2007年02月23日

祖英会話教室月最高

 こんばんは、裏部長です。前にも書いたように、現在札幌では「雪世界スキー雪」というのが開催されておりまして、昨夜はクロスカントリーかなにかで日本の女子選手が最高の五位に入賞したそうです。次はジャンプ陣に期待したいですね。
 ただ、そんな雪の必要なイヴェントを開催しているというのに、昨日は春なみの気温とピーカン照り晴れ。今日は今日でおなじく八度ほどの気温とそして、雨、です。昨日来の気温のせいで解けてしまった雪の上へざあざあと雨が降り注いでしまったのですから、こりゃ大変です。札幌ドームへ続く道路を、雪をのせたトラックが列をなして走っていったのを見てもわかるように、相当たいへんなことになっているようです。
 明日以降、冬らしくなることを祈るばかりです。

 さて本日は今週最後の稽古日です。場所は昨日と同様で、床の汚い2102教室でしたが、今日は師匠自らがモップをかけてくださいまして、見違えるように綺麗になりましたので、足裏の心配をする必要はなくなりました。
 そんな綺麗になった教室での稽古でしたが、参加者はS呂君のみ。しかも開始後一時間ほどあとに彼はやって来ましたから、冒頭はほとんど師匠と二人ぎりの時間となり、ひさしぶりに差し向かいでの稽古をおこなったわけです。
 基本稽古は受けまでやって、すぐに型。「鷺牌初段」の復習をしているときにS呂君が合流し、そのままいっしょにこの型を稽古しました。
 「鷺牌初段」はとにかく、四股立ちなどにおける“落とし”と、一直線上に動くという、この二つのポイントが難しく、今日もそれらの点について師匠よりさまざまなアドヴァイスをいただきました。猫足立ちにしろ前屈立ちにしろ四股立ちにしろ、とにかく両足は一直線上になくてはならず、また各所で“落とし”を行なうには、それぞれの動作をきちんと完結させた上で次の動作へ移る、つまり締めですね、これを忘れないようにする。あとはそれぞれの動きに隠された技の内容を頭にいれて、すべての表現をひとつひとつの形に反映させる。こんなところが当座の目標になりそうです。

 型のあとは、先日S呂君がBlogに書いた「後廻し蹴り」について。彼がこれまで考えてきた後廻し蹴りを見た上でその問題点を考え、それから師匠の後廻し蹴りを教わりましたが、その動きを知ってみると、これは決して蹴りだけのことに留まらないなあ、と感心してしまいました。
 もちろん蹴りとしては強烈かつ相手にこちらの動きが見抜かれないという、なんとも恐ろしい動きで、実際に体道の稽古のときに師匠の後廻し蹴りを背中に喰らったことのあるわたくしとしては、あまり受けを取りたくないような技でしたが、実際にやってるとこれがなかなか難しく、わたくしはもちろんS呂君なども四苦八苦しておりました。
 まあ最後のほうには少しコツを掴んできて、どうにか蹴られるようになりましたが、しかしあれは難しいです。足まわりに自信のないわたくしなんぞは余計にそうです。もう少し足を動かさなければなりません。
 ただ、その歩法自体は通常の攻防においても遣えるものですし、そこから派生して教わった横方向への移動の仕方、足の出し方、間合の詰め方などは実戦的で、こりゃ遣えるぞお、と嬉しくなってしまいました。よい収穫になったと想います。

 稽古はここで終了。内容としては型と後廻し蹴りがメインのような一日でしたが、実はわたくしにとって、本日のメイン・テーマは他にありました。いや、そうなりました、と云うべきでしょうか。
 裏部長の本日最大の収穫は、「其場突き」です。
 exclamation&question 
 驚かなくてもいいんですよ。別にふざけてるわけじゃないんですから。
 わたくしは今日、この其場突きに関してちょっとした収穫をしたのであります。

 教わった要点はふたつ。
 一つ目は、「腕(二の腕)の裏側を意識して突く」ということです。とかく少しでも腕力があって、腕の筋肉(力瘤が出るほうの筋肉)で突きが出せる人間は気づかぬ間にそちらのほうの力に頼ってしまって、ほとんど筋力で突いてしまうことがあります。現在のわたくしには若干その気がございまして、今日はまず師匠からその点について指摘を受けました。
 これからは腕の表ではなく裏側、引いたときに後ろへ向いているほうを意識し、その面が押されて肘が飛び出してゆくようなイメージで突くべし!! 
 二つ目は「拳の返し」です。これまではただなんとなく、最後に返すといったくらいの認識で突いてきましたが、これからは指の締めを意識して突く。それも、小指の締めはあまり意識せず、どちらかといえば中指を中心に拳をまわし、突きとしてきちんと成立するように突かねばならない
 拳の返しは中指基準!!手首は折らない!!

 其場突きに関して師匠より指導を受けるのは本当に久しぶりで、ちょっと驚いてしまいましたが、しかし実をいうと裏部長、最近とんとこの其場突きについて悩んでおりまして、家でも大学でもしっくり来ないんで常にクビを捻っていた次第だったのです。だから嬉しかったし、現にそのアドヴァイスを聞いてから突いてみると、これがアンタ、変わったの変わらなかったのって、大変ですよ(どっちなんだexclamation)。
 いや変わったのですグッド(上向き矢印)急に締まってきちゃいまして、勢いも出たように感ぜられました。ちょっとした意識の持ち様だけであれだけ変わるとは、稽古とはすごいものです。
 これからはこの基本中の基本、稽古の要ともいえる其場突きについて再度あらためて考え直し、取り組んでみようと想っております。いわば『其場突き再考』ですね。

 ・・・・・・アレ?今日はタイトルがなんか変だな。

 そう想われた方は正解。今日のBlogのタイトルは暗号のようなものになっております。文章を読めばだいたいのことは解りますが、これだけを見てその原文を思いついたひとは相当なアタマのやわらかさです。
 解読すると下記のようになります。

「祖」→そ
「英会話教室」→大手英会話教室といえば→NOVAだ!→のば
「月」→つき→突き
「最高」→さいこう→再考

 お粗末さまでございました。

 
 
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2007年02月22日

平常心

 こんばんは、久しぶりの連続稽古ですこし疲れている裏部長です。二月はかなり稽古日が不定期で、今週のように、数日連続して躰を動かすということが少なかったためか、ほんの少しだけグッタリとしております。気を引き締めねばなりません。

 今日は師匠が不在ながら、やはりきちんと稽古をして参りました。昨夜のBlogでもお知らせしたように、いつも使っている1001教室が室内清掃のために使用不可となり、師匠の申請により他の教室が宛がわれたわけですが、しかしこの教室がひどかったがく〜(落胆した顔)
 とにかく床が汚い!今までの比ではありません。埃や塵は当たり前、床全面がなにか粘着物でもへばりついてんじゃねえのかってほどにベトベトとし、稽古が終わったころにはわたくしをはじめ全員の足の裏が真っ黒になっておりました。ありゃ掃除してねえんじゃねえのかな、と思えるほどの汚さでした。
 しかし、そうかといって場所を替えるわけにもいかないので、どうにかこの教室で稽古をやってきたわけです。
 参加者は、昨日も参加の狗っちのみ。他はだれ〜も来ません。

 初めて入る教室で、なおかつ左様に汚いという不馴れな環境ながら、やはりこういったときは平常心ですね。一応はその汚さにリアクションは取っておきましたが、それはご愛嬌ということで、着替えてからは通常どおり躰を動かしました。
 基本稽古をひと通りやり、手廻しをし、其場でワン・ツーをしてから型。狗っちの「平安初段」を見て、思いつく限りのアドヴァイスをしました。
 後半は約束組手。今日は刻み突きとそれに対する受け方、さらにそこからの反撃を稽古しました。これはもう、わたくしというより狗っちのための稽古であり、さまざまな受け方とそこからの反撃を、本当にさらっとではありますが紹介し、彼もまたひと通りをざっと吸収してくれました。
 そんなことをしているうちに稽古終了。いやはや、二人ぎりの稽古にもすっかり馴れてしまいました。

 今日の稽古で気づいたことは、床は汚いがこの教室、案外天井が高いなあ、ということです。あの高さであれば、剣や杖が振れるかもしれません。
 あとは平常心exclamation×2これですね。場所が変わろうが相手が変わろうが、いつもの通り、自分のできる最高の力を発揮する。そんな当たり前のことを学んだような気がいたします。

 明日も稽古があります。同じ教室ですもうやだ〜(悲しい顔)門弟諸賢は気を引き締めてから来てください。
 裏部長でした。
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2007年02月21日

やっぱり、前へ

 こんばんは、裏部長です。明日から札幌ではなんでもスキーとかジャンプとかの大会が開かれるそうで、クロスカントリーではコースの途中に札幌ドームがあり、世界で初めてだという、屋内を経由するレースが展開されるそうでして、話題になっているとのことでしたが、知ってましたか。そういったウインター・スポーツとはほとんど縁のない裏部長はつい最近になって知りました。地元での国際的な大会ですから、盛り上がることを期待しておりますわーい(嬉しい顔)

 さてさて、今日もきちんと稽古をしてきたわけですが、どうも毎年この時期は教室内の設備点検やワックス掛けでドタバタとしており、事務と清掃担当者との連絡がうまくなされていないことがよくあります。今年もご多分にもれず、きちんと予約していたはずの教室がそういった理由で使えなくなり、明日からは違う教室での稽古となるそうです。どうにかしてもらいたいものです。
 本日の参加者は狗っちのみでして、そんないろいろがあったために稽古開始は午前十時半ころと、少し遅いスタートとなりました。
 基本稽古は受けまで。一週間も稽古がなかったためか、若干カラダが重く感ぜられました。
 移動稽古は追い突き、逆突きを丁寧にやりました。わたくしの、移動稽古における現在の目標は「きれいに動く」でございまして、約束組手なんかでやる勢い重視の突きではなく、いわば型のなかから抜粋したかのような、形としてきれいな突きを目指しておりますので、今日はそのあたりのアドヴァイスを師匠より頂きました。
 後半は体道です。まずは狗っちの日本伝天心古流拳法初伝上段之位十二本を復習し、そのあとでわたくしの復習を行ないます。今日はすこし趣向を変えて、狗っちの復習に関してはわたくしが捕りをつとめ、彼には受けの側に立って技を憶いだしてもらいました。こうした、見方のちがう稽古もまた難しいものです。
 わたくしのほうは通常通り行ないましたが、やはりまだ技の名前と内容が完全には頭に入っておりませんで、不甲斐ない限りでございました。栃木へゆくまでには完璧に入れておきたいと想います。

 稽古自体はこれで終了したのですが、終わる間際に、例によってわたくしから師匠へ質問をぶつけました。
 伺ったのは、以前からここでも書いております、腰を横回転にしない追い突き、あれについてでした。一度見本を見せていただいてからというもの、ずっと一人で工夫してみたのですが一向に光が見えず、悩みきっていたために、今日はその内容を思い切って訊いてみようと想ったのです。
 そうしたらあなた、大変な食い違いがありまして、そりゃ巧く出来ないはずだ、ということがわかりやすいほどに判明してしまいました。いやあ、訊いてみてよかったあせあせ(飛び散る汗)
 結局のところ、わたくしが考えていた「縦回転の突き」は、股関節をやわらかく使って折り、上から相手の懐へ突きを落としこむようにして行なうものであり、これは単に前傾姿勢になって倒れかかっているだけで勿論のこと宜しくはないわけです。しかし、印象としてのヒントがあまりなかったために、裏部長はそんな間違った動作のなかでどうにか光明を得ようともがいていたのです。
 しかし、実のところはもっとシンプルでした。つまりは、「全ての力は前方へ向けられるべし」という、最初のころから教えられてきたアレだったのです。

 上記の遣い方を修得するには、タオルを使ってやってみます。右手でタオルの先を持って、腕自体はあまり動かさずに腰の切り方だけでタオルを前へおくる。このとき、タオルが上から前へ行き、なおかつ前方へ伸びるようにするにはどうしたらよいか、その感覚こそが今後の突きに活かされてくるらしいのです(突きにおける腰の使い方と勢いの方向:下から、横から、そして上からの三つがある)。
 突きも蹴りも結局は前にいる相手へ向けるもの。そんな基本を改めて痛感した一日でした。

 稽古後、狗っちとふたりで昼食を摂りながらアクション映画について熱く語り合いましたが、彼も年齢のわりによく観ています。ことアクション映画に関しては裏部長よりも遥かに詳しいくらいです。感心してしまいました。
 やはり、好きこそものの上手なり、ですな。武術においても同じことのようです。

 さ〜て明日も稽古はございますが、師匠は不在です。なんでも朝は九時半から夕方は五時まで、長丁場の会議があるというので、とても出られる隙がないとのことでした。きっと明日は、そんな拷問のような時間と闘われることでしょう。大学の先生もラクではありません。
 しかし、稽古はやります。さっき書いたように、教室はいつもの1001教室ではなく、二号館の2102教室へ変更になります。門弟諸賢は間違わぬよう集ってください。
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2007年02月20日

見切っているのか、固まってるのか・・・・・・。

 こんばんは、裏部長です。明日から稽古があります。今週は水、木、金と、ひさしぶりに三日連続であるわけで、体力的になんとも不安な夜を過ごしておりますが、門弟諸賢はいかがなものでしょう。風邪など引いていないでしょうか。

 明日以降、おそらくいろいろと書くことが出てくるだろうと想うので、今日はあっさりと、先日感じたあることについて書いて終わりたいと存じます。

 あれは一月のことでしたが、友人といっしょに街へ繰り出しました。向こうは高校時代からの友達ですし、そのあいだに遠慮というものがありませんから、もう互いに行きたいところをそう云って、あちらこちらと歩き廻ったのですが、わたくしは体道のときに使う膝サポーターを買うために、よく行く武道具屋へと向かったわけです。
 お目当てのものを見つけてレジへ持ってゆくと、店主はそれが果たして幾らなのか、肝心なことをすぐに見分けられず、いちいちカタログを引っ張りだしては調べているので、会計をする直前に数分間のヒマができたのですね。
 このとき、果敢にも友人がわたくしへ襲いかかってきました。いや何もイヤらしい意味じゃありませんよ。ただ格闘ごっこのように、ふざけて、こちらの胸めがけて右手で突きを入れてきたのです。
 向こうはべつに武術の経験もなく、どちらかといえば運動をしないタイプの奴なので、だからこそあのときのような反応が生まれたのかもしれませんが、とにかくこのとき、わたくしは相手の動作に対して自分でも不思議に想うような対応をしたのです。

 それは「不動」です。躰をほとんど動かすことなく、手先で相手の拳を受け流したのです。
 たぶん、わたくしのなかでは、相手はまったくの素人であるし、親友でもあるし、ここは店のなかである、といった遠慮がちになりやすい要素が多くあり、また同時に、たとえ喰らったとしても大事ない攻撃であろうと瞬時に判断したからこそ、そのような動きを取ったのだと想っていますが、果たしてどうだったのか。もしかしたら突然のことに、ただただ身動きが取れなかっただけなのかもしれません。

 あのとき、動かなかったわたくしは、本当に相手の動きを見切っていたのか、それとも、ただビビッて固まっていただけなのか・・・・・・いまだに判然としない体内感覚ではあります。

 明日もこれまで通り、午前十時からの稽古になります。門弟諸賢は空手はもちろん、体道の用意も忘れずに。
 
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2007年02月19日

銃の前ではみな平等

 先日、ある一冊の小説を読了しました。筆者は深町秋生、タイトルを『ヒステリック・サバイバー』と云います。




 日本人の少年がアメリカの高校へ通っている。英語をどうにか使い、同級の男友達や、学校のマドンナ的美少女などとも会話を愉しみ、青春を謳歌している。
 そんなある日、学校内で、移民の生徒二名による銃乱射事件が発生。少年はどうにか一命を取りとめたが、友人たちのほとんどは死に、生き延びた仲間たちも、ひとりはその容貌をことごとく破壊され、またもうひとりはノイローゼのようになり、病院で自殺未遂をはかるような人生を歩む羽目になってしまう。
 精神的ショックから、少年は日本へ帰ってくる。こちらの高校へ転入し、着馴れない制服を着用して毎日を送る。
 向こうの年齢感覚からいうと途轍もなく幼稚に見えるクラスメイトたちやその生活に少なからず戸惑いは受けたが、それでも少年はなにごともなく日日を過ごす。気の合う友人もひとり得た。心の疵もようやく癒えかけてきた。
 と、そんなある日。少年はある「問題」を眼にする。それはこの学校内、いや、その地域全体に巣食っているある過去が原因の、陰湿な争いの一端であった・・・・・・。

 拳銃をひけらかしての大規模な争い、悲劇というものから比較すると、なんとも幼稚でスケールが小さく、日本人の哀しさを痛感するような対立構造がその学校内にはあり、それが最終的には、こちらでも拳銃を用いるという羽目にまでいたる大きな事件へと発展してゆくのですが、それから先のことは小説そのものの話になってしまうので、ここでは省略します。
 わたくしがこの小説を読んで感じたことは昨夜のBlogでも書きましたが、人間の無力さ非力さですね。拳銃という兇器を前にしたときの弱さ。日ごろから銃社会に住んでいない人間だからこそ余計にそう感じるのかもしれませんが、やはり拳銃というのは恐ろしいものです。
 同じように、学校内での銃乱射事件を扱った作品に、こちらは映画ですが、『エレファント』(アメリカ映画2004)があります。




 1999年に起きた米コロラド州コロンバイン高校の銃乱射事件をモチーフに、その経過を淡淡と、少し奇抜な手法で描いた作品で、わたくしもこの映画を以前に観たことがありますが、たいへん衝撃的な作品でしたね。なにぶんにもその静けさが恐い。フィクションらしさ、映画らしさという名の「嘘」があまり多用されず、ごく当たり前に出来事の経過をたどり、少年たちが拳銃を持って構内へ入り、次次とそこにいる人たちを射殺してゆくまでを描いているのです。
 こうしたリアリティ(現実)を垣間見ると、やっぱり拳銃と、そして人間そのものの恐さを痛感せざるを得ません。つい数分前まで、そこで普通に流れていた平和な時間―――恋人たちの会話、少女の健気さ、友情、希望、未来―――そんなごく当たり前のこと全てが一瞬のうちに血色に染まり、生徒たちの声にあふれていた構内はしんとして静まり返る。がらんどうの廊下に響くのは、銃声とだれかの悲鳴だけ。

 そんな人間の無力さを感じていたときに観たのが『日本沈没』(日本映画2006)でした。



 こちらは天災です。地球に住む全人類がみな平等に向けられる銃口のような天災を前にすると、われわれは本当に無力です。映画としてはあまり観るべきところのない作品でしたが、ふとそんなことに気づかせてくれる、そのヒントくらいは持ち合わせているように想われます。

 昨年の後半から、師匠からの話題を発端として札幌支部でも、実戦における護身の仕方などを考えるようになりましたが、それはほとんど刃物に対してのことであって、拳銃などを向けられたときの対処法はいまだ稽古しておりません。  否、そもそも素手の武術にそんな対策ができるのでしょうか。たしかに対拳銃の護身術を工夫している格闘技各派はあります。裏部長もそういった類の本は嫌いでないので、よく読んだりはしますが、しかしあれで本当にうまくゆくのかどうか、そう簡単に納得はできません。いくら巧く相手を制することができても、それは単にその設定状況においては可能だというだけであって、一発でも命中すれば絶命しかねない弾丸をふくむ銃口が数ミリでもブレれば技は不可能になってしまうのです。そう考えると、容易く拳銃相手の護身術なんて宣伝できるものではありません。

 ただ、純粋な武術修行という「道」に立ち返って考えてみるに、上記のような恐怖と覚悟を持っているという、そのこと自体が大切なのであって、こちらではかえって深く考えないほうが良いのかもしれません。未熟な裏部長にはまだ判断ができませんが・・・・・・。

 書いてるうちに何だかよく解らない話になってしまいましたが、とにかく拳銃は恐いト、そんな当たり前のことを痛感した裏部長でございましたト、そういうことでご勘弁を願います。

 明日からはもう少し武術的なことも書こうと想っています。
 裏部長でした。
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2007年02月18日

無力

 こんばんは、裏部長です。今日はつかれたバッド(下向き矢印)なにせ朝早くから起きて、DVDで映画を立て続けに二本観たのです。いくら映画好きでもこういうメニューはしんどいものです。
 一本目に見たのは、みなさんご存知、『日本沈没』(日本映画2006)でございます。
 細かいデータは省きますが、映画としてはあまり良くはありません。とにかくこの作品に限らずですが、日本映画はスケールを描くのがとてつもなく下手ですね。原作にあれほどの世界観があるのに、いざ映像に、となると急に小さくなってしまって、小国の弱小製作会社がハリウッドの真似をして同じような映画を撮ってみた、という感じになってしまうのです。
 まあ、感想はこれくらいにして、映画の質はこの際忘れるとして、裏部長が感じたのは人間の無力さ、そして愚かさですね。実は先日読了したある小説や、過去に見た外国映画などの印象もここへ絡まってきて、「人間って、なんて無力な生き物なんだろう」としみじみ想ってしまったのでした。
 その小説とか過去の映画とかの話はまた後日ここに書こうと想っています。今日はとりあえず、かなり身近な近況報告だけにとどめておきたいと想います。

 あっという間に二月も終わってしまいます。明日からの一週間、わたくしも無駄なく過ごしてみたいと想っております。
 すこし短いですが、今日はここまで。裏部長でした。
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2007年02月17日

蹴りの選択

 こんばんは。夕食に、三時間もかかるフランス料理を食べてきた裏部長です。今日はべつに何かの記念日でもなんでもないのですが、家族と話しているうちに、「たまにフレンチでも食べたいねえ」なんて話になり、結局、自宅の近くにある札幌パーク・ホテルの一階にあるレストランへ行ってきましたわーい(嬉しい顔)このホテルは歴史のあるところで、天皇皇后両陛下が札幌へ来られる際にはかならず宿泊される定宿にもなっているくらいです。ただ、自分たちからしてみれば近所にある古いホテル、ってなもんですから、とてもとても気安く、ジーンズ姿で喰ってきました。
 正直いって、疲れたふらふらだって、喰い終わるのに三時間以上かかったんですよ。こりゃ誰でも疲れます。アミューズから始まってオードブル、パスタ料理なんぞを挟んでから魚、そして肉料理へとコースは進むわけですが、もうひと皿喰い終わってから次の料理の出てくるまでが長い長い!会話のネタも尽きてしまいます。
 とはいえ、料理自体はたいへん美味しく、家族六人、おひとり八千円のコースをじゅうぶんに堪能したのでありました。
 めでたし、めでたし手(チョキ)

 さて、久しぶりにS呂君が書き込みをしてくれました。一週間ほど大学での稽古がないというので、彼も自主稽古を重ねているようです。
 後ろ廻し蹴りだとか飛び蹴りだとかいう種類は別としても、わたくしも最近になってようやく蹴りというものの難しさを感じるようになりました。これはS呂君もそうだと想いますが、約束組手のなかで蹴りをつかうことの難しさ、あれですね。日ごろ基本稽古でくりだしている前蹴りや廻し蹴りが、動く相手を追いながらではなかなか巧く出すことができない。間合がたいへん難しいのですね。あれは実際にやってみるとよく解ります。

 わたくしなんぞはもともと足も短いですし、空手そのものの経験もまだ三年ほどしかありませんから、どんなに発展的な約束組手をしていても、蹴りはほとんど使いません。もっと云えば出そうともしておりませんで、もっぱら突きや打ちをどのように出せば効果的に相手を追い込めるか、こちらのほうに意識を集中しているのですが、S呂君は過去、競技のほうでやっていたころはよく蹴りを多用していて、現在でもその感覚が躰のなかに残っているようです。また足も口惜しいくらいに長いですからね。あれを効果的に使えたらたいへんな攻撃力になるでしょう。

 ただ・・・・・・やはり蹴りは難しそうです。それはおそらく、今後の稽古でさらに痛感することでしょう。なにせ、本格的な蹴りの稽古はこれから始まるのですから。
 わたくしもウカウカしてはいられません。自分もある程度は蹴りを修得せねばならないし、ましてや体格的に有利なS呂君などの強烈な蹴りに負けぬよう受けのほうでも精進せねば、なにぶんにも向こうには流派は違うといえども長年の空手経験があるのですから、あっという間に置いていかれてしまいます。今でこそ札幌支部でのキャリアということで「裏部長」などと名乗って大きな顔をしておりますが、実力では下のほうですからね、わたくしは。後輩たちに比べても、ここまで不器用な門弟は札幌支部にはおりません。
 彼らはみんなライバルです。負けないぞお、という気持でこれからも頑張ってゆきたいものです。

 せっかく書き込んでくれたS呂君につづいて、他の門弟諸賢もどんどん書き込んでください。もっと賑やかな、そして愉しげな雰囲気をこのBlogに与えてください。
 裏部長でした。
posted by 札幌支部 at 23:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2007年02月16日

一本でも追い突き

 こんばんは、裏部長です。今日も例によって大学での稽古が休みなので、自宅でひっそり自主稽古です。狭いマンション暮らしですから、そう大きな動きはできないもので、自主稽古といってもメインは基本稽古と武術的筋力トレーニング、あとは階下の住民の動静を伺いながらの、ささやかな移動稽古があるばかりです。それほど体力は消耗されません。
 ただ、最近は移動や約束組手における「追い突き」に新たな悩みが出てきているため、精神的にはいくぶん消耗している感はあります。これまでの横回転の腰づかいから縦回転へ、という、先日来このBlogでも書いてきた技術の移行でございます。これが殆どまったくと云ってよいほど巧くいっておらず、毎日ひとりで追い突きを稽古しては、頸をひねる日日を送っております。

 前にもここで書いたように、躰のなかに縦方向の回転力を生み出してそれを突きにのせる方法を実際におこなうには、そうした動きを出さないと突きが突けない状況にあえて我が身を追い込む、簡単にいえば横回転を封じて追い突きを出してしまうのがよい・・・・・・というような計画を立てて今も裏部長は工夫をしているのですが、どうもピンと来ません。股関節の柔らかさ、その曲げ具合などがまだきちんと掴めていないためでしょうが、もしかしたら根本的に間違っているのかもしれません。
 自分のなかのイメージとしては、その追い突きを突いたら、止める暇もなく二本目(左手)が出てしまう、その速度が頭のなかに残っています。
 あの速さとタイミングを常に念頭において、明日もまた追い突きに励みたいとおもいます。
 早く稽古でつかってみたいな〜。

posted by 札幌支部 at 23:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2007年02月15日

かるい刀としなる竹

 どうも、こんばんは。裏部長ですよ。昨日は本州のほうでも春一番を観測するほど風がつよく、札幌でも、二月としては観測史上最高の風速を記録するほどの荒れ模様で、今日はどうにか平穏に過ぎたものの、明日にはまた大いに雪が降って、雪かきをしなくてはいけない人は腰に負担のかかる一日となりそうです。裏部長はマンション暮らしなのでその点はまったく心配いりませんが、たとえば師匠のお宅など大変なのではないでしょうか。大学へゆくにも、車を出すにもまずは雪かきということになってしまうのですから、これほど鬱陶しいことはありません。

 ああ、そういえば雪かきで憶いだしましたが、去年か一昨年かの冬に師匠が、稽古前にご自宅で雪かきをして来て、そのために少し腰を痛くした(筋肉痛だと思いますが)、という日がございました。師匠も北海道に来られてまだ間がありませんからね、雪かきには難儀をしておられました。
 そのときの腰の容態はもうお爺ちゃんのようなもので、とにかく曲げただけで痛い。そんな状態を目の当たりにしますと、われわれ門弟たちもたいへん心配になったのですが、これが稽古をはじめてみるとアラ不思議!其場突きをしようが前蹴りをしようか、痛くも痒くもないというのです。
 もちろん痛みが薄らいだとか治ったというわけではありません。現に、稽古の合間にカラダを曲げてみるとそのたびに痛い痛いとおっしゃておりましたから、腰自体は悲鳴をあげていたわけです。
 しかしそれでも稽古はできるのです。おもしろいものですねえ。稽古の不思議さ、空手の特殊性を感じた出来事でした。

 稽古、ということで云いますと、久しぶりに栃木のI師範代がコメントを書いてくだすっております。お忙しいなか、ありがとう存じます。
 たしかにたしかに、どんな苦しかろうと悩ましかろうと、稽古をしている、出来ているということ自体はとても貴重なことで、たいへん愉しいことだとわたくしも思います。ただ長く続けていると、そんな単純なよろこびをどこかで見失ってしまって、とにかく技の精度を上げるんだ、とか、目標の諸先輩方に追いつくんだ、とか、そんな上ばかりを見つめた姿勢のみとなってしまい、あの、師匠の研究室で体道や空手の初歩を習っていたころの初初しさやドキドキ、新鮮な感動すらも忘れて、稽古をするということ自体が目的のようになりがちなのです。現に最近のわたくしがそのようになっていると想われます。
 ただ、諸先輩方の姿はもちろんのこと、このBlogを通して、奈良のM田先輩や明石のT相談役からさまざまな叱咤激励を受けて、少しづつ裏部長の心中も変化をしてきております。黒帯を締めて、さあこれからが本番だ、という段階に来ているからこそ、もう一度あのころの気持を取りもどして、新鮮な心持で稽古に励みたいと願っております。
 個性に関してもそうで、違いや差というものを個性と受け止めることがまだ現在の自分にはできていないような気がいたします。おそらくそこには「恐さ」があるのでしょう。たぶん、これに関しても徐徐に馴れてくるものと考えております。
 何はともあれ、I先生、書き込み、ありがとうございました。

 さて、今日は稽古もないですし、特にこれといって書くべき内容もないので、武器に関してちょっと想ったことを二三書いておきます。
 ひとつは日本刀に関してです。最近わたくしは昔のTV時代劇で『若さま侍捕物帳』というものを見ておりまして、






 もちろん過去に録画したVTRをヴィデオ・テープで見ているのですが、このなかで主人公のつかう刀の斬り方がとても軽く、それゆえにすこぶる速く見えるのです。
 その主人公を演じているのは、あの田村正和さんです。かなり若いです。
16.jpg
 ご覧になったことのある方はフムフムと頷かれることでしょう。
 田村さんは他の時代劇でもそうですが、実戦的な刀法よりも、いわば舞っているかのような華麗な殺陣をモットーとしておりまして、わたくしもそれ自体はたいへん結構なことだと想っておりますが、これがですね、いざ刀で勝負!ということになると綺麗に見えるんです。ただですね、その殺陣を木刀でやる、ということになると、たちまち不恰好で、小学生が教室そうじの合間にホウキの棒でチャンバラごっこをしているような有様になってしまうのです。
 今日見た回にもそんなシーンがありました。北町奉行の中村梅之助さんと田村正和さんが道場で木剣をあわせるわけですが、もうその打ち合いといったら、まったく重みのない掠れ合いで、見ていてなんだか情けない心持になっちゃったほどです。ふざけてないでちゃんとやれよ!と野次を飛ばしたくなるほどでした。
 しかし、そのときとほどんと同じ具合の勢いで、今度はラストの大立ち回りのシーン。刀を抜いて、打ちかかる敵をバッタバッタと斬り倒してゆくという場面では、おそろしく速く、そして強く映えたのですねえ。これがどうも腑に落ちないというか、不思議に思えて仕方ないのです。
 もしかしたら木剣のシーンを弱めにし、ラストを盛大にしてそこに差を設けたのかもしれませんし、その違いが木剣と日本刀の違いなのだ、と云われればグーの音も出ませんが、しかしもしそうだとしても、果たしてあんな軽い感じの刀の使い方でひとが斬れるものでしょうかねえ。云うまでもなく、時代劇の殺陣と実際の剣術はおおいに違いましょうが、もしあれを実際のほうへ移植してみたとして、かる〜い刀の振り方で人間が斬れるものなのでしょうか

 ふたつめは中国武術です。わたくしの好きなアクション映画に、ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』というシリーズがあって、そのなかでも副題に「天地大乱」という名のつく作品(香港映画1992)を贔屓にしております。






 主演はご存知、ジェット・リー(当時は「リー・リンチェイ」)。実在の人物・黄飛鴻とかれを取り巻く仲間たちが激動の時代を生き抜く、といった内容の映画で、全篇ワイヤー引っ張りダコの作品でございます。
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 この「天地大乱」のなかでわたくしが最も好きな場面は、主演のジェット・リーと敵役のドニー・イェンとの、棒をつかった格闘シーンです。大きくわけて中盤とラストに二回出てきますが、これがもう凄まじい攻防で、中国武術でよく使われる、あの撓る棒がもうブンブン鳴ってたいへんです。日本もこれくらいのアクションを普通にできるレヴェルに早くなってもらいたいものです。
 これに関してはべつに疑問というものはありません。ただ凄いなあ、と想っただけで、頸をかしげるとしたら、日本の武具(日本刀や樫の杖・棒)でこのような撓る武器に対したとき、どのような工夫が必要になってくるか、それくらいのものですね。基本的に、向こうがそう来るならこっちはこう行くぞ、という風に、武術では常に工夫と研鑽が重ねられますから、実際に闘ったとしてもこれといって問題はないのでしょうが、果たしてどんな闘いになるのか、一度見てみたいものです。

 なんだか取りとめもない話ばかりを書いてしまいました。無計画に書くといつもこんな文章になってしまいます。
 明日からはもっとスッキリとした内容を心がけますわーい(嬉しい顔)
 裏部長でした。
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2007年02月14日

空手は難しいなあ。

 こんばんは、裏部長です。現在の北海道はたいへんな荒れ模様で、気温こそ低くはないものの、凄まじい風雪が唸りをあげて家の窓を叩いております。傘なんか差せない状況ですね。車を運転しているS呂君など、十分に気をつけてもらいたいと想います。

 さて本日は今週最後の稽古日でございまして、案の定、師匠は会議のため欠席ということになりましたが、どうにか我我だけは教室をあけて躰を動かしてくることができましたので、そこんところをざっとご報告したいと思います。

 稽古開始は午前十時過ぎ。参加者は狗っちにS呂君、そして数日来心配をしておりました部長の三人。部長は寝坊したのか、若干ボォとした感じで、稽古終了十分前に到着しましたが、せっかく来たのだからと時間を少しばかり延ばして、約束組手をやってもらいました。来ていきなり組手というのもシンドイ話ですが、そこは何といっても部長、なに喰わぬ顔で全うしておりました。
 稽古の方はと云うと、基本稽古をひと通り(其場突き、前蹴り中段・上段、受け四種、廻し蹴り中段・上段、刻み突き・二連続、裏拳打ち・前方へも裏拳打ち、横蹴り、手刀打ち、後ろ蹴り)、手廻しをやってから、S呂君は型「安南硬」の復習、狗っちは体道のほうで、日本伝天心古流拳法初伝上段之位の復習をおこないましたが、いかんせん開始したのがいつもより数十分遅かったため十二本をすべてやる余裕がなく、仕方なく一本目の「颪」と彼の不得意な「振込」「双手返」の復習をやって終えました。
 
 S呂君の型に関しては、後方へ畳み込むように繰りだす追い突きから外受けまでの連続した動きや、中段へ立て続けに出す逆突き・順突きのときの腰遣いなど、いろいろと思いつく要所を指摘してみましたが、しかし彼も長年の空手経験がありますから、たとえば四股立ちになるところなど、傍から見ていても驚くほど正確に、そして綺麗に動きます。感心をしてしまいました。
 狗っちに関しては、左腕に傷をこさえている上に、なんだか急かすようにして復習をさせてしまったので、あまり身につかなかったのではないでしょうか。時間配分はわたくしの任でございましたから、この責任は裏部長にあります。ごめんなさいもうやだ〜(悲しい顔)

 後半は約束組手。ローテーション方式で中段追い突きをやっている途中で、久しぶりの部長が合流しました。これまでの音信不通はべつになにか異変があったわけではなさそうで、ケロッとした顔で動いておりました。彼らしいとしか云いようがありません。
 組手の最後にはわたくし、裏部長が受けを担当し、あとの三人にそれぞれ突いてもらいました。追い突き、そしてワン・ツーもやりました。
 今日の稽古内容はたぶんに栃木での稽古を意識したもので、おおよそ向こうで行なわれている内容をカヴァしたつもりです。やっていないのは移動稽古くらいなものでしょう。本当に“ひと通り”といった感じです。

 稽古終了後、みなで学生食堂へ。昼食をとり、外へ出ると師匠の奥様と六代目がちょうど通り過ぎられるところで、奥様にはお声をかけていただきましたが、なにぶん突然お会いしたためにわたくしも瞬時に言葉が出てこず、なんだかぶっきら棒で無愛想な受け答えをしてしまいました。奥様、申し訳もございませんもうやだ〜(悲しい顔)もうやだ〜(悲しい顔)せっかくお声をかけてくだすったのに・・・・・・。


 帰宅後、今日は妙な気持に襲われました。つい先刻やってきた稽古を振りかえって、しみじみ、
ああ、空手って難しいんだなあ
 と想ったのです。
 今までは空手というものに興味や、稽古のなかで新たな技を教わったり、躰の使い方を教わったり、「こんな動きであんな威力が生まれるのか!」と感動したことはあっても、その全体像を見て、「こいつは難しいぞ」と感じたことはありませんでした。何も空手をカンタンだと思っていたわけではありません。こんなの、自分だったらすぐにマスターできると自惚れていたわけでもありません。その証拠に、このBlogを見ていただくとお判りになるように、裏部長は何度も壁にぶちあたり、う〜ん出来ない!と頭を悩ましてきた歴史があります。おそらく他の門弟諸賢にも同じくそんな過去があることでしょう。
 ただその度に、新たな感動や微かな成長がわたくしのこのちっぽけな背中を押してくれていただけで、常に、と云ってもよいほど、これまでも「空手は難しいなあ」と思ってきたのです。だから、今日ふいにわたくしの心のなかに湧いたこの一文は果たして、今までも感じていたことが本当に不意なきっかけでもって噴出したのか、それとも何かほかの理由でそう感じたのか、当の本人にはまったく判然としません。どうしてこんなこと感じたんだろう・・・・・・?

 考えられることといえば、「目標」と「比較」でしょうか。これまでの漠然とした目標ではなく、たとえば突きや受けなどの具体的な動作において、師匠や諸先輩方の動きを観察し、それを自分でもやってみようとする。しかし無論のことすぐには出来ない。出来ていない自分の動きと師匠らの動きを比較する。と、そこにはっきりとした差が見えてくる。一度、実際に真似て動いている経験もあるためか、その差は自分にとって凄まじく大きなものに感ぜられて、その挙句が、
ああ、やっぱり空手は難しいなあ
 という溜息のような、嬉し泪のような一文になって露出したのかもしれません。これはこれで、とても新鮮な感慨でした。

 もしかしたら、黒帯を取ってからの稽古はそんな「難しさ」を痛感する道のりなのかもしれませんね。これまで単純に感じていた愉しさや面白さを覆い隠すほどの、武術としての空手の「難しさ」を痛感して乗り越える・・・・・・そんな修行が始まっているのかもしれません。

 今週は今日で稽古終了です。次回は来週の水曜日。つまり一週間、稽古はありません。
 二月も半ばとなり、インフルエンザの季節となって参りました。体調にはこれでもかというほど気をつけて、日日の生活を暮らしてゆきましょう。
 裏部長でした。
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2007年02月13日

ヨォッ、筋肉痛!

 こんばんは、乾燥肌の裏部長です。昨日でさっぽろ雪まつりも無事閉幕し、今日はその雪像の解体作業が行なわれました。あんな風景を見るために、観光客のひとたちは今日のあの寒空の下、大通り公園へ集っていたそうです。
 今年は昨年にくらべて十万人以上もの来場者があった、とニュースでやっておりましたが、その中にはわたくしも師匠も李自力先生も入っていることでしょう。裏部長は今度のような機会でもない限り、全くといってよいほどこのイヴェントへは足を向けません。おそらく札幌に住むほとんどの人たちがそうでしょう。地元というのはそういうところです。
 ですから、今年は実に十数年ぶりに雪まつりを体験したわけで、これも李先生のお蔭です。有難いことでございます。

 さて、明日はいつものように午前十時から稽古がございますが、今日はそれに向けて連絡事項のようなものを二三、書き連ねて終わりたいと想います。

 まず、先日来ここでも訴え続けていることですが、部長よ、連絡をください。なにもわたくしとあなたは級友でも恋人同士でもないのですから、それほど密に連絡を取りあう必要はないかもしれませんが、ここんところ稽古へも顔を出さず、メールを出しても返信がありませんので、たいへん心配をしております。元気ならそれで良いのですが、できれば何かしらのアクションを起こしてください。お願いします。

 それに、前に奈良のM田先輩のご質問にあった筋肉痛ですが、現在裏部長の躰においては、両方の脇から背中にかけての部分に若干の張りが感ぜられます。おそらく突きのせいでしょうが、よく筋肉痛を得る箇所でもあります。
 まあ、だからといって何だというわけでもないのですが、思い出したのでご報告まで。

 それでは、また明日。今日のような寒さにならぬことを祈って・・・・・・。
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2007年02月12日

一本に絞る!

 こんばんは、裏部長です。今日の札幌はおかしな天気で、晴れたり吹雪いたりの連続でした。つい先刻までは眩しいほどに晴れていた空が、数十分もすると、向こうが見えなくなるほどの猛吹雪になって歩行者たちを襲います。斯くいう裏部長もその襲われた人間のひとりでして、いやあ大変な目に遭いましたもうやだ〜(悲しい顔)

 さて本日は昨夜のBlogでもお伝えしたように、振替休日ということで祝日ではありますが、札幌支部ではきちんと稽古をしてきました。参加者はわたくしの他に、S呂君、師匠、そして師匠の奥様とご子息(愛称:「六代目」)という、なんとも珍しいメンバーでございまして、やはり無垢な視線があったためか、稽古自体もたいへん和やかに進みました。
 メニューとしてはまず、空手の基本稽古をひと通り、手刀打ち(内・外)、其場でワン・ツー、手廻しをやり、それから体道へ移りました。
 この春休み期間中はその稽古日程がバラバラであるため、一週間のうちでたった一日しかない体道稽古も満足にできない状況が生まれてきます。それを補うために今日のような、半分体道、という形態を取ることにしたのですが、本日参加のS呂君はほとんど体道の稽古をしていない空手専修者なので、このときはわたくし裏部長の受けを取るという、一方的な役回りに徹してもらいました。
 裏部長はすでに十二本を習い終えている浅山一伝流体術下段之位を一本目から順順にやりました。しかし久しぶりであったためか、もしくは相手が自分より背の高いS呂君であったためか、なかなかスムースに行かぬ箇所があり、その都度工夫をして前へと進みました。札幌支部ではなかなか自分よりも長身の人間に体道で対することがない裏部長にとっては得がたい時間でした。

 後半は型と約束組手。
 型はS呂君と共通の「安南硬」です。わたくしは内容の復習と、先日師匠から指摘された【視点】を意識して打ちましたが、若干後ろへもどる歩幅がつかめず、終了のときの立ち位置がきれいに開始のところへ合いませんでした。あれはおそらく、後方へのもどりが足りないのではなく、前方への進みが大きすぎるのでしょう。徐徐に調整してゆこうと想います。
 最後は約束組手です。突いた人間が受けにまわるローテーション方式で、まずは中段追い突き、そのあとに刻み突きを稽古しました。
 わたくしの本日のテーマは「一本に絞る」です。どうにか少しばかし動けるようになり、またそれに合わせて諸先輩方の動きを真似するようになってからは、このような場面で師匠などへ突きを繰りだすとき、わたくしは一寸ほどの遠慮もなく、二本、三本と出せる限りの突きや打ちをぶつけてみることにしておりましたが、先月の稽古で、“縦回転の突き”を教わってからというもの、その意識がすこし変わりました。いや、基本に帰った、というべきでしょうか。何本も突くのではなく、たった一本の精度を上げる。この稽古に終始しようと想ったのです。
 師匠やS呂君を前にすると、やはり一人稽古では感じられなかった間合や距離感が生まれてしまい、戸惑うばかりでしたが、実際にこうして相手へ突いてみるといろいろな問題点も見えてきて、今日はたいへん有意義な約束組手だったと思います。
 ただ、やはり難しいですねえふらふらこれまで腰を横方向へ回転させて突いていたのをやめて、股関節あたりに縦回転の力を生みだす・・・・・・理屈ではわかっていても実際にはそう易易とできないもので、今日もほとんど納得のゆく一本が出ませんでした。これからの大きな課題になりそうです。

 余談ですが、わたくしどもが師匠のご子息を「六代目」と呼んでいるのは、六代目の祖父にあたる現師範が日本武術研究所空心館の四代目所長であり、まあ順当にゆけばウチの師匠が五代目を継ぐだろうト・・・・・・ということになれば、これまた当然の流れで、そのご子息が六代目ということになる・・・・・・とまあ、そんな他愛もない冗談のような呼称なのですが、すでに門弟各人にはすっかり行き渡っているようで、みんなこの名で呼んでおります。
 今日の六代目はとても活発元気で、体道のときに、わたくしが師匠やS呂君を投げ飛ばしているその傍でいっしょになってマットの上へ受身をとるという一幕さえあったくらいです。すでに自由にあちらこちらを歩き動いて、わたくしどもが型を打っているときには師匠とともに、たいへん真剣な目でもってその動きを審査しておりました。
 師匠曰く、稽古へ参加できるのは三歳くらいからだ、ということですから、あと二年ほど経ったら、この教室のなかに六代目の姿があるかもしれません。いやあ、今からその日が愉しみですなあわーい(嬉しい顔)

 今週の稽古はあと水曜日に一回あるだけで、木・金はありません。カラダの鈍っている門弟諸賢はぜひにも参加してください。

 えー、部長。どこで何をしているのでしょうか。最近まったく音沙汰がなく、一同心配をしております。生きておりましたら、このBlog内でもいいので、反応をしてください。

 
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2007年02月11日

想像

 唐突ですが、みなさんは日頃の生活のなかで、ついつい想像をしてしまうことってないですか。「創造」じゃありませんよ、「想像」です。とてーもとても低俗なことでいいんですが、例えば会ったひと、例えば道端に転がっているゴミ、そんな特別ではない色色なものを見て、ふと変なことを想像することはないでしょうか。

 わたくしは最近よくそんな想像をしております。イヤらしい意味ではありませんよ。小説なんぞを書くようになってからは、例えば稽古へゆく道すがら、目に入るすべての事物がインスピレイションを生み出してくれるようになったので、そりゃもうのべついろんなことを考えております。
 ある日、あれは落語を聴きにいった夜のことですが、混雑している地下鉄のホームで、わたくしの前をゆく中年のサラリーマンが、並んでいる列の最後尾にいた少しイカつい、明らかにガラのよくない兄ちゃんの肩へどんとぶつかりました。おそらく急いでいたのでしょう、そのサラリーマンは謝りもせずそのまま階段を昇っていってしまいましたが、そのときの兄ちゃんの顔が凄かった。まるで格闘ゲームのキャラクターを実物大に再現したかのような凄まじい表情で去ってゆくサラリーマンを睨みつけていたのです。
 多分あれば彼の性格でしょう。つまり、その相手がどんな人物であれ、自分のカラダに何かがぶつかれば、とにかく条件反射的にその方向を睨む。相手が近くにいてそれに気づいたら、更なる攻撃を仕掛ける。そんな兄ちゃんなのでしょう。
 しかしなあ・・・・・・そのときの相手が弱弱しいサラリーマンのおじさんで、しかもすぐに立ち去ってくれたからよかったものの、見るからに勝ち目のないような、当の兄ちゃんよりも強力なマフィアの首領みたいなひとが子分衆を何人を引き連れているところだったりなんかしたら、あの彼はどうしたでしょうねえ。おそらく、反射的に睨みはするものの、すぐに萎えて、そして愛想笑いでもするのかな?でも相手のほうは許してくれなくて、そのまま頸根っこ掴まれて地上まで引っぱっていかれて、ビルの谷間でその表情が読み取れなくなるまで顔面を殴られちゃうのかな?
 そんな想像を、裏部長はかれとすれ違うたった一瞬の間に行なったのでした。

 TVなんかを見ていてもそうです。さまざまなジャンルの番組にいろいろな類の人間が出ておりますが、そんな彼らの活躍の、その裏側を想像して遊ぶのもたまには面白いものです。
 アイドルが、タレントが、歌手が、たま〜に慌てたり、急に大人しくなったり、あたふたしたりするのを見ながら、「ああ、こりゃ何かあったな」と勘繰りつつ見ていると、それだけで愉しく、またそこから小説のネタも拾えてくるというものです。
 ただ勿論これらはすべて想像ですから、事実とは限りません。なかにはそんな想像を「妄想」にまで膨らませて現実との境を失い、ついには犯罪に走ってしまう輩がおりますが、そのあたりのことはきちんと大人として自覚をし、あくまで想像の範囲で愉しむ必要があります。
 ま、裏部長が日頃ひとりで本当はどんなことを考えているのか、そこんところのことはみなさんのご想像にお任せします。

 さて、明日は振替休日で一応は休みですが、稽古はございます。祝日に稽古をするのは相当久しぶりのことですが、今週は木・金の稽古がなく、また水曜日の稽古も師匠が会議でどうなるか判らんということなので、明日はもしかしたら師匠も含めてきちんとできる、今週唯一の日となるかもしれません。
 先日ここにも書きましたが、今後は空手と体道の両方の用意をして来てください。その日のメンバー次第でいろいろとメニューを決めます。
 それではまた明日に。裏部長でした。
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2007年02月10日

その眸はなにを見ているの?

 こんばんは、裏部長です。なんだかんだと云っても、裏部長の書くBlogはいつもとても長いので、たま〜にこんな風に短く、あっさりと書いてみるのも良かろうと想い、今日はそんなお試しの回です。
 昨夜の【視点】の話を引っぱるわけではありませんが、人間、その目が開いている以上、視線というものは生まれます。誰かと対するとき、その視線は相手へ向けられ、そしてそれは自然と「表情」になります。
 視線は目、目は表情なのです。
 
 これは、すでにこのBlogでも数度ご紹介をしている画家、早川剛さんのスケッチ絵です。映画『同じ月を見ている』からの依頼がきっかけで最近の画風になられる前はずっと人物を描いていたという同氏の、そのスケッチ絵のなかでもわたくしが一番好きな作品です。
 こんな表情をされるとドキンとしてしまいます。その目がこちらの心のなかまで見据えているようで、その視線がなにかを憂いているようで、いつの間にかちょっぴり淋しい気持になります。
 だから知らず知らずのうちに問いかけてしまうのです。どうしてそんな悲しい目をしているの、って。
 君のその視線の先には、本当は何があるの?って。


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2007年02月09日

「視点」

 こんばんは、本日24歳になった裏部長です。学生のころは、もう24歳なんていうと大人というか社会人というか、自立したひとりの人間として認識せざるを得ない年齢として感じていましたが、実際になってみると、そんなこともありませんね。まあ、そう感じないのは、そんな理想像のように自分自身が成長していないからで、本当ならば情けなく思うべきところなのでしょうが、しかし裏部長、今は今で、この生活に満足しております。なーんも、誰がなんと云おうと自分の生き方ができればいいのです。
 最終的に勝てばそれで良いのですから。

 さてさて、そんな今日は今月初の稽古でして、久しぶりの午前中でございました。参加者はON改め狗っちのみ。冒頭、先日の李先生との交流会についていろいろと談笑をし、それから稽古を開始しました。
 基本稽古はひと通り。今回が初栃木である狗っちのために、こちらではあまりやっていない手刀打ち後ろ蹴りもやりました。本部などでは行なわれていて、札幌支部でやっていないものに、気合がありますが、これはぶっつけ本番でどうにかなるでしょう。
 後半は型。狗っちはもう数箇月間も「平安初段」をやっているので、そろそろこれを終わらせて次へゆき、栃木では「平安三段」を披露できるようにしておこう、というわけで、彼は「平安初段」のチェック。裏部長はその端っこで「鷺牌初段」ならびに「安南硬」の復習です。
 狗っちは猫足立ちなど、細かい方向転回のところで少し難儀をし、そのつど指導を受けておりましたが、わたくしのほうは大変重要なことを指摘されました。
 それが今日のタイトルの、【視点】です。
 
 視線、ではなく、【視点】です。なんとも微妙なニュアンスですが、ここには大きな違いがあります。
 これまでの型稽古では、今日狗っちがやっていた平安シリーズからしてすでに、目線(目付)ということを云われてきました。つまり、その動作はどの方向からどのような攻撃を仕掛けてくる相手に対して行なう技か、それを理解し、その方向をきちんと見る、というものですね。相手が来る、まずそちらを見る、それから動き出す、この一連の流れをわたくしも相当前から教えられてきました。
 ですから、この目付や視線については左程に問題はないのです。一応、三年くらいやっていればそのあたりのことは知らず知らずのうちに沁み込んで、どうにかこうにか出来ていたのです。
 ただ、まだ【視点】が定まっていません。この場合の【視点】とは、上記の視線や目付のような、単純な顔の向き、目の向きとは異なり、相対する敵へきちんと意識を向け、その相手の発する動作に応じて動けているか、という、大変細かい要素なのです。
 まあ確かに、現在稽古しているふたつの型は、どちらも習ってから日が浅く、今日もその内容を「これで良かったかな」と確認しながらやっていたため、自然と【視点】が定まっていなかったとも云えましょうが、しかしこの師匠のご指摘にはわたくしもドキッとするところがあり、今後努めて改善してゆく必要を感じました。

 裏部長は視力がたいへん低く、稽古中はメガネを外して動いているため、視界があまり良くなく、またこれは性格的なものも関係して、あまりこうジィーと相手の目をみて話をするということの出来ない人間なのです。シャイ、といえば聞こえが良いですが、傍目から見ればただの挙動不審なひとですから、最近はどうにかそれを直そうと、意識的に相手の目を見て話すようにはしております。
 この点がおそらく型における【視点】にも響いてくるような気がします。そこへ架空の敵をしかと見据えて受け、そして反撃をする。型のなかでも相手の目を見られるように、これから工夫したいと想っております。

 稽古後、これまた久しぶりに学生食堂へゆき、師匠もふくめて三人で昼食をとりました。こういった午前中の稽古があるときは必ず、こうして昼食をとるのが毎度のコースで、空心館に入ったばかりの頃は、この昼食時に想いつく限りの質問を師匠へぶつけて、自分の武術的知識を増やしたものです。
 いやあ、今日は懐かしかったなあ。

 来週の稽古は、月・水のみで、木・金はありません。これからは結構バラバラの日程になるので、門弟諸君はじゅうぶん気をつけてください。
 尚、次回からは、その日の参加メンバーによって、体道をやったり空手をやったりできるよう、その両方の準備をして来てください。まあ、ノートと筆記用具を持ってくるくらいの違いですがね。
 それでは、月曜日に会いましょう!
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2007年02月08日

立ち向かうひと

 こんばんは、裏部長です。またも早川剛さんからコメントがありましたわーい(嬉しい顔)有難い限りです。あまり脈絡もなく載せることはできませんが、今後もなにか機会のあるたびに、早川さんの絵をアップしてゆきたいと想っております手(チョキ)

 さて、昨日はこのBlogでも告知をしていた通り、ちょっとしたイヴェントに参加してきました。まあイヴェントといっても、参加しているのはすべて知っている人ばかりで、云うなれば内輪の、家族会議のようなスケールでした。札幌大学の六号館、パソコンなどの設備が充実している建物の五階にある6503教室にて午後二時から、なんとたった一度の休憩を挟んだだけで、あっという間に五時過ぎの夕闇を迎えた、小さいながらも奥の深い李自力先生のお話を少しだけ、ここにご紹介いたしましょう。

 イヴェントの中心は、映像です。最初に過去のVTR、次に現在のVTRを見て、その比較を行ないます。
 過去のVTRとは、1979年に中国で行なわれた演武大会のものです。白黒フィルムのたいへん貴重なもので、李先生ご自身もはじめて見たというほどの代物です。
 みなさんもご存知の通り、中国は1960年代後半から1970年代前半まで、文化大革命のために荒れておりました。さまざまな文化が失われ、云うまでもなく武術もまたそのなかの一つに含まれておりました。
 この映像はそんな騒乱の時代が終わり、隠れ続けていた各武術の名人たちが少しづつ表舞台へ出てきたころのものであり、そのためか、五百を超える流儀が参加する大演武大会となったのです。
 その内容も、剣や刀、槍、棒、各種武具を用いたものから、太極拳、形意拳などの拳法までとてつもなく多彩で、なかには見たこともない武器をつかう流派もありました。
 やはり時代が時代であっただけに、いまだ競技化の波に曝されていない、武術らしい武術が多く、門外漢のわたくしも見ていてとても愉しい心持になりました。武術は武術同士、やはりどこかで通じているのかもしれません。

 このVTRをひと通り見たあとで、今度は現在の映像です。
 最初に見たのはNHKで放送された競技会の模様。わたくしも以前“おすぎ”さんから同じ類のVTRを借りて見たことがありましたが、ほとんど内容はいっしょで、まあNHKで放送するくらいですから、一般のひとが見ても「ああこれはスポーツだな」と認識できるような風景がそこにはあるわけです。
 とにかく、跳びます坂上二郎さんばりに跳びます、跳びます。コタローね、と云いたくなるほど跳びまくります。あれはあれでたいへん凄いことだと、ついつい拍手をしたくなるような動きのオン・パレード。この日も参加し、以前に同じような映像をともに見たS呂君がその柔軟性や跳躍力に舌をまいておりましたが、まさにそんなリアクションが妥当だと、おもわず頷いてしまうほどのアクロバティックさなのです。
 続けて見た中国での競技会はそれ以上です。向こうの選手たちはプロですから、そりゃ日本のひとたちとはレヴェルが違います。もうハナからケツまで、「お前は中国雑技団のまわし者か!?」と突っ込みたくなるような動きばかり。いっしょに見ていた李先生ならびに師匠もおもわず笑ってしまうほどでした(苦笑も含めて)。

 上記までの流れを読んでわかる通り、過去の武術と現在の競技には、跳躍のような派手な動作に違いがあります。いやもっと簡単にいえば、「武術」として存在していた中国武術には、現在ほど跳ぶ動作が見受けられません。ましてや、跳んで二回転して片足で着地するなんて芸当は、今回のVTRでは皆無でした。流派の別こそあれ、恐らくあんな動作はほとんど行なわれていなかったのでしょう。
 では、どうして現在の競技のなかではそんな動作が多いのでしょうか。空手でも合気道でも、とにかく日本国内の武術・武道界において、「武術性・古伝の復活」ということが叫ばれている現在にあって、どうして中国拳法はこんな風になってしまっているのでしょうか。

 それは単に、「競技」という柵(しがらみ)のせいでしょう。ここからの話は空手にもまったくそのままの形で当て嵌まります。
 多くの選手が参加してその優劣を競う、いわゆる競技、もっと簡単にいえばスポーツですね、これを行なうにはまず、基本的にルールが必要になってきます。型(套路)をやるにも組手(散打)をするにも、ルールが無くては勝敗を決められませんから、当然の流れでもってこれを選定するわけです。
 空手においても同じようにやっておりますが、中国拳法においても点数制が用いられております。つまり、十点を最高点として、ミスしたところをそこから引いてゆく減点方式ですね。これで競技を審査するわけです。
 ここへ至って、今度は「自選」というカテゴリーが誕生します。これは簡単にいって、オリジナルの套路ですね。太極拳なら太極拳、長拳なら長拳の套路を、自分で構成し演武するのです。
 もちろん、何から何まで、すべて自分の好きな動作で固めてしまうことは出来ず、きちんと規定の動作をそのなかへ入れなくてはいけないのですが、しかし逆にいえば、これは、決まっている動きをちゃんと套路のなかに組み込んであれば、あとは何をやっても基本的にはOK、ということですね。オリジナルの、点数を取れる内容にしようと考えるのは当たり前のことかもしれません。
 だから、ほとんど全てのひとがその套路のなかで跳びます。あの終始ゆったりしている太極拳でさえ、急に動きをとめて飛び上がります。そして着地のバランスをアピールします。会場からはそんな瞬間に拍手が置きます。
 これはすでに武術ではありません。

 自分で套路を構成できるという、ある面ではとても自由な、創作意慾を刺戟するようなこのルールも、やはり根本にかえって考えてみると、武術からはかけ離れた内容になってしまうという、現在の空手界が抱える問題点をそっくりそのまま生み出していると云えるでしょう。なにせ採点基準がすべてなのですから、点数を多く取れる内容にしようとするのは当然のことで、ですから今回、李先生も「選手たちに罪はない」と何度もおっしゃっておりました。彼らを責めることはできないのです。
 しかし、それにしても現在の套路はひどい。派手さだけ、跳躍だけ、その動作のひとつひとつに意味を見い出さず、ただその外見のみの印象で技の優劣を決めている。決して武術とは云えない有様でした。
 李先生はおっしゃいます。ひとつひとつの動作には技が隠れているそれらをきちんと認識した上で演武すると、たちまち動作の質が変わるものだ、と。しかし、現在の選手たちはとにかくバランス、跳んで着地したときのバランスのみにその練習時間を費やされ、武術としての本来の稽古など、している余裕はない。
 だから、先生は悩んでいるのです。

 現在、中国拳法の競技会では、審査員が三組(A,B,C)にわかれて審査をする。A組は動作の質と他のミスの採点、B組は全体の雰囲気と演技のレヴェル、そしてC組は難度動作といわれるアクロバティックな動きを見るわけだが、持ち点はA:5点、B:3点、C:2点で、このなかではC組の点数がいちばん低い。しかし、選手たちがいま最も気にしているは、AやBではなく、このたった2点しか有していないC組の審査なのです。
 このC組の審査員はべつに武術を知っている必要はありません。何故といって、見るのは、着地した選手の足先が何度くらいの方向へ向いているか、とか、上げた足の位置が股関節よりも高いところにあるかどうか、とか、いわば新体操の審査員と同じようなところばかりなのですから、そりゃ武術的な目などほとんど関係ないのです。
 この審査制度は、中国武術を競技として、オリンピックに組み込まれるようなスポーツとして発展させるために考え出されたもので、現にいまはこの形式で行なわれております。つまり、これでいいのだ、と一時でも信じられたものだといえます。
 しかし、李先生はこの現在のルール設定に疑問と、そして危惧をお持ちになっております。このままでは武術的な要素、われわれでいうところの技がなくなってしまう。李先生くらいの年代の指導者たちはまだ昔を知っておりますから、武術と競技をわけて考えることができますが、これからの選手たちは、新体操の選手と同じようなことしか出来ず(稽古せず)、そのなかに武術のエッセンス(技)を見い出すことはどんどん不可能になってくることでしょう。これはたいへん恐ろしい現象です。
 空手をやっている人間は、競技(スポーツ)空手の世界を見れば一目瞭然でしょう。スポーツとしてはすこぶる盛況ですが、武術としてはもう・・・・・・。
 わたくしども空心館はどちらかというと、そんな競技の世界からは隔絶されたところにあって、まあ自ら遮断したという感じでしょうか。今では子供たち以外、競技のほうにはタッチしておりません。武術を武術として守るにはこの「遮断」という方法がいちばん簡単なように想われます。
 しかし、李先生はあくまで闘います。中国拳法をさらに発展させ、オリンピックなどを通じてもっともっと世界の人びとへ広めるために、武術的なエッセンスを損わない形でそれらを競技として成立させる・・・・・・そんな途方もない壁にひとりで立ち向かっているのです。
 
 まだまだ書き足りないほど昨日の交流は濃密で、李先生の抱えていらっしゃる想いがズドーンと裏部長の胸にぶつかり、夜はすこし寝苦しかったほどです。今後も機会があればまた交流し、その発展を見届けたいと想っております。
 さて、明日はどういうわけか二月最初の稽古です。アレ、どうしてこんなに稽古がなかったんだろう?ま、いいか。
 明日は裏部長の誕生日でもあります。気持のよい汗をかいてみたいものです。
posted by 札幌支部 at 21:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2007年02月07日

雪祭り日和

 こんにちは、裏部長です。今日はこれから札幌大学にて、李自力先生との交流があり、夜にも懇親会などがあって、もしかしたら本日中に書き込めないってことも考えられたので、一応、その前に書いておこうと想います。

 今日はなんでもイヴェントのあとにみんなで雪祭りを見にゆくというのですが、わたくしなんぞは札幌に暮らしていながら、この祭へゆくのは数年ぶりです。もしかしたら小学生のころ以来かもしれません。
 さっぽろ雪祭りは昨日からスタートしましたが、今年は暖冬、なおかつ初日は高気温のうえに雨という最悪のコンディションで、多少困惑ぎみの観光客のコメントが夕方のニュースに流れておりましたが、今日はだいじょうぶです。
 なにせ大雪です。朝からしんしんと降っております。そら降りすぎだろ!ってくらいに降っておりまして、尚かつ気温も低い。たいへんな寒さでございます。まさに雪祭り日和といえるでしょう。
 ただ、地元の人間としては、「何もここまで寒くならなくても・・・・・・」といった気持です。気温が低く雪の降っている状態は祭にとってもたいへん良いことなのですが、そのなかを歩いて雪像などを見るこちらとしては結構キツいものなのです。横っ面に雪がふきつけて、夜ともなるとまた気温がグンと下がりますからね、こりゃあ大変なものです。
 まあそれにしても、久しぶりの雪祭り、愉しんでこようと想います。

 今日の李先生との交流の模様は明日以降にでもここへアップしたいと考えております。もし愉しみにしている人がいたら、期待しすぎない程度で愉しみにしててください。
 裏部長でした。
posted by 札幌支部 at 11:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2007年02月06日

自由ばかりじゃ生きられない、満足だけじゃ続かない。

 こんばんは、最近どうも体力が低下してきている裏部長です。いけませんね、少しでも自主稽古を怠るとそれが体力面へすぐに出てきます。わたくしはもともと体力の多くあるほうではなく、どちらかといえば図体だけが大きい軟弱児のような人間ですから、人よりも二倍三倍と鍛練を積まねば追いつきません。それはよく解っているのですが、なにか用事があったり、風邪を引いていて具合が悪かったり、そんな諸事情で稽古がままならないときなどはどうしても流されてしまって、その実行を怠ってしまうのですね。これは悪いくせです。
 今日はそんな自分に「喝ッ!」を入れるためにも、このような文章をご紹介しようと想います。

 以下にアップする文章は、このBlogでもすっかりお馴染みとなりましたT先生(全日本体道連盟技術顧問)が書いてくだすったものです。わたくしが先日ここへ書きました『淋しい』という題の記事に対して、わざわざ時間を割いてコメントを執筆してくだすったのです。
 ただ、その内容が内容であるだけに、技術顧問もわれわれのことを慮ってくださり、ここへ直接載せることはせず、とりあえずは裏部長へ、ということで、メールとともにわたくしへ送って頂きました。これをBlogへ載せるか否かはこちらで判断せよ、とのことです。
 これはあくまでも裏部長の独断ですが、わたくし個人はもちろん、札幌支部のみんな、いやそれ以上に、このBlogを読んでくだすっている全ての人たちにとっても、この文章は少なからず有意義であると想ったため、今日ここにその全文を掲載いたします。 若干長くなりますが、最後までお読みください。


 技術顧問のTです。
 「淋しさ」についてです。このテーマもやはり残念ながら私の出番でしかないでしょう。
 組織運営上の問題については、あなたのお師匠さんに任せておくとして、私は個人の問題を提起しましょう。
 師や先輩・後輩が練習するために、たまたま道場に集まってきているだけで、空手の修行は本来己れ個人、一人のものです。組織運営上の問題は確かにあるとして、それに問題をすりかえているもうひとりのあなたは居ませんか。
 誰かが居てくれないと自分の練習も出来ないなんて。
 札幌支部の同好会・サークルという趣旨は、あくまで看板だけのことなのです。中味は道場なのです。武術なんですから。
 あなたの心の中もサークル活動でしかないのですか。
 あなたが、淋しさを感じるのは修行者としての自覚が全く足りないからなのです。
 と、偉そうに言う、かく私も練習せずに帰ってしまったことが何度となく、いや何十回以上あったことやら。
 ♪お山の大将〜俺ひ〜とり♪ 今日もやっぱり誰も来なかった。
 でも初めはここから出発するのです。来る日も来る日も誰も来ないことが続くと他人に期待することがなくなり、やっと自分の個というものに目覚めます。
 誰も来ないこと、そしてそれによって感じる淋しさは、実は神様が与えてくれた条件なのです。
 せっかく神様がくれたチャンスを逃してはなりません。
 前に話した狂気の発し所なのです。武術の場合の狂気を発しつづけるエネルギーは、復讐かこの淋しさなのです。
 狂気とは一瞬のものではないのです。持続しなければならないのです。
 私の20代〜30代は正しくこの茨の連続でした。
 本部道場には出席簿が置いてありましたが、来る日も来る日も15年間近く私ひとりの名前だけでした。
 しかし、この淋しさが、己れを精神的にもまたその精神に裏づけされた技をも高めてくれるのです。
 武術が、練習ではなく何故修行と呼ぶのか、知らなかったとでもいうのですか。
 淋しさ・孤独感は克服し打ち勝つものではありません。人は誰でもひとりで生まれ、ひとりで死んでいくのです。よって、淋しさは、どちらかというと「友」とすべきものなのです。
 今の私を私たらしめたのは、正しくこの淋しさだったのかもしれません。
 でも、こんな淋しさはなんでもありませんよ。

 自分が修行を積んでひとかどの者になればなるほど、確かに弟子と呼べる者たちも居るには居るのに、ふと後ろを振り返ってみるとだ〜れも居ない、誰も着いて来ない。
 これ程淋しいものはありません。
 佐川幸義がそうでしょう。私の師もそうだったと思います。
 しかし、これが武道(家)の本質なのです。
 正しく仙人と同じなのです。
 『空手の道は、遠く険しく、そして淋しきもの』

 あなたが今感じている淋しさの本質というものが、初歩の上達段階から遠い将来までを通して、どれだけ重要で必要なものか、少しは理解できましたか。



 文章のあちらこちらに耳の痛くなるようなお言葉が散見でき、受け止めざるを得ません。たしかに、師匠がいて後輩たちがいて自由のきく稽古場と満足のゆく修行内容がなければ稽古じゃない、そんな稽古ができないのならやらない、というのは甘すぎる愚かな考えだと想います。「空手の修行は本来己れ個人、一人のもの」、その通りですね。最終的にはそこへ至らねばならぬ、行動も思考も・・・・・・まさしく技術顧問のおっしゃる通りです。
 ですから今後は料簡を入れかえます。上記の文章をこころに刻んで忘れぬようにします。そして、武術の修行に邁進いたします。

 ただ・・・・・・

 こうあまりにも唯唯諾諾としていては技術顧問も「なあんだ、骨のないやつだな」とお思いになるかと想うので、最後にひとつだけ云い訳をさせてください。

 たしかにT先生のおっしゃることはご尤もです。理解できます。その通りだと想います。武術修行は本来ひとり、そのお考えに反論を差し挟む余地はなかろうかと存じます。
 しかしですね、われわれの稽古している場所は大学なんですよ。教室なんです。町道場の小屋とはわけが違うんだ。そこには扉があって、長期休暇中それぞれの扉には鍵がかかってるんです。その鍵をあけるには、守衛室へいってスペア・キーを借りて来なければならんのです。鍵を借りて来られるのは教師か生徒だけなのです。
 わたくしはもう学生ではないのです。
 そんな状況においてですよ、わたくししか居ない場合どうしろっていうんです?あの記事を書いた日は師匠も会議やなんやかやで不在、そこへ来て後輩たちは誰ひとりとして来なかったわけです。ひとり何もできないOBのわたくしは茫然自失の態というやつですよ。どうしようもないんだ。
 そりゃね、出来ないことはないんです。大学には廊下があるじゃないか、屋上も、雪の積もった校庭だってあるんだろ、そこで稽古できるじゃないかと云われればたしかに可能かもしれません。悴む躰にムチ打って、たった独りぎりで雪まみれになりながら基本稽古やって帰ってもよかったのです。どうしてもそこで稽古しなくちゃいけないってんならそうもしたでしょう。
 でも、そんな寒い思いをしてひとり稽古するくらいなら、帰って自宅でひとり稽古しますよ。内容は同じなんですから。そこに、大学で稽古する必要は一切ないのです。
 もう一つ、これも云わせてください。別にあげ足をとる気はありませんがね、T先生、

「教えてやってる後輩がひとりも来ない」と言うのは、そしてだから練習もせずに帰った、というのはなんという言い訳でしょう。

 これはどういうことでしょうか。わたくしが何時そんなことを云ったでしょう。
 「教えてやってる」とは何事です。裏部長がいつそんな高慢な台詞をここへ書きましたか。書くわけがありません。いやそもそもそんな料簡など持ってはいないのです。わたくしに後輩たちを教えてやるほどの腕はありません。当たり前のことです。
 わたくしという貴重かつ有能な先輩がいの一番に来ていながら、日日その有難い指導に浴している低能な後輩たちがひとりも来ないとは何事だ!そんな有様で稽古が出来るか!おれは帰る!・・・・・・と、そんな浅ましい考えで、往復千円弱の交通費と三時間のスケジュールを無駄にしたと思いますか。



 T先生、ご無礼は承知の上です。いづれお会いしたときに殴られようが、その前に無視されようが、わたくしは構いません。こんな若造が見上げるほどの位置にいらっしゃる方へ対して無礼千万な意見をすることはたいへん非常識だと思います。ですから、どうかお怒りにならぬよう、心からお詫びを申し上げます。
 ただ、若輩ものの裏部長が云いたいこともお察しください。失礼を承知でその想いのたけを書き連ねなければ治まらなかったこの気持を、どうか受け止めてやってください。


 さて明日は稽古を休んで、ちょっとしたイヴェントを催します。まあ催すのは師匠のほうで、裏部長はそれへお邪魔をさせていただくだけですが、このBlogでも何度かそのお名前が登場している、中国拳法の李自力先生が札幌大学へいらっしゃいます。過去の映像などを見ながらその技の解説などをしてくださるそうで、たいへん愉しみであります。札幌支部のみんなもお暇ならばいらっしゃいな〜。
 裏部長でした。
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2007年02月05日

無の境地

 こんばんは、裏部長です。一応、武術を修行している人間の端くれとして、わたくしもいつかは「無の境地」に達せられたら、なんてことを想っております。ただ、想うのは簡単でも実際に行なうのはこれまた大変なことで、なんと云っても無ですからね、なーんにも無くなってしまうわけですから、こりゃなまなかなことでは達せられません。
 無とは自分のなかがなーんにも無くなってしまうことなんですね。


 あっ、そういや今日はなーんも書くことないや。


 いま裏部長は無の境地でございます。悟りきっております。
 明日までには何か考えておきます。
posted by 札幌支部 at 20:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2007年02月04日

傍から見る。

 こんばんは、右肘の痛みを抱える裏部長です。このことは昨夜のBlogにも書きましたが、どうも肘の関節ではないようです。これはですね、おそらく肘の内側、つまり外受けをした格好でいうと脇側にある肘の側面、ここらへんから発せられている痛みだと想われます。つまり筋関係ですね。骨ではありません。
 ただ、筋を痛めるほど何かをした憶えがないし、強いて云えば最近、其場突きをする際に、極力丁寧に拳の返しを意識してきちんと好い加減にではなく突いているので、そのせいで少し違和感が出てきたのかもしれません。まあ、いづれ治るでしょう。

 そういえば、奈良のM田先輩の発言のお蔭ですこしだけ画面が賑やかになりましたね。改名後は初めての登場である狗っちも書き込んでくれて、なんだか懐かしさでいっぱいです。
 しかし狗っち、今度われわれが行くのは栃木ですよ。奈良じゃありません。あの表記をみて奈良支部のみなさんはドキッとしたかもしれませんが、そんなドッキリのような訪問はしません。行くときにはきちんとお伝えをしてから参ります。
 その奈良支部の長、M田先輩もまたまた書き込んでくださっていますが、わたくしの映画関連の書き込みはあまり読んでいないということで・・・・・・読んでないんかいexclamation×2
 ということでよろしいですね。

 栃木のY先生もお久しぶりです。ご丁寧に稽古風景も書き込んでいただきまして、たいへん有難く、感謝の想いでいっぱいです。ただ、やはり本部道場においても然りで、これくらいの人数がいっぺんに出ると、誰が誰だか一瞬わからなくなりますね。イニシャル表記の口惜しいところです。
 しかし、本部のみなさんもこのBlogを読んでくださっているということを改めて聞くと、緊張してしまう反面、とても、とても嬉しい想いがいたします。ああ、俺はひとりじゃないんだexclamationと勇気づけられます。
 今後も見捨てず読んでやってください。

 さて今夜は、数少ない当Blog観覧者のなかにさえ裏部長の映画評論を好ましく想わない方がいらっしゃるので、これこれの映画を観たとかTVを見たなんて話はどっかへやってしまって、武術のことを書きましょう。
 とはいっても余り真新しいネタもないので、わたくしが最近の稽古のなかで不図感じたあることを書いておこうと想います。

 あれは昨年の暮れだったと想いますが、札幌大学の1001教室で空手の稽古をしていたとき、いつもの流れで、最後は約束組手をやりました。わたくしは有望なる後輩(久しぶりのキャッチ・フレーズ!)S呂君と組んで中段追い突きを繰り返していたわけですが、何分間かやっていると徐徐に勢いがついてきて、互いに一本だけでは済まなくなってきます。まあ彼と組む場合にはわたくしが意図してそういう流れにしているのですが、その勢いに任せて二本、そして三本と突きを出すようS呂君へ指示を出しました。
 こういった稽古の際、ただ無計画に突かせるのでは芸がない、というか芸の鍛練になりませんので、彼にはいつも「突きを中段に集中させて」と云うのですが、このときもそんな言葉を与えて、あとはもう思う存分バッシバッシと突いてもらいました。わたくしはそれに触れつつ後退するのみです。
 S呂君は一気に三本の突きをわたくしの胴体目がけて飛ばしてきます。ひとつの呼吸で突けるのはこれくらいが限度のようです。
 わたくしは後退しながら、この突きに少しだけ触れます。あまり相手の腕に圧力をかけぬよう、しかしそうかといって何もしないでは喰らってしまいますから、若干の受けを行なって彼に突かせるわけですが、実際に受けている側として真正面から、いわば主観的に見た際、彼の突きはそれほど速くは感ぜられませんでした。むろん遅いわけではなく、平均的にいっても札幌支部では速いほうなのですが、受けている人間としてはまだ見える、だから受けられるといった感じだったのです。
 約束組手がひと通り終わって、稽古を締めようとしたとき、師匠からコメントがあります。このときは、先ほどS呂君がわたくしに対して行なった三本の連続突きを解説してくださいました。
 師匠が受けをとり、S呂君に突かせます。話の方向としては、先ほどの裏部長との組手の際、何度かよいテンポのものがあった、ここにおける良いと悪いはどこに違いがあるのか、そんな内容の解説だったのですが、ふたりの傍から、いわば客観的に眺めていたわたくしは彼の突きを見て、思わずこう叫んでしまったのです。

「うぉぉおexclamationめっちゃ速いやんけexclamation×2

 叫んだのは心のなかで、ですよ。そのとき、それが関西弁だったかどうかは憶えておりませんが、そんなことをついつい感じてしまったのです。
 本当に、S呂君の飛ばす突きは速く見えました。イメージでいうと、栃木のODさん、あの長身なODさんの動きに少し似ていて、そりゃもう格好いい!といった感じでした。師匠はそれらにダメ出しをされていましたが、十分サマになっているようにも見えました(もちろん、次のステップへ行くにはまだまだ駄目なわけですが)。
 このときの印象の違いですね。つまり、実際にその突きを受けているときに得た主観的印象と、同じ突きを誰かへ繰り出しているのを傍から見たときに得る客観的印象とがこうも違うのか、ということを知ったわけです。だから、諸先輩方の突きなどを実際に見たりVTRで見たりしたときの印象と、それらを実際に受けた際の印象はおそらく違っているでしょうから、そこに何かしらの基準をおいて勝手にいろいろと考えてしまうと、あとで齟齬が出てくる可能性があります。
 それまでも過去のVTRで見たことのあったY師範代の打ち、ムチのような撓る突きも、実際に去年の稽古で実際に受けた際には、その印象が相当にちがいました。傍から見ている分には「あんなの受けられるだろ」と思っていたものが、「消えたexclamation&question」と驚愕したものです。
 それほどに人間の目は不確かなのでしょう。以後、気をつけます。

 最後に。まったく今日の話題とは関係ありませんが、部長、元気にしているでしょうか。最近、とんと会っていないもので、体調を崩していないと良いのですが、インフルエンザの季節、御健勝をお祈りいたします。

 さあ、明日からはまた新たな一週間。今週は金曜日以外稽古はございませんが、水曜日にちょっとしたイヴェントがありますので、暇な後輩諸君はぜひそちらのほうに参加してみてください。わたくしもお邪魔させていただきます。
 裏部長でした。

*今日の画像は、拾ってきたモノです。偶然見て、そして「こりゃ如何なもんかな」と若干訝しげに頸を捻りました。ご意見、お待ちしております。
 見られるかな?
posted by 札幌支部 at 20:49 | Comment(1) | TrackBack(0) | 裏部長の日記