2007年01月04日

「昔」しかない

 こんばんは、裏部長です。あっという間に正月の三が日も終わりを告げ、今日からが御用始という方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。
 今日の札幌はなかなか暖かく、まさに暖冬を思わせる日和でした。まだ御用始ではない裏部長は友人と会い、街へと繰り出したのですが、これが出てみて吃驚。どこもかしこも押すな押すなの大賑わい。映画館など、チケットを買う長蛇の列がフロアのほとんどを占め、カウンターへ辿りつくまでに数十分を費やすというほどの混雑ぶり。元からあまり人ごみの好きではない裏部長はそれだけでヘトヘトになってしまいました。
 冬休み中の家族連れほど強いものはありませんね。

 さて、今日はそんな一日だったので、これといって書く特別なことはないのですが、二冊ほど興味ぶかい書物を入手してきたので、これをご紹介いたします。
 その題を、『攻防自在護身術空手拳法』『攻防自在・空手拳法 十八の研究』といいます。筆者は糸東流開祖の摩文仁賢和さん。解説は、前書を宮城篤正さん、後書を津波清さんが書かれています。
 出版元はいづれも榕樹書林です。同社から出ている同氏の本としては、『攻防拳法空手道入門』もありますが、こちらに関してはすでに、函入りのもので入手をしていたため、今日はこの二冊のみを買ってきたわけです。
 いやあ、書店で見つけたときは驚きました。まさかこんな復刻版が出ていようとは思いませんで、すぐさま手に取りました。わたくしの持っている『攻防拳法〜』のほうは榕樹社刊のもので、今回のこの二冊はそれを薄めのソフト・カヴァに直した復刻版なのですが、毎週のように各書店をめぐる裏部長としては不覚としか云い様がありませんでした。
 内容としては、まだざっとしか目を通していないので詳しく書くことはできませんが、前者は空手そのものの概略を、後者はタイトルの通り、型「十八」の解説を書いているもののようです。どちらも当時の字、当時の写真をそのまま載せているので、温故知新好きな裏部長にとっては格好の資料となりそうです。

 いや、というのも、わたくしどもにとって、空手における“使える資料”というのが本当に少ないからそう云うのです。わたくしが師匠のところへ入門をしてすぐの頃、手本にすべき空手関係の本はありませんかと尋ねたときに教えてもらったのが『攻防拳法〜』のほうで、その他の空手関係書籍はあまり内容がないということでした。現に今も、わたくしの目から見ても、通常どんなに大きな書店であっても、武道コーナーに置いてある空手本のなかで、金を払ってまで読む必要のあるものは殆どありません。ほとんどが格闘技被れ、スポーツ被れの空手であり、いくら「武道空手」とか「武術カラテ」とかを謳っていてもその実、開いてみれば、ガラッと開いた脇が見えるひとばかりが載っているのです。
 わたくしが書店で買った空手関係の本としては、『武道空手への招待』/摩文仁賢榮(三交社 2800円+税)『空手道教範』/山口剛玄(東京書店 3000円+税『本部朝基と琉球カラテ』/岩井虎伯(愛隆堂 1500円+税『琉球拳法空手術達人 本部朝基正伝』/小沼保編著(壮神社 2000円+税、このほかに、宇城憲治さんの本を三冊ほどと「空手上達BOOK」なるスポーツ空手寄りの入門書くらいなものです。あとはほとんど自分の稽古帳がテキスト代わりになっています。

 やっぱり、資料を求めるには「昔」のものでなくてはいけないのでしょうかねえ。何とも哀しい限りですが、現実としてはそのようです。
 なお、今日買った二冊に関してはすぐに読んで、近日中にその感想もここへアップしておこうと思います。
 裏部長でした。
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2007年01月03日

『火焔太鼓』

 えー、人間というものはそれぞれに、その、趣味というものを持っておりますな。あるひとはスポーツに凝り、またあるひとは車なんかに凝って毎月数十万単位の出費をする、なんてことがあるそうですが、なかにはこう、買い物が趣味であるという方がいらっしゃる。これは特にご婦人のなかに多いそうですが、もう買い物をしていればそれだけでストレスが発散できちゃうという、なんとも簡単な趣味でございます。ただこの趣味、周りのひとたちが簡単じゃあない。ネ、想像してみてください。買い物が趣味というご婦人方は、旅行へゆけばその先先のものはもちろん、海外なんぞに行きますとね、もうブランド物を片っ端から買い捲るわけで・・・・・・ご家族連れの方なんかは悲惨ですな。お母さんの買い込んだ紙袋を両手に持たされたお父さんと、「もう帰ろうよ!」を連発する子供たち。当のお母さんはなんといっても買い物そのものが趣味ですから、もう愉しくてしょうがない。一時間でも二時間でも店んなか歩いてる。ご家族のなかに荷物の持てる余裕がなくなったのを見て、
「そろそろホテルへ帰ろうかしら」
 なんてお母さんが云うと、もうお父さんなんかは大喜び。ただ空気の読めない次男坊かなんかが余計な料簡でもって、
「お母さん、あっちのほうにまだお店あったよ」
 なんて云ってお父さんに殴られたりして・・・・・・でも、お母さんは抜かりなし。平然とした顔で、
「うん、大丈夫。あっちのほうは明日まわるから」
 もう、ここまで行くと拷問でございますな。

 ただ、こういう趣味の方を友達のなかに一人持っておくと何かと便利です。というのはお店をいろいろ知っておりますから、自分になにか欲しいものができたときには助言を得られるわけです。まあ云わば生き字引ですな。やれ洋服はどの店がいいだの、靴はどこのショップがいいだのと教えてくれます。たいへん重宝なものです。
 買い物といえば、江戸時代。あのころは様様な店がひとつづつのジャンルにわかれて町内に集まって商いをしておりました。今でいう秋葉原のようなものですが、このなかに「道具屋」という職業がございます。
 この道具屋にもいろいろとありまして、上のランクのお店というのはいわゆる骨董なんていうものを扱う、われわれ庶民には手の出ないところですな。やれこの茶碗は一見ただのボロい塵のようだけども実は十両二十両という貴重品だとか、この掛け軸は一見してただのボロ紙のようだがその実、一千両より下では取引ができぬ、なんていうものまであったそうです。こんなところへ来るのはお大名か大きな商家のお内儀さんくらいなもので、高級すぎてあまり落語にはなりません。
 もう少しランクが下がって来ますと、今度は珍しいものばかりを扱うお店というのがあったそうでございます。珍しいもの、珍品というやつですな。ほかの店では決して見られぬようなものばかりを扱っている、といえば聞こえはいいですが、そのなかには少なからず怪しいものがあったようで・・・・・・。
「どうだい、何か珍しいもんないかい」
「そうですねえ、珍しいものねえ。いやね、あなたはいつもウチでお買い物をしてくれるのでね、何かよいものをご紹介したいんだけども・・・・・・あっ、そうそう。こんなのがありますよ。どうです、古い手紙なんですがな」
「えっ、古い手紙?いいね。古い手紙とかな質屋の証文なんてえのは表具をして額かなんかに飾っておくと乙なもんだよ。うん。で、そりゃどんな手紙なんだい?」
「えー、なんでございますねえ、小野小町が浅野内匠頭へ出した手紙なんですがな」
「おい、ちょっと待ってくれよ。そ、そりゃあお前、いくらなんでも乱暴な話じゃないかい。第一、小野小町と浅野内匠頭じゃ時代がちげえや。そんな手紙あるわけねえ」
「ええ、そうです。あるわけないのがあるので珍しいんで」
 なんて、ほとんど騙されているようなものもあったそうで・・・・・・ただ、じゃあそんなお店にはお客さんが来なかったかというとそうではない。やっぱりどの世にもオタクという人種はいるようで、こういった珍品ばかりを集めているコレクターが引っ切り無しにやって来たそうです。
「なあ、こないだここで買ってった振り子の取れちゃってる柱時計ね、静かでいいなあと思って家んなか置いてたんだけども、やっぱり振り子が取れてるから動かねえんだよ、うん。最初のうちは、何時かな?ってときに違う時計見てはこっちの針を動かしてた、こう指でね・・・・・・コレなかなか愉しかったんだけども、やっぱり飽きちゃった。面倒臭くなっちゃって。だからよ、今日これ持ってきたからさ、何かちがうもんと取り替えてくんねえか」
「ああ、ちょうど良うございました。さきほど振り子だけ入りました」
 って、品物別別にして売ったりなんかして・・・・・・そんなお店が当時はたくさんあったそうでございます。
 ですから、そういったお店の主人というのには品物が売れても売れなくてもどっちでもいいというようなごく呑気な人が多かったそうで、逆に、こういったところのお内儀さんは強く逞しくなるようでして・・・・・・。

「ちょいと!ちょいと!」
「あぁ?なんだい」
「なんだいじゃないよ。ちょいと来なさいよ。こっちに来なさいってえの!」
「んだよ、うるせえな・・・・・・なんだよ」
「何だよじゃないよ。んもう、どうしてお前さんはそう商売が下手なんだろうね」
「えっ、なにが」
「何がじゃないよ。そうじゃないか。さっきだって店に来た客逃がしちゃったろ」
「逃がしたって、向こうで買う気がないから帰っちゃったんだろ。それをおめえ、無理にとっ捕まえて売るわけにいかねえじゃねえか」
「売るわけにいかねえだろって、お前さんが買いたくなくなるようなこと云ったんじゃないか。わたしゃ聞いてて驚いたよ。エ?あのお客は店のタンスに惚れこんで入って来たんだよ。店んなか入るなりスゥっとあのタンスの前ぃ行った。で、“ああ道具屋さん、このタンスはいいタンスだなあ”て云ったらお前さんなんて云ったの?“ええ、いいタンスですとも。何せうちの店に十三年あるんですから”って・・・・・・ど、どうしてそういうこと云うの、お前さんは。十三年あるって、そりゃ十三年売れずに残ってるってことだろ!そんなことが自慢になるかい?“この引き出し開けてみてくんねえか”ってたら“それが開くくらいだったらとうに売れちまってんです”って云いやって・・・・・・“じゃあ開かねえのか”っつったら“いや開かないこともないけども、こないだ無理に開けて腕くじいちゃった人がいる”って云いやがる。そんなことを云うから向こうで呆れて帰っちゃうんだよ」
「だって、そりゃお前・・・・・・そ、そうだよ。俺は正直に云ったんだ」
「正直っつったってね、お前さん、正直にも程があるよ。お前さんの正直には頭に馬鹿がつくよ、本当に。いいかい、いつも云ってるけどね、商売というのは物を売ってナンボなんだよ。それがお前さんはどうなの。売らなきゃいけないもの売らないで売らなくてもいいもんばっかり売っちゃうんだから。そうじゃないか、去年だよ、去年。向かいの米屋のご主人がうちに遊びにきてさ、“ああ、甚兵衛さん家の火鉢はいい火鉢だなあ”って云ったら“あっそうですか、じゃあお売りしましょう”って売っちまったろ。あれからウチに火鉢がなくなっちゃったじゃないか!寒くなると向かいの家に毎日あたりに行ってたお前さん。だから米屋のご主人がそう云ってたよ。何だか知らないけど甚兵衛さんもいっしょに買っちゃったような気がするって」
「・・・・・・うるせえな!」
「うるさくないよ。わたしゃもう見てられないんだ、黙っていられないんだよ。んもう、お前さんがちっとも商売に精を出してくれないからさ、こっちはおまんまの食い上げだよ。すっかり控えちまってるんだ。胃がすっかり丈夫になっちゃってるよ、本当に。たまには胸焼けするくらい何か喰わせてみたらどうだい!・・・・・・で、今日は市に行ってきたの?なに仕入れてきたのよ」
「いいよ、何だって」
「よかないわよ。何よ、なに仕入れてきたの?云いなさいよ。云いなさいってえの。何故云わないの・・・・・・云わないかッ!」
「おい、俺はおめえの子供じゃねえんだ、馬鹿。お前の亭主だ。なんだその口の効き方は」
「だってお前さんが云わないからだよ。なに買ってきたの?云いなさいよ」
「う、うぅ・・・・・・た、太鼓だよ」
「えっ?」
「太鼓」
「太鼓?・・・・・・んもう、だからお前さんは頭のなかに靄がかかってるって云われるんだよ!いいかい、太鼓というものはね際物といって、お祭り前とか初午前とかにバッと買ってタッと売らなきゃ商売にならないんだよ。それもお前さん、ここ!頭の働くひとのやることで、お前さんみたいに人生ついでに生きてるようなひとに扱えるわけないんだ、どうしてそんな簡単なことがわからないかねえ・・・・・・で、その太鼓どこにあんの?」
「えぇ?いいよ、もう」
「よかないわよ。見せなさいよ、見せなさいっての・・・・・・見せないかッ!」
「また始めやがった、ったく・・・・・・ホラ、これだ」
「まあ、汚い!なによ、これ・・・・・・どこもかしこも真っ黒じゃないの。うわあ汚い!」
「それがお前は素人だってんだよ。これは汚いんじゃねえんだ、これは時代がついてんだ、古いんだ。古くて時代がついてるってえと、ときに儲かることが」
「無いよ。お前さん古いもので儲けたことあるかい。こないだだって平清盛の尿瓶ってえの買ってきて損しちゃったろ」
「う、うん、ありゃ損したよ。でも、俺が古いもんで損したのは清盛の尿瓶とさ、岩見重太郎の草鞋だけだよ」
「そんだけ損してりゃ十分なんだよ・・・・・・で、これ幾らで買ってきたの?」
「・・・・・・い、い、一分二朱だよ」
「えっ?」
「一分二朱」
「一分二朱?お前さん、ちょっとしっかりしておくれ。いつも云ってるだろ、少ししっかりしなくちゃいけないって。寝てるときはいいよ。起きてるときくらいしっかりしておくれ。お前さん寝てるときも起きてるときも同じなんだから・・・・・・いいかい、一分二朱なんていったら世間では所帯が持てるっていう金額だよ、これだけありゃ新しい生活が始められるってんだ。それをお前さん、こんな汚い太鼓に使っちまって・・・・・・こりゃ一分二朱そのまんまドブに捨てちまったようなもんだ」
「いいよ、うるせえな、お前は黙って見てりゃいいさ。俺のほうで見事に売って見せるから・・・・・・おい、定吉!」
「へえーい」
「この太鼓な、表出して埃はたいとけ」
「およしよ。埃はたくってえと太鼓がなくなっちゃうから」
「うるせえな、こん畜生。いいからホラ、早く持ってっちまえ」
「へえーい」

 と、ここからストーリーは急展開。店へ出していた汚い太鼓、定吉がホコリをはたくとそれだけで見事な音が出る。「誰が叩けって云った!ホコリをはたけって云ったろ!」と主人の甚兵衛さんが叱っているとそこへ老年の武士が入ってきて「ただいま太鼓を打ち鳴らしたのはそのほうの家であるか」と訊いてくる。恐る恐る対応すると、なんでもその武士のお殿様が太鼓の音を聞いてたいそう気に入り、屋敷に持参いたせと云っているらしい。もしかするとお買い上げになるかもしれないとも・・・・・・。
 甚兵衛さん、奥さんに釘を刺されながら意気揚揚とそのお大名のお屋敷へ・・・・・・となるのですが、今日はここまで・・・・・・っていうか、話芸を活字にすることに疲れてしまいましたもうやだ〜(悲しい顔)やっぱり生きた言葉を文字に、文章にするのは大変です。『火焔太鼓』はわたくしの最も好きな噺だったので、もっとスラスラ行くかなとも思ったのですが、やっぱりシンドイ作業でした。もし続きが知りたい人があれば、云ってください。もしいなければ今日で新春落語Blogは終演、読みきりといたします〜(講談調)。
 ちなみに上記の流れはほとんど、三代目古今亭志ん朝師匠のものを応用しております。聞きたいひとはそのCDでもどうぞ。

 明日からはふたたびもとの空心館札幌支部のBlogにもどります。
 裏部長でした。
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2007年01月02日

『寿限無』

 こんばんは、裏部長です。お正月につきものっていうと、かくし芸大会とかお餅とか、あとは初夢くらいなものでしょうかねえ。この初夢、よく世間では「いち富士、に鷹、さん茄子」なんてなことを申しますが、この二日の日に見た夢がそうだというんですね。つまり、元旦に見たのは初夢じゃなかったんです。勘違いされている方はぜひ早いうちにお改めになってください。
 わたくしは今日、やっとのことで『14才の母』の最終回を見ました。日本テレビ系列で放送されていたTVドラマですね、この完結篇ともいえる最終話を見たわけですが、中学生にして出産をした主人公、超未熟児で生まれてきた赤ちゃん、どちらもどうにか無事に退院をして、周囲の冷ややかな目にも耐えて、家族一丸、明るく暮らしてゆこうという、至極ありふれた結末を迎えました。わたくし個人の感想としては、あまり良い作品ではないと思いましたが、この主人公が赤ちゃんにつけた名前というのがいいじゃありませんか。
 苗字は「一ノ瀬」、名は「そら」ってんです。もちろん女の子。なかなか純粋ないい名前ですよ、うん。ただ、あのドラマの流れでいうと、この名前は中学生の母がひとりで決めたように思われて仕方がありません。候補をいくつか挙げて前前から考えていたようですが、少し安易に決めすぎのような気がいたします。
 だって、なんて云ったって名前ですから、こりゃそう易易とつけられるもんじゃない。ある夫婦だって、その思案の果てに、自分たちの子供にトンデモナイ名前をつける羽目になっちゃったんだから・・・・・・。

「こいつ、一人前に笑ってやがら。ったく、何がそんなに可笑しいんだ、おい。ったく、可愛いな」
「ちょいと、あんまり自分の子供で遊ぶもんじゃないよ。そんなことはいいからさ、早くこの子の名前決めとくれよ。もうそろそろ役所へ出さなきゃいけないんだからさ」
「わかってるよ。俺だって紛いなりにもこいつの父親だぞ、ずいぶん前からいろいろと考えてら」
「どんなの考えたの?」
「うん。やっぱしな、こいつは男だ。男と生まれてきた以上、丈夫で強くなくちゃいけねえ。だからな、俺はこいつに“金太郎”とつけることにした」
「ちょいと待っとくれよ。お前さんの名が熊次郎だろ?親が熊で子供が金太郎だと、なんだかのべつ相撲取ってるみたいで騒騒しくていけないよ。もっと違う名にしとくれよ」
「そ、そうか・・・・・・あっ、じゃこれはどうだ。親の俺よりも強く逞しい男になってくれって願いをこめて、寅の字をつけるのは?寅太郎とか寅之助とか」
「いいけどさあ、お前さんが熊で子供が寅だと、家んなか物騒でわたしゃ気が休まらない」
「おいおい、てめえさっきから人の揚げ足ばっか取りやがんな。そう云う傍から文句つけてちゃキリがねえじゃねえか」
「だってしょうがないじゃないか、一生にひとつの大切な名前なんだから・・・・・・あっそうだ、こうしなよお前さん。ホラ、町外れのところにあるお寺の和尚さん、あの人につけてもらいなよ」
「えっ、あの生臭坊主に?!」
「滅多なこと云うもんじゃないよ。いやね、あの和尚さんならなんかいい名前をつけてくれるような気がするんだよ。だってお墓参りのたびに伺うと、いっつも机にむかって小難しい本読んでるだろ。きっとわたしたちには考えつかない良い名前をつけてくれるよ」
「そうか?でも、何だか気が進まねえなあ」
「どうしてよ」
「だってそうじゃねえか。あいつは葬式があるたんびに儲けるんだぜ?こないだだって町内で一件あったい。懐が温いやつをこのうえ評判よくするのは癪ってやつだ」
「んなつまんないこと云ってないで、さっさと行っといで!いい名前つけてもらうまで帰ってきちゃいけないよ!!」

「あの、和尚さん、いますか」
「おお、これは熊さんじゃないか。まあまあ珍しい。季節外れのお墓参りかね」
「冗談云っちゃいけねえ、んなことじゃねえんだよ。いやね、ウチのカカアにガキが生まれやがってね」
「生まれやがってねとは云いすぎだな。ウチのカカアに生まれたということは熊さん、あんたの子供ということじゃないか。いやはやこれは目出度い。おめでとう。で、性別のほどは?」
「回りくどい訊き方するねえ。男だよ」
「そうか、それはよい跡継ぎを・・・・・・」
「そんなことはどうだっていいんだがよ、和尚さん。そろそろ、そのガキの名前ってやつを決めなくちゃいけねえんだよ。これがまたどういうわけか難航しちゃってね、ウチのカカアが是非和尚さんに決めてもらいましょうって、そう云って聞かねえんだ。どうだい、ひとつ面白いところふたつみっつ見繕って」
「お昼のお惣菜買うんじゃないよ。見繕うとは云いすぎだ。よしよし、それではな、ワシの思案の及ぶ範囲で考えてみよう・・・・・・よし、それでは、鶴という字はどうだ?」
「つ、鶴ですか」
「ああ。鶴は千年生きるというし、何はともあれ目出度い。これ以上のよき字はないと存ずる。だからどうだ、鶴太郎とか鶴之助とか」
「和尚さん、ふざけちゃいけねえ。そんな名前つけられるわけがねえ」
「どうしてだ」
「どうしてったって和尚さん、あんたあの鶴ってやつを見たことあんの?いっつも弱弱しい声で鳴きやがって、第一あの魚の骨みてえな脚が気に入らねえ。あんな、ツンと突いたらポキッと折れちまうような鳥の名なんかつけられるかい。それに、いくら長生きだか知らねえがね、千年と限定されてちゃ、千年経ったら死んじまうわけだろ。そんな名はつけられねえ」
「そうか・・・・・・うむ、では亀はどうかな。亀は鶴よりも長生き、万年生きるというし、第一あの甲羅が丈夫だから」
「おいおい勘弁してくれよ。亀ってったら、あの夜店の店ッ先にひもで吊るされてるあの亀のことだろ?いやだいあんなのァ。いくら甲羅が硬いか知らねえけどさ、ツンと叩けばスッと首ィ引っこめるだろ、あの臆病な料簡が気にいらねえ。俺はやだよ」
「困ったな。そう出すそばからケチをつけられては敵わない。うむ、どうしたものか・・・・・・おお、そうじゃ。熊さんのことだ、この世に存在するものから名を取るとかならず文句が出るだろう。それならばだ、ここに一本の教典がある。いわゆるお経だな。この中からよき字を選んで名前とするのはどうだろうか」
「へえ、お経ねえ。それは、目出度いですか」
「ああ、そりゃもう目出度いものの大名行列だ。例えばな、“寿限無”というのはどうだ」
「なんです、その寿限無ってのは?」
「書いて字のごとしじゃ。寿限り無しと書いて寿限無。つまり、死ぬときがないということだな」
「へえ、そいつは目出度いですね。こりゃいいや。で、他にはありませんかね」
「まだいくらもあるぞ。五劫の摺り切れというのはどうじゃ?」
「な、なんです?」
「これは詳しくいうと、一劫というのは、三千年に一度、天人が天降って、下界の巌を衣で撫でる。その巌を撫でつくして、ついには摺り切れて失ってしまうのを一劫という。それが五つだから、何万年何億年という数えきれない年月になる」
「こりゃますますいいや。ほかには?」
「海砂利水魚というのはどうじゃ?」
「なんです、それ」
「海砂利はそのまま、海のなかの砂利だ。水魚とは水のなかに棲む魚。どちらも数が多すぎて、とてもとても獲りつくせないものだ。これも目出度い」
「なるほど、海砂利水魚ねえ。まだありますか」
「水行末、雲来末、風来末というのもあるが」
「へえ、なんですか、それは」
「水行末は水の行く末、雲来末は雲の行く末、風来末は風の行く末。いづれも遥かに果てしがなく、目出度いな」
「ますます嬉しいねえ。まだありますか」
「人間は衣食住、そのどれが欠けても生けてはゆけない。そこで、喰う寝るところに住むところ、というのはどうじゃ?」
「最高。で、ほかには?」
「やぶらこうじのぶらこうじ、というのはどうかな」
「な、なんです、それ」
「藪柑子という木がある。まことに丈夫なもので、春に若葉を生じ、夏は花咲き、秋は実を結び、冬は赤き色をそえて霜をしのぐ目出度いものじゃ」
「なるほどねえ、聞いてみなくちゃわからねえことってあるんだなあ。他にはどうです?」
「そうじゃな、うむ。昔、唐土にパイポという国があって、そこにシューリンガンという王様とクーリンダイというお后様がいた。この二人のあいだに生まれたのが、ポンポコピーとポンポコナという二人のお姫様。これがどちらも類稀な長寿であった」
「へえ、まだありますか」
「天長地久という文句は読んでも書いても目出度い。そこから、長久命というのはどうかな」
「はいはい。ようがす」
「それに、長く助けると書いて長助というのもあるぞ」
「へえへえ。そいじゃすいませんが、今まで出たやつ、みんなこの紙に書いてもらえませんか」
「ああ、良いとも・・・・・・さあ、みんな書いておいたぞ。この中からよいやつを選んでつけるがよい」
「へい、ありがとございます。なるほどね、最初が寿限無か・・・・・・寿限無寿限無、五劫の摺り切れ、海砂利水魚の水行末、雲来末、風来末、喰う寝るところに住むところ、やぶらこうじのぶらこうじ、パイポパイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのクーリンダイ、クーリンダイのポンポコピーのポンポコナの長久命の長助・・・・・・こう並べて見てみると、どれも捨てがたいなあ・・・・・・よしっ、面倒臭えからみんなつけちまえ!」

 熊さん、嬉しくさと面倒臭さで、とてつもなく長い名をつけてしまいましたが、これが町内で大人気。日和の良い日にはお隣の御婆さんが、
「わたしゃね、最近どうも物覚えが悪くって仕方がねえんだが、お前さんとこの赤ちゃんの名前ね、コレどうにかこうにか必死で憶えてみたんだ。今から云ってみるから、間違ってたらそう云っとくれ」
 と、暗記のほどを確かめに来るし、もうそらあ大変なもので・・・・・・。
 この名前が功を奏したか、大きな病気もせずにグングンと健康に育って、この子が小学校へ行くようになった。朝になると、近所の友達たちが誘いにやって来る。
「おはよう!寿限無寿限無、五劫の摺り切れ、海砂利水魚の水行末、雲来末、風来末、喰う寝るところに住むところ、やぶらこうじのぶらこうじ、パイポパイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのクーリンダイ、クーリンダイのポンポコピーのポンポコナの長久命の長助くーん、学校へ行こうよ」
「まあ、山下さん家のお坊ちゃんじゃありませんか。いつもウチの寿限無寿限無、五劫の摺り切れ、海砂利水魚の水行末、雲来末、風来末、喰う寝るところに住むところ、やぶらこうじのぶらこうじ、パイポパイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのクーリンダイ、クーリンダイのポンポコピーのポンポコナの長久命の長助と仲良くしてくれてありがとうね。いま来るからちょっと待っててね・・・・・・ホラ、いつまで寝てるんだい、寿限無寿限無、五劫の摺り切れ、海砂利水魚の水行末、雲来末、風来末、喰う寝るところに住むところ、やぶらこうじのぶらこうじ、パイポパイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのクーリンダイ、クーリンダイのポンポコピーのポンポコナの長久命の長助!お友達が迎えに来てくれてるよ」
 この子が大きくなるにつれて、腕白ですから、いろいろと悪戯をする。ある日なんか喧嘩をして、友達殴って泣かせてしまった。その殴られた子と親がいっしょになって怒鳴り込んでくる。
「ちょいと、お前さんとこの寿限無寿限無、五劫の摺り切れ、海砂利水魚の水行末、雲来末、風来末、喰う寝るところに住むところ、やぶらこうじのぶらこうじ、パイポパイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのクーリンダイ、クーリンダイのポンポコピーのポンポコナの長久命の長助くんね、ウチの勘太のアタマ殴って瘤こしらえたのよ。どうしてくれるの!」
「まあ、相すみません。ウチの寿限無寿限無、五劫の摺り切れ、海砂利水魚の水行末、雲来末、風来末、喰う寝るところに住むところ、やぶらこうじのぶらこうじ、パイポパイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのクーリンダイ、クーリンダイのポンポコピーのポンポコナの長久命の長助がおたくの勘ちゃんの頭を殴っちゃったみたいで・・・・・・ほら、お前さんからも叱っとくれよ」
「おうおう!てめえ、人様のお子さんのあたま殴って瘤までつくるたあ何事だ!こっち来やがれ、寿限無寿限無、五劫の摺り切れ、海砂利水魚の水行末、雲来末、風来末、喰う寝るところに住むところ、やぶらこうじのぶらこうじ、パイポパイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのクーリンダイ、クーリンダイのポンポコピーのポンポコナの長久命の長助!見ろ、勘ちゃんの頭に大きなタンコブが・・・・・・アレ、瘤なんざ出来てねえじゃねえか」
「あんまり名前が長いから、云ってる間に引っ込んじゃった」

 落語の世界では前座噺といわれ、暗誦(口ならし)や云い立て、さまざまな登場人物の演じ分をまなぶ初歩の作品です。最近では、この名前の部分が教科書に載ったりなんかしておりますが、ストーリー全体を知っている学生諸君はまだまだ少ないのではないでしょうか。
 お正月企画第二弾。今日はメデタイ言葉オンパレードの噺『寿限無』をお送りしました。
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2007年01月01日

『締め込み』

 ひと口に泥坊といってもいろいろありますな。人のいないときを見計らってウチんなか入ってきちゃうのを空き巣なんて申しますが、これもなかなか難しいもので・・・・・・。

「こんばんは!少少伺いますがね、この辺に草井平助さんという人はいますかね。エ?あ、あのお、どなたかいらっしゃいませんか。アレ、誰もいない?・・・・・・いないと物騒だよ、泥坊が入るから。ホントに誰もいないの?・・・・・・ウシシッ、こいつぁ有難ぇや」
 空き巣狙いのこの泥坊。まんまと表戸のあいていた長屋へ入って箪笥を上のほうから開けてゆきます。そんなかにあった風呂敷出して、見つけた衣服片っ端から畳んで包んじゃった。よおし、いっちょあがり!と思ったそのとき、表から声が・・・・・・。
「どうもお向こうのおばさん、ありがとォ御座居した」
 泥坊、こいつぁいけねえと思ったが、表からは出られない、もちろん裏からも出られない。逃げ道がないってんで、泡食って、仕方ないから担いでた風呂敷そこらへんへ打っ遣って台所へいって、上げ蓋はずして糠味噌桶のとなりへ躰を小さくして隠れた。
「おうい、いま帰った・・・・・・アレ、誰もいねえや。おかしいな、おい竹ッ!ったく本当にしょうがねえカカアだなまったく、一日中亭主が仕事をして帰ってきたっていうのに家留守にしやがって。おい、本当にいねえのか?いねえならいねえなりにそう返事しろい!ったく、こん畜生!癪に触ンなあ本当に。これ普通だったらだよ、今帰ったよ、あらお帰りなさい、お茶でもおあがんなさいよ、って熱い茶でも出すからカカアってんだよ。それがどうだい、エ?のべつ留守にしてやがんだから、本当に。馬鹿にしやがって・・・・・・ん?なんだ、ありゃ・・・・・・風呂敷じゃねえか。包まさってら・・・・・・あっ、俺のもんとカカアのもんが一緒になって入ってるけど・・・・・・おい、こりゃもしかして、あのアマ、事によるってえと新しい男ができやがったな!畜生め、こんな正月に三角関係に及んでやがんだ。ふざけやがって。その男に俺の服着せようって、こうして包んでいやがったんだな。畜生、帰ってきたらどうしてやろうかな」
「ああ、いい湯だった。あら、お前さん帰ってたの?お帰んなさい。早かったわね、今夜は。エ、あたし?いや別にどこって、見ての通りよ。湯へ行ってきたのよ。いいお湯でしたよ、お前さんもふとっ風呂あびてきたら・・・・・・ねえ、どうしたのさ、帝釈様みたいな目ェして、あたしのこと睨みつけてさ。そんな顔して黙ってることないだろ。ねえ、どうかしたの?」
「うるせえな!畜生め!」
「ど、どうしてそんなに怒ってんのさ。どっかで喧嘩かなんかしてきたの?およしよ、お前さんねえ、喧嘩なんてものはそのあとの仲直りってやつに銭がかかるんだよ。本当にお前さんは喧嘩ッぱやいんだから・・・・・・ウフ、でもお前さんはね、怒ってるとこう男っぷりがなんとも云えずいいよ。にがみ走っててね。当たり前でいるとなんかだらしない顔だから。そうやって少し怒ってるほうが余程いいや。だから当分怒っといで」
「馬鹿野郎、そんなに怒ってたらくたびれちまうだろ、目が!フン、本当に、どこ行ってやがったんだよ」
「だから、お湯行ってたってんだろ」
「嘘ォつきやがれ、じっと化けやがって。なんだって知ってるんだ、俺は。いいよいいよ、もう。とっとと出てけ!」
「なんだって?」
「出てけよ」
「何よ、おかしいじゃないのよ、出てけ?どうしてあたしが出てくのよ。お湯ゥ行ったから?へえ、そいじゃ世間の内儀さんはみんな出て行かなくちゃいけないわけね」
「何でもいいから出てけって云ってんだよ。手前に傷つけんのが可哀想だからな」
「どういうわけであたしが出てくのか、そのワケを云っとくれよ、ワケを。どういうわけでとはっきり云ってごらん。ほらどうだい、お前さん、はっきり云えるかい?」
「半纏も股引もねえやい、なんでも構わないから出てけって云ってんだよ、うるせえな。ったく、この狸女房め」
 旦那のほうは女房が間男(浮気)をしているものと思って引かない、一方、その嫌疑をかけられた女房のほうもワケが解らないから引き下がらない。ふたりの口論は収まるどころか激しくなるばかり。そのうち、それを台所の床下から聞いていた泥坊は、自分のせいでそうなっていることが厭というほどわかりますから、もう居ても立ってもいられない。そうこうしている内にご夫婦、手当たり志第にそのへんにあるものを投げ合っての夫婦喧嘩。片方が湯の煮えている鉄瓶を投げる、これをもう一方がサッと避ける。鉄瓶は床に落ち、なかの熱湯が台所の上げ蓋んところへ流れたからたまらない!
「ああ!アチッアチッ、熱いったらねえなこりゃ、ったく・・・・・・あっ、どうも、こんばんは」
「あんた、だれ?何しに来たの?」
「いや何しに来たった、まあ、聞いてくださよ・・・・・・そりゃなんだ、夫婦喧嘩なんてえものは、いけませんよ」
「なに云ってやがんだ、よくないって云ったって何がよくないのか知ってんのか」
「ええ、まあひと通りは」
「じゃあ云ってみねえ」
「・・・・・・発端は、そこにある風呂敷包みでしょ?」
「風呂敷?てめえ、よく知ってやがんな」
「ええ、そりゃもう。この包みはね、このお前さんが拵えたものじゃありませんよ」
「そら見ろ、俺が拵えたんじゃねえんだ。やっぱりウチのあのアマが拵えやがったんだ」
「いえ、あのアマが拵えたんじゃないんです」
「なんだアマとは・・・・・・じゃあどういうことだ?俺が拵えねえでカカアが拵えねえで、この包みがひとりでに出来たのか」
「ええ、ひとりでに包みがこう、すぅっと出来たんで」
「どうして出来たんだい?」
「えっ?」
「どうして出来たんだよ」
「・・・・・・まあ、そんなことはいいでしょ」
「よかねえよ。どうして出来たんだい・・・・・・大体おめえさん、あんまり見ねえ顔だな」
「ええ、あたしも見たことないわ」
「おいてめえ、どうして入って来たんだよ」
「いえ、私がね、ここ通りかかったら喧嘩してたからね、寄ったんですよ。ええ。だけどもこれはお内儀さんが拵えたんでもなきゃ、あなたも拵えない。そう、あなたが仕事いって、お内儀さんがお湯いって、誰もいないでしょ?いないとこへスッとひとり入って来た奴がいたんですよ。そいつがね、この包み拵えた。ええ。で、こいつをこう背負って、逃げようと思ったら、お前さん帰ってきた。で、もう逃げることもできないんで、しょうがないから台所の上げ蓋はずして、それで、縁の下へ入って・・・・・・本当に私は情けないと思ったよ。ええ。けれど、そのうち喧嘩が始まってね、鉄瓶ほうったんで、そのお湯が熱いから、私ァ飛び出したら・・・・・・しょうがねえから、まあ、ここへ来たってわけですがね」
「なんだい、じゃあお前なにかい?包みはお前が拵えたのかい?」
「ええ、まあ早くいえば」
「何を云ってやがんだ。じゃあお前はなんだね、泥坊・・・・・・泥坊さんだね」
「ええ、へえ、そうです」
「冗談じゃねえぜ、本当に。おおい、こっち来い。泣いてる場合じゃねえや。なあ、手前が留守にすっからこんな泥坊・・・・・・泥坊さんが入ってくるんじゃねえか、なあ。入ってくりゃこの泥坊だって・・・・・・悪い泥坊さんならとっくに持ってちゃうぞ、喧嘩してんの見て。だけどいい泥坊さんだったから、こんなふうに仲裁してくれたんだ。さあ、泥坊さんに礼云え」
「ああ、すみません。泥坊さん、よく出てくれましたねえ」
「いえいえ、泥坊してますがね、こう見えて私ァ案外正直なんで」
「嘘ォつきやがれ、泥坊に正直ってえのがあるかい、本当に。まあとにかく、これでしめえだ。あんたもさっさと帰んな」
「ええ・・・・・・それが私、帰れねえんですよ。家がねえんですから」
「家がねえって云ったって、俺のせいじゃねえよ」
「いやそれはどうなんですがね、その、なんていうか・・・・・・ここへ来たのも何かの縁ですから、すいませんが腹ァ減って、どうにもしようがありませんから、酒を二三杯呑まして、ご飯食べさせてください」
「しょうがねえな。じゃあお前、酒ェ呑んで飯ォ喰うのかい?」
「はい。で、できれば今夜ここに泊めてくださいな。明日の朝ちゃんと帰りますから」
「おい、しょうがねえなどうも。どうしようか・・・・・・うん、まあ悪い奴でもなさそうだからな。いいか。じゃあ、今夜俺ん家へ泊めてやろう」
「ありがとござんす。じゃあ一晩厄介になります」
「うん、しょうがねえやな。おう、もう寝るってえから蒲団出してかけてやれや。うん。それから戸に締まりをしちまえ・・・・・・おいおい、締まりをするったっていつもと同じようにやっちゃいけないよ」
「えっ、どうしてだい?」
「どうしてったって、考えてもみねえ。泥坊が家ンなかにいるんだぞ、内側から締まりをしたってしょうがねえじゃねえか。なあ、だからよ、こう外に廻って、表から心張りをかえ。なあ、それで泥坊をなかへ締め込んどけェ」

 
 あけましておめでとうございます。裏部長でございます。本年も何卒よろしくお願いを致します。
 寄席のほうではお正月というとよく泥坊が出てくる噺を高座にかけます。これはむしろ縁起がよく、「お客を取り込む」というので、演じる噺家さんも多いと聞いております。
 そこで当Blogにおいても、昨年以上のご愛護を祈念して、御馴染みの『締め込み』をざっとではありますが、書かせていただきました。お暇なときにお読みください。
 
posted by 札幌支部 at 19:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2006年12月31日

伝統を現代に

 去る十二月十九日火曜日。大通り公園のすぐ傍にある札幌市教育文化会館小ホールにて、「立川談春独演会」が開かれました。芸名のとおり、この人はあの立川談志さんの弟子で、もちろん真打ち。聞けば、北海道で落語をやるのは今回が初めてだということでした。
 入口はいってすぐのところにある小ホールはあれで三百人ほどを収容したでしょうか。それほど広くない空間を老若男女が占めた午後六時半、いよいよ口演は始まったのです。
 もちろん、斯くいうわたくしも観に行っておりました。誰かの独演会へゆくのはこのときが初めてで、しかも座席は前から三列目。かなり間近で噺家の芸というものを見ることができました。
 感想から申し上げると・・・・・・三千円というチケット代が高く感じられる程度でした。はっきり云って、あまり良い出来ではなかった。談春さんは最初、短い噺である『長短』をやり、休みなく自分の落語家へなるまでのエピソードを語ってから『夢金』に入り、十五分間の休憩ののち、長篇『芝浜』をやって終了したのですが、どれもイマイチでしたね。もちろん、これはご本人も口演中に云い訳のようにしておっしゃっておりましたが、『夢金』とか『芝浜』はそれほど爆笑を誘う噺ではなく、よって、会場内がシーンとなってしまっても別段気にする必要はないのですが、しかしその条件を差し引いても良くなかった。芸としてよくなかったのです。
 気の短い男とのんびりした男のやり取りで笑わせる『長短』では、トントンと進む速いテンポはありませんが、味わいある表情と声でじゅうぶん魅せられますし、『夢金』はサスペンス色、『芝浜』は泣かせるくらいが本当なのです。それが今回はことごとく無かった。スベッた、とまでは云いませんが、あきらかに空廻りだったと思います。
 ただ、観ていたわたくしのほうにも落ち度はあるのです。というのも、たとえば『夢金』に関してはその前日に、CDで三代目古今亭志ん朝師匠のヴァージョンを聴いておりましたし、『芝浜』に関しては、名人といわれた三代目桂三木助師匠のものをCDで、また談春さんの師匠である談志さんのものもDVDで観ていたため、知らず知らずのうちに心のなかで比較をしてしまっていたのです。これで談春さんのものがズバ抜けて面白かったら逆に妙です。訪れるべくして訪れた結果と云えましょう。
 九時過ぎに帰宅し、ラジオをつけると、「真打ち共演」という番組で、いまの三遊亭金馬師匠が『孝行糖』をやっておられましたが、こちらのほうがライヴで観てきたものより面白かったです。談春さんには更なる修行を願うばかりです。

 こんにちは、裏部長です。開始早早またも落語の話から始めてすみません。今日で今年も終わるというのに、最後の最後までお前は落語の話か!と怒られる方もおられましょうが、いやいや、そこは裏部長、抜かりはございません。ちゃ〜んと空心館と結びつけてご覧に入れます。

 落語好きの裏部長、最近ではいよいよコアな立川談志師匠に興味をおぼえ、その本などを読み漁っておりますが、同氏が落語というものに対するとき、そこに一貫したスタンス、考え方があることに初めて気づきました。
 それが今日のタイトルにある、【伝統を現代に】、です。
 落語というのは云うまでもなく伝統芸能です。江戸時代から少しづつ形をかえ、現代まで伝わってきている古典芸能はいろいろあれど、形があるようでないものは落語くらいでしょう。歌舞伎文楽は型がきちんと決まっていて、それを寸分狂わさずに弟子から弟子へと伝えていますから、そこへ創意工夫を差し入れることは許されません。しかし落語は、たとえば言葉、単語の問題にしても、現在では理解しにくい名称を改めたり、現代のくすぐり(ギャグ)を入れて笑いを倍化させたりといろいろな工夫が可能で、むしろ談志師匠は、噺家はそれをすべきだと強く書かれているのです。
 たとえば、同氏の特徴として、「落語にマクラはいらない」というのがあります。落語を一度でもお聴きになった方はご存知でしょうが、噺家は噺の本編へ入る前にマクラと呼ばれる短い話をします。ほとんどの場合、それは本編の内容をおぎなう説明なのですが、古い時代のことを語る前にはこれがないと今のお客さんは理解ができません。だから、この噺にはこのマクラ、というふうに定型化しており、それをセットにして弟子たちは習うため、誰もそれを壊したり変えたりすることをしないわけですが、談志師匠はそれをおかしいと感じたわけなのです。
 ただの説明なら必要なし。どうしてもマクラを振りたいのなら、その日あった出来事を話したっていい。またどうしても説明をしたいのなら、ただの説明に過ぎない内容のマクラは振るな。それだけでも存在価値のあるマクラを振れ。
 こういった発言からしても談志師匠は異端児、落語界の反逆児とさえ云われた歴史が理解できます。過去の名人たちが考えもしなかったアイディアで、同氏は落語を変えていったのです。

 しかし、じゃあ談志さんは滅茶苦茶なことをしているかといえば、そうではありません。否むしろ、談志さんほど古典落語へ真摯に向き合って取り組んでいる噺家はいないのではないでしょうか。
 その著書を読むとよく判りますが、同氏は過去の落語、講談、浪花節まで、本当によく知っております。まあ十代でその世界へ飛び込んだようなひとですから、好きは好きなのでしょうが、その愛情といいますかね、情熱というものは半端ではありませんよ。それだけのことを知っているし、研究もしているからこそあれだけのことが云えるのだし、ご自身の落語を変えることができるのです。もし現在、談志さんのことを批判できる噺家さんがいればお目にかかりたいくらいです。
 落語の専門的なことはこれくらいにしますが、その世界に少なからず興味があって、武術の世界にも興味のあるひとは一度、談志さんの本を読んでみてください。必ずどこかに、ハタ!と膝をうつ箇所があるはずです。
 特に空心館の門弟諸君は、その回数がたれよりも多いことでしょう。

 【伝統を現代に】と聞いて、もしかしたら札幌支部の門弟諸君はすぐさま空心館そのものをイメージするかもしれません。
 そうです。立川談志師匠が落語に対してされていることは、空心館の代代の師範たちが空手に、そして体道に対して為してきたことと同じなのです。わたくしはそう自信をもって書くことができます。
 そっくりそのまま落語のネタと置き換えられる空手の型ですが、これらにしても、時代を経て、その研究のなかでいくつもの改変がなされた事実はもう門弟諸君にとっては周知のことでしょう。平安二段の初動三戦立ちになるときの足捌き新生のときの前蹴りは上段へ転掌のときの手の動きには二種ある、などなど、これからも変わる可能性のある型というのは恐らくひとつやふたつではないでしょう。技の解釈、先達たちの系譜などをひもとき、なるべく古いもの、風化していない形を残そうとする師範たちの研究の成果が日日、わたくしたちの前に届いているのです。
 体道においても然りです。受け方ひとつ取ってみても、そこに研究のあとがない技などありません。決して伝統を伝統のまま残しているのではないのです。
 そこにはきちんと現代の風が入り、研究がなされているのです。

 その証拠に、立川流の修行形態とわが空心館における修行体系にはたくさんの共通項があります。以下、それらを具体的に列挙すれば、

○立川流では入門後三箇月間は見習い。前座としてのテニヲハ(太鼓の叩き方や礼儀作法、着物の畳み方など)を教える。これらを覚えたら寄席へ入れる。
→空心館では、入門して三箇月程度で、おおよそ稽古の内容やそのシステム、先輩たちや師匠のことを理解します。基本稽古とは何か、移動稽古ではなにをするか、約束組手は、というふうにその内容をおおかた把握し、型も「四之型」や「十二之型」、早いときでは「平安二段」を教わり、だいたい空手というのはどんなものかを知るわけです。

○前座修行は二年。噺はひと月にふたつは覚える。二年で五十席。これを覚えられたら二つ目。
→ズブの素人でも、毎週欠かさず真面目に稽古を重ねれば、だいたい三年で初段。この間におぼえる型は十四個ですが、たとえば前蹴りを覚えるとか、受けを四種類覚えるとか、基本稽古のなかでもいろいろな技を教わりますし、ほかにも手廻しや抜手術、其場でのワン・ツーやエンピ六方などもたいせつな技のひとつですから、これらも入れて換算すると、およそ五十四個ほどの動作を教わることになります。

○二つ目になったら寄席から離し、TVやラジオ、ライヴ・ハウスなどへ行かせる。自分で仕事を探し、どんなところでも行って落語をやる。
→黒帯を締めてからは個性づくり。その人にあった技、空手、柔術をやります。当然そこには他流儀、たとえば剣などの研究も入ってきて、トータルで武術というものを体現してゆくわけです。

○入門後、十年ほどで真打ち。この間に覚える落語は百席以上
→この年月でいうと、空心館では三段から四段が真打ちということになります。型を含めた技の数もゆうに百は超えておりますが、落語のほうでも真打ちになってすぐには弟子が取れないのと同じで、こちらでも実際に支部などを拵えて、たれかに教授するようになるにはまだ数年の修行が必要です。だいたい向こうの常識をこちらに当てはめますと、弟子を取るのは六段くらいになってから。ちょうど合っていますね。

 落語の教える順番とその内容も似ています。
 立川流ではまず『道灌』を教えます。これで話術の基礎を叩き込むわけです。空心館では「四之型」「十二之型」ですね、これで空手の型というものの雰囲気を掴ませます。
 つぎに『たらちね』。これで女の演じ方、『寿限無』同様、云い立ても学ばせます。こちらでは「平安二段」受けと攻撃テンポが出てきます。
 三番目には『狸』。タイトルの通り、動物を教えるわけですが、こちらでは「平安初段」猫足立ち・手刀受けが出てきます。
 四番目は『三人旅』、旅というくらいですから場面展開がありますし、田舎弁も出てきます。空心館では「平安三段」ですね。それまでに出てこなかった技や立ち方が出てきますし、当たり前のように猫足立ちも出てきます。
 立川流ではそのあとに『饅頭こわい』をやって大人数の演じ分けを教え、次に『子ほめ』を教えてギャグや笑わせる間、その呼吸などを叩き込みます。このあたり、空心館では、「平安四段」を教えてヴァリエイションに富んだ動作の連続を、「平安五段」ではそれまでに習った技に加えて、飛びます。新たな変化が出てくるときです。
 そして、向こうではいよいよ『道具屋』が出てきます。これは与太郎の噺ですから、落語国の住人・与太郎の演じ方を学びます。
 空心館では「十六」初動の変化、それまでになかった動作やテンポの緩急双手による突きなんかも出てきて、いよいよ愉しくなってきます。
 『寄合酒』はその果てに教わる噺ですが、立川流ではこの作品で、それぞれ弟子たちにアレンジをさせて演じさせる方針を採っています。つまり、新たな解釈を入れてやってみろ、というわけです。工夫が試されるわけですが、空心館ではここから、ひとつの階級で型を二つづつ習うようになります。それも雰囲気の違った型をふたつ習うわけです。当然、いろいろなことを考えさせられます。ただ単に教わったものを習って、その通りに動いていれば良かったそれまでの稽古とは内容が違ってくるのです。各人、考える必要がでてきます。

 どうでしょうか。初歩のころのカリキュラムを見ただけでも、談志さんのところと空心館とではたいへんな類似性が見られます。まあ、だから何なんだと云われると非常に苦しいところがありますが、云ってしまえば、われわれも【伝統を現代に】の精神で、柔軟な思考をし、武術としての型、技、名称を学んでゆこう、ということです。な〜んだ、そんなことか!んなことは前からやってるよ!っていう方はよいのです。上記の文章を読んでハッとしたそこの門弟たちよ。その時点ですこし遅れているのです。明日からでも遅くはありません。気づいたことを大切に、稽古へ精進をしてください。

 
 あと数時間で新しい年がやってきます。この札幌支部のBlogを今日まで愉しみに見てくだすった皆さま、ありがとうございました。来年もできる限り書き込みをしてゆく所存ですので、どうか見捨てないで、暖かい目で見守ってやってください。お願いします。

 それではみなさん、よいお年を。
 裏部長でした。
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2006年12月30日

稽古総決算

 こんばんは、裏部長です。いよいよ、今年も残すところあと数十時間というところまで来ました。明日は泣いても笑っても大晦日。平成十八年の幕が下ります。
 わたくしの生活で申しますと、いよいよ大晦日、って云ったって別になにがどうするわけでなく、残っている部屋の片づけをし、自主稽古をし、身綺麗にして午前零時を迎えるのみです。いつもと殆ど変わらぬリズムですね。
 ただ、昨年までと少し違うなあと思う点は、妙に感慨深いということです。今月の終わりころになって急にココロが弱くなった、というか、何を見ても感動するような躰になってしまったのです。大げさに云えば、
「ああ、俺はこの日のために生きてきたんだ」
 なんて思ってしまう瞬間が、毎日のように訪れたわけです。勿論、その対象は他愛もないものばかりで、TVのCMで流れていたクラシック音楽にそう思い、懐かしい映画を観てはそう思い、本を読んではそう思う・・・・・・ただの感動しいになっていたわけなのですが、こんな気持もたまには良いものです。

 現在、NHKでやっている朝のテレビ小説『芋たこなんきん』、ご覧になっている方も多くいらっしゃると思いますが、斯くいうわたくしも見ておりまして、毎週土曜日、朝九時半からBSでやっている一週間分の集中放送を今日も見ましたが、やはり本年最後の週ということもあってか、これまでのストーリーの総集編でしたね。お店でいえば「総決算」というわけで、年末にはよくありがちな内容でしたが、同じような考え方でわたくしもこの一年を振りかえってみようと思います。

 今年はなんといっても、三月の栃木遠征が重要なスタート・ポイントとなりました。本部道場の諸先輩方のご指導を受け、札幌へ帰ってきてからは空手のスタイルがガラッと変わってしまいました。栃木へゆくと、毎年変貌させられます。
 五月までは警備員として施設警備というのをやっていたため、勤務時間もまちまちで、稽古へ行けぬ日も多くありましたが、五月の末からは事務所勤務となり、終了時間が一定となったため、当たり前のように大学へ行けるようになりました。
 夏。夏休みシーズンだったでしょうか、稽古時間がいつもよりも早まり、午後二時半くらいからやっていたころ、わたくしの記憶ではあまり師匠を見た印象がありません。もう今年は最初からご多忙でしたからねえ、来られない日というのが多分にあったのでしょう。わたくしは勤務終了とともにスーツ姿のまま大学へゆく。部長がTシャツと胴着(下)だけの姿で走ってくる、早めに来ていたS呂君が談話室で勉強をしている、そのうち三々五々、教室へ集まってきて稽古をはじめる、そんな日日が続きました。このころ、教室のプロジェクターを使って過去のVTRなどを見たこともありましたね。
 秋。師匠のご多忙ぶりがさらに忙しくなり、“師匠不在”の稽古も多くなりましたが、わたくしや部長がどうにか踏んばり、また他の門弟諸君もついて来てくれて、稽古はほとんど中止することなく続けられました。
 そして、冬。わたくしは黒帯を締め、部長は体道のほうで初段を受けました。希望の新人ST君も入り、いまだ少人数の稽古ばかりですが、その内に籠もる熱気はたいへんなものとなっております。その一例が来年の栃木遠征です。わたくしや部長はよいとしても、S呂君やON君までもが参加を訴えてきた、これは大変なる成果です。彼らの熱心さには頭がさがります。

 と、ひと通りざっと思い出してみると、な〜んてことはない、ただ稽古をしてきた一年間だったというわけです。やれ師匠が来ないだの、やれ来てみたら一人しかいないだの、やれ暑いだのやれ寒いだのと、いろいろなことを云ってはみてもやっぱり、ただ稽古をしてきた、という一年でした。各人、その間にいろいろなことがあり、ときには笑い、ときには泣きながら、その蔭できちんと稽古を続けてきたのです。これは当たり前のようで、なかなか出来ないことだと思います。
 わたくしも今年から社会人となり、「会社」という組織のなかに入って仕事をし、そこで生きている「サラリーマン」という存在たちを見てきましたが、やっぱり、何かをその仕事の傍らで続けてゆくというのは大変なことなのです。わたくしが見てきたなかのその殆どの人たちが、夢や趣味のようなものを捨てて仕事に生きていました。たしかにそれが社会人なのだろうし、なにか自分のやりたいことをしているその傍らでできるほど、仕事というのは甘くないのでしょうが、しかしこれはやっぱり哀しいし、虚しい。人間、アソビがなくては生きられませんよ。
 その点、まあ裏部長はまだ独身ですし、大学を出てまだ一年も経っていない人間ですから、こういうことを平気で云えるのでしょうが、わたくしのように、満足に稽古のできている人間こそがきちんと何かを伝えねばならないような気がします。武術的なセンスがあろうがなかろうが、そんなことは関係ない。こうして、札幌支部のなかの誰よりも多く稽古できている人間はわたくししかいないのですから、そのチャンスを最大限に活かさなければなりません。

 とはいえ、おそらく来年も同じように、師匠について稽古を重ねるだけなのでしょう。なにか特別な、変わったことをするわけではありません。これまで通り、大学へ通い、教室へ入り、基本稽古から手廻し、移動をやって約束組手をして、たまに型もやって、新たな発見によろこび、すぐに訪れる葛藤に苦しんで、それでも徐徐にレヴェル・アップができれば、それだけでわたくしは満足です。

 明日は今年最後のBlogです。
posted by 札幌支部 at 21:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2006年12月29日

 こんばんは。一日中、部屋の片づけに追われている裏部長です。アレはどうしてそうなんでしょうねえ、部屋を片づけ始めるともう止まらない。面倒臭がりで綺麗好きな裏部長としては、ここで片づけないとこの先何箇月そのままになってるか知れない、えいっ、全部やってしまえ!という心境になるのでしょう、片っ端からやりはじめて、結局夜になっても終わらないという事態になる。ええ、現在も片づき終わっておりません。おそらく、今年いっぱいかかることでしょう。
 物が溢れているというのも考えものです。

 溢れている物、といえば、わたくしの家にもHDDつきのDVDレコーダーが今年になってから登場し、TV好き映画好きな裏部長を満足させておりますが、今日、そんな容量のなかに録画したまま見ていなかった、ある一本のドキュメンタリー番組を見ました。
 フジテレビ系列で放送されたもので、ある死刑囚と老いた歌人との交流を追った一時間ほどの番組でした。ご覧になった方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。
 
 戦後間もなく、両親を失い、貧困の果てに餓え、それを凌ぐために食材を盗み入ったある民家で殺人を犯してしまった青年はそのまま死刑となりました。幼少時から悲惨な人生を歩み、周囲の人びとからは決まって蔑まれてきた憐れな青年でした。
 彼は獄中で読んだある新聞のなかに、読者が短歌を投稿するコーナーのあることを知り、それからはしきりと歌を詠んでそれへ応募するようになります。筆名は「島秋人」。
 そのコーナーでは、審査員を指名して送るのが決まりで、彼はずっと窪田空穂という歌人にあてて歌を送り、ふたりの間には少しづつ、師弟のような関係が生まれてゆくのです。

 短歌はあの「五・七・五・七・七」の歌のことですが、言葉を煮つめているために、籠められた感情は非常に濃いものがあります。しかも詠っている本人はこれから先、自分のすぐに死することがわかっているのです。その一文字一文字はとてつもなく重く、そして深い響きに満ちておりました。
 こんな人たちのそんな作品を目にすると、果たして「死」とはなにか、ということを考えさせられます。わたくしたちも、一歩間違えれば死という武術の世界に身を置きながら、それでもやはり道場拳法、どこかで甘えている部分があるように思われて仕方ありません。死刑の確定後も歌作に励んだこの島という死刑囚のように、絶望の淵に立っても希望を見失わず、何かにむかって歩いてゆけるようなそんな強さを、わたくしたちは養えているのでしょうか。

 最後に島さんの歌のなかから、選者であり彼の師匠でもあった窪田空穂も褒めたという一編の短歌をここに紹介して今日は終えます。
 彼はこれを、死刑確定後に書きました。


  温もりの残れるセーターたたむ夜 ひと日のいのち双手に愛しむ


 裏部長でした。
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2006年12月28日

たたかえ、子供たち

 こんばんは、裏部長です。いよいよ平成十八年も押し迫ってきました。いろいろあったこの一年も、もうすぐ終わろうとしています。
 
 TVのほうでは年末になると、決まって特別番組のオンパレード。一時間単位で構成させるものは一気に減り、代わりに二時間、三時間幅のバラエティ番組がTV欄を席巻することになります。
 この時期になると、各局の報道番組も特集をやりますね。その一年に起こった事件や出来事を振り返り、コメンテイターと称する“知識人”たちが感想を云い、最後にこの一年で死去した有名人たちを思い出して終わる、そんな特別番組がここのところ急に増えてきたように思われます。
 今年の傾向は「イジメ」。夏以降でしょうか、数数のイジメ問題、自殺が多発し、ついには「私は虐められています。取り上げてくれなかったら自殺します」などという封書までが政府関係者へ送られる始末。どの時代においてもイジメというのは決してなくならない問題で、その当時その当時で、多少趣きの違った事件がきっかけとなって現れてはTVで取りあげられるだけであり、さして珍しい現象でもないのですが、今年はそれがひさしぶりに現れた年だと云えるのではないでしょうか。
 思い出してください。イジメ関連のニュースがTVを騒がせ始めたころ、同じ学校関係では、単位の誤魔化し騒動があったでしょう。あちらは日本の教育、学校教育そのものを見直すべき、たいへん重要な問題であったのにも関わらず、見てください。気づけばすっかり下火になって、イジメ問題の蔭に隠れてしまっています。まあ、それはマスコミの力、と云ってしまえばそれまでですが、その強大なる力の表現するカタチは、決して毎度毎度正しいものとは限らないのです

 このイジメ問題フィーバーのせいで、各局はそれをテーマとした特集番組を製作しています。もちろん、ジャンルとしてはノンフィクション。全国各地にいる被虐待児、もっと残酷にいえば問題児たちを取材し、その生活のすべてを露見させる試みですね。
 イジメの連続で、リスト・カットの痕が両手首を埋め尽くしている少女両親が目の前で自殺した少年暴走族校内暴力少年麻薬から抜け出せない高校生人を殺した中学生学校へ行けない小学生・・・・・・彼らの“リアルな”生活を取材し、彼らが激し、声を荒げる姿をそっくりそのままブラウン管へ映し出す。これでもって取材といい、これらを指して「現代日本の若者たちの実状」と大大的に打ち出す。わたくしは少なからぬ疑問をおぼえて仕方がありません。
 たしかにそれらの映像はリアルでしょう。イジメ関係のストレス、トラウマ、不登校、自殺未遂、麻薬、売春、犯罪、殺人、それらの事象はたしかに日本の若者たちを見据えるに避けては通れないテーマかもしれません。いまの少年少女たちを少しでも理解したいのなら、そんな痛痛しい映像にも目を向けなければいけない、それはよく解ります。ただ、だからといって、そんな“現実”ばかりを取り上げるだけで、本当によいのでしょうか

 いつぞやの「十七歳の犯罪」と騒がれたころからも同様ですが、若者たちが殺人などを犯して逮捕されたとき、決まって、
「あの子が人殺しをねえ・・・・・・優しい、ふつうの子だったのに
 そんな証言が聞こえてきます。もちろん、それが全てだとは思いませんが、火種は表面だけに在らず、地下で燻っている焔というものがあることをわたくしたちは考えねばなりません。ドキュメント映像を撮るTV関係者たちよ、いまの若者たちを追うだけで本当によいのだろうか。その素材が編集されて一本のTV番組になって、わたくしたちの前に流れるころには、もうその少年は牢の中かもしれないのです

 本日、ひさしぶりに『バトル・ロワイアル』(日本映画2000)をDVDで観ました。原作、高見広春。監督は故・深作欣二、主演に藤原竜也前田亜季山本太郎栗山千明柴咲コウ安藤政信ビートたけし。脇にも、現在ではすっかり有名になってしまった若手俳優たちが顔を揃える、この年いちばん売れた日本映画でした。
 公開当時、わたくしはまだ高校生。すでに創作することには目覚めておりましたが、それまでの人生でこの作品ほど、ぞっこん惚れこんだ映画はありませんでした。とにかくハマッた。いや、凝った、というべきかもしれません。リアルタイムで、映画館には都合七回ほど通ったでしょうか。このあとに公開される特別篇も二度ほど観にゆきました。あのころは、今から考えてもすこし異常なほどこの映画に入れあげておりました。
 すでにご覧の方も多いでしょう。この映画は当時、どこかの国会議員さんらが騒いで、「インモラル映画」などと酷評したことで話題にもなりました。なにせ内容が内容ですから、いい大人たちが目くじらを立てて怒っても仕方がないのですが、あれはナンセンスですね。だって、映画なんですから。
 これは嘘なんですから。

 ストーリーはもう云わずもがな。完全失業率十五パーセント突破、失業者一千万人、不登校生徒八十万人。すっかり壊れてしまったある国の大人たちは自信を失くし、子供を恐れ、その結果、やがてひとつの法案が可決されます。
 それが、【新世紀教育改革法】(通称『BR法』)です。全国の中学校の中から任意で毎年ひとクラスを選び、ある一定の限られた場所(映画では島)へ連れてゆく。各人、水と食料と地図、そして武器を与えられ、三日間の制限時間のなかで、殺し合いをします。一同の頸には銀色のワッカが嵌められ、指定された禁止エリアへ入ったり、無理に外そうとしたり、制限時間が来ても数人が生き残っていたりしたら、それが破裂する仕組になっているのです。
 映画では「城岩学園中学校三年B組」四十二名。たのしい修学旅行中に拉致され、ある孤島の廃校のなかで目覚めた彼らは、突然現れた一年生時の担任教師に再会します。
 いまだ事態を把握できていない彼らに、その教師はこう云い渡すのです。

いいかー、この国はこの国信(不登校生徒)みたいなヤツのおかげで、すっかりダメになってしまいました。だから偉い人達は相談して、この法律を作りました

 廃校の教室の黒板には大きく「BR法」と書かれています。教師はつづけて云いました。

そこで、今日はみなさんに、ちょっと殺し合いをしてもらいます。最後の一人になるまでです。反則はありません

 たけしさんの無表情の演技がなんとも薄気味わるく、印象ぶかいシーンですが、このあたりは当時ショッキングでしたね。まだ十五歳になったばかりくらいの中学生たちに、ショットガンや回転銃、鎌や日本刀を渡して、これで最後のひとりになるまで殺し合えというのですから、お堅い先生たちが吠えるのも無理はありません。人道的に問題アリ、と云われても仕方がないでしょう。
 でも当時、わたくしはこの映画にしびれましたね。それこそ浸かるようにこの映画を観まくりました。関連の本も買いあさって、メイキング・ヴィデオも手に入れたほどです。相当にわたくしの趣味と合っていたのでしょうか。

 ただ、今になって思うのは、この映画、ただ単に殺戮をテーマにしていたわけではないのではないか、ということです。すでにご覧になった方はご存知の通りですが、この作品のテーマには「生きる」ということや、当時わたくしが感じたキーワードとしては、「自分自身」というのがありました。つまり、あなたならどうする?という命題の提示ですね。ギリギリの世界。生きるために親友を、恋人を、昨日までクラスメイトだった人間たちを殺さねばならない。そんな状況に置かれたとき、あなたならどうしますか・・・・・・そんなことをこの映画は訴えているような気がするのです。
 ですから公開当時、たけしさんもおっしゃっていました。この映画は特に若い年代のひとたちに観てもらいたいのに、R指定がついている。
 映倫はバカばかりだ、と。

 今を追うことも大切なことですが、それだけではなく、何か違うもの、普遍的なもの、人間性、平和感、生きることの意味を押しつけるのではなく、あくまでそのヒントを提示するだけで、最終的には相手に考えさせるようなTV番組がひとつでも増えれば、日本の少年犯罪は減るかもしれません。

 裏部長としては、子供が強くなること、自分の意見をきちんと主張することには賛成ですし、大人もアタマを柔らかくしてそれに向き合う必要はあると思いますが、お互いに意固地になって、ムキになって、最終的に一方がもう一方を力でねじ伏せるような国になっては、日本も終わりです。
 無理難題、異常とも思える要求を受けて、「どうして俺たちがそんなことしなくちゃいけなんですか」と質問する生徒に、教師がこんな回答を与える時代になったら、もうおしまいです。

お前らのせいだよ。お前ら大人なめてんだろ?なめんのはいいよ。だけどな、これだけは覚えとけ。人生はゲームです。みんなは必死になって戦って生き残る、価値のある大人になりましょう


*上記の台詞は、映画『バトル・ロワイアル』の採録台本から抜粋しました。
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2006年12月27日

なんとかしろよ!

 こんばんは、裏部長です。本州では季節はずれの嵐があり、今日はうってかわって季節はずれのポカポカ陽気。冬の格好をして外へ出たひとは散散な目に遭ったようで、みなさん心のなかでは、
「冬は冬らしく寒くなってくれ」
 と叫んでいたとかいないとか。

 人間はないもの強請りですから、寒くなれば温さを求め、暑いときには冷気を欲する。そんな浅ましい料簡だからこそむしろ人生を生き抜くことができるのかもしれませんが、あまりに優柔不断、というのもまた考え物です。ある芸人さんが、
知識は本来、恐ろしいものだ
 とおっしゃったのが印象に残っていますが、たしかにそうで、あまり外部からの情報に振り回されて、その通りに従っていてはいつか自分を見失います。人間、どこか頑ななものを持っていなければいけないのです。
 そういうことで云うと武術の世界も誘惑の多い世界ですから、この戒めは大いに役立ちますね。斯く云うわたくしがそうで、数年間やっていた合気道から一転、あっさりとこの空心館へ鞍替えをしてしまいました。その、部外者から見ればなんとも軽すぎる転身、好みの変化はお恥ずかしい限りですが、しかしこれは単に出逢った目先の道場へ無闇やたらと飛び込んだわけではなく、合気道修行時代からおこなっていた他流儀武術の研究調査などの結果として、ああこれは合気道を捨ててもいいな、そう思えたからこそ模様替えをしたのです。決して、目が眩んだわけではないのです。

 しかし、まあ何も自分のことを正当化して話すわけではありませんが、わたくしのようにまだ未熟なうちに新たな刺戟を受け、そちらのほうが自分に合っているのではないか、これからの人生をかけて学ぶにたる価値のあるものなのではないか、とそう考えて鞍替えをするのならまだ良いのですが、その道で何十年も修行をし、高段者となり、すでに指導者として活動している人間がかくも簡単におのれの方針を変えてもよいものなのでしょうか。わたくしはそれを疑問に思っています。

 ある柔術系流派の稽古を見学したときのことです。そこの技法は、触れた瞬間に相手を無力化して、すぐさま技へ繋げてゆくという類のものが多かったのですが、師範の受けをとっているのが口髭のある年配の男性。黒帯を締めておりましたから恐らく有段者なのでしょう。見事に浮かされてドッタンバッタンと投げられておりました。演武ですから、それはそれで何も問題はなく、わたくしはひと通り見学を終えて帰ろうとしました。
 そのときです。上記の口髭の男性が、玄関で靴を履かんとしているわたくしに歩み寄ってきて、こんなことを云ったのです。

私は空手八段だが、あの先生の技にはどうしても敵わない。君にはわからんだろうが、あの技をかけられると私でも蹴りが出せない。いやあ、凄い先生だよ

 おそらくこの人は、現在自分のやっている流派とその師範を宣伝したかったのでしょう。こちらが苦笑しているとも知らず、云いたいことだけを云ってそのまま満面の笑みで道場へと帰ってゆきました。
 残されたわたくしは茫然自失の態というやつです。だってリアクションの取り様がないんですもの。自分は見せてもらっている側でしたから、変に意見もできないし、仮令したところで相手は“空手八段”のひとですから、聞く耳すら持ってはくれなかったでしょう。

 わたくしはこの男性の発言に疑問を感じて仕方ないのです。だってそうでしょう。このひとは空手八段だと云った。これが嘘ではなく本当のことだったとして、どんなジャンルの空手道場でも、八段なんていう位まで上がるには少なくても数十年の年月がかかります。勿論それは毎週休まず稽古へ通い、熱心に修行をして数十年です。社会人になって働いて、家庭を築いたあとも変わらぬペースで稽古を続けるなんてことは容易ではありません。そんな数十年間をやり抜かなければ八段なんていう段階へは行けないはずなのです。
 ですから、おそらくあまり障害のない昇段システムのある空手道場のひとだったのでしょう。指導者コースがあったり、ある一定額の金子を出せば段位が買える……そんなところの人だったのかもしれません。
 まあそのあたりの推測は置いておいて、本当にあの髭の男性が空手八段の腕前だったとしてですよ、どうしてその世界で修行を続けないのでしょうか?わたくしはこれが解らない。恐らく何かの演武会か、偶然的な交流のなかであの人はその柔術系流派の稽古を見た、もしくは体験した。そのとき、そこの師範の技にえらく感動をしたわけですね。まあ、ショックを受けたのかもしれない。それまで突いたり蹴ったりしかして来なかった人間に柔術的な技はおもいのほか有効ですからね、「これは神技だ」なんてことを口走ったかもしれません。
 自分のなかに感じたことのない感覚が入ってきて、おそらくあの方は悩んだのでしょう。武術をやっている人間にはよくわかる、七転八倒の苦しみです。しかもあの人は空手のキャリアが数十年あるのですから、そりゃ大変な苦しみ様だったと想像できます。
 その葛藤はいづれ、「空手を取るか、向こうの道場へ移るか」という究極の選択まで発展し、そして結局、あのひとは後者を取ったのです。

 何度も云いますが、わたくしのように、たかだか数年間やっただけで、まだ合気道の何たるかも解っていない若造が、新たに触れた未知の流儀、つまり空心館ですが、これに感動をし、合気道を見限って移ってきたことは無知のなせる無謀といって笑ってしまうことができます。しかし、上記の方のように、その道で何十年も稽古をし、高段位を持つレヴェルに達していながら、それまで自分の味わったことのない技に直面したからといって、自分の流儀を捨てて良いものなのでしょうか。大学に入った頃ならまだしらず、現在のわたくしならそんな考えは持ちません。だから今は胸をはってこう云えるのです。

「空手やってた人間ならさ、相手の技(柔術)がどんなに鋭くて、どんなに凄いもんでも、てめえの空手でどうにかしろよ!技かけられて蹴りが出ねえんだったら蹴れるように工夫しろよ!相手の掴み、投げ、押さえを研究して、空手で攻略できるように稽古しろよ!今まで空手家って名乗ってたんだろ。そんなら、最後まで空手でどうにかしてみろよ!」

 今もおなじ気持です。
 
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2006年12月26日

「受け」のある不思議、「回転」のない面白さ

 こんばんは。日夜、“年末太り”と闘っている裏部長です。今日は久久に稽古以外の目的で大学へ行ってきました。卒業証明書や資格の証明書なんかを発行してもらうためだったのですが、在学時は中央棟ロビーにある機械でピピッと簡単に発行できたものが、卒業したというだけで急にその手続きがややこしくなり、結局わたくしのは機械では無理、受付へ云ってわざわざ発行をしてもらうことになりました。これに要した金子、しめて六百九十円也(郵送料込み)。
 わたくしはてっきり今までどおり機械で済むことだろうと思っていたのですが、向こうのシステムはそのように出来ていなかったようです。すっかりその気で行ってその有様だったので、少し狼狽しました。人間、知らないことに直面すると意外に慌てるものです。

 今夜は家族で鮨屋へいってきましたが、よくこういったお店のお会計のときに、
「おあいそお願いします」
 なんて、物知り顔でいうお客さんがおりますが、あれも無知の恥ずかしさを感じさせる一例です。ご通家はご存知の通り、もともと“おあいそ”というのは、会計を済ませると別れてしまわねばならぬため、店側が、
「愛想尽かしなことですが……」
 と云って伝票を差し出したのがもとであり、現在となっては符牒、つまり業界用語になっているのです。ですから、これをお客の側が発してはいけないのです。
 鮨屋関係でいえば他にも、お茶のことを“あがり”、醤油のことを“むらさき”、ご飯のことを“シャリ”、山葵のことを“サビ”、などなどがありますが、これは店の職人・料理人たちが板場で交わす言葉であり、お客の側がつかうとむしろルール違反というか、粋を知らないなあと笑われてしまいます。
 ですから、上記の“おあいそ”に関してはそのまんま、
「あのう、勘定お願いします」
 でよいのです。

 これらのように、知っているか知らないかで大きな差が出るものとして、空手における「受け」の存在があります。わたくしどものところでは当たり前のように扱い、稽古しているものですが、こと一般的な競技空手においては、ほとんどと云ってよいほど受けの技術は磨かれていないようです。というのも、競技の場ではそんな技術そのものがあまり必要ではないらしいのです。
 わたくしもそんな話を聞き、TVで競技の試合をはじめて見たときには驚きました。なにせ繰り広げられているのはただの殴り合い、刺し違いばかりで、ほとんどが相打ちのようになっているのです。そのなかでやれ青のほうが速かったとか、いや赤の上段逆突きが決まっていたとか、そんなレヴェルで点数を競っている・・・・・・よく云われることですが、「これは果たして本当に空手なのか」そんな疑問が若輩のわたくしの内にも湧いてきました。
 現に、この話題のみに関わらず、長く競技のほうにも関わってきた部長やS呂君の話を聞くと驚くことばかりです。特に「受け」(捌き)の技術に関しては、ある意味で脱帽ものです。そこまで相違があるとは予想だにしておりませんでした。

 ただ、じゃあどうして競技のほうではあまり「受け」を重視しないか、と云えば、それはただ単純に、その技術が必要ないから、若しくは、無かったところで支障はないから、という一文に尽きます。だって必要があるのなら黙っていたって手をつけるはずでしょう。そうしないということは、差し迫って必要がないということなのです。
 だから向こうの方方はそういった方面にとても暗いところがあります。なかば知らないようなものですから、おそらく空心館の空手を知れば、大いに驚き、S呂君ほどではないにしても、相当なショックを受けることでしょう。

 わたくしどものやっている空手と競技の空手とでもうひとつ違うことといえば、「回転」の使用です。この場合、「回転」を用いるのはおもに攻撃、まあここでは突きに絞って考えてもよいのですが、向こうではとにかく腰の回転を最大限につかって突け!と云いますね。今日も古本屋で、DVDつきのそんな空手本を立ち読みしてきましたが、ウンザリするほど「回転」でした。まるで、○○のひとつ覚えみたいです。
 まあもちろん、我我も最初は「回転」で突きます。突き手、引き手にあわせて腰を最大限につかい、軸を安定させて追い突きを出す、日頃いやというほどやっている稽古です。だから、別に間違っている方法論ではないのです。
 ただ問題なのは、それが全てだ、という考え方でいることなのです。
 これは以前に師範もある空手雑誌をみて嘆いていらっしゃいましたが、例えばわたくしたちのようなレヴェルの若輩たちが、
「空手の突きは腰の回転が命!十分に腰をまわして攻撃するのが一番!!」
 なんて声高に云うのはまだ許せるのです。その時点で彼らはそれらの課題に取り組み、腰の回転でもって突きを出せるようにと稽古しているわけですから、それは良い。ただこの方法論を、有段者、特に指導者となっているような高段者がさも途轍もない極意のようにして説いていることが問題なのです。
 これもまた、知っているかいないか、の違いです。回転の良さを知り、加えてその危険性をも知ることができたら、それまでに云っていた己の愚言に顔を赤らめることでしょう。
 本当に、知らないということは恐ろしいものです。

 わたくしが空心館に入ってそろそろ三年。その間にさまざまな武術流派、武道流儀を垣間見、散見してきてもまだその技、詳しくいえば師匠や師範や本部のみなさんの技に魅せられ、飽きない理由は上記にあるのかもしれません。つまり、ここにいれば“知っていられる”から。空心館と出会わせてくれた運命に感謝します。
 裏部長でした。
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2006年12月25日

自主稽古強化週間

 こんばんは、裏部長です。いよいよ2006年最後の一週間が始まりました。みなさん、如何お過ごしでしょうか。
 昨夜の「M-1グランプリ2006」はチュートリアルの優勝で幕を閉じました。予想通りでしたね。他のコンビとは画然たる差があって、会場でのウケも違いました。いやあ面白かった。去年の、あのバーベキューのネタも面白かったけど、今回のふたつのネタも抜群。モチーフだけを挙げると、「冷蔵庫」「自転車の鈴」という何の変哲もないものばかりですが、そこからの変化がすごい。平凡なテーマでも見せ方、変化の仕方によって内容というものは如何様にも変化するのですね。
 よいものを見せていただきました。

 さて、今日からの一週間は「自主稽古強化週間」です。まあ、“です”と云い切ったわりには誰からの賛同も得られておりませんが、結局は、大学での稽古がないから自宅でカラダを動かそう!というもので、クリスマス・パーティやお正月の御節などで太り気味の躰を引締める意味もこめて、今日から裏部長、狭いせま〜い部屋のなかで基本稽古をやるつもりです。
 一月の、稽古再開までには体調を整えておかなければいけません。みなさんも体調管理にはじゅうぶん気をつけてください。

 現在、思案していることが三つ。
 1:ワン・ツーに対する受け、それへ応じる更なる攻撃の仕方。ワン・ツー(上段刻み突き・中段逆突き)へ対する受け方としてはいろいろあれど、逆突きのほうを受ける際は、そのほとんどにおいて左右どちらかに捌くはず。となれば、そうされたときに如何に崩れず、そこから三本目の突きが出せるかを考えねばならぬ。
 思案しているのは、@逆突きを向かって左側へ捌かれた場合。その腕の下を潜るようにして前手の拳を相手の中段へ入れる。このとき重心は前足一点にのり、そこを中心に躰を旋回させる。A逆突きが向かって右側へ捌かれた場合。初歩のころの勢いであれば前手をすでに腰へ引いてきているので、逆突きを持っていかれてもすぐに三本目を出せるだろうが、ふたつの突きの間隔がなくなってきて、両手が重なるように二本を出している場合、前手で三本目の突きを出すのは容易ではない。加えて、相手はこの捌きを「突かせる」形で行なうはずだから、我が躰は前方へ流れている。この際にどうやって三本目を出すか→間合いがないため、前手の肘を咄嗟に曲げて、相手の中段へ落とし込むようにして縦エンピ。

 2:中指を意識した突き→締めの明確化。突きの筋。

 3:突く軌道。己の正中線を突くのか、真っすぐ突くのか。

 これらはいつか師匠に訊いてみたいと思っていることです。最近、急に気になり出したので、ここに書いておきました。

 遅まきながら、メリー・クリスマス!
 裏部長でした。
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2006年12月24日

M-1

 こんばんは。今日はちょっと硬いテーマで、ずっしりと文量のある記事をこれでもかってほど長長とアップしてやる気でいたのですが、先日来申し上げているとおり、師走でなにかと忙しく、気づけばすでに夜で、また間の悪いことにあと三十分ほどで毎年恒例のM-1グランプリが始まってしまうため、今日はそんな云い訳のみでお許しください。
 さあて、今年はどのコンビが優勝するのでしょうね。愉しみです。
 裏部長の云い訳でした。
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2006年12月23日

大掃除

 こんばんは。裏部長です。本日は天皇誕生日で祝日ですが、こういった祝日が週末に重なることほど口惜しい一日はありませんね。同じ休日でもなんだか少し損をしたような気がします。いつも土曜日に仕事をされてる方としてみれば寧ろ有難いことかもしれませんが、やっぱり狡猾いですよ。別別にあれば二日間も休みになるスケジュールなんですから、国家の怠慢としか思えません。
 
 さて、来週であっという間に今年も終わり。あと一週間足らずで平成十八年も幕を閉じてしまいます。TVをよくご覧になる方はもうチェックすべき番組が目白押し、明日明後日はクリスマス関係、それ以降は年末、年が明ければ正月番組と、寝る暇もないほど特別番組が続きます。
 斯く云うわたくしもそんなTVっ子の一人ですが、今日はほとんどブラウン管にも目を向けず、ただひたすらに大掃除をしておりました。というのも、所蔵している本の量があまりにも増えてきてしまい、このままでは本の山に埋もれて窒息死してしまう!と云わんばかりの有様なので、近近新しい本棚をひとつ買う予定なのですが、いかんせん狭い我が部屋なので、無造作に配置していた荷物を大幅に整理しなくてはならなくなったのです。
 今日は一日中その片づけ作業。これがもう疲れるのなんのって、一日かけても半分すら片づいていないんですから、徹頭徹尾「絶望」そのものです。おそらく、予定のスペースが確保されるのにはあと数日は軽くかかるものと思われます。
 ハア、しんど・・・・・・。

 ただまあこれから新しい一年を迎えるわけですから、心機一転、部屋もこころも真新しく着替えて、さっぱりとして除夜の鐘を聞きたいものです。
 明日も、我が部屋では五つ目となる新しい本棚のために、せっせと埃に塗れたいと思います。

 裏部長でした。
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2006年12月22日

よ〜お、シャン!

 こんばんは、裏部長です。今日は朝からどうも胸のあたりが重く、デスク・ワークをしたわけでもないのに肩が凝ったような感じで違和感がありましたが、考えてみればなんてことはない、昨夜師匠の突きを何発も喰らった所為なのです。軽いムチウチです。つまり、師匠の突きは、軽い交通事故とおなじ威力を兼ね備えているというわけです。
 ああ、くわばら、くわばら。

 さて今夜は札幌支部の稽古納め。年内最後の空手稽古でした。参加人数も三々五々集まってきて、結局わたくしを入れて七人、師匠も入れると八人。稽古納めに相応しい盛況ぶりとなりました。
 内容に関しては師匠の記事をお待ちください。まあ、特別になにかをやったというわけではなく、どちらかといえば原点回帰、といった感じでしたね。ただ、裏部長としてはそんな平凡な内容でもじゅうぶん満足なのです。もう一度足元から見つめ直して稽古をしたいと思っているからです。
 これには、昨夜も書きました、技術顧問のT先生のお言葉がかなり関係しています。いろいろと考えさせられる、あとから効いてくるボディ・ブローのような文章でした。

 来年の栃木遠征ですが、現時点での参加者はわたくしを入れて四名に増えております。おそらくこれより減ることはないでしょう。このままであれば来年の三月、師匠を含めた五名であの本部道場へ乗り込むことになります。
 さてさて、来年はどんなことが待っているのか……。

 今日で稽古は終了ですが、このBlogに関しては毎日どうにかこうにか更新し続けますので、みなさん見放さないでください。裏部長、孤独では死んでしまいます。

 それでは、今年一年の総決算と来年への希望、そして皆皆様の健康と活躍を祈念して、一本締めと参りましょう。
 よろしいですか。それでは皆様、お手を拝借。よ〜お、

              シャン!

 あ、まだクリスマスも終わってなかったっけ……。
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2006年12月21日

頸に来る。

 こんばんは。昨夜の約束組手で、師匠の足とぶつかった右脛が痛い裏部長です。名誉の負傷です。
 今日の札幌は比較的気温が高く、雪はおおかた融けているようでした。車を運転される方は楽だったのではないでしょうか。ただ、こういった天気のあとはぐんと冷えるので、融けてべちゃべちゃになった雪が再度凍って、手のつけられない有様になる可能性があります。いや、たぶん確実にそうなります。
 運転者のみなさんは十分にお気をつけください。

 わたくしの書いた「そういえば、帯」という記事に、全日本体道連盟技術顧問のT先生、という方からコメントを頂きました。いやあ、驚いたのなんのって。このT先生については以前から師匠との会話のなかでさまざまなお話を伺っており、まさかあのT先生が書き込みをしてくださるなんて!・・・・・・という驚愕にも似た想いに襲われてしまいました。
 ご丁寧に書いてくださって、ありがとう存じます。これに関しては改めて、おそらく師匠からもコメントがあると思います。
 書いてくださった内容は、粉粉になるまで噛み砕いて消化します。今後とも未熟な札幌支部を厳しいお目で見守ってやってください。
 ありがとうございました。

 さて、今夜は今年最後の体道稽古でしたが、集まったのは神奈川出身のON君、そして部長のみでした。しかも部長はなにやら用事があるというので、一時間ほど稽古して帰ってしまったために、後半は師匠もいれて三人ぎりの稽古。時間もあまってしまって、折角だからと、師匠の追い突きをわたくしたちが交代で受けるといった稽古をして終了しました。
 ちなみに、本日わたくしが習った技は、浅山一伝流体術下段之位十本目「翼締」のみ。この技はヴァリエイションが七通りもあるため、一本のみの教授となったのです。
 
 師匠の追い突きを受けてみたいと云った理由は簡単なもので、最近わたくしたちは師匠へ突いてゆくことこそあれ、師匠から突かれる、ましてやそれを捌くなんて稽古はほとんどと云ってよいほどやっておらず、そこを踏まえて、もしかしたら師匠の突きを受ける若しくは見ることによって新たなヒントが得られ、そこから自分の追い突きに変化を齎せることができるのではないか・・・・・・そう考えたからなのです。
 結果は・・・・・・たしかに僅かながら収穫はありました。今日は師匠の右手に視線を集中させて、握り締めの過程を観察しましたが、これがなかなか貴重な体験で、今後の稽古に役立てたいと思います。
 最後に、ON君も含めて、体道稽古でつかっているマットを腹にあて、師匠の突きを実際に喰らってみる、なんて無謀なことをしましたが、その感想はタイトルにある通りです。突かれた瞬間から上半身の血流が激しくなり、ジンジンとした感じが頸まわりに充満して、そして鼓動が激しくなりました。いやあ恐ろしい。もし師匠が本気で急所を突けば、もしやするとヒトを殺せるのではないか・・・・・・校内に流れているそんな噂が頭を過ぎりました。
 くわばら、くわばら。

 帰途、ON君と「落語」について話しましたが、いやあ彼もよく知っています。まあわたくしと違って彼は怪談話が好きで、そういった本のなかに入っていた落語の怖い噺を知っているだけなのですが、今日確認しただけでも『一眼国』を知っている、『もう半分』を知っている、『たが屋』を知っているト、まるで二十歳の青年とは思われぬ知識ぶり。世の中にはさまざまな人間がおります。

 明日は今年最後の稽古。泣いても笑っても最後の稽古なのです。師走ですから、たとい学生だといっても忙しい門弟諸君でしょうが、どうにかこうにか来てみてください。
 裏部長でした。
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2006年12月20日

割れてぇぇええ!!

 こんばんは、裏部長です。青島幸男さん、ならびに岸田今日子さんがお亡くなりになりました。一度に飛び込んできた訃報でしたので、わたくしも吃驚してしまいました。個性的な表現者がまたふたり、日本の芸能界から消えてしまったわけですが、やはり時代を重ねるということはこういった風に、先人たちの死を見つめることなのかもしれませんね。悲しいことですが、無常に馴れて、強く生きられる人間になりたいものです。

 さて、今夜は通常どおりの空手稽古。しかし、師匠はちょっとした寄合(?)で遅れるということを月曜日の時点で聞いておりましたので、まあ基本くらいはわたくしたちだけで行ない、ちょうど一汗かいたところで師匠合流と、そんなプランでいたのですが、開始時刻の六時をまわっても誰も来ず。大学はもう通常の講義がありませんから、校内はしんと静まり返っております。たった一人ぎりの教室は淋しいものがあります。
 そのうちS呂君が来たので、二三世間話をしてから稽古を始めました。ただ、いつものように差し向かいで突いたり蹴ったりしてもつまらないし、彼もそろそろ初段補にならんとしている人間ですから、基本稽古くらい無説明にできるはず・・・・・・というので、今日はちょっと趣向を凝らして、ふたり互いに反対方向をむき、背中合わせの状態で基本稽古を行ないました
 わたくしはこれを、「バラードを歌うときのKinKiKids方式」と呼んでいるのですが、背中で相手の呼吸を感じつつ然して見えているのは自分の前方だけですから相手に影響されず、自分だけの世界に入って突き蹴りが出せる、なんとも不思議な立ち位置でした。一度みなさんもお試しになってみては如何でしょうか。

 基本が終わらんとしているころに師匠到着。手廻しのあと、少し談笑をしてから稽古再開。
 今日は少し短めの杖をつかって、脇の締めを稽古しました。両手で杖を持ち、右足を引いて構えます。右手を、手の甲が上をむく状態で腰へ引き、これを裏突きの要領で返しつつ正面を突きます。
 これがなかなか難しく、特に武器関係はあまり馴染みのないS呂君は四苦八苦しておりましたが、なかなか充実した稽古だったと思います。そのうち部長もやってきて合流。最後に、相手に杖を横へ出して持ってもらい、もう片方の人間がそれを真っ向から打ち落とす、という稽古をした際、師匠の打ち、わたくしの持ち手の握り締めがバチッと合ってしまい、師匠の杖がスバンと割れました。木刀は過去の稽古で折ったことがありましたが、杖の割れたのは今回が初めてで、S呂君たちは面喰ったようでした。

 そのあとは約束組手。最後は三人して師匠へかかってゆく、いつものヒート・アップ・ヴァージョン。ただ今日の裏部長はいけませんでした。何がいけなかったかって、基本稽古こそ汗を流してやっておりましたが、杖の稽古ですっかり躰の熱さは抜けてしまい、テンションが下がってしまっていたのです。加えて、冒頭で決めた突き二本と打ち二発のコンビネーション、通称「Yスペシャル」(本部のY先生の真似)の達成感ですっかり闘争心が失われてしまいました。まあ決めたとはいっても、突きは軽いし、打ちは浅いし、内容としてはまだまだなのですが、一応形としてはなんとなく雰囲気がよかったので、すっかり嬉しくなってしまったのです。
 これがいけません。わたくしのような低レヴェルな人間が師匠へ打ちかかってゆく場合、そのほとんどは闘争心に拠っています。それこそ師匠を吹き飛ばすくらいの殺意をもって、一瞬にして火の玉のような熱さを滾らせて突かねば突けるものではないのです。今日はその熱さが足りなかった。だから最後のほうなど、足こそ出てはいましたが、腰は浮いているし、手は出ないしと散散。ああ、なんとも口惜しい内容でした。

 しかし、最後の解説で、今後の課題とその取り組み方が明確になったので、収穫はあったと思っています。今年の空手の稽古は残り一回のみですが、なが〜い目で見てゆきたいと思います。

 明日は体道稽古です。
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2006年12月18日

直面

 こんばんは、裏部長です。今日の札幌は寒かった!ここんところ気温も高く、車道なんぞには雪が積もっていなかったので、アレ、十二月でこんなに地面の見えてることが過去にあったかしらん?と可憐な少女のように想っておりましたが、あにはからんや、今朝起きてみれば一面まっ白。どこもかしこも雪だらけです。ちなみに、わたくしが家を出た午前七時過ぎでマイナス三度。急に真冬になってきました。

 世間では依然として物騒な話題ばかりが飛び交っておりますが、みなさん如何お過ごしでしょうか。
 今夜は師匠不在の稽古日。しかし、札幌支部の稽古も今週いっぱいで終わるというので気合十分、やる気満満の態で行ったのですが・・・・・・まあ、その内容は以下のご報告にて。


2006年12月18日(月)曇り。十八歳の少年が父親を刺殺したというニュースを聞くが、いっこうに刺戟なし。
 午後六時、札幌大学1002教室にて空手の稽古・・・・・・のはずが、連絡のミステイクで教室は施錠されたまま。鍵を借りてくるには教室の使用許可証が必要で、しかしこれは現在、師匠と部長しか持っておらず、今日は師匠不在、さらに不幸なことには部長も休みと来ているから、この時点ではどうしようもない。
 仕方なく、すぐに師匠の研究室へ。師匠、大学院の授業へ行くところで、どうにか会うことができる。
 すぐさま許可証をいただき、それを持って教室へ。すでに来ていた新人のSTに守衛室へ行ってもらい、鍵を借りてもらう(借りるには学生証が必要なため)。
 六時過ぎ、二人ぎりで稽古開始。
 基本稽古、軽めに、しかし丁寧にひと通り。特に蹴りでは、私がSTの前に立って構え、その蹴る位置を確認したり、横蹴りでは実際に蹴らせてみた。
 手廻しは時間の都合上、省略する。代わりに、過去にすこしだけ稽古した、腕を掴まれたときの指の開き(掌の張り)をやってみる。
 その話の流れで、抜手術を。順手、綾手、抜くのに体捌きを合わせる、躰の中心で行なうことに留意する。
 型。「四之型」から、下段払いと上段受け、二つの形を稽古する。
 約束組手。中段追い突きのみ。STに関しては、突く際はとにかく肩を出さない、受けられ馴れをしない、第二打(左拳)を出すつもりで相手を見つづける、脇をあけない。受けに関してはさほど問題点なし。
 八時、終了。


 とまあこんな感じで、今年最後の稽古の一週間の幕開けとしては若干心細い集まり具合でした。それも、ST君にしたって所用の帰りで胴着は持ってきておらず、しかし稽古にはどうしても出たいというので、ジャージを着込んでの参加でしたから、もしかするとわたくし独りということも考えられたわけで……なんとも恐ろしい限りです。

 今日はもう本当に「差し向かい」という表現が相応しい稽古で、基本にしても抜手術にしても、一対一、真っ向勝負の二時間でした。というのも、今日のような人員の場合、わたくしはどうしたって指導側へ廻らねばならず、自然と「教えるひと」になるわけですが、こちらの思惑どおりにすべてが運ぶわけではないからです。
 たとえば抜手術に関してわたくしが実演をしようと思い、やってみたところで相手が思うような動きをしてくれなかった場合など、すぐさま説明の方法を変えねばなりません。そうなってしまう原因はいろいろあれど、多くは相手が受け方、捌き方を知らないために、こちらの予想しないような動きに出てしまうからであり、仕方がないといえば仕方がないのですが、教えているときにそんなことは云っていられないので、どうにかして解説を続けるのですが、これがまさに真剣勝負。どんな危機に直面しても動じず、言葉を変えて同じ内容を説明するのは至難の技ですね。師匠の大きさがこんなところでもよくわかります。

 わたくしの拙い解説で、ST君がどこまで把握してくれたか、それは判りませんが、こと型に関してはすこし自信を持ってくれたことでしょう。彼自身、型には並並ならぬ興味を持っているらしく、至極真剣に取り組んでおります。がんばってもらいたいものです。

 さて、今年も残すところ稽古は三回のみです。凍てつく寒さのなかですが、みんな気張って来てください。
 ノロウィルスにかかっていないのであれば是非来てください。
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2006年12月17日

「成立しているか」という考え方

 こんばんは、裏部長です。もうすっかり年末ですね。押し迫って参りました。お仕事をなすっている方はもう師走というくらいですから、毎日たいへんなご多忙ぶりでしょう。心中お察し致します。本部や奈良支部の諸先輩方も同様でしょうね。学生身分で自由に稽古ができる札幌支部の門弟たちはもっと日日の時間を有意義に使わねばなりません。
 斯くいうわたくしも左様です。談志さん風にBlogを書いて得意になっている場合ではありません。

 師匠の書き込みにあった通り、わたくしやS呂君なんかが現在取り組んでいるのは、突き」そのものの形づくりです。追い突きの、あの突っ込んでゆくような勢い、躰(軸)の移動、迫力、スピードなどとは切り離して、突き」単体できちんと「突き」になっているかどうか、またそうできるかどうか。これをやりたいわけです。
 似たような話をわたくしは、今年の春ごろ、栃木から帰って間もないころに師匠から云われた記憶があります。
 今年三月の遠征ではその初日の稽古で、O先輩から初速を意識した追い突きの指導を受けたわたくしは、札幌へもどってきてからもその課題をずっと考え、稽古のなかでも工夫しておりましたが、そんななかにあって、悩んでいるわたくしに師匠はその手解きをする一方、「初速を疾めると突き全体が流れてしまう危険性が高い。よって、そういう突きをする際は、最後の突きの部分を成立させるよう努めねばならない」と、こうおっしゃったのです。

 つまり、「突き」というのは一瞬、追い突きのあのストロークのなかの最後のほうだけを云うわけですね。それまではただ躰を運んでいるだけ腕を伸ばしているだけであり、本来の「突き」とは拳を返して締めるその一瞬だけなんだト、そこをきちんと成立させなければどんな動きをしても次のレヴェルへは上がれないト、簡単にいえばそういう段階に来ているらしいのです。

 この「成立しているか否か」という考え方を、わたくしは重要と考えます。何故ならそれは他の分野にでも活用できることだからです。
 わたくしの場合、それを「物語」というものに活用します。ときには小説、ときには映画、TV、舞台、絵本、落語、すべての「物語」の判断基準にこの考え方をあてはめるわけです。
 もちろん、その基準を設けて判断するにはもっと多くの、もっと細かな要素・情報を得ていなければいけず、それらを十分吟味したうえで判断を下すのですから、そう単純には答えは出ませんが、しかし目をつける部分はその一点でよいと考えています。つまり、「成立しているか否か」、これを見るだけで物事、とてもよく判ってくるというわけです。

 なんだか支離滅裂としてきましたが、結局は今後、わたくしたちはそんな観点で稽古をしたらよろしかろうト、つまりはそういうことです。「突き」の話ですから、基本稽古の其場突き、移動稽古の追い突きや逆突き、約束組手でやる種種の突き、そのいづれにおいても「突き」単体がきちんと「突き」として成立しているかどうか、これを気にしながら突いてゆこうト、そんなことを裏部長は云いたかったわけです。

 最近、自分でも好きになれない文章ばかりで相すみません。少し経ったらまた普段の陽気な感じにもどると思います。
 さて明日からはまた新たな一週間。今週の金曜日で、札幌支部の平成十八年の稽古は終わります。来られる門弟諸君はこぞって参加してください。
 それでは。
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2006年12月16日

名前なんてどうでもいい

 こんばんは、どうも裏部長です。暖房が欠かせなくなる季節になってきましたが、ことストーブとか何何ヒーターなどというもんを使う際はじゅうぶん気をつけなきゃいけませんね。先日の苫小牧の、アパートかどっかの部屋ンなかから死体が七つ出てきたという、一見ただならぬ事件のように見えたあのニュースも、結局のところは一酸化炭素中毒だったわけでしょう。まあ、ストーブのほうに不良点があったわけで、使ってた人間のほうに落ち度はないんでしょうけど、われわれも注意せねばならんですな。そんな商品が巷にゴロゴロと転がってるんですから。メイカーなんぞ信じちゃいけません。

 そういえば昨夜の稽古の終わりにこんな話が出ました。わたくしが先日いただいた浅山一伝流体術の中段之位の目録ですね、ここにざっと書いてある十二本の技のうち、最後の「山脈取」が「三脈取」となっていた。これはどういうことなんだ、という話になったわけです。師匠の手持ちの資料を見るとそこではきちんと前者になっている。つまり、わたくしと師匠とのあいだに誤った教授はなされていないわけです。うん、これはいい。
 ただ現に師範の書かれた目録では後者の「三脈取」になっている、これはどういうことなんだト。師匠も、もしかしたらそういう風に名称が改められたのかもしれない、とおっしゃってましたけどね、ウチの道場はこの手の直しが多すぎる。別に苦情ってほどのことじゃないんだけども、たびたび起こるからねえ、教わっているほうとしては頭ンなかで整理するのにときどき戸惑いますよ。つまりロボットじゃないわけですからね、間違って数箇月前に教わった古いほうの動きをしてしまうかもしれない。わたくしにも経験があります。
 空心館としては方方の資料を研究して、その上で内容を変えたり名称そのものを変えたりとしているわけですが、そうコロコロ変えて本当に大丈夫なんでしょうかねえ。教わるほうはついて来ますか。みんながみんな利口なわけじゃない、なかには云っても云ってもわからないやつがいる。そんな道場にあって、各支部にあって、そう何度も直したり変えたりしていて、本当に良いものなのかねえ。

 そんなことをわたくしが訊くと、師匠はいとも簡単に答えたね。

「ホントのところ、技の名称なんてどうでもいい。技のエッセンスさえ伝えられていれば」

 そう、これだ!武術はエッセンスなのだ。それを伝えるから伝承といい、そこに流れが出来るから流派という。現に空心館はそうしている。過去の不必要な伝統だとか云い伝えだとか、厭なニュアンスのしがらみ全部取っ払っちゃって、一番いいもの、正しいとまでは云わない、武術として信憑性のあるものを採択している。これが空心館のスタンスなんです。
 だから結局のところ、「山脈取」だろうが「三脈取」だろうが、どうでもいい。技の内容とそこにあるエッセンスは同じなんだから。教わるほうはそこを教わってればいいんで、なにも深く深刻に考える必要はないんですね。

 これはもちろん空手のほうにも云えます。ひとつの型にしたって追い突き一本にしたって、その人間の体格、性格、女の好み、まそんなことは関係ないけども、もろもろの違いでもって一つとして同じ形はない。でも流派としては一貫性がある。じゃあそれは何かっていや、それがエッセンスなんだト。つまりはこうなるわけです。


 えー、今夜はちょっとした趣向で、立川談志さん風に書いてみました。裏部長、普段はこんなに横柄ではないので、あしからず。
posted by 札幌支部 at 22:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2006年12月15日

ああ、やっぱり師匠の突きは「音」が違う。

 こんばんは、裏部長です。今日の札幌の路面は最悪です。車道はまだいいんです、雪はほとんど融けて積もっていませんでしたから。しかし歩道がいけない。昨日までの気温の高かったせいで融けた雪が今日の氷点下で一気に凍って、もはやそこは歩道に非ず。まるで、ただの氷の上を歩いているが如くでした。
 あんな路面状況だったら、転んで怪我をするひとも出てくるのではないでしょうか。特にご婦人、そしてご老年の方方ですね。スゥと出したらツルンと滑って腰か頭をガツンと打ちつけてそのままポックリ逝ってしまうことだってありますから、十分お気をつけていただきたいと思います。

 さて今夜も稽古がありました。師匠は仕事の関係で、午後七時過ぎに合流。それまでは裏部長、ON君、S呂君、少し遅れてOBさんの四人で基本稽古ひと通り(軽め)、手廻し、型の復習をしておりました。
 師匠合流後のことは、師匠のBlogのほうが詳しいと思うのでそちらを参照してください。

 稽古終了間際にあった「突きの締め」に関するお話は、これからの追い突き―逆突き・刻み突き―最後の最後まで拳は返さないという基本、という構図をはっきりと浮かび上がらせ、一本の道になってくれました。その理想像は、そういえばずっと以前から見てきた師匠の突きそのものでした。ああ、あんなふうに突きたいな、と思っていた突きを今度は自分でものにしなくてはならない……なんとも勇ましい気分になってきました。

 今年の稽古もあと四日となりました。その間にこの課題はクリアできそうにありませんが、長〜い目でみて頑張ってみようと思います。
 裏部長でした。

 
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