2007年01月25日

部長職撤廃について

 こんばんは、裏部長です。今日の札幌はへんな天気でしたね。朝起きたら猛吹雪、もう視界はすべてまっ白といった塩梅でしたが、少し経つと晴れたりなんかして、そんな晴れたり吹雪いたりが繰り返される、たいへん過ごしにくい天候だったと思います。
 わが札幌大学では本日より試験期間に入るそうで、すでに卒業をしたわたくしにはあまり関係はありませんが、まだ在学している後輩たちにとっては決して油断のならない数日間でありまして、こうしている現在もその勉強に追われているひとが恐らく数人はいることでしょう。昨夜の稽古に参加していたS呂君ならびに、ON君改め狗っち両名に関してはさほどに大変な様子もなく、むしろ閑なくらいだと云っておりましたが、さてほかの面子はどうでしょうね。部長なんぞ、ひぃひぃ云ってるかもしれません。
 頑張れ、部長!安寧なる日日はすぐそこまで迫っているぞ。

 えーこの“部長”という役職についてですが、昨夜のBlogにも少し書いたように、稽古の前にすこし師匠と話し合いました。というのも、何かというとわたくしたちが「次期部長をどうするか」と話し合っているのを見て、師匠は疑問を感ぜられたというのですね。
 簡単にいえば、果たして部長は必要なのか、ということです。空心館札幌支部はもともと「古武術研究会」という名でスタートした、ある種の同好会のようなものであり、大学の施設を借りる関係上、その旨の登録もし、教室を借りて稽古をしているわけですが、そうかといって何かの組織に所属しているわけではありません。まあ、所属していないために体育館も借りられないし、部室もないわけですが、それでもいいト、いや寧ろそのほうが気が楽でいいんじゃないかト、そういう方針でもって今日までやって来たわけです。
 ですから、部長、と云ってもその仕事は教室使用許可の申請をし、教室に鍵がかかっていたら守衛さんのところへ行ってそれをもらってくるとか、それくらいなもので、決して重務ではないのですが、ただ一応、もともとの出発点として、大学内の同好会がごとく存在の組織としてはそこに所属している学生のなかでその長を定め、ある一定の責任感をもって後輩たちを引っぱってゆく、といった雰囲気があったほうが良いんじゃないかなと判じ、最初はわたくし、そして二代目には現在の部長がその任につきました。師匠が不在のときなど、そういった存在があるほうが後輩たちも稽古へ来やすいと思ったのです。
 ただ・・・・・・それが逆に重荷になる可能性もあります。ここからは師匠の意見ですよ。重荷になる。たしかに左程のやる気もない人間にとってはそんな役職、足枷以外のなにものでもなく、いくら期待をかけてくれるからと云って、純粋に稽古へは来られなくなり、またいろいろな場面で責任を負わされるのは面倒臭い、はっきり云ってウザい・・・・・・そんな感情が生まれる余地がこの部長探しにはありましたし、またかえってその候補から外されることも、なーんだオレは期待されてないんだ、という疎外感をも与えかねない、というのです。
 そんな諸諸の理由で、現在の部長が引退したあとは判然とした部長を置かず、その仕事はすべて師匠が請負う。昨夜の話ではそうと決まりました。門弟の諸君はいかがでしょうか。

 たしかに、部長のやる仕事なんぞ高が知れておりまして、さきほど申しました教室使用許可の申請くらいなものなので、師匠にお任せしても何ら問題はありません。むしろ師匠のほうが届け出る先に顔がききますし、何かあった際にも話が早いでしょう。良いこと尽くめです。
 ただわたくしがこれまでこの案に賛成しかねてきたのは、そうしてしまうと、すべてのことを師匠に任せ、われわれ門弟たちは何もしないで済んでしまうことになる、からなのです。師匠は、そんな一寸した申請くらい仕事のうちには入らないよと仰ってくれますが、わたくしは寧ろ逆に、たったそれだけの仕事さえも師匠に任せてしまって良いものかどうか、そう想っていたのであります。
 これに関してはさらに師匠のほうから提案がありまして、それは、この札幌支部を、札幌大学内のサークル系組織としては考えず、日本武術研究所空心館の札幌支部として捉え、われわれはそこへ稽古のために集ってくるただのひと、そう考えようじゃないか、というものです。わたくしどもとしては有難い限りですね。ただ稽古だけをしていれば良いのですから。

 結局、わたくしとしては部長職撤廃、たいへん結構なことだと想っております。師匠がそう仰ってくださるのなら、そのお言葉に甘えようと想います。
 裏部長でした・・・・・・ああ、それならわたくしも、そろそろ改名しなくては。
 
posted by 札幌支部 at 19:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2007年01月24日

折る。

 こんばんは、裏部長です。今夜は書きたいことが沢山あって大変ですふらふらいつもはくだらない小噺みたいなものをいろいろと書いておりますが、今日はそんな余裕はほとんど無いため、前置きはすっ飛ばして本題へ入りたいと思います。

 まずはBlogへ寄せられたコメントについて。
 奈良支部のM田先輩ならびにT技術顧問、書き込みありがとうございます。「武術における“狂気”」について論じていただいたわけですが、最終的には、技術顧問の解説で納得、といった感じです。たしかにたしかに、そう云われてみるとそうだなあと呑みこんでしまいました。ひと言で「狂気」といっても段階がある・・・・・・桂枝雀さんなんかを出してくるところなど、やはり見事な解説であり、後輩たちにもよい勉強になると思います。
 M田先輩のお話も実にわかりやすく、稽古前の礼ではそれくらいの覚悟、意識の切り替えが必要でしょうね。ただ、理屈としては解っていても本当にそうできているかと問われれば即答はできません。まだまだ本当の意味での覚悟が足りないのでしょう。
 ご両名ともにたいへん勉強になりました。ありがとうございます。

 そして、何より驚いたのが早川剛さんからの書き込みです。昨日、わたくしが書いた、映画『同じ月を見ている』に対する感想コメントを受けて、なんと、わざわざご本人が書き込みをしてくださったのです。
 いやあ、見つけたときには驚きました。引っくり返るかと思いました。なにせあの映画で使われているほとんどの絵を描かれたご本人ですからね。こりゃ誰でも驚きますよ。わざわざご自身のHPアドレスまで載せてくださって、御礼の仕様もございません。
 みんなも早川さんの絵を見てください。わたくしもすぐにHPへ飛び、アップされている作品をいろいろと拝見しましたが、いやあ素晴らしい!裏部長、すっかり気に入ってしまいました。わたくしは殆ど絵画というものには詳しくないものの、その絵が生理的に気に入らなかった場合、描いた人間がどんなに素晴らしいひとであっても興味が失せてしまうタイプの人間なのですが、今回はストライク!実に素晴らしい。抽象的ななかにもメッセージがあり、混沌のなかにも空間が、光が、そして生命の脈動が感ぜられる・・・・・・世辞でこんなことは云いません。ええ、本当です。根から好きになってしまいました。
 おそらく早川さんの絵には隠れた説得力があるのでしょうね。それがあの映画を、どうにか一本の「映画」として成立させていたのでしょう。ドンという名の青年が描くその絵の一枚一枚にちゃんと意味が、その人物の感情や歴史が垣間見られる、それほどの深みと内容を備えた作品だったからこそ、無説明に、また無言のうちに描写が行なえたのです。
 何はともあれ、早川剛さん、コメントありがとうございました。これから少し個人的に追っかけてみます。

 さて今夜の稽古ですが、散散云ってきたように、試験の関係で一月最後の稽古となりました。参加者はON君とS呂君のみ。
 冒頭、今後の部長をどうするかの話があり、少し遅れてスタート。基本稽古を受けまでやり、エンピ六方もやりました。
 後半は約束組手。わたくしはS呂君と、師匠はON君と組んで、今日はまず接近した状態から、足首、膝、股関節、腰と、腰から下の関節すべてをうまく曲げて突きを相手へ届かせる稽古をしました。かなり地味ですが、これが意外と内容深く、静かながら面白い発見がありました。
 最後はその感覚を活かして中段追い突き。わたくしは時間の都合上、S呂君の突きを受けただけでしたが、解説のなかからいろいろと学ぶところがあり、今日の師匠の解説を聴いた途端に、過去のVTRにおける若き日の師匠の追い突きの意味が解ったような気がして、ひとりニヤニヤとしておりました。ああ、そうか、だからあんな感じに突いてたのか、ってな具合です。
 S呂君へ初段補の免状が、ON君には日本傳天心古流拳法居取之位の目録が渡され、今日の稽古は幕をとじました。

 追い突きにおける解説の詳細は、秘密です揺れるハート今日その場にいたひとたちだけの収穫としておきましょう。わたくしとしては聴いているだけで愉しくなってくるような内容でした。
 ただ、これから目指すような突き方、そのときの躰の遣い方をそれよりも以前に、形だけ真似していたらおそらく「駄目な突き方(体勢)のよい例」になっていたことでしょう。今日教わったのはそんなことだったような気がいたします。
 まあ、とにかく秘密揺れるハートですから、知りたいひとは今後の稽古に励んでくださいわーい(嬉しい顔)

 さてさて、明日から二月までは稽古がないわけですが、その前にひとつ発表をしておきましょう。
 先日来云っておりました各人のニックネームですが、今日そのひとつが決定いたしました手(チョキ)
 変わるのは「ON君」です。今まで彼には、神奈川県出身の、とか、自虐的な、とか、傷だらけの、なんていうキャッチフレーズをつけて記して参りましたが、今日からはそんな記載における苦労はいりません。その名ひとつで彼のことが、まるで目の前にいるかの如く解ってしまうのです。
 いいですか、それでは発表いたします。本日より変更となる、ON君の新しいニックネームは・・・・・・


         「狗」


 !!!!!
 どうです?まさか動物で来るとは想わなかったでしょ?そら盲点。彼はたいへん狗っぽいんです。獣のようにいつもどっかぶつけて傷をつくってるし、妙に鼻なんかも利いて、今日も大学を出るや否やその鼻先をくんくんさせて、「あっ、冷凍ギョウザの匂いがする!」とワケのわからんことを口走っておりましたから、存外的外れな命名でもないのです。
 いいですね。今日からON君は「狗」です。狗くん、でもいいし、狗ちゃんでもいいです。わたくしは当面、狗っち、と呼ぶことにします。

 次の稽古は二月の一日。春休み中は午前十時から正午までの、健康的な時間割となっております。
 裏部長でした。
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2007年01月23日

同じ月を見ている

 どうもこんばんは、裏部長です。北海道ではガス漏れのニュースが続続と出ておりまして、わたくしたちの住む札幌でも避難騒ぎがあったそうです。幸い、一酸化炭素は含まれておらず、大事には至らなかったそうですが、なんとも厭なものです。年末、不必要なほどに道路工事をするくらいなら、古くなったガス管を一本でも多く新しいものへと交換してほしい!道民はみなそう想っていることでしょう。
 これから、ガス会社の手腕が問われます。

 さて今日は稽古のない日ですので、なにか稽古以外の話題を・・・・・・と考えたのですが、だからといって面白い話題が降って湧いてくるわけでもないので、例によって映画の話でもしておきます。
 本日わたくしが観た映画は『同じ月を見ている」(日本映画2005)といいます。監督は故・深作欣二さんのご子息、深作健太さん。主演は窪塚洋介黒木メイサエディソン・チャン。脇には山本太郎松尾スズキ、先日お亡くなりになった岸田今日子さんなどがいます。
 原作は土田世紀さんの漫画です。幼いころに知り合い、いつも一緒に遊んでいたふたりの少年とひとりの少女。三人はいつも山のなかの“秘密基地"で遊び、絵を描き、笑いあった。少女は心臓に穴があいており、自由には外出できないから彼らふたりのほかに友人はいない。少年たちはいつも傍にいると彼女に誓う。
 しかし、エディソン・チャン演ずるところの少年は両親がなく、家も貧しいため同級生たちのイジメの的になり、そんな彼らに抗しきれない主人公もそのイジメに参加してしまったことからふたりの仲は疎遠になっていってしまう。
 成長し、医者を志した主人公は彼女と結婚を誓う。しかし、高校時代に、少女の家を巻き込んだ山火事の放火犯としてエディソンが逮捕されてしまい、三人はともに過ごせない。
 主人公はこの彼に対し、後ろ暗い想いを抱えている。有力なクラスメイトたちに従わなければならぬという鬱積感、親友を疎外しているという自責の念、それでも親しげなまなざしを失わず、いつも謝ってばかりいる彼に対し、主人公は複雑な感情を抱えて、高校生ながら酒を呑み、タバコをふかす。苛立ち紛れに“秘密基地”へつけた火が山を覆い、ついには彼女の家にも達してしまったが、容疑は主人公ではなく、貧しいエディソンのほうへ向いてしまった。
 そして、彼はその容疑を否認しなかった・・・・・・彼は、火事の原因が主人公にあることを知っていたのだ。
 ふたりが結婚するということを手紙で知ったエディソンは刑務所を脱獄し、一枚の絵をふたりへ渡すためやってくる。そして、最後の最後でその生命を落とす。
 燃え盛る火事のなかから救い出した心臓病の少年にかれの心臓は移植され、その存在はこれからも生きてゆく・・・・・・。

 何はともあれ、良いタイトルです。裏部長、こういう題名がなんとも好きです。「同じ月を見ている」、英語では「Under The Same Moon」。いいですな。
 どんな離れていても、僕らはいつも同じ月を見ている・・・・・・こういう言葉にはひとを元気づけるパワーがあるように思えますね。決して綺麗事だけではない、心と心の「きづな」を感じさせるような、そんな何かがあるように思えます。
 ただ、この作品は、映画としてはそんなに良い出来ではありません。まあ手っ取り早く云ってしまえば「可もなく不可もなく」というやつで、刺戟もなければ退屈でもなかったという中途半端な作品でした。主演の窪塚洋介さんはまだ子供っぽい演技ばかりだし、その親友役にどうして海外のひとを起用したのかも解りません。ヒロインの黒木メイサさんもそれほど巧くないし、まあよくやっていたのは山本太郎さんくらいで、あとは劇中に出てくる早川剛さんの絵の見事さ、これを見るくらいでしょう、この映画は。驚くほどのことはありません。

 ただ、このタイトルはいいですね。今度自分の作品にも使ってみようっと。
 
 というわけで、今日は映画『同じ突きを見ていた』・・・・・・じゃなくて、『同じ月を見ていた』をご紹介しました。
 明日は今月最後の稽古です。
posted by 札幌支部 at 19:26 | Comment(1) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2007年01月22日

上段を禦ぐ

 こんばんは、裏部長です。TVニュースはどのチャンネルをかけても宮崎県知事の話ばかりですね。ひとまずご当選おめでとうございます、ってなことで、なんだか浮かれておりますが、外から政治の世界に入ったひとの苦労というのは想像を絶するそうです。新知事には、しすぎない程度に期待をしておきましょう。
 さて今日は、今月最後の師匠不在の稽古日で、たいして変わったこともなかったのですが、一応今月最後の月曜日なので、形式に則ってそのご報告をさせていただきます。


○2007年1月22日(月)晴れ。納豆ダイエットには要注意。
 午後六時、札幌大学1002教室にて空手の稽古。師匠不在。参加者は新人のST、少し遅れてOBさん、かなり遅れてS呂。
 基本稽古ひと通り。上段前蹴り刻み突き二連続など織り交ぜながら行なう。裏拳打ちを行なうところでOBさんが合流。
 手廻し。
 正面へむかって少し斜めに四股立ちで立ち、そこから両踵を絞って前へ向きなおり、逆突き、手刀受けをしつつ元にもどる稽古。
 前ささえ。ST、OB両名、顔を赤くして数回行なう。この間にS呂が合流。
 後半は型と約束組手。まずはS呂とOBさんに約束組手(中段追い突き)をやっておいてもらい、その間に私とSTは「四之型」を行なう。
 ST、かなり久しぶりだというのに出来よく、下段払い、外受け、上段受け、いづれもほとんど文句なし。もちろん云おうと思えばいろいろな注文が出せるが、現時点では上上であろう。追い突きの位置と上段受けにもうすこし馴れてくれれば尚のこと良し。
 最後は全員で約束組手。突いたひとが受けにまわる回転方式でおこなう。
 S呂には中段追い突きに加えてワン・ツー(刻み突き・逆突き)もやらせてみる。
 八時、終了。


 ST君の「四之型」には驚きました。彼もひとりで稽古したのでしょうか、以前とは比べものにならないほど上達しておりました。感心、感心。
 S呂君に対しては約束組手でいろいろとアドヴァイスを出しました。中段追い突きでは、二本目を出すタイミング、その間合を考え、一本を突く速度のなかで二本突いてしまえるように腰をコンパクトに使ってみる。ワン・ツーではとにかく二本目の逆突きをきちっと中段へ入れること、これを云い伝えました。
 彼は身長が高いためもあってか、突きが浮いてしまう傾向にあり、連打をすると拳がこちらの胸あたりに集中して当たってしまうのですが、これをどうにか上下どちらかに分けたい。あれだけ足が長く手が長く、躰の勢いもあって拳も握れているのですから、突きを中段なら水月へ、上段なら顔面か顎か喉元あたりへ正確に入れられたら相当なものです。精度を上げることが求められましょう。
 ただ、少し変化を感じたのは、わたくしが「やっぱり、追い突き発進よりもワン・ツー発進のほうがやり易い?」と訊いたのに対し、彼が、今はもう追い突きもワン・ツーも自分のなかではあまり差はない、と答えたことです。まあ、競技の経験がある彼であっても、こちらへ来てからは明けても暮れても追い突きばかりでしたからね、その変化は当たり前かもしれませんが、どこか嬉しさを感じずにはいられませんでした。

 今日は約束組手において、中段追い突き以外にワン・ツーもやってみたわけですが、S呂君に突かせてあげる際など、ワン・ツーの二本だけでは終わらせず、そのあとも出せるだけ突きを出させてみるようにしました。これはちょっとした緊張感です。なにせ発進がワン・ツーですから、その後の展開で上段へ突きが来る可能性もあるのです。これまでは中段追い突きばかりで、そのあとに二本三本と突かせてみても、それらは大方中段へ集まってきたのですが、この場合は違います。出発の時点ですでに上段へ突きを出しているため、案外あっさりと顔めがけて拳が飛んできます。これは気合が入ります。
 わたくしたちも黒帯を締めるようになったのですから、少しくらいは上段への防禦姿勢を持たねばなりません。いつ飛んできても良いように、気だけは残しておきましょう。
 尚、S呂君には云いましたが、突きの高さが乱れて、胸あたりに集中してしまう件、上段への攻撃であれば喉元へそれても問題はないでしょう。これは本部のY先生もおっしゃっていたように、喉元へ来る突きは受けづらいのです。ですから、刻み突きなどをここへ入れるのは有効かと思いますが、ただこれはあくまでも「上段狙いの喉元攻撃」の場合であり、中段を狙ったのに拳が浮いてしまって喉のあたりに当たった、ではいけません。有効なる突きを目指しましょう。

 今日、部長も休みだったわけですが、あとで聞いたら何でも胃腸炎になったとかで、大変です。ノロウィルスでなければ良いですが、三月には栃木遠征、数日先には大学の試験が迫っているのです。大事なく過ぎることを祈っております。
 なお栃木遠征についてですが、残念なことに奈良支部のM田先輩方の不参加が判明しました。お会いできる日が遠のいてしまいました。残念至極!

 ああ、そういえば、札幌支部の門弟諸君にちょっと考えてもらいたいことがあります。
 それは、各人のニックネーム、です。
 このBlogにおいては一応、人名を秘してイニシャル表記で書いてきましたが、あまりにも人数が多くなりすぎて、誰が誰だかたまに判らなくなるのです。札幌支部の人間であればだいたい判るかもしれませんが、外部からここへ来たひとにはチンプンカンプンでしょう。また、イニシャルが同じひとも多くいるため、ここに表記の仕方を変えようと想うのです。
 えー、ですから、それぞれ自分の「名前」を考えてください。すでに名のある、師範、師匠、部長、裏部長、おすぎさん、T相談役や本部の方方は結構ですが、札幌支部のみんなはよろしくお願いします。なんとなくその人の雰囲気が伝わるような、そんな短い名前を考えてください。

 次の稽古は水曜日です。今月はこれで終了してしまいます。
 できれば、ニックネームはそのときまでに。
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2007年01月21日

武術と狂気

 こんばんは、裏部長です。おすぎさんの手により、Blogのデザインが一新されてから一発目の書き込みです。背景が白になったせいか、本文中の太字の部分が強調されて、その点ではたいへん良いアレンジだったと思いますが、若干目に来ます眼鏡じぃーと見ているとチカチカしてきますぴかぴか(新しい)
 みなさん、このBlogを読む際はあまり画面を凝視せぬようにしましょうわーい(嬉しい顔)

 今日のテーマはタイトルにある通り、「武術と狂気」です。なんとも物騒で、且つなんとも重重しい題名ですが、これは無理にでも武術にひきつけて考えてみようとした結果であり、裏部長が取り上げたいのは“狂気”そのものなのです。
 わたくしが最近はまっているひとに、このBlogにも何度か登場した立川談志さんがおりますが、この人の書く本のなかに「狂気」というキーワードが出てきます。狂、という字がつく言葉はどちらかというと、あまり宜しくないというか、対世間的に許されない、排除されるべき感情であり、それに魅入られて逃れられなかった人間を異常とし、防ぎ切った人間を正常とする・・・・・・みたいなように想われている気がします。
 これは確かにそうなのでしょう。『ものぐさ精神分析』で有名な岸田秀さんは、「人間は本能の壊れた生き物だ」と書かれていますが、現にその通りで、野生の動物ならば繁殖期に性欲をおぼえ、冬の到来とともに長きの睡眠に入る、そんな行動スタイルが生まれながらにして躰のなかにある本能のシステムによって遂行されるわけですが、人間はそうじゃない。ほぼ日常的に性欲や食欲はあるし、冬眠はできない代わりに、何日かは寝ずに生きてゆくことができる・・・・・・たしかに人間にはもう本能とよべるものはないのです
 ですから、ややともするとその欲望が暴走をして、犯罪に発展してしまうことがあります。人間はこれを理性で抑えているわけですが、この理性が壊れてしまうと、もうそこには「狂気」の二文字しかなくなってしまうのです。

 談志さんはこの「狂気」というものを、芸人の存在意義として、どちらかというと肯定的に表現します。つまり、落語というもの自体が人間の業、つまりあまり綺麗でない部分、もっとはっきり云うと悪どいところ、褒められたもんじゃないドロドロしたところを描くもので、昔ながらの世間一般的な、道徳的な常識から外れた、いわば非常識を当たり前のようにして表現する媒体であるト、こう定義した場合、それを演ずる落語家そのものも、本来は非常識でなくてはいけないのではないか・・・・・・そう考えるわけです。
 これは頷けぬ話ではなく、落語のなかにはたしかに、あまり笑えない話が多くあります。
 隣家の小金持ちの老人が死ぬ寸前に、自分で貯めた金をお餅にくるんで飲み込んでしまった。それを見ていた隣人の男はまたたく間に葬式をあげ、自分で遺体を火葬場へもってゆき、急かして焼かせ、骨はそのままに腹のなかから金だけを持ち去ってしまう。その金で黄金餅という菓子を売る店を出したところたいへん繁盛をし、めでたしめでたし・・・・・・これはお馴染み『黄金餅』のストーリー・ラインですが、決してめでたしめでたしと喜べる話ではありません。
 このほかにも、さんざん遊んだ挙句金も払わず逆に金をせしめてくる男の話『居残り左平次』や、職人の男が橋のうえで武士を幾人も斬ってしまう『たがや』、若い町人たちの悪戯心『酢豆腐』、最後の最後に悪女がわらう『三枚起請』などなど、決して美談などとは云えない、現代の感覚ではハッピー・エンドに感ぜられない噺がたくさんあるのです。
 だからこそ談志さんは、落語は人間の業の肯定である、と云ったわけですが、この業の肯定をする落語家そのものが常識的な生活をしていて果たして良いのか、これが同氏の持論なのです。

 あまり他の芸人をほめない談志さんですが、弟子の立川志の輔さんに対しては「いい!文句なし!」と太鼓判を押します。ただひとつ難をつけると、「今のままの志の輔じゃだめだ。NHKなんぞに出て、世間がそのまま受け容れるような存在のままじゃ本当の芸人ではない。はっきり云うと、そんな番組からは相手にされない、もっと云えば追い出されちゃうようにならないと」これなのです。
 人間の業を表現する過程において、自分は正義に生き、ふだんの生活では酒もやらない女も買わない、タバコも吸わなきゃ博打にも手を出さないという真っ正直な人生をあゆみ、かたや落語をやる際には非常識で、半分犯罪者みたいな好い加減な人間たちを演ずる、こりゃおかしいじゃないかト、そう云う談志さんの理論には頷くことができるように想われます。やはり芸は人なり、ですから、普段からそういう好い加減な人生を歩んでいないと、本当の表現には繋がらないのです。

 これに関しては伊丹十三さんも似たようなことを書いてらっしゃって、「俳優はすべからく贅沢を知らねばならぬ」。日本の俳優たちは本当の贅沢を知らないから、たとい大金持ちの役がついても、中小企業の社長くらいにしか見えない。
 その贅沢を知るには、やはり贅沢をするのが近道である。この場合の贅沢というのは、たとえばこのようなことである。
 男の二人づれがホテルのラウンジで話している。話題は旅行の計画へとかわり、これから二人でバカンスへ行こうという話になる。ついてはこの先に有名な高級車の店があるから、これからそこの担当者を呼んで新車を一台注文し、これに乗って行こうじゃないかと盛り上がる。
 すぐに担当者が呼ばれ、ボディはこの色、座席はこの素材と、次次と話は決まり、ほんの数十分で新車の注文が済んでしまった。車はすぐに用意できるという。
 いろいろと旅の計画を練ったのち、じゃあそろそろ引き上げようかと、二人は立ち上がった。一方が伝票を手にする。
「ああ、駄目じゃないか。ここは私が払うよ」
「何を云ってるんだい。ここは僕が払うよ」
 日本人よろしく払いの引き受け合いをする。そのうち一方が、
「アハハ、これから旅へ行こうというのにこんなところで云い争ってちゃいけないね。よし、それじゃあこうしようじゃないか。お互い、ワリカンということで」
「ほう、どう割る?」
「そうだな・・・・・・よしっ、こうしよう。君がここのコーヒー代を払い、私があの車の代金を払う」
 
 どうでしょう。こんな贅沢を普段からしておればそりゃ演技のうえでもそんな風格が漂うというものです。
 落語においても左様で、非常識を表現するにはやはり演者自身も非常識を知らねばなりません。もっといえば、非常識にならねば、そこから出た表現というのは嘘になります。
 こういった話で談志さんは、人生成り行き、という生き方をされているわけですが、この非常識の行きつく先が「狂気」だというのです。
 これに関しては同氏の『立川談志遺言大全集』などに詳しく書かれているので、興味のある方は一度お読みになってみると宜しかろうと想いますが、実際にそんな道をつきすすんで、最終的には「狂気」に覆われてしまった芸人さんが何人かいるらしいのです。

 もちろん、現時点では斯くいう談志さんも狂ってはいないし、そこへ行くことだけが最上であるとも断言はされておりませんので、「狂気」そのものを肯定することはできないのでしょうが、そうかといって否定するわけでもないのです。芸を極めるためにはそのような結果もありえて良いといっているわけです。
 そこで、です。この「狂気」という終着駅は、武術の世界にも存在するものなのでしょうか
 これが今夜の裏部長のテーマなのです。

 武術は結局のところ命のやり取りで、はっきり云えば生きるか死ぬか、殺すか殺されるかの世界です。そんな世界の勝負や修行を突き詰めてゆくと、おのづと人間の精神の根底もしくは深淵に触れる瞬間があるように想われます。そんな次元に達するべくわれわれも日日稽古を重ねているわけですが、実際にそんな世界へ足を踏み入れた場合、わたくしたちは正常でいられるのでしょうか。この現実の世界で、生き続けることができるのでしょうか。
 そこに「狂気」はあるのでしょうか。

 結局、重い話になってすみませんもうやだ〜(悲しい顔)誰か、答えていただければ幸いです。
 明日は空手の稽古です。今月は明日と水曜日の稽古で最後です。
 裏部長でした。
posted by 札幌支部 at 20:00 | Comment(3) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2007年01月20日

それがいいんだ。

 こんばんは、裏部長です。昨夜はなんともワケのわからぬ文章を書いてしまい、大変申し訳なく想っております。突然あんな抽象的なことを書いたのには理由がありまして、その原因となったのは、ある一本のTVアニメーション作品なのです。
 それはタイトルを、『僕等がいた』といいます。ご存知の方も多く、また実際にTVで放送されていたのを見たことがあるという方も全国各地にいらっしゃることでしょう。武骨な裏部長もひょんなことから、このアニメーション作品を見る流れとなり、その最終話を見たのが昨日、ちょうどあのBlogを書く直前だったのです。

 見始めたきっかけは一時の偶然です。一応後学のために、新しくはじまるTVドラマなどは出来るだけチェックするようにしている裏部長、ある日、新聞のラテ欄に「僕等」とだけ書かれた新番組の表示を見て、ピンと何かを感じました。そこにはそれ以上の情報はなかったのですがどうも気になって、予約録画をして見たところ、それは『僕等がいた』というアニメーション作品で、以前に書店の施設警備をしていたときに偶然目に止まった漫画が原作になっている三十分の番組だったわけです。
 この齢になってアニメなんて・・・・・・と最初は想いましたが、見てゆくうちにどんどんと惹きこまれて、気づけば最終回まで見る羽目に。
 見続けてしまった理由のひとつに、作品の舞台があります。わたくしはそう気づかずに見ていたのですが、どうも描かれている舞台が北海道のように思えて仕方がないのです。学校祭の前日に行なわれる前夜祭の風景や雪の描写がどうも身近にあるような気がして、それが自然と心に引っかかっていたのですが、これは結局正解で、登場人物たちの生活している場は北海道だったのです。
 それを知ったのは最終話も近づいたころの終盤でしたが、この気づきがわたくしに昨夜の文章を書かせたのです。
 つまり、これまで地元である北海道という土地に抱いていた云い知れぬ劣等感、ローカル的意識を肯定し、いやむしろ美化するが如く強烈な印象をそこから受けたのです。ここにいるから何かが出来ないのではなく、ここにいるからこそ何かができる・・・・・・そう想うことができたのです。

 ですから、昨夜の文章はひじょ〜に私的な話でございまして、わたくし以外の人間が読むと、もう何のこっちゃワケがわからんといった塩梅でございまして、ですからどうも、ごめんなさいもうやだ〜(悲しい顔)

 でも、そんな意識の変化がひょんなきっかけで起こるってこと、みなさんはありませんか。それまで嫌いで食べられなかったものが一寸した出来事がきっかけで食べられるようになったとか、今までいけ好かなかったクラスメイトが、一度正面から向き合って話し合ったり、ガチンコで喧嘩してみたりすると、どこか馴染みやすいやつに感ぜられてきたとか、ネ?そういう変化みたいな瞬間がときどき人生のなかであるでしょ?

 ちなみに、裏部長の武術修行のなかでは、そんなことは日常茶飯事です。師匠のもとで修行をはじめてそろそろ三年。この間にわたくしの稽古におけるマイ・ブームは世のファッション・センスが移り変わるよりも早く変動をして参りました。あるときは其場突きに凝り、朝から晩まで其場突き。そうかと想うとあるときなんぞは蹴りにハマり、前蹴り横蹴り廻し蹴り、とにかく蹴りのことばかりを考えて暮らす日日を送ります。
 筋力トレーニングにしてもそうで、師匠からその方法をはじめて教わった当初は毎日のようにやっておりましたが、ある程度やると「もういいかな」と思ってやめてしまう、現にやめたからといって何か支障が出るわけではないし、時間ができたぶん突きや蹴りなどに意識がゆくようになる・・・・・・そんな変動を繰り返して、今は第二次筋トレ・ブームの真っ只中です。寝たまま行なう腹筋運動は腹まわりのシェイプ・アップのために、前ささえは総合的な躰づくりのために、拳立て伏せは手首と拳のため、指立て伏せはグリップの強さを、ってな具合で、もう大変なのです。
 まあただ単にわたくしが飽きっぽいといえばそれまでですが、そんなことを云ってしまうと身も蓋もなくなるので、聞かなかったことにして、上のほうに書いた綺麗事のみを憶えといてくださいわーい(嬉しい顔)

 なんだか云い訳だけの書き込みになってしまいました。明日こそはもっと内容のあることを書きたいと想います。
 
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2007年01月19日

それでいいんだ。

 非常にに抽象的なことを書きます。

 人間というものはどこかで頑なな部分とあやふやな部分とをあわせ持ち、ときには状況に流され、またときには必要のないほど意固地になってしまうことがあります。だから、人の好き嫌いなんてアテにはなりません。どんな些細なことでも、それがその人にとって想いもかけぬ変化や刺戟を導き、躰のなかの見えないボタンを押したとき、人間の考え方なんてすぐに変わってしまうものなのです。
 昨日まで嫌いだったもの・・・・・・嫌悪し、突き放し、見るのも汚らわしいと批難し、それが自分の体内へ入ってきてそこへ定着することを恐れ、常にそうならぬようならぬようにと努めてきたあることが、今日のちょっとした出来事によって、急に色のちがう大切なものに変化し、大切に、また愛しいものに見えてきたりする・・・・・・人間にはそんな好い加減なところがあると想うのです。
 その根源を「コンプレックス」というのかも知れません。劣等意識はときとしてその人の活動の原動力にもなってくれます。わたくしの場合それは自分の人生であり、自分の性格、自分の容姿、自分の生まれ育った境遇といえましょう。少なからずどこかでそれらに対し、これまでわたくしは好ましくない感情を抱いてきたように想われます。意味もなく、そこに劣等的な差みたいなものを見い出してしまっていたのです。
 でも、その一つが今日消えました。いや、変化した、と云ってよいでしょう。今日のつい先刻まで自分のなかに重く居座っていた厭な想いが、明日からはこの情けない背中を押してくれる、暖かい手になってくれそうです。


 えー、かな〜り抽象的な、意味のわからん文章で今日は勘弁してください。決して書くことがないわけではないのですが、ただ今日はどうしても、こんなことを書いておきたかったもので。
 裏部長でした。
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2007年01月18日

復習ニ非ズ

 こんばんは、全身筋肉痛の裏部長です。昨夜の武術的筋力トレーニングが効きました。いやあ、痛いどころの騒ぎじゃありませんよ。腕、腹、太腿、とにかく全身のありとあらゆる箇所がパンパンになっているのですから堪りません。早く鍛え直して、弛みのない躰を作りたいと想います。
 
 さて、今夜は体道稽古。参加者は部長とON君という、最近では体道のレギュラー・メンバーである面子でした。他のひとたちは何処へ行ってしまったのでしょう。
 ON君は日本伝天心古流拳法初伝上段之位十二本、部長は浅山一伝流体術上段之位十二本、わたくしは同流下段之位十二本をいづれもすでに習い済みで、今日は三人ともその復習に終始しました。
 わたくしはまず部長の十二本復習につきあい、それから師匠と下段之位十二本を復習しましたが、これがただの復習に非ず。一本目「前双手」から新たな動きがひとつ加わり、二本目「片手締」三本目「逆寅返」四本目「打込之押え」はそのままでしたが、五本目「露返」からまだ新しい技の指摘があり、六本目「後双手」では受けの取り方を、七本目「横引落」では腕と腰の時間差連動性を、八本目「腰返」では平生やっていない裏拳打ちを、九本目「関節投」では捕り側の動作の変更を、十本目「翼締」では足の巻き方を、十一本目「首投」では受け側の首の締め方ならびに極め方と投げへの変化を・・・・・・と、最後の十二本目「後肩取」こそすんなり終わりましたが、十二本のうち中盤の技ほとんどが新たな動作、もしくは解釈、変化をあらためて教わりました。いやあ、その内容の濃かったこと。
 こうなるともう復習ではありませんね。なんだか、十二本の技をまた新たに零から教わったような心持です。まあ、それだけ深い内容へと入ってきている証拠ではあるのですが・・・・・・。

 稽古終了間際には、逆突きからの踏み出しについて師匠へ質問を出しました。回転で逆突きを出し、その勢いに引っぱられて後ろ足を前へ送るのではなく、両膝の曲げや腰の落下をおこなってそこに勢いを生じさせ、それを前方へ向けるかたちで逆突きを突けば、足の踏み出し以上に拳が伸びるのではないか、そう考えたのです。
 これに関してはもう諸先輩方はいわずもがなで、裏部長のレヴェルには少し早い話でしたが、予想は外れておらず、また師匠の突きの姿もイメージ通りだったので、収穫にはなりました。頭のなかにだけでもよいので、印象を残しておこうと想います。

 明日の空手稽古は、週末に行なわれるセンター試験準備のためありません。次回の稽古は来週の月曜日ということになります。
 ぐんと冷える季節ですので、みなさん体調管理にはじゅうぶんお気をつけて、週末を乗り切ってください。
 裏部長でした。
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2007年01月17日

二の腕の痛みと季節外れの怪談話

 こんばんは、裏部長です。巷では物騒な話題ばかりで、本当に滅入ってしまいます。まあマスコミのほうでそういった類の、つまり同情を誘うような悲劇しか大大的に報道しないからその印象が強くなる、といえばその通りかもしれませんが、しかし圧倒的に悲劇のほうが多く起きていると想います。今日もわたくしが稽古へゆくのに支度をし、出発しようとしたそのときに入って来た速報なんぞ、まさに狂気の沙汰。男性が子供を歩道橋のうえから投げ捨てるなど、聞きたくもない話です。
 少しくらい明るい話題がないものでしょうか。

 さて、今夜は空手の稽古。もちろん師匠あり、です。参加者はS呂君にON君、少し遅れて部長の四人。三月に栃木へゆくメンバーでした。
 基本稽古は其場突き、前蹴り、受け四種まで。ここから武術的筋力トレーニングをいくつかやってみたのですが、もう元気だったのは冒頭のみで、メニューが進むにつれて徐徐に強く、己の心身のゆるみを痛感しました。いやあもう、キツいのなんのって!
 最初にやった「前ささえ」からして辛いんですもの。そのあとにやった足あげによる腹筋運動、腕立て伏せ各種と、メニューは淡淡と進みましたが、もう中盤から気力が出ませんで、あとはもう笑うしかありません。終始半笑いのままひと通りをこなしたわけです。
 まあ、今日やったすべてを毎日欠かさず、というのも大変な話なので、ひとまず「前ささえ」くらいから始めてみようと想います。

 後半は型。今日はじめてやる部長とともに、わたくしとS呂君は「安南硬」。ON君は「平安初段」をやりました。今日が「安南硬」初日の部長にあわせて、ひと通りの解説が師匠よりあったあと数回くり返して型を打ちましたが、前回にくらべて理解が深まったような気がします。あれだけ長く感ぜられた内容もきちんと頭に入りましたし、あとは躰がそれをそのまま動くのみです。
 稽古終了後、いつものように一階の談話室でそれこそどうでもいいようなことを駄弁っていたのですが、急に部長が「試験勉強があるので・・・・・・」と云いづらそうに云って先に帰ってしまいました。これは一大事です。
 部長がこれまでに、我我より先に帰ったことなど殆どありませんでした。もちろん、稽古自体を早退したことはありますが、今日のようにともに上がっていながら先に帰るというのは初めてかもしれません。
 それだけ、試験&レポート関係が逼迫しているのでしょう。

裏「なに、試験勉強とか、そんなにギリギリなの?」
部「い、いえ、ギリギリを少し超えてしまったような・・・・・・」
裏「えっ、もう超えちゃったの!?」

 なんて会話のすえに帰っていってしまいました。無事、単位の取れることを祈るばかりです。
 しかし、わが札幌支部はおバカさんたちの集まりではありません。きちんと日日の勉強を怠らず、真面目に励んでいる生徒がちゃんといるのです。その証拠に今日来ていた二人なんぞは・・・・・・

S「明日提出のレポート、まだ一行も書いてないんスよ」

 ええっ!?き、君もか!

O「ああ、そういや俺も」

 おえっ!!き、君もかON君よ・・・・・・。
 
 えー、そんなこんなで、空心館札幌支部は今日もギリギリのところで運営されております。実に、愉しい限りです。
 ちなみに稽古後の三人の会話はこんなふうに流れてゆきました。

裏「ああそういえば、S呂君、こないだ寝不足だって云ってたけど、あれどうなった?もう治った?」
S「少しづつですけど、はい、眠れるようになりました」
裏「何が原因なんだろうねえ」
O「またアレ、出てるんじゃないの?」
S「いや、最近はあんま出てない・・・・・・」
裏「なになに?なにが出てるの?」
O「幽霊です」
裏「えっ、幽霊?S呂君、そういうの見えるの?」
S「はい、小さいころから結構見てて・・・・・・前にも金縛りに遭って、目で上のほう見たら、知らない女のひとがこっちをジィーと」

 ギャアアア!!!だれか、助けてぇぇええ!!!
 そんなこんなで、季節外れの怪談話のせいで気温以上に寒かった、稽古のあとのひと幕でございました。
 明日は体道稽古です。
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2007年01月16日

あなたは、死にたくなるほど誰かを愛したことがあるんですか!

 こんばんは、スカッとした気分の裏部長です。ようやく、悩んでおりました、月刊『秘伝』の道場ガイドへ載せる文章の草案が出来上がりました。いやあ今回は苦しかった。なにせ全くアイディアが出てこなかったのですから、本当に、間に合わないかとヒヤヒヤしました。
 この文章に関しては実際に道場ガイドを見ていただきたいと思いますが、それよりも昨夜の稽古で気づいたことがあったので、忘れないうちにそれを記しておきます。
 
 それは、「締め」の効果です。昨夜の稽古の約束組手で、わたしはこの「締め」を意識して攻撃をしました。特に中段追い突き、これをやる際に気をつけて締めてみたのです。
 もちろん、躰すべての箇所を締められるほどの技量はありませんから、やったのは先日指導を受けた下半身の締めです。構えは横幅のない前屈立ち風。そこから足を出すとき、さらに両膝もしくは両太腿をキュッと締めてから突く。これをやってみたわけです。
 結果はただ一文に尽きます。「もう、どうにも止まらない」。
 勢いが増した気がしました。すでに目一杯引きしぼっておいたゴムの端を掴まされて、逆バンジーよろしく飛んでいってしまったような感じで、突進力が生まれたように思われます。だから、相手の動きに応じてそのあとの攻撃、つまり二本目、三本目を出すときの、自分の躰の制御が難しかったくらいで、自分でも驚くほどの勢いが出てきたのです。
 あれは何だったのでしょうか。「締め」の効果なのでしょうか。そのあたりのことは未だ判然としませんが、どこか自分の躰のなかで、下半身を締めただけでバランス自体が締まっているようにも思われます。おもしろい効果でした。
 ワン・ツーに関してはとにかく、馴れてないなあ、といった感じ。もうホントに稽古量がその有様を左右していますね。追い突きだとあれだけ安定してきたものが、いざ二本になるともう駄目、ヘロヘロになってしまいます。
 早くこちらにも馴れたいものです。

 昨夜のわたくしは突きの勢いが止まりませんでしたが、一般的に“もうどうにも止まらない”といえば「愛」(話は飛躍しますよ)。
 今日、裏部長は『愛の流刑地』(日本映画2007)を観てきました。TVなどでその予告を見てご存知の方もいらっしゃるでしょう。渡辺淳一さんの原作で、寺島しのぶさんなんかが出ていて、平井堅が主題歌やってる、あの作品です。
 わたくしはあまり渡辺淳一さん、好きじゃありません。同郷ですけども、どうも好きになれません。だから、過去の作品も読んでおりません。
 ただ今回はどういうわけか映画のほうに惹かれてしまい、結果こうして観に行ったわけですが、もう館内は熟年夫婦だらけ、平日なのにたいへんな入り様でした。案外売れているのかもしれません。
 感想としては「可もなく不可もなく」といった感じ。驚くほど良い点もなければ、目くじら立てて追及するほど悪い点もなく、まあこんなもんか、という塩梅でした。怒るほどのことではありません。
 良かったのは寺島しのぶさんの脱ぎっぷりと平井堅の『哀歌』くらいでしょうか。
 なお、今日のこのBlogのタイトルは劇中で主人公が口にする代表的な台詞です。ありきたりな内容ですが、存外、本質を突くような叫びです。
 あなたはそんな恋愛、したことありますか(なんちって)。

 明日は空手の稽古です。
 
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2007年01月15日

にゃー

 こんばんは、裏部長です。

 今夜は師匠不在の稽古日で、加えて部長も、大学の試験勉強のため欠席。わたくしが教室へ行きますとすでにON君が来ていて、彼といろいろな話をしながら更なる参加者を待ちましたが、結局その後OBさんしか来ず、お馴染みの少数メンバーでの稽古となりました。
 内容としては、基本稽古を受けまで。参加者を待ちながらON君と立ち話をしていたため、この時点ですでに午後六時四十五分。
 ここからは型。まずON君の「平安初段」をやりました。
 彼に出した課題は、猫足立ちについてのみです。もちろん云おうと思えばさまざまな点が見つけられますが、一度にそれらを訂正させることは難しいので、今日はまず猫足立ちについて集中的に稽古をしました。
 前足の位置、後ろ(軸)足の曲がり具合、上半身の向き、手刀受けとの連結など、一連の内容を伝えて彼には自主稽古をしていてもらい、その間に今度はOBさんの「平安四段」。こちらはまだ教わってから師匠に二度ほどしか見てもらっていないという状態でしたが、その完成度にビックリ!OBさん、またも少し巧くなっておりました。
 強いて云うならば、各動作における引き手の位置、気合を発する動作から猫足立ちへ移る際の腰の上下動をやめる、など、細かい点が気になりました。これらを直せばおそらくもう問題はないでしょう。
 後半は約束組手。ON君も遠征へゆく予定なので、向こうでの稽古を想定して、中段追い突きとワン・ツーをやりました。
 普段こちらでは追い突きこそよくやれ、ワン・ツーの約束組手は現時点ではほとんどやっておりませんので、突く側もそうですが、何より受け側が馴れておりません。三月までに少しでも練っておきたいものです。

 えー、今日はなんとも簡単ですみません。なにせ『秘伝』の道場ガイドに載せる文言がまだ出来ていないもので・・・・・・。
 ちなみに、本日のタイトルの「にゃー」は、猫足立ちの稽古から連想された、ただの雄叫びです。気にしないでください。
 明日はちゃんと書きます。
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2007年01月14日

整理A「コメント」

 裏部長です。今日は久しぶりにまだ日の高い時間帯に書き込みをします。

 まずは、すっかり忘れていた各書き込みに対するコメントを。
 久しぶりに書き込んでくれた苫小牧っ子のH君、あけましておめでとうございます。アルバイトが忙しく、稽古へあまり来られないという話は以前から聞いておりましたから、別段こちらとしては心境の変化なくお待ちしております。みんなそれぞれ自分の生活がありますから、無理して来ることはないのです。春休み、時間が出来たら、まるでその前の日の稽古まできちんと参加していたような顔をしてぶらっと来てください。待っています。
 武術的筋力トレーニングの「前ささえ」ですが、これに関しては以前稽古のなかでも取り上げ、実際にやってみたことが何度かありました。あのときH君はいたかな?そのへんは師匠もわたくしも記憶が定かではないのですが、もし居たのならやり方はわかっていますね。気をつけなければいけないのは、前へ行ってから後ろへもどってくる、この一連の動作がきちんと円状に行なえているかどうか、この点です。確認しながらやってみてください。

 S呂君へ。改めて黒帯おめでとう。良かったですね。書き込みにもあった通り、黒帯を締めたその日から急に稽古の内容が細かくなって、いよいよ“空手ゾーン”に入ってきた感じですが、気負わず、愉しく、札幌支部を盛り立てていってもらいたいと思っています。
 いまだ師匠も含め、札幌支部の黒帯四人衆が勢揃いしたことがありません。今度揃ったら写真でも撮りましょう。

 そして、T先生。毎度毎度、ご丁寧な書き込み、恐れ入ります。わたくしの、ほんの思いつきからアップした文章を受けて、スポーツ的筋力トレーニングと武術的トレーニング、すべての動作・運動における「術化」のお話などなど、深すぎるほどのコメントを書いてくださってありがとうございます。お書きになっていた通り、一読してすぐに解する内容のものではありませんでしたが、しかし興味ぶかいことには変わりなく、今後の参考にさせていただきます。
 なお浅山一伝流体術の「首投」に関してですが、わたくしも稽古のときに疑問を感じました。たしかに、その技の名前とは違い、投げることはしません。あの内容であれば「首外」(くびはずし)もしくは首を抜いてから相手の腕を押さえるため「抜落」(ぬきおとし)なんていう技名が合うように思われます。
 でも、やっぱり投げるのですね。それを聞いて納得しました。
 ただひとつ解らないのは、ではどうしてその投げる形で稽古しないのか、という点。「首投」という技名で、そして実際に投げる形があるのなら、どうして最初からそれをやらないのか。また逆にいえば、ゆくゆくは投げる形となるが現時点では投げず、それこそ「山脈取」のように相手の腕を押さえこむ形で稽古するのなら技の名前をそちらに合わせて変えるべきではないのか。
 どうして技の名前を据置き、内容だけにそのような矛盾もしくは段階をつけるのか、これが釈然としません。

 以上、書き込み忘れていた裏部長からのコメントです。T先生の書き込みはあまりにも内容が詳細すぎて、ここでどうこう云える段階にありませんので書きません。これに関しては個人で、じっくりと吟味するつもりです。
 さて明日からはまた新たな一週間。今週からは稽古が不定期になります。
 明日の月曜日はあり、水曜日、木曜日もありますが、金曜日の空手稽古は休みです。一同、お忘れなきよう注意して来てください。
 明日はいつものように1002教室、師匠不在ながらきちんとやる予定です。
 裏部長でした。
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2007年01月13日

整理@

 こんばんは、裏部長です。昨日は久久に新しい型を真剣に(まあいつも同様に真剣ではありますが)稽古したためか、今日は清清しい疲労を抱えております。特に下半身、足まわりがどこか重い感じがします。横幅のない前屈立ちの影響でしょう。

 昨夜はいろいろと教わったことが多く、それらを一気に書くことができなかったため、今日からはその整理を少しづつやっていきたいと思います。
 一回目としては、大学の稽古時に教わったことについて、です。
 昨日は「安南硬」(アーナンコー)という型を新たに習い、後半の約束組手でも、その内容から発展させて中段追い突きをやりました。Blogのタイトル「嗚呼難航!」はこの型の名前にかけた洒落です。
 この型はなんでも背の小さなひとが考案したものらしく、受け手や躰の角度、足まわりの締めなどは、自分より背の高い相手から攻撃されたときの対処法になっているため、これまでには無かったほど、立ち方や足の位置に厳密な指示が出ました。これまで「平安」の型などで使用し、わたくしたちも普段の移動稽古や約束組手でやっていた基立ちという立ち方は遣わず横幅のない前屈立ちを多用してそこへ四股立ちや三戦気味の立ち方、猫足立ちなどを加えてゆきます(基立ちは初歩の稽古における方便的立ち方であり、実際には横幅のない前屈立ちかレの字立ちが重要)。
 各受けや攻撃の手段はこれまでにやってきたものと殆ど変わりませんが、躰は後ろを向いたまま手と上半身だけを右斜め前方へ向けて上段手刀受けとか、右手刀打ちから両手による手刀打ち、そして掬い受けをしてその流れのまま中段追い突きとか、馴れぬ変化に富んだ動作があちらこちらにあり、その順番と内容を頭へ入れるのには苦労しました。ただ、最初は「長いなあ」と思ったこの型も、師匠が通してやってみると案外短く、あっという間に終わってしまいます。
 
 この、横幅のない前屈立ちは両足の締めに繋がるわけですが、今度はこれを約束組手に活かさねばなりません。
 それでやったのが昨日の約束組手。突く人間はその締めを意識し、受けるほうは相手が足を踏み出してくるのに合わせて自分の前足を差し変えて相手の前足の内側へ入れ、その体勢を崩す。昨日の約束組手はそんな稽古をしたわけです。
 昨夜から黒帯を締めはじめたS呂君はもちろん、わたくしも部長も、これからはこの下半身、特に足まわりの締めを意識した構え、移動、そして突きを身につけなければいけません。今後の課題ですね。

 稽古終了間際にわたくしが師匠へ対しぶつけた質問というのは、昨年のBlogで書いた三点の思いつきで、一つはワン・ツーを捌かれたあとの更なる攻撃について、二つ目は突きの軌道のこと、そして三つ目は突きにおける中指の意味についてでしたが、それへ師匠が出した回答は下記の通りです。
 ワン・ツーの件においては、わたくしが考えた三本目の攻撃はいづれも、ある決まった形のとおりに相手がこちらの攻撃を捌いてくれれば不可能でもないが、しかし通常はそうもゆかず、よく行なわれる受け方をされた場合、ふたつの案ともに難しい。こちらの逆突きを相手にむかって左側(外側)へ捌かれた際は無理に左拳でもって直線的な三本目を狙うのではなく、逆突きにつかった右拳で裏拳打ちのようにして相手へ圧力をかけ、左拳の攻撃につなげるか、もしくは逆突きを突いた右手でもって外から相手の頭部へ打ちを入れ、それを繋ぎとして左拳の直線的な突きへと繋げてゆくか・・・・・・とにかく、勢い(足の勢い、軸移動の勢い)を相手へ向けて止めずにいられるかどうか、これが大きなポイントになります。わたくしの考えていた案ではどちらも自分の動きが止まってしまう、乃至は、躰の進む方向と攻撃をする方向とが違ってしまっており、どのみち有効な手段とはなり得ないということだったのです。
 二つ目の「突きの軌道」ですが、これは単純な話で、普段やっている自分の中心を突く突き方(両脇と正中線とが三角形を描く突き)をやめて真っすぐ、脇のその真ん前を突く方式に移行したほうがよいのではないか、という提案です。これに関しては、まだ攻撃する際にそちらを採用するのは早く、遣うのであれば受けの際の反撃でつかう、これが良いだろうということでした。
 三つ目の中指の件はすこし話が長くなりますが、昨年最後の体道稽古のときに、体道でつかっている青いマットを腹の前に抱えて師匠に追い突きを実際に突いてもらうという稽古をした際、前進する寸前に師匠が、腰に備えた右拳の中指をスッと浮かし、いわゆる中高一本拳にして突いたのを見て裏部長、こりゃ何か意味があるな、と踏んだ。そこでズバリ訊いてみると、いくらきちんと拳でもって突いても矢張その当たるところは面だし、一本拳にすると点で突けるし、いくらか拳が長くなるし、それらの理由から正拳のときは中指、縦拳のときは人さし指を立てて突くこともある、という話でした。
 こんな話はこれまで一度も聞いたことがなかったので、わたくしはその後もこの突き方を実際にやってみたりしたのですが、突いてみるとこれがアナタ、中指を意識するから突きの回転の芯が安定するし、また何よりも、中指の下にできた隙間を締めながら通常の拳にして突くことで、最後の拳の締めの感覚がつかめるような気がしてきたのです。
 昨夜はその結果を師匠へ提示したわけですが、これに関しては別段おかしいところもなく、反論の余地はなし、ということでした。ただ忘れてはいけないのは、そうかといって師匠たちがこれまで上記のような感覚のために中指を立てて突いてきたかというとサに非ず、そういうわけでもない、という事実です。今後、拳の握り締めの感覚をつかむためにこの中高一本拳からの握りをやってみるのも良い案かと思っていますが、その点だけは注意しておきたいものです。

 稽古での吸収点としてはこれくらいだったでしょうか。約束組手のときの、受け側の動きについては参加者自身がわかっていればいいでしょう。あんまり細かいんで、書くのもシンドイし・・・・・・。
 明日はこれら以外の整理をします。
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2007年01月12日

嗚呼難航!

 こんばんは。昨夜の稽古で、すっかり太腿が重い裏部長ですふらふら稽古の前にやった腸腰筋運動がいけなかった。恐らくあの運動のせいでこの筋肉痛は起こっているのでしょう。
 
 さて、今日は今年最初の空手の稽古でしたが、参加人数は昨夜と同様、三人のみ。おすぎさんとS呂君のみでした。S呂君も部長同様、少し遅めのお年玉代わりに、黒帯を師匠から受けとり締めました。良かったですねわーい(嬉しい顔)
 稽古の内容としては、基本稽古は受けまで。このとき、横幅のない前屈立ちの話が出て、その流れで新しい型「安南硬」を習い、足まわりの締めの話から約束組手へ行って、最後はわたくしの質問を師匠へぶつけるという展開で幕を閉じました。稽古終了がすでに八時半すぎ。そのあと一階の談話室でみんなといろいろな話をしてしまったので、大学を出たのは九時を十分ほど過ぎたころでした。

 「安南硬」という型は最初、習っていると非常に長く感ぜられ、しかし実際にやってみるとすぐに終わってしまう型で、そのためか素早く動ける動作の合間合間にリズムを緩めるワン・クッションが入っており、加えて前屈立ちの多用、足まわりの締めも意識せねばならず、流れこそ頭に入れましたが、なかなかに内容のあるゴツいものでした。なんだか急に高度な話になってきました。
 ただ、これが黒帯のスタートだと思うと身も引き締まります。今後の稽古が愉しみです。

 今日はなんだか文章がまとまりません。たぶん、稽古で教わったものが多すぎて、しかもそこへ来て体道連盟技術顧問T先生のコメントも非常に堪えてしまい、整理できずにいるからなのでしょう。自分のなかで消化できるまでにはあと数日かかりそうです。
 ですから、今日の後半の内容も含めて、今週末あたりに書こうと思います。わたくしが師匠へぶつけた質問の回答、T先生の「術」の話などなど、ですね。

 ではでは、今夜はこのへんで。
 裏部長でした。
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2007年01月11日

稽古初日

 こんばんは、裏部長です。本日は平成十九年の初稽古。遅めの鏡開きでございます。
 今年一発目の稽古ということで、裏部長、気合を入れて大学へ乗り込みましたが、いやあそれにしても寒い!外へ出て吃驚しましまいました。あれでマイナス五度は優にあったでしょう。もう寒いっていうレヴェルではありません。
 そんな気温のなかで行なわれた稽古ですので、まあいつも通りといっちゃいつも通りなんですけど、参加人数たったの三人。躰が温まらないのでひとまず空手の其場突き、前蹴りなんかを最初にやって、それから体道稽古へと入りました。
 わたくしは、免状はまだ届いていないものの、“お年玉代わり”ということで黒帯を渡された、今日が初黒帯の部長につき合いながら浅山一伝流体術上段之位の復習をし、後半は自分の浅山一伝流体術下段位から、十本目「翼締」の四つ目の形、十一本目「首投」、十二本目「後肩取」を習いました。これで一応は下段之位、最後までいったことになります。あとは復習、復習、復習です。

 久しぶりの稽古でしたが、別にこれといった異変もなく、適度に会話も弾んで、気兼ねなく動けた二時間でした。まあ前回の稽古から三週間も経っていませんから、そりゃ違和感の生ずる余地はあまり無かったのですが、やっぱり新年一発目ですからね、ある程度の緊張感は持ちたいのです。
 
 帰途、部長と今後のことを話しました。彼も今年の春から四年生。そろそろ部長職を後輩に譲らねばなりません。ちょうどわたくしが部長職を彼へ渡したのもこの時期、四年へあがるときでしたから、本当にもうそろそろ、三代目の部長を決めねばなりません。
 しかし、これが難航しているのです。やはり部長ですから、いろいろな条件があるのですが、それらを一旦すべて忘れて、サラの状態で考えてみるに、やはりまずは真面目なひとでなくてはならぬ。修行というものに対して真摯で、かつ稽古へはほとんど百パーセントの確率で出席し、意慾尽きるところなし。すでにある一定期間こちらへ稽古に来ていて、その内容や組織のことなどについても知っており、若くて、礼儀正しくて、なおかつ責任感のあるひと・・・・・・がいいのですが、こんなひと、現在の札幌支部にはいません。
 たしかに有望な後輩たちはたくさんいます。先日入った新人のST君、東京都出身のA君、このふたりは若く、かつ真面目ですが、しかしST君のほうはついこの前入ったばかりで、いきなり部長職を与えるにはまだ経験が少ないし、A君のほうはそういった意味では十分ですが、稽古へ来る頻度がまばらです。一長一短というやつです。
 今のところ真面目に来ていて、しかも札幌支部のことをよく知っている人間にS呂君や今日も来ていたON君などがおりますが、彼らも部長とおなじ学年ですからね、それじゃ意味がない。やっぱり若手で、というのがわたくしたちの希望なのですが、いかんせん厳しい。
 年越し、そして新年と、すっかり問題を先延ばしにして来ましたが、そろそろ本当に考えなくてはいけません。これは札幌支部の存亡にかかわる大事です。よもや疎かにはできません。
 後輩諸君はその旨、少し熟考してもらいたいと思います・・・・・・うん、うん。

 さて明日は空手の稽古です。この分だとおそらくS呂君へも早めの黒帯が授与されるでしょう。稽古の場に師匠も含めて黒帯が四人。壮観でしょうなあ。札幌支部創設当初には考えられなかった風景が見られそうです。
 裏部長でした。
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2007年01月10日

思案中。

 う〜ん・・・・・・どうしようかなあ・・・・・・。そのまま書くんじゃ面白くないし、かといってあんまり文学的すぎても良くないし・・・・・・ああ、どうしようかな・・・・・・。

 あっ、どうも裏部長です。すいません、ちょっと考え事をしていたものですから。
 いや何ってね、ホラ、『秘伝』っていう武道関係の月刊誌があるでしょ?あの雑誌がね、春に「道場ガイド」っていうのを附録でつけるんですよ。全国各地の武道・武術道場の告知というか、いわゆるプロフィールみたいなやつね、これを北から南まで、ズラッと並べてお届けしようっていう趣向なんですが、我が札幌支部も二年ほど前からこれに掲載をしているのです。
 最初に出したときは空心館の説明ですか、何ていう流派の空手で、先代の藤谷先生のことや、札幌支部では現師範のご子息であるウチの師匠が教えていますよとか、そういう基本的なことを載せて、二回目にはちょっと趣向を凝らしてですね、すこし読物風に、「蹴り」の話題を取り上げて書きました。別に掲載する文章に凝る必要はどこにもなくて、ただ新たに入門を希望するひとにとって最低限要る情報だけを書けばいいんですが、それはねえ、やっぱり載せる以上読むひとが目を留めるものじゃないといけないし、折角だったら何か面白い話のほうが・・・・・・って、結局考えちゃうわけです。
 でもね、今回はそれが思いつかんのですよ。締め切りまであと十日しかないというのに。前回はね、その直前の稽古のときにたまたま師匠とのディスカッションのなかで「通常、武術としての空手では帯より上を蹴らない」なんていう話が出たんでそれを使わせてもらったんですが、今回はそういった類の話題がない。簡単に云ってしまえば「ネタ」がない。加えて最近、この道場ガイドへ載せる案に人一倍乗り気であったこの裏部長からがあまりその、なんていいましょうかね、自分たちの団体を宣伝することに嫌気がさしてきたみたいなところがあるので余計にその、筆が乗らないんでございます。

 現時点では、昨年のT先生(技術顧問)の書き込みにあった「空手と体道をあわせて学ぶ意味」というのをテーマに考えているのですが、ただ単に空手のカリキュラムと体道の流れを並行的に見て考察して、それらしい解説をつけるだけでは面白くないし、それにこれはウチの道場外のひとたちが読むものですから、ある程度は理解しやすい内容でなければいけない。加えて今回の字数制限は二百字ですから、ひじょ〜に厳しいのであります。

 いったん思考ストップ。
 久しぶりにH君からの書き込みがあり、さらに、それへ応えてT先生からもコメントがありました。
 「武術の筋トレで鍛えた筋肉」のお話は非常に興味深く読みました。たしかにたしかに、T先生のご解説で見ると、以前わたくしがここに書いた「古流柔術と筋力」の話も解決できます。
 つまり、武術の世界でいう「筋力」と、現代のスポーツにおける「筋力」はそもそも種類の違うものであり、前者の力を鍛えて前者の世界でつかうのは良いが、後者の力を鍛えておいてそれで前者の世界へ来ても使えぬト、脱力せねば!ということになってしまうト、そういうことだったのですね。ですからもし、わたくしたちが武術的な筋力トレーニングで前者の力を養っていれば、変に脱力を意識しすぎることはないのかもしれません。
 ただ、そうなると、現時点で自分のやっている運動が前者の、つまり武術的な筋力トレーニングなのかどうか、これが心配になってきます。まあ、やっているとは云っても、拳立て伏せと指立て伏せくらいで、あとは其場突きとか追い突きとか、普段の稽古でやっていることばかりですが、これらはどうなのでしょうね。果たして武術的な筋力を養えているのでしょうか。
 
 上記のような話はおそらく道場ガイド向きではないでしょうね。紹介早早こんな話を切り出したら向こうで面喰ってしまいます。却下。
 やっぱり、「空手と体道の関係性」の方向性で考えてみます。果たしてどんな内容になることやら・・・・・・。

 えー、いよいよ札幌支部も明日から稽古が再開されます。木曜日ですから、今年一発目の稽古は体道です。時間もいつもの通り午後六時から。みなさん、是非いらしてください。
 裏部長でした。
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2007年01月09日

いっちょ鍛練してみっか

 こんばんは、裏部長です。今日の札幌は昨日までの荒れ模様がようやく明け、スカッとした青空の広がるよい一日でした。気温はさほど高くはなりませんでしたが、やっぱり空が青いとなんともはや清清しいものです。
 本日わたくしは自動車免許の書き換え更新に行って参りました。今回はいわゆる「優良ドライヴァー」というやつになるので、街中にある中央警察署ですべてが済みました。流れ作業がごとくの説明であっという間に必要書類を拵え、とんとんと写真を撮り、三十分ほどの講義を受けて終了。優良ドライヴァーはやめられません。
 しかし、すっかり無頓着になっていた間に、交通関係ではいろいろと変更があったらしく、もちろん携帯電話を走行中にかけちゃいけないとか、飲酒運転での事故に対して重い罪が与えられるようになったとか、そういったことは裏部長もきちんと知っていたのですが、たとえば、これまで「優良ドライヴァー」になっていた人たちの半分がそうではなくなり、全体の三割ほどの人しかこの称号を得られないことや、次回の更新日がすこし遠くなったとか、そういう小さな変化には気づくわけもなく、今日知ってすこし驚きました。みなさんは知っていたでしょうか。

 さてさて、わたくしの記事にまたもや、技術顧問のT先生より貴重な書き込みを頂きました。どういうわけでしょうか、栃木のI先生やY先生、奈良のM田先輩の書き込みがあると、驚きのなかに嬉しさがありますが、T先生の書き込みを見ると緊張感が走りますね(もちろん嬉しいことには変わりないのですが)・・・・・・いや、これはわたくしの勝手な想像力のせいかもしれません。
 ただ、これもどういうわけか解りませんが、T先生のお書きになる文章からはそのお人柄が垣間見られないのですね。これがおそらく恐さに繋がっているのだと思います。もしかしたらT先生、長年の修行の結果、こんなところにまで気配を現さないでいられるようになられたのか・・・・・・。

 爪に関してはわたくしも痛い思い出があります。あれはたしか、まだ札幌支部が出来ておらず、師匠の研究室で差し向かい、二人ぎりで体道稽古をしていたころのこと、日本伝天心古流拳法居取之位十本目「後襟止」の受けで、師匠の後襟を右手でつかんだ際、その中指の爪がすこ〜し伸びていたんですね。ガッツリではありませんでしたが、若干浮くくらいの現象は見せて、その間にうっすらと血の滲んでゆくのが見えました。あの小さな痛みと恐怖感は今でも忘れません。
 ですからわたくしもT先生と同じくらいの周期で爪を切っており、気づいたときには後輩たちにも口煩く云っております。なんといっても爪ですからね、剥がれてしまってからでは遅いのです。

 握力をはじめ、鍛練に関しては考え物だなあ、といった感じです。まあT先生のおっしゃるように、わたくしはまだ若輩の未熟者ですから、今は体力とか筋力とか、躰のパワーで圧倒するくらいのことしかできないわけで、その方面にちぃっと力を入れるのも良い案でしょう。諸先輩方も若いころは結構やっていたとおっしゃっておりますし、T先生もそうだったというんですから、これは試しに、やれるだけやってみるというのも良いかもしれません。
 ただ・・・・・・いちばん身近にいるお手本たるウチの師匠があまりそういうことをしてこなかったと云うんですね。いや、殆どじゃない、全くと云っていいほどしてこなかったというんです。これが少し気にかかります。
 わたくしどもが何かと質問をして、鍛練の方法を訊いたりすることがあるのですが、そういったときには師匠、さまざまなヴァリエイションの鍛練法を教えてくださいます。過去に道場でやっていたもの、またはご自身で見聞きしたものなど、その種類も多く、教わるたびにこちらでも試してみるのですが、そういった会話のときに必ず出る結論が、

          「自分はやらなかったけどね」

 という師匠の回顧話です。
 これで裏部長、わからなくなっちまう。だって師匠はそれでもあんな技をやっているわけだから。いや勿論そこには何十年という修行のキャリアがある、素晴らしい先輩や師範たちを見ながら育ってきたという素養、才能みたいなものがあるとはわたくしも思っておりますが、しかしそれにしてもこれは余りにも幅がありすぎます。昔はいろいろやったよ、でも今はほとんど・・・・・・というのなら話はわかるのですが、ほとんど全くとなると、これはねえ・・・・・・。
 
 まあ、そんなわけで、まだまだ若い裏部長ですから、無理のない範囲ですこし鍛練でもしてみようと思います。ただひとつ懸念のあるのは、こんなことを云っている現在が、今年に入ってまだ稽古をしていない一日だということです。いつもの通り稽古が始まり、ある一定の疲労を得て帰宅する生活になったときにも同じ心境でいられるかどうか、これが心配であります。
 ま、結局はいま体力が有り余ってるわけですね。そりゃ稽古してないんだもの、しょうがありません。
 早く十一日が来ないかな。
posted by 札幌支部 at 18:17 | Comment(4) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2007年01月08日

気配を察する

 こんばんは、散髪したての裏部長です。日本海側の各地域ではたいへんな荒れ模様で、わたくしの住まうこの北海道においてもいろいろと被害が出ているようです。札幌はさほどでもございませんが、風と雪とで交通麻痺の起こっている地域は多くあるようで、停電の報も聞いております。気をつけていただきたいものです。

 さて今日は成人式ですね。わたくしもTVでその模様を見ておりましたが、今年はどうも沖縄が酷いようです。つまりあの荒れ様が、ですね。毎年見ては不愉快な気持になるのですが、今年はちょっとだけ違いました。というのも裏部長、街なかで派手な格好をして酒盛りをしている新成人たちが、ただの暴走族に見えてしまったのです。
 成人になったばかりの若者たちが調子に乗って迷惑行為に及ぶとなればこれは憤慨ものです。彼らは決まって「こんなことができるのも今日が最後だから」と云いますが、そんな日だからこそ真面目にしてろよ!と云いたくなります。ですから、裏部長は毎年この時期になると無性に不愉快な心持になってしまうのです。
 ただ今回は違いましたね。ありゃ新成人でもなんでもない、ただの暴走族、関西でいうところの「ヤカラ」です。馬鹿なんです、彼らは。社会のルールとか常識とか道路交通法なんかをトンとも知らない無頼漢たちなのです。そんな、半分犯罪者みたいな連中が成人の日をなにかのお祭りと勘違いして集い集まって酒呑んで騒いでいるだけなのです。
 ですから、な〜んにも不愉快ではないのです、ハイ。だって、彼らはそれしか出来ないのですから。止まることができない鮪の泳ぐ姿を見て人間たちが笑わないのと同じなのです。

 えー。今日、裏部長は髪を切ってきたわけですが、どうもあのシャンプーというんですか、椅子に坐ったまま仰向けにされて洗面台のとこに後頭部のっけて、髪を洗われる、それ自体はたいへん気持のよいことなんですが、そんときに向こうのニイちゃんが顔にタオルをかけるでしょう、あれがちょっぴり不安にさせるのですね。だって視界を閉ざされるわけですから、そりゃ不安になります。もちろんそれによって飛沫が顔にかからない、目にも入らないという効用はあるわけで、これはとても有難いわけです。もし顔面にシャンプーの泡がかかっても、こちらは仰向け、身動きが取れない状態ですからね、数分間はじっとしてなきゃいけない、こりゃ大変です。
 ですから、被害防止のためのタオルだということは重重わかっているのですが、なんとも視界がないというのは心細いというか、非常に不安です。ジャッキー・チェンの映画で『プロテクター』というのがあり、顔開きベッドにうつ伏せに寝ている客の背中を女性スタッフが足裏でもって上から踏む、客のほうは気持がよくてウットリ、しかしそのスタッフは実は刺客で、天井の手すりに隠してあったナイフを取り出すと一気にその客の背中を・・・・・・というシーンがありましたが、まさにあの心境でして、もし店員の気が変わって、いきなり襲い掛かってきたらどうしようという不安が生じてしまうのです。
 もちろん、そんなことはありませんよ。あって堪るもんですか。髪切りにゆくたびに命狙われてたんじゃ堪りませんよ。ですから、そんなことは万が一にもあるわけはないんですけどね、もしあったとしたら果たしてそのとき、自分はきちんと対処できるかなあと思って不安になるのです。つまり、視界を閉ざされたなかで、その気配だけで相手の動作を察知し、防禦できるかどうか、ですね。

 前に何度か稽古のなかでも、背後から突いてくる相手を捌いたり、目を瞑ってその気配を察知する約束組手なんかをやったことがありますが、あまり褒められた内容ではありませんでした。だからチト不安になっているのです。
 先達たちの伝説・逸話にはこういった類のシチュエイションでの武勇伝がよくありますが、修行の果てに、本当にそのような極致へゆけるものなのでしょうか。わたくしは非常に興味があります。

 ま、今日はこんなところで。
posted by 札幌支部 at 19:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2007年01月07日

握力について

 どうも今晩は、裏部長です。低気圧の関係で、現在の札幌は大荒れです。さっきから風が唸っております。一月だというのに雪も降らず、雨や風ばかり。今年の北国はひと味違います。

 今日のBlogは鍛練について。一昨日までに読了した摩文仁先生の著書二冊の影響を受けて、裏部長、数日前から「握力」の強化を始めました。一時期すこしは凝っていたものの、最近ではすっかり筋トレというものに興味を失っていた裏部長ですが、攻防における咄嗟の拳の握り締めに不安が出てきてからというもの、拳立ち伏せと指立て伏せは休まず続けておりました。ただあまり多く回数を行なうと筋肉そのものが強くなってしまい、技における無駄な力みに繋がる危険性が大きかったので、現在では拳立て伏せ二十回、指立て伏せ十回しかやっていなかったのですが、いまだ握力に不安があり、また摩文仁先生の著書のなかで、空手をやる者「握力」くらいはきちんと鍛えておけ、というような文言があったため、すっかり影響を受けてしまい、現在ではそのやり始めとして、指立て伏せの回数を二十回に増やし、また柱などを使った握力トレーニングも地味に行なっております。
 もちろん、握力がまったく無いわけではないのです。これまでも空手などを稽古してきたわけですから、その内で養われる最低限の筋力は確保できているはずなのですが、それでも人並み以下だなあと感ずることが多多あったので、上記のようなメニュー変更となったのですが、みなさんはどうでしょうか。握力というものに対し、どういったお考えを持っておられるでしょうね。また、握力と突きの関係性についても、是非伺いたいものです。

 わたくしが握力をはじめ、武術的な筋力トレーニングに対し若干の不安を感ずるのは、それにより躰や動きそのものが硬くなってしまうのではないか、という懸念があるからなのです。たかだか十回その回数を増やしただけとはいえ、それが毎日となれば躰に与える影響は大きいのです。それにより、筋力はアップするかもしれませんが、技(動作)そのものにとっては悪影響となり、適度に脱力したカラダが遠のいてしまうように思えて仕方ないのです。
 まあ現在は何もかも試行錯誤で、来月にはすっかり考え方を変更させて、またもや回数が減っているかもしれませんが、裏部長、決して気ままな男ではありませんので、あしからず。とりあえずは今日もそのメニューでやってみます。

 何だか支離滅裂な話ですみません。明日はもっと変化にとんだ話を考えておきます。
 裏部長でした。
posted by 札幌支部 at 19:59 | Comment(1) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2007年01月06日

「武備誌」のこと

 こんばんは。裏部長です。2007年最初の土曜日、いかがお過ごしでしょうか。
 わたくしは今日、北海道立文学館というところへ行って来ました。裏部長の自宅から徒歩で三十分ほどのところにあるこの施設は、北海道における文学の歴史を紹介し、またその資料や著名人たちの蔵書を保管しているところで、建物の外見はまるで美術館。休日でもさほどに利用者は少ないと見えて、どこもかしこもシンと静まり返っておりました。しかし、こういった施設の内部はそうあるべきなのです。わたくしが札幌大学に在学していたときに何がいちばん許せなかったかといって、試験の前になると急に利用者が増えてゲーム・センターが如くに騒騒しくなる図書館くらいに腹に据えかねたことはありませんでした。元来、資料を保管したり閲覧したりする文化的な場所に人間たちの喧騒は必要ないのです。
 ですから、この文学館の雰囲気はすこぶる良く、裏部長すっかり上機嫌で帰って参りました。
 ただ、あんな状態ではたして施設の運営はうまく行っているのか・・・・・・それだけが心配です。

 そういえば昨夜、摩文仁賢和先生の一冊『攻防自在・空手拳法 十八の研究』を読了しました。読みきるのに一時間もかかりませんでした。読書スピードの遅い裏部長でさえこうなのですから、推して察するべし。それほど文章量の多い作品ではありませんでした。
 内容はタイトルの通り、「十八」(セーパイ)という型の解説と分解がメイン・テーマとしてあり、まだこの型を習っていないわたくしとしましては、正直ちんぷんかんぷんでございました。何度か師匠の打つ「十八」を目の前で見たことはありますが、やはり習っていないと実感が湧かず、ただの資料として読み流すことしかできませんでした。これはきっと、自分が「十八」を習ったあとに効いてくるスパイスになるでしょう。
 後半からは附録の『武備誌』です。この題名については以前、師匠の研究室でそれについて書かれた本を見た記憶があり、現にその中身にも見覚えがあったのですが、これもちんぷんかんぷん。何せほとんど日本語がない、いや全くないのです。附録としてつけるのならもっと親切に、日本語で解説くらいしたら良いようなものですが、おそらく出版社側は、貴重な資料をその形のまま提供したかったのでしょう。附録表示の下にわざわざ[秘書]なんて書いてるくらいだから、多分そうなのだろうと思われます。
 ただ、やっぱり純日本人である裏部長にはよく解りませんでした。だから非常に残念です。できればこういった資料も研究の材料に出来たらなあと思っていたのですが、なかなかにそうは簡単に行かないようです。いつか取り組んでみたいと考えておりますが、それは果たしていつのことになるのやら・・・・・・。

 昨日、立て続けに読んだこの二冊のなかで、いま思い返して気にいっている箇所は、あの講道館柔道嘉納治五郎さんが沖縄へ立ち寄った際、宮城長順さんや摩文仁先生が演武をしたのを見て、「攻防自在」とその妙技を絶賛した、というところです。本の題名にも入っておりますが、この「攻防自在」という言葉のどれほど深きことか、わたくしは痛感せざるを得ません。スポーツ全盛の時代になって、武術も武道になって、それからスポーツ武道になりました。空手も寸止め空手になり、かたやKARATEになりました。攻防の“防”の字を忘れ、ただ攻めることだけに躍起となり、拳を鍛え脛でバットを折って、それで正解とする世界になってしまったわけです。そんな現在の空手というものに、この四文字は途方もなく重い言葉として響くことでしょう。
 いや、響いてもらわなけりゃ困りますよ。本当の意味で変貌してしまうその前に。

 さて、来週からはいよいよ札幌支部も稽古が始まります。初回は十一日の木曜日です。
 初回から集まる人数が心配ですが・・・・・・ま、いいか。
 裏部長でした。
posted by 札幌支部 at 21:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記