2007年11月23日

裏部長、ブーツを履く。

 どうも、裏部長です。

 きょうは勤労感謝の日です。勤労、とあるくらいですから、日頃汗水たらして働いているひとたちに労いの言葉をかける日なのでしょうが、そんな祝日にも朝から職場へ出ているひとにとってみれば、なんの有難味もない、ただただ寒い一日であったことでしょう。

 斯くいうわたくしもそうで、きょうは朝から仕事でした。優に氷点下となる外へ出るときのあの辛さ。それが早朝ともなると尚更です。
 ま、愚痴っても仕方ありませんが。


 わたくしは本日、ある初体験をしました。

 別に、いやらしい意味の話ではありませんよ。

 今日わたくしは生まれてはじめて、ブーツというものを履いたのです!!!


 ……まあまあ、そうキョトンとなさらないで、じっくり話を聞いてやってくださいよ。

 これまでにわたくしもいろいろな靴を履いてきましたけども、どういうわけだが、このブーツというものに巡り会わずにおりました。家族や友人には数えきれないほど、このブーツを履く人間がいたにも関わらず、なぜかわたくしだけが今日まで履かずに生きてきたのです。
 まあきっとそこには、わたくし自身もはっきりとは確信していない、なにか苦手な理由があるのでしょうが、しかしそうかと云って、ブーツというものに興味がなかったわけでもないのです。いやむしろ最近では、あの革の硬さ、強靭さ、ひとつの靴を何十年も履き続けられる、といった面に興味をもって、いづれ一生モンの良質なブーツを買ってやろうとさえ思っているくらいです。

 ただ、そのお目当てのブーツは四万円以上もするので、ひとまず今後の愉しみに取っておいて、きょうは仕事の性質上、万止むを得ず、家にあったブーツを履いていったのですが、これが困ったのなんのって。とにかく歩きづらいったらありゃしない!

 ブーツは革ですから、スニーカーのように歩けないのは当たり前のことですけども、なんだかスキー靴を履いているかのようで、ロボットみたいな歩行になってしまうのです。あれはキツかった。
 もちろん長時間、履いて歩いていればそのうちに馴れてきて、家路へつくころにはだいぶ平気でしたけども、しかしねえ、あんな靴を履いていて、いざ!ってときにはどうするんでしょうかねえ。逃げるにも闘うにも、なんだか動きづらそうで心もとないですな。

 わたくしがどうして日頃からスニーカーばかりを履いているかと己に問い正してみれば、きっとそれは、「いざというときに動き易いから」と答えるしかないことなのでしょう。やっぱり日頃から空手や武術をやっていて、人間の動作すべてを武術を通して見るようになってしまったため、自分の歩行ということに関しても、どこかで感覚的に、その自由を拘束されることに恐怖を感じているのでしょう。だからこれまでも革靴なんかはほとんど履いてこなかったし、スーツを着るときに履く革靴も、硬質のものではなく、数千円で買えるふにゃふにゃした安物を使っています。それでいいと思える自分がいるのです。

 ま、今後はすこしお洒落にも気をつけて、多少無理はしてもブーツなんぞを履いてね、街中を闊歩してみたいものですな。せっかくの冬なのですから、寒い寒いと愚痴をこぼしていないで、少しはその寒い冬を満喫してみたいものです。


 明日以降も寒くなりそうです。
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2007年11月22日

翔べ!

 こんばんは、裏部長です。

 毎日のようにTVで放送されているバレーボールの試合。賑やかだった女子の戦いが終わって、今度は男子の激しい攻防戦が繰り広げられております。
 やっぱり男子のほうは女子とちがってパワーがあるし、スピードも速い。見ていて爽快ですな。明らかに痛そうなレシーブ、腕に当たるや否や客席遠くまで飛んでゆくボールの凄まじさはTVにおける見世物としてもじゅうぶんなものと云えるでしょう。

 そういったことでいえば、あのHey!Say!JUMPの面面もまた、TVのなかの見世物として必要なのでしょう。今夜の放送を見たら、場所が広島なので、「7WEST」なる関西ジュニアからの派遣アイドルも混じって、んもう誰が誰だかわからない有様でした。ファンには堪らない展開でしょうね。
 でも、純粋なる試合中継という意味では、毎度毎度、あの試合前の歌はいらないんじゃないでしょうか。そんなにCDを売りたいのか、名前を打ち出したいのか、そういった目論見はよく知りませんが、ちょっとクドすぎます。亀田の試合中継と同じくらいウンザリします。

 少し儚いくらいがいいんですよ、やっぱり。押しつけがましいのはいけません。

 何事も程度、というものが大切なのです。


 ……と、いつもならばこれをマクラにして長い、なが〜い文章を書いてゆくのですが、今夜はナシ!ただ感想を云ったまででした。
 明日は勤労感謝の日です。感謝しましょう。
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2007年11月21日

か、か、肩が・・・

 こんばんは、裏部長です。

 きょうの札幌は、寒い!肌が裂けるような寒さです。外を歩いているとそれだけで人相が変わってくるようです。

 路面もほどよい感じに凍ってきちゃってね、道行くひとは全員そろってへっぴり腰ですよ。いきなり冬になっちまいました。

 そんな寒さのせいではないと思うのですが、最近どうも躰の調子がおかしいのです。もちろん風邪をひいたとか筋肉痛を抱えているとか、そういった類の話ではありません。もちろんインフルエンザでもありません(そう!何故ならわたくしは予防接種を受けてるから!!)。
 ただ大学で稽古をしていても、自宅にて筋力(武術的)トレーニングをしていても、なんとなーくしっくり来ないというか、なんか躰に違和感があるのです。なんだか今までのじぶんの躰ではないような感じがいたるところでするのです。

 そんなことを考えながら昨夜、お風呂へ入った裏部長。浴室には鏡がありましてね、ちょうど自分の右側が映るのですが、これを見てビックリ!あれ、おれの肩ってこんなに動いたっけ・・・?

 そうなんです。どうもおかしいと感じていたのは、肩胛骨まわりのぐにゃぐにゃ感だったのです。ここがどうも以前とは違ってきているようなのです。
 現に、坐った状態で鏡に映して見てみると、肩が気持悪いくらいぐにゃぐにゃと動きます。これは、最近、奈良のM田先輩からの教授や大学院生H田君から借りた「3Dストレッチング」というDVDの影響がおおきく関係しているか、もしくは、今までもこれくらいは動いていたけどもそれをまじまじと観察することはなかったから、今さらながらに驚いているだけ、ということなのかもしれません。躰の感覚として意識したことはあっても、実際にそこを見て動かしてみるということをしてこなかった裏部長にはどうにも判断のしようがありません。

 ただ最近はいろいろな情報の果てに、特に上半身に意識して、その「胴体」をいくつかに分割して動かすように心がけておりますから、そんな意識の端くれが少しづつ躰そのものに変化をもたらしはじめたのかもしれません(そうあってほしいものですが)。

 躰を割る、というのはとても単純そうに聞こえて、やってみるとこれほどむつかしい動作はありません。現に昨夜の稽古でそのようなことを全員でやってみたところ、韓国人留学生のふたりはチンプンカンプンでした。いきなり云って出来ることではないようです。

 ただ、その実現の真相は置いといても、こういった「躰を細分化した動作」というものに意識を向けて稽古をするというのは、これまでになかったことだと云えます。空手に、そして体道に、と、少しでもよい影響のあることを願うばかりです。


 明日の体道稽古は休みです。みなさん、風邪には気をつけて日日を送りましょう。
 裏部長でした。
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2007年11月20日

人生いろいろ、型もいろいろ。

 こんばんは、冬でもスニーカーで通す裏部長です。今日なんかはもう凍りはじめましてね、油断しているとツルンといってしまいそうでした。ただそこは百戦錬磨の裏部長ですから、一般人のようにツルンとはいきません。あわてて踏ん張って、キッ!と、何事もなかったかのように歩きつづけますから。

 まあ、冗談はさておいて、本日は今週最後の空手の稽古。参加者は韓国人留学生のT君・Hさん、K先生。一時間ほど遅れて師匠、といった顔ぶれ。
 きょうもまた早退されるためK先生ではなく、わたくしの先導で稽古スタート。
 基本稽古をひと通りやり、手廻しをやり、躰のストレッチ(大学院生のH田君から借りたDVDで見てきたもの)をやっているところでK先生は早退。
 ここからは型です。留学生ふたりの「平安初段」を見ているあいだに師匠が到着されて、そこからはお任せしました。

 彼らはこのあと新しく「平安三段」を教わり、わたくしも新たな型「十手」を教えていただきましたが、こうして見ると、ホントに型って多彩なんですねえ。毎度毎度、驚かされます。
 きょう習った「十手」というのも、複雑なんだか単純なんだか、よくわからない型で、憶えづらさでいえば前回習った「征遠鎮」のほうが余程むつかしかったです。
 ただそれは表面的な動きの話であって、各動作のなかに含まれている技のエッセンスは深いものがあります。数をおおく憶えるだけで内容や質が置いてけぼりにならないよう、きちんと稽古したいと思います。

 今週はもう稽古ありません。次回は来週の月曜日ですか。きっと雪が降っていることでしょう。
 それまで滑らないようにします。
 裏部長でした。
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2007年11月19日

稽古下手

 こんばんは。裏部長ですよ〜わーい(嬉しい顔)

 えー、今夜は空手の稽古でした。月曜日ですから師匠はおりませんが、どうにか狗っちが来てくれたので、二人きりながらきちんと躰を動かしてきました。

 こういうときはどうしてもね、何となくいつもと同じような稽古をしたくないというか、変わったメニューでやってみたいような衝動に駆られてしまう裏部長。きょうもまた相手が狗っちひとりであることを良いことに、基本稽古は受けまでにして、あとは体道の稽古をやったり、そうかと思えばまた元にもどって約束組手をしたりと、かなり変則的なことをしてしまいました。
 まあ、失敗であったとまでは云いませんが、決して成功とまでは行かない内容でした。やっぱり日頃やっている稽古のメニューは、長年諸先輩方が苦労に苦労を重ね、その経験のなかから編み出されたものであって、そこへ不用意に、思いつきの要素を入れてはいけないのです。
 今日もやっぱりそうでした。ぐだぐだ感は否めません。
 稽古を仕切るのは本当にむつかしいことです。

 明日も稽古はございます。
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2007年11月18日

起床下手

 こんばんは。裏部長です。

 最近めっきり寒くなって参りまして、今日なんかも天気こそ穏やかなものの、街頭の気温計はず〜っとマイナス表示でした。北国の本領発揮というやつです。

 そのためかどうかはわかりませんが、最近はどうも朝スパッと起きられませんね。平日はそうでもないんですが、週末となると気が抜けてしまうのか、どうも決めた起床時刻にうまく起きられないんです。
 今日なんかもそうですよ。わたくしは、以前にこのBlogでもご紹介をしましたが、テレビ朝日系列で放送されている「獣拳戦隊ゲキレンジャー」と「仮面ライダー電王」の二本のヒーローものを、毎週欠かさず、きちんとリアル・タイムで見ているので、日曜日の朝はどんなに眠くとも午前七時半までには起きる!と決めてあるのです。現に今までもその予定どおり起床してきました。
 それがどうです。寒くなってからというもの、気づいたらもう八時過ぎ、なんてことがほとんどです。きょうもすっかり寝過ごしてしまいました。
 まあ、そんなこともあろうかと、ハード・ディスクに予約録画しておきましたけどね。起きようと思っていながら起きられないというのは、なんとも情けない限りです。
 来週からはスパッと起きてみせます。


 さて、明日からはまた新たな一週間。何度も申しあげておりますが、今週は木曜日、金曜日ともに稽古がなく、明日と火曜日の二回のみです。札幌支部のメンバーは気をつけてください。

 裏部長でした。
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2007年11月17日

なぜ先代は容易く師匠を投げたか?

 こんばんは。靴下なしでは生活できない裏部長です。ある程度、暖房をきかしていても足っ先はやっぱり冷えるもので、家のなかでもきちんと履いています。
 よく、やる気の減少は足元の冷えから、なんてことを聞きますが、あれはたしかにそうです。足が冷えてると活動そのものに勢いが出なくなります。パソコンに向かってこのBlogを書いている今もそうです。足元がぴりぴりと冷えてきております。
 早めに書いてしまいたいと思います。


 あれはいつの頃であったか。以前、師匠にこんな話を伺ったことがございました。
 それは師匠がまだ子供であった時分のことで(たぶん中学生くらいのことであったと思います)、あるとき稽古のなかで、先代・藤谷昌利師範と対する機会がありました。約束組手ですな。先代はただひと言、「突いてきなさい」とおっしゃって構えている。師匠もまだまだ若い。その年齢的にも肉体的にも若い、躍動的なところでもってご指示の通り、ドシィ−ンと突っ込んでいった。

 突いた!と思った瞬間、師匠は投げられていたそうです。

 このときのことを憶いだすに、師匠は「どういう風に投げられたかわからない」と懐古します。もちろん攻撃方は中段追い突きをしていたわけで、それをあの方向へあれくらいのテンポで投げたということは、きっと、こういう風にしたのだろう、ああいう風にする動きも有得るかもしれない、と、おおよその見当はつきますが、なにぶんにも子供時分のことゆえ、確かなところは判らないということらしいのです。

 どうして今わたくしがこのエピソードを紹介したかといえば、それは、先代・藤谷師範のそれほどまでの柔術的な技のキレが、きっと体道に代表される数数の柔術稽古の成果により発揮されたものではないか、と考えたからです。
 それは現在の師範、つまり師匠のお父様ですね、この方にも云えますし、きっとT技術顧問にも当てはまることなのだと思います。わたくしはまだT先生へお会いしたことはございませんが、師範には実際に触れて教えていただいたことがございますから、きっと間違いない見当だと思っております。

 この師範方がどうしてそこまでの柔術のキレ、技の凄まじさを修得していたか。これはきっと、長年の武術稽古のおかげ、と云いきってしまう以外になにかしらの要因があるように感じるのです。

 共通項は空手体道ですが、わたくしも今日までの数年間、その両方をあわせて稽古してきた感覚、そしてここ数箇月のあいだに感じ始めてきた「技」というものの正確性絶対性を総括して考察するに、きっとそこには体道の影響力がおおきく存在していたのではないか、という仮説に至ったのでした。

 わたくしは師匠のもとへ来る前、札幌で合気道をやっておりました。それこそ四六時中、合気道のことばかりを考えて過ごしておりました。いま思うと、どうしてあんなにも夢中になっていたのか、すこし不思議に感じられるほど熱くその稽古に打ち込んでおりました。
 ですから、相手を投げたり崩したり、もしくは押さえたり関節を極めたりすることに関してはある程度の技量を持っているように感じておりましたし、現に師匠のもとで体道の稽古をはじめてからも、最初のうちは合気道の延長のような感触で、ほとんど無理なく技を行なえていたのです。
 しかしそれもすぐに止まりました。一年もすると体道の、もっといえば柔術の技のむつかしさに喘ぐようになってしまったのです。
 
 合気道はどんなときでもよく動きます。突きや打ちを出すときはもちろん、相手の手を取りにゆくときでさえ、遠くから駈け寄るようにして近づきます。
 ですから、相手の攻撃をさらりとかわしてすらっと投げる、みたいな動作は、馴れさえすればそれほど困難なことではありません。投げや崩しの方向と、おのれの軸さえ崩さなければ技はできてしまうのです。
 しかし体道のほうの柔術は違います。手や袖、胸などを取る際は、相手はその場に立ったままです。もちろん技の内容として、そこから引くとか押すとか、さまざまな動作が続いて、ただ掴んだまま突っ立っているということはないにしても、合気道と比べると、やはりほとんど動かずにいると云って差し支えないと思います。
 動かないでいるというのは、いわば軸が完全に安定した状態にあるということですから、これを崩すのは容易なことではありません。立っている相手をただ単に前方や、もしくは後方へ倒すだけなら手でドンと押せばそれで済みます。しかし体道では技で崩します。もっと細かな、もっと具体的な動きでその軸を崩さなければならないのです。

 そこで「1mmとも違わない技」が必要となってくるのです。

 
 たいへん前置きが長くなってしまいましたが、上記がわたくしの体道(柔術)に対する現在の考えです。T技術顧問にはコメントにおいて、それらのことをご指摘いただいて、とてもとても有難いことではあったのですが、今年に入ってからというもの、例の「新生」がらみで、武術の技(型)というものの捉え方をみっちり仕込まれた直後のからだであったため、本当のことを云えば、そういった考えはわたくしの躰のなかに存在していたのです。
 愚かしいのはそれを文章のなかに出せなかったということです。疲れと時間的拘束のために、急ごしらえの、表現のあやふやな文章を書いてしまったということなのです。
 武術を稽古し、なおかつ文章を勉強している人間としてはあるまじき愚行、恥ずべき行為でした。以後、気をつけます。


 とはいえ、体道の奥深さは知れば知るほどすさまじく、わたくしの背筋をびしっと叩きます。じぶんの感覚のなかでいつも同じ、寸分違わぬ動作で相手を投げ、相手を押さえ、極め、崩すことがどんなにむつかしく、しかしてその実現の折には、どれほどの効力を発揮するのか。少しづつではありますが、そんなことを感じられ始めているからこそ、いまの体道稽古はむつかしく、そして愉しい。

 どうして武術の修業は「厳しい」というのか。その答えのひとつはきっと、こういうところに隠れているのでしょうね。

 
 生意気を申しました。
posted by 札幌支部 at 22:39 | Comment(1) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2007年11月16日

Look!!

 こんばんは、裏部長です。

 きょうも雪が降りましたが、これくらいの頃がちょうど良いですね。気分的にも、なんかこう悠悠として見ていられるというか、雪を風情あるものとして見ることができますから。これが十二月以降となると話は違ってきます。穏やかではなくなってきます。
 冬は雪との闘いですからね。安穏とはしていられないのです。すでに路面凍結による交通事故多発の報を聞いております。慎重に歩まねばなりません。

 高砂のT技術顧問からひさびさのコメントがありました。ありがとうございます。嬉しい限りですねわーい(嬉しい顔)
 ただ、あのことに関しては明日に書かせてください。今日は今日で書いておきたいことがあるので。
 

 さて今夜は空手の稽古です。参加者はわたくしと狗っちのみという、なんともあっさりとしたものでしたが、教室は広くつかって、型なんかを窮屈に感じることなく爽快に稽古することができたので、かえって少人数でよかったような内容でした。

 基本は受けまで。あとは移動稽古で、追い突き、逆突き、追い突き・逆突き、刻み突き、刻み突き・逆突き、逆突き・前蹴り、逆突き・廻し蹴りなどなど。いろいろやりました。
 中盤は型です。狗っちは長らくかかっている「平安三段」を卒業すべく師匠つきっきりの中での稽古で、かなり苦しんでおりましたが、それでも長くやっているだけあって健闘をし、きっと合格点はもらえたことでしょう。
 わたくしはというと、「二十四歩」や「征遠鎮」を中心に、「内歩進初段」や「十六」、「平安四段」など、思いつくままに次から次へと型を打っておりました。こうしていきなり昔やった型を打ってみると、当時感じられなかったものが体内に生まれてきて、意外とおもしろいものです。

 後半は約束組手。狗っちが突き、わたくしが受けるという形でスタートしたのですが、狗っちは狗っちで突きに課題があり、わたくしはわたくしで受けのほうに課題が見えてしまったので、攻守を交代することなく最後までいってしまいました。
 今日ここで突きつけられたことは、「相手を見る」ということです。
 むろん、目で見る、だけのことではありません。簡単にいってしまえば躰で見るからだ全体で相手を見るのです。

 わたくしは今日のように、後輩の突きを受ける際には、ただ内受けで捌くだけでは物足りなく、たまに下がってみたり、腹で突きを受けてみたり、あとは、小手先の技でその突きを捌いてみたりするのですが、それらはいかにも小手先の動きであって、相手の崩れを生む本質的な動作として完成されたものではないのですね。これはわたくしも薄薄感づいていたことで、とにかく師匠の動きを真似することでいろいろなことを吸収しようとしていたため、表面的な動作の“モノマネ”になってしまっていたのです。
 
 これを実あるものとするには、まず、受けの動作が終わったときのこちらの体勢を考えます。きちんと躰すべてで相手を見ているか(向いているか)躰の向きのままに手を出せば無理なく相手を崩せる場所に立っているか。これに気をつけます。
 第二には、その位置へ移動する最中にも相手にとって厭な動きをすること。いくら受け終わった位置が相手の死角に入っていても、そこへ行くまでのあいだが空白だと、相手としてはそれほど厭ではないはずです。体道の技でも習いましたが、極めるのなら最初から最後までず〜っと極めているようにしなくてはいけないように、こちらもまた、動きはじめから動き終わりまで、常にねち〜と相手にまとわりついているかの如く動かねばならないのです。

 これをし、受け終わった姿勢から無理なく相手を崩す(攻撃する)ことができて第一段階終了なのですが、この問題を考え始めると、たとえば追い突きに対して自分はほとんど動かず、その場で相手の突きを呑み込んでその躰を包み、投げや押さえへ持ってゆく、などという、これまでわたくしが小手先でやってきた技がかーなーりむつかしくなるのです(つまりは元元むつかしい技であったのを、勝手に表面的に理解してやっていただけだったのです)。

 この場合もまた、じぶんの手と躰の向きが一致して(もしくは連動して)相手の中心へと向いているか、崩れを働きかけているか。これは相手の突きの深さやスピードによって合わせる度合が違ってきますから、相当にむつかしい技術です。きょうはそれを、身をもって体感することができただけで、とてつもなく重要な稽古だったと云えるのではないでしょうか。

 たいへん抽象的で、その技を実際に見たことのないひとには何のこっちゃよくわからない話と思いますが、ごくごく単純な理屈のできているかどうかで、技が実のあるものになるかどうかが決定するということには違いありません。そういう説明で収めといてください。


 来週は月曜日と火曜日だけです。木・金は稽古ありません。みなさん、お間違いのないように。

 裏部長でした。
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2007年11月15日

技のレパートリー

 こんばんは。冬は肌荒れのひどい裏部長です。こんな顔をしておりますが、案外、デリケートな男なのです。

 ま、そんなことはどうでもいいのですが、きょう目出度くが降りました。今もうっすらと降りつづいております。
 やっぱりね、冬の寒さはちがう。ここ数日はたしかに肌寒かったけれど、それは「寒い」ってくらいの寒さであって、冬の寒さはあなた、むしろ「痛い」ってくらいなもんですから。きょうだって外に出ると、鼻っ先がツンツンするくらい寒いんです。これが冬の寒さだったなあ、なんて、妙に感慨深げに歩いたものです。
 
 ま、そんな話はどうでもよくて、とにかくそれくらい寒い中わたくしたちはきちんと体道稽古をしてきました、ってことです。参加者は大学のM先生と、すこし遅れて部長のみ。彼は久方ぶりの体道稽古だったと思われます。
 本日わたくしはもっぱら受け役に徹して、M先生の日本伝天心古流拳法初伝上段之位十二本、部長の浅山一伝流体術上段之位十二本をともに復習しました。ほとんどマットなんかも使わずにね、入れ替わり立ち代りで投げたり押さえたり、と存外忙しい稽古だったかもしれません。
 
 こうした受け役のときは意外と客観的に体道というものを見つめることができるので、M先生や部長が稽古している風景を前にして、改めておもしろいものだなあと感心してしまいました。

 たとえば、技のレパートリー、というのがあります。体道をやっていれば自ずと経験する技の数は増えてゆくわけで、自然とレパートリーは多彩になってゆくはずなのですが、実はこれだけではないんですね。もっともっと細かい次元で、わたくしたちは相当数のレパートリーを目にしているのです。
 想像してください。ある技が目の前にあって、あなたはそれを教わります。師匠を相手に稽古をし、ある程度できるようになったら自分のノートへ記し、その後何度か復習を重ねて身につけてゆく。その段階を卒業し、今度は後輩たちがその技を教わるときに傍から見ていると、

アレ、自分の習ったのとちょっと違うかな……?

 なんて思うこと、ないですか?
 これはどうしようもないことなのです。人それぞれ体格というものがあります。躰の硬さや腕の長さ、筋力の発達具合などで、武術の技というものはいくらでも変化してしまうのです。
 ですから例えば、わたくしと部長くらいの身長差があれば、おのずと動きそのものが変わってきてしまって、こちらが彼の動きをそのまま行なうことは理に適っていないと云えるでしょう。

 だからこそ自分自身の感覚でノートを記す必要があるのですが、しかし体格差によって若干変わる技の内容を、直接じぶんには関わってこないことだと知っていても憶えておいたほうがよいのかどうか、そんなことを考えさせられた稽古でございました。

 
 なんだか、まとまりのない文章でごめんなさい。もっと余裕のあるときに改めて書きます。

 明日は空手の稽古です。そして、ある記念日、でもあります。もし稽古へ来られるひとは、「おめでとう」のひと言をプレゼントにして、厚着をして来てください。
 裏部長でした。
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2007年11月14日

免疫力

 こんばんは、裏部長です。いよいよ冬の到来。明日から北海道は、平野部でも雪が降るという予報で、きっと朝から積もっているのではないか、とさえ云われております。
 TVではね、旅番組かなにかで「今月いっぱい紅葉を見られます」なんてことを云っておりますが、こっちはもうそんな悠長なことじゃ間に合わないんです。あっという間に銀世界になって、そして今度は、歩行中に滑らないことだけを考えて外出することが多くなります。
 身も引き締めなければなりません。

 昨夜、ある本を読了しました。先日、大学院生のH田君から借りた『ザ・必殺術』(第三書館 1200円+税)です。この出版社からは同様のシリーズが何冊か出ていて、わたくしも一冊読んだことがあったので抵抗なく借り受けましたけども、いざ読んでみると、いろいろな意味でキツかったわ〜ふらふら
 これは洋書の翻訳です。つまりアメリカで出版された、殺人マニュアルを日本語訳したものであって、その中ではマフィアや殺し屋などが使う暗殺術武器や毒薬の性質から中国武術の点脈まで、とにかく人間を殺す方法について詳しく書かれており、実技のところでは、極端に描写を省いたシンプルな絵でもってわかりやすくその内容を説明しています。そういった方面に興味のある人からしてみれば、これほど愉快で充実した本もないでしょう。実際にそういった任務につく人にとっては当たり前のことが書かれているのかもしれません。

 しかしね、わたくしはマフィアでもなければ殺し屋でもありませんから、やっぱり嫌悪感に襲われましたよ。だって露骨なんだもん、表現が。
 内容に関しては、その過激度の面からいってもここでは公開できませんが、とにかく残酷。それが殺しの世界だ!と云われれば文句も云えませんが、それをそのまま本に載せる姿勢。これにわたくしは面喰ってしまったのです。
 唯一の救いは、イラストが少し笑えたことです。簡単な線でしか描かれていないので、見方を変えるとかなりおかしいのです。読みながら何度つっこみを入れてしまったことでしょう。
 とにかく、刺激的な体験をしました。

 こうして考えてみると、日頃から武術に接して、やれどこをどう突けば痛いだとか、ここをこの方向へ打つと絶命するとか、そういったことばかりに触れていると思っていても、実際のところは誰かを試しに殺すわけでもなく、そのための実用的な殺人技術を訓練するわけでもないから、われわれの中にある“死(殺し)に対する免疫力”は意外と低いままなのかもしれません。
 馴れというのはどの分野でも、恐ろしいものです。

 明日は体道稽古です。
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2007年11月13日

所詮、誰でもできること。

 こんばんは、インフルエンザには強い裏部長です。風邪にはかかってもインフルエンザにはかかりません。なにせ注射、打ってますから手(チョキ)

 えー、今夜は空手の稽古でした。K先生はお仕事、韓国人留学生のT君は風邪と、いろいろな事情で欠席者の出るなか、珍しいお客さんがありました。
 一昨日の日曜日、わたくしが参加した稽古会より、当破君とK田君が来てくれたのです。
 このほかには部長と、そしてわたくしがいるばかりの稽古でしたが、新しい顔もあって、具沢山の一夜でございました。

 K田君も空手経験者。よって基本的な説明はほとんど省いちゃって、まずは基本稽古ひと通り。手廻しをはさんで、其場での動き、猫足立ちがらみの受けと突き、呼吸をリンクした∞の動き、ワン・ツーなど、たっぷりとした内容で午後七時をまわります。
 後半は移動稽古から。追い突き、逆突き、追い突き・逆突き、蟹歩き。
 
 約束組手は、受け手固定式の、いわゆる栃木式で。内容は中段追い突きのみ。

 いろいろと動いて、師匠からもいろいろと教えのあった稽古でしたが、師匠が当破君やK田君へ説明をしているのを聞いていて、わたくしはふとこんなことを思いました。

 
 このBlogでもよくご紹介をする噺家、三代目古今亭志ん朝師匠の言葉にこんなものがあります。

「噺家はしゃべるのが商売だ。しゃべって、お金をいただく。ただ忘れていけないのは、しゃべるという行為は誰でもできるということ。そんな、誰でも出来ることをやってお金をいただく以上、頂けるだけの“何か”がなければならない」

 とても印象深いことばです。わたくしは未だに忘れずにいます。
 そう云われてみればたしかにそうで、「しゃべる」という行為は基本的に誰にでもできるものです。例えそこに“日本語で”“内容のあることを”という条件をつけても、きっと小学生でさえ出来るのではないでしょうか。
 そんな、誰にでも出来ることをやってお金をもらう。そのための“何か”を探し、身につけるのがすなわち修業であり、稽古であるのでしょう。
 ちなみに噺家さんとしての“何か”とは、まず正しい言葉を使うということ。世間の流行に惑わされず、日本語として正しい語感を伝え、なおかつ声がよく通ることも忘れてはいけません(昔はマイクがなかったため、客席のいちばん後ろまで声の届くことが重要技術の最たるものであった)。

 これを、わたくしは武術に当てはめてみたのです。

 たとえば空手を例にとってみると、おもに攻撃のことであれば、これは「拳や足を相手にぶつけてダメージを与えること」に他ならないでしょう。基本的にはこういうことになります。
 でもね、考えてみればこんなこと、誰にでも出来るのです。
 それこそ小学生でも、いや、幼稚園児でもケンカをするときに手をつかい足をつかえば相手に痛みを与えることができます。きっと、そんな場面が日本のあちらこちらで見られるはずです。
 所詮はそれくらいのことなのです。空手の攻撃なんていうものは。

 ただ。こちらも落語と同様、そこから昇華させてゆくための“何か”があるのです。

 われわれは武術としての空手を学び、そして身につけるため、弛まぬ稽古を続けます。毎週欠かさず拳を握り、足をあげ、そして相手にむかって突進します。これはいったい何のためか。
 誰かにとっては、それは突きを刃物のように研ぎ澄ませるためであり、またほかの誰かにとっては、突きを放ったあとの第二第三の攻撃を編み出すためであり、突きの威力から蹴りへと変化するためかもしれません。いづれの場合でも、それは空手を武術として行なうため、ただの力まかせの攻撃手段以上のものとするために行なうのであって、それがために、やれ力のベクトルがどうのこうの、軸の傾きがどうのこうの、呼吸がどうの、股関節がこうの、といろいろなことを考えるのです。

 これが武術空手の、武術たる所以だとわたくしは思いました。最初から師匠のものでその内容しか受け継いでいない人間としては当たり前すぎて、むしろ感じないくらいでしたが、きょうのような稽古があると再認識ができて、むしろ貴重な体験ですらあったと云えるでしょう。そういった意味でも、他のひとの技術を見るというのは有意義なことなのです。


 さて次回は木曜日、体道稽古です。どんどんと寒くなります。特に部長は薄着ですから、風邪にはじゅうぶん気をつけて。

 裏部長でした。
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2007年11月12日

雨、止まず。

 こんばんは。裏部長です。

 なんにも関係のない話ですが、昨日(11月11日)はいろいろな記念日だったそうで、その中でもいちばん強くこころに響いたのは「もやしの日」というやつ。四本のもやしを横に並べた形が11月11日に見えるところから制定されたそうで、たしかにそう云われればそう見えなくもないですけどね、ただ、この制定方式にはおおきな落とし穴が隠されているのです。
 それは、「どんな場面で、人間は四本のもやしを横に並べるのか」という根本的な問題です。相当なもやし好きでもここまでしません。よしんばしている人があったとしても、きっと四本では満足できないことでしょう。

 ま、なんのマクラにもならない話で申し訳ないのですが、きょうの空手稽古、裏部長は行きませんでした。もちろん先週の月曜日に書いたことにも関係しているのですが、きょうはそれだけではなくて、実はインフルエンザの予防接種を受けたのです。左腕にブスッと打ってもらってきたのです。
 掛かりつけの医者から「激しい運動はしないでください」と、まるでわたくしの日常を見透かしているかのように釘を刺されてしまったので、やむなく、きょうは稽古へ出ませんでした。
 明日以降は、左腕と相談して決めたいと思います。

 なんでも札幌は今週から急激に冬へと変貌を遂げるようで、木曜日くらいから一日の予想最低気温がマイナスになるそうです。
 季節の変わり目です。みなさん、風邪には気をつけましょう。

 んでは、今日はこのへんで。
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2007年11月11日

さあ、あなたも愉しい技術交流を!

 こんばんは、裏部長です。

 みなさん、見てますか?女子バレー。ここ三日間は札幌での試合。会場がわたくしの家の近所にあるため、バレーを応援しにゆくひと、Hey! Say! JUMPを見にゆくひと、たくさんのひとが詰め掛けて、地下鉄などは混雑状態でした。まあその応援の成果なのか、三連勝となりましたから、これはこれで良しとしましょう。
 勝負はこれからです。


 さて今夜は、昨日のBlogでも書いたように、あるイヴェントに呼ばれてゆきました。
 ここでも何度か名前が出て、札幌支部へも稽古に来ている当破君は札幌医科大学の生徒で、ここで同志数名と同好会のような場をつくり、日頃の稽古のほかに躰を動かしているそうなのですが、きょうはこの会の稽古に参加をしてきたのです。
 以前にも一度誘われたことがあったのですが、そのときはわたくしの体調が悪く、残念ながら不参加となってしまったので、きょうは行けてよかったと思います。

 初めてゆく札幌医科大学。小雨降るなか、この中のある建物の前で待っていると、当破君、そしてこないだのスポーツ史学会のシンポジウムへ彼といっしょに来ていたK田君の両名が迎えに来てくれて、そこから館内へ。廊下を歩いて奥までゆくと、武道場のある建物に至り、階段をのぼって、きょうは畳の敷いてある室内へと入りました。

 ここは柔道部と空手部の共通の稽古場らしく、壁際には胴着なんぞが重ねて干してあったりなんかして、いかにも大学の武道場といった趣き。
 会話を愉しみながら着替えているうちに、女性二名が合流。ひとりは大学の空手部にも入っている方で、もうひとりはこの当破君主催の会でのみ躰を動かしているという方。
 
 稽古開始は午後五時過ぎ。わたくしどものような形式的な礼などは省いて、みな輪になって立ち、其場での稽古から。
 膝を抜く稽古、そこから突く稽古、腰をやわらかく使う稽古、股関節の締め、それをつかった突き、などなどをやって、次は移動稽古です。
 こちらでは、ほとんど歩くように追い突きをしたり前蹴りをしたり、または横へ移動しながら廻し蹴りを放ったりといろいろで、普段やらないようなことばかりであったため、わたくしも興味津々ながら、どうにかついてゆくといった感じで、息こそ切れなかったものの、時間があっという間に経っていってしまいました。

 そのうち、女性の方がひとり帰られ、代わりに見学の女性が来られました。どうも彼らの会は「護身術」を表看板にしているようなところがあって、女性の参加者が多いらしいのです(羨ましい限りです)。

 後半は型の分解、ほとんど約束組手みたいなものです。きょうは「平安二段」(わたくしどもで云う「平安初段」)をやります。
 わたくしはK田君と組んでいろいろと教えてもらいましたが、たった一つの型であっても、少し解釈が違ったり、また動作そのものの雰囲気が違うと、ここまで技の内容が変わってしまうのかと、刺戟的な時間を過ごすことができました。もちろん、躰の感覚として、技の流れとして納得できない部分、やってもしっくり来ない部分はいろいろとあって、そういった場合には強くならない程度に進言してみましたが、流儀にはその流儀の個性というものがありますから、それはそれで良いのでしょう。それくらいのフランクさで臨みました。

 午後七時過ぎ、終了。札幌支部の稽古に比べればさほどに疲れない内容でしたが、たいへん興味ぶかい、刺戟的な一夜でした。


 空手の“か”の字から空心館の、もっと云えばうちの師匠の空手しか知らないわたくしとしては、こうして他の道場、他の流儀の空手を見たり聞いたり、実際にやってみたりすることは皆無に等しく、ですから今夜のような体験はとても貴重なものだったと思います。もちろん己の修業も大切ですが、少しくらいはこうした技術交流をしてみても、よい刺戟になって有意義なのではないでしょうか。

 さて、明日からはまた新たな一週間です。いま札幌は雨ですが、晴れることを祈るばかりです。

 裏部長でした。
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2007年11月10日

体道変化

 こんばんは。最近、空手をすると便通の良くなる裏部長です。きっと腸が動いているのです。

 わたくしがこのBlogをほとんど毎日のように書いているのは、一度「休まずに書く!」と云った手前どうしても、という引っ込みのつかないところも確かにあるのですが、それだけの理由からではありません。
 裏部長はこのBlogを書くことで、文章執筆の稽古をしているのです。

 毎日書くとなれば、どうしてもそこへ載せるネタというものが必要になってきます。稽古のあった日はそのときのことを、報告みたいにして書けばよいのですが、そうでない日にはそれ以外のことを見つけてきて書かねばなりません。
 そこで、この「ネタ探し」という目が養われます。まあもちろん、過去の記事を見ていただければわかりますが、たまーに、ネタを見つけられず、また気力もなく、あいさつ程度で終わらせているときもありますが、割合としては、きっちり書いているほうが多いでしょう。

 書く材料を見つけたら、今度は書く技術です。これは構成力と云ってもよいでしょう。
 わたくしは何もこのBlogを書くために、綿密な計画を練ったり、構成表を作ったりして臨んでいるわけではありません。すべては即興。この入力画面を前にしてはじめて書く内容を考えるのです。
 ですからここでは、瞬間的な文章構成能力が試されます。わたくしの文章が、語り口調なのはそのためです。

 まあ、そんなわけで、わたくしは己の表現力を「文章」へと特化させるため、日夜Blogと闘っているわけですが、ここまで多くの記事を書いてくると、やっぱり少しづつ文体が変わってきているような気がいたします。
 去年の夏あたりの、Blogを書きはじめた頃の文章と、たとえば今月に入っての裏部長の文章とは、おそらく少しは趣きが違うと思います。これは意識的にそう変えているところもありますし、自然と、じぶんでも気づかぬうちに変わってしまっている場合もあります。
 しかし、その両方の場合に共通して云えるのは、長らく稽古を続けてきたから変化が起こった、ということでしょう。毎日毎日、あーでもないこーでもないと、いろいろなことを書き連ねてきたからこそ味わえる変化なのです。

 そういったことで云うと、武術の稽古のほうでも、そろそろ何かしらの変化が起こってもいいんじゃないかなー、と思うんです。
 無意識的な変化が起こる前に、それを誘発するがごとく、ひとまずこんなところを変化させてみようかなー、と思っています。

 それは、空手の約束組手における“受け”の取り方です。これを単純なる空手的動作のみでなく、そこへ体道の要素を入れてみようかと思っているのです。

 今年の夏、札幌へ来てくだすった奈良のM田先輩からこんなお話を伺いました。
 大学で稽古していたとき、群を抜いて巧かった(後輩たちは歯が立たなかった)M田先輩。どうしてそんなに巧いのか……これをある部員がこう表現したそうです。

彼は組手の受けのときに体道をやっている。だから違うんだ

 つまりですね、黒帯を締めてある程度に実力が達したころに、白帯を締めて間もないような後輩たちの突きを約束組手で受けていても、ただ受けているだけではなんの稽古にもならないわけです。機械的に躰さばきと内受けをしてあげるだけでは、突くのほうの稽古にはなっても、こちら側の修業にはならない。
 そこでM田先輩は、そうした場合の約束組手では受けの際にただ受けず、体道の技をもって受けていたそうなのです。

 これが現在の、三十代にしてすでに五段、奈良支部を取り仕切るM田先輩を作りあげたのでしょう。わたくしはそう信じています。

 ですから、まあわたくしは当時のM田先輩ほどの段階にはまだありませんが、たびたびそういったケースが訪れてきておりますので、少しだけ冒険をして、空手の約束組手のときに体道の要素をちょっとだけでも入れてみようかな、と考えているのです。

 と云いますのもね、こないだのスポーツ史学会で中島篤巳先生のお話を伺っていて、「ああやっぱり、柔術をきちんと使えるようにならなくちゃいけないな」と感じたんですよ。
 中島先生は日本国内での指導をなかば諦め、海外へと向かった方です。イタリアで教える際、ことばも満足に通じないので、「ええい!面倒くさい!とりあえず、掛かってきな!」と、なかば実戦形式で教授をしたそうなのですが、これで技がポンポンかかったというのですから、驚きです。
 同氏は空手も稽古されていた方ですが、基本的には、どちらかといえば柔術のひとですから、それでもって空手だとか格闘技なんぞをやっている屈強な外国人たちを相手に、ポンポン投げてギュウギュウ締め上げたというのは、やはり柔術をそこまで使えるように特化し、そして稽古したためでしょう。決して不可能ではないはずです。

 わたくしも体道のほうでは日本伝天心古流拳法七十二手、浅山一伝流体術五十六手を習い終えておりますので、これだけレパートリーがあれば、空手の突きへ向かってもいろいろと出来るはず……いや、出来なければならないのです。
 ですから来週からは少しつづ、空手の稽古における体道の応用、をテーマにしてゆきたいと思います。あまり拘らず、固執せず、しかし諦めず、空手と体道をひとつのものとして考えられるように修業してゆきます。


 明日はまたまたちょっとしたイヴェントに誘われていて、そこへ行ってきます。これは多分にこのBlogと関わりのあるイヴェントなので、その模様など、明日のこのページで紹介できたらと思っております。
 裏部長でした。
posted by 札幌支部 at 21:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2007年11月09日

一対四

 こんばんは、裏部長です。

 きょうの札幌は朝から寒かった。気温はマイナスにこそならなかったものの、路面が凍結していて、そのために事故を起こした車が多くTVに映っておりました。いよいよ冬へと変わってくるころです。


 当破君へ。
 コメント、ありがとうございます。先週のスポーツ史学会のシンポジウム会場で姿を見た以来、長らく話しておりませんが、元気でやっていますか。きっと、毎日毎日、空手に明け暮れているのでしょう。
 コメントにあった「突き」の話ですが、わたくしの云っていた“突きの行方”というのは、そこまで込み入った話ではなく、もっと単純な、突きそのものに対してもっと自覚的になろう、というだけのことです。まあ大仰に考えようと思えばいくらでも深めてゆくことができるのでしょうが、深く入りすぎたがゆえに見過ごしてしまうということも往往にしてあると思うので、ひとまず今はこんなところで勘弁してください。
 また稽古で会いましょう。


 さて今夜は空手の稽古です。師匠は、午後六時からの会議が入ってしまったために不在(終了直後に来てくださいましたが)。参加者はK先生とS呂君と狗っちと、そして大学院生のH田君でした。

 例によってK先生は早退されるため、それを見越して、今日はわたくしが前に立つことに。
 目の前には四人の男たちが立ち並んでおります。ここんところ、すっかり少人数の稽古に馴れてしまっていたためか、こうして一対四で向かい合ってみると、すこし緊張します。

 基本ひと通り、手廻しまでやり、少し呼吸を整えてから、奈良のM田先輩より教わった鍛錬をひとつ、全員でやりました。みなそれぞれ感覚をつかむのに苦しんでおりました。
 ここでK先生は早退。

 移動は追い突き、逆突き、追い突き・逆突き。また普通に歩いてもらい、わたくしの手拍子にあわせて瞬間的に突く、というような動きもやってみました。
 後半は型です。わたくしは狗っちの「平安三段」を、S呂君にはH田君の「四之型」を見てもらいました。

 最後、五分ほど時間が余ったため、教室をひろく使い、追い突き発進の自由な組手をやってみました。わたくしやS呂君にとっては珍しくもない、長い距離の移動稽古みたいなものですが、狗っちやH田くんらは四苦八苦の態。いろいろと悩んでおりました。
 これはもちろん、ひとつの座興みたいなもので、実際の武術としては、後ろへ下がるということをほとんどしませんのでね、実戦的な動きかと問われれば決してそうであるとは云えないのですが、しかしこれをやりますと相手を追い込むということを学べますし、止まらない動きのなかで攻撃を繰り出すという訓練にもなります。たまにやるには持ってこいの内容だったでしょう。

 午後八時、終了。来てくだすった師匠とともに地階へ。


 ひさしぶりに基本稽古もひと通りやって、空手稽古らしい空手稽古だったような気がいたします。師匠は不在だったし、K先生は風邪の治りたて、わたくしもまだ親不知抜歯から間もないため本調子ではありませんでしたが、おのおの徐徐に調子をあげてきて、過酷な冬へむけて準備万端!というような気運を感じました。
 雪に負けない稽古をしたいものです。

 裏部長でした。
posted by 札幌支部 at 23:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2007年11月08日

長考

 裏部長です。

 十一月も半ばへと差しかかってきて、路上には枯葉がカラカラと音を立てて舞っております。すっかり秋になってしまいました。
 服装もそれに合わせて変わってきて、わたくしも、もう上着なしには出歩けなくなってしまいました。季節の移り変わりは速いものです。

 あっ、そういえば、わたくしの例の親不知ですが、無事抜糸をし、現在はすこぶる良好であります。まあ現状としては、手術で開いた部分を糸でくっつけていたところから糸を抜いただけであるため、まだ傷口は完全にふさがっておらず、歯茎がもくもくっと盛り上がってきて、完治に至るのにはまだ三週間ほどかかるそうです。
 気長に待とうと思います。

 そうそう、そういえば、この「気長に待つ」ってスタンス、武術の修業に当てはまると思いませんか?焦らず急がず、気長に稽古して、その成長を求めすぎない。そんなスタンスで稽古ができたらどんなに良いかと思いますね。


 さて、今夜は体道稽古です。参加者は師匠、K先生、狗っちとわたくしの四名のみ。

 本日の狗っちは、日本伝天心古流拳法初伝中段之位より、九本目「打込逆締」、十本目「胸取返」のふたつを習ったわけですが、課題としては後者、「胸取返」のほうであったと云えます。
 とにかくこの技は厄介です。わたくしも彼の苦闘ぶりを見て、自分もまた、あれはまだ師匠の研究室でほそぼそと稽古をしていたころですが、部長を相手に、倒れない倒れないと、上手くゆかないもどかしさに歯を振るわせた記憶を蘇らせたほどです。

 この「胸取返」という技は、動作としてはかなり単純なものです。知らないひとが見たら、「エッ、これって武術なの?」と不思議がるような類のものです。一応は投げですが、一般的な“投げ技”のような派手な雰囲気もありません。
 ですが、これがなんとも奇妙奇天烈、摩訶不思議。やってみるとわかるのですが、みょ〜な難しさがあるのです。地味なむつかしさなのです。

 技の詳細をご紹介できないためにこれ以上のご説明は難解なのですが、まあそんなような事情で、狗っちもまたこの「胸取返」につかまり、きょうはこの技の稽古で終始しました。体道稽古の苦しいところであります。

 斯くいうわたくしは、というと、新しく入ったばかりの日本伝天心古流拳法捕手術上段之位より、三本目「小手挫」、四本目「交叉締」、五本目「一文字締」、六本目「胸捕挫」の四つを教わりました。技数としては多い一日でした。
 ただ、じゃあ裏部長は狗っちと違って、トントンと順調に進んだかといえば、さにあらず。わたくしもまだまーだ未熟な人間ですから、立ち止まってしまうことは当然のようにあるのです。

 わたくしが苦戦したのは六本目の「胸捕挫」(奇しくも狗っちと同じく、“胸”のつく技です)。これにやられました。まあ以前から、この技のように挫をつかう動作には一抹の不安があって、今日その全貌が明らかになったのですが、まだ解決はできておりません。一応、原理は理解して、師匠を相手にやってみて、一応はできたので、今日のところは終わったのですが、まだまだ感覚的に不明確で、これは今後の復習にかかってくるものと思われます。わたくしもまた、たったひとつの技に、長い長い時間を費やすことになります。

 どうも体道の稽古では、こういったいわば「長考」の図が多く見られるような気がいたします。もちろん空手においても悩んだり、立ち止まったりしてひとつの動作を熟考することはあるのですが、向こうは稽古メニューが多岐にわたっておりますから、たとえば蹴りに悩んでいても、基本以外では蹴りをしないときがあったりなんかして、再びやったころには気づかぬ間にできちゃってる、なんてことがよくあるのですが、体道は基本的に、毎週毎週、同じことをやりますからね。その段階を脱しない限り、迷路は続いてしまうのです。

 
 まあ、気長にやりましょう。なにごとも焦らず急がず、の精神ですよ。気づいたときには出来てますから。安心して稽古に励みましょう。

 えー、明日は空手の稽古です。
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2007年11月07日

拳の行方

 こんばんは、裏部長です。

 よく「失敗から学ぶ」なんてことを申しますが、あれは結構たしかな話だと思います。というのも、人間というのは浅はかな生き物ですから、失敗をしたときでもないと己のことについて、反省したり、思い返してみたりすることをしないからなんですね。成功して、すべて上手くいっているときはどうしても自分が見えなくなる。
 だから、どんどんと学べばいいのです。モンゴルに行った横綱も、海外へ逃げた関西人も、辞めるといってすぐに復帰した政治家も、もうすこし謙虚になって、おのれの失敗から学ぶべきなのです。

 というわけで、今夜はわたくしも、自分の「失敗」からすこし学んでみようと思います。


 昨夜の稽古で、わたくしは部長と組んで約束組手をしたわけですが、ここでワン・ツーをやったときに、またもわたくしは突き指をしてしまいました。
 まあ今回のは以前のような重度のものではなく、きょうに至ってもほとんど腫れてこないような程度のものですが、しかしやってしまったものはやってしまったのです。わたくしの右逆突きが部長の右肘に当たり、わたくしの右人差し指の付け根にするどい痛みが走ったのです。

 軽度でしたので少し間をおいてすぐに稽古へ参加はいたしましたが、わたくしの心中では後悔というか、「またやってしまった」というような落胆の気持があって、依然として過去の失敗に学べていないおのれを責めておりました。空手をやっていて、しかも黒帯を締めるような段階になれば、それ相応の怪我というものも増えてきましょうし、特に拳まわりはその影響が顕著ですから、突き指くらい気にすることはない、いやむしろ、突き指に馴れるくらいでちょうどいいんだ、と、そんな風にじぶんを慰めてはみても、やはりどこかで「どうしてこうも自分だけ……」という想いは拭えなかったわけです。

 ところが、今朝になって。
 わたくしはあることにふと気づき、そしてハタと膝を叩きました。わたくしの頭のなかでは不意に、「突き指の原因」のようなものが、何となくではあるものの浮かび上がってきたからです。

 それは簡単にいうと、〔拳の行方〕に関することです。

 師匠のもとで空手を始めてからというもの、こと突きに関しては、とにかくその軌道をはっきりさせること、相手のどこを突くのかをきちんと定め、また実際の動作のなかでその位置をピンポイントで狙えるようにする、といった、ごくごく当たり前のことからスタートして、腰をつかって突く引き手を意識して突く、飛びこんで突く、腰を廻さずに突くまっすぐ突く、と、さまざまな段階を経て現在、今わたくしが取り組んでいる突きへと流れつくわけですが、このいづれの過程においても、わたくしは思っていた以上に、じぶんの拳の行方を見ていなかったような気がするのです
 もちろん突く位置は見ております。突きが当たる場所はどんな素早い動きのなかでも把握しているつもりです。ですからまったく見ていなかったというわけではないのです。
 ただ、突きの動作そのものの中で、拳の行方をどのように定めていたかと問われると、ちょっと苦しい。答えが出てこないのです。

 つまり、追い突きを例にしてみれば、突きだす右拳を、“追い突きの軌道”で伸ばしていただけではないのか、ということです。
 もう三年以上も同じことをやっていれば、追い突きひとつにしても、何気なくやっていてもだいたい同じ軌道で突いているはずで、大きく乱れたり、中段を狙っているのに上段へ当たってしまうなんてこともあるはずないのですが、ただそういったいわゆる馴れのせいで、いくら相手の胴体へ狙いをつけ、ただの約束事ではなく、実際に当ててやろう、入れてやろうと思っていても、結局からだに沁み込んだ追い突きのラインで腕を伸ばしているだけで、じぶんが思っている以上にじぶんの拳をコントロールできていないのではないか、と思ったのです。

 だから、ぶつかるのです。わたくしが突き指をしたのはいづれも、相手のからだの、胴体以外のところへ当たったときです。師匠の手、S呂君の腕、K先生の小手、そして部長の肘と、すべて胴体以外のところへ拳をぶつけた結果、指の付け根を傷めてしまっているのです。
 その証拠に、昨夜の約束組手で突き指をしたあと、わたくしは続けてワン・ツーをやりましたが、右の逆突きが部長の胴体へ当たっても指に痛みはありませんでした。突くべきところをきちんと突いていれば、本来は突き指などするはずはないのです。

 そう考えると、今後は追い突き一本にしても、相当意識的に相手の胴体ないし上段を狙って突かなければなりません。
 散漫にならず、軌道に乗せるだけでもなく、突くべきところへ弾道ミサイルのごとく飛んでゆくような、そんな鋭い突きをしなくてはなりません。
 失敗から学べた、突きの考察でした。


 さて明日は体道稽古です。稽古場所である教室はすでにすっかり冬モードで、夜になっても暖房全開です。熱い稽古になることでしょう。
 裏部長でした。
posted by 札幌支部 at 21:56 | Comment(1) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2007年11月06日

集合!

 こんばんは。基本的にはポジティブ・シンキングの裏部長です。

 きょうは空手の稽古でした。わたくしが教室へ行きますと、すでに韓国人留学生のT君とHさんが来ていて、椅子や机を移動させておりました。
 そのうち、師匠が、そしてK先生が来られて稽古がスタートしたのですが、基本を流して、其場でワン・ツーなどをしているときに、こりゃまた珍しく、ひさびさに部長がやって参りました。

 あれはきっと七時過ぎだったと思いますが、K先生が早退され、それからは移動稽古です。追い突き、逆突き、追い突き・逆突き、前蹴り・廻し蹴りなどをやりましたが、ひさしぶりに教室を大きく使っての移動稽古で、すこし気持がよかったです。

 後半は約束組手。わたくしは、おそらく数箇月ぶりとなるであろう部長と組んでやりました。なんとも懐かしいような、すこし余所余所しいような緊張感がありました。
 内容としては中段追い突きとワン・ツーであったわけですけども、やっぱり動きはじめれば互いに黒帯を締めているもの同士、すぐに馴染んできて、これまでどおりの組手をすることができました。ああいった感触は、やっぱり長くともに稽古をしてきた間柄でなければ得られないものでしょうね。

 最後は型、でしたが、こちらはT君とHさんの「平安初段」をやるのみで、わたくしと部長は休憩しておりました。
 わたくしは久久の稽古で、それでなくても親不知を抜いてから家でも稽古をしていなかったので、今日やった其場突きなんか数日ぶりの其場突きでした。そのせいかどうかはわかりませんが、後半からオナラが急激にせりあがってきて大変でした。放屁を我慢するというのも辛いものです。

 稽古終了後、いつもの談話室へゆくと、アラ不思議、狗っちとS呂君がいるじゃありませんか。
 聞けば、S呂君は昨夜、食卓に出た生の玉ネギをたくさん食べすぎたせいで腹をこわしたらしく、稽古を欠席……アレ、狗っちはどういうことだったのだろう?

 ま、そんなわけで、ひさしぶりに栃木遠征へいったメンバーが集合したわけです。なんとも嬉しい図でした。自然と笑顔なんかも溢れてきてね、やっぱり仲間というものは良いものです。
 ただその弊害として、こうして久しぶり会ってしまうと、長長と話し込んでしまうのですね。今夜もそうで、校舎を出たとき、すでに午後九時をまわっておりました。談笑もほどほどにしなくてはいけません。

 久しぶりに動いたおかげで便秘は解消されそうだし、懐かしい顔を見ることができたし、と、きょうの稽古はよいこと尽くめでした。こういう稽古がこれからも続くといいのに……。

 裏部長でした。
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2007年11月05日

ちょいと自暴自棄

 こんばんは、裏部長です。めっきり寒くなって参りました。

 本日、わたくしはちょっとした事情で、いつもよりも早くに大学へゆきました。教室に着いたのは五時十五分くらいであったでしょうか。
 当然、まだ誰もいません。適度に暖房のはいった室内は、なんというか、とても心地よくて、まあこの週末の疲れもあったのでしょうが、誰もいないことを良いことに、数十分間寝てしまいました。

 目が覚めたのは五時五十分。いまだ室内に人気なし。
 そのうち六時となり、韓国人留学生のT君がやって来ましたが、聞くところによると彼の胴着は、おなじく留学生のHさんが持っていっており、いろいろと連絡を取ってみるとそのHさん、きょうは稽古に来ないというので、結局かれも帰ってしまいました。

 六時半、わたくしは教室のドアを閉めて帰りました。


 月曜日の稽古は、いわば自主練習です。師匠がおりませんし、今日のようにK先生もいらっしゃらないときは尚更その色が強くなります。
 
 過去のことなどを統計的に考えてみて、もしかしたら裏部長がいるせいで稽古へ来られない、もしくは来たくなくなっている門弟がいるのではないか、と思っています。それは人間関係的になのか、それとも単純に、生理的に無理なのか、それはわかりませんが、もしもわたくしがいることで稽古の出来ていないひとがいるのなら、月曜日に限っては参加しないことにしましょうか?別にこれは脅かすわけでも、皮肉のようにして云っているわけでもありません。ごくごく当たり前の提案として、とても穏やかな心持で書いています。

 もちろんわたくしにとって稽古は生活の一部ですから、それを止めるということは望んでするような類の行為ではありませんが、もし上記のような事情のある後輩がいるのなら、たかだか月曜日の一日くらい、躰を動かさなくたって平気です。それで他の誰かが助かるなら、わたくしは喜んで欠席しましょう。

 それに火曜日や木曜日、金曜日の稽古へはこれまでどおり出ますよ。もし月曜日だけじゃなく、もっと稽古をしたいひとは諸諸のことを我慢して教室へ来なさい。そこまでは面倒見切れません。

 ま、そんなわけで明日は空手の稽古です。
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2007年11月04日

朝から

 こんばんは。週末も忙しい裏部長です。

 きょうもまた札幌大学にて、スポーツ史学会のお手伝いです。集合は午前八時半。わたくしは何も化粧をするわけでもなく、込み入った髪型にするわけでもないので、それほど時間に余裕をもって起床する必要はなかったのですが、そうかといってギリギリまで寝ていて、いま起きてきました、って顔でゆくのもどうかと思ったので、朝六時には起きて、きちんと目を覚ましたうえで大学へ向かいました。

 朝のうちは会場設営のみで、あっという間に時間が過ぎてしまいました。
 メイン会場となる六号館一階の教室ではすぐさま準備が整えられ、わたくしはと云うと、もうひとつの会場である同館五階の特別展示場の設営に借り出されたのですが、そこで本日のゲスト、甲賀流伴党家二十一代川上仁一さんとお会いすることができました。
 そうです。この方はホンモノの「忍び」なのです。

 このたびのシンポジウムのタイトルは『叡智の身体技法〜忍術における身体のヴィジョンを探る〜』だそうで、この川上さんと、健康スポーツ医でなおかつ片山伯耆流柔術宗家の中島篤巳さんとのディスカッション形式で行なわれたのですが、せっかくの機会だし、他にひともいないので、ちゃっかり二十分ほどお話をさせていただきました。これが面白かった。
 いろいろなことを伺いましたけども、一番グサッときたのは、「忍術を説明しづらい」という、そのなんとも実感のこもったお言葉でした。

 たとえば今回のようなイヴェントのなかで何かをしなくてはならない。喋りだけで、忍びの歴史なんかを話すだけであれば割かし簡単に済むらしいのですが、いざ実技でもって披露をする、ということになるとちょっとむつかしいらしいのです。
 何故といって、もしいろいろとある術技のなかから「手裏剣」を持ってきてこれを投げて見せても、これは手裏剣術という武術の技を見せただけであって、忍術を見せたわけではありませんね。
 じゃあそうかといって、今度は“忍者らしい”、飛んだり跳ねたりするような派手な動きを見せてみても、やっぱりこれも本質とは違う。
 結局は、「これが忍術ですよ」と云って見せることができないというのです。これは、型などがある武術とは少しだけ趣きの違うところだと思いますね。

 まあ本日はそんな苦悩を抱えつつも、医学博士でもある中島さんの助けもあって、とんとんとシンポジウムは進みました。わたくしらもこの時間帯だけは仕事を免除されて、教室へ入っていっしょに聴きました。なんとも貴重なお話ばかりで、眠気すらも吹っ飛んでしまいました。
 武術家でもある中島さんはもちろんですが、本当のものを実際にきちんと稽古し、伝えていらっしゃる方と身近に接して、そして直にお話をさせていただけるという機会は、そう多くあるわけではありません。今日のようなことも、きっと何度もめぐりあえることではないでしょう。
 そういった体験ができた、ということだけを以ってしても、この二日間、朝から早起きをしてスーツを着て大学にいった甲斐があったというものです。お声をかけてくだすった師匠に感謝、感謝。

 あっ、そういえば。もう御一方、感謝を述べなければならないひとがいらっしゃいます。
 それは稲垣正浩先生です。
 この方は日本体育大学大学院の先生で、師匠の師匠にあたるスポーツ史学の世界ではトップ、いわば首領(ドン)のような方です。わたくしも師匠のお手伝いをしてきたなかで何度かお会いをし、ご挨拶程度をかわしたことはあったのですが、こうしてじっくりお話を伺ったのは今回が初めてでして、緊張のなかにもいろいろと胸に沁みる言葉をいただきました。

 わたくしの稚拙な本(『夏休みの微熱』文芸社刊)と引き換えに、ご自身の著作を一冊プレゼントしてくだすって、しかもわたくしの不躾な「サインと何かお言葉をひとつ書いてやってください」という申し出にもこころよく筆を執ってくだすって、一筆書いていただきました(この言葉は公開しません。自分の胸のなかだけに秘めておきます)。
 こんなBlogの場で云うことではありませんが、稲垣先生。この二日間であなたから学んだことは数知れず、すべてこの胸の内へ仕舞いました。今日からまた苦しい創作の道へ歩んでゆけそうです。

 ありがとうございました。


 さて、明日からはまた新たな一週間。稽古は月曜日からございます。
 わたくしは明日、例の親知らずのあとの抜糸。別にもう痛くもないから、きっと夜には躰を動かせると思います。
 教室で会いましょう。
posted by 札幌支部 at 19:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記