2007年07月26日

型の話は骨が折れる。

 こんばんは、急激な気温の変化にぐったりしている裏部長です。きょうの札幌は真夏日とまではゆかないものの、生暖かい風がふく湿度の高い一日で、それなりに七月下旬の雰囲気を味わえたのですが、夕方になってグンと気温が下がってしまいました。TVでは、現在二十度と云っております。
 こういう変化はカラダに堪えます。なんだか、全身で肩すかしを喰らったみたいです。

 最近の武術話の延長で、きょうは生意気にも「型」の話を書こうかと考えていたのですが、上記の、そういった事情で肩すかしを喰らってしまったので、また今度にします。といいますのも、やっぱり型の話は骨が折れます!考えるのに労力を要するのですよ。もちろん、武術を学ぶ道に労力を要さない部分などあるはずもないのですが、こと型に関してはやっぱりその、体力が満ち満ちているときでないと出来ないような気がいたします。
 そんなわけで、裏部長の「型」の話はまた今度、ということでご勘弁を願いたいと思います。

 その代わりといっては何ですが、八月の稽古についてお知らせをいたします。
 何度かここでも申しあげているように、今年の八月は師匠、K先生ともに不在期間が長く、そこへ来てわたくしも予定が定まらぬため、通常の稽古を通常どおりに行なうことが少しだけむつかしくなっていたのですが、みなさんすでにご存知の韓国人留学生のふたり。あの熱心なふたりが「それでも稽古がしたい!じぶんたちだけでも稽古がしたい!」と願い出たために、教室だけは借りておくことになったそうです。
 上記の意味での稽古予定日は、八月一日、三日、七日、八日、十日、二十一日の六日間。いづれも時間は午前十時から昼の十二時までだそうです(予定)。
 ですから、たいへん無責任な話ですが、わたくしとしましては、出られる日には参加する、というスタンスを取ることになります。後輩たちにはちょっとした不安を与える結果となってしまいましたが、どうにか出られるだけ出てみようと思っております。
 なお、奈良のM田先輩ご来札に関して、その日の稽古を何時から何時まで行なうか、という点に関してはいまだ未定だそうです。おいおい決定することと思います。

 留学生以外の門弟諸賢にはとても心細い話でございまして、裏部長としても不徳の致すところではあるのですが、どうか可能な限り参加してください。わたくしもどうにかこうにか行ってみますので。

 正式な予定についてはおそらく、本決定後に師匠のほうから全員へ通達があるものと思います。いま大学のほうがどうなっているのか、学外にいるわたくしには判りませんが、試験などをすっかり片づけつつその報をお待ちください。

 きょうはそんな連絡のみで失礼をいたします。
 裏部長でした。
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2007年07月25日

祝真夏日!!!

 裏部長です。お暑うございます晴れ

 本日めでたく、札幌市で真夏日を迎えました。最高気温三十度超え!いや〜、ようやく夏になった感じがします。
 しかしTVを見ていてビックリ。あれだけ「今年は猛暑だ、盛夏だ」と騒いでいたのに、今度は一転して「冷夏かもしれない」と云っているじゃありませんか。
 これまでのわたくしの心労はなんだったのでしょうか。

 暑くても 肌寒くても いやな夏 われの心は 八月へ飛び

 そりゃあ馴れぬ短歌も詠みたくなるというものです。


 きょう一冊の本を読了しました。以前にこのBlogのコメント欄で、T技術顧問が書かれていた『極意の解明 一撃必倒のメカニズム』/近藤孝洋(愛隆堂刊)です。久しぶりに読む武道書でございました。
 ここに書かれている内容に関しては、もちろんここでは明らかにすることはできませんが、以前にT技術顧問からもお話があった「時間を盗む」ということについて、いろいろな例をもって説明されている本であります。
 とにかくすべての話は、「平面的な考え方の上に立脚し、積み重ねられた技などは、実戦において、玄人の格闘家には通じない」という理論のもとに成り立っており、それらの記述はたいへん耳の痛い、いや、目の痛くなるものばかりでありました。われわれが日頃、空手のほうで稽古している突き蹴りというものがどれほど使い様のむつかしい技術か、そんな現実を猛烈につきつけられたような気がしてなりません。
 ただし、この本はそんな戒めだけでは終わっておりませんで、きちんとした武術としての遣い様、技を術へと昇華(変化)させる理論を、さまざまな伝書類から導き出しているのです。

 結局は、深さ、そして質の問題ですね。修行の過程のどこでその違いに気づき、心身ともに納得することができるか。身の持ち方、動く際の留意点、気の問題、それらすべてのことを理解するためにはどういった稽古が必要なのか。そんなことを課題として提案する一冊であったと思います。

 
 暑いので、きょうはこの辺で。
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2007年07月24日

ただ一筋の愛情を求めて

 こんばんは、裏部長です。
 近畿地方も梅雨あけとなって、どんどんと日本全国の“夏化”が進んでおります。こちら札幌もご多分にもれず暑くなり、きょうは最高で二十八度まで上がりました。いやあ、ようやく季節到来!といった感じでございます。
 しかしねえ、こちらは本州と違って、家にエアコンのないところが多いですからねえ。いくら湿度が低いとか気温がそれほど上がらないとかいっても、体感温度としてはそれなりに堪えますよ。斯くいうわたくしの家にもエアコンはありませんから、今年の夏が猛暑だろうが何だろうが、どうにか扇風機だけで乗り越えなくちゃいけないのです。
 それを思うといまから少し憂鬱です。ああ、夏とはなんと狂おしい季節か!

 しかし今年の夏は、そんな鬱陶しさを紛らわせるに十分な出来事が起きそうです。
 はい。先日もお伝えしたように、奈良のM田先輩がいらっしゃるのです。
 これについて、ご本人から書き込みがありました。M田先輩、すっかり干上がってしまったコメント欄に日の光を射しいれてくだすって、心から御礼申しあげます。
 今年の八月は師匠、K先生ともに不安定なスケジュールで、またそこに来てこのわたくしがフラフラしていて予定が定まらないために、やる気ある後輩たちに苦労をかけてしまいそうですが、M田先輩の来られる日にはどうにか躰を空けられそうです。いや、何がなんでも空けておきます。まあ、そうは云っても、稽古のできるのは二日間ほどですが、必ずやなにかしらの発見、衝撃、収穫があるものと想像しております。
 『品川心中』については恐れ入りますふらふらそれほど深い意味もなかったのですが……。
 この噺のあの場面のあとには続きがあって、品川の花魁と心中に及ぼうとしたが、寸でのところで花魁は気変わり、「あのう私ね、お金ができたの。お金ができるってえと色色とやらなくちゃいけないことがある」って、あっさりと心中をやめてしまう。しかし男のほうは、無理に突きとばされて海のなかへドボン。幸い、品川の海は遠浅だから水は膝くらいまでしかない。男はぼろぼろの姿で髪ふりみだして、あの親分の家までやってくる。

親分「なに、金蔵だァ?どれ、ちょっと足を見せてみろ、足を。あっ、足がありやがった、こんちきしょう。脅かすな、馬鹿。ええ?昼間へんなこと云ってったから、何か妙なことでもしやァしねえかとおれァ心配してたんだ。なあ?女といっしょに死のうてんで、女だけ殺しててめえ一人で助かってきやがったんだろ」
金蔵「女は助かって、おれは死に損なった」
親分「だらしのねえ野郎だ」

 わたくしもせいぜい、死に損なわないよう、懸命に喰らいついてゆこうと思います。

 
 しかし、こんなことは余計な話かもしれませんが、たびたびね、このBlogでM田先輩のことをいろいろと書いておりますが、先輩はなにも恐い、野蛮なひとじゃあないんですからね(まあ、わたくしはまだお会いしたことはありませんが)。とても真面目で一本筋が通っていて人格者で、そのうえ武術に並並ならぬ情熱を持ってらっしゃる方。ネ?ただその情熱が故に、きちんと云うべきことは云う、というだけで、こういった厳しさはむしろ有難いものなのです。わたくしはそう思います。
 ですから、このBlogをご覧になって、M田先輩の書き込みに「どうしてこんな手厳しいことを云うんだろう?」と思っても、それを意地悪と受けとってはいけません。
 いわばあれは「愛」。同門後輩たちへ向けての愛情なのでございます。

 愛情といえば、先日すこし考えさせられるTV番組を見ました。日付は忘れてしまいましたが、フジテレビ系列で放送された『居場所をください…2〜傷だらけの子供達〜』というドキュメンタリーです。
 両親の離婚や育児放棄、虐待、学校でのイジメ、不登校、自殺未遂などの問題により、じぶんの家族や家そのものの中で生活することの出来なくなった若者たちと、彼らを受けいれ、ひとつ屋根の下でそのケアを行なう大人たちとの交流を追った、たいへん物悲しい内容のTV番組でございまして、そこに取り上げられていた子供たちはいづれも、泪なしには語れない、哀しい過去の持ち主ばかりでございました。
 生まれてこの方愛されたことがないという女性、生まれてすぐに捨てられた少年、虐待に耐えきれずじぶんから児童相談所へいった男の子、腕に無数の傷がある少女……そこに気の休まる風景はひとつとしてありません。
 彼らのなかにもいろいろなケースがあって、誰もが一様に不登校であるとか、学校でイジメられていたとか、そういうわけではないんです。もちろん、カラダで云えば五体満足とはいえない境遇の子ばかりですが、なかには健やかに成長をして、今ではきちんと働いているという女性もおりました。
 しかしその誰もが、どこかに埋めることのできない空洞を持っていて、それが故に、満面の笑みをもって自立をする、というところまで行けないでいる……心の片隅に、まだ消し去れない過去の影みたいなものが棲みついているのです。

 わたくしはこの番組を見て、そこには様様なケース、いろいろな生き方をしてきた若者たちがいて、発するシグナルの恰好は違うけども、不足しているものはみな同じであると感じました。それが無かったがために、彼らはどこかでバランスを崩してしまった。いわば原因ですね。
 これが「愛情」だと思います。どんな人生を歩んできた若者たちでも、そこには一様に孤独が巣食っていて、それがために不登校になったりリスト・カットをしたり麻薬に手を出してしまったりする。愛情の不足こそがすべての哀しみの元兇に思えてなりません。
 その責任はすべて、彼らの両親にあります。これは番組の冒頭に登場した住職さんもおっしゃっていたことですが、やっぱり親の責任は大です。もうちょっと、たとえば日に一分間の会話であっても子供のことを気にかけ、そこに愛情の伝わる経路を拵えておいたならば、あのような悲惨な人生を、前途ある彼らに強いることはなかったのです。

 このような番組を見て、「ああ、おれは良い両親に恵まれてよかったなあ。明日から親孝行しよ」なんて浅はかな改心をするようなわたくしではありませんが、この度はほんとうにショックを受けました。映像を見ながら泪が溢れてきました。
 愛情というのは伝えるのが大変むつかしいものです。でも、伝えようとして伝わらないものはありません。わたくしはそう思っています。
 これはなにも家族間だけのことではありません。ひとつの集団、団体においてはいつでも必要なものです。
 わたくしもせいぜい、後輩たちを慈しみ、わが子のように(?)可愛がってあげたいと思います(気持悪いと云わないでください)。


 明日はもっと暑くなりそうです。みなさん、水分を取りましょう。
 裏部長でした。
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2007年07月23日

課題をもう一度!

 こんばんは、暑さ対策万全の裏部長です。きょうから九州や四国地方では梅雨があけたそうで、本州一帯はどこもかしこも暑かったそうですが、札幌も負けてはおりません。本日の最高気温が二十七度。昨日までの涼しさが嘘のように、スコンと夏日を記録してしまいました。
 明日はもっと暑くなるそうです。より一層の気合が必要でございます。

 さて、きょうはごく短く、ひさしぶりに武術のことを書いてみたいと思います。
 と云いますのも、ここ最近のわたくしの生活傾向を受けて、ふつふつと湧きおこってきた武術熱。これに触発されて、いま一度、現在じぶんが悩んでいる(取り組んでいる)課題について考えてみたくなったからなのであります。
 その課題とは空手のなかにあります。以前にもこのBlogに書いた通り、中段追い突きの約束組手で、それはおもにK先生を相手としてこちらから突くとき、どうしてもじぶんのイメージ通りに動くことができない……という、あの一件がまだ解決されずに残っていたのです。
 
 この中段追い突きの約束組手におけるわたくしのイメージというのは、現時点ではおもに、一本目(追い突き)以降の展開を指しておりまして、避けたり捌いたりする相手を追いつづけながら第二第三の攻撃をしかける。その際には腰の回転による攻撃ではなく、腰そのものの前進、“追い突き・追い突き”、打ちの併用、上段中段の使いわけ、などが必要となってくるわけですが、第一の問題点として、それら己の頭のなかで出来上がっているイメージ通りの動きを、実際にじぶんの躰できちんとは行なえていないという現状があります。どうしても師匠などの動きを見て憶えますから、動きの雰囲気はわかっているのですが、実際にその通りにできるかといえばさにあらず。やっぱりここがむつかしいのであります。
 まあこの点は要稽古ということで、これからの修行のなかで身に打ち込んでゆけば良いのですが、上記の理想的な動きができるようになったあとにもまだ問題点はあります。
 それが第二点。ただ真っ直ぐ下がるような動き以外の捌き方をする相手に対し、じぶんの攻撃スタイルをどのように発揮するか。これがK先生相手の組手のときに考えさせられる課題の最たるものなのです。

 たとえば師匠が受けであれば、わたくしの突きに対してふつうに横へ避ける動作以外ではおもに真っ直ぐうしろへ下がる、それによってこちらの連続攻撃を出させようという動きを敢えてしてくださいます。ですからそんなときこちらはもう死に物狂い、遠慮なんて一切せずに師匠を殺す気でもって猛突進をし、上段だろうが中段だろうが、とにかく空いているところがあれば突きを入れる、接近したら打ち、離れたら蹴り、という風にプランが立ち、またそのように実行できるのですが、これは云わばこちらの、攻撃側の稽古につき合う受け方であり、実際の組手においてはただ下がるというのは、積極的に負けにゆくようなものですから、やはりこれは自然ではないのです。
 そのあたりK先生はまだ激しいですから、こちらが悠悠と攻撃できるような受け方はしてくれません。ただ下がるということをほとんどなさらないし、ふつうに横へ避けるにも、ただ避けません。突きを外したあとも動きつづけて、こちらの第二第三の攻撃をどうにかしようとされる(これが当然なのでしょうが)。
 ここで、わたくしはどうしても立ち止まってしまうのです。

 以前にこちらへ書き込みをしてくだすった方のなかにもその修行者がおられましたが、みなさんご存知の「太気拳」。あの武術のある師範が弟子たちに、「接近したとき腰が浮いてしまうとその次が出ない。ああいった場面でさらに腰が落ち、安定すると連続攻撃が可能になる」とおっしゃっていたのを聞いて、ああ同じことだなあ、と感心してしまいましたが、こうしたK先生相手の約束組手において、こちらはいろいろなプランを胸に突進し、勢いを持続させながら隙を見つけて攻撃を重ねようとしてみても、いざ距離が詰まってしまうと、どうしても腰が浮いて立ち上がってしまうのです。いろいろな変化をするK先生の動きを、ただ上から“見て”しまうのです。

 ですから現時点でのわたくしの課題は、まず腰を浮かさない相手との間合が詰まったときこそ沈めて安定をさせること
 そして第二には、じぶんの理想的な動きをその躰(感覚)そのものに沁み込ませること。
 第三には、さまざまに変化する相手の動きに応じて、その理想的な動きを展開すること、です。当面は、これらはK先生相手のことになると思われます。

 思い返せばこれまで、じぶんよりも遥かに上であるというひとに向かってゆくというのは師匠相手のときくらいなものでした(勿論、部長やS呂君に対しては、こと空手に関して勝ったと思ったことはまだ一度もありませんが)。これまでに書いたごとく、師匠は教えとして動きますので、こちらが動きにくい、攻撃しにくいような動作は、それが次のステップへ上がるために必要なことでない限り、あまりされません。
 しかし、稽古というのは普通、何人も先輩がいて、そういった人たちにはこちらがどんなことをしても敵わなくて、口惜しい思いを何度も何度も経験して……ということが当たり前にあってしかるべしなのです。師匠も子供のころ、どうしても歯が立たなくて、突きの稽古のときに振り突きをやったり、前蹴りから廻し蹴りへの二段攻撃を編み出してみたりト、いろいろやってきたなんて話をご本人から伺ったことがございます。
 わたくしはようやっとその場面に遭遇しているだけなのです。ですから今は、この苦しみを噛みしめて、目の前の課題に取り組みたいと、そう心から思えるようになったのです。
 ああ、そう思えば思うほど、早く稽古がしたいッ!!

 短く書くといっていたのに、結局長くなってしまいました。
 やっぱり武術の話は面白いっす。
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2007年07月22日

沸き立つもの

 こんばんは、裏部長です。いよいよこちらも、少しづつではありますが、暑くなって参りました。明日からは連日夏日という、なんとも嬉しいような鬱陶しいような日日がはじまります。
 今ごろおそらく札幌大学では試験が行なわれていて、まだ在学しているこちらの門弟たちが真剣なまなざしで答案用紙に向かっていることと思いますが、それが終わって七月最後の稽古(三十日、三十一日)が過ぎるともう八月です。夏真っ盛りですな。んもうそりゃ大変です。なんてったって今年は猛暑ですから、こちらも北国なりに覚悟というものが必要です。そんときになってね、あああれが無いとかこれが足りないとか、そんなふうに慌てないように、今から暑さ凌ぎグッヅをいろいろと探しておかなければなりません。
 備えあれば憂いなし!夏バテ防止にはこれしかありません。

 備えといえば、今いろいろと復旧作業でたいへんなことになっている新潟のあの大地震。TVなどでも連日放送をされておりますが、ああいった大災害のときに必要とされるのが、この、意外にも血液だそうですね。大勢の負傷者が病院へかつぎこまれる。大怪我をして出血しているようなひとには当然、この、輸血というものをせねばなりませんから、やっぱり血液というものが大いに必要とされるのだそうです。
 そんな話を聞いておりまして、わたくしはこの「血液」というものの大切さを改めて感じたような気がいたしました。思えばね、血なんてなものはあまりにも近くにありすぎて、普段そんなに特別視して考察する対象にはなりませんが、やっぱりこれは人間にとって無くてはならないものなんですから、少しは気にかけておかなければなりません。

 武術の世界でもそうですよ。ねえ。あちらでは、やれ筋肉だの、やれ呼吸だのといろいろなことを云っておりますが、この「血液」にも目を向けていただきたい。わたくしは切にそんなことを思っております。

 先日復帰されたばかりの、俳優の中尾彬さん。今年に入って急性肺炎にかかってそのまま筋肉が溶ける病気にまでなってしまって、本当に危ないところまで行ってしまったらしいのですが、奇跡的に回復をして、この度めでたく復帰されたということをわたくしTVで知りましたけども、あの方のエピソードに面白いものがありました。
 中尾さんはもう超がつくほどの酒好き、酒豪ってやつですよ。奥様の池波志乃さんともお酒の話題で親しくなったようなもんですから、そりゃ呑むったら大量に呑む方です。ネ?下戸のわたくしには想像がつかないくらい。
 それが現在はというと、ワイン一杯呑んだだけでフラフラっとしてしまうっていうんです。んもう、躰のほうでアルコールを受けつけないんだそうですな。
 これの原因が「血」らしいのです。中尾さんは治療のなかで人工透析も行なった。つまり、全身の血をきれいに入れ替えてしまったのですね。それまで体内に流れていた血液が一滴たりとも残っていないというわけなのです。
 これは驚きでしょう。「血」が変わるだけでそのひとの体質まで変わってしまうんですから。
 今の中尾さんは酒はもちろん、煙草も吸えなくなったそうです。でも、これは健康面からして見ると、逆によい結果なのではないでしょうか。

 まったく違う話ですが、ここ数箇月間、わたくしは武術に関する本というものをまったく読んでおりません。まあ、買うことからしてやっていないのでね、読むという機会がないんですが、どうもそれで良いというような気がじぶんのなかの何処かでしていて、とにかく今は目の前の課題にとりくんで、一所懸命に稽古をしようと、そんな風に考えるようになったからかもしれませんが、一時期はそれこそ貪るように武術関係の書籍やヴィデオなどを入手しては、昼夜とわずに見ておりましたから、そのときから比べると雲泥の差です。これはじぶん自身としても驚くべき傾向だと思います。
 この傾向にあわせてかどうかはわかりませんが、武術に対する過剰な熱情というものも、最近は薄れてきたような気がしてなりません。これは良くない意味で、馴れてきた。刺戟を求めなくなった、ということのように思われてなりません。最近のBlogも、あえて武術の話題の少ないことに、賢明なるみなさんはお気づきになっていたでしょう。

 ですから、こりゃいかんト、昨日から久しぶりに勉強をはじめました。まあ勉強といっても、買ったはいいが時間がなくて読んでいなかった武術雑誌を、一気にダダァーとチェックしていっただけのことですが、早速その効果が現れてきたようです。
 それはたしかに、わたくしの「血」に現れています。他流儀他門派の技法やその歴史を読むたびに、じぶんのなかの武道熱がふつふつと湧いてきて、実際に体温をあげてゆくのが感じられてなりません。
 稽古がしたい!もっともっと勉強がしたい!そんな、入門当初の気持がむらむらと湧き立ってきて、早く稽古の日にならないもんかと、妙に血走った目でカレンダーを眺めております。

 やっぱり、「血」というのは侮れません。


 さて、明日からはまた新たな一週間。そろそろ暑くなります。みなさん、気合を入れて真夏へ乗り込んでやりましょう!
 裏部長でした。
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2007年07月21日

予兆

 えー、裏部長でございます。よろしくおつき合いのほどを願っておきます。


 物事にはよく、この「予兆」というのがございまして、悪いことの例でいうと“虫が報せる”なんてことを申しておりますが、やはり何事にもそういった兆しみたいなものはあるそうです。
 ただその、そういった出来事の予兆やなにかは、特殊なひとにしか感じられないものなのかと云えば、きっとそうじゃないとわたくしは思うんでございます。べつに霊感だとか第六感だとか、そういった突出した技能の持ち主でなければ察知できないということじゃなくて、わたくしのようなごくごく平凡な人間にもなにかの拍子にそんなことが判ったりなんかすることがたま〜にございます。

 先日も(このBlogでもご紹介をいたしましたが)、年若い友人の音楽の発表会へ行ったときに、彼以外のひとたちの演奏も当然聴くわけですが、誰とも初対面、そのとき初めて見るひとたちと初めて聴く演奏にも関わらず、観ていて、「ああ、このバンドはここでしくじるな」とか「ドラムはここで詰まるぞ」とか「ソロは無難にいくだろうな」とか、そんなことが何となく判ってしまって、それで結局その通りになっちゃうんですね。わたくしも別に音楽の専門家ではないので、ああこういう不思議なこともあるんだなあ、とひとりで感心をしていたのですが、あとあと冷静になって考えてみれば何てことはない。じぶんも昔、似たような楽曲の演奏中に似たような失敗をしていただけだったんです。だから、ここらへんで失敗するんじゃないかな、と感じられたわけなんですね。

 経験と勘でしょうかねえ。そういったことはよくあるようです。

 日頃からフワフワして頼り甲斐がなくて、いつも危なっかしい男がある日突然やって来て、
「あのう、す、すいません。いらっしゃいますか」
「おう、誰かと思ぃやお前じゃねえか。最近すっかり顔見せなかったな。エ?そんな青白い顔してどうしたい?」
「いえ、あのう、これからちょいと旅に出るんで、別れの挨拶に参りました」
「おい、ホントかい。お前が旅?へえ、珍しいこともあるもんだ。で、どこに行くんだよ」
「へえ、それがその……西、のほうなんですが」
「なんだ、西のほうってえのは。大阪か?それとも九州か?」
「い、いえ、もっと西なんで……西方浄土ってくらいですから」
「いつ帰ってくるんだ?一週間後か、それとも一ト月くらいか」
「……お盆には帰ってくる」
 って、結局このおとこは惚れた女とこれから心中に及ぼうとしている、なんというね、『品川心中』という落語の一部ですが、やっぱりこの、こういった会話だけでもなんとなく相手の考えてること、これからしようとしていることが判るものです。

 そういったことで云いますと、奈良のM田先輩、ネ。このBlogにも数多くご出座をいただいておりますが、ようやく今年の八月にお会いすることが叶いそうなのでございます。先日、師匠よりその旨のご連絡を頂戴しました。
 思えば過去にも何度か邂逅のチャンスはあったわけですが、そのいづれもが御破算。結局いまのいまに至るまでお会いすることが出来なかったわけですが、あと一箇月ちょっとでそれが叶うということになりました。
 こう云ってしまうとかなり好い加減のように聞こえますが、そんな気がしていたんです、ええ。これくらいのタイミングで会えるんじゃないかなあ、なんて、そんな兆しをこれまでの出来事のなかに感じていたんです。
 ですから今回はどこか心のなかでは「きっと会えるから」と不思議に自信をもって待っておりました。何事にも、やっぱり予兆というものはあるようです。

 
 えー、きょうはそんなトコです。最近、改めて気づく必要もなく、わたくし「裏部長」の書き込みのみで、札幌支部の門弟諸賢すら、いっさい書き込みがなされず、正直さびしい想いでいっぱいでございます。わたくしはね、わたくし自身の信念でもって、どんな雑文であっても毎日書き込み、このBlogのトップ・ページを常に新鮮なものにしておこうと努めているのですから、そのことに傍迷惑な愚痴はこぼしませんが、一応ねえ、空心館札幌支部のBlogなんですから、最低限こちらの門弟たちには書き込みをしていただきたい!どんなことでもいいんですから。わたくしの文章を見たでしょ?そんなに内容のあるもんじゃないんですから。こんなもんでも書き込んでそれがアップされていたらBlog全体が華やぐじゃないですか。ねえ、そうでしょ!?
 ちょっとヒート・アップしてしまいましたが、そんなわけで、みなさんどうか書き込みをお願いいたします。
 ウサギは淋しいと死んでしまう、なんてことを申しますが、Blogも同じです。書き込みがないとページは固まってしまって、そしていつかは冷たくなってしまうものです。

 明日は華ある、あかるい未来と信じて……。
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2007年07月20日

燃えて、散って、

 こんばんは、予想外の冷夏に驚いている裏部長です。本州ではどうか知りませんが、本日の札幌は、いまが七月だということを疑わせるほどに寒く、そして夜にはすこし雨も降りました。さんざっぱら今年は猛暑だ、猛暑だと云っておきながら、これでは話が違いますよ、神サマ。そこんところどう考えていらっしゃるんです?
 んとにもう、気分屋なんだから!

 えー、毎年恒例の花火大会。きょう、その一発目がこの寒空の下でとり行なわれました。例年、この花火大会が開催されているときには決まって大学で稽古をしているため、ここ数年はまともに鑑賞してはいないのですが、しかしね、わたくしの家がこの花火大会の会場に近いために、もう子供のころから厭ってほど花火を見ておりますので、稽古がないきょうのような日であっても、あえて腰をすえて見るなんてことはいたしません。なんだか生意気な話ですが、どうも飽きてしまったらしいのです。
 そんなわけで、本日の花火は一発たりとも見ておりませんし、その時分は出かけておりましたので、音すらも耳にしておりません。
 きっと今年もあの寒空の下、霧雨の降るなかで花火の焔が燃えては散り、散ってはまた燃え、それを見ていたカップルの愛も燃えあがって、人陰でくんずほぐれつ……といった塩梅だったのでしょう。

 そういえば、わたくしにもそんな若き日がございましたなあ。あれは中学生のとき。友人ら数名といっしょに蒸し暑い河川敷を歩いて花火を愛で、あたりにまだ火薬の匂いが立ち込めているなかをとぼとぼと歩いて近所のちいさな公園へいって、ブランコなどに乗りながら話をして、まだ仄かに明るい夜空を見上げながら、隣にいる女の子に...懐かしいですなあ。
 今もあの公園はあるのだろうか。

 懐旧の 花火想ひて 泪雨

 お粗末さまでございました。
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2007年07月19日

歌う日本人と空飛ぶフランス人

 こんばんは、裏部長です。

 きょうは時間がないので、映画と観劇の感想をひとつだけ。


 まずは映画。2004年のフランス映画で『アルティメット』という作品があります。
 近未来。治安の悪化甚だしいある国は四方を壁でかこんでしまった。そのなかのB13という地域を舞台に、ふたりの男が悪へと立ち向かうアクション映画で、尺としても九十分ちょっとだし、テンポもかなり良いので、鑑賞して損をするものではありません。
 わたくしがこの作品のなかで憧れてしまったのは、そのふたりの男たちの身体能力です。いやあ、あれは常人ではありませんね。躰のバネ、柔軟性、そのすべてが飛びぬけて秀でている人たちなのでしょう。
 よくジャッキー・チェンが映画のなかで、オイそんなところから入れるんかい!?というほどの狭い窓から部屋の中へ入ってみたり、開いた車の窓から窓へと通りぬけたりするアクションがあるでしょう。あれを何倍にも濃くしたものがこの映画には存在しているのです。
 とにかくよく飛ぶ、廻る。あれでワイヤーもCGもいっさい使っていないというのですから驚きです。アクション好きの永遠の夢とさえ云ってよいものがこの作品のなかには散りばめられております。


 観劇の感想とは、つい先刻観てきたミュージカル『アイ・ラブ・坊ちゃん』についてです。
 音楽座ミュージカルのこの舞台は、ご存知夏目漱石の『坊ちゃん』を中心に、劇中の人物たちと、それをいま書き進めている漱石とが交差し、ついにはその夫婦愛を得る、というエンディングを迎えるもので、なかなかに充実した舞台でした。
 わたくしは割かし芸術ごとには寛容で、こういったミュージカルというものに関しても、これまで生で観たことはなかったものの、ある程度は期待をし、また同程度に愉しみな気分で観てみたのですが、しかしそれでもやはり、冒頭の、たくさんのキャラクターが出てきて一斉に歌い踊る「これぞザ・ミュージカル!」みたいなシーンでは全身から発汗してしまいました。あれはどうも馴れない者からすると少し恥ずかしいもののようです。
 でも、感想としては上上。なによりわたくしは俳優たちの声量と歌の巧さに感動をいたしました。たまには観劇のひとになってみるのも良いものです。


 なんだかやっつけ仕事みたいで申し訳ないのですが、本日はこのへんで。
 裏部長でした。
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2007年07月18日

人間はどこまで残酷になれるか?

 こんばんは、少しづつ胃袋の小さくなってきた裏部長です。ダイエット、順調に進んでおります。
 海の日のイヴェントのせいか、あれ以来ずっとテンションが収まらず、妙に元気な毎日を送っておりますが、空心館のみなみな様におかれましては如何お過ごしでしょうか。


 本日のタイトルは、わたくしの創作におけるテーマのひとつです。たとえば恋愛ひとつを取ってみても、この問題は避けられぬ壁として筆者の前に立ちはだかります。
 愛情の表現方法はひとそれぞれ、いろいろな形がありますが、中にはその濃度をよりいっそう濃くしようとし、最終的には相手を殺してしまう、なんていうことが現実にもフィクションのなかにも存在しております。つまり、じぶんは相手のことが好きで相手もこちらのことを好いてくれている、この両想いの愛を永久に保ちつづけるためには、今の状態で死ぬしかない。そんな理論に行き着いてしまうわけです。
 この路線でもっと卑劣なのは、片想いにも関わらずじぶん勝手な理屈でもって相手を傷つけたり殺したりしてしまうケースです。
 彼女は美人だし、性格もいいし、仕事もできる。女性としてはこれほど完璧なひとは他にいないだろうが、しかし一点だけ納得できないのはその声と話し方だ。彼女の声はその端麗な顔からは想像もできないほど穢く、そしてその声を用いて繰りひろげる陳腐な会話は、彼女の器量を一段も二段もさげるに十分である。だから彼女には永遠に喋らないでいてほしい。
 だから口を縫いつけてしまった.....というケースが実際にあったそうです。

 こういった愛情ゆえの暴走、非常識な理屈をもちいて犯罪をおかす人間とそれを追う刑事たちを描いたTVドラマ『沙粧妙子・最後の事件』(フジテレビ1996/7/12〜9/29)で、わたくしは生まれてはじめて快楽殺人というものを知りました。なんとも甘美で、そしてなんとも危険なその言葉の響きに、一時はまわりの大人たちも心配するほどはまっておりました。
 今でも憶えている内容でいうと、たとえばこんな場面があります。
 もしあなたがいま合法的に殺人を犯せるとして、まず頭のなかに、殺したいほど憎い誰かを想いうかべます。ここに兇器が三つあります。1:拳銃、2:ナイフ、3:ロープ。さて、あなたはどの兇器をつかってその人を殺すでしょう?
 この回答から導きだされる事柄とは、そのひとの性格や相手への憎悪の深さなどです。
 1の拳銃を選んだあなたは、相手に対してそれほど強烈な殺意を持っていない。なぜなら、拳銃での殺人は確実性はあるものの、行為としては長く続かず、恨みを晴らすにはあまりにも呆気ないからです。
 2のナイフを選んだあなたは、ある一定度の殺意をもち、またそれでもじぶんの力量に自信がない。だからこそ、拳銃よりは劣るものの、ただ刺せばそれだけで致命傷に至るナイフを選んだのです。
 もっとも殺意の深いひとは、3のロープを選んだあなたです。ロープで相手の頸をしめ、絞殺するというのは、それだけ相手が長く苦しむということですから、そこに潜む殺意は相当なものです。また加えて、あなたは綺麗好きです。ナイフなどを使った際の返り血などを無意識のうちに嫌っているのです。

 このドラマでは、人間かいかに不安定な生き物で、故にその信念を変えることは比較的容易である、ということも云っております。
 真犯人役の佐野史郎さんが劇中で云っておりました。
 「人の性格を変えることなんて、リンゴの品種改良よりも簡単だよ


 きょうは何故こんなディープな話をしているかというと、そんなグロテスクで残酷で、読んでいて吐き気を催すような小説をつい昨日に読了したからなのであります。
 筆者は平山夢明。本のタイトルは『独白するユニバーサル横メルカトル 平山夢明短編集』(光文社刊)と云います。
 ずっと気になっていた本で、このたび思いきって買ってきて思いきって読んでみたら思いのほか凄くて思っていた以上にヤラれてしまった、ということなのです。

 タイトルにもある通り、これは短編集で、なかには八つの作品が入っておりますが、ひとつとして温いものはありません。
 とにかく、凄い!参った!としか云いようがありません。わたくしは生まれてこのかた、これほどまでに残酷な小説を読んだことがありません。
 具体的な内容に関してはここで明らかにすることができないので残念ではありますが、興味と勇気のある方はどうぞ、何日か食事ができなくなってもいいんだ、ってくらいの覚悟をもって読んでみてください。その覚悟はきっと裏切られることはないでしょう。
 とにかく、怖い。そして、グロテスクな表現がすごぶるリアル。小学生を主人公にした“狂気”の話、人間を喰らう人間の話、少女の話、近未来の話、ジャングルの話、地図の話、そして拷問の話と、一篇として迫力の少ないものはありません。
 特にいちばん最後の作品における拷問のシーンでは、読みながら躰が震えてしまいました。その描写があまりにもこちらへ浸透しすぎて、まるで自分のカラダが切り刻まれているかのように感じてしまったのです。

 読了後、どうしたらここまで残酷な描写ができるのか、わたくしも読みながら考えてみましたが、結局、これは作品以上に筆者が凄いのだ、という結論に達しました。平山夢明さんのなかにはきっと、この作品のなかに流れる狂気や殺意や暴走心の、その何十倍もの黒いアウラが流れているのでしょう。


 津原泰水さんの『綺譚集』(集英社刊)という短篇集の帯に、作家の桐野夏生さんが、【恐ろしや、津原泰水は悪魔だ。或いは、一度死んだことがあるに違いない】というコメントを書かれておりますが、わたくしもこの文章を、ほんの少し換えるだけで、平山夢明さんへ宛てることができます。
 恐ろしや、平山夢明は悪魔だ。或いは、一度、

 地獄を見たことがあるに違いない


 わたくし自身、いま一番怖いのはじぶんの感覚です。
 この作品を読了後、どうも殺人事件のニュースを見てもそれが残酷だと感じられなくなっているのです。
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2007年07月17日

昨夜の反動

 こんばんは、裏部長です。

 きょうの札幌は、昨日のあの陽気が嘘のように、どーんよりとした天候でございまして、午後にはちょっと雨も降りました。なんともハッキリしない空模様であります。

 毎日のようにこのBlogへいらっしゃっている奇特な方はすでにご存知の通り、昨夜はわたくしの友人のことを、まあよくもここまで長長と書けるなあ、とじぶんでも呆れるほどに長い文章で書き上げてしまったため、なんだか一気に疲れてしまいました。それにどこか、彼の興奮心みたいなものが伝染してこちらまでテンションが上がっていたため、疲れていたのにも関わらずあまり眠れずじまい。あれで例年どおり熱帯夜にでもなっていたら大変でございました。
 そんなわけで、本日は昨日の償いをこめて、短めに終了〜。
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2007年07月16日

-勇姿-

 こんばんは、海の日の裏部長です。せっかくの祝日だというのに、日本は地震に台風にと大童であります。長野県および新潟県の方方はおそらく、きょうが海の日という祝日であることすら気に留められないほど辛い時間をお過ごしになっていることでしょう。
 心から亡くなられた方方のご冥福をお祈りいたします。


 突然ですが、わたくしにはミュージシャンを目指している年若い友人がおります。彼は現在、大学四年生という微妙な時期で、世の大人たちからして見れば「そんな夢みたいなことを遊びみたいに追いかけてないでさっさと就職しなさい」という、月並みの小言を喰らってしまいそうな日日を送っておりますが、しかしね、周りの大人たちがなんと云おうと、若者の夢の力というのは大きいものです。それこそ社会のルールや世の中の常識なんていう冷たい風にはいくぶん平気な顔をして抗えてしまうほどのパワーを持っているのです。
 彼もまたそんなドリーマーのひとりです。
 
 彼は高校生のころにも音楽をやっておりました。バンドを組み、そこでギターを弾いたりベースを弾いたりしていたそうです。
 大学へ進むと、もちろん学業もあり、サークルなどにも入ってしまったため、音楽一本の生活ではなくなりましたが、いや、むしろそんな時期を経たからこそ現在の彼があるのかもしれません。
 彼は今年の四月から市内の某有名音楽スクールへ通いはじめました。それまで独学でやっていたギターを一から、基礎中の基礎から学びなおそうと決意したのです。
 熱意というのはああいうもののことを云うのでしょうねえ。彼は大学の講義と並行してサークル活動もつづけ、そしてそのスケジュールの合間をぬってスクールのレッスンへ通い、また作曲のためには鍛えていたほうがよかろうと、昔は習っていたというピアノも、そのスクールとはちがうところで勉強しはじめました。音楽も映画も小説も、すべて独学で貫き通そうとしているわたくしなんぞには及ぶべくもないほどの勤勉ぶりです。
 スクールで彼はエレキ・ギターの授業を受けています。同じクラスにはそれこそ何年も通っているようなツワモノたちがたくさんいるそうです。
 ここでは定期的に発表会を催します。それは、市内にある同系列のスクールに通うスクール生たちでバンドを組ませ、一曲を練習して一般客の前で演奏するというもので、もちろんバンドは即席、演奏する曲も馴染みがないものさえあるという、仲間内でやっているような音楽活動とは一線をかくす内容となっています。
 彼は云うまでもなくギターを担当し、ある日本人女性アーティストの歌を一曲担当することになりました。
 その発表会が今夜、彼のかようスクール内で開催されたのです。

 わたくしは後輩たちとともに会場へゆきました。全国規模のスクールであるため、建物自体も大きく、なによりも内装施設がとてつもなく立派で驚いてしまいました。
 会場は百人ちょっとが入れる小振りのホールで、わたくしは係りのひとに案内されるがまま、いっしょに行った狗っちとともに、なんと前から二列目の席へ坐りました。

 彼の出番は後半。それまでに出る数組のバンドを、わたくしはまるで音楽オーディションの審査員になったが如く、厳しい目で見てゆきました。経験がある、などとは云えないほどですが、わたくしも昔ドラムをやっていたことがあるため、ドラマーたちのミステイクはよく聞こえました。ドラムというのは生楽器ですから、どうしても他の電子ものよりも音がでかい。だからこそ、些細なズレやスティック同士のぶつかる音なんかが割かしクリアに聞こえてしまうのです。
 そんな、なんちゃって審査員の前で、それでもスクール生たちは堂々の演奏を続けます。人前で演奏することの怖さ、緊張感はやったことのある人間でなければわからないでしょう。なぜかこちらまで震えてくるほどの緊張感がステージ上に漂っておりました。

 中入り、休憩。そのあとにはまずグループによるコーラスが入ります。
 彼の出番はその次です。
 休憩を長く取りすぎて開演に気づかなかったわたくしと狗っちは、立ち見客のため、コーラスが終わるまで席へはもどれず、ずっと立っておりましたが、隙を見つけて素早く席へもどると、定位置にスタンバイしている彼を見つけました。
 司会者によるメンバーたちの簡単な紹介が終わり、曲名が告げられると照明が落ちます。


 アンプからかすかに洩れるギター音のなか、メンバーたちが顔を見合わせてアイ・コンタクトを送る。みんなの反応を見て、彼は手もとへ視線を下ろす。この曲はギターからスタートするロック・ナンバーだ。彼の演奏を合図に、いっせいに全員が怒号のような音を出す。
 テンポはなかなかに速い。すべての音がマイクを振りきるギリギリのところまで出されているかのような迫力がある。
 ギターの一人弾きにかぶせてベース、そしてドラムが入り、曲はAメロへ。今のところミスらしいミスは聞こえない。
 Bメロも難なく終わり、一気にサビへ。ここですこしドラムに揺れが感じられた。
 しかし、肝心の彼はだいじょうぶだ。全身から緊張感はにじみ出ているが、しかし指はきちんと動いている。
 ふたたび間奏へ入り、A、Bメロへと流れてサビへ。
 このサビが終わると、ギターのソロ・パートがある。一音一音をはっきり弾くようなサビではないが、しかし目立ちどころである。
 タイミングをずらさず、シンバルの音を受けて、サビがスタート。ちょっと音が小さいかな、とは思えるが、しかしそれでもオリジナルと比べてほとんど違わぬ出来に、どういうわけかホッとしてしまう。
 ソロが終わるとふたたびサビへゆき、間奏をもう一度やって、曲は嵐のように幕を閉じた。


 次のバンドがセッティングする合間をつかってメンバーへのインタヴューが行なわれます。
 彼はこのインタヴューを受けます。あとで「かなり緊張していた」と云っていた彼ですが、こちらにはほとんどそんな素振りは見せませんでした。あれはあれで生まれ持った素質かもしれません。
 その後も何組かのバンドが演奏を披露し、客のアンケートを集めたり、講師陣の演奏があったりなんかして、表彰式。客の支持を集めたふたつのバンドに賞が贈られるわけですが、彼のバンドはこのなかに入ることができませんでした。
 この結果はもちろん、残念なことには違いありませんが、しかし彼自身も、今回のこのステージでいろいろと学ぶことがあったでしょうし、課題も見つかったと云っておりましたから、決して不本意な結末ではなかったのでしょう。なにより、実際に演奏をする、ということを成し遂げたのですから、そんな彼はじゅうぶんすぎるほどに立派なのです。
 終演後、ロビーで彼と談笑。感想などを告げて、われわれは帰路につきました。


 これはお世辞でもなんでもなく、彼の演奏は素晴らしかった。なにが良かったかといって、わたくしは今日この会場へゆく前に、彼が今日演奏したあの曲のオリジナルを、何度も何度もCDで聴いていたのです。ですから、原曲のギター・ソロの内容やその雰囲気はもう耳にこびりついていたのです。
 そんな耳で聴いて、それほどミスはなかった、と云えるのですから、これは上出来といって間違いはないでしょう。彼がこの曲を練習したのはたった二箇月。全員で合わせたのはたった四度、というのですから。


 彼の勇姿をみて、わたくしも喝を入れられた気がいたします。
 どんなに険しい道でもやらなくちゃ夢は叶えられない。
 とてもとても大切なことを教えてもらった七月の夜でした。


 「彼」くん、本当にお疲れさまでした。
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2007年07月15日

舞台を捨てるな

 こんばんは、裏部長でございます。本日もよろしくおつき合いのほどを願っておきます。


 昨夜、一冊の本を読了しました。貫井徳郎さんの『夜想』(文藝春秋刊)という作品です。無論のこと、小説であります。

 主人公は自動車の販売会社につとめる営業サラリーマン。今は故あってひとり暮らし。というのも、はじめて行った家族旅行の帰り、玉突き事故に巻きこまれて最愛の妻と、そしてたったひとりの愛娘を目の前で失ったという過去があるからなのだが、事故のショックをどうにか受け入れ、職場復帰してもどこか上の空、仕事が手につかない。同僚たちも腫れ物にさわるような視線を送ってくるし、上司からはミスをするたびに「まだ辛いんなら休め。無理して出てきてもみんなに迷惑をかけるだけだぞ」と云われてしまう。
 そんな、心身ともに弱りきっていた主人公がある出先からの帰途、背後から声をかけられて振り返った。そこには、彼の定期入れをさしだすひとりの女性。一見して大学生くらいの、見とれるくらいに器量のよい女性である。
 彼はその女性に見入ってしまった。しかし、それは彼女が美人だったからではない。
 彼女は初対面の主人公をみて、なんと泪を流していたのである。

 それから彼と彼女との交流が生まれ、聞けば彼女は、他人のものに触れてそこに残っている記憶を読みとれる能力があると知り、その噂を聞きつけた人びととともに団体をつくり、主人公の生活は彼女中心のものとなってゆきます。それまでも彼女はアルバイト先の喫茶店で、口コミでやってきた相談者に対して無償で、その悩みを聞いてあげるという活動をしており、このボランティアともいえる活動に救われた人間たちが集まって、ゆくゆくは雑居ビルの一室で事務所をひらくまでに至るのですが、そこまで組織が大きくなると必然的に、スタッフたちを指揮する側の人間にも苦悩という名の、なんとも厄介な問題が生まれてくるのです。

 現に主人公も、何年も勤めた会社を辞めてその活動の広報として働くようになったあとも、やれどこの馬の骨とも知れぬ怪しげな男にその指導権を奪われそうになったり、最初ボランティアとして参加していた主婦たちの勢力に押されるようになったりと、気づかぬ間にできていた意見や意思に驚き、慌てふためいて、その都度、頭を抱えてしまいます。
 わたくしなんぞはこういった話を見聞すると、どうしても「ああ、組織ってイヤだなあ」と思ってしまいます。たしかに、同僚たちとの人間関係や上司との兼ね合い、後輩たちへの気配りなどはどの社会でも存在することであり、この空心館札幌支部においても当然のこととしてそんないろいろの種は存在しているのです。
 ですから、全くじぶんとは関係がない、とは思いません。そういった煩わしいざまざまな問題に直面し、頭を抱えなければならない瞬間というのが必ずこれからの人生に出てくることでしょう。それこそが人間の、生きてゆく上での苦しみなのかもしれません。


 しかしね、やっぱり面倒くさいですよ、そんなことは。やれ仲間内にイヤな奴がいるとか、あいつの顔は生理的に受けつけないとか、そういったことはまだ対処がしやすいんですけど、たとえば「陰口」とかね、あと「根拠のない噂」。そういったものが飛び交いはじめて、対処する間もなく今度は部下がだれかとできちゃって妊娠したとか、客商売であれば難癖をつける厄介なクレーマーが来たとか、そういったことが次から次に起こるともうわたくしなんぞは耐えられませんな。もういいや、ってんで投げてしまうことになる。
 そういった事柄は武術の世界においても、決して当てはまらないことではありません。わたくしもいろいろな方面からいろいろなことを伺っておりますが、やはりひとつの道場が所属人数の増加にともなって大きくなって、組織がどんどんどんどん肥大してゆく。ふつうの道場とか団体というものは当たり前のこととして月謝とか年会費を徴収しておりますから、そこから莫大な利益が出る。弥生時代へ遡ってみなくともわかるように、利益が出るとそこにはどうしても利権争いが生まれて、勝者は新たな統治者となり、敗者をそこを去らざるを得なくなる……みなさんもお聞きになったことがおありでしょう。
 
 そんな組織の利権争い、分裂話なんかを聞いておりますとつくづく、ああ空心館でよかったなあ、と思います。支部があるといっても数えるくらいしかないし、妙な権利争いはなさそうだし、本部のみなさんは優しいし、なによりも師範があれだけの方でありますから、純粋に武術を修行したいわたくしどもには打ってつけの場であることはもう云うまでもないでしょう。肝心な稽古をほっぽり出して派閥争いに頭を悩ます必要がないということは、これはこれで結構安心なことなのです。


 昨夜のそんな読後感からいろいろなことを感じて、そしてふと憶いだしたことがあります。わたくしなんぞとは雲泥の差、あまりにもレヴェルの違う人物の話でございますが、これはこれで、今回の話題にまったく関係がないと云えないような気がするのです。


 歌舞伎のほうではみなさんご存知、七代目坂東三津五郎という方。この方はそれこそ踊りではね、もう名人と云われていて、ご著書も多いという、なんとも珍しい方なのですが、この七代目の後継者、つまり八代目の三津五郎さんですが、これは息子さんがお継ぎになりました。
 八代目さんもこれまた踊りの名手で、すっかり名人の名をほしいままにされたわけですが、この八代目と先代の七代目には大きな違いがあったというのですね。
 それは、「舞台を捨てる」ということです。
 八代目はたしかに巧い。それは誰もが認めたことで、当然お父様である七代目さんも評価をしていた。しかし、ある一程度の技巧をお褒めになった上で、「お前にはわるい癖がある」と、こうおっしゃったというのです。
 八代目はすぐに尋ねます。「わたしの悪い癖とはなんですか」
 七代目はこう答えました。

「お前はたしかに巧い。しかし反応の悪いお客様がいらっしゃると、すぐに(踊りを)捨ててしまうだろう。あれがよくないのだ」

 踊りを、舞台を捨てるというのはつまり、集中力を切らさず、最後まできちっと演じあげることを放棄する、まあ簡単にいえば諦めてしまうことを云います。八代目にはこの癖があった。ですから舞台へ出ていって、少しでもお客さんのリアクションが悪いと、「ああ、きょうは駄目だな」と手を抜いてしまう。これをお父様は見事に看破したのです。
 じぶんのことですから、薄薄と感づいていた八代目、すぐにこう尋ねます。「では、そういうときに父さんはどうやって舞台を捨てずに演じきれるのですか」と。
 七代目はすらっと、こう云ったといいます。

「舞台へあがれば、わたしの前にはお客様がいる。と同時に、わたしの背後にはご先祖様(先代の三津五郎など、歌舞伎の先達たち)がいるのだ。どんなにお客様の反応が悪くても、後ろから大先輩たちが常に見ていると思えば、捨てたくとも捨てられるわけがなかろう」
 
 この話を知ったとき、わたくしの稽古している空手、そして体道にもおなじことが云えるのではないかと感じました。たとえば師匠らが不在で、わたくしが代わりに後輩たちの疑問質問に答えなければいけないとき、目の前には後輩たちが、そしてわたくしの背後には、もちろんまだ亡くなってはいませんが師範や師匠、先代の藤谷師範、そして糸東流の摩文仁先生たちの視線が集まっていると感じながら答えるようにしています。じぶんの稽古においてもそうで、常に見られている気持で続けてゆかねば意味のある修行はできません。
 まあもちろん、われわれのやっていることは歌舞伎でもないし、お客さんを相手にしたパフォーマンスでもありませんから、その様相はちょっぴり異なるのでしょうが、それでもまったく違う次元の話ではないと思われます。
 「舞台を捨てるな。稽古を捨てるな」。これは今後もわたくしの内に沁みこみ続ける言葉になりそうです。


 ちなみに貫井さんの『夜想』ですが、作品としては面白いものでした。今回のものに限らず、この方はどうも台詞があまり良くなく、その登場人物がしゃべっているというよりは筆者自身がしゃべっているように思えて、たとえば若者の話すイマ風の喋り方などはどうも硬っくるしくていけません。その点はすこし気になりましたが、しかし物語の展開もおもしろいし、最後のほうはハッとさせられる箇所も多くあって、そのくせ、ラストはきちんと和やかに締めている。読みきったあとの爽快感はなかなかのものです。
 興味のある方は一度読んでみてはいかがでしょうか。


 裏部長でした。
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2007年07月14日

其場凌

 えー、裏部長でございます。

 きょうから三連休だ、なんて方はたのしい週末でしょうなあ。こちらも良い天気にめぐまれて、そのくせ気温は低く、風も涼しいというのですから、きょうほど連休日和だった土曜日もないだろうと思うのですが、南のほうへゆきますとね、そんな呑気なことばかりを云ってはいられません。
 台風四号がたいへんな猛威を振るっているようで、吹き飛ばされそうになっているTVリポーターをニュース番組などで散見しておりますが、どうもああいった風景を見ていると、それがまったく違う国のことのように思えて仕方ありません。というのも、北海道というところは梅雨がない代わりに、この台風というものも無いんでございます。沖縄だとか九州だととか、あの南の地域へぶつかってくるような風の塊がこの北の地へたどりつくとね、もうすっかり弱ってしまって、ぬる〜い強風程度にまでその威力が半減してしまっているのです。
 だからわたくしも、生まれてこの方おどろくほどの強風だとか嵐だとか、そういった自然災害に悩まされたことがございませんで、マンション暮らしですから、冬の雪かきにも苦しんだことがございません。たいへん軟弱な都会っ子なわけですが、そんな人生を歩んでいるせいか、どうもこの生活における危機感といいましょうかね、根太い生き方というのができていないように思われます。
 もっと芯の強い人間になってみたいと願っております。

 なんだか結論のない、よくわからない話になってしまいましたが、そんなわけで、きょうの札幌はよい天気であったト、まあそんな代わり映えのしない話題で難を逃れようト、そんな苦肉の策であったわけでございます。
 たまにはネタのない日だってあるんよ...もうやだ〜(悲しい顔)

 誰でもいいから書き込みしてくださいな。裏部長だけでは荷が重過ぎます。
 そんなお願いをして本日は終了。閉店、ガラガラ。パァッ!
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2007年07月13日

もうすぐ終わる七月

 こんばんは。最近、食事のなかでもダイエットをはじめた裏部長です。つい先日、TVのなかである男性タレントが「いまダイエットしてる。炭水化物とか全然取らないやつ」と云っていたのを聞いてそれを試しております。もちろん、まったく摂らないというのも不健康な話なので、お米などを控えるのは数日に一回のペースとし、あとはその量を減らすのみにとどめております。これで果たしてどれくらいまで体重が減るのか、やり続けてみないとわかりませんが、できれば二三kgは減らしてみたいものです。

 えー、今夜も案の定、稽古はお休みでございます。きちんと欠席の旨の返信が来たのは「狗っち」のみでしたが、あの感じではおそらく他のメンバーもいけなかったのでしょう。そう察して中止にしました。
 来週から大学は試験です。主要メンバーはそのほとんどが四年生ですから、余裕のなかにも緊張感をもって、単位を取りにいってほしいと思います。

 なお次回の稽古は、七月最後の月曜日である三十日でございます。 八月に入りますと師匠が海外へゆき、K先生もご実家へお帰りになってしまうため、わたくしが責任をもって稽古を取り仕切ってゆくことになりますけども、きょうのようなことが恐らくはよく起こると思うので、これはまたあとで改めて提案をさせていただきますが、稽古日にはそのつど、参加したい、というひとだけ裏部長へメールを送ってもらう、ということにしようかと考えております。熱心なる韓国人留学生のふたりも来られない日はあるわけで、おそらくは週に一二度といった感じになるでしょうが、できればその都度そういった確認を取りたいのです。こちらで参加者の人数を把握した上でその日の稽古のやるかやらないかを決定しておけば、決して間違いはないと思います。
 
 まあとにかくは、札幌支部門下のみなさんは試験に励んでください。

 
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2007年07月12日

寒っ寒っ!

 こんばんは、裏部長です。

 昨日、なんだか夏なのに寒いなー、なんてなことを云っておりましたら、きょうはそれに輪をかけたくらいの涼しさ。なんでも五月下旬なみの気温で、さっぽろでは十八度くらいまでしか気温が上がりませんでした。長袖でじゅうぶんでございます。

 噂によれば今年は猛暑らしいので、神様が気をきかせてくれたのかもしれません。道産子たちよ、今のうちに冷気を吸収しておけよ...なんて云うかどうかはわかりませんが、きっとそんな気遣いの賜物なのでしょう。

 明日もこちらはそんな天気です。ですからね、稽古をするには持ってこいなんですよ、涼しいですから。こんな日にはね、もうそれこそ「これでもか!」ってほど動いたってあまり熱くならないんですから、稽古日和といえないこともないと思うのですが、そういった日に限ってこういったことになりますからねえ。人生というのは侭ならないものです。

 そうです。明日は稽古をするかしないか判りません。現時点では「狗っち」から欠席の旨を受けとっておりますが、他のメンバーからは音沙汰なし。でもたぶん、この時期のことを鑑みてみますと、おそらくは中止になるものと思われます。ええ、たぶんそうなるでしょう。
 せっかくね、涼しくていい日なんですけど、集まれないってんなら仕方がありません。迫りくる猛暑に向けて気合をいれなおす一日にしたいと思います。

 最後に、神様の登場する小噺をひとつ。


 神様が、人間の世界を覗こうとやって参ります。案内役として人間がひとりつきまして、高いところから見ておりますと、真昼間からエッチなことをはじめている夫婦がおります。
神「ああ、これこれ。アレは何をしておるのじゃ?」
 案内役の人間はまさか○○○ですとは云えないので、
人「へ、へえ。アレは子供を作っているところでございます」
神「なに、子供を作っているところとな?ほう、してその子供とは、一日に何人くらい作るものなのじゃ?」
人「いえ、一日に何人もだなんて滅相もない。せいぜい一年にひとりでございます」
神「なに?一年にひとりか?しかし、それにしては、えらく忙しそうに作るものじゃのォ」


 俗にゆう「バレ(破礼)噺」でございました。
 お後がよろしいようで...
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2007年07月11日

寒っ!

 こんばんは。妙に足が痛い裏部長です。べつに蹴りを多く稽古したわけではないのですが、太股の裏あたりがかなりキテいます。
 そうです。案の定、鈍りきっているのですふらふら


 やっぱり“持続”ということが一番むつかしいですよ。昨日のS呂君の話じゃないけど、どんなにハードでタイトで、そのことにまったく感心のない他人から見れば「どうしてそんなことをそこまで出来るの?」と思えてしまうようなことでも、飽くことなくアプローチをし、そしてなおかつその努力を惜しまない。この探求心と持続する熱意、これがあれば何でもできるような気がいたします。


 きょうの札幌は寒かった曇りなんでも明日あたりには雨も降るそうです。
 九州地方などでは大雨でね、きょうなんかは死者も出てしまったとか。なんとも御労しいことでございます。


 明日はご案内のとおり、稽古はお休みです。みなさん、試験にむけて勉強をするなり、レポートを書くなり、夢へ向かってアプローチするなり、存分に稽古のない木曜日をご堪能ください。
 で、金曜日ですが、今週もまた師匠&K先生不在につき、わたくしの責任でやるかやらないかを決めたいと思います。メール等での出欠確認は明日あたりに行なおうと考えております。

 それでは、よい木曜日を。
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2007年07月10日

夢見る星屑

 こんばんは、裏部長です。

 今朝ね、TVのニュースでね、フランスの話題が出たんです。なんでも、日本のマンガだとかアニメーションだとか、いわゆる「アキバ系」の文化紹介を中心におこなわれているエキスポで、向こうのオタクたちがコスプレをして集まっている映像が紹介されたわけですが、そのなかにね、空手とか居合があったのですよ。
 まあヨーロッパは武道熱の高いところですから、特に空手なんかは人気があるのでしょうが、そこで披露されていたものといったら……。
 ネ、云わずもがなでしょう。
 そうです。そりゃもう惨澹たる有様、というか、開いた口がふさがりませんでした。どうしたらあれを空手と呼べるのか、たとえ日本語で説明されてもわからないような動きのオンパレードで、「おたくら、日光江戸村のひと?」と訊きたくなるような有様でした。ご覧になった方もおありでしょう。
 ああいうのを見ると、改めて現在の世界における「空手」というものがどういった状態で、そしてどのように受け止められているか、という問題に暗澹たる想いを抱かずにはいられなくなります。いくらじぶんたちの稽古しているものに誇りを持っていても、やっぱり何だか虚しい気持になってしまうのです。
 別にフランス人が悪いんじゃないんです。あんなものを空手といって彼らに教えた誰かが悪いのです。
 ああ、空手よ。きみは何処に……。

 さて、今夜はそんな空手の稽古です。参加者は当破君、S呂君、韓国人留学生のふたり、K先生、となかなかの人数。ただひとつ残念だったのが師匠です。なんでも先週の金曜日の体育の授業かなにかで、ギクッと腰を痛めてしまい、まともに歩くだけでも辛いらしいのです。
 ですからきょう師匠は指導面のみ、それも中盤まで、ということになりました。

 K先生先導のもと、基本稽古を受けまで。移動稽古からは師匠が前に立ち、追い突きからいわゆる五連続まで、重心の移動などをメインのテーマとして動きます。
 わたくしは特に、足を真っ直ぐに出す動きで、とにかく真っ直ぐ突く、これだけを意識して稽古しました。
 ここで師匠の奥様と六代目が来室。なにがツボにはまったのか、六代目は終始ご機嫌で、以前わたくしの面白い顔ではクスリともしなかったのが、きょうは近づいていっただけで大笑いをしてくださいました。なにか愉しいスウィッチが入ったのでしょう。
 賑やかになるなか、移動稽古終了。ここで師匠は早退。
 
 後半は約束組手です。まずは、K先生・裏部長・Hさん、S呂君・当破君・T君で組み、ふた通りのローテーションで中段追い突き。途中からはわたくしとS呂君が交代しておなじくふた通りのローテーション。すこし急ぎ足ではありましたが、ひと通りのメンバーと拳をあわせることができました。
 わたくしとしては、やはりK先生と対したときの反応のむつかしさ、これが課題として残ります。あれだけ縦横無尽にうごく相手に向かってゆきながら、その隙を見つけて攻撃を仕掛ける……と文章で書けばたったこれだけの簡単なことなのですが、実際にやってみるとこれが存外むつかしい。どうも、足も腰も、カラダ全体が止まってしまうのです。
 ここを着替え途中の師匠も見抜かれ、足は止まっても腰は止まらぬようにし、その流れで攻撃を出せというアドヴァイスをいただきました。要稽古です。

 最後、ほんの少しの時間でしたが型をやりました。わたくしはおもに「征遠鎮」をやったのですが、ところどころスポッと忘れてしまっている箇所があり、そのたびにK先生へ伺って直すという作業。なんとも恥ずかしい限りで、おのれの稽古量の少なさを思い知りました。あれではいけません。

 八時、終了。


 稽古終了後、一階にある談話室で、文字どおりS呂君と談話。
 かれも夢を追いかけているひとりです。その夢について話すとき、知らず知らずのうちに笑顔になり、そしてその目はキラキラと輝いておりました。
 S呂君のそんな眩しいほどの眸を見ているうちに、「ああ、じぶんも今あんなキラキラした目で夢を追いかけているのだろうか」とすこし不安になりました。
 たくさんの挫折、苦悩、暗闇の日日。そんな生活を続けているうちに、いつの間にかわたくしの目は、“常識”とか“社会”とかいう冷たい世間の風にさらされて、気づかぬあいだに石のようなただの塊になっているのかもしれない……。

 そんな誰にも云えないような夢の壁を前にして負けそうになったとき、わたくしはいつも、TUBE『夢見る星屑』という曲を憶いだします。生まれてはじめて買ったTUBEのアルバム『浪漫の夏』のいちばん最後に収録されているこの曲には、こんな歌詞があります。


 いつからだろう あきらめること憶えて
 器用になってく 心が

 恋も夢も 数えきれないほど
 失くして破れて、ボロボロになって

 気が付けば 僕が僕じゃなくなって
 見失うばかりだけど
 立ち止まるワケにはいかなくて
 見えない何かの為 待ってる誰かの為

 僕らはみんな 見えないゴールをめざして
 傷付きながらも わずかな希望を未来(あす)に

 夢見る星屑




 がんばれ、S呂君。いつか輝く星になれ。


 追伸。わたくしも頑張ります手(チョキ)
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2007年07月09日

駄目駄目

 こんばんは。夕方の涼しさにあわてている裏部長です。北海道の怖ろしいところはここなんです。夏だというのに、夜になるとグッと冷える。ですから朝、快晴の空を見て、「おお、きょうは暑そうだぞ」と思って半袖を着ていっても、帰宅するころにはすっかり冷えてしまって、諸腕をさすりながら早歩きする羽目になる。これはたいへんに厳しい、体調管理へ対するおおきな壁です。道産子は日夜これに対する作戦を考えねばなりません。

 わたくしもいま考えているところです。ふ〜む...

 さて今夜は稽古、だったのですが、またもや参加できず。今週はただでさえ稽古の数が少ないというのに口惜しい限りです。おそらくはK先生をはじめとして、熱心なる韓国人留学生たちが頑張っていたことでしょう(たぶんですが)。
 明日はどうにか行こうと思います。
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2007年07月08日

「好い加減」という遊び心

 こんばんは、裏部長でございます。

 以前からここでも書いてきたように、わたくしは小説家志望で、それも青春もの、ネ?若者たちの群像劇、みたいな作品をおもに書いてゆこうと考えている人間なわけですが、その勉強のためにはいろいろなものを見ます。それこそ映画からTV、小説、脚本、戯曲に写真集、とにかくそこに若者たちが描かれていればなんでも見る。特にフィクションに関してはできうる限り見てやろうと日頃から目を光らせておりますが、なかなかね、そうすべてを網羅できるわけではございませんで、なかには泣く泣く鑑賞をあきらめる、といったものも出てきてしまうものです。
 映画はリアルタイムで映画館へいって観ることができなくても、あとあとすぐにDVDになって出ますしね、またその数数の衛星放送、CSなんぞというものもありますから、こらあいいんです。公開しているときに観逃してもあとあと挽回できるんですが、TVドラマとなるとこうはゆかない。CSや地上波での再放送、なんてものはそう早くは行なわれないし、DVDを借りて見るといっても、一枚や二枚じゃないですからね。これはとても厄介なことです。
 ですからわたくしは殊TVドラマに関してだけでは可能なかぎりリアルタイムで見てやろうと思っております。こらあもう病気みたいなもんですな。ひとつでも見落とすなんてことがあったらもう我慢ができない。ううぅ、ってんで口惜しい気持になります。

 ただこの、ね、それじゃあ一週間のうちにあるすべてのTVドラマを見ていられるか、といやあ、やっぱりそうじゃない。うん。一日中TVの前に坐っているわけにもゆきませんから、どうしても鑑賞にあてられる時間というのが限られてくる。そうなると、どうしても見るものを限定しなければゆかなくなります。
 そこで、切り捨てる基準ですが、まずはやはり上記のことでもって、青春ドラマを優先する、これですね。大人の話はまたあとで、ということにしてしまうのです。
 しかしこの方法で減らしてもまだ数はあります。まあそれは、日本のTVドラマのほとんどが青春ものである、ということの証明でしかないんですが、それらをくまなくチェックしたい人間としてはいささか辛い。

 そこでこの「好い加減さ」という基準が出てくるのです。わたくしはこの、他人から云われるとあまり嬉しくない基準でもって、鑑賞するTVドラマを選定しているのです。

 その一例を、前クールのTVドラマ群からご紹介しましょう。
 ざっと云って、つい先日まで放送されていたTVドラマのなかで、青春ものというジャンルにあてはまるものは以下の通りでしょう(札幌で放送されているもののみ)。
 月:フジテレビ系列『プロポーズ大作戦』、テレビ東京系列『美味學院』。
 火:フジテレビ系列『花嫁とパパ』、日本テレビ系列『セクシーボイスアンドロボ』。
 水:日本テレビ系列『バンビ〜ノ』。
 木:フジテレビ系列『わたしたちの教科書』。
 金:テレビ朝日系列『生徒諸君!』、TBS系列『特急田中3号』、テレビ東京系列『エリートヤンキー三郎』。
 土:フジテレビ系列『ライヤーゲーム』。


 このうちわたくしが途中で鑑賞を断念したのは、『わたしたちの教科書』と『生徒諸君!』の二作のみです。それ以外のものは最終回まできちっと見ました(最後まで秀逸だったのは『バンビ〜ノ』のみ)。

 では、どうしてこの二作の鑑賞を断念したか。
 それは「好い加減さ」がなかったからです。

 ここで云う「好い加減さ」とは、遊び心、そこから転じる“笑い”のことです。この二本のTVドラマにはそんな遊び心がなかった(もしくは少なかった)と云えるでしょう。
 内容としてはどちらも学校もの、『わたしたちの教科書』はイジメ問題、『生徒諸君!』は学校問題全般をあつかったもので、テーマやモチーフは決して悪くないのですが、いかんせん硬い。見ていて少しもたのしい気分にならないのです。
 もちろん、フィクションにはジャンルというものがありますから、見ているこちらを不快にさせるような作品もあって良いのでしょうが、あそこまで遊びがないと、やっぱり最後までは見られません。
 TVドラマというのは三箇月、合計十一本の作品でひとつのドラマを構成します。つまり、映画ならば二時間ほどで一気に見せることのできる物語を、週一のペースで、三箇月もかけて見せなければならないのです。視聴者の意識を引きよせつづけておくには、相当の質と内容がなければなりません。しかも「イジメ」や「不登校」などといった暗い話題を描くのであればなおさらで、少しでもそこに見やすさ、受け取りやすさを拵えてほしかったと、わたくしは思います。

 そういったことで云うと、同じクールの『プロポーズ大作戦』、『美味學院』、『花嫁とパパ』、『エリートヤンキー三郎』、『ライヤーゲーム』なんかも、軽さ、明るさはあったものの、流れが単調すぎて、後半すこしダレてきた感がありました。ハナから明るく、テンポのよい作品というのは、どこかでそのリズムを変えないと、最後には飽きられてしまうものです。こっちはこっちで大変むつかしい話であります。

 とにかくそんなわけで、わたくしはこの「好い加減さ」というものをたいへん贔屓にしておりまして、じぶんの作品にも投影させてみたいと考えておりますが、この夏からはじまる数数のTVドラマもしくはTV番組のなかにも同様の視点で作品をつくっているものが幾つかあるので、もし気になった方は一度ご覧になってみると良いと思います。
 たとえば火曜日、フジテレビ系列で放送されている『花ざかりの君たちへ イケメン♂パラダイス』。これなんか「好い加減」の代表。好い加減の国から好い加減ひろめにきたようなドラマです。とにかく内容に深みがないし、最初っから「この作品にムリがありますけど、大目に見てください」なんてお断りをしているし、なんともふざけたドラマではありますが、しかしね、そのストーリー展開の速さといったら表彰状ものです。あれだけ速く、とにかく人物の素性や過去の出来事やその学校の内部のことなど、ドラマに必要だと思われる情報をほとんど説明せぬまま、グングンと話を進めてしまうあの強引さ!しかして、見ているほうは理解できないかっていうとそうじゃない。なにせTVドラマというのは視覚的なものですから、そのキャラクターの喋り方、歩き方、なにかが起こったときのリアクションの仕方なんぞで、ああこのひとはそういう性格なんだ、と、ネ?なーんとなく解ってしまうのです。
 ですから不要な説明はいらず、ただただストーリーを前進させるだけでドラマが成り立っているのです。

 同じことでいえばTBS系列の『山田太郎ものがたり』、こちらも馬鹿馬鹿しさでいえば合格点でしょう。しかも子役たちの演技がいい!ひとりとして視点の揺らいでいる子がいません。あれは凄いメンバーです。

 しかしね、「好い加減さ」でいえばね、もっと凄いのがあるんですよ。まあこちらはドラマじゃないんですけどね、フジテレビ系列で金曜日の夜十一時からやっている『スリルな夜〜イケメン合衆国〜』という番組。これほどふざけているものもありません。
 とにかくここ最近のハンカチ王子、またはハニカミ王子の人気をうけて、「何でもいいから、とにかくイケメンを出しておけば視聴率が取れるだろう」と、開始早々からそう宣言してしまっているのです。
 これほど軽率で、馬鹿馬鹿しい番組もありませんが、しかしね、TVなんてものは良い意味で軽さのある媒体ですから、本来はあそこまで遊んでよい、いや遊ぶべきなんです。むかし伊丹十三さんが『天皇の世紀』というドラマのなかで、ドキュメンタリー風に侍の恰好をしてパリの街を歩いたりなんかしておりましたが、あれくらいの遊び心がTVには必要なんです。それが笑いにつながり、明るさにつながり、最終的にはおもしろさに繋がる……かどうかはわかりませんが、とにかく暗くてジメジメしているような不快なものにはならないはずです。

 わたくしもそんな、良い意味での軽さをうま〜く操って、たのしげな作品を書いてみたいと思っております。
 またまた長くなってしまいました。今日はこのへんで終わっておきましょう。


 さて明日からはまた新たな一週間。そして、試験前最後の一週間でもあります。
 月曜と火曜は今までどおりですが、木曜日は師匠ら不在のため、稽古そのものを中止し、金曜日はまた例によって参加者の有無を確認したのちに行なうかどうかを判断いたします。ですから、もしかすると、前半二回の稽古のみで今週はおわり、なんてことにもなりかねません。
 門弟諸賢はそのあたりのことをじゅうぶん考えて、稽古へ参加をしてください。

 裏部長でした。
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2007年07月07日

ことばの話

 こんばんは、裏部長でございます。

 
 えー、最近よく、この、TVなんぞで「若者とケータイ文化の危険性」なんぞという話題をよく取り上げておりますが、VTRなどを見ますとね、ああなるほどこれはたしかに危険だなあと、そんな風に思えるものがいくつもあります。「プロフ」なんていうようなね、ああいったものはやっぱり危ないなと思いますよ。ねえ。じぶんの素性、ね、まあつまりはプロフィールってやつを事細かにインターネット上にアップして、そこに携帯電話の番号なんかを載せちゃってる。なかには下着姿の写真なんかも載っていて、しかもそれが中学生の女の子だっていうんですから、これは誰が見てもすこしおかしいと思います。
 ただ、そんなことをしてる若い世代のひとたちは大人たちほど危険だっていう意識がないようで、わたくしが見た番組でも、やに手に傷をこさえた女子学生がね、「大人はすこし考えすぎだよぉ」なんてなことを云っておりました。うん。「わたしにだって譲れないものがあるわ」なんて、じぶんの意見らしいことを云っているんですが、じゃあそうかといって彼女たちがなにかそういったネット関係のことでトラブルに巻き込まれて、ニッチもサッチもゆかなくなってね、金銭問題、さらには警察沙汰、なんていうことになったら、やっぱりそんときはそんときで親をはじめ周囲の大人たちに助けてもらわなくちゃいけないんですから、まだどこかで子供、ネ?じぶんたちには責任を負う義務はないんだ、なんていうそういった風な顔をしているわけです。
 そのくせ何かっていうと、「もう大人なんだから、いつまでも子供扱いしないでよッ!」なんてなことを云う。わたくしなんぞはねえ、もし女子高生が子供扱いしないでって云うんなら、ハイわかりました!って、いくらでもよろこんで大人扱いしてあげますけども……。


 とにかく、こういったことというのはやっぱりね、どうしてもその世代、その年齢の真っ只中にいる人間にはまわりが云っているほどよく事態が見えていない、なんていうことが世の中にはよくありますよ。
 ことばの問題なんかもそうです。ここ数十年来ずっと叫ばれていることですけどもねえ、「若者たちのことばの乱れ」なんていうんで、いろいろなひとが方方でいろいろなことを云っておりますが、やっぱりあれなんかもその世代の真っ只中にいる若者たちにはいまいちピンと来ない。ふ〜ん、乱れてるかなあ、なんてな具合です。


 斯くいうわたくしにもそんな時期がございましたが、今こうして学生という立場から離れてみると、やっぱり大人たちの云っていたことがなんとなくわかるもんです。
 先日も稽古へゆく道すがら、いつも乗るバスへ見るからにギャルとギャル男というような、両名ともに真っ黒に日灼けをしたカップルが乗りこんで来て、あたり構わず大きな声でしゃべっておりましたが、ああいう会話も同世代としてではなく、いち大人として聞いてみるとけっこうこの発見があるものです。
 とにかくまずね、彼らの会話には内容がないんです。ええ、そりゃもうね、落語の世界とおなじような会話を大声でやってる。

男「ああ面倒くせえな。明日だよ、明日。ヤベェ、緊張してきた。どうしよっかな、明日。っつても止めるわけにいかねえしなあ」

 翌日になんかあったんでしょうね、イヴェントか何かが。これを受けて云った少女の返しがよかったですよ。

女「あっそう、じゃあ止めなければ?」

 これほど内容のない会話はありませんよ。ネ?まったくと云ってよいほど事態が前へ進んでいないんですから。
 ふたりはそのあと数分間、同じような無内容の会話をつづけて、ぶすっとした表情のままバスを降りてゆきましたが、最近の若者たちのことば遣いというのはあそこまで軽薄になっているのかと思うと、わたくしも暗澹たる思いでございました。

 
 日頃からそうして「ことば」というものに気をつけていると、やっぱりこの、新しいものばかりではなくね、昔の、この古い時代のことば遣いというものにも興味を得てくるものですが、わたくしなんぞはやっぱり落語が好きでしょう。それも江戸の落語がね。そうなると、どうしてもこの江戸弁というやつが気になってきてしまうわけです。
 いろいろと面白いものがあります。たとえば、ウの音とオの音ですな、この入れ替えがよく見受けられますね。
 われわれ「髭を剃る」というときに、「剃る」を「そる」と読みますが、落語のほうではこれを「する」と云います。落語だけではなく、歌舞伎のほうでも同様の発音をしますから、おそらく昔はこう読んでいたのでしょう。
 ですから、髭は「そる」んじゃなくて「する」ものなのです。
 ただ、「する」というのはね、こうなんというか、ことばとしてあまり良くない。財布をする、なんてね、そういう用法があるくらいですから、やっぱりどうも遣うには気がひける。
 そこで昔のひとたちはこれを「あたる」ということばに置き換えたんですな。つまりは「髭をあたる」と云うようになった。
 ですから「スルメ」なんかも「アタリメ」と云うことがありますね。あれはここから来ているわけなんです。
 同じウとオのことでいえば、「風呂敷」は「ふるしき」、「棟梁」は「とうりゅう」となります。こういった発音の違いは、普段からよぉく気をつけて聞いていないとわからないことだと思いますね。


 一方、少しこの西のほうへ移動してみると、こっちは関西弁、これがなんとも面白いですな。独特の風情がある。
 しかしこの、普段TVなんかでお笑い芸人などを見ていていくらか馴れていると思っていても、やっぱり馴染みがないんでしょうか、いざ関西弁を読んでみろと云われると、これはすこし辛いものです。
 先日、浅田次郎さんの小説『輪違屋糸里(上・下)』(文藝春秋)という本を読みましたが、ここの舞台は幕末の京都。花街(かがい)と呼ばれる、ね、たとえば祇園だとか島原だとか、あのへんを中心とした物語で、ですから当然のこととして京言葉が出てくる。あのやわらかい、なんともいえない話し方に、わたくしは何度読む速度を緩めなければならなかったか。
 とにかくああいった女性たちの遣うことばというのは、原則として柔らかいんですから、表記するにも漢字を多く用いない。ネ?ですからどうしても平仮名が多くなって、アレこれどこで切ったらいいんだ?なんて箇所があっちにもこっちにも出てくるわけです。これは相当そのことばに馴れていないとスラスラ読めません。


 改めて、この、いわゆる関西弁というのを勉強しなくちゃいけないなあと痛感したわけですが、今日は最後に、この『輪違屋糸里』のなかから、おっ、こいつはいいぞ、と思った一節をご紹介してお暇を頂戴いたします。


 みなさんご存知の新撰組。長州藩の都落ちのあと、新見錦に詰腹を切らせて、その勢いでいよいよ芹沢鴨を暗殺する段となった夜、結核に苦しんでいた沖田総司は、ことを終えて、血塗れのまま外へ出た。
 曙の空をつらぬくように、篠つく雨がかれの細い躰へ降りそそいでいる。
 総司は右手にもったままの刀を目の前に掲げた。そこには、数えつくせぬほど人を斬っても、おのれの体には傷ひとつ負わぬ、そしてこれからも斬られるはずのない、天下一の剣客の顔があった。
 しかし、そんな湧き上がる揺るぎない自信とは裏腹に、総司のこころにはある一条の、哀しみにも似た感慨が生まれていた。


【己のまことの強さは、斬られた者にしかわからぬのだから、実は誰も知らぬのと同じだ】


 
 嗚呼、武士の生き様のなんと儚いことか……。
posted by 札幌支部 at 22:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記