2007年02月14日

空手は難しいなあ。

 こんばんは、裏部長です。現在の北海道はたいへんな荒れ模様で、気温こそ低くはないものの、凄まじい風雪が唸りをあげて家の窓を叩いております。傘なんか差せない状況ですね。車を運転しているS呂君など、十分に気をつけてもらいたいと想います。

 さて本日は今週最後の稽古日でございまして、案の定、師匠は会議のため欠席ということになりましたが、どうにか我我だけは教室をあけて躰を動かしてくることができましたので、そこんところをざっとご報告したいと思います。

 稽古開始は午前十時過ぎ。参加者は狗っちにS呂君、そして数日来心配をしておりました部長の三人。部長は寝坊したのか、若干ボォとした感じで、稽古終了十分前に到着しましたが、せっかく来たのだからと時間を少しばかり延ばして、約束組手をやってもらいました。来ていきなり組手というのもシンドイ話ですが、そこは何といっても部長、なに喰わぬ顔で全うしておりました。
 稽古の方はと云うと、基本稽古をひと通り(其場突き、前蹴り中段・上段、受け四種、廻し蹴り中段・上段、刻み突き・二連続、裏拳打ち・前方へも裏拳打ち、横蹴り、手刀打ち、後ろ蹴り)、手廻しをやってから、S呂君は型「安南硬」の復習、狗っちは体道のほうで、日本伝天心古流拳法初伝上段之位の復習をおこないましたが、いかんせん開始したのがいつもより数十分遅かったため十二本をすべてやる余裕がなく、仕方なく一本目の「颪」と彼の不得意な「振込」「双手返」の復習をやって終えました。
 
 S呂君の型に関しては、後方へ畳み込むように繰りだす追い突きから外受けまでの連続した動きや、中段へ立て続けに出す逆突き・順突きのときの腰遣いなど、いろいろと思いつく要所を指摘してみましたが、しかし彼も長年の空手経験がありますから、たとえば四股立ちになるところなど、傍から見ていても驚くほど正確に、そして綺麗に動きます。感心をしてしまいました。
 狗っちに関しては、左腕に傷をこさえている上に、なんだか急かすようにして復習をさせてしまったので、あまり身につかなかったのではないでしょうか。時間配分はわたくしの任でございましたから、この責任は裏部長にあります。ごめんなさいもうやだ〜(悲しい顔)

 後半は約束組手。ローテーション方式で中段追い突きをやっている途中で、久しぶりの部長が合流しました。これまでの音信不通はべつになにか異変があったわけではなさそうで、ケロッとした顔で動いておりました。彼らしいとしか云いようがありません。
 組手の最後にはわたくし、裏部長が受けを担当し、あとの三人にそれぞれ突いてもらいました。追い突き、そしてワン・ツーもやりました。
 今日の稽古内容はたぶんに栃木での稽古を意識したもので、おおよそ向こうで行なわれている内容をカヴァしたつもりです。やっていないのは移動稽古くらいなものでしょう。本当に“ひと通り”といった感じです。

 稽古終了後、みなで学生食堂へ。昼食をとり、外へ出ると師匠の奥様と六代目がちょうど通り過ぎられるところで、奥様にはお声をかけていただきましたが、なにぶん突然お会いしたためにわたくしも瞬時に言葉が出てこず、なんだかぶっきら棒で無愛想な受け答えをしてしまいました。奥様、申し訳もございませんもうやだ〜(悲しい顔)もうやだ〜(悲しい顔)せっかくお声をかけてくだすったのに・・・・・・。


 帰宅後、今日は妙な気持に襲われました。つい先刻やってきた稽古を振りかえって、しみじみ、
ああ、空手って難しいんだなあ
 と想ったのです。
 今までは空手というものに興味や、稽古のなかで新たな技を教わったり、躰の使い方を教わったり、「こんな動きであんな威力が生まれるのか!」と感動したことはあっても、その全体像を見て、「こいつは難しいぞ」と感じたことはありませんでした。何も空手をカンタンだと思っていたわけではありません。こんなの、自分だったらすぐにマスターできると自惚れていたわけでもありません。その証拠に、このBlogを見ていただくとお判りになるように、裏部長は何度も壁にぶちあたり、う〜ん出来ない!と頭を悩ましてきた歴史があります。おそらく他の門弟諸賢にも同じくそんな過去があることでしょう。
 ただその度に、新たな感動や微かな成長がわたくしのこのちっぽけな背中を押してくれていただけで、常に、と云ってもよいほど、これまでも「空手は難しいなあ」と思ってきたのです。だから、今日ふいにわたくしの心のなかに湧いたこの一文は果たして、今までも感じていたことが本当に不意なきっかけでもって噴出したのか、それとも何かほかの理由でそう感じたのか、当の本人にはまったく判然としません。どうしてこんなこと感じたんだろう・・・・・・?

 考えられることといえば、「目標」と「比較」でしょうか。これまでの漠然とした目標ではなく、たとえば突きや受けなどの具体的な動作において、師匠や諸先輩方の動きを観察し、それを自分でもやってみようとする。しかし無論のことすぐには出来ない。出来ていない自分の動きと師匠らの動きを比較する。と、そこにはっきりとした差が見えてくる。一度、実際に真似て動いている経験もあるためか、その差は自分にとって凄まじく大きなものに感ぜられて、その挙句が、
ああ、やっぱり空手は難しいなあ
 という溜息のような、嬉し泪のような一文になって露出したのかもしれません。これはこれで、とても新鮮な感慨でした。

 もしかしたら、黒帯を取ってからの稽古はそんな「難しさ」を痛感する道のりなのかもしれませんね。これまで単純に感じていた愉しさや面白さを覆い隠すほどの、武術としての空手の「難しさ」を痛感して乗り越える・・・・・・そんな修行が始まっているのかもしれません。

 今週は今日で稽古終了です。次回は来週の水曜日。つまり一週間、稽古はありません。
 二月も半ばとなり、インフルエンザの季節となって参りました。体調にはこれでもかというほど気をつけて、日日の生活を暮らしてゆきましょう。
 裏部長でした。
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2007年02月13日

ヨォッ、筋肉痛!

 こんばんは、乾燥肌の裏部長です。昨日でさっぽろ雪まつりも無事閉幕し、今日はその雪像の解体作業が行なわれました。あんな風景を見るために、観光客のひとたちは今日のあの寒空の下、大通り公園へ集っていたそうです。
 今年は昨年にくらべて十万人以上もの来場者があった、とニュースでやっておりましたが、その中にはわたくしも師匠も李自力先生も入っていることでしょう。裏部長は今度のような機会でもない限り、全くといってよいほどこのイヴェントへは足を向けません。おそらく札幌に住むほとんどの人たちがそうでしょう。地元というのはそういうところです。
 ですから、今年は実に十数年ぶりに雪まつりを体験したわけで、これも李先生のお蔭です。有難いことでございます。

 さて、明日はいつものように午前十時から稽古がございますが、今日はそれに向けて連絡事項のようなものを二三、書き連ねて終わりたいと想います。

 まず、先日来ここでも訴え続けていることですが、部長よ、連絡をください。なにもわたくしとあなたは級友でも恋人同士でもないのですから、それほど密に連絡を取りあう必要はないかもしれませんが、ここんところ稽古へも顔を出さず、メールを出しても返信がありませんので、たいへん心配をしております。元気ならそれで良いのですが、できれば何かしらのアクションを起こしてください。お願いします。

 それに、前に奈良のM田先輩のご質問にあった筋肉痛ですが、現在裏部長の躰においては、両方の脇から背中にかけての部分に若干の張りが感ぜられます。おそらく突きのせいでしょうが、よく筋肉痛を得る箇所でもあります。
 まあ、だからといって何だというわけでもないのですが、思い出したのでご報告まで。

 それでは、また明日。今日のような寒さにならぬことを祈って・・・・・・。
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2007年02月12日

一本に絞る!

 こんばんは、裏部長です。今日の札幌はおかしな天気で、晴れたり吹雪いたりの連続でした。つい先刻までは眩しいほどに晴れていた空が、数十分もすると、向こうが見えなくなるほどの猛吹雪になって歩行者たちを襲います。斯くいう裏部長もその襲われた人間のひとりでして、いやあ大変な目に遭いましたもうやだ〜(悲しい顔)

 さて本日は昨夜のBlogでもお伝えしたように、振替休日ということで祝日ではありますが、札幌支部ではきちんと稽古をしてきました。参加者はわたくしの他に、S呂君、師匠、そして師匠の奥様とご子息(愛称:「六代目」)という、なんとも珍しいメンバーでございまして、やはり無垢な視線があったためか、稽古自体もたいへん和やかに進みました。
 メニューとしてはまず、空手の基本稽古をひと通り、手刀打ち(内・外)、其場でワン・ツー、手廻しをやり、それから体道へ移りました。
 この春休み期間中はその稽古日程がバラバラであるため、一週間のうちでたった一日しかない体道稽古も満足にできない状況が生まれてきます。それを補うために今日のような、半分体道、という形態を取ることにしたのですが、本日参加のS呂君はほとんど体道の稽古をしていない空手専修者なので、このときはわたくし裏部長の受けを取るという、一方的な役回りに徹してもらいました。
 裏部長はすでに十二本を習い終えている浅山一伝流体術下段之位を一本目から順順にやりました。しかし久しぶりであったためか、もしくは相手が自分より背の高いS呂君であったためか、なかなかスムースに行かぬ箇所があり、その都度工夫をして前へと進みました。札幌支部ではなかなか自分よりも長身の人間に体道で対することがない裏部長にとっては得がたい時間でした。

 後半は型と約束組手。
 型はS呂君と共通の「安南硬」です。わたくしは内容の復習と、先日師匠から指摘された【視点】を意識して打ちましたが、若干後ろへもどる歩幅がつかめず、終了のときの立ち位置がきれいに開始のところへ合いませんでした。あれはおそらく、後方へのもどりが足りないのではなく、前方への進みが大きすぎるのでしょう。徐徐に調整してゆこうと想います。
 最後は約束組手です。突いた人間が受けにまわるローテーション方式で、まずは中段追い突き、そのあとに刻み突きを稽古しました。
 わたくしの本日のテーマは「一本に絞る」です。どうにか少しばかし動けるようになり、またそれに合わせて諸先輩方の動きを真似するようになってからは、このような場面で師匠などへ突きを繰りだすとき、わたくしは一寸ほどの遠慮もなく、二本、三本と出せる限りの突きや打ちをぶつけてみることにしておりましたが、先月の稽古で、“縦回転の突き”を教わってからというもの、その意識がすこし変わりました。いや、基本に帰った、というべきでしょうか。何本も突くのではなく、たった一本の精度を上げる。この稽古に終始しようと想ったのです。
 師匠やS呂君を前にすると、やはり一人稽古では感じられなかった間合や距離感が生まれてしまい、戸惑うばかりでしたが、実際にこうして相手へ突いてみるといろいろな問題点も見えてきて、今日はたいへん有意義な約束組手だったと思います。
 ただ、やはり難しいですねえふらふらこれまで腰を横方向へ回転させて突いていたのをやめて、股関節あたりに縦回転の力を生みだす・・・・・・理屈ではわかっていても実際にはそう易易とできないもので、今日もほとんど納得のゆく一本が出ませんでした。これからの大きな課題になりそうです。

 余談ですが、わたくしどもが師匠のご子息を「六代目」と呼んでいるのは、六代目の祖父にあたる現師範が日本武術研究所空心館の四代目所長であり、まあ順当にゆけばウチの師匠が五代目を継ぐだろうト・・・・・・ということになれば、これまた当然の流れで、そのご子息が六代目ということになる・・・・・・とまあ、そんな他愛もない冗談のような呼称なのですが、すでに門弟各人にはすっかり行き渡っているようで、みんなこの名で呼んでおります。
 今日の六代目はとても活発元気で、体道のときに、わたくしが師匠やS呂君を投げ飛ばしているその傍でいっしょになってマットの上へ受身をとるという一幕さえあったくらいです。すでに自由にあちらこちらを歩き動いて、わたくしどもが型を打っているときには師匠とともに、たいへん真剣な目でもってその動きを審査しておりました。
 師匠曰く、稽古へ参加できるのは三歳くらいからだ、ということですから、あと二年ほど経ったら、この教室のなかに六代目の姿があるかもしれません。いやあ、今からその日が愉しみですなあわーい(嬉しい顔)

 今週の稽古はあと水曜日に一回あるだけで、木・金はありません。カラダの鈍っている門弟諸賢はぜひにも参加してください。

 えー、部長。どこで何をしているのでしょうか。最近まったく音沙汰がなく、一同心配をしております。生きておりましたら、このBlog内でもいいので、反応をしてください。

 
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2007年02月11日

想像

 唐突ですが、みなさんは日頃の生活のなかで、ついつい想像をしてしまうことってないですか。「創造」じゃありませんよ、「想像」です。とてーもとても低俗なことでいいんですが、例えば会ったひと、例えば道端に転がっているゴミ、そんな特別ではない色色なものを見て、ふと変なことを想像することはないでしょうか。

 わたくしは最近よくそんな想像をしております。イヤらしい意味ではありませんよ。小説なんぞを書くようになってからは、例えば稽古へゆく道すがら、目に入るすべての事物がインスピレイションを生み出してくれるようになったので、そりゃもうのべついろんなことを考えております。
 ある日、あれは落語を聴きにいった夜のことですが、混雑している地下鉄のホームで、わたくしの前をゆく中年のサラリーマンが、並んでいる列の最後尾にいた少しイカつい、明らかにガラのよくない兄ちゃんの肩へどんとぶつかりました。おそらく急いでいたのでしょう、そのサラリーマンは謝りもせずそのまま階段を昇っていってしまいましたが、そのときの兄ちゃんの顔が凄かった。まるで格闘ゲームのキャラクターを実物大に再現したかのような凄まじい表情で去ってゆくサラリーマンを睨みつけていたのです。
 多分あれば彼の性格でしょう。つまり、その相手がどんな人物であれ、自分のカラダに何かがぶつかれば、とにかく条件反射的にその方向を睨む。相手が近くにいてそれに気づいたら、更なる攻撃を仕掛ける。そんな兄ちゃんなのでしょう。
 しかしなあ・・・・・・そのときの相手が弱弱しいサラリーマンのおじさんで、しかもすぐに立ち去ってくれたからよかったものの、見るからに勝ち目のないような、当の兄ちゃんよりも強力なマフィアの首領みたいなひとが子分衆を何人を引き連れているところだったりなんかしたら、あの彼はどうしたでしょうねえ。おそらく、反射的に睨みはするものの、すぐに萎えて、そして愛想笑いでもするのかな?でも相手のほうは許してくれなくて、そのまま頸根っこ掴まれて地上まで引っぱっていかれて、ビルの谷間でその表情が読み取れなくなるまで顔面を殴られちゃうのかな?
 そんな想像を、裏部長はかれとすれ違うたった一瞬の間に行なったのでした。

 TVなんかを見ていてもそうです。さまざまなジャンルの番組にいろいろな類の人間が出ておりますが、そんな彼らの活躍の、その裏側を想像して遊ぶのもたまには面白いものです。
 アイドルが、タレントが、歌手が、たま〜に慌てたり、急に大人しくなったり、あたふたしたりするのを見ながら、「ああ、こりゃ何かあったな」と勘繰りつつ見ていると、それだけで愉しく、またそこから小説のネタも拾えてくるというものです。
 ただ勿論これらはすべて想像ですから、事実とは限りません。なかにはそんな想像を「妄想」にまで膨らませて現実との境を失い、ついには犯罪に走ってしまう輩がおりますが、そのあたりのことはきちんと大人として自覚をし、あくまで想像の範囲で愉しむ必要があります。
 ま、裏部長が日頃ひとりで本当はどんなことを考えているのか、そこんところのことはみなさんのご想像にお任せします。

 さて、明日は振替休日で一応は休みですが、稽古はございます。祝日に稽古をするのは相当久しぶりのことですが、今週は木・金の稽古がなく、また水曜日の稽古も師匠が会議でどうなるか判らんということなので、明日はもしかしたら師匠も含めてきちんとできる、今週唯一の日となるかもしれません。
 先日ここにも書きましたが、今後は空手と体道の両方の用意をして来てください。その日のメンバー次第でいろいろとメニューを決めます。
 それではまた明日に。裏部長でした。
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2007年02月10日

その眸はなにを見ているの?

 こんばんは、裏部長です。なんだかんだと云っても、裏部長の書くBlogはいつもとても長いので、たま〜にこんな風に短く、あっさりと書いてみるのも良かろうと想い、今日はそんなお試しの回です。
 昨夜の【視点】の話を引っぱるわけではありませんが、人間、その目が開いている以上、視線というものは生まれます。誰かと対するとき、その視線は相手へ向けられ、そしてそれは自然と「表情」になります。
 視線は目、目は表情なのです。
 
 これは、すでにこのBlogでも数度ご紹介をしている画家、早川剛さんのスケッチ絵です。映画『同じ月を見ている』からの依頼がきっかけで最近の画風になられる前はずっと人物を描いていたという同氏の、そのスケッチ絵のなかでもわたくしが一番好きな作品です。
 こんな表情をされるとドキンとしてしまいます。その目がこちらの心のなかまで見据えているようで、その視線がなにかを憂いているようで、いつの間にかちょっぴり淋しい気持になります。
 だから知らず知らずのうちに問いかけてしまうのです。どうしてそんな悲しい目をしているの、って。
 君のその視線の先には、本当は何があるの?って。


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2007年02月09日

「視点」

 こんばんは、本日24歳になった裏部長です。学生のころは、もう24歳なんていうと大人というか社会人というか、自立したひとりの人間として認識せざるを得ない年齢として感じていましたが、実際になってみると、そんなこともありませんね。まあ、そう感じないのは、そんな理想像のように自分自身が成長していないからで、本当ならば情けなく思うべきところなのでしょうが、しかし裏部長、今は今で、この生活に満足しております。なーんも、誰がなんと云おうと自分の生き方ができればいいのです。
 最終的に勝てばそれで良いのですから。

 さてさて、そんな今日は今月初の稽古でして、久しぶりの午前中でございました。参加者はON改め狗っちのみ。冒頭、先日の李先生との交流会についていろいろと談笑をし、それから稽古を開始しました。
 基本稽古はひと通り。今回が初栃木である狗っちのために、こちらではあまりやっていない手刀打ち後ろ蹴りもやりました。本部などでは行なわれていて、札幌支部でやっていないものに、気合がありますが、これはぶっつけ本番でどうにかなるでしょう。
 後半は型。狗っちはもう数箇月間も「平安初段」をやっているので、そろそろこれを終わらせて次へゆき、栃木では「平安三段」を披露できるようにしておこう、というわけで、彼は「平安初段」のチェック。裏部長はその端っこで「鷺牌初段」ならびに「安南硬」の復習です。
 狗っちは猫足立ちなど、細かい方向転回のところで少し難儀をし、そのつど指導を受けておりましたが、わたくしのほうは大変重要なことを指摘されました。
 それが今日のタイトルの、【視点】です。
 
 視線、ではなく、【視点】です。なんとも微妙なニュアンスですが、ここには大きな違いがあります。
 これまでの型稽古では、今日狗っちがやっていた平安シリーズからしてすでに、目線(目付)ということを云われてきました。つまり、その動作はどの方向からどのような攻撃を仕掛けてくる相手に対して行なう技か、それを理解し、その方向をきちんと見る、というものですね。相手が来る、まずそちらを見る、それから動き出す、この一連の流れをわたくしも相当前から教えられてきました。
 ですから、この目付や視線については左程に問題はないのです。一応、三年くらいやっていればそのあたりのことは知らず知らずのうちに沁み込んで、どうにかこうにか出来ていたのです。
 ただ、まだ【視点】が定まっていません。この場合の【視点】とは、上記の視線や目付のような、単純な顔の向き、目の向きとは異なり、相対する敵へきちんと意識を向け、その相手の発する動作に応じて動けているか、という、大変細かい要素なのです。
 まあ確かに、現在稽古しているふたつの型は、どちらも習ってから日が浅く、今日もその内容を「これで良かったかな」と確認しながらやっていたため、自然と【視点】が定まっていなかったとも云えましょうが、しかしこの師匠のご指摘にはわたくしもドキッとするところがあり、今後努めて改善してゆく必要を感じました。

 裏部長は視力がたいへん低く、稽古中はメガネを外して動いているため、視界があまり良くなく、またこれは性格的なものも関係して、あまりこうジィーと相手の目をみて話をするということの出来ない人間なのです。シャイ、といえば聞こえが良いですが、傍目から見ればただの挙動不審なひとですから、最近はどうにかそれを直そうと、意識的に相手の目を見て話すようにはしております。
 この点がおそらく型における【視点】にも響いてくるような気がします。そこへ架空の敵をしかと見据えて受け、そして反撃をする。型のなかでも相手の目を見られるように、これから工夫したいと想っております。

 稽古後、これまた久しぶりに学生食堂へゆき、師匠もふくめて三人で昼食をとりました。こういった午前中の稽古があるときは必ず、こうして昼食をとるのが毎度のコースで、空心館に入ったばかりの頃は、この昼食時に想いつく限りの質問を師匠へぶつけて、自分の武術的知識を増やしたものです。
 いやあ、今日は懐かしかったなあ。

 来週の稽古は、月・水のみで、木・金はありません。これからは結構バラバラの日程になるので、門弟諸君はじゅうぶん気をつけてください。
 尚、次回からは、その日の参加メンバーによって、体道をやったり空手をやったりできるよう、その両方の準備をして来てください。まあ、ノートと筆記用具を持ってくるくらいの違いですがね。
 それでは、月曜日に会いましょう!
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2007年02月08日

立ち向かうひと

 こんばんは、裏部長です。またも早川剛さんからコメントがありましたわーい(嬉しい顔)有難い限りです。あまり脈絡もなく載せることはできませんが、今後もなにか機会のあるたびに、早川さんの絵をアップしてゆきたいと想っております手(チョキ)

 さて、昨日はこのBlogでも告知をしていた通り、ちょっとしたイヴェントに参加してきました。まあイヴェントといっても、参加しているのはすべて知っている人ばかりで、云うなれば内輪の、家族会議のようなスケールでした。札幌大学の六号館、パソコンなどの設備が充実している建物の五階にある6503教室にて午後二時から、なんとたった一度の休憩を挟んだだけで、あっという間に五時過ぎの夕闇を迎えた、小さいながらも奥の深い李自力先生のお話を少しだけ、ここにご紹介いたしましょう。

 イヴェントの中心は、映像です。最初に過去のVTR、次に現在のVTRを見て、その比較を行ないます。
 過去のVTRとは、1979年に中国で行なわれた演武大会のものです。白黒フィルムのたいへん貴重なもので、李先生ご自身もはじめて見たというほどの代物です。
 みなさんもご存知の通り、中国は1960年代後半から1970年代前半まで、文化大革命のために荒れておりました。さまざまな文化が失われ、云うまでもなく武術もまたそのなかの一つに含まれておりました。
 この映像はそんな騒乱の時代が終わり、隠れ続けていた各武術の名人たちが少しづつ表舞台へ出てきたころのものであり、そのためか、五百を超える流儀が参加する大演武大会となったのです。
 その内容も、剣や刀、槍、棒、各種武具を用いたものから、太極拳、形意拳などの拳法までとてつもなく多彩で、なかには見たこともない武器をつかう流派もありました。
 やはり時代が時代であっただけに、いまだ競技化の波に曝されていない、武術らしい武術が多く、門外漢のわたくしも見ていてとても愉しい心持になりました。武術は武術同士、やはりどこかで通じているのかもしれません。

 このVTRをひと通り見たあとで、今度は現在の映像です。
 最初に見たのはNHKで放送された競技会の模様。わたくしも以前“おすぎ”さんから同じ類のVTRを借りて見たことがありましたが、ほとんど内容はいっしょで、まあNHKで放送するくらいですから、一般のひとが見ても「ああこれはスポーツだな」と認識できるような風景がそこにはあるわけです。
 とにかく、跳びます坂上二郎さんばりに跳びます、跳びます。コタローね、と云いたくなるほど跳びまくります。あれはあれでたいへん凄いことだと、ついつい拍手をしたくなるような動きのオン・パレード。この日も参加し、以前に同じような映像をともに見たS呂君がその柔軟性や跳躍力に舌をまいておりましたが、まさにそんなリアクションが妥当だと、おもわず頷いてしまうほどのアクロバティックさなのです。
 続けて見た中国での競技会はそれ以上です。向こうの選手たちはプロですから、そりゃ日本のひとたちとはレヴェルが違います。もうハナからケツまで、「お前は中国雑技団のまわし者か!?」と突っ込みたくなるような動きばかり。いっしょに見ていた李先生ならびに師匠もおもわず笑ってしまうほどでした(苦笑も含めて)。

 上記までの流れを読んでわかる通り、過去の武術と現在の競技には、跳躍のような派手な動作に違いがあります。いやもっと簡単にいえば、「武術」として存在していた中国武術には、現在ほど跳ぶ動作が見受けられません。ましてや、跳んで二回転して片足で着地するなんて芸当は、今回のVTRでは皆無でした。流派の別こそあれ、恐らくあんな動作はほとんど行なわれていなかったのでしょう。
 では、どうして現在の競技のなかではそんな動作が多いのでしょうか。空手でも合気道でも、とにかく日本国内の武術・武道界において、「武術性・古伝の復活」ということが叫ばれている現在にあって、どうして中国拳法はこんな風になってしまっているのでしょうか。

 それは単に、「競技」という柵(しがらみ)のせいでしょう。ここからの話は空手にもまったくそのままの形で当て嵌まります。
 多くの選手が参加してその優劣を競う、いわゆる競技、もっと簡単にいえばスポーツですね、これを行なうにはまず、基本的にルールが必要になってきます。型(套路)をやるにも組手(散打)をするにも、ルールが無くては勝敗を決められませんから、当然の流れでもってこれを選定するわけです。
 空手においても同じようにやっておりますが、中国拳法においても点数制が用いられております。つまり、十点を最高点として、ミスしたところをそこから引いてゆく減点方式ですね。これで競技を審査するわけです。
 ここへ至って、今度は「自選」というカテゴリーが誕生します。これは簡単にいって、オリジナルの套路ですね。太極拳なら太極拳、長拳なら長拳の套路を、自分で構成し演武するのです。
 もちろん、何から何まで、すべて自分の好きな動作で固めてしまうことは出来ず、きちんと規定の動作をそのなかへ入れなくてはいけないのですが、しかし逆にいえば、これは、決まっている動きをちゃんと套路のなかに組み込んであれば、あとは何をやっても基本的にはOK、ということですね。オリジナルの、点数を取れる内容にしようと考えるのは当たり前のことかもしれません。
 だから、ほとんど全てのひとがその套路のなかで跳びます。あの終始ゆったりしている太極拳でさえ、急に動きをとめて飛び上がります。そして着地のバランスをアピールします。会場からはそんな瞬間に拍手が置きます。
 これはすでに武術ではありません。

 自分で套路を構成できるという、ある面ではとても自由な、創作意慾を刺戟するようなこのルールも、やはり根本にかえって考えてみると、武術からはかけ離れた内容になってしまうという、現在の空手界が抱える問題点をそっくりそのまま生み出していると云えるでしょう。なにせ採点基準がすべてなのですから、点数を多く取れる内容にしようとするのは当然のことで、ですから今回、李先生も「選手たちに罪はない」と何度もおっしゃっておりました。彼らを責めることはできないのです。
 しかし、それにしても現在の套路はひどい。派手さだけ、跳躍だけ、その動作のひとつひとつに意味を見い出さず、ただその外見のみの印象で技の優劣を決めている。決して武術とは云えない有様でした。
 李先生はおっしゃいます。ひとつひとつの動作には技が隠れているそれらをきちんと認識した上で演武すると、たちまち動作の質が変わるものだ、と。しかし、現在の選手たちはとにかくバランス、跳んで着地したときのバランスのみにその練習時間を費やされ、武術としての本来の稽古など、している余裕はない。
 だから、先生は悩んでいるのです。

 現在、中国拳法の競技会では、審査員が三組(A,B,C)にわかれて審査をする。A組は動作の質と他のミスの採点、B組は全体の雰囲気と演技のレヴェル、そしてC組は難度動作といわれるアクロバティックな動きを見るわけだが、持ち点はA:5点、B:3点、C:2点で、このなかではC組の点数がいちばん低い。しかし、選手たちがいま最も気にしているは、AやBではなく、このたった2点しか有していないC組の審査なのです。
 このC組の審査員はべつに武術を知っている必要はありません。何故といって、見るのは、着地した選手の足先が何度くらいの方向へ向いているか、とか、上げた足の位置が股関節よりも高いところにあるかどうか、とか、いわば新体操の審査員と同じようなところばかりなのですから、そりゃ武術的な目などほとんど関係ないのです。
 この審査制度は、中国武術を競技として、オリンピックに組み込まれるようなスポーツとして発展させるために考え出されたもので、現にいまはこの形式で行なわれております。つまり、これでいいのだ、と一時でも信じられたものだといえます。
 しかし、李先生はこの現在のルール設定に疑問と、そして危惧をお持ちになっております。このままでは武術的な要素、われわれでいうところの技がなくなってしまう。李先生くらいの年代の指導者たちはまだ昔を知っておりますから、武術と競技をわけて考えることができますが、これからの選手たちは、新体操の選手と同じようなことしか出来ず(稽古せず)、そのなかに武術のエッセンス(技)を見い出すことはどんどん不可能になってくることでしょう。これはたいへん恐ろしい現象です。
 空手をやっている人間は、競技(スポーツ)空手の世界を見れば一目瞭然でしょう。スポーツとしてはすこぶる盛況ですが、武術としてはもう・・・・・・。
 わたくしども空心館はどちらかというと、そんな競技の世界からは隔絶されたところにあって、まあ自ら遮断したという感じでしょうか。今では子供たち以外、競技のほうにはタッチしておりません。武術を武術として守るにはこの「遮断」という方法がいちばん簡単なように想われます。
 しかし、李先生はあくまで闘います。中国拳法をさらに発展させ、オリンピックなどを通じてもっともっと世界の人びとへ広めるために、武術的なエッセンスを損わない形でそれらを競技として成立させる・・・・・・そんな途方もない壁にひとりで立ち向かっているのです。
 
 まだまだ書き足りないほど昨日の交流は濃密で、李先生の抱えていらっしゃる想いがズドーンと裏部長の胸にぶつかり、夜はすこし寝苦しかったほどです。今後も機会があればまた交流し、その発展を見届けたいと想っております。
 さて、明日はどういうわけか二月最初の稽古です。アレ、どうしてこんなに稽古がなかったんだろう?ま、いいか。
 明日は裏部長の誕生日でもあります。気持のよい汗をかいてみたいものです。
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2007年02月07日

雪祭り日和

 こんにちは、裏部長です。今日はこれから札幌大学にて、李自力先生との交流があり、夜にも懇親会などがあって、もしかしたら本日中に書き込めないってことも考えられたので、一応、その前に書いておこうと想います。

 今日はなんでもイヴェントのあとにみんなで雪祭りを見にゆくというのですが、わたくしなんぞは札幌に暮らしていながら、この祭へゆくのは数年ぶりです。もしかしたら小学生のころ以来かもしれません。
 さっぽろ雪祭りは昨日からスタートしましたが、今年は暖冬、なおかつ初日は高気温のうえに雨という最悪のコンディションで、多少困惑ぎみの観光客のコメントが夕方のニュースに流れておりましたが、今日はだいじょうぶです。
 なにせ大雪です。朝からしんしんと降っております。そら降りすぎだろ!ってくらいに降っておりまして、尚かつ気温も低い。たいへんな寒さでございます。まさに雪祭り日和といえるでしょう。
 ただ、地元の人間としては、「何もここまで寒くならなくても・・・・・・」といった気持です。気温が低く雪の降っている状態は祭にとってもたいへん良いことなのですが、そのなかを歩いて雪像などを見るこちらとしては結構キツいものなのです。横っ面に雪がふきつけて、夜ともなるとまた気温がグンと下がりますからね、こりゃあ大変なものです。
 まあそれにしても、久しぶりの雪祭り、愉しんでこようと想います。

 今日の李先生との交流の模様は明日以降にでもここへアップしたいと考えております。もし愉しみにしている人がいたら、期待しすぎない程度で愉しみにしててください。
 裏部長でした。
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2007年02月06日

自由ばかりじゃ生きられない、満足だけじゃ続かない。

 こんばんは、最近どうも体力が低下してきている裏部長です。いけませんね、少しでも自主稽古を怠るとそれが体力面へすぐに出てきます。わたくしはもともと体力の多くあるほうではなく、どちらかといえば図体だけが大きい軟弱児のような人間ですから、人よりも二倍三倍と鍛練を積まねば追いつきません。それはよく解っているのですが、なにか用事があったり、風邪を引いていて具合が悪かったり、そんな諸事情で稽古がままならないときなどはどうしても流されてしまって、その実行を怠ってしまうのですね。これは悪いくせです。
 今日はそんな自分に「喝ッ!」を入れるためにも、このような文章をご紹介しようと想います。

 以下にアップする文章は、このBlogでもすっかりお馴染みとなりましたT先生(全日本体道連盟技術顧問)が書いてくだすったものです。わたくしが先日ここへ書きました『淋しい』という題の記事に対して、わざわざ時間を割いてコメントを執筆してくだすったのです。
 ただ、その内容が内容であるだけに、技術顧問もわれわれのことを慮ってくださり、ここへ直接載せることはせず、とりあえずは裏部長へ、ということで、メールとともにわたくしへ送って頂きました。これをBlogへ載せるか否かはこちらで判断せよ、とのことです。
 これはあくまでも裏部長の独断ですが、わたくし個人はもちろん、札幌支部のみんな、いやそれ以上に、このBlogを読んでくだすっている全ての人たちにとっても、この文章は少なからず有意義であると想ったため、今日ここにその全文を掲載いたします。 若干長くなりますが、最後までお読みください。


 技術顧問のTです。
 「淋しさ」についてです。このテーマもやはり残念ながら私の出番でしかないでしょう。
 組織運営上の問題については、あなたのお師匠さんに任せておくとして、私は個人の問題を提起しましょう。
 師や先輩・後輩が練習するために、たまたま道場に集まってきているだけで、空手の修行は本来己れ個人、一人のものです。組織運営上の問題は確かにあるとして、それに問題をすりかえているもうひとりのあなたは居ませんか。
 誰かが居てくれないと自分の練習も出来ないなんて。
 札幌支部の同好会・サークルという趣旨は、あくまで看板だけのことなのです。中味は道場なのです。武術なんですから。
 あなたの心の中もサークル活動でしかないのですか。
 あなたが、淋しさを感じるのは修行者としての自覚が全く足りないからなのです。
 と、偉そうに言う、かく私も練習せずに帰ってしまったことが何度となく、いや何十回以上あったことやら。
 ♪お山の大将〜俺ひ〜とり♪ 今日もやっぱり誰も来なかった。
 でも初めはここから出発するのです。来る日も来る日も誰も来ないことが続くと他人に期待することがなくなり、やっと自分の個というものに目覚めます。
 誰も来ないこと、そしてそれによって感じる淋しさは、実は神様が与えてくれた条件なのです。
 せっかく神様がくれたチャンスを逃してはなりません。
 前に話した狂気の発し所なのです。武術の場合の狂気を発しつづけるエネルギーは、復讐かこの淋しさなのです。
 狂気とは一瞬のものではないのです。持続しなければならないのです。
 私の20代〜30代は正しくこの茨の連続でした。
 本部道場には出席簿が置いてありましたが、来る日も来る日も15年間近く私ひとりの名前だけでした。
 しかし、この淋しさが、己れを精神的にもまたその精神に裏づけされた技をも高めてくれるのです。
 武術が、練習ではなく何故修行と呼ぶのか、知らなかったとでもいうのですか。
 淋しさ・孤独感は克服し打ち勝つものではありません。人は誰でもひとりで生まれ、ひとりで死んでいくのです。よって、淋しさは、どちらかというと「友」とすべきものなのです。
 今の私を私たらしめたのは、正しくこの淋しさだったのかもしれません。
 でも、こんな淋しさはなんでもありませんよ。

 自分が修行を積んでひとかどの者になればなるほど、確かに弟子と呼べる者たちも居るには居るのに、ふと後ろを振り返ってみるとだ〜れも居ない、誰も着いて来ない。
 これ程淋しいものはありません。
 佐川幸義がそうでしょう。私の師もそうだったと思います。
 しかし、これが武道(家)の本質なのです。
 正しく仙人と同じなのです。
 『空手の道は、遠く険しく、そして淋しきもの』

 あなたが今感じている淋しさの本質というものが、初歩の上達段階から遠い将来までを通して、どれだけ重要で必要なものか、少しは理解できましたか。



 文章のあちらこちらに耳の痛くなるようなお言葉が散見でき、受け止めざるを得ません。たしかに、師匠がいて後輩たちがいて自由のきく稽古場と満足のゆく修行内容がなければ稽古じゃない、そんな稽古ができないのならやらない、というのは甘すぎる愚かな考えだと想います。「空手の修行は本来己れ個人、一人のもの」、その通りですね。最終的にはそこへ至らねばならぬ、行動も思考も・・・・・・まさしく技術顧問のおっしゃる通りです。
 ですから今後は料簡を入れかえます。上記の文章をこころに刻んで忘れぬようにします。そして、武術の修行に邁進いたします。

 ただ・・・・・・

 こうあまりにも唯唯諾諾としていては技術顧問も「なあんだ、骨のないやつだな」とお思いになるかと想うので、最後にひとつだけ云い訳をさせてください。

 たしかにT先生のおっしゃることはご尤もです。理解できます。その通りだと想います。武術修行は本来ひとり、そのお考えに反論を差し挟む余地はなかろうかと存じます。
 しかしですね、われわれの稽古している場所は大学なんですよ。教室なんです。町道場の小屋とはわけが違うんだ。そこには扉があって、長期休暇中それぞれの扉には鍵がかかってるんです。その鍵をあけるには、守衛室へいってスペア・キーを借りて来なければならんのです。鍵を借りて来られるのは教師か生徒だけなのです。
 わたくしはもう学生ではないのです。
 そんな状況においてですよ、わたくししか居ない場合どうしろっていうんです?あの記事を書いた日は師匠も会議やなんやかやで不在、そこへ来て後輩たちは誰ひとりとして来なかったわけです。ひとり何もできないOBのわたくしは茫然自失の態というやつですよ。どうしようもないんだ。
 そりゃね、出来ないことはないんです。大学には廊下があるじゃないか、屋上も、雪の積もった校庭だってあるんだろ、そこで稽古できるじゃないかと云われればたしかに可能かもしれません。悴む躰にムチ打って、たった独りぎりで雪まみれになりながら基本稽古やって帰ってもよかったのです。どうしてもそこで稽古しなくちゃいけないってんならそうもしたでしょう。
 でも、そんな寒い思いをしてひとり稽古するくらいなら、帰って自宅でひとり稽古しますよ。内容は同じなんですから。そこに、大学で稽古する必要は一切ないのです。
 もう一つ、これも云わせてください。別にあげ足をとる気はありませんがね、T先生、

「教えてやってる後輩がひとりも来ない」と言うのは、そしてだから練習もせずに帰った、というのはなんという言い訳でしょう。

 これはどういうことでしょうか。わたくしが何時そんなことを云ったでしょう。
 「教えてやってる」とは何事です。裏部長がいつそんな高慢な台詞をここへ書きましたか。書くわけがありません。いやそもそもそんな料簡など持ってはいないのです。わたくしに後輩たちを教えてやるほどの腕はありません。当たり前のことです。
 わたくしという貴重かつ有能な先輩がいの一番に来ていながら、日日その有難い指導に浴している低能な後輩たちがひとりも来ないとは何事だ!そんな有様で稽古が出来るか!おれは帰る!・・・・・・と、そんな浅ましい考えで、往復千円弱の交通費と三時間のスケジュールを無駄にしたと思いますか。



 T先生、ご無礼は承知の上です。いづれお会いしたときに殴られようが、その前に無視されようが、わたくしは構いません。こんな若造が見上げるほどの位置にいらっしゃる方へ対して無礼千万な意見をすることはたいへん非常識だと思います。ですから、どうかお怒りにならぬよう、心からお詫びを申し上げます。
 ただ、若輩ものの裏部長が云いたいこともお察しください。失礼を承知でその想いのたけを書き連ねなければ治まらなかったこの気持を、どうか受け止めてやってください。


 さて明日は稽古を休んで、ちょっとしたイヴェントを催します。まあ催すのは師匠のほうで、裏部長はそれへお邪魔をさせていただくだけですが、このBlogでも何度かそのお名前が登場している、中国拳法の李自力先生が札幌大学へいらっしゃいます。過去の映像などを見ながらその技の解説などをしてくださるそうで、たいへん愉しみであります。札幌支部のみんなもお暇ならばいらっしゃいな〜。
 裏部長でした。
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2007年02月05日

無の境地

 こんばんは、裏部長です。一応、武術を修行している人間の端くれとして、わたくしもいつかは「無の境地」に達せられたら、なんてことを想っております。ただ、想うのは簡単でも実際に行なうのはこれまた大変なことで、なんと云っても無ですからね、なーんにも無くなってしまうわけですから、こりゃなまなかなことでは達せられません。
 無とは自分のなかがなーんにも無くなってしまうことなんですね。


 あっ、そういや今日はなーんも書くことないや。


 いま裏部長は無の境地でございます。悟りきっております。
 明日までには何か考えておきます。
posted by 札幌支部 at 20:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2007年02月04日

傍から見る。

 こんばんは、右肘の痛みを抱える裏部長です。このことは昨夜のBlogにも書きましたが、どうも肘の関節ではないようです。これはですね、おそらく肘の内側、つまり外受けをした格好でいうと脇側にある肘の側面、ここらへんから発せられている痛みだと想われます。つまり筋関係ですね。骨ではありません。
 ただ、筋を痛めるほど何かをした憶えがないし、強いて云えば最近、其場突きをする際に、極力丁寧に拳の返しを意識してきちんと好い加減にではなく突いているので、そのせいで少し違和感が出てきたのかもしれません。まあ、いづれ治るでしょう。

 そういえば、奈良のM田先輩の発言のお蔭ですこしだけ画面が賑やかになりましたね。改名後は初めての登場である狗っちも書き込んでくれて、なんだか懐かしさでいっぱいです。
 しかし狗っち、今度われわれが行くのは栃木ですよ。奈良じゃありません。あの表記をみて奈良支部のみなさんはドキッとしたかもしれませんが、そんなドッキリのような訪問はしません。行くときにはきちんとお伝えをしてから参ります。
 その奈良支部の長、M田先輩もまたまた書き込んでくださっていますが、わたくしの映画関連の書き込みはあまり読んでいないということで・・・・・・読んでないんかいexclamation×2
 ということでよろしいですね。

 栃木のY先生もお久しぶりです。ご丁寧に稽古風景も書き込んでいただきまして、たいへん有難く、感謝の想いでいっぱいです。ただ、やはり本部道場においても然りで、これくらいの人数がいっぺんに出ると、誰が誰だか一瞬わからなくなりますね。イニシャル表記の口惜しいところです。
 しかし、本部のみなさんもこのBlogを読んでくださっているということを改めて聞くと、緊張してしまう反面、とても、とても嬉しい想いがいたします。ああ、俺はひとりじゃないんだexclamationと勇気づけられます。
 今後も見捨てず読んでやってください。

 さて今夜は、数少ない当Blog観覧者のなかにさえ裏部長の映画評論を好ましく想わない方がいらっしゃるので、これこれの映画を観たとかTVを見たなんて話はどっかへやってしまって、武術のことを書きましょう。
 とはいっても余り真新しいネタもないので、わたくしが最近の稽古のなかで不図感じたあることを書いておこうと想います。

 あれは昨年の暮れだったと想いますが、札幌大学の1001教室で空手の稽古をしていたとき、いつもの流れで、最後は約束組手をやりました。わたくしは有望なる後輩(久しぶりのキャッチ・フレーズ!)S呂君と組んで中段追い突きを繰り返していたわけですが、何分間かやっていると徐徐に勢いがついてきて、互いに一本だけでは済まなくなってきます。まあ彼と組む場合にはわたくしが意図してそういう流れにしているのですが、その勢いに任せて二本、そして三本と突きを出すようS呂君へ指示を出しました。
 こういった稽古の際、ただ無計画に突かせるのでは芸がない、というか芸の鍛練になりませんので、彼にはいつも「突きを中段に集中させて」と云うのですが、このときもそんな言葉を与えて、あとはもう思う存分バッシバッシと突いてもらいました。わたくしはそれに触れつつ後退するのみです。
 S呂君は一気に三本の突きをわたくしの胴体目がけて飛ばしてきます。ひとつの呼吸で突けるのはこれくらいが限度のようです。
 わたくしは後退しながら、この突きに少しだけ触れます。あまり相手の腕に圧力をかけぬよう、しかしそうかといって何もしないでは喰らってしまいますから、若干の受けを行なって彼に突かせるわけですが、実際に受けている側として真正面から、いわば主観的に見た際、彼の突きはそれほど速くは感ぜられませんでした。むろん遅いわけではなく、平均的にいっても札幌支部では速いほうなのですが、受けている人間としてはまだ見える、だから受けられるといった感じだったのです。
 約束組手がひと通り終わって、稽古を締めようとしたとき、師匠からコメントがあります。このときは、先ほどS呂君がわたくしに対して行なった三本の連続突きを解説してくださいました。
 師匠が受けをとり、S呂君に突かせます。話の方向としては、先ほどの裏部長との組手の際、何度かよいテンポのものがあった、ここにおける良いと悪いはどこに違いがあるのか、そんな内容の解説だったのですが、ふたりの傍から、いわば客観的に眺めていたわたくしは彼の突きを見て、思わずこう叫んでしまったのです。

「うぉぉおexclamationめっちゃ速いやんけexclamation×2

 叫んだのは心のなかで、ですよ。そのとき、それが関西弁だったかどうかは憶えておりませんが、そんなことをついつい感じてしまったのです。
 本当に、S呂君の飛ばす突きは速く見えました。イメージでいうと、栃木のODさん、あの長身なODさんの動きに少し似ていて、そりゃもう格好いい!といった感じでした。師匠はそれらにダメ出しをされていましたが、十分サマになっているようにも見えました(もちろん、次のステップへ行くにはまだまだ駄目なわけですが)。
 このときの印象の違いですね。つまり、実際にその突きを受けているときに得た主観的印象と、同じ突きを誰かへ繰り出しているのを傍から見たときに得る客観的印象とがこうも違うのか、ということを知ったわけです。だから、諸先輩方の突きなどを実際に見たりVTRで見たりしたときの印象と、それらを実際に受けた際の印象はおそらく違っているでしょうから、そこに何かしらの基準をおいて勝手にいろいろと考えてしまうと、あとで齟齬が出てくる可能性があります。
 それまでも過去のVTRで見たことのあったY師範代の打ち、ムチのような撓る突きも、実際に去年の稽古で実際に受けた際には、その印象が相当にちがいました。傍から見ている分には「あんなの受けられるだろ」と思っていたものが、「消えたexclamation&question」と驚愕したものです。
 それほどに人間の目は不確かなのでしょう。以後、気をつけます。

 最後に。まったく今日の話題とは関係ありませんが、部長、元気にしているでしょうか。最近、とんと会っていないもので、体調を崩していないと良いのですが、インフルエンザの季節、御健勝をお祈りいたします。

 さあ、明日からはまた新たな一週間。今週は金曜日以外稽古はございませんが、水曜日にちょっとしたイヴェントがありますので、暇な後輩諸君はぜひそちらのほうに参加してみてください。わたくしもお邪魔させていただきます。
 裏部長でした。

*今日の画像は、拾ってきたモノです。偶然見て、そして「こりゃ如何なもんかな」と若干訝しげに頸を捻りました。ご意見、お待ちしております。
 見られるかな?
posted by 札幌支部 at 20:49 | Comment(1) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2007年02月03日

感想と告知

 こんばんは、裏部長です。今日は節分ですねえ。方方から「鬼は〜外!」「福は〜内!」という声が・・・・・・すっかり聞こえない時代になりました。わたくしどもの家では一応形だけでも一連の動作をやって二月三日を終えるのですが、やっぱりそんな古くからの風習を守っている家は少なくなってしまったのでしょうかねえ。

 奈良のM田先輩、書き込みありがとうございます。諸先輩方からのこのような書き込みがあると、恐らく、札幌支部の門弟諸君も触発されてここへ戻ってきてくれることでしょう。賑やかになることを祈ります。
 しかし、先輩。「くだらない映画の話なんか」ってえのはチトひどいっスよもうやだ〜(悲しい顔)これでも幾らか努力して映画評書いてるんスから。たといそれが雑文程度のレヴェルであったとしてもですね、この広い世の中、裏部長のそんな拙い文章を心待ちにしているひとが、もしかしたら一人くらいいるかもしれないんですから、大目に見てやってください。
 ご質問にあった筋肉痛ですが、さあ、どこかなあ。いえね、ここんとこ二週間くらい稽古らしい稽古をしていないもので、すっかり躰が鈍っちまってんですよ。情けないことですけどね、しかしそれにしても、どうかなあ、筋肉痛になるところと云えば・・・・・・。
 関係ないかもしれませんが、最近ちょっと二の腕の裏側っていうんですか、あの、半袖着てるときに手なんか振るとぷるぷる震えるところ、あそこに張りが感じられて、また若干、右肘あたりに痛みが出てきております。筋肉痛ではないでしょうが、なにか関係のある痛みであろうと信じております。
 ただ、基本的に怠惰ですからね、裏部長は。稽古で蹴りを多くやれば次の日に太腿が重くなるし、体道でうまくゆかなかった次の日は上半身の肩から腕のあたりが痛いし、いま考えつくのはそういったところでしょうか。まだまだ、基本的なところで修行が足りないのです。
 

 さて、今日はちょっと試みに画像を載せてみましょうかね。わたくしもこの札幌支部のBlogへ書き込みをするようになってから、方方のさまざまなBlogというやつを散見するようになりましたが、やはり画像がなけりゃ地味です。文章だけじゃ惹き込まれません。ふいに飛び込んできたひとをひきつけるには、やっぱり視覚的に攻めなくちゃ。
 というわけで、今後はできるかぎり画像をアップしてゆきたいと想いますが、今日はその試験運行ということで、先日このなかでもご紹介をし、実際にご本人にもコメントを頂いた早川剛さんの作品を載せてみます。
 この作品は、映画『同じ月を見ている』の劇中に登場する一作で、わたくしはこれを見た瞬間に映画のことを忘れてしまいました。凄まじい世界観です。


早川剛.jpg


 作品にタイトルはついてません。わたくしであれば、月が印象的ですし、また全体的に炎のイメージがあるので、「荒城の月」ならぬ『炎上の月』、これを少し変化させて、『焔上の月』なんて題名をつけそうなもんですが、どうでしょう。圧倒的なスケールです。
 このほかにも同氏のHPには作品の画像がありますし、今年から作品集の販売もスタートしているので、この絵を見てビビッと来たひとはぜひそれらを買って応援してあげてください。
 尚、これらの宣伝や画像を載せることについては、すでに早川さんご本人より許可を得ております。あしからず。
 画像、うまく載ったかな。

早川剛HP「早川 剛の主に日本画」
URL   http://www.asahi-net.or.jp/~fr3g-hykw/
MAIL fr3g-hykw@asahi-net.or.jp

 裏部長でした。
posted by 札幌支部 at 21:39 | Comment(3) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2007年02月02日

動かざること山の如し

 こんばんは、昨日は少し感傷的だった裏部長です。なーんも気にしないでいいんです。あれくらいのことはもう馴れておりますから。平気平気、ってなもんです。
 ただ、こうも長く稽古のない日が続くと、札幌支部のこのBlogもあまり賑わいません。まあ、普段からあまり賑わってないですけど、とにかく稽古してないんだから書くことも基本的にはありません。わたくしも明石家さんまじゃないんですから、そう次から次へと新しいネタが湧いてくるわけはないのです。
 みんな、少しは書き込んでください。こういう有様を日本語では「閑散」といいます。なんて淋しい言葉でしょう。嗚呼、悲しや悲しや。

 さて今夜は、空心館本部道場のある師範代の其場突きをとりあげてお茶を濁します。
 つい先日にもそう書きましたが、最近わたくしは過去のVTRをよく見返しておりまして、そのなかに、二年前の二月に行なった栃木遠征の映像があります。つまり、平成十七年二月の空手の稽古ですね。あのときは師匠とわたくしと部長、そして最近はとんとここにも名前は登場しませんが、初期のメンバーであるT君が参加した遠征でした。
 あのときの稽古は、本部のみなさんもその人数に驚いたほど、普段はあまりお見えにならないような方たちも参加されて、それこそ足の踏み場がないほどの盛況ぶりでした。初めての本部道場というだけでカッチカチに緊張していた我我はさらに固くなり、かえってあまり汗をかかなかった記憶があります。
 このとき、道場の奥に三脚をたて、ヴィデオ・カメラでその風景を撮影していたのですが、最近わたくしがよく見ているのは、このときのVTRなのです。なにぶんにも初めてのことでしたから、律儀にも基本稽古の最初から撮影されておりました。
 せっかくですから、このときの稽古内容をざっと書いておきましょうかね。

・其場突き:90回(10)。
・前蹴り(中段):20回(10)、上段:10回。
・受け四種:左60回、右60回(各10)。
・廻し蹴り(中段):20回(10)、上段:10回。
・刻み突き:40回(10)、連続:左右10回づつ。
・裏拳打ち:40回(10)、前方へ:20回。
・横蹴り:20回(10)。
・手刀打ち(外):40回(10)、内:20回。
・後ろ蹴り:20回(10)。
*()は気合を発しない冒頭部分の本数。

 基本稽古はこんな内容だったのですが、この映像のなかでわたくしが注目したのが、Y師範代の其場突きです。
 一同を前に号令をかけていらっしゃった師範代はちょうどカメラに躰を向けている格好でありましたので、非常によく見えるのですが、この其場突きの凄いこと。
 なにせ、躰がまったくブレないのです。足、腰、胴体、そのすべてがちゃんと締まっているためか微動だにせず、而して腕、手首から先はほとんど脱力され、むしろ宙ぶらりんになっているが如くです。なんとも惚れ惚れするような其場突きです。
 何が凄いって、あなたも一度そんな突き方でやってごらんなさい。無論わたくしもすぐに真似てやってみましたが、全くできません。手先の脱力だけはうまくできるのです。ただ、ここを脱力してしまうと躰のほうもなんとなく締りがなくなっちゃって、全体的にダラッとしてしまうのです。
 Y師範代の突き、その躰の動かざること、まさしく山の如し!
 映像を見ていない人はそれがどんな動きか、まったく想像ができないでしょう。ヘッ、ざまあみやがれってんだ!

 最後の最後に悪態をついてしまい、申し訳ないもうやだ〜(悲しい顔)日頃の鬱憤がつい出てしまったようです。
 明日は節分ですねわーい(嬉しい顔)
posted by 札幌支部 at 20:24 | Comment(2) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2007年02月01日

淋しい

 こんばんは、裏部長です。昨夜もそう書いた通り、今日は二月一発目の稽古だったわけですが、その予定通りにゆかないのが札幌支部というところです。わたくしは少し早めに大学へいって、師匠から教室使用許可証のコピーを一枚もらって待機していたのですが、いつまで経っても誰も来ない。結局、三十分ほど待って、それでも来る気配がなかったため、そのまま帰ってしまいました。何のために大学へいったのか、よくわかりません。

 淋しい・・・・・・このひと言に尽きるでしょうね。最近はこのBlogもあまり書き込みがないし、一応わたくしはどうにかこうにか毎日書くようにはしておりますが、反応がないと不安になってきます。本当に誰かが読んでくれているのだろうか。

 こう稽古のない日が続くと武術関係の話題も生まれません。今週はもう稽古がなく、来週は、七日にちょっとしたイヴェントがありますが、稽古自体は九日の金曜日までありません。なんとも淋しい限りです。

 なんだか愚痴っぽくなりそうなので、今日はこれくらいにしておきます。
posted by 札幌支部 at 19:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2007年01月31日

ハイジャンプしよう

 こんばんは、つまらない映画を観ると頭痛に襲われる裏部長です。あれはおそらく緊張型の頭痛ですね。映画館のなかで二時間ちかく同じ体勢でじぃーとしているのですから、肩から背中にかけての筋肉が動かず、血流が滞って凝ってしまうのも当たり前ですが、ただこれが妙なことに、その映画がおもしろいと頭痛はやって来ないのですね。人体というのは良くできているもので、たぶんその映画が面白いときというのは若干カラダが興奮している状態でありますから、全身の血流が活発になっているのでしょう。ひとつのバロメーターと云えます。

 さてさて、今日は新作の映画を一本ご紹介しましょう。Blogのタイトルからすでに察しているひとがいたら凄い。いま出演者たちがこぞってTVへ出て宣伝をしている『どろろ』(日本映画2007)でございます。
 原作はあの手塚治虫さん。監督は塩田明彦。主演はもちろんこの二人、妻夫木聡柴咲コウです。脇には中井貴一さん、瑛太原田美枝子土屋アンナ劇団ひとり原田芳雄麻生久美子杉本哲太、そして中村嘉津雄さん。アクション監督には、『少林サッカー』や『HERO』、『LOVERS』などのコレオグラファー、また古いところでは『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』の監督としても有名なチン・シウトンが起用されています。
 舞台はある戦国の世。中井貴一さん演ずる武将が、天下を手に入れるため、〔地獄堂〕のなかに眠る四十八の魔神たちへ願をかける。すると彼らはそれに応えて、武将の子供のカラダを差し出せば天下を治むるだけの力を授けてくれるという。
 中井さんはすぐさま承諾。生まれたばかりの男児の躰の、四十八箇所を切りとって彼らへ与える。一方、躰のあちらこちらを切りとられ、泥人形のようになった主人公は、母親の手で川に流される。
 その後、ある呪師がその赤子を拾い、術でもって躰のパーツを拵えてあげる。少年はしだいに成長し、青年となったころ、父と慕っていたその呪師の死を機会に、失われた己の部位四十八箇所を取りもどす旅に出る・・・・・・。

 とにかくTVでも厭ってほど宣伝をしていますから、これだけでもう十分でしょう。手塚さんの漫画をお読みの方も多くいらっしゃることでしょうし。
 
 映画としては、中途半端、このひと言に尽きます。もっと云えば、背伸びをしようとしてやっぱり高さが足りなかった映画、ってな感じです。あんまり文章を割いて話すようなレヴェルのものではありません。全然ダメー、おしまーい。
 駄目な点を挙げてゆけばキリがありません。とにかく駄目なところばっかし。わたくしがその欠点に気づいたのは、開始早早三分くらいのところです。中井貴一さん演ずるボロボロになった武将が、地獄堂で魔物たちへ独白するシーンですが、これを見たとき裏部長はビビッときました。
ああ、この映画、停滞するタイプだな
 ってね。
 前にも書きましたが、映画というのは常に現在進行形です。ストーリーは常に前進していなくてはならないのです。
 それが案の定、です。この映画ではよく止まる。ひとつの場所で行なわれる芝居が多すぎる。その土地で何泊もしてんじゃねえのか、と思ってしまうくらいです。
 そのほかに云ってしまえば、映画の内容に照らして画質が合わない脚本が悪い台詞が悪い、これらは結局「監督が悪い」これに尽きますね。
 この三点のなかでいちばん気になったのは台詞です。いやあ、驚きました。ここまで台詞の書けない脚本家がいるのかと思うと暗澹たる気持になります。
 この映画は戦国期を舞台にしておりますが、別に日本だとは云っておりませんし、現に登場する文化や風俗も、砂漠地方のような空間が出てきたり、中国人のような服装が出てきたりしております。ただその一方で、兵士たちは日本の甲冑をつけているし、最後に出てくる城は安土城そのものでしたから、おそらくそれらをひっくるめて登場させることで、単純な日本の歴史ものではない雰囲気を作ろうとしていたのでしょう。どこか無国籍のような、そんな世界観を狙ったのかもしれません。これは別に、アイディアとしては悪くないものでしょう。
 ただ、やはり基本的には時代劇です。出てくるのは百姓であり住職であり琵琶法師であり、そして侍なのです。実際、時代劇の台詞がその大半を占めておりました。
 しかしそれならば何故、台詞のなかに現代風のことばを入れるのでしょうか。
 たとえば「おれ」です。瑛太さんは自分のことを「おれ」と云っておりましたが、戦国期の武将の息子が自分をさすのに「おれ」と云うでしょうか。
 尋ねる際のことばも統一感がありません。まず、映画のなかの台詞として「なんで?」というのは最も相応しくありません伊丹十三さんが書かれているように、映画の台詞とはことばの煮凝りのようなものなのですから、この場合「どうして?」と云ってもらいたい。時代劇であれば「なぜ?」もしくは「なにゆえ?」でしょう。しかし、この映画ではそれが渾然一体となっているのです。
 脚本には監督自身も参加されています。故・今村昌平さんもおっしゃっておりましたね。良い脚本を書けない監督は駄目な監督だって。

 演技陣のなかで評価できるのはほとんどおりません。妻夫木さんは低いトーンで喋るところはどうにか様になるのですが、少しぶっきらぼうに「〜じゃねえ」とか「でけえ」とか「ひれえ(広い)」なんて云うところに差し掛かると、急に二十代の現代人へ変貌してしまいます。
 柴咲コウさんはほとんど駄目。下手。男のようにべらんめえ調でやる台詞の捲し立てで良かったところは皆無でしょう。ああいう演技がうまい女優さんは昔よくいたものですが、どうも現代ではそう簡単にはゆかないようです。
 あとの人たちは別にどうってことありません。というのも、元である映像、脚本、監督からしてすでに間違っているため、俳優たちがどんなに頑張っても、沈没する船のなかで水泳の訓練をするようなもので、何にもならないのです(刀などの武具の扱い、着物、歩き方などの所作、すべてが的外れ。監督はよほど時代劇を知らないひとらしい)。
 アクションもそうです。ワイヤー大活躍、CGフル活用のアクション・シーンも撮り方ならびの演技している役者たちがアクションというものを知らないから、何をやっても巧く見えない。
 ひと言でいえば、空廻りの二時間、これでしまいです。

 なんでも昨年の邦画の興行収入が洋画を抜き、またその額が五十億円を超えているものも何本かあると報道されていましたが、こんなニュースに惑わされてはいけません。たしかにデータとしてはそうかもしれませんが、昨今の日本映画の製作予算を見てもわかるように、どんな小さな作品でも大金をかけるようになりました。それはおそらく、さまざまな企業の映画界参入というのが原因になっているのでしょうが、ただそれだけのことで、映画の質そのものはむしろ下がってきているように思えて仕方ありません。
 日本人はなにかというと、時代の価値観に自分の価値観を沿わせてしまう傾向があります。現在の日本映画でその観客数が増えたといっても、それは映画そのものの内容に惚れてきているのではなく、たとえば、その映画がいま一番人気だから、とか、観ておかないと周囲の話題についてゆけないから、とか、本来的な理由ではない動機でもって観ていることが多いのです。現に収入ランキングの上位三つは、どれもその質が平均以下のものばかりです。こんな内容の映画でも五十億円以上稼いでしまうというのは、むしろおかしなことで、われわれはそれを恐ろしいとさえ感じる必要があります。
 たとえ世の中が「優れている」と云っていても、決してその通りではないことが、この世の中にはいくつあるでしょうか。映画もそのなかの一つなのです

 長くなってしまいましたが、結局のところ、『どろろ』は観る価値なーし。全然だめー。おしまーい。こんなものに千円以上の金を出して二時間ちかくのスケジュールを潰すくらいなら、手塚さんの原作本を買って喫茶店かどこかへ入って二時間過ごしたほうが余程有意義です。悪い映画は、お金と時間を奪うだけではなく、人間の感性を腐らせてしまいますからね。みなさんも十分気をつけてください。
 さあ、明日は二月最初の稽古日です。ただ、師匠は参加できなさそうなので、一応は体道の日ですが、空手をやることになると思います。みなさん、その心算で用意しといてください。
 ああ、今日は久しぶりに頭痛薬を呑んだ。
posted by 札幌支部 at 20:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2007年01月30日

手刀の使い道

 こんばんは、裏部長です。気づかぬ間に当Blogのトップ・ページがリニューアルされて、なんだかお洒落な感じになっております。きっと、おすぎさんがやってくれたのでしょう。忙しいのに有難いことです。

 このBlogは一応、トップ・ページにもそう書いてありますが、日本武術研究所空心館札幌支部の面面が、その日その時に想いついたことごとを、ただ想いつくままに書き連ねるところでございますから、今日は久久にその方針に従いまして、裏部長の想いつくままを二三書いて御暇を頂戴しとう存じます。

 最近よく、二年前にいった栃木遠征のVTRを見ているのですが、向こうで行なった空手の稽古のなかで、札幌ではあまりやっていないものに「手刀打ち」があると気づきました。もちろん、手刀受けなどの受け方、それらを使用する型自体はきちんと稽古しているのですが、基本稽古における打ちとしての手刀はあまり稽古していないように想われます。
 現時点ではこれに対し、わたくしには二つの予想ができるのですが、ひとつは門弟たちのレヴェルです。当然のこととして、入ったばかりの子にいきなりあれも覚えろこれもやってみろと、急にたくさんのことを教えるわけにはゆきません。やはりまずは其場突きから入って基本稽古のなかの本当に基本的なことだけを教え、移動稽古もやり、約束組手もやって、さあ次の動作へ、と進んでゆくのが妥当でありましょう。わたくし自身も入ってすぐには手刀打ちを教わりませんでしたし、一同も、ある程度進んだころにまた新たな門弟が入ってくるため、幾人かはまだやったこともない可能性があります。
 予想の二つ目は、あまり使えないから、というものです。空手にはさまざまな攻撃部位があり、そのラインナップはたいへん興味ぶかいものがありますが、やっぱり何といっても拳が最大の武器になるでしょう。突きというものがその大半を占めている現在、拳を中心に稽古するのは当然のことで、貫手や手刀は二の次三の次にならざるを得ません。時間は限られていますからね。
 また、個個の技の動作をためす約束組手においても、手刀は打ちとしてあまりスムースに使えません。無理をして使うくらいなら突きを稽古したほうが有意義というものです。現に過去、師匠からそんなアドヴァイスを受けたこともあります。
 上記の理由などから云って、師匠はその稽古する優先順位として手刀打ちを後ろのほうへ置いているだけなのかもしれませんが、果たして本当に手刀打ちって使えないんでしょうかね。もちろん個人のレヴェルは関係あるでしょうが、その形自体が有効な攻撃にむいているかどうか、それはわかりません。受けや柔術的な技への使用のほかに、いわゆる空手的な攻撃手段としての手刀打ち、この価値を認識したいものです。

 最後に、現在わたくしの追い突きのテーマをここに掲げておきましょう。それは、
横回転から縦回転への移行
 です。
 なんとも硬いテーマですが、その内容は単純明快。これまでは腰の回転でもって突いてきました。躰の軸を安定させ、まるで自分の腰が、中華料理屋のターン・テーブルになったが如く細かく回転させ、これでもって左右の突きを出す、これが今までの形だったのですが、これからは違います。この横の回転をとめて、躰のなかに縦の回転を生みだすのです。
 それには股関節の柔らかさなどが必要なのですが、そっちの話はしていると細かくなりすぎて、恐らくわたくし以外には誰もわからないと想われるため、省きます。
 とにかく縦回転なのです。これをやりさえすりゃ良いのです。
 ただそれが難しい。まあ当たり前といっちゃ当たり前ですが、躰の構造改革が必要です。「まるで腰まわりの構造改革や〜」
 しかし、ものは考え様で、結局からだのなかに縦回転をしないと突きが出ない状態を作り出せばよいのかもしれません。逆にいえば、どうしても横回転に頼ろうとする腰にブレーキをかけ、その方向には動けぬように意識して止めてしまうのです。でも、踏み出した足は止まらないし、追い突きの勢いは出来上がっているわけですから、何がなんでも突かねばならない。
 そこで縦回転が生まれる。縦回転をするほかに突きの出ない状態をあえて躰のなかに作ることでその動作を生みだす
 こんな作戦はどんなもんでっしゃろ?

 えー、最後はよくわからない関西弁で幕を閉じましたが、これが今日、裏部長がぼんやり考えている武術関係のことごとでした。
 明後日から稽古が再開されますが、二月は大学でもいろいろと行事があるらしく、結構不定期になっております。門弟諸君は間違えないようにしてください。
 裏部長でした。
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2007年01月29日

孤独が伝染する

 こんばんは、最近どうにか体重が落ちてきた裏部長です。わたくしは柄にもなく便秘症のため、溜まっていたやつがドッと出るとそれだけで二キロほどは減り(汚い話やなふらふら)、また加えて自主稽古も強化しておりますから、そのあたりの作戦が効いてきたのでしょう。これに満足せず、まずはこの体重の維持に努めたいと想います。

 以前にこのBlogでも紹介したあるドキュメント番組・・・・・・ある歌人と死刑囚の交流を追った一時間ほどの作品でしたが、あれが何でもFNSかどこかのドキュメンタリー大賞を受けたそうで、昨夜それをTVで知ってびっくりしました。わたくしも興味はありながら、やっぱりノンフィクション系のものはあまり見ないのでねえ、たまたま見たその作品が受賞したというのは偶然ではないような気がいたしました。
 そんな驚きを胸に夜、寝床に入って読書などをしておりますと、あれは日本テレビ系列ですか、夜中の午前零時過ぎから一本のドキュメント番組が流れておりました。毎週日曜の深夜にあるやつですね。わたくしも何度か見たことがございました。
 昨夜は別にこれといって見ようという心持ではなかったのですが、いい加減読書にも飽いたころだったので、何気なくブラウン管へ視線を送ったら最後、しまいまで見てしまいました。惹きこまれてしまったと云ってよいでしょう。
 取りあげられていたのは「ネットカフェ難民」という人たち。難民、という言葉がついていても舞台はこの日本です。とてもとても深刻な内容でございました。

 さまざまな理由で自宅にいられなくなったり、境遇として、または自分の意思で独りになり、世間へ出た若者たちに貯蓄はありません。だから、ひとまずアパートを、なんて具合にはゆかず、激安の家賃でなおかつ敷金礼金保証人すら必要ない、というような、少し如何わしい不動産屋に駈けこんで安い部屋で暮らし始めるのです。
 もちろん、そんな好条件のところにまともな部屋などはなく、家賃を一日でも滞納したら即刻追い出されるという、半分詐欺のようなところばかりです。ある青年などは、インフルエンザにかかってしまったため少しだけ家賃を払うのが遅れてしまった。これを不動産屋へもきちんと説明したが、一切聞き入れられず、熱で寝込んでいるにも関わらず、荷物もそのままに外へ放り出されたとか。なんとも凄まじいものです。
 住居がないとアルバイトにもつけません。しかし、日日を暮らしてゆくには幾らかでもお金が要る。そこで彼らは日雇いの仕事に飛びつくのです。
 交通費や深夜手当、保険などは一切きかない不安定な仕事です。一日単位で、報酬もその日に払われますが、しかしそれが毎日あるわけでもなく、いやむしろ定期的に働けているひとのほうが稀なようです。みんな、本当の意味での「その日暮らし」というわけです。
 所持金が極端にすくない彼らは、わずかな料金で夜を越せるネット・カフェへ集まります。ここを指して番組では彼らを「ネットカフェ難民」と呼んでいるのです。

 いやあ、見ていて暗澹たる想いに満たされました。かたやではTV各局がこぞってセレブと呼ばれる億万長者たちを取りあげ、何億何千万円というような金額がまるで新製品の売り文句のごとく飛び交っているというのに、その反対側、日本の陽の当たっていないところでは、一時間数百円のネット・カフェに隠れ、いつか躰をまっすぐに横たえてぐっすりと眠れる日を夢見ながら硬いソファに顔をうずめる、そんな毎日を過ごすひとたちもいるのです。
 たしかに、彼らは「ホームレス」です。公園などにいる人たちと同じです。リストラされたからとか、前科があって職につけないとか、いろいろの理由でそんな生活を選んでいる人たちも多くいることでしょう。なかには自業自得としか云えない淋しい人生のひともいます。
 ただ、昨夜の番組に出ていたほとんど人たちはいづれも若い。十八歳だったかな、虐待が原因で家を出た少女がおりましたが、もう孤独そのものです。まだ十八歳ですよ。われわれが考える十八歳じゃありません。ぬくぬくと三食とって家族や友人たちと喋って夜は暖かいベッドのなかで眠る、そんな生活をしてきたわれわれが想う十八歳とは意味が違うんです。誰とも口をきかず、汗臭さを香水でごまかしながら不安定な日雇いの仕事をケータイ片手に自分で探し、一日働いては喧騒とネオンと華やかに溢れた夜の東京を徘徊するがごとくあちらこちらのネット・カフェを見てまわって、その日の経済状況にあった店をえらんで内へ入る。あのいつもと同じ椅子のうえで夜通し寝返りを打ち続けながら、熟睡せずにまた同じ朝を迎える・・・・・・。
 格差、といえばその通りでしょう。ただ、哀しいです。番組のなかの彼らの孤独が、電波を通じてこちらに伝染したかのようです。

 もちろん、TVで紹介されたことが全てだとは想いません。ネット・カフェ難民だって、昨夜の番組で紹介されたひとたちくらいしかおらず、本当はそんなに現状は悲惨ではないのかもしれませんが、だからといって安穏とはしていられません。日本のなかの上辺にいる人たちはもっと底辺の現実を見てください。そして、その孤独を一度は自分のカラダで受け止めてください。そうしなければ、すでに十分孤独な彼らに、救われる道はありません。


 自分には何ができるだろうか。

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2007年01月28日

憶いだした話

 こんばんは、裏部長です。よくこの、何か貴重な意見やお話を聞いた際に、忘れちゃいけないっていうんで、すぐにメモを取るひとがおりますな。いわゆる「メモ魔」というやつで、いつも懐にちいさなメモ帳なんぞを忍ばせておりまして、学校の先生や仕事先の上司がなにかを話そうもんなら素早い手つきでボールペンもいっしょに取り出して、要点をうまい具合にメモしてしまう。その器用さと云ったら大変なものです。ありゃ一種の職人芸でしょうな。
 わたくしも一時期、そんな「メモ魔」に憧れてやってみたことがございます。百円くらいのね、小さなメモ帳を買ってきてポケットに入れといて、ああこれは大切だなあと想う話が出たときにはサッと取り出して逐一書きこむ。これは不思議なもので、馴れないことでも実際にやり続けてみるとまるで自分が機敏な人間になったかのように想えましてね、たいへん愉しかったのですが、暫くして飽きてしまいました。というのも、貴重な話を伺う場面がそうないことに気づいたのですね。こちとら芸能リポーターじゃないんですから、そりゃいつもいつもメモはしていない。どちらかといえばポケットに仕舞ってる時間のほうが多いようなもので、そんなことが続けば元元たいへんに飽きっぽい裏部長でございますから、まあいいか、ってな感じでよしちゃった。現在ではすっかり「記憶型」でやっております。

 ですから、たとえば稽古のなかで師匠が発せられた言葉とか、過去の稽古VTRのなかで師範がお使いになった解説の仕方とか、そういう些細なものがわたくしの頭のなかには詰まっているわけで、一応、自分のなかで「これは大切だな」と想ったものは記憶してあるはずです。その証拠に、これは決して自慢するほどのことではありませんが、師匠が不在のときに、後輩たちから技に関して質問を受けた際、約九十%の確率で、わたくしがその質問を発したときに師匠が答えられた回答そのものがまるで流れ作業でもって脳内から舌先へと運ばれてくるが如く出てくるのです。これは自分でも不思議に想っているほどそうなるのです。
 ただ、この「記憶型」の欠陥は、忘れることもある、ということでしょう。なにせ記憶頼りですから、忘れちゃったらもう駄目なんです。頭んなかをどう探しても出てくるはずはありません。だって忘れちゃったんだから。
 そのマイナス面を補うためにこのBlogをつけているようなものですね。たいへん有難い限りです。
 今日はそんなわたくしの記憶のなかから、二三、憶いだした話を書いておきましょう。


@「信じる」ということ
 わたくしがまだ師匠のもとへ入って間がないころ、所属している人数がたいへん少なかったために、師匠とわたくしだけということも当たり前のようにありました。
 春休みや夏休みなどの長期休暇のあいだ、稽古は午前中になることが多く、そのころも午前十時から正午までの二時間で稽古をし、終了後、学生食堂へいって昼食をとる、そんなコースが定番化していたころのことです。
 いつものように稽古を終え、学食で師匠と昼食をとっていた際、話は空手の流派に及びました。わたくしはまだ空手というものに馴染みがなく、その世界のことについては殆どなにも知らなかったので、機会があると師匠にその類の質問をぶつけていたのです。
 要は、空手にはたくさんの流派があり、さらにその内には多くの会派や団体などがあり、同じ型であっても、流派や会派、もっと云えば伝えた師範によってその趣が違う、という話だったのですが、空心館で稽古している糸東流もその例外ではなく、同じ糸東流であっても大分にその内容は異なっているというのです。
 そこで師匠、こんなことをおっしゃっておりました。
ひとつの型にしても、流派や会派、教わる師範が変わればこれだけ違う。だから、どの流派や技がいちばん優れているか、なんてことは云えないし、それを基準にして修行する対象を決めることはできない。自分の修行している流派、師範を愛し、信じること。これが大切なんだ
 
 たしかに、空手にはたくさんの流派がございまして、おおよそ一本化されている合気道界(こちらにも合気会、養神館など会派はあれど、その技法はほとんど共通しており、ともに稽古することは可能である)にいたわたくしには違和感を感ずるところも多多ございました。四大流派糸東流剛柔流和道流松濤館流に限ってみてもその会派、団体は数えきれぬほどあり、わたくしどもの修行する藤谷派糸東流拳法空手道も他の糸東流とは違っており、ましてや他の流儀空手とはたいへんな開きがあります。
 この現状から見てしても、どこが一番よく、優れているか、などという見方、比較は不可能でしょう。出来ることはただ一つ、自分がこれと定めた流派や師範を愛し、そして信ずること。これ以外にはありません。


A物差という考え方
 同時期。あれは確かまだわたくしが合気道とこちらの稽古を並行して行なっていたころで、体道の稽古なんかは師匠の研究室でやっていた時分のことです。
 まだ陽の高いころに稽古をしておりましたから、そのあとに授業のある部長は、稽古終了後すぐに辞してしまい、研究室にはわたくしと師匠しかいない、ということがよくありました。
 こういうときは質問のラッシュ時で、日頃疑問に想っていたことを矢継ぎ早に師匠へぶつける、師匠のほうでも入りたてのわたくしにつき合ってくだすって、次から次へと答えてくださる。たいへん有意義な時間を過ごした記憶がございます。
 そのときに、これは@のこととも重複するのですが、わたくしがそのとき抱えていた悩みを相談したことがあります。つまり、「最も優れている流儀とはなにか」ということですね。当時、わたくしは一生涯をかけて修行できる武術流儀を探していたのです。
 あのころの日記を読み返しますと、自分でも不思議に想えるくらいわたくしは悩んでおりました。その様はまるでノイローゼのようです。それほど真剣に、自分の修めるべき武術流儀を探していたのでしょう。
 ですからわたくしは恐れもせず上記のような質問を師匠へぶつけたのです。これに対し、師匠はやんわりと、こんな例を出してお答えになりました。
どんな流派でも“物差”を持っている。これは技の数だと考えてもいいし、その種類と想ってもいい。とにかく一定の物差を持っていて、技を新しく考案してつけ加えない限り、この長さは変わらない。修行とは、この物差に目盛りを増やしてゆくことだ。それは、深めてゆく、ということでもあり、研究そのものだとも云える。たとえばここに一メートルの物差があったとして、技がひとつしかなければ目盛りはない。この技をいろいろと分解したり、研究したりして、そのヴァリエイションを増やしてゆくと、最初は五十センチのところに目盛りがひとつ、そのうち十センチ間隔に入り、ついには一センチごとに細かく入る。もっと入れることもできよう。それはひとえに、ひとつひとつの技を深めるという作業であり、自分たちの修行する流派の長所短所を知るということでもある。どの流派にも長所と短所はある。もし長所しかない流派があったら全員がそれをやっているはずだ。稽古とはそのなかの長所を活かし、短所を補うことでもある

 この言葉を聴いて、わたくしはハタを膝を打ちましたね。なんと的を射た表現でしょう。たしかに長所ばかりの武術流儀などあるはずがありません。あればみんなそれをやってるはずです。でも、現実にそんなことはありませんね。空手をやってる人もいれば柔術のひとも、武具を遣う流派のひとだっています。そこには多分に個人の好みというのも関係していましょうが、短所しか見えなかったらどんなに自分の好みに合っていても入門はしないように、やはりそこには長所と短所が存在するのです。
 であればこそ、修行をして短所をカヴァするのです。空心館のように空手をメインにしつつも、体道のなかでさまざまな武術を稽古するのにはそんなメリットもあったわけです。
 これがわたくしに合気道を捨てさせた最後の一撃でした。師匠のそんな例え話がなければ、もしかしたら今も合気道を続けていたかもしれません。
 出会いとは不思議なものです。

 さて、明日からは新たな一週間。あっという間に一月も終わり、稽古再開とともに二月がやって来ます。
 インフルエンザの季節です。みなさん、気をつけましょう。
 裏部長でした。
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2007年01月27日

断ち物を決める。

 こんばんは、裏部長です。唐突ですが、現在わたくしは悩んでおります。今年に入って早数週間。そろそろ一月も終わろうとしているのに、あることをまだ決めかねているのです。本来ならば新年が始まるその前に決めておくべきことであったその事柄は、もしかしたらもう遅いかもしれません。手が遅れちゃった可能性もあります。
 ただどうしても諦められないので悩んでいるのです。いやあ、どうしようかなあ。

 ・・・・・・あっ、わたくしが現在このようにして決めかねているのは「断ち物」のことです。ご存知の方も多いと思いますが、なにか願掛けをしたときに、その成就をさらに強く願うには自分の好物や好きな行為を断って日日の精進に励む、その対象物を「断ち物」というのですが、わたくしはまだこれを決めかねているのです。
 ホラよく学校の試験の前など、目のつく場所に置いてあるとつい読んでしまうから漫画本を見えないところに隠したり、恋人にメールを出したくなる心をおさえるために携帯電話の電源を切ったり、などなど、身近なところでちょっとした断ち物祈願をしているひとも多くいらっしゃるでしょうが、裏部長の目指しているのは一生もの、つまり、一度止めると決めたら一生涯それを守り通す!これですね。その断ち物を考えているわけなのです。
 わたくしの好きな古今亭志ん朝師匠は、大好きなウナギを断ち物と決め、一生涯食さなかったといいます。まあ同氏の場合、鮨屋などへ行ったときにはアナゴをよく食べていたといいますから、その代用で食慾は満たされていたのでしょうが、しかし自分の大好物を断つというのは勇気の要ることですよ。
 まあ何も食べ物である必要はなく、わたくしの場合、小説の道でどうにかなればそれで良いわけですから、そんな大仰に考える必要はないと想うのですが、ただ先程来申し上げているように、これは去年のうちに考えておくべきことであり、すでに数週間押しなわけです。とても中途半端で、気合が入りません。なんとも情けない限りです。

 何がいいかな〜?決まったらここで報告しますね。

 
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2007年01月26日

それでもボクはやってない

 こんばんは、最近すこ〜し太り気味の裏部長です。いけませんいけませんふらふらちょっと気を許すとこのザマです。裏部長は太りやすいんです。高校生のときなんざ最高で九十四キロありましたからね。そのときから比べたら二十キロほどは軽くなっているわけですが、しかしわたくしの身長から考えるとまだまだ重いバッド(下向き矢印)理想的数値は六十八キロくらいだったかな?まだまだ精進が必要なのです。
 だから、昨夜からまた自宅での自主稽古を強化することにしたのですが、いつも大学でやっている稽古内容でも、自宅のあの狭い室内でやるとまた違った雰囲気がありまして、妙なところに筋肉痛が発生したりします。まあ痛みが残るということは力んでいる証拠なので、もっとリラックスしてやれば良いだけなのですが、なにぶん狭いですからね。タンスやベッドに足をぶつけぬよう動くのだけでも結構骨が折れるのです。それに、わたくしが住んでおりますのはマンションですから、あまり派手な移動稽古もできません。ええ、そりゃもう静かなものです。生け花の稽古だって云ったってわからないくらい・・・・・・。
 
 冗談はさておき、今日観た映画を紹介しましょうかね。わたくしが本日鑑賞してきた映画は、それでもボクはやってない』(日本映画2007)です。監督はお馴染み、周防正行。出演は加瀬亮瀬戸朝香役所広司もたいまさこ山本耕史などなどで、実際にあった痴漢冤罪事件をモデルにした法廷映画です。

 二十六歳フリーターの主人公はある日、先輩に紹介してもらった会社の面接へ向かうべく、あまり乗り馴れていない満員電車へ乗車した。途中、履歴書を持ってきたかどうかが不安になり、ある駅で下車。確認したところリュックサックのなかに履歴書はなく、自宅へ忘れてきたことに気がついたが、これから取りに帰っては面接に間に合わないと判じ、発車ベルが鳴るぎゅうぎゅう詰めの車内へ、駅員に押し込まれて乗車をした。
 乗車してしばらく経つと、自分のスーツの一部がドアに挟まっていることに気づき、主人公はそれを抜き取ろうとする。満員のなかで躰を動かしたため、自分の右横にいた女性客が怪訝そうな顔をしてこちらを見たが、目線でその行為の真意を説明し、軽く会釈した上で「すみません」と謝る。それから数分経ったころ、彼の前方からか細い声で「やめてください」という乗客あり。しかし主人公はそれが自分に対して発せられた言葉だとは思わず、相変わらずスーツを引っぱりながら駅への到着を待った。
 目的の駅へ到着するや否や主人公はホームへと降り立ったが、すぐに背後からひとりの女子中学生が駈けより、彼の右袖をつかんで「痴漢したでしょ」と詰問。それを見た他の男性乗客や男性駅員なども寄ってきて一寸した騒ぎになってしまったので、一同は駅員室へ。そこへ、彼の右側に立っていた女性が「この人はドアに挟まったスーツを引き抜こうとしていただけで、痴漢はしていないと想う」と証言しに来てくれたが、事態の収拾に混乱していた駅員はその証言を聴くことなく駅員室のドアを締めた。呼び止めようと主人公が外へ出たとき、その女性はもう何処にもいなかった。

 裁判の映画を観てきたためか、若干カタい文体になっておりますが、劇中で扱われている痴漢冤罪事件のあらましはこんな内容です。満員電車にお乗りの方にはいや〜なお話でしょうね。現にわたくしなんぞも、映画館から自宅へ帰る地下鉄のなかで立ち位置なんかを気にしてしまいました。もちろん疚しいことなどありませんよ。ありませんけど、でもね、この映画を観たらそれくらい臆病になりますよ。
 なにせ描かれているのは、冤罪なのにこれだけ苦しめられる、という日本の裁判そのものだからです。主人公の金子青年はやっていないのです。モデルになった実在のひとも無罪だったそうです。しかし、現行犯逮捕されたその日から彼が受けた屈辱、虐めともいえるその待遇は決してフィクションではありません。周防監督がこの作品を作るために、四年からの取材期間を費やしたことでもその信憑性がお判りになるでしょう。
 いやあ、恐ろしいものです。事件史の流れがあって、最近ではどちらかというと、痴漢事件は被害者に有利な流れがあるようです。現に「無罪を主張しても有罪率は99.9%」などと云われておりますし、何分にも証拠というものがありませんから、最終的には被害者と被告、そのどちらの証言が本当っぽいか、その判断だけで有罪か無罪かが決定してしまうのです。周防監督もそれをおっしゃっておりましたが、これはたいへん恐ろしい制度です。
 何がなんだかわからないけど現行犯逮捕されて警察署連れてかれて、どういうわけだがすでに激怒している男性刑事になかば自白を強要されるがごとく犯行自認を迫られ、高圧的な警察官によって留置所へ移され、そこで刑務所のような生活をスタート。一回目はタダだという弁護士に来てもらうが、「やってなくても自白してお金払っちゃったほうがすぐに出てこられる」と不本意すぎる示談を提案されてガッカリ。事態を知った母親や友人たちが新たな弁護士を探して駈けつけてくれるが、ハナから有罪と決めつけている検事に起訴され裁判に・・・・・・。

 ここからは長い長い闘いです。こうして映画のなかで、他人事として観ていても気の滅入る長期戦です。実際にその渦のなかへ放り込まれた当事者の方方の苦労たるや想像を絶するものでしょう。考えさせられます。
 たしかに冤罪ばかりではなく、本当はやっているのに嘘をついて逃れてしまおうとしている人間もいるわけですから、罪を罰する姿勢は必要なのでしょうが、ここまで残酷なひと幕を見せられてしまうと、やはり考え込んでしまいます。
 果たして日本の裁判はこのままで良いのでしょうか。そろそろわたくしたちも裁判員となる日が来ます。そのときまでに自分のなかで、もしかしたら他人の人生をボロボロにするかもしれないけれど、自分の意見にはきちんと自信を持つ・・・・・・なんて、そんな覚悟が芽生えてくるのかどうか、わたくしにはわかりません。

「有罪だって云われてもやってないんだ!証拠があるからとか、他に犯人の候補がいないからとか、そんな理由で有罪だって決めつけるけど、本当にやってないんだ!信じてください!被害者のひとが何と云おうと、世間のみんなが何て云おうと、それでもボクはやってない」

 泪ながらにそう訴える被告人に、あなたは「有罪」の二文字を突きつけられますか。


*追伸。
 映画自体はたいへん面白く観ました。ただ、その面白さは内容的な面白さであって、そこに映画的な面白さがあったかどうかはいまいち断言できません。裏部長個人としては、あまり無かったと想います。ただ、観終わったあとに、重厚なドキュメンタリー映画を観たときのような、内容のある疲労感が自分のなかにはあったので、それだけリアルに、俳優たちの演技も含めてリアルに出来ていたのではないか、こういう風には評価できると想います。
 
 裏部長でした。
posted by 札幌支部 at 21:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記