2007年02月03日

感想と告知

 こんばんは、裏部長です。今日は節分ですねえ。方方から「鬼は〜外!」「福は〜内!」という声が・・・・・・すっかり聞こえない時代になりました。わたくしどもの家では一応形だけでも一連の動作をやって二月三日を終えるのですが、やっぱりそんな古くからの風習を守っている家は少なくなってしまったのでしょうかねえ。

 奈良のM田先輩、書き込みありがとうございます。諸先輩方からのこのような書き込みがあると、恐らく、札幌支部の門弟諸君も触発されてここへ戻ってきてくれることでしょう。賑やかになることを祈ります。
 しかし、先輩。「くだらない映画の話なんか」ってえのはチトひどいっスよもうやだ〜(悲しい顔)これでも幾らか努力して映画評書いてるんスから。たといそれが雑文程度のレヴェルであったとしてもですね、この広い世の中、裏部長のそんな拙い文章を心待ちにしているひとが、もしかしたら一人くらいいるかもしれないんですから、大目に見てやってください。
 ご質問にあった筋肉痛ですが、さあ、どこかなあ。いえね、ここんとこ二週間くらい稽古らしい稽古をしていないもので、すっかり躰が鈍っちまってんですよ。情けないことですけどね、しかしそれにしても、どうかなあ、筋肉痛になるところと云えば・・・・・・。
 関係ないかもしれませんが、最近ちょっと二の腕の裏側っていうんですか、あの、半袖着てるときに手なんか振るとぷるぷる震えるところ、あそこに張りが感じられて、また若干、右肘あたりに痛みが出てきております。筋肉痛ではないでしょうが、なにか関係のある痛みであろうと信じております。
 ただ、基本的に怠惰ですからね、裏部長は。稽古で蹴りを多くやれば次の日に太腿が重くなるし、体道でうまくゆかなかった次の日は上半身の肩から腕のあたりが痛いし、いま考えつくのはそういったところでしょうか。まだまだ、基本的なところで修行が足りないのです。
 

 さて、今日はちょっと試みに画像を載せてみましょうかね。わたくしもこの札幌支部のBlogへ書き込みをするようになってから、方方のさまざまなBlogというやつを散見するようになりましたが、やはり画像がなけりゃ地味です。文章だけじゃ惹き込まれません。ふいに飛び込んできたひとをひきつけるには、やっぱり視覚的に攻めなくちゃ。
 というわけで、今後はできるかぎり画像をアップしてゆきたいと想いますが、今日はその試験運行ということで、先日このなかでもご紹介をし、実際にご本人にもコメントを頂いた早川剛さんの作品を載せてみます。
 この作品は、映画『同じ月を見ている』の劇中に登場する一作で、わたくしはこれを見た瞬間に映画のことを忘れてしまいました。凄まじい世界観です。


早川剛.jpg


 作品にタイトルはついてません。わたくしであれば、月が印象的ですし、また全体的に炎のイメージがあるので、「荒城の月」ならぬ『炎上の月』、これを少し変化させて、『焔上の月』なんて題名をつけそうなもんですが、どうでしょう。圧倒的なスケールです。
 このほかにも同氏のHPには作品の画像がありますし、今年から作品集の販売もスタートしているので、この絵を見てビビッと来たひとはぜひそれらを買って応援してあげてください。
 尚、これらの宣伝や画像を載せることについては、すでに早川さんご本人より許可を得ております。あしからず。
 画像、うまく載ったかな。

早川剛HP「早川 剛の主に日本画」
URL   http://www.asahi-net.or.jp/~fr3g-hykw/
MAIL fr3g-hykw@asahi-net.or.jp

 裏部長でした。
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2007年02月02日

動かざること山の如し

 こんばんは、昨日は少し感傷的だった裏部長です。なーんも気にしないでいいんです。あれくらいのことはもう馴れておりますから。平気平気、ってなもんです。
 ただ、こうも長く稽古のない日が続くと、札幌支部のこのBlogもあまり賑わいません。まあ、普段からあまり賑わってないですけど、とにかく稽古してないんだから書くことも基本的にはありません。わたくしも明石家さんまじゃないんですから、そう次から次へと新しいネタが湧いてくるわけはないのです。
 みんな、少しは書き込んでください。こういう有様を日本語では「閑散」といいます。なんて淋しい言葉でしょう。嗚呼、悲しや悲しや。

 さて今夜は、空心館本部道場のある師範代の其場突きをとりあげてお茶を濁します。
 つい先日にもそう書きましたが、最近わたくしは過去のVTRをよく見返しておりまして、そのなかに、二年前の二月に行なった栃木遠征の映像があります。つまり、平成十七年二月の空手の稽古ですね。あのときは師匠とわたくしと部長、そして最近はとんとここにも名前は登場しませんが、初期のメンバーであるT君が参加した遠征でした。
 あのときの稽古は、本部のみなさんもその人数に驚いたほど、普段はあまりお見えにならないような方たちも参加されて、それこそ足の踏み場がないほどの盛況ぶりでした。初めての本部道場というだけでカッチカチに緊張していた我我はさらに固くなり、かえってあまり汗をかかなかった記憶があります。
 このとき、道場の奥に三脚をたて、ヴィデオ・カメラでその風景を撮影していたのですが、最近わたくしがよく見ているのは、このときのVTRなのです。なにぶんにも初めてのことでしたから、律儀にも基本稽古の最初から撮影されておりました。
 せっかくですから、このときの稽古内容をざっと書いておきましょうかね。

・其場突き:90回(10)。
・前蹴り(中段):20回(10)、上段:10回。
・受け四種:左60回、右60回(各10)。
・廻し蹴り(中段):20回(10)、上段:10回。
・刻み突き:40回(10)、連続:左右10回づつ。
・裏拳打ち:40回(10)、前方へ:20回。
・横蹴り:20回(10)。
・手刀打ち(外):40回(10)、内:20回。
・後ろ蹴り:20回(10)。
*()は気合を発しない冒頭部分の本数。

 基本稽古はこんな内容だったのですが、この映像のなかでわたくしが注目したのが、Y師範代の其場突きです。
 一同を前に号令をかけていらっしゃった師範代はちょうどカメラに躰を向けている格好でありましたので、非常によく見えるのですが、この其場突きの凄いこと。
 なにせ、躰がまったくブレないのです。足、腰、胴体、そのすべてがちゃんと締まっているためか微動だにせず、而して腕、手首から先はほとんど脱力され、むしろ宙ぶらりんになっているが如くです。なんとも惚れ惚れするような其場突きです。
 何が凄いって、あなたも一度そんな突き方でやってごらんなさい。無論わたくしもすぐに真似てやってみましたが、全くできません。手先の脱力だけはうまくできるのです。ただ、ここを脱力してしまうと躰のほうもなんとなく締りがなくなっちゃって、全体的にダラッとしてしまうのです。
 Y師範代の突き、その躰の動かざること、まさしく山の如し!
 映像を見ていない人はそれがどんな動きか、まったく想像ができないでしょう。ヘッ、ざまあみやがれってんだ!

 最後の最後に悪態をついてしまい、申し訳ないもうやだ〜(悲しい顔)日頃の鬱憤がつい出てしまったようです。
 明日は節分ですねわーい(嬉しい顔)
posted by 札幌支部 at 20:24 | Comment(2) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2007年02月01日

淋しい

 こんばんは、裏部長です。昨夜もそう書いた通り、今日は二月一発目の稽古だったわけですが、その予定通りにゆかないのが札幌支部というところです。わたくしは少し早めに大学へいって、師匠から教室使用許可証のコピーを一枚もらって待機していたのですが、いつまで経っても誰も来ない。結局、三十分ほど待って、それでも来る気配がなかったため、そのまま帰ってしまいました。何のために大学へいったのか、よくわかりません。

 淋しい・・・・・・このひと言に尽きるでしょうね。最近はこのBlogもあまり書き込みがないし、一応わたくしはどうにかこうにか毎日書くようにはしておりますが、反応がないと不安になってきます。本当に誰かが読んでくれているのだろうか。

 こう稽古のない日が続くと武術関係の話題も生まれません。今週はもう稽古がなく、来週は、七日にちょっとしたイヴェントがありますが、稽古自体は九日の金曜日までありません。なんとも淋しい限りです。

 なんだか愚痴っぽくなりそうなので、今日はこれくらいにしておきます。
posted by 札幌支部 at 19:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2007年01月31日

ハイジャンプしよう

 こんばんは、つまらない映画を観ると頭痛に襲われる裏部長です。あれはおそらく緊張型の頭痛ですね。映画館のなかで二時間ちかく同じ体勢でじぃーとしているのですから、肩から背中にかけての筋肉が動かず、血流が滞って凝ってしまうのも当たり前ですが、ただこれが妙なことに、その映画がおもしろいと頭痛はやって来ないのですね。人体というのは良くできているもので、たぶんその映画が面白いときというのは若干カラダが興奮している状態でありますから、全身の血流が活発になっているのでしょう。ひとつのバロメーターと云えます。

 さてさて、今日は新作の映画を一本ご紹介しましょう。Blogのタイトルからすでに察しているひとがいたら凄い。いま出演者たちがこぞってTVへ出て宣伝をしている『どろろ』(日本映画2007)でございます。
 原作はあの手塚治虫さん。監督は塩田明彦。主演はもちろんこの二人、妻夫木聡柴咲コウです。脇には中井貴一さん、瑛太原田美枝子土屋アンナ劇団ひとり原田芳雄麻生久美子杉本哲太、そして中村嘉津雄さん。アクション監督には、『少林サッカー』や『HERO』、『LOVERS』などのコレオグラファー、また古いところでは『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』の監督としても有名なチン・シウトンが起用されています。
 舞台はある戦国の世。中井貴一さん演ずる武将が、天下を手に入れるため、〔地獄堂〕のなかに眠る四十八の魔神たちへ願をかける。すると彼らはそれに応えて、武将の子供のカラダを差し出せば天下を治むるだけの力を授けてくれるという。
 中井さんはすぐさま承諾。生まれたばかりの男児の躰の、四十八箇所を切りとって彼らへ与える。一方、躰のあちらこちらを切りとられ、泥人形のようになった主人公は、母親の手で川に流される。
 その後、ある呪師がその赤子を拾い、術でもって躰のパーツを拵えてあげる。少年はしだいに成長し、青年となったころ、父と慕っていたその呪師の死を機会に、失われた己の部位四十八箇所を取りもどす旅に出る・・・・・・。

 とにかくTVでも厭ってほど宣伝をしていますから、これだけでもう十分でしょう。手塚さんの漫画をお読みの方も多くいらっしゃることでしょうし。
 
 映画としては、中途半端、このひと言に尽きます。もっと云えば、背伸びをしようとしてやっぱり高さが足りなかった映画、ってな感じです。あんまり文章を割いて話すようなレヴェルのものではありません。全然ダメー、おしまーい。
 駄目な点を挙げてゆけばキリがありません。とにかく駄目なところばっかし。わたくしがその欠点に気づいたのは、開始早早三分くらいのところです。中井貴一さん演ずるボロボロになった武将が、地獄堂で魔物たちへ独白するシーンですが、これを見たとき裏部長はビビッときました。
ああ、この映画、停滞するタイプだな
 ってね。
 前にも書きましたが、映画というのは常に現在進行形です。ストーリーは常に前進していなくてはならないのです。
 それが案の定、です。この映画ではよく止まる。ひとつの場所で行なわれる芝居が多すぎる。その土地で何泊もしてんじゃねえのか、と思ってしまうくらいです。
 そのほかに云ってしまえば、映画の内容に照らして画質が合わない脚本が悪い台詞が悪い、これらは結局「監督が悪い」これに尽きますね。
 この三点のなかでいちばん気になったのは台詞です。いやあ、驚きました。ここまで台詞の書けない脚本家がいるのかと思うと暗澹たる気持になります。
 この映画は戦国期を舞台にしておりますが、別に日本だとは云っておりませんし、現に登場する文化や風俗も、砂漠地方のような空間が出てきたり、中国人のような服装が出てきたりしております。ただその一方で、兵士たちは日本の甲冑をつけているし、最後に出てくる城は安土城そのものでしたから、おそらくそれらをひっくるめて登場させることで、単純な日本の歴史ものではない雰囲気を作ろうとしていたのでしょう。どこか無国籍のような、そんな世界観を狙ったのかもしれません。これは別に、アイディアとしては悪くないものでしょう。
 ただ、やはり基本的には時代劇です。出てくるのは百姓であり住職であり琵琶法師であり、そして侍なのです。実際、時代劇の台詞がその大半を占めておりました。
 しかしそれならば何故、台詞のなかに現代風のことばを入れるのでしょうか。
 たとえば「おれ」です。瑛太さんは自分のことを「おれ」と云っておりましたが、戦国期の武将の息子が自分をさすのに「おれ」と云うでしょうか。
 尋ねる際のことばも統一感がありません。まず、映画のなかの台詞として「なんで?」というのは最も相応しくありません伊丹十三さんが書かれているように、映画の台詞とはことばの煮凝りのようなものなのですから、この場合「どうして?」と云ってもらいたい。時代劇であれば「なぜ?」もしくは「なにゆえ?」でしょう。しかし、この映画ではそれが渾然一体となっているのです。
 脚本には監督自身も参加されています。故・今村昌平さんもおっしゃっておりましたね。良い脚本を書けない監督は駄目な監督だって。

 演技陣のなかで評価できるのはほとんどおりません。妻夫木さんは低いトーンで喋るところはどうにか様になるのですが、少しぶっきらぼうに「〜じゃねえ」とか「でけえ」とか「ひれえ(広い)」なんて云うところに差し掛かると、急に二十代の現代人へ変貌してしまいます。
 柴咲コウさんはほとんど駄目。下手。男のようにべらんめえ調でやる台詞の捲し立てで良かったところは皆無でしょう。ああいう演技がうまい女優さんは昔よくいたものですが、どうも現代ではそう簡単にはゆかないようです。
 あとの人たちは別にどうってことありません。というのも、元である映像、脚本、監督からしてすでに間違っているため、俳優たちがどんなに頑張っても、沈没する船のなかで水泳の訓練をするようなもので、何にもならないのです(刀などの武具の扱い、着物、歩き方などの所作、すべてが的外れ。監督はよほど時代劇を知らないひとらしい)。
 アクションもそうです。ワイヤー大活躍、CGフル活用のアクション・シーンも撮り方ならびの演技している役者たちがアクションというものを知らないから、何をやっても巧く見えない。
 ひと言でいえば、空廻りの二時間、これでしまいです。

 なんでも昨年の邦画の興行収入が洋画を抜き、またその額が五十億円を超えているものも何本かあると報道されていましたが、こんなニュースに惑わされてはいけません。たしかにデータとしてはそうかもしれませんが、昨今の日本映画の製作予算を見てもわかるように、どんな小さな作品でも大金をかけるようになりました。それはおそらく、さまざまな企業の映画界参入というのが原因になっているのでしょうが、ただそれだけのことで、映画の質そのものはむしろ下がってきているように思えて仕方ありません。
 日本人はなにかというと、時代の価値観に自分の価値観を沿わせてしまう傾向があります。現在の日本映画でその観客数が増えたといっても、それは映画そのものの内容に惚れてきているのではなく、たとえば、その映画がいま一番人気だから、とか、観ておかないと周囲の話題についてゆけないから、とか、本来的な理由ではない動機でもって観ていることが多いのです。現に収入ランキングの上位三つは、どれもその質が平均以下のものばかりです。こんな内容の映画でも五十億円以上稼いでしまうというのは、むしろおかしなことで、われわれはそれを恐ろしいとさえ感じる必要があります。
 たとえ世の中が「優れている」と云っていても、決してその通りではないことが、この世の中にはいくつあるでしょうか。映画もそのなかの一つなのです

 長くなってしまいましたが、結局のところ、『どろろ』は観る価値なーし。全然だめー。おしまーい。こんなものに千円以上の金を出して二時間ちかくのスケジュールを潰すくらいなら、手塚さんの原作本を買って喫茶店かどこかへ入って二時間過ごしたほうが余程有意義です。悪い映画は、お金と時間を奪うだけではなく、人間の感性を腐らせてしまいますからね。みなさんも十分気をつけてください。
 さあ、明日は二月最初の稽古日です。ただ、師匠は参加できなさそうなので、一応は体道の日ですが、空手をやることになると思います。みなさん、その心算で用意しといてください。
 ああ、今日は久しぶりに頭痛薬を呑んだ。
posted by 札幌支部 at 20:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2007年01月30日

手刀の使い道

 こんばんは、裏部長です。気づかぬ間に当Blogのトップ・ページがリニューアルされて、なんだかお洒落な感じになっております。きっと、おすぎさんがやってくれたのでしょう。忙しいのに有難いことです。

 このBlogは一応、トップ・ページにもそう書いてありますが、日本武術研究所空心館札幌支部の面面が、その日その時に想いついたことごとを、ただ想いつくままに書き連ねるところでございますから、今日は久久にその方針に従いまして、裏部長の想いつくままを二三書いて御暇を頂戴しとう存じます。

 最近よく、二年前にいった栃木遠征のVTRを見ているのですが、向こうで行なった空手の稽古のなかで、札幌ではあまりやっていないものに「手刀打ち」があると気づきました。もちろん、手刀受けなどの受け方、それらを使用する型自体はきちんと稽古しているのですが、基本稽古における打ちとしての手刀はあまり稽古していないように想われます。
 現時点ではこれに対し、わたくしには二つの予想ができるのですが、ひとつは門弟たちのレヴェルです。当然のこととして、入ったばかりの子にいきなりあれも覚えろこれもやってみろと、急にたくさんのことを教えるわけにはゆきません。やはりまずは其場突きから入って基本稽古のなかの本当に基本的なことだけを教え、移動稽古もやり、約束組手もやって、さあ次の動作へ、と進んでゆくのが妥当でありましょう。わたくし自身も入ってすぐには手刀打ちを教わりませんでしたし、一同も、ある程度進んだころにまた新たな門弟が入ってくるため、幾人かはまだやったこともない可能性があります。
 予想の二つ目は、あまり使えないから、というものです。空手にはさまざまな攻撃部位があり、そのラインナップはたいへん興味ぶかいものがありますが、やっぱり何といっても拳が最大の武器になるでしょう。突きというものがその大半を占めている現在、拳を中心に稽古するのは当然のことで、貫手や手刀は二の次三の次にならざるを得ません。時間は限られていますからね。
 また、個個の技の動作をためす約束組手においても、手刀は打ちとしてあまりスムースに使えません。無理をして使うくらいなら突きを稽古したほうが有意義というものです。現に過去、師匠からそんなアドヴァイスを受けたこともあります。
 上記の理由などから云って、師匠はその稽古する優先順位として手刀打ちを後ろのほうへ置いているだけなのかもしれませんが、果たして本当に手刀打ちって使えないんでしょうかね。もちろん個人のレヴェルは関係あるでしょうが、その形自体が有効な攻撃にむいているかどうか、それはわかりません。受けや柔術的な技への使用のほかに、いわゆる空手的な攻撃手段としての手刀打ち、この価値を認識したいものです。

 最後に、現在わたくしの追い突きのテーマをここに掲げておきましょう。それは、
横回転から縦回転への移行
 です。
 なんとも硬いテーマですが、その内容は単純明快。これまでは腰の回転でもって突いてきました。躰の軸を安定させ、まるで自分の腰が、中華料理屋のターン・テーブルになったが如く細かく回転させ、これでもって左右の突きを出す、これが今までの形だったのですが、これからは違います。この横の回転をとめて、躰のなかに縦の回転を生みだすのです。
 それには股関節の柔らかさなどが必要なのですが、そっちの話はしていると細かくなりすぎて、恐らくわたくし以外には誰もわからないと想われるため、省きます。
 とにかく縦回転なのです。これをやりさえすりゃ良いのです。
 ただそれが難しい。まあ当たり前といっちゃ当たり前ですが、躰の構造改革が必要です。「まるで腰まわりの構造改革や〜」
 しかし、ものは考え様で、結局からだのなかに縦回転をしないと突きが出ない状態を作り出せばよいのかもしれません。逆にいえば、どうしても横回転に頼ろうとする腰にブレーキをかけ、その方向には動けぬように意識して止めてしまうのです。でも、踏み出した足は止まらないし、追い突きの勢いは出来上がっているわけですから、何がなんでも突かねばならない。
 そこで縦回転が生まれる。縦回転をするほかに突きの出ない状態をあえて躰のなかに作ることでその動作を生みだす
 こんな作戦はどんなもんでっしゃろ?

 えー、最後はよくわからない関西弁で幕を閉じましたが、これが今日、裏部長がぼんやり考えている武術関係のことごとでした。
 明後日から稽古が再開されますが、二月は大学でもいろいろと行事があるらしく、結構不定期になっております。門弟諸君は間違えないようにしてください。
 裏部長でした。
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2007年01月29日

孤独が伝染する

 こんばんは、最近どうにか体重が落ちてきた裏部長です。わたくしは柄にもなく便秘症のため、溜まっていたやつがドッと出るとそれだけで二キロほどは減り(汚い話やなふらふら)、また加えて自主稽古も強化しておりますから、そのあたりの作戦が効いてきたのでしょう。これに満足せず、まずはこの体重の維持に努めたいと想います。

 以前にこのBlogでも紹介したあるドキュメント番組・・・・・・ある歌人と死刑囚の交流を追った一時間ほどの作品でしたが、あれが何でもFNSかどこかのドキュメンタリー大賞を受けたそうで、昨夜それをTVで知ってびっくりしました。わたくしも興味はありながら、やっぱりノンフィクション系のものはあまり見ないのでねえ、たまたま見たその作品が受賞したというのは偶然ではないような気がいたしました。
 そんな驚きを胸に夜、寝床に入って読書などをしておりますと、あれは日本テレビ系列ですか、夜中の午前零時過ぎから一本のドキュメント番組が流れておりました。毎週日曜の深夜にあるやつですね。わたくしも何度か見たことがございました。
 昨夜は別にこれといって見ようという心持ではなかったのですが、いい加減読書にも飽いたころだったので、何気なくブラウン管へ視線を送ったら最後、しまいまで見てしまいました。惹きこまれてしまったと云ってよいでしょう。
 取りあげられていたのは「ネットカフェ難民」という人たち。難民、という言葉がついていても舞台はこの日本です。とてもとても深刻な内容でございました。

 さまざまな理由で自宅にいられなくなったり、境遇として、または自分の意思で独りになり、世間へ出た若者たちに貯蓄はありません。だから、ひとまずアパートを、なんて具合にはゆかず、激安の家賃でなおかつ敷金礼金保証人すら必要ない、というような、少し如何わしい不動産屋に駈けこんで安い部屋で暮らし始めるのです。
 もちろん、そんな好条件のところにまともな部屋などはなく、家賃を一日でも滞納したら即刻追い出されるという、半分詐欺のようなところばかりです。ある青年などは、インフルエンザにかかってしまったため少しだけ家賃を払うのが遅れてしまった。これを不動産屋へもきちんと説明したが、一切聞き入れられず、熱で寝込んでいるにも関わらず、荷物もそのままに外へ放り出されたとか。なんとも凄まじいものです。
 住居がないとアルバイトにもつけません。しかし、日日を暮らしてゆくには幾らかでもお金が要る。そこで彼らは日雇いの仕事に飛びつくのです。
 交通費や深夜手当、保険などは一切きかない不安定な仕事です。一日単位で、報酬もその日に払われますが、しかしそれが毎日あるわけでもなく、いやむしろ定期的に働けているひとのほうが稀なようです。みんな、本当の意味での「その日暮らし」というわけです。
 所持金が極端にすくない彼らは、わずかな料金で夜を越せるネット・カフェへ集まります。ここを指して番組では彼らを「ネットカフェ難民」と呼んでいるのです。

 いやあ、見ていて暗澹たる想いに満たされました。かたやではTV各局がこぞってセレブと呼ばれる億万長者たちを取りあげ、何億何千万円というような金額がまるで新製品の売り文句のごとく飛び交っているというのに、その反対側、日本の陽の当たっていないところでは、一時間数百円のネット・カフェに隠れ、いつか躰をまっすぐに横たえてぐっすりと眠れる日を夢見ながら硬いソファに顔をうずめる、そんな毎日を過ごすひとたちもいるのです。
 たしかに、彼らは「ホームレス」です。公園などにいる人たちと同じです。リストラされたからとか、前科があって職につけないとか、いろいろの理由でそんな生活を選んでいる人たちも多くいることでしょう。なかには自業自得としか云えない淋しい人生のひともいます。
 ただ、昨夜の番組に出ていたほとんど人たちはいづれも若い。十八歳だったかな、虐待が原因で家を出た少女がおりましたが、もう孤独そのものです。まだ十八歳ですよ。われわれが考える十八歳じゃありません。ぬくぬくと三食とって家族や友人たちと喋って夜は暖かいベッドのなかで眠る、そんな生活をしてきたわれわれが想う十八歳とは意味が違うんです。誰とも口をきかず、汗臭さを香水でごまかしながら不安定な日雇いの仕事をケータイ片手に自分で探し、一日働いては喧騒とネオンと華やかに溢れた夜の東京を徘徊するがごとくあちらこちらのネット・カフェを見てまわって、その日の経済状況にあった店をえらんで内へ入る。あのいつもと同じ椅子のうえで夜通し寝返りを打ち続けながら、熟睡せずにまた同じ朝を迎える・・・・・・。
 格差、といえばその通りでしょう。ただ、哀しいです。番組のなかの彼らの孤独が、電波を通じてこちらに伝染したかのようです。

 もちろん、TVで紹介されたことが全てだとは想いません。ネット・カフェ難民だって、昨夜の番組で紹介されたひとたちくらいしかおらず、本当はそんなに現状は悲惨ではないのかもしれませんが、だからといって安穏とはしていられません。日本のなかの上辺にいる人たちはもっと底辺の現実を見てください。そして、その孤独を一度は自分のカラダで受け止めてください。そうしなければ、すでに十分孤独な彼らに、救われる道はありません。


 自分には何ができるだろうか。

posted by 札幌支部 at 18:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2007年01月28日

憶いだした話

 こんばんは、裏部長です。よくこの、何か貴重な意見やお話を聞いた際に、忘れちゃいけないっていうんで、すぐにメモを取るひとがおりますな。いわゆる「メモ魔」というやつで、いつも懐にちいさなメモ帳なんぞを忍ばせておりまして、学校の先生や仕事先の上司がなにかを話そうもんなら素早い手つきでボールペンもいっしょに取り出して、要点をうまい具合にメモしてしまう。その器用さと云ったら大変なものです。ありゃ一種の職人芸でしょうな。
 わたくしも一時期、そんな「メモ魔」に憧れてやってみたことがございます。百円くらいのね、小さなメモ帳を買ってきてポケットに入れといて、ああこれは大切だなあと想う話が出たときにはサッと取り出して逐一書きこむ。これは不思議なもので、馴れないことでも実際にやり続けてみるとまるで自分が機敏な人間になったかのように想えましてね、たいへん愉しかったのですが、暫くして飽きてしまいました。というのも、貴重な話を伺う場面がそうないことに気づいたのですね。こちとら芸能リポーターじゃないんですから、そりゃいつもいつもメモはしていない。どちらかといえばポケットに仕舞ってる時間のほうが多いようなもので、そんなことが続けば元元たいへんに飽きっぽい裏部長でございますから、まあいいか、ってな感じでよしちゃった。現在ではすっかり「記憶型」でやっております。

 ですから、たとえば稽古のなかで師匠が発せられた言葉とか、過去の稽古VTRのなかで師範がお使いになった解説の仕方とか、そういう些細なものがわたくしの頭のなかには詰まっているわけで、一応、自分のなかで「これは大切だな」と想ったものは記憶してあるはずです。その証拠に、これは決して自慢するほどのことではありませんが、師匠が不在のときに、後輩たちから技に関して質問を受けた際、約九十%の確率で、わたくしがその質問を発したときに師匠が答えられた回答そのものがまるで流れ作業でもって脳内から舌先へと運ばれてくるが如く出てくるのです。これは自分でも不思議に想っているほどそうなるのです。
 ただ、この「記憶型」の欠陥は、忘れることもある、ということでしょう。なにせ記憶頼りですから、忘れちゃったらもう駄目なんです。頭んなかをどう探しても出てくるはずはありません。だって忘れちゃったんだから。
 そのマイナス面を補うためにこのBlogをつけているようなものですね。たいへん有難い限りです。
 今日はそんなわたくしの記憶のなかから、二三、憶いだした話を書いておきましょう。


@「信じる」ということ
 わたくしがまだ師匠のもとへ入って間がないころ、所属している人数がたいへん少なかったために、師匠とわたくしだけということも当たり前のようにありました。
 春休みや夏休みなどの長期休暇のあいだ、稽古は午前中になることが多く、そのころも午前十時から正午までの二時間で稽古をし、終了後、学生食堂へいって昼食をとる、そんなコースが定番化していたころのことです。
 いつものように稽古を終え、学食で師匠と昼食をとっていた際、話は空手の流派に及びました。わたくしはまだ空手というものに馴染みがなく、その世界のことについては殆どなにも知らなかったので、機会があると師匠にその類の質問をぶつけていたのです。
 要は、空手にはたくさんの流派があり、さらにその内には多くの会派や団体などがあり、同じ型であっても、流派や会派、もっと云えば伝えた師範によってその趣が違う、という話だったのですが、空心館で稽古している糸東流もその例外ではなく、同じ糸東流であっても大分にその内容は異なっているというのです。
 そこで師匠、こんなことをおっしゃっておりました。
ひとつの型にしても、流派や会派、教わる師範が変わればこれだけ違う。だから、どの流派や技がいちばん優れているか、なんてことは云えないし、それを基準にして修行する対象を決めることはできない。自分の修行している流派、師範を愛し、信じること。これが大切なんだ
 
 たしかに、空手にはたくさんの流派がございまして、おおよそ一本化されている合気道界(こちらにも合気会、養神館など会派はあれど、その技法はほとんど共通しており、ともに稽古することは可能である)にいたわたくしには違和感を感ずるところも多多ございました。四大流派糸東流剛柔流和道流松濤館流に限ってみてもその会派、団体は数えきれぬほどあり、わたくしどもの修行する藤谷派糸東流拳法空手道も他の糸東流とは違っており、ましてや他の流儀空手とはたいへんな開きがあります。
 この現状から見てしても、どこが一番よく、優れているか、などという見方、比較は不可能でしょう。出来ることはただ一つ、自分がこれと定めた流派や師範を愛し、そして信ずること。これ以外にはありません。


A物差という考え方
 同時期。あれは確かまだわたくしが合気道とこちらの稽古を並行して行なっていたころで、体道の稽古なんかは師匠の研究室でやっていた時分のことです。
 まだ陽の高いころに稽古をしておりましたから、そのあとに授業のある部長は、稽古終了後すぐに辞してしまい、研究室にはわたくしと師匠しかいない、ということがよくありました。
 こういうときは質問のラッシュ時で、日頃疑問に想っていたことを矢継ぎ早に師匠へぶつける、師匠のほうでも入りたてのわたくしにつき合ってくだすって、次から次へと答えてくださる。たいへん有意義な時間を過ごした記憶がございます。
 そのときに、これは@のこととも重複するのですが、わたくしがそのとき抱えていた悩みを相談したことがあります。つまり、「最も優れている流儀とはなにか」ということですね。当時、わたくしは一生涯をかけて修行できる武術流儀を探していたのです。
 あのころの日記を読み返しますと、自分でも不思議に想えるくらいわたくしは悩んでおりました。その様はまるでノイローゼのようです。それほど真剣に、自分の修めるべき武術流儀を探していたのでしょう。
 ですからわたくしは恐れもせず上記のような質問を師匠へぶつけたのです。これに対し、師匠はやんわりと、こんな例を出してお答えになりました。
どんな流派でも“物差”を持っている。これは技の数だと考えてもいいし、その種類と想ってもいい。とにかく一定の物差を持っていて、技を新しく考案してつけ加えない限り、この長さは変わらない。修行とは、この物差に目盛りを増やしてゆくことだ。それは、深めてゆく、ということでもあり、研究そのものだとも云える。たとえばここに一メートルの物差があったとして、技がひとつしかなければ目盛りはない。この技をいろいろと分解したり、研究したりして、そのヴァリエイションを増やしてゆくと、最初は五十センチのところに目盛りがひとつ、そのうち十センチ間隔に入り、ついには一センチごとに細かく入る。もっと入れることもできよう。それはひとえに、ひとつひとつの技を深めるという作業であり、自分たちの修行する流派の長所短所を知るということでもある。どの流派にも長所と短所はある。もし長所しかない流派があったら全員がそれをやっているはずだ。稽古とはそのなかの長所を活かし、短所を補うことでもある

 この言葉を聴いて、わたくしはハタを膝を打ちましたね。なんと的を射た表現でしょう。たしかに長所ばかりの武術流儀などあるはずがありません。あればみんなそれをやってるはずです。でも、現実にそんなことはありませんね。空手をやってる人もいれば柔術のひとも、武具を遣う流派のひとだっています。そこには多分に個人の好みというのも関係していましょうが、短所しか見えなかったらどんなに自分の好みに合っていても入門はしないように、やはりそこには長所と短所が存在するのです。
 であればこそ、修行をして短所をカヴァするのです。空心館のように空手をメインにしつつも、体道のなかでさまざまな武術を稽古するのにはそんなメリットもあったわけです。
 これがわたくしに合気道を捨てさせた最後の一撃でした。師匠のそんな例え話がなければ、もしかしたら今も合気道を続けていたかもしれません。
 出会いとは不思議なものです。

 さて、明日からは新たな一週間。あっという間に一月も終わり、稽古再開とともに二月がやって来ます。
 インフルエンザの季節です。みなさん、気をつけましょう。
 裏部長でした。
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2007年01月27日

断ち物を決める。

 こんばんは、裏部長です。唐突ですが、現在わたくしは悩んでおります。今年に入って早数週間。そろそろ一月も終わろうとしているのに、あることをまだ決めかねているのです。本来ならば新年が始まるその前に決めておくべきことであったその事柄は、もしかしたらもう遅いかもしれません。手が遅れちゃった可能性もあります。
 ただどうしても諦められないので悩んでいるのです。いやあ、どうしようかなあ。

 ・・・・・・あっ、わたくしが現在このようにして決めかねているのは「断ち物」のことです。ご存知の方も多いと思いますが、なにか願掛けをしたときに、その成就をさらに強く願うには自分の好物や好きな行為を断って日日の精進に励む、その対象物を「断ち物」というのですが、わたくしはまだこれを決めかねているのです。
 ホラよく学校の試験の前など、目のつく場所に置いてあるとつい読んでしまうから漫画本を見えないところに隠したり、恋人にメールを出したくなる心をおさえるために携帯電話の電源を切ったり、などなど、身近なところでちょっとした断ち物祈願をしているひとも多くいらっしゃるでしょうが、裏部長の目指しているのは一生もの、つまり、一度止めると決めたら一生涯それを守り通す!これですね。その断ち物を考えているわけなのです。
 わたくしの好きな古今亭志ん朝師匠は、大好きなウナギを断ち物と決め、一生涯食さなかったといいます。まあ同氏の場合、鮨屋などへ行ったときにはアナゴをよく食べていたといいますから、その代用で食慾は満たされていたのでしょうが、しかし自分の大好物を断つというのは勇気の要ることですよ。
 まあ何も食べ物である必要はなく、わたくしの場合、小説の道でどうにかなればそれで良いわけですから、そんな大仰に考える必要はないと想うのですが、ただ先程来申し上げているように、これは去年のうちに考えておくべきことであり、すでに数週間押しなわけです。とても中途半端で、気合が入りません。なんとも情けない限りです。

 何がいいかな〜?決まったらここで報告しますね。

 
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2007年01月26日

それでもボクはやってない

 こんばんは、最近すこ〜し太り気味の裏部長です。いけませんいけませんふらふらちょっと気を許すとこのザマです。裏部長は太りやすいんです。高校生のときなんざ最高で九十四キロありましたからね。そのときから比べたら二十キロほどは軽くなっているわけですが、しかしわたくしの身長から考えるとまだまだ重いバッド(下向き矢印)理想的数値は六十八キロくらいだったかな?まだまだ精進が必要なのです。
 だから、昨夜からまた自宅での自主稽古を強化することにしたのですが、いつも大学でやっている稽古内容でも、自宅のあの狭い室内でやるとまた違った雰囲気がありまして、妙なところに筋肉痛が発生したりします。まあ痛みが残るということは力んでいる証拠なので、もっとリラックスしてやれば良いだけなのですが、なにぶん狭いですからね。タンスやベッドに足をぶつけぬよう動くのだけでも結構骨が折れるのです。それに、わたくしが住んでおりますのはマンションですから、あまり派手な移動稽古もできません。ええ、そりゃもう静かなものです。生け花の稽古だって云ったってわからないくらい・・・・・・。
 
 冗談はさておき、今日観た映画を紹介しましょうかね。わたくしが本日鑑賞してきた映画は、それでもボクはやってない』(日本映画2007)です。監督はお馴染み、周防正行。出演は加瀬亮瀬戸朝香役所広司もたいまさこ山本耕史などなどで、実際にあった痴漢冤罪事件をモデルにした法廷映画です。

 二十六歳フリーターの主人公はある日、先輩に紹介してもらった会社の面接へ向かうべく、あまり乗り馴れていない満員電車へ乗車した。途中、履歴書を持ってきたかどうかが不安になり、ある駅で下車。確認したところリュックサックのなかに履歴書はなく、自宅へ忘れてきたことに気がついたが、これから取りに帰っては面接に間に合わないと判じ、発車ベルが鳴るぎゅうぎゅう詰めの車内へ、駅員に押し込まれて乗車をした。
 乗車してしばらく経つと、自分のスーツの一部がドアに挟まっていることに気づき、主人公はそれを抜き取ろうとする。満員のなかで躰を動かしたため、自分の右横にいた女性客が怪訝そうな顔をしてこちらを見たが、目線でその行為の真意を説明し、軽く会釈した上で「すみません」と謝る。それから数分経ったころ、彼の前方からか細い声で「やめてください」という乗客あり。しかし主人公はそれが自分に対して発せられた言葉だとは思わず、相変わらずスーツを引っぱりながら駅への到着を待った。
 目的の駅へ到着するや否や主人公はホームへと降り立ったが、すぐに背後からひとりの女子中学生が駈けより、彼の右袖をつかんで「痴漢したでしょ」と詰問。それを見た他の男性乗客や男性駅員なども寄ってきて一寸した騒ぎになってしまったので、一同は駅員室へ。そこへ、彼の右側に立っていた女性が「この人はドアに挟まったスーツを引き抜こうとしていただけで、痴漢はしていないと想う」と証言しに来てくれたが、事態の収拾に混乱していた駅員はその証言を聴くことなく駅員室のドアを締めた。呼び止めようと主人公が外へ出たとき、その女性はもう何処にもいなかった。

 裁判の映画を観てきたためか、若干カタい文体になっておりますが、劇中で扱われている痴漢冤罪事件のあらましはこんな内容です。満員電車にお乗りの方にはいや〜なお話でしょうね。現にわたくしなんぞも、映画館から自宅へ帰る地下鉄のなかで立ち位置なんかを気にしてしまいました。もちろん疚しいことなどありませんよ。ありませんけど、でもね、この映画を観たらそれくらい臆病になりますよ。
 なにせ描かれているのは、冤罪なのにこれだけ苦しめられる、という日本の裁判そのものだからです。主人公の金子青年はやっていないのです。モデルになった実在のひとも無罪だったそうです。しかし、現行犯逮捕されたその日から彼が受けた屈辱、虐めともいえるその待遇は決してフィクションではありません。周防監督がこの作品を作るために、四年からの取材期間を費やしたことでもその信憑性がお判りになるでしょう。
 いやあ、恐ろしいものです。事件史の流れがあって、最近ではどちらかというと、痴漢事件は被害者に有利な流れがあるようです。現に「無罪を主張しても有罪率は99.9%」などと云われておりますし、何分にも証拠というものがありませんから、最終的には被害者と被告、そのどちらの証言が本当っぽいか、その判断だけで有罪か無罪かが決定してしまうのです。周防監督もそれをおっしゃっておりましたが、これはたいへん恐ろしい制度です。
 何がなんだかわからないけど現行犯逮捕されて警察署連れてかれて、どういうわけだがすでに激怒している男性刑事になかば自白を強要されるがごとく犯行自認を迫られ、高圧的な警察官によって留置所へ移され、そこで刑務所のような生活をスタート。一回目はタダだという弁護士に来てもらうが、「やってなくても自白してお金払っちゃったほうがすぐに出てこられる」と不本意すぎる示談を提案されてガッカリ。事態を知った母親や友人たちが新たな弁護士を探して駈けつけてくれるが、ハナから有罪と決めつけている検事に起訴され裁判に・・・・・・。

 ここからは長い長い闘いです。こうして映画のなかで、他人事として観ていても気の滅入る長期戦です。実際にその渦のなかへ放り込まれた当事者の方方の苦労たるや想像を絶するものでしょう。考えさせられます。
 たしかに冤罪ばかりではなく、本当はやっているのに嘘をついて逃れてしまおうとしている人間もいるわけですから、罪を罰する姿勢は必要なのでしょうが、ここまで残酷なひと幕を見せられてしまうと、やはり考え込んでしまいます。
 果たして日本の裁判はこのままで良いのでしょうか。そろそろわたくしたちも裁判員となる日が来ます。そのときまでに自分のなかで、もしかしたら他人の人生をボロボロにするかもしれないけれど、自分の意見にはきちんと自信を持つ・・・・・・なんて、そんな覚悟が芽生えてくるのかどうか、わたくしにはわかりません。

「有罪だって云われてもやってないんだ!証拠があるからとか、他に犯人の候補がいないからとか、そんな理由で有罪だって決めつけるけど、本当にやってないんだ!信じてください!被害者のひとが何と云おうと、世間のみんなが何て云おうと、それでもボクはやってない」

 泪ながらにそう訴える被告人に、あなたは「有罪」の二文字を突きつけられますか。


*追伸。
 映画自体はたいへん面白く観ました。ただ、その面白さは内容的な面白さであって、そこに映画的な面白さがあったかどうかはいまいち断言できません。裏部長個人としては、あまり無かったと想います。ただ、観終わったあとに、重厚なドキュメンタリー映画を観たときのような、内容のある疲労感が自分のなかにはあったので、それだけリアルに、俳優たちの演技も含めてリアルに出来ていたのではないか、こういう風には評価できると想います。
 
 裏部長でした。
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2007年01月25日

部長職撤廃について

 こんばんは、裏部長です。今日の札幌はへんな天気でしたね。朝起きたら猛吹雪、もう視界はすべてまっ白といった塩梅でしたが、少し経つと晴れたりなんかして、そんな晴れたり吹雪いたりが繰り返される、たいへん過ごしにくい天候だったと思います。
 わが札幌大学では本日より試験期間に入るそうで、すでに卒業をしたわたくしにはあまり関係はありませんが、まだ在学している後輩たちにとっては決して油断のならない数日間でありまして、こうしている現在もその勉強に追われているひとが恐らく数人はいることでしょう。昨夜の稽古に参加していたS呂君ならびに、ON君改め狗っち両名に関してはさほどに大変な様子もなく、むしろ閑なくらいだと云っておりましたが、さてほかの面子はどうでしょうね。部長なんぞ、ひぃひぃ云ってるかもしれません。
 頑張れ、部長!安寧なる日日はすぐそこまで迫っているぞ。

 えーこの“部長”という役職についてですが、昨夜のBlogにも少し書いたように、稽古の前にすこし師匠と話し合いました。というのも、何かというとわたくしたちが「次期部長をどうするか」と話し合っているのを見て、師匠は疑問を感ぜられたというのですね。
 簡単にいえば、果たして部長は必要なのか、ということです。空心館札幌支部はもともと「古武術研究会」という名でスタートした、ある種の同好会のようなものであり、大学の施設を借りる関係上、その旨の登録もし、教室を借りて稽古をしているわけですが、そうかといって何かの組織に所属しているわけではありません。まあ、所属していないために体育館も借りられないし、部室もないわけですが、それでもいいト、いや寧ろそのほうが気が楽でいいんじゃないかト、そういう方針でもって今日までやって来たわけです。
 ですから、部長、と云ってもその仕事は教室使用許可の申請をし、教室に鍵がかかっていたら守衛さんのところへ行ってそれをもらってくるとか、それくらいなもので、決して重務ではないのですが、ただ一応、もともとの出発点として、大学内の同好会がごとく存在の組織としてはそこに所属している学生のなかでその長を定め、ある一定の責任感をもって後輩たちを引っぱってゆく、といった雰囲気があったほうが良いんじゃないかなと判じ、最初はわたくし、そして二代目には現在の部長がその任につきました。師匠が不在のときなど、そういった存在があるほうが後輩たちも稽古へ来やすいと思ったのです。
 ただ・・・・・・それが逆に重荷になる可能性もあります。ここからは師匠の意見ですよ。重荷になる。たしかに左程のやる気もない人間にとってはそんな役職、足枷以外のなにものでもなく、いくら期待をかけてくれるからと云って、純粋に稽古へは来られなくなり、またいろいろな場面で責任を負わされるのは面倒臭い、はっきり云ってウザい・・・・・・そんな感情が生まれる余地がこの部長探しにはありましたし、またかえってその候補から外されることも、なーんだオレは期待されてないんだ、という疎外感をも与えかねない、というのです。
 そんな諸諸の理由で、現在の部長が引退したあとは判然とした部長を置かず、その仕事はすべて師匠が請負う。昨夜の話ではそうと決まりました。門弟の諸君はいかがでしょうか。

 たしかに、部長のやる仕事なんぞ高が知れておりまして、さきほど申しました教室使用許可の申請くらいなものなので、師匠にお任せしても何ら問題はありません。むしろ師匠のほうが届け出る先に顔がききますし、何かあった際にも話が早いでしょう。良いこと尽くめです。
 ただわたくしがこれまでこの案に賛成しかねてきたのは、そうしてしまうと、すべてのことを師匠に任せ、われわれ門弟たちは何もしないで済んでしまうことになる、からなのです。師匠は、そんな一寸した申請くらい仕事のうちには入らないよと仰ってくれますが、わたくしは寧ろ逆に、たったそれだけの仕事さえも師匠に任せてしまって良いものかどうか、そう想っていたのであります。
 これに関してはさらに師匠のほうから提案がありまして、それは、この札幌支部を、札幌大学内のサークル系組織としては考えず、日本武術研究所空心館の札幌支部として捉え、われわれはそこへ稽古のために集ってくるただのひと、そう考えようじゃないか、というものです。わたくしどもとしては有難い限りですね。ただ稽古だけをしていれば良いのですから。

 結局、わたくしとしては部長職撤廃、たいへん結構なことだと想っております。師匠がそう仰ってくださるのなら、そのお言葉に甘えようと想います。
 裏部長でした・・・・・・ああ、それならわたくしも、そろそろ改名しなくては。
 
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2007年01月24日

折る。

 こんばんは、裏部長です。今夜は書きたいことが沢山あって大変ですふらふらいつもはくだらない小噺みたいなものをいろいろと書いておりますが、今日はそんな余裕はほとんど無いため、前置きはすっ飛ばして本題へ入りたいと思います。

 まずはBlogへ寄せられたコメントについて。
 奈良支部のM田先輩ならびにT技術顧問、書き込みありがとうございます。「武術における“狂気”」について論じていただいたわけですが、最終的には、技術顧問の解説で納得、といった感じです。たしかにたしかに、そう云われてみるとそうだなあと呑みこんでしまいました。ひと言で「狂気」といっても段階がある・・・・・・桂枝雀さんなんかを出してくるところなど、やはり見事な解説であり、後輩たちにもよい勉強になると思います。
 M田先輩のお話も実にわかりやすく、稽古前の礼ではそれくらいの覚悟、意識の切り替えが必要でしょうね。ただ、理屈としては解っていても本当にそうできているかと問われれば即答はできません。まだまだ本当の意味での覚悟が足りないのでしょう。
 ご両名ともにたいへん勉強になりました。ありがとうございます。

 そして、何より驚いたのが早川剛さんからの書き込みです。昨日、わたくしが書いた、映画『同じ月を見ている』に対する感想コメントを受けて、なんと、わざわざご本人が書き込みをしてくださったのです。
 いやあ、見つけたときには驚きました。引っくり返るかと思いました。なにせあの映画で使われているほとんどの絵を描かれたご本人ですからね。こりゃ誰でも驚きますよ。わざわざご自身のHPアドレスまで載せてくださって、御礼の仕様もございません。
 みんなも早川さんの絵を見てください。わたくしもすぐにHPへ飛び、アップされている作品をいろいろと拝見しましたが、いやあ素晴らしい!裏部長、すっかり気に入ってしまいました。わたくしは殆ど絵画というものには詳しくないものの、その絵が生理的に気に入らなかった場合、描いた人間がどんなに素晴らしいひとであっても興味が失せてしまうタイプの人間なのですが、今回はストライク!実に素晴らしい。抽象的ななかにもメッセージがあり、混沌のなかにも空間が、光が、そして生命の脈動が感ぜられる・・・・・・世辞でこんなことは云いません。ええ、本当です。根から好きになってしまいました。
 おそらく早川さんの絵には隠れた説得力があるのでしょうね。それがあの映画を、どうにか一本の「映画」として成立させていたのでしょう。ドンという名の青年が描くその絵の一枚一枚にちゃんと意味が、その人物の感情や歴史が垣間見られる、それほどの深みと内容を備えた作品だったからこそ、無説明に、また無言のうちに描写が行なえたのです。
 何はともあれ、早川剛さん、コメントありがとうございました。これから少し個人的に追っかけてみます。

 さて今夜の稽古ですが、散散云ってきたように、試験の関係で一月最後の稽古となりました。参加者はON君とS呂君のみ。
 冒頭、今後の部長をどうするかの話があり、少し遅れてスタート。基本稽古を受けまでやり、エンピ六方もやりました。
 後半は約束組手。わたくしはS呂君と、師匠はON君と組んで、今日はまず接近した状態から、足首、膝、股関節、腰と、腰から下の関節すべてをうまく曲げて突きを相手へ届かせる稽古をしました。かなり地味ですが、これが意外と内容深く、静かながら面白い発見がありました。
 最後はその感覚を活かして中段追い突き。わたくしは時間の都合上、S呂君の突きを受けただけでしたが、解説のなかからいろいろと学ぶところがあり、今日の師匠の解説を聴いた途端に、過去のVTRにおける若き日の師匠の追い突きの意味が解ったような気がして、ひとりニヤニヤとしておりました。ああ、そうか、だからあんな感じに突いてたのか、ってな具合です。
 S呂君へ初段補の免状が、ON君には日本傳天心古流拳法居取之位の目録が渡され、今日の稽古は幕をとじました。

 追い突きにおける解説の詳細は、秘密です揺れるハート今日その場にいたひとたちだけの収穫としておきましょう。わたくしとしては聴いているだけで愉しくなってくるような内容でした。
 ただ、これから目指すような突き方、そのときの躰の遣い方をそれよりも以前に、形だけ真似していたらおそらく「駄目な突き方(体勢)のよい例」になっていたことでしょう。今日教わったのはそんなことだったような気がいたします。
 まあ、とにかく秘密揺れるハートですから、知りたいひとは今後の稽古に励んでくださいわーい(嬉しい顔)

 さてさて、明日から二月までは稽古がないわけですが、その前にひとつ発表をしておきましょう。
 先日来云っておりました各人のニックネームですが、今日そのひとつが決定いたしました手(チョキ)
 変わるのは「ON君」です。今まで彼には、神奈川県出身の、とか、自虐的な、とか、傷だらけの、なんていうキャッチフレーズをつけて記して参りましたが、今日からはそんな記載における苦労はいりません。その名ひとつで彼のことが、まるで目の前にいるかの如く解ってしまうのです。
 いいですか、それでは発表いたします。本日より変更となる、ON君の新しいニックネームは・・・・・・


         「狗」


 !!!!!
 どうです?まさか動物で来るとは想わなかったでしょ?そら盲点。彼はたいへん狗っぽいんです。獣のようにいつもどっかぶつけて傷をつくってるし、妙に鼻なんかも利いて、今日も大学を出るや否やその鼻先をくんくんさせて、「あっ、冷凍ギョウザの匂いがする!」とワケのわからんことを口走っておりましたから、存外的外れな命名でもないのです。
 いいですね。今日からON君は「狗」です。狗くん、でもいいし、狗ちゃんでもいいです。わたくしは当面、狗っち、と呼ぶことにします。

 次の稽古は二月の一日。春休み中は午前十時から正午までの、健康的な時間割となっております。
 裏部長でした。
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2007年01月23日

同じ月を見ている

 どうもこんばんは、裏部長です。北海道ではガス漏れのニュースが続続と出ておりまして、わたくしたちの住む札幌でも避難騒ぎがあったそうです。幸い、一酸化炭素は含まれておらず、大事には至らなかったそうですが、なんとも厭なものです。年末、不必要なほどに道路工事をするくらいなら、古くなったガス管を一本でも多く新しいものへと交換してほしい!道民はみなそう想っていることでしょう。
 これから、ガス会社の手腕が問われます。

 さて今日は稽古のない日ですので、なにか稽古以外の話題を・・・・・・と考えたのですが、だからといって面白い話題が降って湧いてくるわけでもないので、例によって映画の話でもしておきます。
 本日わたくしが観た映画は『同じ月を見ている」(日本映画2005)といいます。監督は故・深作欣二さんのご子息、深作健太さん。主演は窪塚洋介黒木メイサエディソン・チャン。脇には山本太郎松尾スズキ、先日お亡くなりになった岸田今日子さんなどがいます。
 原作は土田世紀さんの漫画です。幼いころに知り合い、いつも一緒に遊んでいたふたりの少年とひとりの少女。三人はいつも山のなかの“秘密基地"で遊び、絵を描き、笑いあった。少女は心臓に穴があいており、自由には外出できないから彼らふたりのほかに友人はいない。少年たちはいつも傍にいると彼女に誓う。
 しかし、エディソン・チャン演ずるところの少年は両親がなく、家も貧しいため同級生たちのイジメの的になり、そんな彼らに抗しきれない主人公もそのイジメに参加してしまったことからふたりの仲は疎遠になっていってしまう。
 成長し、医者を志した主人公は彼女と結婚を誓う。しかし、高校時代に、少女の家を巻き込んだ山火事の放火犯としてエディソンが逮捕されてしまい、三人はともに過ごせない。
 主人公はこの彼に対し、後ろ暗い想いを抱えている。有力なクラスメイトたちに従わなければならぬという鬱積感、親友を疎外しているという自責の念、それでも親しげなまなざしを失わず、いつも謝ってばかりいる彼に対し、主人公は複雑な感情を抱えて、高校生ながら酒を呑み、タバコをふかす。苛立ち紛れに“秘密基地”へつけた火が山を覆い、ついには彼女の家にも達してしまったが、容疑は主人公ではなく、貧しいエディソンのほうへ向いてしまった。
 そして、彼はその容疑を否認しなかった・・・・・・彼は、火事の原因が主人公にあることを知っていたのだ。
 ふたりが結婚するということを手紙で知ったエディソンは刑務所を脱獄し、一枚の絵をふたりへ渡すためやってくる。そして、最後の最後でその生命を落とす。
 燃え盛る火事のなかから救い出した心臓病の少年にかれの心臓は移植され、その存在はこれからも生きてゆく・・・・・・。

 何はともあれ、良いタイトルです。裏部長、こういう題名がなんとも好きです。「同じ月を見ている」、英語では「Under The Same Moon」。いいですな。
 どんな離れていても、僕らはいつも同じ月を見ている・・・・・・こういう言葉にはひとを元気づけるパワーがあるように思えますね。決して綺麗事だけではない、心と心の「きづな」を感じさせるような、そんな何かがあるように思えます。
 ただ、この作品は、映画としてはそんなに良い出来ではありません。まあ手っ取り早く云ってしまえば「可もなく不可もなく」というやつで、刺戟もなければ退屈でもなかったという中途半端な作品でした。主演の窪塚洋介さんはまだ子供っぽい演技ばかりだし、その親友役にどうして海外のひとを起用したのかも解りません。ヒロインの黒木メイサさんもそれほど巧くないし、まあよくやっていたのは山本太郎さんくらいで、あとは劇中に出てくる早川剛さんの絵の見事さ、これを見るくらいでしょう、この映画は。驚くほどのことはありません。

 ただ、このタイトルはいいですね。今度自分の作品にも使ってみようっと。
 
 というわけで、今日は映画『同じ突きを見ていた』・・・・・・じゃなくて、『同じ月を見ていた』をご紹介しました。
 明日は今月最後の稽古です。
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2007年01月22日

上段を禦ぐ

 こんばんは、裏部長です。TVニュースはどのチャンネルをかけても宮崎県知事の話ばかりですね。ひとまずご当選おめでとうございます、ってなことで、なんだか浮かれておりますが、外から政治の世界に入ったひとの苦労というのは想像を絶するそうです。新知事には、しすぎない程度に期待をしておきましょう。
 さて今日は、今月最後の師匠不在の稽古日で、たいして変わったこともなかったのですが、一応今月最後の月曜日なので、形式に則ってそのご報告をさせていただきます。


○2007年1月22日(月)晴れ。納豆ダイエットには要注意。
 午後六時、札幌大学1002教室にて空手の稽古。師匠不在。参加者は新人のST、少し遅れてOBさん、かなり遅れてS呂。
 基本稽古ひと通り。上段前蹴り刻み突き二連続など織り交ぜながら行なう。裏拳打ちを行なうところでOBさんが合流。
 手廻し。
 正面へむかって少し斜めに四股立ちで立ち、そこから両踵を絞って前へ向きなおり、逆突き、手刀受けをしつつ元にもどる稽古。
 前ささえ。ST、OB両名、顔を赤くして数回行なう。この間にS呂が合流。
 後半は型と約束組手。まずはS呂とOBさんに約束組手(中段追い突き)をやっておいてもらい、その間に私とSTは「四之型」を行なう。
 ST、かなり久しぶりだというのに出来よく、下段払い、外受け、上段受け、いづれもほとんど文句なし。もちろん云おうと思えばいろいろな注文が出せるが、現時点では上上であろう。追い突きの位置と上段受けにもうすこし馴れてくれれば尚のこと良し。
 最後は全員で約束組手。突いたひとが受けにまわる回転方式でおこなう。
 S呂には中段追い突きに加えてワン・ツー(刻み突き・逆突き)もやらせてみる。
 八時、終了。


 ST君の「四之型」には驚きました。彼もひとりで稽古したのでしょうか、以前とは比べものにならないほど上達しておりました。感心、感心。
 S呂君に対しては約束組手でいろいろとアドヴァイスを出しました。中段追い突きでは、二本目を出すタイミング、その間合を考え、一本を突く速度のなかで二本突いてしまえるように腰をコンパクトに使ってみる。ワン・ツーではとにかく二本目の逆突きをきちっと中段へ入れること、これを云い伝えました。
 彼は身長が高いためもあってか、突きが浮いてしまう傾向にあり、連打をすると拳がこちらの胸あたりに集中して当たってしまうのですが、これをどうにか上下どちらかに分けたい。あれだけ足が長く手が長く、躰の勢いもあって拳も握れているのですから、突きを中段なら水月へ、上段なら顔面か顎か喉元あたりへ正確に入れられたら相当なものです。精度を上げることが求められましょう。
 ただ、少し変化を感じたのは、わたくしが「やっぱり、追い突き発進よりもワン・ツー発進のほうがやり易い?」と訊いたのに対し、彼が、今はもう追い突きもワン・ツーも自分のなかではあまり差はない、と答えたことです。まあ、競技の経験がある彼であっても、こちらへ来てからは明けても暮れても追い突きばかりでしたからね、その変化は当たり前かもしれませんが、どこか嬉しさを感じずにはいられませんでした。

 今日は約束組手において、中段追い突き以外にワン・ツーもやってみたわけですが、S呂君に突かせてあげる際など、ワン・ツーの二本だけでは終わらせず、そのあとも出せるだけ突きを出させてみるようにしました。これはちょっとした緊張感です。なにせ発進がワン・ツーですから、その後の展開で上段へ突きが来る可能性もあるのです。これまでは中段追い突きばかりで、そのあとに二本三本と突かせてみても、それらは大方中段へ集まってきたのですが、この場合は違います。出発の時点ですでに上段へ突きを出しているため、案外あっさりと顔めがけて拳が飛んできます。これは気合が入ります。
 わたくしたちも黒帯を締めるようになったのですから、少しくらいは上段への防禦姿勢を持たねばなりません。いつ飛んできても良いように、気だけは残しておきましょう。
 尚、S呂君には云いましたが、突きの高さが乱れて、胸あたりに集中してしまう件、上段への攻撃であれば喉元へそれても問題はないでしょう。これは本部のY先生もおっしゃっていたように、喉元へ来る突きは受けづらいのです。ですから、刻み突きなどをここへ入れるのは有効かと思いますが、ただこれはあくまでも「上段狙いの喉元攻撃」の場合であり、中段を狙ったのに拳が浮いてしまって喉のあたりに当たった、ではいけません。有効なる突きを目指しましょう。

 今日、部長も休みだったわけですが、あとで聞いたら何でも胃腸炎になったとかで、大変です。ノロウィルスでなければ良いですが、三月には栃木遠征、数日先には大学の試験が迫っているのです。大事なく過ぎることを祈っております。
 なお栃木遠征についてですが、残念なことに奈良支部のM田先輩方の不参加が判明しました。お会いできる日が遠のいてしまいました。残念至極!

 ああ、そういえば、札幌支部の門弟諸君にちょっと考えてもらいたいことがあります。
 それは、各人のニックネーム、です。
 このBlogにおいては一応、人名を秘してイニシャル表記で書いてきましたが、あまりにも人数が多くなりすぎて、誰が誰だかたまに判らなくなるのです。札幌支部の人間であればだいたい判るかもしれませんが、外部からここへ来たひとにはチンプンカンプンでしょう。また、イニシャルが同じひとも多くいるため、ここに表記の仕方を変えようと想うのです。
 えー、ですから、それぞれ自分の「名前」を考えてください。すでに名のある、師範、師匠、部長、裏部長、おすぎさん、T相談役や本部の方方は結構ですが、札幌支部のみんなはよろしくお願いします。なんとなくその人の雰囲気が伝わるような、そんな短い名前を考えてください。

 次の稽古は水曜日です。今月はこれで終了してしまいます。
 できれば、ニックネームはそのときまでに。
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2007年01月21日

武術と狂気

 こんばんは、裏部長です。おすぎさんの手により、Blogのデザインが一新されてから一発目の書き込みです。背景が白になったせいか、本文中の太字の部分が強調されて、その点ではたいへん良いアレンジだったと思いますが、若干目に来ます眼鏡じぃーと見ているとチカチカしてきますぴかぴか(新しい)
 みなさん、このBlogを読む際はあまり画面を凝視せぬようにしましょうわーい(嬉しい顔)

 今日のテーマはタイトルにある通り、「武術と狂気」です。なんとも物騒で、且つなんとも重重しい題名ですが、これは無理にでも武術にひきつけて考えてみようとした結果であり、裏部長が取り上げたいのは“狂気”そのものなのです。
 わたくしが最近はまっているひとに、このBlogにも何度か登場した立川談志さんがおりますが、この人の書く本のなかに「狂気」というキーワードが出てきます。狂、という字がつく言葉はどちらかというと、あまり宜しくないというか、対世間的に許されない、排除されるべき感情であり、それに魅入られて逃れられなかった人間を異常とし、防ぎ切った人間を正常とする・・・・・・みたいなように想われている気がします。
 これは確かにそうなのでしょう。『ものぐさ精神分析』で有名な岸田秀さんは、「人間は本能の壊れた生き物だ」と書かれていますが、現にその通りで、野生の動物ならば繁殖期に性欲をおぼえ、冬の到来とともに長きの睡眠に入る、そんな行動スタイルが生まれながらにして躰のなかにある本能のシステムによって遂行されるわけですが、人間はそうじゃない。ほぼ日常的に性欲や食欲はあるし、冬眠はできない代わりに、何日かは寝ずに生きてゆくことができる・・・・・・たしかに人間にはもう本能とよべるものはないのです
 ですから、ややともするとその欲望が暴走をして、犯罪に発展してしまうことがあります。人間はこれを理性で抑えているわけですが、この理性が壊れてしまうと、もうそこには「狂気」の二文字しかなくなってしまうのです。

 談志さんはこの「狂気」というものを、芸人の存在意義として、どちらかというと肯定的に表現します。つまり、落語というもの自体が人間の業、つまりあまり綺麗でない部分、もっとはっきり云うと悪どいところ、褒められたもんじゃないドロドロしたところを描くもので、昔ながらの世間一般的な、道徳的な常識から外れた、いわば非常識を当たり前のようにして表現する媒体であるト、こう定義した場合、それを演ずる落語家そのものも、本来は非常識でなくてはいけないのではないか・・・・・・そう考えるわけです。
 これは頷けぬ話ではなく、落語のなかにはたしかに、あまり笑えない話が多くあります。
 隣家の小金持ちの老人が死ぬ寸前に、自分で貯めた金をお餅にくるんで飲み込んでしまった。それを見ていた隣人の男はまたたく間に葬式をあげ、自分で遺体を火葬場へもってゆき、急かして焼かせ、骨はそのままに腹のなかから金だけを持ち去ってしまう。その金で黄金餅という菓子を売る店を出したところたいへん繁盛をし、めでたしめでたし・・・・・・これはお馴染み『黄金餅』のストーリー・ラインですが、決してめでたしめでたしと喜べる話ではありません。
 このほかにも、さんざん遊んだ挙句金も払わず逆に金をせしめてくる男の話『居残り左平次』や、職人の男が橋のうえで武士を幾人も斬ってしまう『たがや』、若い町人たちの悪戯心『酢豆腐』、最後の最後に悪女がわらう『三枚起請』などなど、決して美談などとは云えない、現代の感覚ではハッピー・エンドに感ぜられない噺がたくさんあるのです。
 だからこそ談志さんは、落語は人間の業の肯定である、と云ったわけですが、この業の肯定をする落語家そのものが常識的な生活をしていて果たして良いのか、これが同氏の持論なのです。

 あまり他の芸人をほめない談志さんですが、弟子の立川志の輔さんに対しては「いい!文句なし!」と太鼓判を押します。ただひとつ難をつけると、「今のままの志の輔じゃだめだ。NHKなんぞに出て、世間がそのまま受け容れるような存在のままじゃ本当の芸人ではない。はっきり云うと、そんな番組からは相手にされない、もっと云えば追い出されちゃうようにならないと」これなのです。
 人間の業を表現する過程において、自分は正義に生き、ふだんの生活では酒もやらない女も買わない、タバコも吸わなきゃ博打にも手を出さないという真っ正直な人生をあゆみ、かたや落語をやる際には非常識で、半分犯罪者みたいな好い加減な人間たちを演ずる、こりゃおかしいじゃないかト、そう云う談志さんの理論には頷くことができるように想われます。やはり芸は人なり、ですから、普段からそういう好い加減な人生を歩んでいないと、本当の表現には繋がらないのです。

 これに関しては伊丹十三さんも似たようなことを書いてらっしゃって、「俳優はすべからく贅沢を知らねばならぬ」。日本の俳優たちは本当の贅沢を知らないから、たとい大金持ちの役がついても、中小企業の社長くらいにしか見えない。
 その贅沢を知るには、やはり贅沢をするのが近道である。この場合の贅沢というのは、たとえばこのようなことである。
 男の二人づれがホテルのラウンジで話している。話題は旅行の計画へとかわり、これから二人でバカンスへ行こうという話になる。ついてはこの先に有名な高級車の店があるから、これからそこの担当者を呼んで新車を一台注文し、これに乗って行こうじゃないかと盛り上がる。
 すぐに担当者が呼ばれ、ボディはこの色、座席はこの素材と、次次と話は決まり、ほんの数十分で新車の注文が済んでしまった。車はすぐに用意できるという。
 いろいろと旅の計画を練ったのち、じゃあそろそろ引き上げようかと、二人は立ち上がった。一方が伝票を手にする。
「ああ、駄目じゃないか。ここは私が払うよ」
「何を云ってるんだい。ここは僕が払うよ」
 日本人よろしく払いの引き受け合いをする。そのうち一方が、
「アハハ、これから旅へ行こうというのにこんなところで云い争ってちゃいけないね。よし、それじゃあこうしようじゃないか。お互い、ワリカンということで」
「ほう、どう割る?」
「そうだな・・・・・・よしっ、こうしよう。君がここのコーヒー代を払い、私があの車の代金を払う」
 
 どうでしょう。こんな贅沢を普段からしておればそりゃ演技のうえでもそんな風格が漂うというものです。
 落語においても左様で、非常識を表現するにはやはり演者自身も非常識を知らねばなりません。もっといえば、非常識にならねば、そこから出た表現というのは嘘になります。
 こういった話で談志さんは、人生成り行き、という生き方をされているわけですが、この非常識の行きつく先が「狂気」だというのです。
 これに関しては同氏の『立川談志遺言大全集』などに詳しく書かれているので、興味のある方は一度お読みになってみると宜しかろうと想いますが、実際にそんな道をつきすすんで、最終的には「狂気」に覆われてしまった芸人さんが何人かいるらしいのです。

 もちろん、現時点では斯くいう談志さんも狂ってはいないし、そこへ行くことだけが最上であるとも断言はされておりませんので、「狂気」そのものを肯定することはできないのでしょうが、そうかといって否定するわけでもないのです。芸を極めるためにはそのような結果もありえて良いといっているわけです。
 そこで、です。この「狂気」という終着駅は、武術の世界にも存在するものなのでしょうか
 これが今夜の裏部長のテーマなのです。

 武術は結局のところ命のやり取りで、はっきり云えば生きるか死ぬか、殺すか殺されるかの世界です。そんな世界の勝負や修行を突き詰めてゆくと、おのづと人間の精神の根底もしくは深淵に触れる瞬間があるように想われます。そんな次元に達するべくわれわれも日日稽古を重ねているわけですが、実際にそんな世界へ足を踏み入れた場合、わたくしたちは正常でいられるのでしょうか。この現実の世界で、生き続けることができるのでしょうか。
 そこに「狂気」はあるのでしょうか。

 結局、重い話になってすみませんもうやだ〜(悲しい顔)誰か、答えていただければ幸いです。
 明日は空手の稽古です。今月は明日と水曜日の稽古で最後です。
 裏部長でした。
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2007年01月20日

それがいいんだ。

 こんばんは、裏部長です。昨夜はなんともワケのわからぬ文章を書いてしまい、大変申し訳なく想っております。突然あんな抽象的なことを書いたのには理由がありまして、その原因となったのは、ある一本のTVアニメーション作品なのです。
 それはタイトルを、『僕等がいた』といいます。ご存知の方も多く、また実際にTVで放送されていたのを見たことがあるという方も全国各地にいらっしゃることでしょう。武骨な裏部長もひょんなことから、このアニメーション作品を見る流れとなり、その最終話を見たのが昨日、ちょうどあのBlogを書く直前だったのです。

 見始めたきっかけは一時の偶然です。一応後学のために、新しくはじまるTVドラマなどは出来るだけチェックするようにしている裏部長、ある日、新聞のラテ欄に「僕等」とだけ書かれた新番組の表示を見て、ピンと何かを感じました。そこにはそれ以上の情報はなかったのですがどうも気になって、予約録画をして見たところ、それは『僕等がいた』というアニメーション作品で、以前に書店の施設警備をしていたときに偶然目に止まった漫画が原作になっている三十分の番組だったわけです。
 この齢になってアニメなんて・・・・・・と最初は想いましたが、見てゆくうちにどんどんと惹きこまれて、気づけば最終回まで見る羽目に。
 見続けてしまった理由のひとつに、作品の舞台があります。わたくしはそう気づかずに見ていたのですが、どうも描かれている舞台が北海道のように思えて仕方がないのです。学校祭の前日に行なわれる前夜祭の風景や雪の描写がどうも身近にあるような気がして、それが自然と心に引っかかっていたのですが、これは結局正解で、登場人物たちの生活している場は北海道だったのです。
 それを知ったのは最終話も近づいたころの終盤でしたが、この気づきがわたくしに昨夜の文章を書かせたのです。
 つまり、これまで地元である北海道という土地に抱いていた云い知れぬ劣等感、ローカル的意識を肯定し、いやむしろ美化するが如く強烈な印象をそこから受けたのです。ここにいるから何かが出来ないのではなく、ここにいるからこそ何かができる・・・・・・そう想うことができたのです。

 ですから、昨夜の文章はひじょ〜に私的な話でございまして、わたくし以外の人間が読むと、もう何のこっちゃワケがわからんといった塩梅でございまして、ですからどうも、ごめんなさいもうやだ〜(悲しい顔)

 でも、そんな意識の変化がひょんなきっかけで起こるってこと、みなさんはありませんか。それまで嫌いで食べられなかったものが一寸した出来事がきっかけで食べられるようになったとか、今までいけ好かなかったクラスメイトが、一度正面から向き合って話し合ったり、ガチンコで喧嘩してみたりすると、どこか馴染みやすいやつに感ぜられてきたとか、ネ?そういう変化みたいな瞬間がときどき人生のなかであるでしょ?

 ちなみに、裏部長の武術修行のなかでは、そんなことは日常茶飯事です。師匠のもとで修行をはじめてそろそろ三年。この間にわたくしの稽古におけるマイ・ブームは世のファッション・センスが移り変わるよりも早く変動をして参りました。あるときは其場突きに凝り、朝から晩まで其場突き。そうかと想うとあるときなんぞは蹴りにハマり、前蹴り横蹴り廻し蹴り、とにかく蹴りのことばかりを考えて暮らす日日を送ります。
 筋力トレーニングにしてもそうで、師匠からその方法をはじめて教わった当初は毎日のようにやっておりましたが、ある程度やると「もういいかな」と思ってやめてしまう、現にやめたからといって何か支障が出るわけではないし、時間ができたぶん突きや蹴りなどに意識がゆくようになる・・・・・・そんな変動を繰り返して、今は第二次筋トレ・ブームの真っ只中です。寝たまま行なう腹筋運動は腹まわりのシェイプ・アップのために、前ささえは総合的な躰づくりのために、拳立て伏せは手首と拳のため、指立て伏せはグリップの強さを、ってな具合で、もう大変なのです。
 まあただ単にわたくしが飽きっぽいといえばそれまでですが、そんなことを云ってしまうと身も蓋もなくなるので、聞かなかったことにして、上のほうに書いた綺麗事のみを憶えといてくださいわーい(嬉しい顔)

 なんだか云い訳だけの書き込みになってしまいました。明日こそはもっと内容のあることを書きたいと想います。
 
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2007年01月19日

それでいいんだ。

 非常にに抽象的なことを書きます。

 人間というものはどこかで頑なな部分とあやふやな部分とをあわせ持ち、ときには状況に流され、またときには必要のないほど意固地になってしまうことがあります。だから、人の好き嫌いなんてアテにはなりません。どんな些細なことでも、それがその人にとって想いもかけぬ変化や刺戟を導き、躰のなかの見えないボタンを押したとき、人間の考え方なんてすぐに変わってしまうものなのです。
 昨日まで嫌いだったもの・・・・・・嫌悪し、突き放し、見るのも汚らわしいと批難し、それが自分の体内へ入ってきてそこへ定着することを恐れ、常にそうならぬようならぬようにと努めてきたあることが、今日のちょっとした出来事によって、急に色のちがう大切なものに変化し、大切に、また愛しいものに見えてきたりする・・・・・・人間にはそんな好い加減なところがあると想うのです。
 その根源を「コンプレックス」というのかも知れません。劣等意識はときとしてその人の活動の原動力にもなってくれます。わたくしの場合それは自分の人生であり、自分の性格、自分の容姿、自分の生まれ育った境遇といえましょう。少なからずどこかでそれらに対し、これまでわたくしは好ましくない感情を抱いてきたように想われます。意味もなく、そこに劣等的な差みたいなものを見い出してしまっていたのです。
 でも、その一つが今日消えました。いや、変化した、と云ってよいでしょう。今日のつい先刻まで自分のなかに重く居座っていた厭な想いが、明日からはこの情けない背中を押してくれる、暖かい手になってくれそうです。


 えー、かな〜り抽象的な、意味のわからん文章で今日は勘弁してください。決して書くことがないわけではないのですが、ただ今日はどうしても、こんなことを書いておきたかったもので。
 裏部長でした。
posted by 札幌支部 at 21:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2007年01月18日

復習ニ非ズ

 こんばんは、全身筋肉痛の裏部長です。昨夜の武術的筋力トレーニングが効きました。いやあ、痛いどころの騒ぎじゃありませんよ。腕、腹、太腿、とにかく全身のありとあらゆる箇所がパンパンになっているのですから堪りません。早く鍛え直して、弛みのない躰を作りたいと想います。
 
 さて、今夜は体道稽古。参加者は部長とON君という、最近では体道のレギュラー・メンバーである面子でした。他のひとたちは何処へ行ってしまったのでしょう。
 ON君は日本伝天心古流拳法初伝上段之位十二本、部長は浅山一伝流体術上段之位十二本、わたくしは同流下段之位十二本をいづれもすでに習い済みで、今日は三人ともその復習に終始しました。
 わたくしはまず部長の十二本復習につきあい、それから師匠と下段之位十二本を復習しましたが、これがただの復習に非ず。一本目「前双手」から新たな動きがひとつ加わり、二本目「片手締」三本目「逆寅返」四本目「打込之押え」はそのままでしたが、五本目「露返」からまだ新しい技の指摘があり、六本目「後双手」では受けの取り方を、七本目「横引落」では腕と腰の時間差連動性を、八本目「腰返」では平生やっていない裏拳打ちを、九本目「関節投」では捕り側の動作の変更を、十本目「翼締」では足の巻き方を、十一本目「首投」では受け側の首の締め方ならびに極め方と投げへの変化を・・・・・・と、最後の十二本目「後肩取」こそすんなり終わりましたが、十二本のうち中盤の技ほとんどが新たな動作、もしくは解釈、変化をあらためて教わりました。いやあ、その内容の濃かったこと。
 こうなるともう復習ではありませんね。なんだか、十二本の技をまた新たに零から教わったような心持です。まあ、それだけ深い内容へと入ってきている証拠ではあるのですが・・・・・・。

 稽古終了間際には、逆突きからの踏み出しについて師匠へ質問を出しました。回転で逆突きを出し、その勢いに引っぱられて後ろ足を前へ送るのではなく、両膝の曲げや腰の落下をおこなってそこに勢いを生じさせ、それを前方へ向けるかたちで逆突きを突けば、足の踏み出し以上に拳が伸びるのではないか、そう考えたのです。
 これに関してはもう諸先輩方はいわずもがなで、裏部長のレヴェルには少し早い話でしたが、予想は外れておらず、また師匠の突きの姿もイメージ通りだったので、収穫にはなりました。頭のなかにだけでもよいので、印象を残しておこうと想います。

 明日の空手稽古は、週末に行なわれるセンター試験準備のためありません。次回の稽古は来週の月曜日ということになります。
 ぐんと冷える季節ですので、みなさん体調管理にはじゅうぶんお気をつけて、週末を乗り切ってください。
 裏部長でした。
posted by 札幌支部 at 22:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2007年01月17日

二の腕の痛みと季節外れの怪談話

 こんばんは、裏部長です。巷では物騒な話題ばかりで、本当に滅入ってしまいます。まあマスコミのほうでそういった類の、つまり同情を誘うような悲劇しか大大的に報道しないからその印象が強くなる、といえばその通りかもしれませんが、しかし圧倒的に悲劇のほうが多く起きていると想います。今日もわたくしが稽古へゆくのに支度をし、出発しようとしたそのときに入って来た速報なんぞ、まさに狂気の沙汰。男性が子供を歩道橋のうえから投げ捨てるなど、聞きたくもない話です。
 少しくらい明るい話題がないものでしょうか。

 さて、今夜は空手の稽古。もちろん師匠あり、です。参加者はS呂君にON君、少し遅れて部長の四人。三月に栃木へゆくメンバーでした。
 基本稽古は其場突き、前蹴り、受け四種まで。ここから武術的筋力トレーニングをいくつかやってみたのですが、もう元気だったのは冒頭のみで、メニューが進むにつれて徐徐に強く、己の心身のゆるみを痛感しました。いやあもう、キツいのなんのって!
 最初にやった「前ささえ」からして辛いんですもの。そのあとにやった足あげによる腹筋運動、腕立て伏せ各種と、メニューは淡淡と進みましたが、もう中盤から気力が出ませんで、あとはもう笑うしかありません。終始半笑いのままひと通りをこなしたわけです。
 まあ、今日やったすべてを毎日欠かさず、というのも大変な話なので、ひとまず「前ささえ」くらいから始めてみようと想います。

 後半は型。今日はじめてやる部長とともに、わたくしとS呂君は「安南硬」。ON君は「平安初段」をやりました。今日が「安南硬」初日の部長にあわせて、ひと通りの解説が師匠よりあったあと数回くり返して型を打ちましたが、前回にくらべて理解が深まったような気がします。あれだけ長く感ぜられた内容もきちんと頭に入りましたし、あとは躰がそれをそのまま動くのみです。
 稽古終了後、いつものように一階の談話室でそれこそどうでもいいようなことを駄弁っていたのですが、急に部長が「試験勉強があるので・・・・・・」と云いづらそうに云って先に帰ってしまいました。これは一大事です。
 部長がこれまでに、我我より先に帰ったことなど殆どありませんでした。もちろん、稽古自体を早退したことはありますが、今日のようにともに上がっていながら先に帰るというのは初めてかもしれません。
 それだけ、試験&レポート関係が逼迫しているのでしょう。

裏「なに、試験勉強とか、そんなにギリギリなの?」
部「い、いえ、ギリギリを少し超えてしまったような・・・・・・」
裏「えっ、もう超えちゃったの!?」

 なんて会話のすえに帰っていってしまいました。無事、単位の取れることを祈るばかりです。
 しかし、わが札幌支部はおバカさんたちの集まりではありません。きちんと日日の勉強を怠らず、真面目に励んでいる生徒がちゃんといるのです。その証拠に今日来ていた二人なんぞは・・・・・・

S「明日提出のレポート、まだ一行も書いてないんスよ」

 ええっ!?き、君もか!

O「ああ、そういや俺も」

 おえっ!!き、君もかON君よ・・・・・・。
 
 えー、そんなこんなで、空心館札幌支部は今日もギリギリのところで運営されております。実に、愉しい限りです。
 ちなみに稽古後の三人の会話はこんなふうに流れてゆきました。

裏「ああそういえば、S呂君、こないだ寝不足だって云ってたけど、あれどうなった?もう治った?」
S「少しづつですけど、はい、眠れるようになりました」
裏「何が原因なんだろうねえ」
O「またアレ、出てるんじゃないの?」
S「いや、最近はあんま出てない・・・・・・」
裏「なになに?なにが出てるの?」
O「幽霊です」
裏「えっ、幽霊?S呂君、そういうの見えるの?」
S「はい、小さいころから結構見てて・・・・・・前にも金縛りに遭って、目で上のほう見たら、知らない女のひとがこっちをジィーと」

 ギャアアア!!!だれか、助けてぇぇええ!!!
 そんなこんなで、季節外れの怪談話のせいで気温以上に寒かった、稽古のあとのひと幕でございました。
 明日は体道稽古です。
posted by 札幌支部 at 22:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2007年01月16日

あなたは、死にたくなるほど誰かを愛したことがあるんですか!

 こんばんは、スカッとした気分の裏部長です。ようやく、悩んでおりました、月刊『秘伝』の道場ガイドへ載せる文章の草案が出来上がりました。いやあ今回は苦しかった。なにせ全くアイディアが出てこなかったのですから、本当に、間に合わないかとヒヤヒヤしました。
 この文章に関しては実際に道場ガイドを見ていただきたいと思いますが、それよりも昨夜の稽古で気づいたことがあったので、忘れないうちにそれを記しておきます。
 
 それは、「締め」の効果です。昨夜の稽古の約束組手で、わたしはこの「締め」を意識して攻撃をしました。特に中段追い突き、これをやる際に気をつけて締めてみたのです。
 もちろん、躰すべての箇所を締められるほどの技量はありませんから、やったのは先日指導を受けた下半身の締めです。構えは横幅のない前屈立ち風。そこから足を出すとき、さらに両膝もしくは両太腿をキュッと締めてから突く。これをやってみたわけです。
 結果はただ一文に尽きます。「もう、どうにも止まらない」。
 勢いが増した気がしました。すでに目一杯引きしぼっておいたゴムの端を掴まされて、逆バンジーよろしく飛んでいってしまったような感じで、突進力が生まれたように思われます。だから、相手の動きに応じてそのあとの攻撃、つまり二本目、三本目を出すときの、自分の躰の制御が難しかったくらいで、自分でも驚くほどの勢いが出てきたのです。
 あれは何だったのでしょうか。「締め」の効果なのでしょうか。そのあたりのことは未だ判然としませんが、どこか自分の躰のなかで、下半身を締めただけでバランス自体が締まっているようにも思われます。おもしろい効果でした。
 ワン・ツーに関してはとにかく、馴れてないなあ、といった感じ。もうホントに稽古量がその有様を左右していますね。追い突きだとあれだけ安定してきたものが、いざ二本になるともう駄目、ヘロヘロになってしまいます。
 早くこちらにも馴れたいものです。

 昨夜のわたくしは突きの勢いが止まりませんでしたが、一般的に“もうどうにも止まらない”といえば「愛」(話は飛躍しますよ)。
 今日、裏部長は『愛の流刑地』(日本映画2007)を観てきました。TVなどでその予告を見てご存知の方もいらっしゃるでしょう。渡辺淳一さんの原作で、寺島しのぶさんなんかが出ていて、平井堅が主題歌やってる、あの作品です。
 わたくしはあまり渡辺淳一さん、好きじゃありません。同郷ですけども、どうも好きになれません。だから、過去の作品も読んでおりません。
 ただ今回はどういうわけか映画のほうに惹かれてしまい、結果こうして観に行ったわけですが、もう館内は熟年夫婦だらけ、平日なのにたいへんな入り様でした。案外売れているのかもしれません。
 感想としては「可もなく不可もなく」といった感じ。驚くほど良い点もなければ、目くじら立てて追及するほど悪い点もなく、まあこんなもんか、という塩梅でした。怒るほどのことではありません。
 良かったのは寺島しのぶさんの脱ぎっぷりと平井堅の『哀歌』くらいでしょうか。
 なお、今日のこのBlogのタイトルは劇中で主人公が口にする代表的な台詞です。ありきたりな内容ですが、存外、本質を突くような叫びです。
 あなたはそんな恋愛、したことありますか(なんちって)。

 明日は空手の稽古です。
 
posted by 札幌支部 at 19:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2007年01月15日

にゃー

 こんばんは、裏部長です。

 今夜は師匠不在の稽古日で、加えて部長も、大学の試験勉強のため欠席。わたくしが教室へ行きますとすでにON君が来ていて、彼といろいろな話をしながら更なる参加者を待ちましたが、結局その後OBさんしか来ず、お馴染みの少数メンバーでの稽古となりました。
 内容としては、基本稽古を受けまで。参加者を待ちながらON君と立ち話をしていたため、この時点ですでに午後六時四十五分。
 ここからは型。まずON君の「平安初段」をやりました。
 彼に出した課題は、猫足立ちについてのみです。もちろん云おうと思えばさまざまな点が見つけられますが、一度にそれらを訂正させることは難しいので、今日はまず猫足立ちについて集中的に稽古をしました。
 前足の位置、後ろ(軸)足の曲がり具合、上半身の向き、手刀受けとの連結など、一連の内容を伝えて彼には自主稽古をしていてもらい、その間に今度はOBさんの「平安四段」。こちらはまだ教わってから師匠に二度ほどしか見てもらっていないという状態でしたが、その完成度にビックリ!OBさん、またも少し巧くなっておりました。
 強いて云うならば、各動作における引き手の位置、気合を発する動作から猫足立ちへ移る際の腰の上下動をやめる、など、細かい点が気になりました。これらを直せばおそらくもう問題はないでしょう。
 後半は約束組手。ON君も遠征へゆく予定なので、向こうでの稽古を想定して、中段追い突きとワン・ツーをやりました。
 普段こちらでは追い突きこそよくやれ、ワン・ツーの約束組手は現時点ではほとんどやっておりませんので、突く側もそうですが、何より受け側が馴れておりません。三月までに少しでも練っておきたいものです。

 えー、今日はなんとも簡単ですみません。なにせ『秘伝』の道場ガイドに載せる文言がまだ出来ていないもので・・・・・・。
 ちなみに、本日のタイトルの「にゃー」は、猫足立ちの稽古から連想された、ただの雄叫びです。気にしないでください。
 明日はちゃんと書きます。
posted by 札幌支部 at 22:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記