2006年12月14日

一閃

 こんばんは。便秘ぎみの裏部長です。なるべく繊維質のものを摂るようにはしているのですが、どうも溜まりますねえ。今はもうそれほどではなくなりましたが、一時期ひどいときなどは一週間にお通じが一度あるかないか、でした。不健康極まりないですね。

 さて、今夜は体道稽古の日。稽古の内容はおそらく師匠がお書きになると思うのですが、なにせご多忙ですから、もしかしたら書けずに一週間が終わってしまうかもしれないため、やんわりとわたくしのほうで書いておきたいと思います。
 
 本日の参加者はなんと部長のみ。久しぶりに師匠を交えて三人ぎりの稽古でした。
 二人とも浅山一伝流体術から、部長は、上段之位六本目「両手取」七本目「両胸取」八本目「霞返」の三本を、裏部長は下段之位七本目「横引落」八本目「腰返」九本目「関節投」の三本を教わりました(先日の、Y先生のご子息T君の話がここでようやくわかりました)。
 二人しかいないため、トントンと稽古は進み、時間が余ってしまいました。

 その時間を利用して、今日はすこしをやりました。まあ、やったと云ってもきちんと稽古したわけではなく、わたくしが思いつくままに考案した幾つかの技を師匠へ見せて、その成否を下してもらったというだけですが、剣術ないしは居合抜刀術の深淵を垣間見たような瞬間が多くありました。
 わたくしの考えた技というのはなんとも他愛のないものばかりで、逆手に抜刀して相手の抜刀を誘い、斬り落としてくるのに合わせて袈裟に斬る、とか、いざ抜かんとした相手の手を止めてその隙に横へ廻りこみ、鞘を押し上げて崩してしまう、とか、あとは映画のなかで観た殺陣などをやったくらいで、ほとんど大したことはなかったのですが、ひとつ収穫はありました。
 それは、「刀は斬れるなあ」ということです。今日の稽古では木刀といっしょに模造刀を使ったのですが、これでわたくしも師匠も左掌を斬ってしまいました。わたくしはあっさり、師匠はザックリと・・・・・・。
 それは上記にもある、抜きつけようとした相手の手を押さえてしまうという技のときだったのですが、その刃上をスゥとかすかに触れただけで文字どおりスゥと斬れてしまったのです。
 本身ではなく、一応は斬れない模造刀でもこれだけ簡単に人間の皮膚くらいは斬れてしまうのですから、ある一定のレヴェルに達した剣士が真剣でもって斬りかかった場合、ヘタしたら腕の一本や二本は簡単に失ってしまうのでしょう。
 いやあ、実に剣はこわい。

 明日は空手の稽古です。師匠は仕事のため一時間ほど遅れるそうですが、一応は来てくださるということなので、その一時間で基本と移動、できれば型の復習くらいまでを終わらせて、お迎えしたいと思います。
 裏部長でした。
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2006年12月13日

追い突き以外。

 こんばんは。夏靴でも滑らない裏部長です。高校生くらいまでは、冬となると冬靴をはいて、雪や凍った路面に挑んでおりましたが、最近では夏も冬も関係なくなってしまいました。一年中スニーカーで過ごしております。もちろん、スニーカーでは凍った路面は滑りますが、それは靴の底面が滑っているだけで、要はわたくし自身が滑らなければよいわけですから、よほどのことがない限り滑って転ぶということはありません。バランスを取る稽古にもなりますしね。第一、安上がりです。昔のひとは一年中草鞋だったわけですから、それに比べたらまだマシなほうなのです。

 さて今夜はもちろん師匠も参加されての空手の稽古。昨夜の宣言通り、午後六時十分をまわっても師匠が到着されなかったので、裏部長先導のもと、基本稽古をさきに始めてしまいました。
 すぐに師匠は来られたのですが、そのままわたくしの先導で手廻しまでを行ない、そこから師匠へバトン・タッチ。
 その後の稽古内容は師匠のBlogでご確認ください。

 今日の稽古では、タイトルにある通り、追い突き以外の突きをおもにやりました。刻み突き、そして逆突きですね。前者は最近やる機会の増えている突き方ですが、後者はそれ単体で稽古する機会のあまりないもので、非常に新鮮な心持でやることができました。
 今までは、とにかく約束組手といえば中段追い突き。それ一本でしたが、今夜のように、次の段階からはさまざまな突き方が入ってくるのかもしれません。また若しくは、現時点の追い突きを変化させるために、違った角度から突きを見つめるその一方法としてそうしているのかもしれませんが、それは師匠に訊かねばわからぬこと。今は信頼してついてゆくのみです。
 しかし、これまでは何はともあれ中段追い突きだったので、やらない日があるとどうも煮え切らない、不完全燃焼のようなモヤモヤが残りますね。斯く云う今夜のわたくしがそうです。やりきった、というような感じがないのです。こんな感覚にもそのうち馴れるのでしょうか。

 稽古終わりに、師匠へ茶帯を返還いたしました。つい先週まで締めていたこの茶帯は師匠が購入されたもので、ウチではひとつの通過点として位置づけられております。ですから、今度三級になった門弟がその帯を締め、黒帯になったらまたその後輩へ譲る・・・・・・その繰り返しになるのです。
 ただ、少し悩ましいのは、現時点ですぐにこの茶帯を締める人間がいないということです。ああ、なんとまあ、中間色の少ないことか。

 明日は体道稽古です。
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2006年12月12日

そういえば、帯。

 こんばんは、裏部長です。今日の札幌はすっきりと晴れて、気持のよい空色でしたが、そのせいか気温はぐんと下がって、午前七時でマイナス四度。このあたりから徐徐に寒さの質が変わり、風なんかが出てくると、もう「寒い」ではなく「痛い」になってきます。痛いの痛いの飛んでゆけーといくら云ったところで無情にも吹雪にのって飛び帰ってきてしまうのです。
 しかし、夕方になると一転して気温が上昇。明日は天気が崩れるというのですから、なんとも厄介です。稽古にひとは集まるのでしょうか。

 栃木のI先生、過分なるご祝辞を頂きまして、ありがとう存じます。恐縮至極というやつです。誠心誠意、精進してゆきます。
 
 あっ、そういえば帯のことですが、みなさんはどうでしょうね、こんなこと知っていたでしょうか。いや、というのもですね、これは裏部長も最近知ったのですが、空手のほうでは帯を滅多に洗わない(洗濯しない)というのです。師匠もそう云うし、空手経験者の部長やS呂君もそうらしいのですが、合気道をやってきたわたくしには聞いたことも実践したこともありませんでした。稽古と稽古のあいだに日数があけば胴着を洗濯し、それといっしょに当然のごとく帯も洗っておりました。その習慣が身についているので師匠のもとで修行するようになってからもそのままにしておいたのですが、ついこないだ、そんな話を聞いて驚いてしまいました。
 これにはどんな意味があるのでしょうかねえ。
 第一、汚いでしょう。帯だって躰と触れているわけだから、汗をかけばそれを吸っているわけだし、胴着のほうは洗濯して帯はしない、なんて理屈はやっぱりおかしいですよ。
 それに、洗わない利点がよくわからない。洗わないでおいて何か得するんですか。良いことがあるんですか。これはなんとも腑に落ちないことなのです。

 ・・・・・・とはいいつつも、わたくしも現在、このやり方を踏襲しております。いや別に、時代に流されたわけではありませんよ。黒帯を初めて締めてから一度洗濯をしたのですが、どういうわけか、たった一度ぎりの洗濯でかる〜く先端のほうが綻びてきているように思われたので、ここはいっちょどんなもんか試しにやってみるっぺ、という都会へ出てきた田舎者根性で、異臭を放つまでは洗わないで様子を見てみようと考えたのです。
 みなさんも帯、洗っていないのでしょうか。

 明日は空手の稽古ですが、師匠が参加される貴重な機会です。ですから、門弟諸君はなるべく早くに集合してください。わたくしも早くに行っております。そして、師匠が少しでも遅れるようであれば、間、髪を入れずにもうとっとと基本稽古を始めてしまう。師匠が到着されたころにある程度稽古が進んでいれば、そのあとの展開も早いというものです。
 よろしくお願いします。
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2006年12月11日

本気になる

 こんばんは、裏部長です。今年も残すところ、あと約三週間となりました。一年の経つのは本当に早いものです。これは、さまざまな出来事が目まぐるしく訪れていたためにそう感じるのか、それとも、ただ単に通り一辺倒な感想でそう云っているのか、自分のことながら少し判然としませんが、三月に大学を卒業し、社会人生活をはじめた裏部長にとっては、やはり前者のほうだったでしょう。
 さて、来年はどんなことが起こるやら。

 今夜は師匠不在の稽古日です。そのご報告を簡単に。


2006年12月11日(月)雪。氷点下の気温にも躰が馴れ始める。
 午後六時、札幌大学1002教室にて空手の稽古。師匠不在。参加者は新人ST、少し遅れてOBさん。
 基本稽古ひと通り(其場突きは百本くらい。蹴りは各種、緩急あわせて左右六十本づつ蹴る)。
 手廻し。構えの確認。
 型。OBさんは「平安四段」、STは「四之型」(下段払い)をやる。
 OBさんは元から吸収のよい人であるため、私もくどくどとは云わない。各種の構え、受け、攻撃の内容とその性格をしっかりと考え、その通りにやってくださいとだけ申し伝える。
 ST、前屈立ちのときに演武線よりも若干外へ向くクセあり、これを正す。あと、基立ちとなりながらの中段追い突きのときに、突き手が腰から浮。これも注意する。
 最後は約束組手。まずは私が固定の受けになり、OBさん、ST両名に突かせる(中段追い突き)。
 OBさん、飛び込んで突くようにしているが、突いたあと若干、躰が上へ浮いてしまう危険性あり。
 ST、とにかく脇をあけない。そのために、拳を返さず突く稽古もする。
 後半は私が突き、ふたりが交代で受ける。STへは純粋な真っすぐの突き、OBさんには鞭のようなうねる突きをやってみる。
 八時、終了。


 すっかり基本稽古では本数を多くやる方向で固まり、みんなの体力もそれについてきましたが、わたくしに関しては驚くほど疲れなくなりました。むろん、ある一定量の汗はかきますし、疲労がないわけではないのですが、以前のようにヘロヘロにはならなくなりました。コツを掴んだのかもしれません。
 今日のタイトルはわたくしが自身へ宛てる戒めです。最近どうも追い突きにしっくり来ていなかった裏部長ですが、その原因が今日の稽古で判明しました。
 それは、「本気になっていなかった」ということです。
 ここんところ、わたくしはズドーンと長く大きく行なう追い突きではなく、どちらかといえば短く深く、コンパクトに突いて、さらに第二打第三打を繰りだす追い突きをやっていて、それはそれである程度サマにはなってきていたのですが、先日、脇の隙の話から、突き方のほうだけを少し以前のもの、つまりズドーン風にもどそうとした。これがいけなかったのですね。感覚はそのままにして外形だけを変えようとしたのですから、しっくり来るはずがありません。
 そこに来て、師匠不在機会の増加です。師匠のいない稽古では自然と年長者たるわたくしが後輩たちの指導をせねばならず、そこは未熟ながらわたくしも自分の教えられる範囲で目一杯どうにかしてあげようと努めるわけですが、受けを務めてその指導をする機会がどうしても多くなってしまい、上から下へ教えるような姿勢をしつづけるため、その姿勢のまま突きを出してしまうようになったのです。
 云うまでもなく、現在のわたくしはそんな余裕をぶっこいて突きを出せるレヴェルにありません。生半可な気持で追い突きをくりだしておいて、自分の納得できる追い突きができない!と嘆いてみても、それは当たり前のことだったのです。
 その証拠に今日の稽古ではある程度うまく行きました。後輩相手でも、真剣に突いてみたのです。
 今度からは相手が師匠であろうと後輩であろうと、本気の突き、真剣の突きを出せるよう、常に心がけておきたいと思います。

 次回の稽古は水曜日です。
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2006年12月10日

重い拳

 こんばんは。一日中ぐーたらぐーたら過ごしている裏部長です。十二月は師走というくらいで、通常の勤め人であれば目のまわるような忙しさでしょうが、わたくしのように、まるで映画の寅さんのような生き方をしている人間にはまったく関係がありません。しんしんと降る外の雪を眺めながら、暖かい室内でTVなんぞを見つつ蜜柑を食う・・・・・・そんな週末を送っております。

 栃木のY先生とそのご子息のT君、書き込みありがとう存じます。今さらながらに云うことでもありませんが、本部もなかなか札幌に負けぬほど少人数稽古ですね。あの、外気温とほとんど変わらぬ室温の道場で、それでも熱気に溢れた稽古をされているのでしょう。わたくしたちも負けてはいられません。
 室温の面では、札幌支部は大学の教室をその稽古場所としていますから、だいぶ助かっておりますが、これもときには考えもので、外がなんといっても氷点下ですから、それを補うためにも異常なほどに暖房を焚く。だから室内はムンムンたる熱気でいつも蒸れ返っております。夏熱く冬暑い、という妙なキャッチ・フレーズが生まれるのはそんな原因があるからなのです。
 まあ、これは窓を開けたりすれば解決できる問題で、日頃からそんな室温のなかで授業を受けている後輩たちにしてみれば屁でもない話でしょうが、それ以上に厄介な問題があります。
 それは床です。教室ですから、当然その床はコンクリート。冷え冷えとしたカタ〜イ床なのです。これがなんともネックになっていて、空手のときは勿論ですが、なんといっても体道のときが困る。満足に受身を取れませんから、どうしてもその範囲内での稽古となって、投げ技など遠慮せざるを得ません。まあ、わたくしが師匠に投げられるときなんぞはある程度きっちり投げてもらって受身を取りますが、みんながみんなそうバッシバッシと受けられるわけではありません。マットはあっても畳のようにはゆかず、どうもひとつ乗り切れないところがあります。
 これに関しては、畳屋から安く畳を買ってきて敷くという案、もしくは何処か体育館なり児童会館なりを借りて稽古するという案など、さまざまな解決案が出されておりますが、いづれも実現するには時間と費用が必要なため、現在はまだ実行されておりません。そこにきて師匠の多忙がありますから、どうしたって現状維持ということになるのです。
 来年。本部道場へ行って、思いっきり床を踏み鳴らして追い突きの突けることを今から待ち望んでおります。

 さて、今日は一本のアメリカ映画をご紹介します。それは、シンデレラマン』(アメリカ映画2005)です。監督はロン・ハワード。主演はラッセル・クロウレネー・ゼルヴィガー
 舞台は1930年代のアメリカ。大恐慌のころです。プロのボクサーとして八十戦負けなしの主人公はしかし、右手の骨折など、傷だらけの躰で闘い続けていた。そのうち負け込んで、お客が怒るような不甲斐ない無効試合しかできなくなり、そのライセンスを剥奪されてしまう。
 時代が時代だけに、仕事がほとんどと云ってよいほど無い。三人子供たちに呑ませるミルクは、買ってきたものを水道水で薄めたもの。母親は縫い仕事に精を出し、主人公は日雇いの仕事にどうにかして就こうとする。そのうち電気は止められ、物乞いをせねば生活できないまでになってしまう。
 そんなある日。現役時代、自分のプロモーターを務めていた男から、ランキング二位のボクサーとの前座試合を申し込まれる。勝とうが負けようが、その一戦で二百五十ドルを払うという。主人公はふたつ返事で受ける。
 これが良かった。ロートルで長年のブランクはあったものの、右手が治るまで左手で力仕事をしていたためか、現役時代は弱くて使い物にならなかった左ジャブが冴え、右ストレートは現役時代以上の威力を見せる。そして何よりも、家族という守るべきものが心のなかにあるため、若い対戦相手がどんなにラッシュをかけてきても倒れない。貧困の生活がかれを逞しく成長させたのだ。
 絶対に二ラウンドもたないだろうと云われたその試合でかれは、なんとランキング二位のプロ・ボクサーに勝利してしまうのである。

 と、まあこのあとは波乱万丈、正式に復帰して試合を重ね、ついにはある階級のチャンピオンに挑戦し、フル・ラウンド、死闘のすえに勝利するという結末へいたるわけであるが、そのストーリー以上に、この映画ではその試合のシーンが相当にうまく撮られています。ああいった格闘関係の映画では、香港映画や日本の時代劇のように、完全なる型としての殺陣でもって見せるものと、そうしないものとに分かれますが、今回のこの映画はその両方を兼ね備えたような見栄えになっております。
 つまり、本当の試合のように殴り合いつつもそこには事前の打ち合わせと段取りがあり、試合を演じながらきちっとその流れで拳を交えている、そんな感じなのです。
 ですから相当な迫力と信憑性がそこにはあります。成功している例と云ってもよいと思います。

 演技陣も悪くありません。主演のふたりはもちろんですが、脇役たちも、その役柄にしか見えない人物ばかりで、無説明に良い。こういったキャスティングを最低限日本でも出来れば、邦画はもっと面白くなると思うのですが、どうでしょうか。

 この映画の主人公は「」で生きています。その二つの拳固に家族をのせて、人生のすべての可能性をのせて闘っているのです。だから当然、そのパンチは重いですよ。ひとりで闘ってるわけじゃないですからね。そのパンチ、一発一発に、噴き上がるような感情が籠もっているのです。
 かたや一方では寒寒とした西暦2006年の日本で、やれ突きのスランプだ!とか、拳が握れない、どうしよう!とかいって、ひとりで喚いている男もいるのですから、単に「拳」をつかう人間といっても多種多様です。ある時代ではその「拳」で金を稼ぎ、またある時代ではその「拳」を唯一の趣味として生きる・・・・・・人間というのはなんとも不思議な生き物です。

 ちなみに、この映画の主人公は実在の人物です。彼はチャンピオンになったあと一度防衛戦をおこない、敗れて、その後はさまざまな仕事をしつつ、家を建て、そこで家族とともにゆるやかな余生を送ったということでした。

 さて、明日からはまた新たな一週間。本格的に冬となってきましたが、体調管理をしっかりと行ない、師走のラッシュにも負けず、朝からの猛吹雪にも負けず、丈夫なカラダと屈強な精神で、日日の稽古に精を出しましょう。
 裏部長でした。
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2006年12月09日

黒い帯つづき

 こんばんは。追い突きのスランプに陥っている裏部長です。変化とか成長とかいう嬉しい段階は、往往にしてそういった苦悩のあとに訪れるものですから、現在こうして行き詰っているということはこの先に、何かしらの光があるという示唆、その前兆なのかもしれませんが、悩んでる当人にとってはそんなことどうでもいい。とにかく辛い時期なのです。年越しのタイミングが、スタンプ越しのタイミングに合ってしまうというのも皮肉なものです。

 栃木のY先生、奈良のM田先輩、ご祝辞ありがとう存じます。木曜日の体道稽古から黒帯を締めておりますが、締めてしまえば何てことはない、ただの黒い帯といった感じで、実感もない代わりに達成感というか、ある種の感慨というものはほとんど感じておりません。自分でも不思議なくらいです。
 合気道をやっていた頃、黒帯をとって締め、袴を履いたときは途轍もなく悦びました。ああ、自分はこの数年間、この日のために頑張ってきたんだ、という清清しい達成感があったのです。
 しかし、現在の空心館の黒帯に関してはそれがありません。まあ、まだ自分は「初段」ではなく「初段補」であり、役職としては存在していても全くその仕事がない札幌支部の副部長と同じような段階なので、そのせいであまり変わった感情を抱かずに済んでいるのかもしれませんが、よくよく考えると、入門当初に云われたあの言葉が関係しているように思われます。
 つまり、

  「空心館では、黒帯を取ってから本当の空手を教える

 これですね。この言葉があったからこそ、約三年を費やして取得した黒帯にも不必要な重みを感じないのです。締めていて感じる誇らしさ、良い意味での責任感、そこから生じる心地のよい緊張感はたしかにありますが、胸を反り返させて、どこか威張ったように物を云いたくなるような厚かましさは微塵も感じさせません。M田先輩が書かれたように、いよいよスタート。白線のこちら側で、そのスタート合図が鳴るのを、足首まわしながら今か今かと待ちわびているような状態なのです。
 気張らず焦らず、愉しみながら厳しい精進を重ねたいと思います。

 ちなみに、昨夜の稽古へ部長が来ていなかったのにはきちんと理由があって、門弟諸君すでにご案内の通りのアノ理由からではありません。彼もいろいろと忙しいのです。睡魔に負ける弱虫ではないのです。
 どんどんと寒くなります。みな一様に、風邪には気をつけて残り少ない一年を過ごしましょう。
 札幌支部の稽古納めは十二月二十二日。
 裏部長でした。
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2006年12月08日

欧米か

 こんばんは、裏部長です。日増しに寒さが募ってきております。昨日は気温も高く、積もっていた雪も少しは融けておりましたが、今日はぐんと冷え、その融けたところからどんどんと凍り始めたため、今夜あたりはどこもかしこもアイス・リンク状態でしょう。S呂君や師匠は車の運転にじゅうぶん気をつけてもらいたいものです。
 
 さて今夜も空手の稽古がありましたが、師匠は大学院関係でお休み。よって裏部長が代わりに稽古報告を書かせていただきます。


2006年12月8日(金)雪。今日は風が強い。
 午後六時、札幌大学1001教室にて空手の稽古。師匠ならびに部長、不在。参加者はタバコをやめられないON、新人ST、少し遅れてS呂、七時過ぎに久しぶりのおすぎさん。
 基本稽古ひと通り。其場突きは百本ほど。蹴りは各種、緩急あわせて左右六十本づつくらいは蹴ろうかと思ったが、何でもON、昨夜の体道稽古で受身をとり誤り、コンクリートの床へ後頭部を打ちつけたとかで、若干のフラつきが認められたため、本数を減らす。
 時間の関係上、刻み突き、裏拳打ち、横蹴りはできず。
 手廻し。S呂はここから参加。
 其場でワン・ツー(刻み突き・逆突き)、其場で躰捌き・内受け・逆突き。
 移動稽古。追い突き、逆突きを丁寧にやる。
 後半。まずONとS呂には約束組手(中段追い突き)をやってもらい、私はSTへ「四之型」を教える。
 今日はひとまず下段払い・追い突きの形だけである。構え、用意の体勢、そこからの下段払い・前屈立ち、方向転回の際の足づかいなど、基本的なことながら重要な動作を重点的に稽古する。ST、初めての型に少し戸惑い気味であったが、どうにか流れまでは憶えられたようだ。
 この間に、久しぶりのおすぎさんが合流する。
 最後、私とONが受けを担当し、あとの三人が交代で突いてくる約束組手。STには突きの脇からの浮きを、おすぎさんには突く位置そのものを、S呂にはすべての突きを中段へ集めるよう指示する。
 八時過ぎ、終了。


 基本、移動に関しては今まで通り、これといっておかしなところはありませんでした。ただST君へ型を教える際に、すでにさまざまな型を習って久しいS呂君やON君へ、「型を修行するときに忘れてはいけない三大要素は?」と訊いて、二人とも頸をかしげたことは由由しき事態です。ON君はまだ良いとしても、そろそろ空心館の黒帯を締めようかというS呂君は即答できて然るべしです。むしろ、「あっ、先輩が型の説明してるな。そのうち、あの話が出るな」と、訊かれる前にそのタイミングを計ってるくらいで丁度よいくらいです。
 型の三大要素といえば、「」「」「」ですね。各単語の意味はすでにST君へは解説しておいたのでここには書きませんが、門弟諸君は忘れないようにしといてください。
 ちなみに、このなかの「流」に含まれるわが空心館の空手の系統ですが、流れを書くと、

 摩文仁賢和―藤谷昌利―瀧元昌嗣―瀧元誠樹・・・

 ということになり、そのあとの「・・・」へ自分の名を入れることになります。これ、案外重要なことですから、みんなも忘れないように。できれば暗誦でき、なおかつ書けるようにしておいてください。

 約束組手では、特にS呂君の動きをよく見てみました。これまではどうしても、わたくしは自分の目指している動作を基準として彼ら(部長も含めて)を見、違うなと思ったところを指摘してきましたが、体格も目指す動きもちがう彼らにそんな規範が合うわけもなく、そんな指摘は必ずしもプラスにはならないのだなあ、と最近になって気づいてきたので、今日は、S呂君の躰を最高に利用している動きとはなにか、そんなことを考えながら受けてみたのです。
 突きをすべて中段へ集めさせたのもその一環です。彼はどうしても長身のためか、突きが上がってしまう傾向があるのですが、今日のように最初から制約を与えて突かせてみると、きちんと制御できて、なおかつ動き自体もよくなったように見受けられました。さすがに黒帯が近いだけあります。
 今後が愉しみですね。

 当のわたくし裏部長としては、何だか突きよりも受けのことを考えているような気がして、いまいち釈然としません。もっと良い突きを、という思いしかないはずなのにどうも巧く出せません。これはある種のスランプなのでしょうか・・・・・・。

 何はともあれ久しぶりにおすぎさんも来てくれたし、なかなか賑やかな稽古でした。ちなみに本日のタイトルは、そんなおすぎさんが今日の稽古のなかで連発した台辞です。

「なんだか稽古も笑いが多いと愉しくていいですね・・・・・・ホーム・パーティみたいで」
「欧米か!」
 
 お粗末さまでございました。

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2006年12月07日

黒い帯

 今日の札幌はへんな天気でした。別段あたたかいというわけではないのですが、比較的気温そのものは高く、よって降る雪は雨になって路面はぐちゃぐちゃ。そのくせ強く吹く風は冷たく、踏んだり蹴ったりというのはこういう天候を云うのかもしれません。

 こんばんは、裏部長です。今日は体道の稽古でしたが、師匠より「今日から黒帯を締めてよろしい」とのお達しがあったため、数箇月前にすでにいただいていた黒帯を持って行きました(体道の初段をいただいたのが今年の春であったため)。稽古の最後には、藤谷派糸東流拳法空手道初段補の免状と、浅山一伝流体術地之巻の目録をいただきました。
 実際に黒帯を締めてみた感想は・・・・・・あまり変化はありません。まあ、当たり前といえば当たり前で、今日も来ていた新人のST君など、稽古の中盤までわたくしが黒帯を締めていることに気づかなかったくらいですから、矢張まだ風格が足りないのでしょう。昨日まで茶帯を締めていた人間が一新、今日から黒帯を締めはじめただけに過ぎません。
 ただ、心持としてはやはり感じるところがあります。なにせ空心館の黒帯ですから、感慨もひとしおといったところです。もちろん、まだ「初段」ではなく「初段補」ですから、警察でいえば警部の前の警部補、会社でいえば係長補佐みたいな、つまり、あってないようなものです。初段もしくはその後の段位にむけて、真新しい黒帯を躰に馴らす期間だと思うことにしています。

 ちなみに本日わたくしは、浅山一伝流体術下段之位から、五本目「露返」、六本目「後双手」の二手を教わりました。残りの時間はすべて後輩たちの受けを取っておりましたが、本日めでたく体道初段の免状を受けた部長の技はたしかに巧くなっており、その実感がこちらにも伝わってきて大変嬉しい思いでいっぱいになりました。彼はかねてより体道には苦心しており、またそれをわたくしも知っていたので、まるで自分のことのように嬉しくなってしまったのです。

 いよいよ黒帯も締めるようになったし、空手のほうは課題が山積みだしト、明日からやることは沢山ありますが、焦らず、愉しみながら稽古をしてゆきたいと思います。
 適度な誇りと最低限の責任感。帯にはいつも「空心館」の名のあることを忘れずに。
 裏部長でした。

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2006年12月06日

「締」

 こんばんは、裏部長です。みなさん、お気づきになりましたか。我が札幌支部のBlogの副題がちょっぴり変わっております。以前のごく建前的なものから、師匠考案のやわらかい文章になりました。ま、だからどうしたと云われれば何も返せませんが、とりあえずはリニューアルしたんだぞ、ということだけ把握しといてください。

 さて今夜は空手の稽古でしたが、師匠は七時くらいまで仕事で来られず、わたくしどももてっきり六時に来られるものと思って待っておりましたので、稽古をはじめるのが遅れてしまい、基本稽古を終えようかという時点ですでに七時でした。少し時間を無駄にしてしまいましたね。
 
 今日のわたくしを語るには多くの言葉を要しません。たった一文字で足りてしまいます。
 それは「」です。よく年末に清水寺の和尚か誰かが、その年を象徴する一文字を発表しますが、本日の一文字はこの「締」とさせていただきます。
 これは何も、いやあ今日は締まった稽古になったなあ、ということではなく、締まりのある良い突きができたなあ、という清清しい感想とも違います。ええ、寧ろその逆なのです。
 今日の裏部長はボロボロでした。いや、グダグダだったと云ってもよいでしょう。とにかく突きが全滅状態でした。其場突きは云うに及ばず、追い突き、逆突き、ワン・ツー、すべてが納得の行かぬ中途半端なものに感ぜられて、どうも煮えきっておりません。たまに訪れるこういった稽古を体験するのはたいへん辛いことであります。
 わたくしは不器用なくせに好奇心だけは強いため、今日のように、いろいろな突き方を試したりするのですが、根が不器用なだけに、いろいろやっているうちに元元の自分の突きを見失ってしまい、脱力の程度も忘れて、結局どっちつかずの有様になってしまうのです。
 今日なんぞはその最たる例で、一本として満足のゆく突きを出すことはできませんでした。明日からはこれまで以上に工夫・・・・・・いや、その前に精進し直さなければなりません。

 最後にやった「鷺牌初段」も締めを大切なポイントとする型なので、今後は少し、この締めという考え方を念頭において稽古してみようと思います。
 明日は体道稽古です。
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2006年12月05日

世の中ど〜も嘘でいっぱいだ!!

 こんばんは。裏部長です。札幌は今朝、しんしんと雪が降っておりました。午前七時過ぎでマイナス二度。しかしどういうわけでしょうか、昨日の朝より寒くない。雪には保温効果があると聞いたことがございますが、そのお蔭なのかもしれません。

 今日は昼から街へ出て、ちょっとした買い物をしましたが、有名電気家具量販店にはたくさんの学生たちが見受けられました。もちろん、みんな制服姿です。学校はどうしたのでしょうか。まあ、わたくしも学生時分は学校を抜け出して映画を観たり、買い物をしに行ったりしていたほうなのであまり五月蝿いことは云えませんが、しかしどうなんでしょうね、あそこまで普通に出歩かれてしまうと、叱るべき大人としても戸惑ってしまいます。

 今日は特にこれと云って書くことはございませんが、ひとつ、現在わたくしがはまっているTV時代劇をご紹介しておきます。
 それは『盤嶽の一生』(フジテレビ2002)です。原作は白井喬二(今作は山中貞雄監督のシナリオをもとにしている)、主演は役所広司さん。剣の腕は超一流、しかしシガナイ浪人暮らし、曲がったことが大嫌いで、嘘をつかれると烈火の如く怒る阿地川盤嶽の物語です。全十話。現在はCSの時代劇専門チャンネルで放送されています。

 わたくしが初めてこの作品を目にしたのも同じ時代劇専門チャンネルでしたが、第一話からすっかり惹きこまれてしまいました。とにかく盤嶽というキャラクターが親しみ易かったし、肝心要の殺陣も悪くない。他の演技陣も個性派ぞろいで、しかも演出のほとんどを市川崑さんが手がけておられる。なんとも豪華な、隠れた名品なのです。
 たった十話の短いTVドラマですが、見ることのできる方はぜひ見てみてください。生一本の真面目な浪人・阿地川盤嶽と名刀・日置光平(へきみつひら)による豪快な殺陣、そして見終わったあとに残るさわやかな温かさ、昨今のTVドラマではあまり体験することのできない感動がそこにあります。

 ちなみに、わたしはこの作品で「宇仁貫三」という殺陣師を知りました。

 明日は空手の稽古です。
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2006年12月04日

たったひとつの突き

 こんばんは、裏部長です。今日、札幌は最高気温が氷点下となる、いわゆる「真冬日」となりました。いやあもう寒いのなんの!わたくしは毎朝七時過ぎに自宅を出るのですが、その時点での気温はマイナス四度。そのままとんずらして何処かへ行ってしまいたくなるような寒さです。これからもっと寒くなると思うといまからウンザリします。

 さてさて今夜は師匠不在の稽古日です。まずはそのご報告から。


2006年12月4日(月)曇り。夜、満月を見る。
 午後六時、札幌大学1002教室にて空手の稽古。師匠不在。部長は体調不良のため、欠席。参加者は新人ST、傷だらけのON、少し遅れてOBさん。
 基本稽古ひと通り(蹴りは各種、左右五十本づつ蹴る)。STには、前蹴りには大別して三種類の蹴り方(脱力した足でぶらんと蹴る、初速を疾くして小さく蹴る、ズドンと長く蹴りこむ)があることを説明する。
 ON、しきりと廻し蹴りや横蹴りに違和感を訴えるが、こちらから見たぶんには悪くない。いや、むしろ良すぎるくらいで、多少蹴る位置が低かったり正中線へ達していなかったりするだけであり、フォームとしては申し分ない。この旨はきちんと伝えておく。
 手廻し。
 其場でワン・ツー(刻み突き・逆突き)。ONには脱力を指示、肩の力で突くのではなく、どちらかというと腹(腰)の動きで突くほうがよい。
 STに関しては、刻み突きが若干上へあがってしまう傾向があるくらいで、最初としては左程に悪くはない。
 其場で躰捌き、内受け、逆突き(反撃)移動する際、軸を前足に残しておく、角度は正面に対して斜め四十五度くらい
 移動稽古。追い突き、逆突きを丁寧におこなう。
 約束組手。ONとOBさん、私とSTで組む。以下、まずはSTに対して出した突きの要点。
 足が着地してから突く、突き手を脇から浮かさない力まない(肩を出さない)、引き手を素早く鋭く引く、最後の最後まで突かない、突く瞬間は素早く、受けられ馴れしない、突き手を捌かれても躰(軸)を崩さない
 ONならびにOBさんへは、突いたあとその体勢のまま引き手を大いに引き、その勢いで躰を旋回させて相手へ向きなおる動作をやってもらう。
 STへ出した受けの要点は、前足・後ろ足の順で動かす、前手はほとんど動かさない、軸は前足に残したまま、決して軸を後退させない、その目安は受け終わった位置からそのまますぐに相手へ抱きつけるかどうか、上記の点をきちんと守って動いていれば当たることはない、よって恐れることはない
 ONは追い突きのみでやっているとなかなか良いのだが、次の動作を加えるといらぬ力みが出てきてしまっていけない。いつも通り、もっとさらっと突いてそれから旋回してみよと助言をする。
 OBさんはさほど問題がないように見受けられた。飛び込んで突く形も良さそうだ。
 八時、終了。


 新人のST君はなかなか稽古熱心で頼もしい限りです。わたくしも師匠の方針にならって、今日はどんどんと新しいことを教えてしまいました。移動における逆突き、約束組手における受けなどはその最たるものです。
 しかし、こちらの心配には見向きもせず、彼は吸収してくれました。先週から数えて、約束組手なんぞはまだ今日で二回しかやっておりませんが、すでに追い突きがサマになってきております。
 ONやOBさんは恐らくそろそろ次のステップへ、という段階なのかもしれませんが、そういったことはやはり師匠でないと判らないので、今日は無難な内容で汗を流してもらいました。次の稽古が愉しみです。

 さて問題は自分の追い突きです。今日の稽古の最中にもいろいろと試してみましたが、先日来出ている課題をクリアしそうなものは発見できませんでした。
 工夫としてはいろいろとやってみました。例えば、まったく新鮮な考え方で、引き手を使わずに突いてみたらどうなるか?とか、その延長線上で、腰をまったく切らずに突いてみたらどうなるか?とか、普段はあまりやらないような流れでもって追い突きを試してみたのです。しかし、どれもパッとしませんでした。少し方向性が違うのかもしれません。
 まあこの課題については今日明日中に解決するようなものではないので、焦らず、気長に取り組んでみたいと思っております。

 次の稽古は水曜日です。師走ですから、ウチの師匠もたいへんです。願わくばなにも仕事がなく、門弟諸君もたくさん集まって、みなで有意義な時間が過ごせますように。
 裏部長でした。
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2006年12月03日

中段に集める

 こんばんは。日がな一日ダラダラと過ごしていた裏部長です。今日は本当になにもせず、ただぐーたらしてました。特にこれといってすることもなく、映画を観るわけでも読書に耽るわけでもなく、気づいたときに小説の清書をしたり、ラジオで落語を聴いたりした程度で、ほとんど内容のない日曜でありました。
 よってあまり書くことはないのですが、ふと空手のことで頭に浮かんだことがあったので、それを記して終わりたいと思います。

 それは「突きを中段に集める」ということです。わたくしどものところでは、あまり上段への攻撃をやりませんね。他の空手道場ではさかんに行なわれている後ろ廻し蹴りだとか飛び蹴りだとか、ああいった派手めのものは殆どと云ってよいほどやらないわけですが、こと突きに関しても然りで、わたくしらのようにまだまだ未熟な門弟たちは、突きといえば追い突き、しかも中段への追い突きである、ということになっているのです。
 これについては以前に師匠から説明がありました。上段への突きは相手の顔面ないしは口のあたりを狙うわけだが、胴体にくらべてその面積が非常に小さい。的が小さければそのぶん外れる可能性も高いわけで、また尚且つ、突きというのはどんなもので基本的には相手の躰の下方へむけてその力を伝えなければ効果が薄いため、たとい上段への突きであってもそのように突きたい。これを修得するのは容易でなく、いきなりやっても難しいので、まずは無難なところで中段追い突き、これをメインに稽古するのだ・・・・・・と、こんな説明だったと思いますが、つまりはそういうことで、とっつき易く、それでいてすべての技の根幹をなす中段追い突きをおおいに稽古しているわけなのです。
 ですから現在、追い突き一本だけの約束組手のなかで、わたくしやS呂君、部長あたりがやっているように、二本目三本目を出す際も気をつけて突きを中段へ集めたいものです。特にS呂君はクセで突きがよく上へあがってしまいますから、この点はじゅうぶんに気をつけてもらいたいものです。
 まあ斯くいうわたくしも同様で、相手のドテッパラに弾丸を撃ちこむが如く、両拳をその中段へ叩きこめるよう精進したいと思っております。

 今日はこんなところでご勘弁を。
 さあ、明日からは新たな一週間。今年の稽古ものこり少なくなってきました。
 気合を入れて参りましょう!
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2006年12月02日

成長、頗る爽やかに。

 こんばんは。どうもこのBlogはその繁盛の度合いがまちまちで、賑わっているときとそうでないときの差が大きいですね。盛り上がっているときは次から次へと書き込みがあるのに、無いときはフリーズしたかのように誰も書かない。まあみんなもいろいろとあって忙しいのでしょうが、もそっと参加してくださいな。一行でもいいですから。わたくしの為ではなく、このBlogを読んでくれている、何処かの誰かのために。

 今日はさわやかな映画を観ましたよ。旅するジーンズと16歳の夏(原題:「THE SISTERHOOD OF THE TRAVELING PANTS」』(アメリカ映画2005)という映画です。監督はケン・クワピス。二時間ほどの青春映画です。
 生まれる前からその母親たちが知り合いであったという仲良し少女四人組。何をするにもいつも一緒で、どんな場面も四人でともに乗りこえてきた。
 十六歳になった夏(向こうでは大人になる境界線がこの十六歳という年齢。日本でいう十八歳もしくは二十歳にあたる)。四人で入ったブティックで、彼女たちの誰が穿いてもぴったりとサイズの合う不思議なジーンズを購入。これはなにかの前兆で、このジーンズは魔法の元なのだ、と合点した四人はその夏、それぞれ別の土地で過ごすときに持ち回りでこのジーンズを穿いてみようと計画する。
 ある少女は親類のいるスペインで、ある少女はサッカー・チームの合宿先で、ある少女は離れて暮らしている父親のもとで、そしてある少女はアルバイトの職場とふだんの生活の場で・・・・・・。
 しかし、彼女たちに訪れるのはあまり嬉しくないこと、もしくはただ辛いことばかりで、やっぱりこれはただのジーンズだったのか、と諦めかける。スペインの少女は現地で出会った男性と引き離され、久しぶりに父親と会った少女はその再婚相手だという女と連れ子に唖然とする、チーム・コーチと恋に落ちた少女はそれでもどこか満たされぬ思いで苦しみ、仕事先でもふだんの生活でも素直になれない少女は、どこにいても暗い顔をして過ごさねばならない。
 それでも・・・・・・盥回しにされてジーンズが少女たちのあいだをもう一度巡ってきたとき、状況は少しづつ変化してゆく。恋は実り、友情はもどって、そして、ただ暗かっただけの少女はたれか愛するひとのために、心から泪を流せるようになる。

 と、まあそんな話でありまして、最後はハッピーエンド。落ち着くところへきちんと落ち着くオーソドックスな青春映画でございましたが、わたくしはこういった類の作品が好きですね。なんとも蔭がなくて明るくて、そして爽やか。結末もこれで良いのです。変に奇をてらって不思議な終わり方をせずとも、きちんとストーリーで魅せていれば観客は納得するのです。

 今日のこの映画もきちんとその任を果たしておりましたが、優れた映画の条件としては、エンディングへ至ったときに、主人公が映画のはじめから比べて変化している、というのが欠かせません。つまり成長ですね。
 たとえば、映画の冒頭で不真面目な人間であったなら、最後には真人間になっていなければ失敗です。一匹狼の男は友情を知り、恋に臆病だった少女は最後、きつく結んでいた黒髪をほどいて風になびかせるのです。
 これがどうして必要かといえば、観客はその主人公に自己を投影させて観ておりますから、二時間くらいの間に成長してくれないと気持がわるいのです。だってそうでしょう。アクション映画かなんかで、臆病だった主人公がたれか大切なひとを守るために奮起し、ボロボロになって強敵へ立ち向かうからこそ、「頑張れ!負けるな!」と観客は応援でき、手に汗握るのですから、この成長というポイントは外せないのです。
 そういった意味ではこの映画は成功しています。案外ムダなところも少なかったし、展開のスピードも速い。個人的には好きな作品になりました。

 わたくしたちもこの映画の少女たちのように日日、爽やかに成長してゆきたいものですね。目の前にある壁、問題、葛藤の種から逃げず、立ち向かって解決させ、それ以前よりも強くなった自分を誇れるような、そんな人間でありたいと思います。

 裏部長でした。
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2006年12月01日

三者三様

 こんばんは、躰のあちらこちらが痛い裏部長です。札幌の道路はどこもかしこもテッカテカ、見るからに滑りそうな凍りっぷりです。気温もぐっと下がってきました。
 そんななかでも懸命に稽古をしてきたので、まずはそのご報告から致しましょう。


2006年12月1日(金)晴れ。気づけば今年もあと一箇月。
 午後六時、札幌大学1001教室にて空手の稽古。師匠、部長不在。参加者は新人のST、自虐的なON、少し遅れてS呂。
 基本稽古ひと通り。STには、取り急ぎ云っておいたほうがよいと判断したポイントのみを提示し、あとはポンポンと一気に進めてしまう。以下その内容。
 其場突き:引き手は真っすぐ、背後に壁を想定し、それへ後ろエンピを喰らわすようなイメージで。肩に力を入れない。
 前蹴り:蹴りにつられて腰が浮かないよう注意。足に無駄な力を入れない。
 受け:下段払いは太腿の前で止める。
 廻し蹴り:足先が自分の正中線へ届いているかを確認。ここでも脱力。
 手廻し。
 其場でワン・ツー(刻み突き・逆突き)。軸の安定と前足への移動をおもな注目点として行なう。ST、硬さはあるが、初めてにしてはなかなかの出来。腰の回転による躰の後退にはまだ手をつけていないが、軸の安定性は悪くない。
 移動稽古。STに合わせて、中段追い突きをゆっくりと稽古する。
 後半は約束組手。ONとS呂、私はSTと組んで中段追い突き。ここでのポイントは、足は孤を描いて出す、足を出して(着いて)から突く、引き手を大いに引く、引き手と突き手の終着は同時、腰にタメを作りその解放で突く、肩を出さない、肩に力をいれて固めてしまわない、常に拳面を相手へ向ける、相手の腹を突くのではなく背中を突くようなイメージでetc.
 最後は私が受けを担当し、三人の追い突きを受ける。
 八時過ぎ、終了。


 ST君は今日はじめて追い突きをやったわけですが、初めてにしては上上の出来。ぎこちなさは仕方ないとしても、初段階としてはあまり突っ込みどころのない動きでした。今後が愉しみです。
 ON君の追い突きはもう安易に腹で受けられない段階へと入ってきています。今日は試みにやってみたのですが、軽く呻いてしまいました。軸の移動はなかなかにスムースで、それを拳に乗せられているのでしょう。たしかな成果です。
 S呂君には、追い突き一本目以降の攻撃について。どうしても突き(腕)先行で進んでしまい、足がついてゆかないのですね。下がる若しくは横へ動く相手を追うためには、まず足(腰)先行。相手へ追いつき、こちらの攻撃が届く位置へ入って初めて手を出す、この感覚をつかむのが先決かと思いました。

 しかしまあこうして見ると、本当に三者三様の突きです。ただ単にレヴェルの差という話では片づけられない違いがそこにあるような気がします。同じ師匠から教わっているのに・・・・・・武術とは不思議なものです。

 今日はどっと疲れてしまったので面白いことも書けません。週末に期待しといてください。
 裏部長でした。
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2006年11月30日

「突き」の次元

 こんばんは、裏部長です。雪がふつうに降る季節となりました。現在の札幌は一面の雪景色。まっ白な静寂の夜です。
 今夜は体道稽古の日で、師匠も来られていつも通り稽古をしました。わたくしは浅山一伝流体術下段之位から、二本目「片手締三本目「逆寅返」四本目「打込之押え」の三手を教わりました。いづれも特徴的なものばかりで、新鮮な気持で学ぶことができました。

 さて、空手の「突き」の話ですが、今日は稽古の前に、その凄まじさの一面をわたくしは目の当たりに見ました。着替えていた師匠の右の二の腕に赤く、大きな痣のようなものがあったので、もしや何かお怪我でも?と思い訊いてみたところ、なんてことはない、先週の稽古の約束組手で、わたくしの追い突きが当たったところだったのです。
 規模は拳くらいの円形で、激しい火傷の痕のような、爛れたような真っ赤な痣でした。確かに、わたくしも突きがそこへ当たった記憶があるので間違いないでしょう。あの師匠の痣はわたくしの突きによって拵えられたのです。
 ただ・・・・・・訊いてみると、なんと痛みはほとんど無いというのです。見た目こそかなり痛痛しいのですが、押してみたところで痛みはなし。見かけだおしの痣だったのです。
 そこへ来てわたくしの躰を見てみると、今日は朝からどうも腹筋が痛く、そして着替えをする段になると左胸がなぜか痛むのです。アレ、どっかにぶつけたかな?それとも恋患いかな?とひとり頸を捻っていたのですが、これもなんてことはない、昨夜の稽古で師匠の追い突きが当たったところだったのです。腹筋が痛むのはそれへ耐えようと踏んばったせいだと思われます。
 わたくしの左胸に、痣らしきものは一つも残っておりませんでした。

 この事例からしても判るように、わたくしの現在やっている突きと、師匠の繰り出す突きとでは、そこに大きな差があるのです。いや、差なんてものではありませんね。云うなれば、次元からして違うのです。
 次元です。ルパンの相棒ではありません。四次元ポケットの「次元」です。それほどに質の違いがあるのです。
 それは単に威力の差とも云えるかもしれません。つまり、浸透力としての突きの威力ですね、これが圧倒的に違うとも云えるでしょう。その質の違いを生じさせる要因のひとつが、昨夜の稽古で出された、「一」で突く追い突きというポイントなのでしょう。相手の「一・二」という受け・反撃のタイミングに合わせた若しくは合ってしまっている追い突きは、いくらこちらが一瞬で行なっていようとも、動作としてはやはり「一・二」であるト。これを「一」にしない限り、右脇に隙ができ、容易く反撃を入れられてしまうト、文章にしてしまえばこうなのですが、では具体的にどこをどうすればよいのか、と問われるとここがわからない。難しく考えすぎているのかもしれませんが、とんと見当がつかないのです。

 師匠はこれへ対し、ヒントはすでに出ている、とおっしゃっておりましたので、過去のことを思い出し思い出し、当分のあいだはひとりで工夫し、考えてみたいと思っていますが、しかし、こうも細かな段階に入ってくるとは思いもしませんでした。こんなことをするのはもっとあとかと考えていました。やればやるほど、武術は奥深いものだと再確認させられます。

 明日は師匠不在ですが、空手の稽古をします。寒いですが、足下に気をつけて来てください。
 裏部長でした。
 
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2006年11月29日

単純化思考と単純なる思考の違い

 こんばんは、裏部長です。先ほどあるTVニュースで、北海道の財政赤字の報を聞きました。いやあ、驚いた。わたくしは札幌という北海道随一の都市に住み暮らしているせいか、ただ無知であったためか、それはわかりませんが、夕張があんなことになっているとはついぞ知りませんでした。だって、バス料金が七百円を超えるんですよ。夕張に唯一ある病院には医師がたったの二人、ベッドの数も百七十ほどから一気に四十床ほどまで減らすというのですよ。剥製が鎮座しているだけの地味な施設ばっかり建ててるからそんなことになるのです。地元住民はどんどんと上乗せされてゆく負担に喘ぎ、次から次へと市外へ出ていってしまいます。
 どうにかならないものでしょうか。

 さて、今夜の稽古の感想ですが・・・・・・師匠の報告を見てもわかるように、追い突きに対してある示唆がありました。いや、示唆なんてもんじゃないですね。一種の転換期。技の次元のカルチャー・ショック状態。たいへんな内容のものです。師匠はああやってさらりと書かれておりますが、課題として与えられたこちら側としては、第一段階として、頭のなかで整理をするのにも四苦八苦している状態です。
 ですから、すでに今日もあと数十分しか残っていない今このときに、それへ対する感想を書く余裕はありません。今日の追い突きのことに関しては、明日か明後日あたりに考えてみたいと思います。

 しかし、本日の稽古で得た教訓としては、タイトルの通り、技を考察するときに必要なのは、その全貌を単純化して捉え、そこから奥へ入ってゆくやり方であって、すべてを単純なものとして解釈してしまうものではないということです。つまり、右拳で中段追い突きをした際、その脇あたりに隙が出来る。反撃を入れることができる。それをどうするか、となったときに、ただ単純に、じゃあ前手を腰へ引かずにそれで防げばいいじゃないか、とした、その浅ましき思考法!これが裏部長の限界なのかもしれません。
 なんとも支離滅裂な文章ですみません。明日以降、きちんと整理して書きます。

 明日は体道稽古です。
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2006年11月28日

一本道に命を賭ける

 こんばんは。身を刺す北風にぶるぶると震えている裏部長です。どうも一番太っていた高校時代の体重から二十kgほど落として現在のウェイトになってからというもの、とんと寒さに弱くなってしまいました。以前に体脂肪率を計ってみたらなんと十四%。案外、皮下脂肪が薄くなったのかもしれません。

 さて、今日は稽古のない日ですので、これといって書くこともないのですが、何気なく観たある映画にとても大切なことを教わったような気がしたので、そのことをさらっと書いておこうと思います。

 観た映画は、『殺陣師段平』(日本映画1962)です。監督は瑞穂春海、脚本をなんとあの黒澤明さんが書いている大映作品です。
 主演は中村鴈治郎さん、そして市川雷蔵さん。大正時代、飛ぶ鳥をおとす勢いだった劇団「新國劇」の殺陣師であった市川段平の生涯を描く、一時間半ほどの映画でしたが、古きよき関西弁が心地よく、また当時の演劇やその所作などを見ることができて、とても良い勉強になりました。
 中村鴈治郎さん演ずるところの市川段平は古い時代の殺陣師。歌舞伎のような、舞うが如く大仰な型のある殺陣をよしとし、新國劇の看板俳優・沢田正二郎(市川雷蔵)にその殺陣をつけさせてもらうよう心願するが、沢田は旧態依然とした古臭い型ではなく、リアリズムのある殺陣を要求、ガンコな段平はひとり取り残されてしまう。
 そのうち、東京でもそのリアリズムに溢れた殺陣で人気を博し、なかば必要のなくなってしまった段平は劇団の看板を木刀で叩き割り、大坂へ帰ってくる。と、以前から乾いた咳をしていた愛妻は死んでおり、ふたつの絶望に苛まれて段平は倒れてしまう。
 五年後、すっかり人気俳優となった沢田はしかし、さまざまな場面で段平のことを想い出していけない。当時、自分たちはあいつを滑稽に思っていたが、いま考えると、滑稽だったのはこちらのほうだ・・・・・・。もう一度会ってみたいと思う。
 当の段平はすっかり寝たきり。手も満足に握れない。しかし、いざ新國劇のチラシなんぞを見ると一気に血がたぎって、フラフラになりながら立ち上がり、棒を持って立ち廻りをやったりする。
 ある夜、そんな段平がいなくなる。実の娘はあわてて新國劇の劇場へゆく。事態を知った沢田はいそいで探す。と、真っ暗になった客席に段平がいる。
 沢田に抱えられて家へもどってきた段平、沢田と無言のうちに和解。今度新しく戯曲に加わった難しい場面の殺陣を、絶え絶えの息のなか、のたうちまわりながら演じてみせる。もう坐る気力もない。沢田に支えられ、最後の息をしながら段平は云う。
「これがリアリズムや。これが段平の、リアリズムの殺陣や」(その場面の主人公は段平と同じく病身で、そこへ踏み込んできた捕り方との立ち廻りなのだ)
 沢田は静かにその両目を閉じてやった。

 なんとも切ない作品でしたが、わたくしはこの市川段平というキャラクターから大切なことを学んだような気がします。
 それは、ひとつの道に生きる、ということです。作中にこんな台詞があります。
「私にとって芝居は命そのものだ。段平、お前にとっては、殺陣こそが命なのだろう」
 これは雷蔵さんの台詞ですが、たしかにそうなのです。この段平という人物、何はともあれ殺陣のことしか考えない。愛妻のことも、仲間のことも上司のことも、金のことなんか目もくれない。ただ殺陣らしい殺陣を芝居につけ、それをお客に見てもらいたい、拍手を浴びたいという思いだけで生きているのです。
 だからこそそれが不必要だと知ったとき、絶望に暮れて倒れてしまったのだし、最後、坐る体力さえすでに失われていながら、芝居に新しく加えられた場の殺陣を気力だけで演じてみせる。そして、死するのです。
 雷蔵さん演ずる沢田は最後、こんなことを云っています。
私も、段平のように死にたい

 まあ映画として観ているからそんな呑気なことが云っていられるのであって、いざ自分がそんな立場に立ったときに、本当に命をかけてその道に邁進できるか?と訊かれたら、今はまだ自信がありません。人生は良くも悪くも誘惑に満ちていますから、もしかしたら何処かでまったく違う道へ足を踏み入れてしまうかもしれない。それはまだわかりませんが、しかし殊武術に関しては胸を張ってそう云えます。
 我が武術人生はすべからく、空心館とともにあり、と。

 明日は空手の稽古です。
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2006年11月27日

観る目

 こんばんは、裏部長です。もう早いもので、今週末から十二月が始まります。札幌支部の稽古は二十二日までと決まりました。門弟諸君は悔いの残らぬよう、来られるだけ稽古へ来てください。
 さて、本日月曜日は師匠不在の稽古日ですが、一応、やってきましたので、そのご報告と参りましょう。


2006年11月27日(月)曇り。TVではロシアのスパイのニュースばかり。
 午後六時、札幌大学1002教室にて空手の稽古。師匠不在。定時になって集まったのは部長のみ。六時半まで待って誰も来なければ始めてしまおうと云い合い、そして結局たれも来なかったため、二人ぎりで稽古をする。
 基本稽古は軽めに受け四種まで。
 型。一応、私のほうが年長者で、また先日、初段の型である「鷺牌初段」をすでに教わっているという建前から、私よりも部長メインで稽古する。以下その注意点。
 『腕秀』:この型における下段払いは、これまでやってきた横へ払うものではなく、どちらかといえば相手の足の肉を削ぎ落としてゆくような、真下へ落とすような受け方なので、それを各所で意識する。自然、その際の猫足立ちも落とすように行なう。下段払いからの掛け受け、逆突きは受けの反動(蹴りを受けているため)を活かして行なう。受けと攻撃のメリハリ。動くところと止まるところ。
 『転掌』:三戦立ちになるとき、どうしても足下から上がってきた締めに押し上げられて腰が浮き、その結果膝が伸びてしまう。これを抑えるため、両膝は内股になるほど曲げて締め、決して伸び上がってしまわぬよう心がける。未だぎこちない掛け受け、要稽古。終盤の「風車」はもっと速く動いてよい。
 後半は約束組手。先週水曜日の稽古内容を受けて、隙を防いだ追い突きから自由な攻防を試みる。互いに問題点おおいにあり。
 八時、終了。談話室にてONとS呂に会う。追い突きのこと、他団体の武術を観る目についていろいろと話して散会する。

 
 上記のとおり、今日は部長とわたくしの、たった二人ぎりの稽古でございました。札幌支部が発足した当初はよくある光景でしたが、最近では珍しい事態であります。
 本日の稽古のなかで、わたくしが特に問題意識を持ったのが、「理想像」についてです。約束組手をしているときに、ふと思いついて部長に、
空心館の諸先輩方(師匠、師範も含めて)のなかで、誰かお手本にしてる人っている?
 と訊いてみたところ、案の定、
「いえ、特に誰というひとはいません」
 部長はそう答えました。これは案外深刻なことかもしれません。

 武術に限らず芸事というものは、まず師匠や先輩方の動きを真似るところから修行は始まります。最初はただの物真似でよい。それでも良いからとにかく真似をする。同じ動きをやってみる。するとそのうち、躰がその動作に馴れてきて、自分のなかに感覚が生まれてくる。この感覚をもとにして自分だけの芸(技、個性)を作ってゆくわけだが、この作業がないと、いきなり土台のないただ更地にビルを建てろと云われているようなもので、非常に危ないように思えるのです。
 例えばわたくしなんかは、これは以前にも書いたかもしれませんが、師匠と、栃木のY先生の動きを足して二で割ったような武術家になりたいと思っております。その方針に従って、両師の動きを生で、またはVTRで飽きるほど観察し、実際の稽古でその真似をしてみます。これは別に誰かからそう云われたわけではなく、ただ自分がそうしたいからそうしているだけなのですが、しかしこの真似るという作業を経ているだけに、形の定まる時間が他の後輩たちにくらべて若干短いようにも思えるのです。
 というのも、すでに半ば整っている師匠方の動きを真似ているわけですから、腕前の差こそあれ、吸収の早いのは当たり前なのです。部長はこれをして来なかったのですね。
 
 別に誰かを目標にしなくちゃ武術ができないわけではありません。唯一無二になるということは個性を活かすという意味で云ってもたいへん有意義なことだと思います。ただ、まったく基盤のないところへ何かを生み出そうとしても、そりゃ困難になるはずです。だって依るところが無いのですから。肉体という土地があっても、真似た末に躰へ染みついた感覚という名の土台がない限り、そこにビルは建たないのです
 ですから、部長、そして後輩諸君も、誰か真似たい対象を見つけてください。栃木の諸先輩方でもいいし、もちろん師匠でも良い。自分の目標とする、お手本のひとを探してください。そして大いに真似てみてください。わたくしのように、これはI先生の追い突き、これはO先輩の追い突き、これは師匠の受け方、これはY先生の追い突きからの変化、と、いろいろなひとの動きを真似て見せる必要はありませんが、少なくとも誰かひとりの真似はできるようにしておいてください。そうすればきっと必ず動きに変化が現れ、そして今よりも、もっともっと巧くなれるはずです。

 稽古のあと偶然会ったS呂君らと話したとき、出てきた「観る目」の話は上記のものとも共通しますね。つまり、日頃から師匠の動きを具に、これでもかこれでもかと見ていると、たとえば師匠のもとで稽古する前に見て感動していた他団体の武術の技も、ただ速いだけ、ただ派手なだけ、ただ恰好がよいだけ、と、その悪い点もきちんと見抜くことができるというわけです。S呂君はもうその感覚を得たようです。
 今日はあえて「観る」と書きました。この意味は各人いろいろと考えてみてください。

 次の稽古は水曜日です。
 裏部長でした。
posted by 札幌支部 at 22:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

観る目

 こんばんは、裏部長です。もう早いもので、今週末から十二月が始まります。札幌支部の稽古は二十二日までと決まりました。門弟諸君は悔いの残らぬよう、来られるだけ稽古へ来てください。
 さて、本日月曜日は師匠不在の稽古日ですが、一応、やってきましたので、そのご報告と参りましょう。


2006年11月27日(月)曇り。TVではロシアのスパイのニュースばかり。
 午後六時、札幌大学1002教室にて空手の稽古。師匠不在。定時になって集まったのは部長のみ。六時半まで待って誰も来なければ始めてしまおうと云い合い、そして結局たれも来なかったため、二人ぎりで稽古をする。
 基本稽古は軽めに受け四種まで。
 型。一応、私のほうが年長者で、また先日、初段の型である「鷺牌初段」をすでに教わっているという建前から、私よりも部長メインで稽古する。以下その注意点。
 『腕秀』:この型における下段払いは、これまでやってきた横へ払うものではなく、どちらかといえば相手の足の肉を削ぎ落としてゆくような、真下へ落とすような受け方なので、それを各所で意識する。自然、その際の猫足立ちも落とすように行なう。下段払いからの掛け受け、逆突きは受けの反動(蹴りを受けているため)を活かして行なう。受けと攻撃のメリハリ。動くところと止まるところ。
 『転掌』:三戦立ちになるとき、どうしても足下から上がってきた締めに押し上げられて腰が浮き、その結果膝が伸びてしまう。これを抑えるため、両膝は内股になるほど曲げて締め、決して伸び上がってしまわぬよう心がける。未だぎこちない掛け受け、要稽古。終盤の「風車」はもっと速く動いてよい。
 後半は約束組手。先週水曜日の稽古内容を受けて、隙を防いだ追い突きから自由な攻防を試みる。互いに問題点おおいにあり。
 八時、終了。談話室にてONとS呂に会う。追い突きのこと、他団体の武術を観る目についていろいろと話して散会する。

 
 上記のとおり、今日は部長とわたくしの、たった二人ぎりの稽古でございました。札幌支部が発足した当初はよくある光景でしたが、最近では珍しい事態であります。
 本日の稽古のなかで、わたくしが特に問題意識を持ったのが、「理想像」についてです。約束組手をしているときに、ふと思いついて部長に、
空心館の諸先輩方(師匠、師範も含めて)のなかで、誰かお手本にしてる人っている?
 と訊いてみたところ、案の定、
「いえ、特に誰というひとはいません」
 部長はそう答えました。これは案外深刻なことかもしれません。

 武術に限らず芸事というものは、まず師匠や先輩方の動きを真似るところから修行は始まります。最初はただの物真似でよい。それでも良いからとにかく真似をする。同じ動きをやってみる。するとそのうち、躰がその動作に馴れてきて、自分のなかに感覚が生まれてくる。この感覚をもとにして自分だけの芸(技、個性)を作ってゆくわけだが、この作業がないと、いきなり土台のないただ更地にビルを建てろと云われているようなもので、非常に危ないように思えるのです。
 例えばわたくしなんかは、これは以前にも書いたかもしれませんが、師匠と、栃木のY先生の動きを足して二で割ったような武術家になりたいと思っております。その方針に従って、両師の動きを生で、またはVTRで飽きるほど観察し、実際の稽古でその真似をしてみます。これは別に誰かからそう云われたわけではなく、ただ自分がそうしたいからそうしているだけなのですが、しかしこの真似るという作業を経ているだけに、形の定まる時間が他の後輩たちにくらべて若干短いようにも思えるのです。
 というのも、すでに半ば整っている師匠方の動きを真似ているわけですから、腕前の差こそあれ、吸収の早いのは当たり前なのです。部長はこれをして来なかったのですね。
 
 別に誰かを目標にしなくちゃ武術ができないわけではありません。唯一無二になるということは個性を活かすという意味で云ってもたいへん有意義なことだと思います。ただ、まったく基盤のないところへ何かを生み出そうとしても、そりゃ困難になるはずです。だって依るところが無いのですから。肉体という土地があっても、真似た末に躰へ染みついた感覚という名の土台がない限り、そこにビルは建たないのです
 ですから、部長、そして後輩諸君も、誰か真似たい対象を見つけてください。栃木の諸先輩方でもいいし、もちろん師匠でも良い。自分の目標とする、お手本のひとを探してください。そして大いに真似てみてください。わたくしのように、これはI先生の追い突き、これはO先輩の追い突き、これは師匠の受け方、これはY先生の追い突きからの変化、と、いろいろなひとの動きを真似て見せる必要はありませんが、少なくとも誰かひとりも真似はできるようにしておいてください。そうすればきっと必ず動きに変化が現れ、そして今よりも、もっともっと巧くなれるはずです。

 稽古のあと偶然会ったS呂君らと話したとき、出てきた「観る目」の話は上記のものとも共通しますね。つまり、日頃から師匠の動きを具に、これでもかこれでもかと見ていると、たとえば師匠のもとで稽古する前に見て感動していた他団体の武術の技も、ただ速いだけ、ただ派手なだけ、ただ恰好がよいだけ、と、その悪い点もきちんと見抜くことができるというわけです。S呂君はもうその感覚を得たようです。
 今日はあえて「観る」と書きました。この意味は各人いろいろと考えてみてください。

 次の稽古は水曜日です。
 裏部長でした。
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2006年11月26日

魔のトライアングル

 こんばんは、裏部長です。鍋の似合う季節になってきました。各地方それぞれにお得意の鍋料理というものはあるのでしょうが、わたくしどもの家では海鮮系が多いでしょうか。鮭、白身魚、帆立などなどの魚介類と野菜を、塩味や味噌でもってあっさりといただく。なんとも美味しいひと時でございますなあ。
 ちなみに、今夜のわが家の夕食は「しゃぶしゃぶ」でした。

 H君ならびにS呂君、コメントありがとう。最近書き込みが少ないぞ!と云ったらすぐに書き込んでくれたようで、なんとも嬉しい限りです。
 H君は拳に火傷を負いながらも懸命にアルバイトを続けているようで感心です。冬はおでんの季節ですからね、店員さんも大変ですよ。
 ああ、そういえば最近、コンビニのおでん、食べてないなあ。

 金田一耕助シリーズの一本『八墓村』はまだ観ていません。映画好きとしてはお恥ずかしい限りですが、いづれ観てみようと思っています。あれもまたいろいろと込み入っていそうで今から愉しみです。
 そんな裏部長、今日は朝から映画『病院坂の首縊りの家』(日本映画1979)を観てすっかり臨戦態勢。昼食をはさみ、午後からはWOWOWにて、アメリカとイギリスの合作TVドラマ『バミューダ・トライアングル』をなんと四時間半にわたって鑑賞しました。いやあ、これが疲れた!
 なんといっても四時間半ですからね。しんどいったらありゃしない。加えて、作品のなかにところどころ中弛みがあって、油断するとすぐウトウトしてしまうんですから、六時を迎えたときにはもう疲労困憊ですよ。せっかくの週末にわたくしは何をしているのでしょうか。
 ストーリーとしては単純明快。海洋事故などが絶えないバミューダ・トライアングルと呼ばれる海上区域でさまざまな出来事が起き、輸送業をしている男はその原因究明のため、いろいろな分野の専門家四人を招いて、約五千万円の報酬とひきかえに調査を依頼する。それぞれ金に困っていた四人であったから承諾、オフィスのあるところまで行こうとするがその矢先、同じ空港から飛び立った飛行機がその問題の区域で墜落したという・・・・・・。
 次次と起こる不可解な出来事。裏で暗躍する人間たち。四人はさまざまな障害に苦しみながらも、「魔のトライアングル」の謎に迫ってゆく。
 まあ、こんな感じなのですが、わたくしも途中何度か意識が遠のいて記憶がないので確かなことは云えません。詳しいことが知りたいひとはDVDかなんかを借りて自分で見てください。

 わたくしも僅かな知識のなかでこのバミューダ・トライアングルについて知っておりましたが、どの世界どの時代にも「魔のトライアングル」というのはあるもので、斯くいう現在のわたくしの生活がそうです。
 つまり、自宅―仕事場―稽古の「魔のトライアングル」ですよ。良くも悪くも、現在のわたくしはこの三点から外へ出ることがありません。
 なあんだ、仕事をして、あとは好きなことだけをして生きていられるのなら本望じゃないか、と云われるかもしれませんが、わたくしが望んでいる生活はこんなものじゃありません。云うなれば、「夢のハーフ・サイクル」を目指したいのであります。
 簡単にいえば、上記の三点から「仕事場」を抜いてしまって、二点とし、その描く図を半円にする、というものです。仕事場を抜くというのは別にプータローになるということではなく、自宅でおこなう仕事、つまりは書くことだけで生活をするということに外ありません。
 もしこの理想が叶えば、わたくしは自宅(兼仕事場)と稽古の二点行ったり来たり生活に浸り、「夢のハーフ・サイクル」の住人と化して充実した日日を送れるだろうと思うのですが、今はまだ荒れ狂う大海のなか、光にみちた新大陸を発見できずにいます。
 ああ、コロンブスよ。我が大陸はいづこに・・・・・・。

 あんまりつまんないことばっか書いていても仕方がないので、今日はこれくらいにします。
 明日からは新たな一週間。月曜日から稽古は通常どおりありますよ。
 裏部長でした。
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