと伝えておく。
 手廻し。
 其場でワン・ツー(刻み突き・逆突き)。ONには脱力を指示、肩の力で突くのではなく、どちらかというと腹(腰)の動きで突くほうがよい。
 STに関しては、刻み突きが若干上へあがってしまう傾向があるくらいで、最初としては左程に悪くはない。
 其場で躰捌き、内受け、逆突き(反撃)移動する際、軸を前足に残しておく、角度は正面に対して斜め四十五度くらい
 移動稽古。追い突き、逆突きを丁寧におこなう。
 約束組手。ONとOBさん、私とSTで組む。以下、まずはSTに対して出した突きの要点。
 足が着地してから突く、突き手を脇から浮かさない力まない(肩を出さない)、引き手を素早く鋭く引く、最後の最後まで突かない、突く瞬間は素早く、受けられ馴れしない、突き手を捌かれても躰(軸)を崩さない
 ONならびにOBさんへは、突いたあとその体勢のまま引き手を大いに引き、その勢いで躰を旋回させて相手へ向きなおる動作をやってもらう。
 STへ出した受けの要点は、前足・後ろ足の順で動かす、前手はほとんど動かさない、軸は前足に残したまま、決して軸を後退させない、その目安は受け終わった位置からそのまますぐに相手へ抱きつけるかどうか、上記の点をきちんと守って動いていれば当たることはない、よって恐れることはない
 ONは追い突きのみでやっているとなかなか良いのだが、次の動作を加えるといらぬ力みが出てきてしまっていけない。いつも通り、もっとさらっと突いてそれから旋回してみよと助言をする。
 OBさんはさほど問題がないように見受けられた。飛び込んで突く形も良さそうだ。
 八時、終了。


 新人のST君はなかなか稽古熱心で頼もしい限りです。わたくしも師匠の方針にならって、今日はどんどんと新しいことを教えてしまいました。移動における逆突き、約束組手における受けなどはその最たるものです。
 しかし、こちらの心配には見向きもせず、彼は吸収してくれました。先週から数えて、約束組手なんぞはまだ今日で二回しかやっておりませんが、すでに追い突きがサマになってきております。
 ONやOBさんは恐らくそろそろ次のステップへ、という段階なのかもしれませんが、そういったことはやはり師匠でないと判らないので、今日は無難な内容で汗を流してもらいました。次の稽古が愉しみです。

 さて問題は自分の追い突きです。今日の稽古の最中にもいろいろと試してみましたが、先日来出ている課題をクリアしそうなものは発見できませんでした。
 工夫としてはいろいろとやってみました。例えば、まったく新鮮な考え方で、引き手を使わずに突いてみたらどうなるか?とか、その延長線上で、腰をまったく切らずに突いてみたらどうなるか?とか、普段はあまりやらないような流れでもって追い突きを試してみたのです。しかし、どれもパッとしませんでした。少し方向性が違うのかもしれません。
 まあこの課題については今日明日中に解決するようなものではないので、焦らず、気長に取り組んでみたいと思っております。

 次の稽古は水曜日です。師走ですから、ウチの師匠もたいへんです。願わくばなにも仕事がなく、門弟諸君もたくさん集まって、みなで有意義な時間が過ごせますように。
 裏部長でした。
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2006年12月03日

中段に集める

 こんばんは。日がな一日ダラダラと過ごしていた裏部長です。今日は本当になにもせず、ただぐーたらしてました。特にこれといってすることもなく、映画を観るわけでも読書に耽るわけでもなく、気づいたときに小説の清書をしたり、ラジオで落語を聴いたりした程度で、ほとんど内容のない日曜でありました。
 よってあまり書くことはないのですが、ふと空手のことで頭に浮かんだことがあったので、それを記して終わりたいと思います。

 それは「突きを中段に集める」ということです。わたくしどものところでは、あまり上段への攻撃をやりませんね。他の空手道場ではさかんに行なわれている後ろ廻し蹴りだとか飛び蹴りだとか、ああいった派手めのものは殆どと云ってよいほどやらないわけですが、こと突きに関しても然りで、わたくしらのようにまだまだ未熟な門弟たちは、突きといえば追い突き、しかも中段への追い突きである、ということになっているのです。
 これについては以前に師匠から説明がありました。上段への突きは相手の顔面ないしは口のあたりを狙うわけだが、胴体にくらべてその面積が非常に小さい。的が小さければそのぶん外れる可能性も高いわけで、また尚且つ、突きというのはどんなもので基本的には相手の躰の下方へむけてその力を伝えなければ効果が薄いため、たとい上段への突きであってもそのように突きたい。これを修得するのは容易でなく、いきなりやっても難しいので、まずは無難なところで中段追い突き、これをメインに稽古するのだ・・・・・・と、こんな説明だったと思いますが、つまりはそういうことで、とっつき易く、それでいてすべての技の根幹をなす中段追い突きをおおいに稽古しているわけなのです。
 ですから現在、追い突き一本だけの約束組手のなかで、わたくしやS呂君、部長あたりがやっているように、二本目三本目を出す際も気をつけて突きを中段へ集めたいものです。特にS呂君はクセで突きがよく上へあがってしまいますから、この点はじゅうぶんに気をつけてもらいたいものです。
 まあ斯くいうわたくしも同様で、相手のドテッパラに弾丸を撃ちこむが如く、両拳をその中段へ叩きこめるよう精進したいと思っております。

 今日はこんなところでご勘弁を。
 さあ、明日からは新たな一週間。今年の稽古ものこり少なくなってきました。
 気合を入れて参りましょう!
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2006年12月02日

成長、頗る爽やかに。

 こんばんは。どうもこのBlogはその繁盛の度合いがまちまちで、賑わっているときとそうでないときの差が大きいですね。盛り上がっているときは次から次へと書き込みがあるのに、無いときはフリーズしたかのように誰も書かない。まあみんなもいろいろとあって忙しいのでしょうが、もそっと参加してくださいな。一行でもいいですから。わたくしの為ではなく、このBlogを読んでくれている、何処かの誰かのために。

 今日はさわやかな映画を観ましたよ。旅するジーンズと16歳の夏(原題:「THE SISTERHOOD OF THE TRAVELING PANTS」』(アメリカ映画2005)という映画です。監督はケン・クワピス。二時間ほどの青春映画です。
 生まれる前からその母親たちが知り合いであったという仲良し少女四人組。何をするにもいつも一緒で、どんな場面も四人でともに乗りこえてきた。
 十六歳になった夏(向こうでは大人になる境界線がこの十六歳という年齢。日本でいう十八歳もしくは二十歳にあたる)。四人で入ったブティックで、彼女たちの誰が穿いてもぴったりとサイズの合う不思議なジーンズを購入。これはなにかの前兆で、このジーンズは魔法の元なのだ、と合点した四人はその夏、それぞれ別の土地で過ごすときに持ち回りでこのジーンズを穿いてみようと計画する。
 ある少女は親類のいるスペインで、ある少女はサッカー・チームの合宿先で、ある少女は離れて暮らしている父親のもとで、そしてある少女はアルバイトの職場とふだんの生活の場で・・・・・・。
 しかし、彼女たちに訪れるのはあまり嬉しくないこと、もしくはただ辛いことばかりで、やっぱりこれはただのジーンズだったのか、と諦めかける。スペインの少女は現地で出会った男性と引き離され、久しぶりに父親と会った少女はその再婚相手だという女と連れ子に唖然とする、チーム・コーチと恋に落ちた少女はそれでもどこか満たされぬ思いで苦しみ、仕事先でもふだんの生活でも素直になれない少女は、どこにいても暗い顔をして過ごさねばならない。
 それでも・・・・・・盥回しにされてジーンズが少女たちのあいだをもう一度巡ってきたとき、状況は少しづつ変化してゆく。恋は実り、友情はもどって、そして、ただ暗かっただけの少女はたれか愛するひとのために、心から泪を流せるようになる。

 と、まあそんな話でありまして、最後はハッピーエンド。落ち着くところへきちんと落ち着くオーソドックスな青春映画でございましたが、わたくしはこういった類の作品が好きですね。なんとも蔭がなくて明るくて、そして爽やか。結末もこれで良いのです。変に奇をてらって不思議な終わり方をせずとも、きちんとストーリーで魅せていれば観客は納得するのです。

 今日のこの映画もきちんとその任を果たしておりましたが、優れた映画の条件としては、エンディングへ至ったときに、主人公が映画のはじめから比べて変化している、というのが欠かせません。つまり成長ですね。
 たとえば、映画の冒頭で不真面目な人間であったなら、最後には真人間になっていなければ失敗です。一匹狼の男は友情を知り、恋に臆病だった少女は最後、きつく結んでいた黒髪をほどいて風になびかせるのです。
 これがどうして必要かといえば、観客はその主人公に自己を投影させて観ておりますから、二時間くらいの間に成長してくれないと気持がわるいのです。だってそうでしょう。アクション映画かなんかで、臆病だった主人公がたれか大切なひとを守るために奮起し、ボロボロになって強敵へ立ち向かうからこそ、「頑張れ!負けるな!」と観客は応援でき、手に汗握るのですから、この成長というポイントは外せないのです。
 そういった意味ではこの映画は成功しています。案外ムダなところも少なかったし、展開のスピードも速い。個人的には好きな作品になりました。

 わたくしたちもこの映画の少女たちのように日日、爽やかに成長してゆきたいものですね。目の前にある壁、問題、葛藤の種から逃げず、立ち向かって解決させ、それ以前よりも強くなった自分を誇れるような、そんな人間でありたいと思います。

 裏部長でした。
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2006年12月01日

三者三様

 こんばんは、躰のあちらこちらが痛い裏部長です。札幌の道路はどこもかしこもテッカテカ、見るからに滑りそうな凍りっぷりです。気温もぐっと下がってきました。
 そんななかでも懸命に稽古をしてきたので、まずはそのご報告から致しましょう。


2006年12月1日(金)晴れ。気づけば今年もあと一箇月。
 午後六時、札幌大学1001教室にて空手の稽古。師匠、部長不在。参加者は新人のST、自虐的なON、少し遅れてS呂。
 基本稽古ひと通り。STには、取り急ぎ云っておいたほうがよいと判断したポイントのみを提示し、あとはポンポンと一気に進めてしまう。以下その内容。
 其場突き:引き手は真っすぐ、背後に壁を想定し、それへ後ろエンピを喰らわすようなイメージで。肩に力を入れない。
 前蹴り:蹴りにつられて腰が浮かないよう注意。足に無駄な力を入れない。
 受け:下段払いは太腿の前で止める。
 廻し蹴り:足先が自分の正中線へ届いているかを確認。ここでも脱力。
 手廻し。
 其場でワン・ツー(刻み突き・逆突き)。軸の安定と前足への移動をおもな注目点として行なう。ST、硬さはあるが、初めてにしてはなかなかの出来。腰の回転による躰の後退にはまだ手をつけていないが、軸の安定性は悪くない。
 移動稽古。STに合わせて、中段追い突きをゆっくりと稽古する。
 後半は約束組手。ONとS呂、私はSTと組んで中段追い突き。ここでのポイントは、足は孤を描いて出す、足を出して(着いて)から突く、引き手を大いに引く、引き手と突き手の終着は同時、腰にタメを作りその解放で突く、肩を出さない、肩に力をいれて固めてしまわない、常に拳面を相手へ向ける、相手の腹を突くのではなく背中を突くようなイメージでetc.
 最後は私が受けを担当し、三人の追い突きを受ける。
 八時過ぎ、終了。


 ST君は今日はじめて追い突きをやったわけですが、初めてにしては上上の出来。ぎこちなさは仕方ないとしても、初段階としてはあまり突っ込みどころのない動きでした。今後が愉しみです。
 ON君の追い突きはもう安易に腹で受けられない段階へと入ってきています。今日は試みにやってみたのですが、軽く呻いてしまいました。軸の移動はなかなかにスムースで、それを拳に乗せられているのでしょう。たしかな成果です。
 S呂君には、追い突き一本目以降の攻撃について。どうしても突き(腕)先行で進んでしまい、足がついてゆかないのですね。下がる若しくは横へ動く相手を追うためには、まず足(腰)先行。相手へ追いつき、こちらの攻撃が届く位置へ入って初めて手を出す、この感覚をつかむのが先決かと思いました。

 しかしまあこうして見ると、本当に三者三様の突きです。ただ単にレヴェルの差という話では片づけられない違いがそこにあるような気がします。同じ師匠から教わっているのに・・・・・・武術とは不思議なものです。

 今日はどっと疲れてしまったので面白いことも書けません。週末に期待しといてください。
 裏部長でした。
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2006年11月30日

「突き」の次元

 こんばんは、裏部長です。雪がふつうに降る季節となりました。現在の札幌は一面の雪景色。まっ白な静寂の夜です。
 今夜は体道稽古の日で、師匠も来られていつも通り稽古をしました。わたくしは浅山一伝流体術下段之位から、二本目「片手締三本目「逆寅返」四本目「打込之押え」の三手を教わりました。いづれも特徴的なものばかりで、新鮮な気持で学ぶことができました。

 さて、空手の「突き」の話ですが、今日は稽古の前に、その凄まじさの一面をわたくしは目の当たりに見ました。着替えていた師匠の右の二の腕に赤く、大きな痣のようなものがあったので、もしや何かお怪我でも?と思い訊いてみたところ、なんてことはない、先週の稽古の約束組手で、わたくしの追い突きが当たったところだったのです。
 規模は拳くらいの円形で、激しい火傷の痕のような、爛れたような真っ赤な痣でした。確かに、わたくしも突きがそこへ当たった記憶があるので間違いないでしょう。あの師匠の痣はわたくしの突きによって拵えられたのです。
 ただ・・・・・・訊いてみると、なんと痛みはほとんど無いというのです。見た目こそかなり痛痛しいのですが、押してみたところで痛みはなし。見かけだおしの痣だったのです。
 そこへ来てわたくしの躰を見てみると、今日は朝からどうも腹筋が痛く、そして着替えをする段になると左胸がなぜか痛むのです。アレ、どっかにぶつけたかな?それとも恋患いかな?とひとり頸を捻っていたのですが、これもなんてことはない、昨夜の稽古で師匠の追い突きが当たったところだったのです。腹筋が痛むのはそれへ耐えようと踏んばったせいだと思われます。
 わたくしの左胸に、痣らしきものは一つも残っておりませんでした。

 この事例からしても判るように、わたくしの現在やっている突きと、師匠の繰り出す突きとでは、そこに大きな差があるのです。いや、差なんてものではありませんね。云うなれば、次元からして違うのです。
 次元です。ルパンの相棒ではありません。四次元ポケットの「次元」です。それほどに質の違いがあるのです。
 それは単に威力の差とも云えるかもしれません。つまり、浸透力としての突きの威力ですね、これが圧倒的に違うとも云えるでしょう。その質の違いを生じさせる要因のひとつが、昨夜の稽古で出された、「一」で突く追い突きというポイントなのでしょう。相手の「一・二」という受け・反撃のタイミングに合わせた若しくは合ってしまっている追い突きは、いくらこちらが一瞬で行なっていようとも、動作としてはやはり「一・二」であるト。これを「一」にしない限り、右脇に隙ができ、容易く反撃を入れられてしまうト、文章にしてしまえばこうなのですが、では具体的にどこをどうすればよいのか、と問われるとここがわからない。難しく考えすぎているのかもしれませんが、とんと見当がつかないのです。

 師匠はこれへ対し、ヒントはすでに出ている、とおっしゃっておりましたので、過去のことを思い出し思い出し、当分のあいだはひとりで工夫し、考えてみたいと思っていますが、しかし、こうも細かな段階に入ってくるとは思いもしませんでした。こんなことをするのはもっとあとかと考えていました。やればやるほど、武術は奥深いものだと再確認させられます。

 明日は師匠不在ですが、空手の稽古をします。寒いですが、足下に気をつけて来てください。
 裏部長でした。
 
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2006年11月29日

単純化思考と単純なる思考の違い

 こんばんは、裏部長です。先ほどあるTVニュースで、北海道の財政赤字の報を聞きました。いやあ、驚いた。わたくしは札幌という北海道随一の都市に住み暮らしているせいか、ただ無知であったためか、それはわかりませんが、夕張があんなことになっているとはついぞ知りませんでした。だって、バス料金が七百円を超えるんですよ。夕張に唯一ある病院には医師がたったの二人、ベッドの数も百七十ほどから一気に四十床ほどまで減らすというのですよ。剥製が鎮座しているだけの地味な施設ばっかり建ててるからそんなことになるのです。地元住民はどんどんと上乗せされてゆく負担に喘ぎ、次から次へと市外へ出ていってしまいます。
 どうにかならないものでしょうか。

 さて、今夜の稽古の感想ですが・・・・・・師匠の報告を見てもわかるように、追い突きに対してある示唆がありました。いや、示唆なんてもんじゃないですね。一種の転換期。技の次元のカルチャー・ショック状態。たいへんな内容のものです。師匠はああやってさらりと書かれておりますが、課題として与えられたこちら側としては、第一段階として、頭のなかで整理をするのにも四苦八苦している状態です。
 ですから、すでに今日もあと数十分しか残っていない今このときに、それへ対する感想を書く余裕はありません。今日の追い突きのことに関しては、明日か明後日あたりに考えてみたいと思います。

 しかし、本日の稽古で得た教訓としては、タイトルの通り、技を考察するときに必要なのは、その全貌を単純化して捉え、そこから奥へ入ってゆくやり方であって、すべてを単純なものとして解釈してしまうものではないということです。つまり、右拳で中段追い突きをした際、その脇あたりに隙が出来る。反撃を入れることができる。それをどうするか、となったときに、ただ単純に、じゃあ前手を腰へ引かずにそれで防げばいいじゃないか、とした、その浅ましき思考法!これが裏部長の限界なのかもしれません。
 なんとも支離滅裂な文章ですみません。明日以降、きちんと整理して書きます。

 明日は体道稽古です。
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2006年11月28日

一本道に命を賭ける

 こんばんは。身を刺す北風にぶるぶると震えている裏部長です。どうも一番太っていた高校時代の体重から二十kgほど落として現在のウェイトになってからというもの、とんと寒さに弱くなってしまいました。以前に体脂肪率を計ってみたらなんと十四%。案外、皮下脂肪が薄くなったのかもしれません。

 さて、今日は稽古のない日ですので、これといって書くこともないのですが、何気なく観たある映画にとても大切なことを教わったような気がしたので、そのことをさらっと書いておこうと思います。

 観た映画は、『殺陣師段平』(日本映画1962)です。監督は瑞穂春海、脚本をなんとあの黒澤明さんが書いている大映作品です。
 主演は中村鴈治郎さん、そして市川雷蔵さん。大正時代、飛ぶ鳥をおとす勢いだった劇団「新國劇」の殺陣師であった市川段平の生涯を描く、一時間半ほどの映画でしたが、古きよき関西弁が心地よく、また当時の演劇やその所作などを見ることができて、とても良い勉強になりました。
 中村鴈治郎さん演ずるところの市川段平は古い時代の殺陣師。歌舞伎のような、舞うが如く大仰な型のある殺陣をよしとし、新國劇の看板俳優・沢田正二郎(市川雷蔵)にその殺陣をつけさせてもらうよう心願するが、沢田は旧態依然とした古臭い型ではなく、リアリズムのある殺陣を要求、ガンコな段平はひとり取り残されてしまう。
 そのうち、東京でもそのリアリズムに溢れた殺陣で人気を博し、なかば必要のなくなってしまった段平は劇団の看板を木刀で叩き割り、大坂へ帰ってくる。と、以前から乾いた咳をしていた愛妻は死んでおり、ふたつの絶望に苛まれて段平は倒れてしまう。
 五年後、すっかり人気俳優となった沢田はしかし、さまざまな場面で段平のことを想い出していけない。当時、自分たちはあいつを滑稽に思っていたが、いま考えると、滑稽だったのはこちらのほうだ・・・・・・。もう一度会ってみたいと思う。
 当の段平はすっかり寝たきり。手も満足に握れない。しかし、いざ新國劇のチラシなんぞを見ると一気に血がたぎって、フラフラになりながら立ち上がり、棒を持って立ち廻りをやったりする。
 ある夜、そんな段平がいなくなる。実の娘はあわてて新國劇の劇場へゆく。事態を知った沢田はいそいで探す。と、真っ暗になった客席に段平がいる。
 沢田に抱えられて家へもどってきた段平、沢田と無言のうちに和解。今度新しく戯曲に加わった難しい場面の殺陣を、絶え絶えの息のなか、のたうちまわりながら演じてみせる。もう坐る気力もない。沢田に支えられ、最後の息をしながら段平は云う。
「これがリアリズムや。これが段平の、リアリズムの殺陣や」(その場面の主人公は段平と同じく病身で、そこへ踏み込んできた捕り方との立ち廻りなのだ)
 沢田は静かにその両目を閉じてやった。

 なんとも切ない作品でしたが、わたくしはこの市川段平というキャラクターから大切なことを学んだような気がします。
 それは、ひとつの道に生きる、ということです。作中にこんな台詞があります。
「私にとって芝居は命そのものだ。段平、お前にとっては、殺陣こそが命なのだろう」
 これは雷蔵さんの台詞ですが、たしかにそうなのです。この段平という人物、何はともあれ殺陣のことしか考えない。愛妻のことも、仲間のことも上司のことも、金のことなんか目もくれない。ただ殺陣らしい殺陣を芝居につけ、それをお客に見てもらいたい、拍手を浴びたいという思いだけで生きているのです。
 だからこそそれが不必要だと知ったとき、絶望に暮れて倒れてしまったのだし、最後、坐る体力さえすでに失われていながら、芝居に新しく加えられた場の殺陣を気力だけで演じてみせる。そして、死するのです。
 雷蔵さん演ずる沢田は最後、こんなことを云っています。
私も、段平のように死にたい

 まあ映画として観ているからそんな呑気なことが云っていられるのであって、いざ自分がそんな立場に立ったときに、本当に命をかけてその道に邁進できるか?と訊かれたら、今はまだ自信がありません。人生は良くも悪くも誘惑に満ちていますから、もしかしたら何処かでまったく違う道へ足を踏み入れてしまうかもしれない。それはまだわかりませんが、しかし殊武術に関しては胸を張ってそう云えます。
 我が武術人生はすべからく、空心館とともにあり、と。

 明日は空手の稽古です。
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2006年11月27日

観る目

 こんばんは、裏部長です。もう早いもので、今週末から十二月が始まります。札幌支部の稽古は二十二日までと決まりました。門弟諸君は悔いの残らぬよう、来られるだけ稽古へ来てください。
 さて、本日月曜日は師匠不在の稽古日ですが、一応、やってきましたので、そのご報告と参りましょう。


2006年11月27日(月)曇り。TVではロシアのスパイのニュースばかり。
 午後六時、札幌大学1002教室にて空手の稽古。師匠不在。定時になって集まったのは部長のみ。六時半まで待って誰も来なければ始めてしまおうと云い合い、そして結局たれも来なかったため、二人ぎりで稽古をする。
 基本稽古は軽めに受け四種まで。
 型。一応、私のほうが年長者で、また先日、初段の型である「鷺牌初段」をすでに教わっているという建前から、私よりも部長メインで稽古する。以下その注意点。
 『腕秀』:この型における下段払いは、これまでやってきた横へ払うものではなく、どちらかといえば相手の足の肉を削ぎ落としてゆくような、真下へ落とすような受け方なので、それを各所で意識する。自然、その際の猫足立ちも落とすように行なう。下段払いからの掛け受け、逆突きは受けの反動(蹴りを受けているため)を活かして行なう。受けと攻撃のメリハリ。動くところと止まるところ。
 『転掌』:三戦立ちになるとき、どうしても足下から上がってきた締めに押し上げられて腰が浮き、その結果膝が伸びてしまう。これを抑えるため、両膝は内股になるほど曲げて締め、決して伸び上がってしまわぬよう心がける。未だぎこちない掛け受け、要稽古。終盤の「風車」はもっと速く動いてよい。
 後半は約束組手。先週水曜日の稽古内容を受けて、隙を防いだ追い突きから自由な攻防を試みる。互いに問題点おおいにあり。
 八時、終了。談話室にてONとS呂に会う。追い突きのこと、他団体の武術を観る目についていろいろと話して散会する。

 
 上記のとおり、今日は部長とわたくしの、たった二人ぎりの稽古でございました。札幌支部が発足した当初はよくある光景でしたが、最近では珍しい事態であります。
 本日の稽古のなかで、わたくしが特に問題意識を持ったのが、「理想像」についてです。約束組手をしているときに、ふと思いついて部長に、
空心館の諸先輩方(師匠、師範も含めて)のなかで、誰かお手本にしてる人っている?
 と訊いてみたところ、案の定、
「いえ、特に誰というひとはいません」
 部長はそう答えました。これは案外深刻なことかもしれません。

 武術に限らず芸事というものは、まず師匠や先輩方の動きを真似るところから修行は始まります。最初はただの物真似でよい。それでも良いからとにかく真似をする。同じ動きをやってみる。するとそのうち、躰がその動作に馴れてきて、自分のなかに感覚が生まれてくる。この感覚をもとにして自分だけの芸(技、個性)を作ってゆくわけだが、この作業がないと、いきなり土台のないただ更地にビルを建てろと云われているようなもので、非常に危ないように思えるのです。
 例えばわたくしなんかは、これは以前にも書いたかもしれませんが、師匠と、栃木のY先生の動きを足して二で割ったような武術家になりたいと思っております。その方針に従って、両師の動きを生で、またはVTRで飽きるほど観察し、実際の稽古でその真似をしてみます。これは別に誰かからそう云われたわけではなく、ただ自分がそうしたいからそうしているだけなのですが、しかしこの真似るという作業を経ているだけに、形の定まる時間が他の後輩たちにくらべて若干短いようにも思えるのです。
 というのも、すでに半ば整っている師匠方の動きを真似ているわけですから、腕前の差こそあれ、吸収の早いのは当たり前なのです。部長はこれをして来なかったのですね。
 
 別に誰かを目標にしなくちゃ武術ができないわけではありません。唯一無二になるということは個性を活かすという意味で云ってもたいへん有意義なことだと思います。ただ、まったく基盤のないところへ何かを生み出そうとしても、そりゃ困難になるはずです。だって依るところが無いのですから。肉体という土地があっても、真似た末に躰へ染みついた感覚という名の土台がない限り、そこにビルは建たないのです
 ですから、部長、そして後輩諸君も、誰か真似たい対象を見つけてください。栃木の諸先輩方でもいいし、もちろん師匠でも良い。自分の目標とする、お手本のひとを探してください。そして大いに真似てみてください。わたくしのように、これはI先生の追い突き、これはO先輩の追い突き、これは師匠の受け方、これはY先生の追い突きからの変化、と、いろいろなひとの動きを真似て見せる必要はありませんが、少なくとも誰かひとりの真似はできるようにしておいてください。そうすればきっと必ず動きに変化が現れ、そして今よりも、もっともっと巧くなれるはずです。

 稽古のあと偶然会ったS呂君らと話したとき、出てきた「観る目」の話は上記のものとも共通しますね。つまり、日頃から師匠の動きを具に、これでもかこれでもかと見ていると、たとえば師匠のもとで稽古する前に見て感動していた他団体の武術の技も、ただ速いだけ、ただ派手なだけ、ただ恰好がよいだけ、と、その悪い点もきちんと見抜くことができるというわけです。S呂君はもうその感覚を得たようです。
 今日はあえて「観る」と書きました。この意味は各人いろいろと考えてみてください。

 次の稽古は水曜日です。
 裏部長でした。
posted by 札幌支部 at 22:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

観る目

 こんばんは、裏部長です。もう早いもので、今週末から十二月が始まります。札幌支部の稽古は二十二日までと決まりました。門弟諸君は悔いの残らぬよう、来られるだけ稽古へ来てください。
 さて、本日月曜日は師匠不在の稽古日ですが、一応、やってきましたので、そのご報告と参りましょう。


2006年11月27日(月)曇り。TVではロシアのスパイのニュースばかり。
 午後六時、札幌大学1002教室にて空手の稽古。師匠不在。定時になって集まったのは部長のみ。六時半まで待って誰も来なければ始めてしまおうと云い合い、そして結局たれも来なかったため、二人ぎりで稽古をする。
 基本稽古は軽めに受け四種まで。
 型。一応、私のほうが年長者で、また先日、初段の型である「鷺牌初段」をすでに教わっているという建前から、私よりも部長メインで稽古する。以下その注意点。
 『腕秀』:この型における下段払いは、これまでやってきた横へ払うものではなく、どちらかといえば相手の足の肉を削ぎ落としてゆくような、真下へ落とすような受け方なので、それを各所で意識する。自然、その際の猫足立ちも落とすように行なう。下段払いからの掛け受け、逆突きは受けの反動(蹴りを受けているため)を活かして行なう。受けと攻撃のメリハリ。動くところと止まるところ。
 『転掌』:三戦立ちになるとき、どうしても足下から上がってきた締めに押し上げられて腰が浮き、その結果膝が伸びてしまう。これを抑えるため、両膝は内股になるほど曲げて締め、決して伸び上がってしまわぬよう心がける。未だぎこちない掛け受け、要稽古。終盤の「風車」はもっと速く動いてよい。
 後半は約束組手。先週水曜日の稽古内容を受けて、隙を防いだ追い突きから自由な攻防を試みる。互いに問題点おおいにあり。
 八時、終了。談話室にてONとS呂に会う。追い突きのこと、他団体の武術を観る目についていろいろと話して散会する。

 
 上記のとおり、今日は部長とわたくしの、たった二人ぎりの稽古でございました。札幌支部が発足した当初はよくある光景でしたが、最近では珍しい事態であります。
 本日の稽古のなかで、わたくしが特に問題意識を持ったのが、「理想像」についてです。約束組手をしているときに、ふと思いついて部長に、
空心館の諸先輩方(師匠、師範も含めて)のなかで、誰かお手本にしてる人っている?
 と訊いてみたところ、案の定、
「いえ、特に誰というひとはいません」
 部長はそう答えました。これは案外深刻なことかもしれません。

 武術に限らず芸事というものは、まず師匠や先輩方の動きを真似るところから修行は始まります。最初はただの物真似でよい。それでも良いからとにかく真似をする。同じ動きをやってみる。するとそのうち、躰がその動作に馴れてきて、自分のなかに感覚が生まれてくる。この感覚をもとにして自分だけの芸(技、個性)を作ってゆくわけだが、この作業がないと、いきなり土台のないただ更地にビルを建てろと云われているようなもので、非常に危ないように思えるのです。
 例えばわたくしなんかは、これは以前にも書いたかもしれませんが、師匠と、栃木のY先生の動きを足して二で割ったような武術家になりたいと思っております。その方針に従って、両師の動きを生で、またはVTRで飽きるほど観察し、実際の稽古でその真似をしてみます。これは別に誰かからそう云われたわけではなく、ただ自分がそうしたいからそうしているだけなのですが、しかしこの真似るという作業を経ているだけに、形の定まる時間が他の後輩たちにくらべて若干短いようにも思えるのです。
 というのも、すでに半ば整っている師匠方の動きを真似ているわけですから、腕前の差こそあれ、吸収の早いのは当たり前なのです。部長はこれをして来なかったのですね。
 
 別に誰かを目標にしなくちゃ武術ができないわけではありません。唯一無二になるということは個性を活かすという意味で云ってもたいへん有意義なことだと思います。ただ、まったく基盤のないところへ何かを生み出そうとしても、そりゃ困難になるはずです。だって依るところが無いのですから。肉体という土地があっても、真似た末に躰へ染みついた感覚という名の土台がない限り、そこにビルは建たないのです
 ですから、部長、そして後輩諸君も、誰か真似たい対象を見つけてください。栃木の諸先輩方でもいいし、もちろん師匠でも良い。自分の目標とする、お手本のひとを探してください。そして大いに真似てみてください。わたくしのように、これはI先生の追い突き、これはO先輩の追い突き、これは師匠の受け方、これはY先生の追い突きからの変化、と、いろいろなひとの動きを真似て見せる必要はありませんが、少なくとも誰かひとりも真似はできるようにしておいてください。そうすればきっと必ず動きに変化が現れ、そして今よりも、もっともっと巧くなれるはずです。

 稽古のあと偶然会ったS呂君らと話したとき、出てきた「観る目」の話は上記のものとも共通しますね。つまり、日頃から師匠の動きを具に、これでもかこれでもかと見ていると、たとえば師匠のもとで稽古する前に見て感動していた他団体の武術の技も、ただ速いだけ、ただ派手なだけ、ただ恰好がよいだけ、と、その悪い点もきちんと見抜くことができるというわけです。S呂君はもうその感覚を得たようです。
 今日はあえて「観る」と書きました。この意味は各人いろいろと考えてみてください。

 次の稽古は水曜日です。
 裏部長でした。
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2006年11月26日

魔のトライアングル

 こんばんは、裏部長です。鍋の似合う季節になってきました。各地方それぞれにお得意の鍋料理というものはあるのでしょうが、わたくしどもの家では海鮮系が多いでしょうか。鮭、白身魚、帆立などなどの魚介類と野菜を、塩味や味噌でもってあっさりといただく。なんとも美味しいひと時でございますなあ。
 ちなみに、今夜のわが家の夕食は「しゃぶしゃぶ」でした。

 H君ならびにS呂君、コメントありがとう。最近書き込みが少ないぞ!と云ったらすぐに書き込んでくれたようで、なんとも嬉しい限りです。
 H君は拳に火傷を負いながらも懸命にアルバイトを続けているようで感心です。冬はおでんの季節ですからね、店員さんも大変ですよ。
 ああ、そういえば最近、コンビニのおでん、食べてないなあ。

 金田一耕助シリーズの一本『八墓村』はまだ観ていません。映画好きとしてはお恥ずかしい限りですが、いづれ観てみようと思っています。あれもまたいろいろと込み入っていそうで今から愉しみです。
 そんな裏部長、今日は朝から映画『病院坂の首縊りの家』(日本映画1979)を観てすっかり臨戦態勢。昼食をはさみ、午後からはWOWOWにて、アメリカとイギリスの合作TVドラマ『バミューダ・トライアングル』をなんと四時間半にわたって鑑賞しました。いやあ、これが疲れた!
 なんといっても四時間半ですからね。しんどいったらありゃしない。加えて、作品のなかにところどころ中弛みがあって、油断するとすぐウトウトしてしまうんですから、六時を迎えたときにはもう疲労困憊ですよ。せっかくの週末にわたくしは何をしているのでしょうか。
 ストーリーとしては単純明快。海洋事故などが絶えないバミューダ・トライアングルと呼ばれる海上区域でさまざまな出来事が起き、輸送業をしている男はその原因究明のため、いろいろな分野の専門家四人を招いて、約五千万円の報酬とひきかえに調査を依頼する。それぞれ金に困っていた四人であったから承諾、オフィスのあるところまで行こうとするがその矢先、同じ空港から飛び立った飛行機がその問題の区域で墜落したという・・・・・・。
 次次と起こる不可解な出来事。裏で暗躍する人間たち。四人はさまざまな障害に苦しみながらも、「魔のトライアングル」の謎に迫ってゆく。
 まあ、こんな感じなのですが、わたくしも途中何度か意識が遠のいて記憶がないので確かなことは云えません。詳しいことが知りたいひとはDVDかなんかを借りて自分で見てください。

 わたくしも僅かな知識のなかでこのバミューダ・トライアングルについて知っておりましたが、どの世界どの時代にも「魔のトライアングル」というのはあるもので、斯くいう現在のわたくしの生活がそうです。
 つまり、自宅―仕事場―稽古の「魔のトライアングル」ですよ。良くも悪くも、現在のわたくしはこの三点から外へ出ることがありません。
 なあんだ、仕事をして、あとは好きなことだけをして生きていられるのなら本望じゃないか、と云われるかもしれませんが、わたくしが望んでいる生活はこんなものじゃありません。云うなれば、「夢のハーフ・サイクル」を目指したいのであります。
 簡単にいえば、上記の三点から「仕事場」を抜いてしまって、二点とし、その描く図を半円にする、というものです。仕事場を抜くというのは別にプータローになるということではなく、自宅でおこなう仕事、つまりは書くことだけで生活をするということに外ありません。
 もしこの理想が叶えば、わたくしは自宅(兼仕事場)と稽古の二点行ったり来たり生活に浸り、「夢のハーフ・サイクル」の住人と化して充実した日日を送れるだろうと思うのですが、今はまだ荒れ狂う大海のなか、光にみちた新大陸を発見できずにいます。
 ああ、コロンブスよ。我が大陸はいづこに・・・・・・。

 あんまりつまんないことばっか書いていても仕方がないので、今日はこれくらいにします。
 明日からは新たな一週間。月曜日から稽古は通常どおりありますよ。
 裏部長でした。
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2006年11月25日

スタイル

 こんばんは、裏部長です。最近どうもこのBlogは流行っていないようです。門弟諸君の書き込みを少ないし、リンクの張ってある先のブログ・ランキングにおいてもその閑散ぶりが露呈してきております。わたくしは頑なに毎日の書き込みを欠かしませんが、みんなもできるだけ書き込んでください。

 さて本日の裏部長は、朝はやくに起きて朝食も早早に外出。髪を切ってきました。帰宅後はもういつもの如くで、ちょっとだけ仕事をやったあとは御馴染みの映画鑑賞。ぐーたら生活の再来です。
 今日観た映画は『女王蜂』(日本映画1978)です。横溝正史原作、市川崑監督、石坂浩二さんの主演の金田一耕助シリーズ。これはたしか四本目でしたでしょうか。一作目の『犬神家の一族』(1976)、二作目の『地獄の手毬唄』(1977、三作目の『獄門島』(1977)につづく東宝版の金田一です。同シリーズとしては、五本目となる『病院坂の首縊りの家』(1979)があります。
 『女王蜂』のストーリーは、まだ観ていないひとのために書きませんが、現在ではすっかりお馴染みとなった名探偵の推理もの、この形態の典型的物語といえましょう。ただ、TVで毎日のようにやっている二時間もののサスペンス・ドラマとは深みが違います。あれらはこのミステリ映画の要素を、何倍にも薄めて出した出涸らしの珈琲がごとくものです。

 ある事件が起こる、そこへ探偵がやってくる、当然依頼主がい、探偵が調べまわるのを嫌う人間がい、妙に馴れ馴れしい人間もいる。そのうち第二第三の事件が起こる。謎を追う。無能な刑事もいっしょに捜査する。たまに探偵自身も襲われたりする。ヒロインが愛らしい。被害者たちに共通の過去が見えてくる。ドス黒い歴史が見えてくる。三人くらい殺されたころに探偵は手を打ち、そして関係者全員を一室へ集める。
 
            「犯人は、あなたですね」

 あとは犯人自身の独白でもって事件の真実があかされ、探偵たちの隙を見て毒をあおったり崖から飛び降りたりして自殺する。残された関係者たちは悲劇に泣く。
 こうして流れを書くと非常に陳腐で、ありきたりな構成ですが、しかしこの見せ方を考え出したのは、今日わたくしが見たような昔の映画なのです。いや、もっといえば原作者の横溝正史さんだった、といえるでしょう。それくらいこの時代のミステリ映画というものは貴重なのです。

 さて、市川崑監督ですが、このひとの映画を観たことのあるひとはもうご存知の通り、おもしろい演出をする方のようです。特にこの金田一シリーズでは字幕の使い方がとても斬新。大きな活字で、しかも、思いもかけないところへ急に出てきたりする。殺人が俳句にあわせて行われていると判ったときには、その死体の映像をバックに真っ白な字で俳句を出す。ストーリーを無言のうちに前進させるため、テロップのようにして出すのも、一定の速度では出さず、速く出る部分とゆっくり滲むようにして出る部分をあわせて出す、などなど。それが、一定の暗さをキープした蔭蔭滅滅とした映画の最中にいきなり出てくるのですから、そりゃ怖くなるわけです。
 あの字幕の出し方、演出の仕方は完全に、市川監督の個性スタイルでしょうね。唯一無二。あのひとだからこそできる芸当なのでしょう。
 今日はそんな映画を観ていて、裏部長はふとこんなことを考えました。

 スタイルって、何だろう?

 たとえば仕事をするにも学校生活を送るのにも個性とか暮らしのスタイルというものは必要ですね。拘りというとすこしネガティブなイメージがありますが、信念といえば正しく聞こえます。みなさんはそんな自分だけのスタイル、持っているでしょうか。
 わたくしは一応持っているつもりです。空手をやるときのスタイル、体道をやるときのスタイル、仕事へ行くときのスタイル、小説を書くときのスタイル、読書のスタイル、ぐーたら生活のスタイル、映画鑑賞のスタイル、友情のスタイル、愛情のスタイル……。あることはありますが、然し、それは本当におのれの個性に根ざしたスタイルか、と問われると正直不安でもあるのです。

 先の映画のことでいえば、市川監督は特にこれといって変な意図があってあんなふうな演出をしているのではないと思います。ただ単純にそうしたほうが理解しやすいからとか、そうしたほうが怖いからとか、観客のことを最大限に考えたうえで行なったことだと思うのです。こうしたほうが格好よく見えるだろう、とか、奇をてらった映画のほうが専門家の評価が高いから、とか、そんな理由ではやっていないはずです。映画的に不純な動機であんな映画は作られないはずです。
 
 もし自分だけのスタイルというものを確立できるのなら、純粋な気持でそうしていると胸を張って云えるようなものにしたい。裏部長はそう思います。そのためにはもっともっと勉強をして、そして、もっともっと自分を知らなければいけないのでしょう。人生、是すべて修行です。

 さあて、明日はどんなスタイルでゆこうかな。
posted by 札幌支部 at 22:05 | Comment(2) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2006年11月24日

隙ねえ・・・。

 こんばんは。会社を出たら外は一面の雪だった・・・裏部長です。今日の札幌は朝から雪の降りどおしで、午後以降は薄っすらと積もる有様。それも、しっかりとは積もらず、シャーベット状態でべちゃべちゃになっておりますから、歩くときには大いに難儀しました。積もるのならひと思いにしっかりと積もってもらいたいものです。

 今日、仕事の最中にふと自分の右手の甲を見てみると、薬指のつけ根が変色しているではありませんか。指で押してみるとたしかに痛い。青タンというやつです。原因は水曜日の約束組手ですよ。それしか考えられません。
 そこからさらに目をおろしてゆくと、手首にはもっと大きな青タンが・・・・・・まあ、これは水曜日以前からあったもので、あの稽古でさらにその色が深くなってしまっただけでしょうが、たしかにある。しかも大きい。見るからに、痛い。
 こんな痣、端から見たらまるで被虐待児です。幼児であれば児童相談所へ通報されているところです。現に、わたくしの両親などはこの痣を見てよい顔をしません。おそらく、武術をやっていない人すべてが同じリアクションをするのでしょう。
 しかし、当の本人はいたって平気。いやむしろ得意なくらいで、あちらこちらの傷をみんなに見せて歩いたりして・・・・・・。そこへ来て、空手でつくる擦り傷や青タンはどれも、生活に支障を来たさないところに出来ておりますので余計にたちが悪い。これが手の甲ではなく掌にできたとか、足まわりに来て歩くのがしんどいとか、そういう事態になればまた話はべつですが、いづれの傷も大事なく、加えて日常生活に支障がまったくないわけですから、こりゃどうしたって心配などしなくなります。
 みんなも同じような経験があるんじゃないでしょうか。

 さて、昨夜の師匠のBlogにあった「隙」の話ですが、たしかに裏拳打ちは入っておりました。あの夜の約束組手で、対処策がまったく浮かばず、混乱したのはあの反撃に対してのみでした。今までに味わったことのない衝撃でした。
 ですから今日はひがな一日、何かというとそのことを考えておりました。こんなことはこれまで云われたことがありませんでしたが、しかし栃木遠征でのY先生とのやり取りなど、ヒントは多少持っておりますので、どうにか工夫してみたいと思います。今ひとつ考えている案は来週、月曜日あたりに試してみたいと考えております。

 ちなみに今夜のタイトルは、加藤茶さんの「あんたも好きねえ」を文字って「隙ねえ」としただけのことでございます。カトちゃんのこのギャグを知らないひとには何のこっちゃさっぱり解らぬ話でありました。
 それではみなさん、よい週末を。
posted by 札幌支部 at 21:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2006年11月23日

不思議な武術

 こんばんは。勤労感謝の日の裏部長です。祝日があって仕事が休みになるのは結構なのですが、どうもこう中途半端なところに出て来られると、生活のリズムが狂ってしまっていけません。今日なんぞも朝九時過ぎという早起きなんだか寝坊なんだかよく解らぬ時間帯に起床し、仕事を片づけながらも、映画を観たりTVを見たり、結局いつもの週末とほとんど変わらぬ内容の一日を過ごしただけで、而して明日はまだ平日、という塩梅。ひと思いに殺してくれっ!といった感じです。

 昨夜は札幌支部としてはかなりヒート・アップした稽古で、運動量のせいだけではない妙な熱さが全身に満ちて、大いに身体を使いましたが、今日はどういうわけか筋肉痛などの肉体的疲労がいっさいありませんでした。武術というのは不思議なものです。あれだけ動いていながら、内容のよい日のあとは爽快で、どんなに色色なメニューをこなしても、力み悩み滞った稽古のあとはなんともいえぬ疲労感と筋肉痛に悩まされます。ほんに武術というものは不思議でございますなあ。

 あんまり感想ばかりのBlogだと退屈でしょうから、少しは込み入った話をしますと、最近の稽古の印象ですが、どうも「受け」よりも「攻撃」を磨く段階に入っている可能性があります。というのも、昨夜の稽古でもそうでしたが、約束組手において、師匠へ突いてゆくことこそあれ、師匠の突きを受けるということがここ数箇月ほとんど無いのです。空手の上達サイクルは相互作用の螺旋階段式で、攻撃が成長すれば今度は受けのレヴェルが上がり、受けの質が高くなればそれに応じて攻撃の精度も上がってくる。昨夜のように師匠がいてもそうなのですから、わたくしたち、少なくともわたくし個人に関しては、今は「攻撃」を磨く時期なのかもしれません。

 昨夜の稽古で露見した現時点でのわたくしの課題点は、拳です。ハナからがっしりと握った状態で構えることをあまりしない裏部長は、追い突き一本のあとの二本目、三本目、もしくはそれ以降の攻撃に際して、両手を開いたり握ったりすることに馴れておりません。いや寧ろ、開いておくことは問題がなく、だからこそ最近やりはじめた「打ち」はとっつき易い稽古課題になっているのでしょう。優先課題は、拳をつくること、手を握ることなのです。
 これは師匠も、馴れだ、とおっしゃっておりましたが、要は握った拳ないし突きの強度が問題なのではなく、開いた状態もしくは半開きに近い状態から瞬時に握りこむ感覚、その反応が必要なのです。しかも、一本だけに留まらない約束組手では、相手の反応にあわせて攻撃のパターンを変えてゆかねばならず、咄嗟に拳の反応を起こさなければならないため、その感覚の修得は生半可なものではないように思われます。

 栃木や奈良の諸先輩方はそういった悩みを持ったことはありませんか。拳を瞬時に握る感覚を、どのくらいの段階でたしかなものにしたのでしょうか。なにかアドヴァイスがあればお教えください。

 明日は土日に行なわれる入試の準備のため、稽古は休みです。門弟諸君においては風邪をひかず、元気に、来週の月曜日に会いましょう。
 裏部長でした。
posted by 札幌支部 at 20:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2006年11月22日

裂けてぇぇええ!!

 こんばんは、裏部長です。今日は朝からすこし雨模様で、午前中、アラ晴れたかなと思える時間帯はあったものの、午後からはすっかり雪。陽が暮れるころにはすっかり積もって冬景色となっておりました。北国というのは恐ろしいものです。ほんの二三時間で秋が冬になってしまうのですから。

 今日は空手の稽古でしたが、どうも変則的な内容になってしまいました。
 午後六時、わたくしはいつものように教室で待機をしておりましたが、待てど暮らせど誰も来ない。そのうち師匠から電話が入って、二十分ほど仕事のため遅れる、という。仕方なく待つ。ON君が泥棒のように窓から入ってきて二人になる。師匠、顔を出されて、もう少しかかるといい、再び仕事へ。わたくしとON君はふたりぎりで基本稽古を始めたのですが、そのうち部長とTY君が来て四人に。基本稽古をひと通りやり、手廻しをし、其場でのワン・ツー、其場からの追い突き・逆突きをし、約束組手を始めたころに師匠が来られ、追ってS呂君も来るという、なんともおかしな人数の増え方をした一日でありました。

 師匠参加後は約束組手のみ。これが白熱しました。ここのところ師匠に対して突いてゆくという機会に恵まれていなかったため、ここぞとばかりに全力でかかってゆきました。もう一本だけとは云いません。師匠が下がればそれを追って二発三発と突き、横へ動けばさらにそれを追って突き、また打つ。これに応じて師匠もいろいろな技を見せてくださるから、もう自然と攻防は熱くなってきます。
 結局、正味三十分弱の約束組手でしたが、濃すぎるほどの内容があったと思います。わたくしなんぞは突きが威力の割りにきちんと出来ていないため、右拳の小指・薬指間と薬指中指間の股のところがすこし裂けて、血が滲んでおりました。階級的におなじ部長やS呂君なんかは、ここへ来る前に数年間の空手経験がありますが、わたくしは師匠のもとでの二年半ほどしかないため、どうも拳を握るということに馴れていないようです。それも、手を開いている状態ないし半開きの状態から握りこむというの動作に馴れていないのです。
 今後の課題がまたひとつできました。

 また栃木のY先生の影響もあって、最近ちょろちょろとやり出した「打ち」に関してもすこしアドヴァイスを頂いたので、今後の稽古で練ってみたいと思っています。ただ、「打ち」はあくまでも応用と考えたく、やはりその前に正統なる「突き」をものにしたい。拳をきちんと握るというところから次のステップは始まりそうです。

 明日、明後日の稽古は休みです。つまり、次回の稽古は翌週の月曜日。十二月に入ると若干その予定に変動が出てくるやもしれませんが、門弟諸君は雪に負けず寒さに負けず、今日の稽古のようにハッスルして頑張ってください。
 裏部長でした。

 ちなみに。
 本日のタイトルは、TVドラマ『トリック3』で高橋ひとみさん演ずる犯人がさまざまなシーンで口にする決め台詞です。ま、どうでもいいことですが。
posted by 札幌支部 at 22:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2006年11月21日

少年を想う

 こんばんは。札幌はいますっかり雨です。今日の正午あたりから降り出して、すっかり秋雨といった塩梅。肌寒い季節になって参りました。
 どうも裏部長です。今日は稽古もなく、仕事のあとは例によって引きこもりの生活に戻ったハムスターのような裏部長ですが、一冊本を読了しました。
 タイトルは『空白の叫び』、作者は貫井徳郎さんです。小学館から出ている単行本で、上下巻の二冊でひとつの作品になっています。ちなみに、今日わたくしが読んだのは下巻のほうで、つまりはすでに上巻は読了しているわけですが、両巻ともに五百ページを超える文量で、少し疲れました。この作家さんはセンテンスが長い。読んでいて遅遅として進まないのです。乗ってこないというか、テンポが悪くて、なんだか一気に読んだという感じがしませんでした。
 内容は、というと・・・・・・下巻の帯にはこんな文章があります。

「殺人者となった少年は、更生できるのか」

 この一文から察してお判りになるように、この『空白の叫び』という小説は、十四歳の少年たち三人がそれぞれの生活のなかで葛藤や憎しみや恐怖をおぼえ、その末に殺人者となり、少年院を経て、最後はそれぞれに悲劇的な結末を迎える、といった内容の作品であります。ある少年は自分にまとわりつく自分より低能な少年を、またある少年は性的な関係を結び、離れられなくなった女教師を、そしてもうひとりの少年は自分の母親を・・・・・・どこかで聞いたような話ばかりがこの小説では描かれています。
 これは以前このBlogでも書きましたが、ここ数年は、少年犯罪を描いた作品(フィクション)が現実の事件に追いつかないという異常な事態になっています。十年、二十年前にこの作品のようなものが世に出されればそれこそ「少年犯罪を深刻に描いた問題作」と評されたものです。それが今はどうでしょう。この小説に書かれている少年たちの苦悩、犯罪、その精神など、日頃のTVニュースで報じられている事件に比べたら、ただの一例に過ぎません。これは相当に恐ろしいことです。

 これは私見ですが、若者たちの人間性は年年、さまざまな箇所で幼児化しているような気がします。今から二十年ほど前であれば、まだ学校には体罰もあった、校内暴力が問題視され、校則が生徒たちを縛っていました。あの頃は、若者たちは自分へ迫りくる圧力に対して闘ったものです。それがある面では暴力となり、またある面では不良化になってしまった。しかし、それは結果であって、若者たちは十分に闘っていたのだと思います。
 しかし、最近ではどうでしょう。若者たちは闘っているでしょうか。否。わたくしは寧ろ、逃げているのだと思います。
 情報化社会で、身近なところにたくさんの情報が溢れている。感性とか人間性とか個性とか、そのひとを表現するカテゴリーにも多様性が出てくる。つまり、周囲のひとたちとは違うけども自分はこう思う、これが個性なんだト、そういう主張が出てきて、集団のなかで統一性が無くなる。判断基準が個人の感性に任せられる。教師が自分に対してだけ厳しい、クラスメイトが虐める、親が話を聞いてくれない、受験はどうしよう、将来は、夢は、希望は、あらゆる場面で回答を求められる。その結果として、犯罪に走る。これは闘った結果ではないとわたくしは思います。正面からぶつかって闘えなかったから殺す。ナイフを出して、庖丁を持って、バスを乗っ取る、肉親を刺す、学校を襲う。これは、すでに社会に負けているのです。
 ここ二三年はその傾向がさらに強くなって、若者たちはなにか急激なる問いや圧力に遭遇した際、闘わず殺すこともせずに、一番手っ取り早い「自殺」を選ぶようになった。今すぐにでも出来る、たったひとりで出来る「逃げ」に走るのです。

 わたくしも昔は少年犯罪を描いた作品をむしろ熱心に書いていた時期もありましたが、最近はぱったりそういったジャンルのものは書いておりません。おそらく書けないのでしょう。今日書いた悲劇が、明日には日常になっているのですから。
 少年よ、今きみはなにを想う。

 なんだか今日はすこし深刻になりすぎてしまいました。明日からはもっと明るくやります。
 裏部長でした。
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2006年11月20日

「教える」は教わること。

 こんはんば、裏部長です。今日の札幌はよく晴れて気温も高く、過ごしやすい一日でした。しかし当の裏部長は朝から躰の様子がおかしく、特に寒いわけでもないのに指先の感覚が鈍くなって、よく物を落としました。老化かもしれません。
 さて今夜は師匠不在の日ではありますが、きちんと稽古をしてきたので、まずはそのご報告からどうぞ。


2006年11月20日(月)晴れ。部長は肩の痛みのため、欠席。
 午後六時、札幌大学1002教室にて空手の稽古。師匠不在。参加者はON、S呂、新人のSTという珍しい組み合わせ。
 基本稽古。全てをSTに合わせ、其場突き、前蹴り、内受け・外受け、廻し蹴り、下段払い・上段受けまでを丁寧におこなう。以下その注意点。
 其場突き:肩を出さない、力まない、腰と連動させて突く、腕と腰の密着、突く位置の高さ、回転に流されぬようまっすぐ拳を伸ばす。
 前蹴り:構えた時点で重心を前へ移す、蹴りに合わせて腰が浮かぬよう注意、足先に力を入れずリラックスして蹴る。
 受け:最後に拳を返すこと、受ける部分とその軌道、各受けの防禦区域とその効果。
 廻し蹴り:上足底で蹴る意味。
 手廻し。
 後半は組分けをして稽古。
 まずはS呂のみ、型「転掌」の復習。全体の流れ、形は悪くないが、足下・膝・腰の締めがイマイチ。腹のなかに大きな玉があるように想定し、それを転がすようにして打つのが理想であることを再確認する。
 私がONの「平安初段」を見ている間、S呂にはSTの其場突きを指導してもらう。
 ON、現在はまず全体の流れを覚えるのみ。この型は猫足立ちができなければ何ともいえないので、まずはその要所を押さえてもらい、あとは転進する際の足の位置などを確認する。
 最後は私がSTの稽古を見、S呂とONには約束組手(中段追い突き)をしてもらう。
 ST、どうも肩に力が入りやすい。突きは腕力ではなく、腰で突くということ、片方の腕が出たらもう片方の腕は引っ込む道理、軸の安定性、それらを実際にこちらの腹を突かせて確認する。彼はまだ空手の稽古二日目だが、どんどんと変化している。
 八時過ぎ、終了。談話室前で、ONの激しい私生活を知って少し驚く。


 新人のST君はよくやっています。今日も稽古に遅刻しそうになって、息咳きって走ってきたたほどで、今週は水曜日以外稽古はないよと云うと「水曜日は来られないんですよ。一週間、稽古できないのか・・・・・・」と至極残念そうでした。あれくらいの気持があれば大丈夫でしょう。
 御馴染みの後輩たちのなかにも成長が見られています。ONはいつも体調悪そうな顔をしていながらきちんと来ていますし、その腕前も決して退化するということはありません。まあ来ないこともありますが、来たらきちんと真剣に稽古しています。私語の多い誰かさんとは大違いです。
 そして今日の収穫はなによりS呂君です。彼はもうすぐわたくしたちと一緒に初段補へ上がるのですが、今日はその前にちょっと試してみました。彼に新人のST君やON君の指導を任せてみたのです。わたくしはON君の型を見ながら、またST君の其場突きを見ながら、例の「捨て耳」でもって彼のアドヴァイスを聞いておりましたが、いやあ実に的確な指摘ばかりで、その成長ぶりに感嘆してしまいました。
 大体のところで云うと、S呂君が出したアドヴァイスとしては、ST君へは「力んで肩が出ないようにする」「引き手をもっと意識して、引き手で突くようにする」「軸を安定させる」で、ON君へは「軸の移動をもっと安定させ、ゆっくり動いてもその動作が行なえるようにする」というものでしたが、これらは現在の彼らにもっとも的確な助言だとわたくしも考えております。
 まあST君にしては稽古報告に書いた通りですが、ON君の場合、もう大方全体のバランスが取れてきて、追い突きがサマになってきた。こういった段階を迎えると今度はもう単純に、軸を前足へ移動させて突く、という段階になる。現在ウチではH君なんかが取り組んでいるテーマですね。わたくしが代わりに見たとしてもおそらく同じことを云ったでしょう。
 あんまり褒めるのもいけないので、ムチの意味もこめて進言しますが、わたくしもS呂君もようやくそういうふうに見ることができて、後輩たちの未完の部分を指摘することができるようになってきましたが、見つけられるのと矯正できるのとは大いに違いますね。間違いに気づいても、では何をどんな風に伝えればそれが直るのか、これがすぐには判然としない。どうしたって自分のやっている感覚で考えてしまいますから、相手にとって本当にわかりやすい言葉ではなかなか表現できないんですね。
 わたくしも最近はそんなことでいろいろと考えさせられております。師匠はそういった意味でも大きい存在ですね。たった数行の文章で、たちどころに門弟たちを成長させてしまうわけですから。

 上記の通り、今週は水曜日の稽古以外はお休みです。ST君は残念ですが、他の門弟諸君はそういうことで、是非水曜日に来てやってください。
 裏部長でした。
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2006年11月19日

ぐーたら

 はい、どうも。寒くなってからすっかり引きこもりっ子の裏部長です。こう寒くては外へ出るのも億劫になってしまって、もういけません。週末は完全にこたつの中のネコです。
 今日はたっぷり寝て十一時過ぎに起き、朝食なんだか昼食なんだかよくわからない食事をして、そのあとはずっとTVを見ていました。録画してずっと見ていなかったTVドラマなんかを立て続けに見たわけです。フジテレビ系列の『のだめカンタービレ』、『僕の生きる道』、日本テレビ系列の『14才の母』、WOWOWで放送された『4400』『CSIマイアミ4』などなど。『のだめカンタービレ』に関しては、一気に三話を消化しました。基本的にふざけた、TVドラマとしては見るところの殆どない作品ですが、現代の日本を知るために見ております。

 そうかといって最新のものばかりを見ていると目が曇ってしまうので、その合間合間にむかしの映画などを観たりもしておりますが、そういった古い時代の作品を見ていると、最近のTV時代劇などはまったく見る気がしてきません。現在はテレビ朝日で太閤記なんかをやっていて、テレビ東京では忍者の端くれみたいな女を主人公にしたものをやっていますが、どれも駄目ですな。見ていられない。不世出のスターと呼ばれた俳優陣、彼らが活躍する華華しい映画なんかを観ているせいでしょうが、これは辛く悲しいことです。だって、現代の若い人たちはあれが時代劇だと思っているわけでしょ?まあ、若いひとはあまり時代劇自体を見てはいないだろうけど、武さんの『座頭市』なんかがよい例で、昔のホンモノを知らずに育ってしまうわけですから、これは悲しく、そして恐ろしいことだと思います。
 
 空心館門弟諸君は時代劇など観ているでしょうか。こないだ部長らに「桃太郎侍」を云ってもわかってもらえませんでした。やはりこれも年代のギャップというやつでしょうか。

 さて明日からは新たな一週間。新人も入って、少しは活気づいてくれることでしょう。
 明日は師匠不在ながら稽古をします。気張ってゆきましょう。
 裏部長でした。
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2006年11月18日

空手という名の零細企業

 こんばんは。引きこもり気味の裏部長です。今日は朝はやくから起きて朝食も早早に支度をし、近所にある病院へ行ってインフルエンザの予防接種を受けてきました。左の二の腕あたりにブスッとやられてきましたよ。これでこの冬は安泰ですが、久方ぶりに注射というものを打たれたためか、その後はすこし体調が悪く、夕方までパソコンに向かってある仕事をしていたのですが、酷い頭痛を引き起こして、つい先刻まで寝ておりました。
 みなさんもインフルエンザと予防接種の副作用(?)には気をつけましょう。

 さて、昨夜のわたしの書き込みに対し、師匠が過分なお褒めのお言葉を書いてくだすっておりましたが、なんもそんな大したことはやっておりません。仕事の合間に空手の型のノートを作ったのもほんの気まぐれでして、よ〜く考えれば、そんなことしてないで真面目に仕事しろ!とお叱りを受けてしかるべしなのです。
 しかし、どうしてわたくしが最近になって急にそんなことをしているかといえば、先日から稽古に参加している新人ST君の影響があります。彼が水曜日の空手の稽古を体験し、木曜日の体道稽古へ来たときに、当然の流れで昨夜の感想を聞きました。すると彼は開口一番、「型が恰好よかったですね」とこう云ったのです。
 その表情はまさに感動そのもので、師匠の型はもちろん、わたくしたちが打った型についても恰好よかったと云ってくれたのです。まあ後者については世辞でしょうが、ただ、では彼が褒めてくれたから型を見直すようにしたのかと云うと、実はそうではなく、ST君はひとしきり感想を述べたあとで、「空手の型の本って、何かあるんですか」と訊いてきた。これを受けてわたくしはノートを書き始めたのです。
 みなさんもすでにご案内の通り、空手という武術は競技系、フル・コンタクト系に関わらず、相当数の流派・会派が存在し、たとえばわれわれのやっている糸東流に限ってみてもさまざまな会派があり、その差異は所有する型の内容に現れます。同じ流派であっても会派が違えば、もっと云うと、教える師範が違うだけでもその内容は変わってきます。
 ですから、すでに出版されている空手関係の本を買い、そこに載っている技や型の解説を比較対照として参考にするのは可能なのですが、わたくしどもの流儀「藤谷派糸東流拳法空手道」の型はそこには載っていないし、正確にいえば、同流儀における日本武術研究所空心館経由の技・型に関してはおそらくどの書物でも確認はできないでしょう(似ている内容があっても、です)。これは柔道や合気道などの大衆武道にはない、とてもとても心細いところなのです。

 ですからわたくしはそんな問いを発したST君に、「空手というのはそういうものだから、もし自分たちの流儀の資料を持ちたいのなら、自分で作るしかない」と答えました。これが、自らもう一度型を振りかえってノート化するに至った理由であります。

 こういったことで云うと、最近では書店に並んでいる武道書のなかに、読んで得るところのある空手関係書物というのはほとんど無くなってしまいましたね。師匠からも紹介され、わたくしも読んだ摩文仁賢和先生の『攻防拳法空手道入門』くらいが最後の砦、そのご子息が書かれた『武道空手への招待』でお終いでしょう。札幌支部の後輩諸君もこの二冊は読んでおいてください(A君からの情報ですが、前者の本が札幌大学の図書館に入ったそうです)。

 いよいよ冬が来て、これからいっそう寒くなります。引きこもる日が増えて、運動不足にならぬよう気をつけたいものです。
 裏部長でした。
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2006年11月17日

愛すべき十二本の型

 こんばんは、裏部長です。昨夜のわたくしの書き込みには多数のコメントをいただきましてありがとう存じます。なかには門弟以外の方からも書き込みがあり、嬉しい限りです。

 今夜は空手の稽古がありました。昨夜までは師匠も「明日はなにも用事がないから」と、最初からの参加を喜んでおりましたが、そうは問屋は卸さない。案の定、またも仕事が入り、結局七時過ぎからの参加となりました。どうも金曜日が鬼門であるのは部長だけではないようです。
 まあ中盤からは師匠が指揮されましたし、おそらく師匠のBlogで書かれるとは思うのですが、わたくしなりに、今夜の稽古内容を書いておきます。


2006年11月17日(金)曇り。稽古前、TVで男子中学生首吊り死の報を聞く。
 午後六時、札幌大学1001教室にて空手の稽古。師匠は小一時間ほど遅れる。参加者は部長、苫小牧っ子のH、少し遅れてOBさん。
 基本稽古ひと通り。前蹴り、廻し蹴り、横蹴りに関しては、ゆっくり蹴る、疾く蹴る、初速を意識して蹴る長く蹴る、上段を蹴る、など、さまざまな蹴り方で稽古をする。
 手廻し。このあたりで師匠到着。
 其場でワン・ツー。
 後半は約束組手と型。まずは私と部長が約束組手(中段追い突き)、HとOBさんが型「平安三段」をやり、その後、OBさんは新しい型「平安四段」を、Hは私たちに加わって約束組手をおこなう。
 Hは前足への重心移動ができてきて、バランスも悪くない。ただ着地した際、若干右側に傾く傾向あり。
 部長とは一本目以降の攻防を。突きだけではなく、外からの打ち、各種蹴りを効果的につかい、また足が止まらぬよう、手よりも腰から下で相手を追うようにして攻撃する。
 最後は全員それぞれの型稽古。部長は「転掌」、Hは「平安三段」。私は新しい型「鷺牌初段」を教わる。
 八時過ぎ、ある慶事のため、三本締めにて散会。


 約束組手では少しハメを外し、突きだけではなく打ちも使って攻めてみましたが、やはり馴れていないためか難しいですね。相手を追うことと突きなどの形ある攻撃を同時に成立させなければならないのですから、なまなかなことではありません。まあ、分不相応だとは思いましたが、たまにはこんなこともして刺戟を感じてみたい年頃なのです。
 わたくしに限って云えば、今日新しく「鷺牌初段」という型を教わりました。これは次の初段の型ですね。
 いやあ、難しい!細かいというかややこしいというか、見馴れぬ動きに加え、各動作に含まれる技の内容が高度で、着実に型のレヴェルが上がっていることを感じました。しかし、いつもだったら面喰うところでしたが、今日はどういうわけか「型」というものを再認識した日だったので、面白いほど躰に沁み込みました。
 師匠のもとで稽古をはじめて最初に教わった型「平安二段」から数えると、こないだの「転掌」でちょうど十二本の型を習ったことになります。つまり、「平安二段」「平安初段」「平安三段」「平安四段」「平安五段」「十六」「内歩進初段」「新生」「抜塞大」「三戦」「腕秀」「転掌」ですね。
 今日仕事の合間にこれらの型の内容を最初からノートに書きだしてみたのですが、こうして改めて文章にしてその内容を読むと、いくら初歩の型とはいえ内容がある。武術の型としてきちんと成立しているのですね。先達たちがひとつの型だけで三年稽古したという歴史を見るまでもなく、やはり空手は型なのだなあと、遅すぎるほどの認識をしたのであります。
 そんな日の「鷺牌初段」ですから、難しい以上に愉しいひと時でした。

 さあ、あっという間に年末です。年を越したらあっという間に春になって、そして札幌支部としては三度目の栃木遠征がやって来ます。
 来年はどんなことになるのやら・・・・・・?
posted by 札幌支部 at 23:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2006年11月16日

礼節

 こんばんは。裏部長です。稽古へ行こうと自宅を出たときは雨でしたが、大学に着いたときはもう雪でした。すっかり冬ですね。吐く白い息が当たり前になってきました。
 さて今夜は体道稽古。師匠は例によって冒頭三十分ほど遅れて来られましたが、一応は参加されて、人数の多い稽古になりました。わたくしは冒頭、新人たちの復習を見、いろいろとアドヴァイスをしつつ部長の復習にもつき合い、最後には自分のほうで新しい技をひとつだけ教わりました。自分のやっている浅山一伝流体術では三つ目の段階「下段之位」へ入り、今日はその一本目「前双手」。単純ながらなかなか奥深く、ノートに書く際はすこし梃子摺りました。

 参加人数は、部長にA君に新人のST君、その前の新人ふたり、少し遅れてH君とかなり多かったわけですが、なかにはかなり稽古態度のよくない人間がおりました。とにかく稽古中に私語が多い。もちろん無言でやれとは云いません。稽古ですから、出来た出来ない、どうやったら上手くゆくか、というようなことを侃侃諤諤と話し合って稽古するのは良いわけです。わたくしもそうしております。
 でも、明らかにふざけているような会話、度を超した大声、不真面目とも取れる態度はいけません。これは恐らく師匠、後輩たちもなんとなく判っていると思います。わたくしも今日は癇に障って、あと少しで注意するか直接行って張り倒すところでした。今度また同じような態度を取るようであれば云います。誰がなんと云おうと注意するつもりです。
 とにかく最低限の礼節、挨拶などはきちんとしましょう。武術を稽古しているのですから、最低限のことは全うしましょう。

 明日は空手の稽古です。裏部長でした。
posted by 札幌支部 at 22:33 | Comment(4) | TrackBack(0) | 裏部長の日記