2007年12月03日

風邪薬

 こんばんは。ことごとく外気を通す安物の手袋を愛用しているため、いっつも手が冷えている裏部長です。
 暖かいんですよ、一応は。ただそれは、手袋を着用する前の手そのものの温度が持続しているだけで、寒い最中につけたんじゃ意味がないのです。
 いつからでしょうねえ、こんな冷え性みたいになったのは。ダイエットをしてからかな?
 気をつけます。

 ま、そんな寒さのせいではないと思うのですが、今日は朝からなんだか鼻水が出て、どうも風邪っぽい。おそらく、風邪というまでには至っていないのでしょうが、なーんか厭な感じがするのです。
 こんな時期に風邪を引いてはいられない!そう思ったわたくしはさっそく風邪薬を飲んで仕事へでかけました。
 これがいけませんでした。

 とにかく、ひさしぶりに飲んだ風邪薬であったためにその効果が覿面。んもうフラフラするわ、眠気は襲ってくるわで、集中力うんぬんの話ではありません。それほど長い時間ではありませんでしたが、薬が効きすぎるというのも辛いものです。

 ですがそのお蔭で、明日は元気に稽古へ参加できそうです。外はすんごく寒いけれども、そんな寒さに負けぬような稽古をしたいと思っております。

 きょうは早く寝ます。
posted by 札幌支部 at 20:48 | Comment(1) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2007年12月02日

継続の果て

 こんばんは、裏部長です。なんだかこう、最近はアグレッシブに毎日を生きているというか、極力無駄な時間を作らずに、終始なにかをしているという過ごし方をしているので、たまにこうして日曜日なんかに、いわゆる一般的な休日の過ごし方をやると、逆にからだの感覚がおかしくなりますな。休めているつもりでも全然休まってくれない。生きるというのはむつかしいものです。

 栃木のY先生ならびにT君からコメントが届きました。
 そうですか、あのM田さんが黒帯ですかあ。凄いなあ。わたくしたちも栃木へゆくたびにお会いしてその稽古ぶりを拝見しておりましたが、ついに黒帯へ達しましたか。これもひとえに不断の努力、継続の力というやつですね。
 M田さん、おめでとうございます。T君の云っていたように空手は黒帯を締めてからが本番ですが、しかしね、五十歳を超えてから空手を始めたひとで、しかも空心館の本部道場で稽古をして黒帯を取るというのはなまなかなことではありませんよ。それ自体がとてつもなく貴重ですごいことなのです。
 いづれまたお会いいたしましょう。そのときはわたくしも気合を入れて稽古をさせていただきたいと思います。
 しかし、Y先生。「引き手は引いても、風邪など引かぬようように」とは上手いですなあ。参りました。
 また書き込んでやってください。

 さて、昨夜はいろいろと薀蓄を書いてしまったので、今日はあっさりと終わっておきます。
 明日からはまた新たな一週間が始まります。札幌支部の稽古は通常通りで、月曜日からございますが、明日はわたくし出られません。集まった有志で汗を流してもらいたいと思います。
 急な仕事なり事故なりに遭わない限り、火曜日以降の稽古へは参加できそうです。一週間もやっていないと不思議なもので、躰がみょうに鈍っているような気がします。はやく空手をやりたいものです。

 裏部長でした。
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2007年12月01日

暗記る

 こんばんは。最近、妙に脳みそを使っている裏部長です。久しぶりに使うといいもんですよ、脳みそも。なんだかスキッとします。

 今日はひとつ嬉しいことがありました。わたくし以外には喜べない、ある一事を達成したのです。
 それは暗記です。以前ここでもご紹介をいたしましたが、わたくしの通っている志塾「日高塾」で、おもに滑舌の訓練と日本語の美しいリズムや語感を学ぶためにつかわれているテキスト『外郎売』をすべて暗記できたのです。実は昨夜のうちに大方入っていたのですが、すこし不安があったので、今朝になってもう一度おさらいしてみました。
 そしたらあなた!見事に憶えているじゃあーりませんか。これは嬉しかったなあ。

 自慢ついでにご紹介をしておけば、『外郎売』というのはもともと歌舞伎のなかの芝居の一部であったものが、その後独立して演じられるようになったもので、外郎そのものの発生から考えるとかなり古い話になります。
 ちなみにこの「外郎」ですが、名古屋とかの、あのお菓子の外郎とは違うものです。こちらはなのです。

 あれはきっと鎌倉時代でしょうか、中国から「ういろう」という名の人物が日本へやってきて帝へ参内をした。このとき冠のなかに、仁丹みたいな薬を入れていて、帝が「それはなんじゃ」と尋ねると、その中国人の答えるには、これは薬で、呑めば胃、心臓、肺、肝臓によく効くし、口中の清涼消臭にも役立つ、また婦人病にも効果あり(ほとんど信じがたい効能ですが)という。本来ならばそんなことは有得ないのだけども、帝がそれを呑んでみたいとおっしゃるので差し上げて呑んでもらったところ「うん、なるほど良い心持じゃ」と評価されたというのですね。
 これがきっかけで、日本でこの外郎の店を持つことができた。京の都でね、もうたいへんな繁盛。それから何百年も続いたらしいんです。

 江戸時代になって、京都以外への進出を考えはじめた外郎株式会社は、江戸日本橋から京の三条大橋までをつなぐ東海道のなかの宿駅で、小田原というところへ店を出すことにします。どうしてここにしたかといえば、江戸から上方へむかう人人のなかで、東海道を使うのはおもに武家でございましたが、箱根を越える前にかならず薬と提灯を買ったそうです。もちろん昔の旅はいまよりも危険で険しいものでしたから、おのおの薬は常備しているのですが、それでもこの小田原宿へ入るとみんな買ったそうでございます(みなさんご存知、箱根は「羊腸の小径は苔なめらか」→箱根の山道は、細い道ばかりで、しかも羊の腸みたいにウネウネしているからあまり人はひっきりなしに通らない。だから苔が崩されず、なめらかである。ってな具合に表現される難所。だからみんな薬を買ったのですね)。

 まあそんなこんなで繁盛した外郎の店ですが、一方当時、歌舞伎のほうで二代目市川團十郎という方が有名で、それはそれは素晴らしい役者だったそうですが、当時はなにか新しく演目を拵える、つまりは芝居をするということになると、衣装からなにから、すべて費用は役者持ち、自腹でありました。ですから、今でいうスポンサーがよくついたものらしく、この二代目には外郎の店がお金を出した。
 これに応えるというか、なかば義理というか、たとえば現代のTVドラマで携帯電話のメーカーがスポンサーにつくと、劇中ではその会社のケータイしか使わないような感じで、二代目はある演目のなかに外郎を売るひとを登場してその宣伝をさせたのですね。

 これが『外郎売』です。これができた背景にはもうひとつの環境があって、よくわれわれも“歌舞伎”というと、大きな動きで目をひんむいて、いぃ〜ってことーよー、みたいな、とにかく長くのばす台詞が印象にありますが、当時もそれに似たようなところがあって、結局のところお客さんから「役者はみんなああいった、ゆっくりとした喋りと動きしかできないんだろう」って云われちゃったんですね。
 これに二代目は我慢できなかった。「何を云ってやがんだい。役者の了見、見せてやる」ってんで、出来たのが、この憎らしいくらいに云いづらい、早口ことばの徒競走みたいな口上なのです。

 インターネットでも探せばすぐに読むことができますから、一度、声に出して云ってみるといいです。これがどんなに難しいか。一般によく知られている早口言葉とはレヴェルが違います。またこちらはすべての言葉に深みというか、奥行きがある。読んでいて日本語の勉強になるんです。
 わたくしはこれをすべて暗記するためにこの一週間ほど喘いでおりました。むろん、なにも暗記する必要はなかったのですが、やってみたいじゃないですか、何も見ないでスラスラっと口上を捲くし立てるっていうのを。だから必死になって憶えたのです。
 みなさんもお暇なときに一度どうぞ、お試しになってみてください。


 余談ですが、この二代目市川團十郎にはすごいエピソードがあるのです。
 立て板に水の凄まじいマシンガン台詞をやって話題になったこの『外郎売』は、人気があがれば本になる昨今のケータイ小説ばりに、出版されて広く市井のひとびとに行き渡りました。そのころは他に娯楽とてない時代。みんなそれを読んではわたくしみたいに憶えて、役者気取りで云ってみたりなんかしていたそうなのですが、あるとき大坂で、公演中に二代目がこの口上のところへ差し掛かった、さあ今から怒涛の早口言葉へ入ろうかというその瞬間、客のひとりが立ち上がって、そこから先の部分をぜんぶ云ってしまった、というハプニングが起きました。
 場内騒然。最後まで云いきったその客は自慢げに坐って「どや」ってなもんです。
 いくら本業の役者でもこんなことをされたら堪りません。裏部長だったら客席に撲りこんでいることでしょう。
 でも二代目は違った。にこりと笑ってその客へ向き直ると、「ただいまは大変結構なものをお聞かせいただき、ありがとう存じました。ではそのお返しに、いささかお耳汚しではございますが、このようなものをお目にかけましょう」と云って、なんとこの口上をすべて逆から捲くし立てたという。
 この一件で二代目市川團十郎の人気は不動のものになったそうです。カッコいいな〜

 ま、そんなことで、結局はそれくらい長くて憶えるのがたいへんな口上をわたくしは暗記しましたよト、どうです凄いでしょうト、そんな自慢をしたいがための書き込みでした。気にしないでください。
 なお、きょうのタイトルはTVドラマ『ガリレオ』を真似ました。あれで「おぼえる」と読んでください。
posted by 札幌支部 at 22:23 | Comment(1) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2007年11月30日

時化

 えー、裏部長です。

 きょうの稽古も参加者おらず。師匠とK先生のみであったそうです。どうも時化ておりますな、最近は。わたくしもきょうは仕事で行けなかったので他人のことはとやかく云えませんが、どうもこういう魔日というのは固まるようです。大学のほうも別段これといって試験があるわけでもレポートの提出時期に重なっているわけでもないのですが、どういうわけか閑散としております。

 ただ。

 来週は違います!なぜと云って、このわたくしが帰ってくるからです!!
 おそらく、ではありますが、来週はほとんどの稽古へ参加できると思います。まあ時化には変わりなくとも、ひとりくらい常時いる人間があれば違ってくるでしょう。波及効果ですこしでも稽古が賑わえばと思っております。

 こんなときに風邪なんぞ引いたら最悪です。きょうから体調管理を徹底化させます。

 裏部長でした。
posted by 札幌支部 at 21:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2007年11月29日

金的襲来!!

 こんばんは、裏部長です。気温の変化というのは恐ろしいもので、午後まではそれほどでもなかった外の温度が、夜になると豹変、身震いするほどの寒さとなります。着るものに気をつけねばなりません。

 栃木のT君へ。
 コメント、ありがとうございます。書き込まれた文章を見てもわかるように、あなたは太陽であり、そして台風みたいなひとです(笑)いつも元気でいつも輝いていて、周囲のひとたちを明るくさせます。まあ、まだわたくしはそれほど長くおつき合いをさせていただいておりませんが、なんとなくそんな気がしております。
 本部道場ではもう忘年会の季節ですか。なんとなく、いいですな。こちらは一応、札幌支部ということになっておりますが、所属している人間のほとんどが学生ですし、師匠は教員として多忙なので、そういった行事もなく、なんとなく一年が終わり、そしてまたなんとなく新しい一年が始まってしまいます。のんびりしたものです。
 武術はやっぱり〔感覚〕でしょう。理屈ではないと思います。ただ、技の理屈を最低限知っていて、なおかつその通りに動いてみせてきちんと技の効果を発揮できる人間にはなりたいと思います。
 師範などもそういった教授の方法を採っておられるかどうかはわかりませんが、ウチの師匠がよくそういった説明の仕方をするのです。 つまり、

「この技では、手はこう、足はこう動く。これをいっしょに動かすと、ネ、ほら出来るでしょ?」

 ってな具合です。まあこれほどワザとらしくはやりませんが、結局は同じことで、その技のもともとあるべき形、取るべき動作をそのとおりにやってみればちゃんと効果が発揮される。そこには無駄な力みも無理やりな速度も、悪意のような感情もない……そういったひとに裏部長は憧れているのです(これはきっと師範もT技術顧問も同じだと思います)。

 とりあえずコメントありがとうございました。また書き込んでやってください。


 さて今夜は体道稽古です。わたくしも参加をしてきましたが、聞けば火曜日は門弟誰も参加せず、師匠とK先生のふたりづれだったそうです。
 どうした!?札幌支部!!

 きょうの参加者は師匠、K先生、部長、裏部長の四人。
 部長は前回に引きつづき、浅山一伝流体術上段之位十二本の復習。わたくしは、日本伝天心古流拳法捕手術上段之位より、七本目「手首折」、八本目「当返」、九本目「受身」、十本目「襟捕」の四つをあらたに教わりました。いやあ、いろいろと痛かったなあ。

 きょう直面した難題は「蹴り」です。しかも、金的狙いの蹴りです。
 
 八本目の「当返」という技には金的蹴りが出てきます。これを挫でどうにかしようっていうんですが、ウチの師匠くらいになるとね、もう蹴りのエキスパートみたいなところがありますから、たとえば師範とか他の師範代クラスのひとでないと困っちゃうような(つまりは捌き切れないような)、そんな鋭くも重い蹴りを出すことができるのです。
 もちろんわたくしのような小童相手ですから、本気で蹴るなんてことはしませんが、それでも少しちゃんと蹴られると、その恐さたるやありません。「勘弁してくださぁーい」と云って逃げてしまいたくなります。

 思えば今日まで、空手のほうでもあまり蹴りを稽古してこなかった。おそらくこれから本格的な蹴りの稽古がはじまるのでしょう。今日はそのデモンストレイションみたいなものだったのでしょう。
 武術は痛みをともなうものですなあ〜ふらふら

 明日は空手の稽古がございますが、またもや裏部長は仕事のため行けません。血走った目の門弟諸賢はどうか懸命に汗を流してください。
 裏部長でした。
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2007年11月28日

前へ

 こんばんは。心なしか、顔の形が変わってきた裏部長です。地下鉄なんぞに乗って、ドア附近に立ってそのガラスに映ったじぶんの顔を見て、

「アレ、俺ってこんな顔だったっけな?」

 と頸をひねってしまいました。なんとなく腫れぼったいような、顎のあたりが張っているような顔に見えたのです。

 まあ最近は毎日のように家で大声を出していますからね、そのせいで頬の筋肉あたりが発達してきたのかもしれませんが、もしそれが本当だとしたら、われわれはどれほど日頃から声を発していないか、ということになりますね。誰かとしゃべっているようでも、それは声を出しているだけであって発しているわけではない。空手に云いかえれば、それは相手を撲っているだけであって突きにはなっていない、といったようなことでしょうか。当たらずとも遠からずでしょう。

 ま、そんなことはどうでもいいですけどね。

 でもね、あながち関係のない話じゃないんですよ。空手も発声も、どちらも「前へ伝える」ということでは同じです。突きも蹴りも、なんだかんだ云ったところで、結局は前方にいる相手へ向けるものです。その威力はすべて「前へ」伝わっていなければならないのです。
 声もそうです。わたくしはこれに取り組みはじめてまだ幾年も経っておりませんが、なんとなくそう思います。いくら上顎がどうの、共鳴がどうのと云ったって、最終的には前へ送らないと相手に届きません。ほどよい量のほどよい声を、ほどよく相手に伝える(過不足なく伝える)、そのためにいろいろな工夫を凝らすのです。
 空手も体道もおなじ。一本の突きに、ひとつの動作に、武術としての鋭さ、重さ、迫力を持たせるために、やれ躰の締めがどうとか、軸がどうとか、筋肉とか骨とか、そんな細かい話を突き詰めてゆくのです。

 だから、わたくしにとっては現在、空手も体道も朗読も小説も、ぜんぶ同じ修業です。別個に行なえるものではありません。空手で得た教訓が小説執筆に活き、小説を書いてゆく中で気づいたことが朗読に反映され、声を出して作品を読んだ結果、自分のなかに現れた感覚で相手を投げます。多少大仰ではありますが、それほどこれらのものは、わたくしのなかで一本に繋がっているのです。

 ですから、今わたくしの内では凄まじい変化が起きています。渦巻きのように、わたくしの感覚という感覚を変えようとしています。
 あとは、これが武術のほうへも上手く反映されることを祈るのみです。

 明日は体道稽古です。わたくしも参加します。
 裏部長でした。
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2007年11月27日

丹田てなんだんねん?

 こんばんは、裏部長です。めっきり寒くなってきております。

 雪というのは不思議なもので、降っているということは気温がそれなりに低く、水が凍るのは零下の証ですから、寒いことに変わりはないのですが、ただ雪があたりに深く積もって一面の銀世界、というふうになると、これがアラ不思議、雪が降る前よりもすこし暖かいような気がしてくるのです。現に、体感温度でいえば、雪がないよりもあるほうが暖かく感じられるのです。

 そういったことでいえば、現在のような状態のときが一番寒いですな。雪も降らず、そうかといって気温が高いわけではない。きょう仕事終わりで外へ出たら、すでに零度でした。
 躰が震えるわけです。


 さて今夜もわたくしは稽古へ参加できませんでした。きっと昨日の話では、師匠も参加されての通常どおりの空手稽古だったのでしょう。どういった面子でどういったことをしたのか、はわかりませんが。

 今夜の稽古に関してわたくしの書くことはほとんどありません。
 ですから今日は、すこし「丹田」の話をしましょう。

 まあ、そうは云ってもね、わたくしなんぞの若輩者がそう易易と手を出せるような代物ではないので、ちょっとしたエピソードのように聞いていただけると有難いのですが、以前ここでも少しご紹介した、大学院生H田君から借りたDVDのなかで、最後のほうにこの「丹田」について言及しているシーンがありました。この説明がなんとも面白く、それ以来わたくしもことある毎に実践しているくらいです。

 それは云わば、丹田の使用法、というようなものです。

 とにかく武道のほうでは何から何まで、この「丹田」に気を沈めろ、というようなことを申しますが、どうしてそこへ気を沈めなければならないのか。こう問われた場合にはきっと、重心を安定させるためだ、なんていう答えが返ってきそうですが、これはおそらく間違いではないのでしょう。わたくしも過去の修業のなかでそんな言葉や教えを受けた覚えがあります。

 しかしですね、たとえばこの用法を日常生活のなかへ応用した場合に、丹田へ気を沈める、という通り一辺倒なやり方だけでオールマイティなのでしょうか。

 例のDVDのなかではこんな風に云っています。

「たとえば誰かを説得したい、相手を落ち着かせてこちらの言葉を理解させたいようなときには丹田へグッと気を沈めて行なう。そうではなく、こちらの情熱、やる気を相手に伝えようとするときは、その意識を水月(中丹田)のあたりへ持ってくる」

 これね、実際にやってみると頷けてしまうんです。

 わたくしは現在、ほとんど引っ切り無しに誰か(それはほとんど見ず知らずのひと)と顔を合わせ、短い会話をするといったような仕事をしておりますが、中にはこちらの意見を聞かないひと、最初からどういうわけか喧嘩腰のひと、理解を示そうともしないひとなんていうのがおります。昨年までのわたくしであればすぐに不快感をあらわした輩が一日にひとりくらいは現れます。
 しかしそんなときにですね、上記のように丹田へグッと力を張って気を巡らし、落ち着いて対応すれば、そのほとんどが難なく済みます。現れた当初は向こうのペースだった雰囲気も、気づかぬ間にこちらの先導するがままになって、あっという間に形勢逆転です。

 ですから、きっとこの丹田への気の沈めが出来れば、どんな職種の仕事でもある程度はスムースに行なえるのでしょう。むつかしいのは情熱を伝えるほうです。
 相手へ何かを伝えるという行為のなかで、落ち着かせるという段階はたいへんに重要なのですが、しかし終始冷静では、相手はこちらの想いに共鳴したり感動したり、興奮したりはしてくれません。サラッと流されてそれでおしまいです。

 そこで今度は水月あたりへ気を持ってきます。これはむつかしいですよ。来てるか来てないかハッキリわかりませんから。
 要修業です。興味のある方はぜひお試しください。


 木曜日の体道稽古には参加できそうです。


 追伸。
 タイトルの「〜だんねん?」は古い関西弁(上方弁)です。今でいう「なんでんねん」ですね。こういう古い云い方をつかう藝人さんは少なくなりました。現在では、明石家さんまさんがときどき云うくらいです。
 ま、武術にはほとんど関係ありませんがね。
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2007年11月26日

今後のこと

 こんばんは、課題を与えられると燃える裏部長です。今はいろいろな意味で燃えております。

 きょうは師匠不在の空手稽古でしたが、K先生はお休み、その上わたくしも仕事のため行けなかったので、どんな塩梅になったのか、現時点ではわかりません。もしかしたら中止になったかもしれませんし、集まった有志でもっておおいに発奮したかもしれません。

 ただ何より残念なことは、もしよしんば稽古が行なわれたとして、その模様をここへ報告してくれるひとが誰もいないということです。ここ数箇月おりません。すっかり裏部長ひとりきりです。

 勿論わたくしは自分が書きたいと思うから書くのであって、誰かに強制されているわけでも、空心館札幌支部の義務でもありませんから、そのこと自体はどうでもよいのですが、しかし今後はきょうのように、わたくしが仕事で稽古へ出られないということがよく出てきます。そういったときにこのBlogをどうするか。これは少し考えたほうが良い問題かもしれません。

 云うまでもなく、裏部長の書き込みはこれまで通り、大病にでもかからぬ限りは続けてゆきます。稽古へ参加できなかったときはそれ以外の話になってしまいますが、どうかご勘弁をいただいて、誰かほかの門弟による稽古報告をお待ちください。


 ちなみに明日も仕事があります。ただ明日はもしやすると、顔を出すくらいは出来るかもしれません。
 ともかく、わたくしの他に書き込んでくれる誰かの出てきてくれることを祈るばかりです。

 裏部長でした。
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2007年11月25日

やってる人はやっぱり違う!

 こんばんは、毎日発声練習をかかさない裏部長です。まあ別にわたくしは役者になるわけでも、アナウンサーになるわけでもなく、ただ単にいま通っている「日高塾」での稽古のために、日頃の予習復習を続けているだけなのですが、しかしやってみると面白いことというのは案外多くあるものです。たまには冒険をして、まったく知らない世界へ飛び込んでみるのも良いものです。

 きょうはそんな「日高塾」の第二回目でした。わたくしも全員の前で朗読をしてきましたよ。いやあ、緊張したなあ。
 でもね、少し嬉しかったのは、塾長たる日高晤郎さんがわたくしの声を褒めてくだすったことです。「良い声だ。それに、文章を読んでいる声のなかに悲しみがある」だなんて、有難い話じゃありませんか。
 もちろんベタ褒めというわけではなく、もっと淡淡と読んだほうがよい、とか、もう少し滑舌をよくするべきだ、とか、いろいろと宿題をいただきました。でもね、これはむしろ励みになります。よおし、やってやろうじゃないか!次回までにその課題点、しっかりクリアしてやろうじゃないか!って気になりますもの。嬉しいものです。

 本日の「日高塾」、開始前に全員で発声練習をしました。まあもちろん、われわれは俳優養成所の生徒ではないので、いわゆる「アーアー」云うような発声練習ではなく、これはおもに口さばき(滑舌の訓練)のための教材『外郎売』をおおきな声でただひたすらに読む。これをやりました。
 この『外郎売』に関しては説明を省きますが、二代目市川團十郎が作ったというだけあって、味わい深い日本語の羅列がとても心地よく、それでいて早口言葉の要素も兼ね備えているという、なんとも好都合なものなのですが、これを全員でやるのに、現在ラジオ番組「日高晤郎ショー」でアシスタントをされている早川舞子さんが前に立って、一同を先導する形でおやりになりました。
 これがね、やっぱり違うんですね。
 日頃から声を出しているひとの発声や滑舌は、やっぱりやっているだけのものになっているのです。まざまざと見せつけられました。

 あれはきっとわたくしたちが、空手の本を見て空手の稽古をしているような人たちと相対したときに同じでしょうね。いくら自己流で勉強しているような気になっていても、実際にホンモノを稽古しているひとに比べたら雲泥の差。天と地ほどの違いがあるのです。
 わたくしも、もっと精進しなければと強く想いました。


 さて、明日からはまた新たな一週間。しかし裏部長は仕事のため、明日と明後日の二日間は稽古へ参加できません。有志でもって大いに汗を流してください。
 気づけば十一月もあと少し。悔いのない十二月を迎えましょう。

 裏部長でした。
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2007年11月24日

真冬の空の花ふぶき

 こんばんは、裏部長です。

 今朝方、師匠よりお電話がありまして、十二月にある特別稽古(K先生の同級生の方方が札幌へ来られて、いっしょに稽古をしていただく)の日程を確認いたしましたが、こうして見てみると、一年はあっという間です。もう2007年が終わろうとしています。

 きょうの札幌はあまり天気のよくない一日でしたが、街中はすこぶるご陽気。
 というのも、本日は、あの北海道日本ハムファイターズの優勝記念パレードが開催されたのです。
 ダルビッシュとかは不在ですけども、ヒルマン監督はじめ主要選手はみな登場して、詰めかけた山のようなファンたちへ手を振っておりました。
 空からは無数の紙ふぶき。これは各企業や、もしくは個人の方の制作した紙ふぶきで、ある方なんぞはなんと1トンもの紙ふぶきを作って寄付したとか。

 そんな量の紙ふぶきが札幌の街に舞うという図は、これはこれでなんともいえず綺麗なものです。ああいう光景は、映画のなかでしか見られないものだと思います。
 ただ、云うまでもなく、あと片づけが大変ですな。ボランティアの方方が、撒いたあとからすぐに拾っていったようですけども、あれほどの量になるとさぞかし時間もかかったことでしょう。
 ご苦労様でした。

 さて、明日はわたくしにとってまたもや正念場。「日高塾」の第二回目があります。
 今夜から明日の朝にかけては準備期間です。体調も整えておかねばなりません。
 
 そういうことで、今夜は早めにこのへんで。
 裏部長でした。
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2007年11月23日

裏部長、ブーツを履く。

 どうも、裏部長です。

 きょうは勤労感謝の日です。勤労、とあるくらいですから、日頃汗水たらして働いているひとたちに労いの言葉をかける日なのでしょうが、そんな祝日にも朝から職場へ出ているひとにとってみれば、なんの有難味もない、ただただ寒い一日であったことでしょう。

 斯くいうわたくしもそうで、きょうは朝から仕事でした。優に氷点下となる外へ出るときのあの辛さ。それが早朝ともなると尚更です。
 ま、愚痴っても仕方ありませんが。


 わたくしは本日、ある初体験をしました。

 別に、いやらしい意味の話ではありませんよ。

 今日わたくしは生まれてはじめて、ブーツというものを履いたのです!!!


 ……まあまあ、そうキョトンとなさらないで、じっくり話を聞いてやってくださいよ。

 これまでにわたくしもいろいろな靴を履いてきましたけども、どういうわけだが、このブーツというものに巡り会わずにおりました。家族や友人には数えきれないほど、このブーツを履く人間がいたにも関わらず、なぜかわたくしだけが今日まで履かずに生きてきたのです。
 まあきっとそこには、わたくし自身もはっきりとは確信していない、なにか苦手な理由があるのでしょうが、しかしそうかと云って、ブーツというものに興味がなかったわけでもないのです。いやむしろ最近では、あの革の硬さ、強靭さ、ひとつの靴を何十年も履き続けられる、といった面に興味をもって、いづれ一生モンの良質なブーツを買ってやろうとさえ思っているくらいです。

 ただ、そのお目当てのブーツは四万円以上もするので、ひとまず今後の愉しみに取っておいて、きょうは仕事の性質上、万止むを得ず、家にあったブーツを履いていったのですが、これが困ったのなんのって。とにかく歩きづらいったらありゃしない!

 ブーツは革ですから、スニーカーのように歩けないのは当たり前のことですけども、なんだかスキー靴を履いているかのようで、ロボットみたいな歩行になってしまうのです。あれはキツかった。
 もちろん長時間、履いて歩いていればそのうちに馴れてきて、家路へつくころにはだいぶ平気でしたけども、しかしねえ、あんな靴を履いていて、いざ!ってときにはどうするんでしょうかねえ。逃げるにも闘うにも、なんだか動きづらそうで心もとないですな。

 わたくしがどうして日頃からスニーカーばかりを履いているかと己に問い正してみれば、きっとそれは、「いざというときに動き易いから」と答えるしかないことなのでしょう。やっぱり日頃から空手や武術をやっていて、人間の動作すべてを武術を通して見るようになってしまったため、自分の歩行ということに関しても、どこかで感覚的に、その自由を拘束されることに恐怖を感じているのでしょう。だからこれまでも革靴なんかはほとんど履いてこなかったし、スーツを着るときに履く革靴も、硬質のものではなく、数千円で買えるふにゃふにゃした安物を使っています。それでいいと思える自分がいるのです。

 ま、今後はすこしお洒落にも気をつけて、多少無理はしてもブーツなんぞを履いてね、街中を闊歩してみたいものですな。せっかくの冬なのですから、寒い寒いと愚痴をこぼしていないで、少しはその寒い冬を満喫してみたいものです。


 明日以降も寒くなりそうです。
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2007年11月22日

翔べ!

 こんばんは、裏部長です。

 毎日のようにTVで放送されているバレーボールの試合。賑やかだった女子の戦いが終わって、今度は男子の激しい攻防戦が繰り広げられております。
 やっぱり男子のほうは女子とちがってパワーがあるし、スピードも速い。見ていて爽快ですな。明らかに痛そうなレシーブ、腕に当たるや否や客席遠くまで飛んでゆくボールの凄まじさはTVにおける見世物としてもじゅうぶんなものと云えるでしょう。

 そういったことでいえば、あのHey!Say!JUMPの面面もまた、TVのなかの見世物として必要なのでしょう。今夜の放送を見たら、場所が広島なので、「7WEST」なる関西ジュニアからの派遣アイドルも混じって、んもう誰が誰だかわからない有様でした。ファンには堪らない展開でしょうね。
 でも、純粋なる試合中継という意味では、毎度毎度、あの試合前の歌はいらないんじゃないでしょうか。そんなにCDを売りたいのか、名前を打ち出したいのか、そういった目論見はよく知りませんが、ちょっとクドすぎます。亀田の試合中継と同じくらいウンザリします。

 少し儚いくらいがいいんですよ、やっぱり。押しつけがましいのはいけません。

 何事も程度、というものが大切なのです。


 ……と、いつもならばこれをマクラにして長い、なが〜い文章を書いてゆくのですが、今夜はナシ!ただ感想を云ったまででした。
 明日は勤労感謝の日です。感謝しましょう。
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2007年11月21日

か、か、肩が・・・

 こんばんは、裏部長です。

 きょうの札幌は、寒い!肌が裂けるような寒さです。外を歩いているとそれだけで人相が変わってくるようです。

 路面もほどよい感じに凍ってきちゃってね、道行くひとは全員そろってへっぴり腰ですよ。いきなり冬になっちまいました。

 そんな寒さのせいではないと思うのですが、最近どうも躰の調子がおかしいのです。もちろん風邪をひいたとか筋肉痛を抱えているとか、そういった類の話ではありません。もちろんインフルエンザでもありません(そう!何故ならわたくしは予防接種を受けてるから!!)。
 ただ大学で稽古をしていても、自宅にて筋力(武術的)トレーニングをしていても、なんとなーくしっくり来ないというか、なんか躰に違和感があるのです。なんだか今までのじぶんの躰ではないような感じがいたるところでするのです。

 そんなことを考えながら昨夜、お風呂へ入った裏部長。浴室には鏡がありましてね、ちょうど自分の右側が映るのですが、これを見てビックリ!あれ、おれの肩ってこんなに動いたっけ・・・?

 そうなんです。どうもおかしいと感じていたのは、肩胛骨まわりのぐにゃぐにゃ感だったのです。ここがどうも以前とは違ってきているようなのです。
 現に、坐った状態で鏡に映して見てみると、肩が気持悪いくらいぐにゃぐにゃと動きます。これは、最近、奈良のM田先輩からの教授や大学院生H田君から借りた「3Dストレッチング」というDVDの影響がおおきく関係しているか、もしくは、今までもこれくらいは動いていたけどもそれをまじまじと観察することはなかったから、今さらながらに驚いているだけ、ということなのかもしれません。躰の感覚として意識したことはあっても、実際にそこを見て動かしてみるということをしてこなかった裏部長にはどうにも判断のしようがありません。

 ただ最近はいろいろな情報の果てに、特に上半身に意識して、その「胴体」をいくつかに分割して動かすように心がけておりますから、そんな意識の端くれが少しづつ躰そのものに変化をもたらしはじめたのかもしれません(そうあってほしいものですが)。

 躰を割る、というのはとても単純そうに聞こえて、やってみるとこれほどむつかしい動作はありません。現に昨夜の稽古でそのようなことを全員でやってみたところ、韓国人留学生のふたりはチンプンカンプンでした。いきなり云って出来ることではないようです。

 ただ、その実現の真相は置いといても、こういった「躰を細分化した動作」というものに意識を向けて稽古をするというのは、これまでになかったことだと云えます。空手に、そして体道に、と、少しでもよい影響のあることを願うばかりです。


 明日の体道稽古は休みです。みなさん、風邪には気をつけて日日を送りましょう。
 裏部長でした。
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2007年11月20日

人生いろいろ、型もいろいろ。

 こんばんは、冬でもスニーカーで通す裏部長です。今日なんかはもう凍りはじめましてね、油断しているとツルンといってしまいそうでした。ただそこは百戦錬磨の裏部長ですから、一般人のようにツルンとはいきません。あわてて踏ん張って、キッ!と、何事もなかったかのように歩きつづけますから。

 まあ、冗談はさておいて、本日は今週最後の空手の稽古。参加者は韓国人留学生のT君・Hさん、K先生。一時間ほど遅れて師匠、といった顔ぶれ。
 きょうもまた早退されるためK先生ではなく、わたくしの先導で稽古スタート。
 基本稽古をひと通りやり、手廻しをやり、躰のストレッチ(大学院生のH田君から借りたDVDで見てきたもの)をやっているところでK先生は早退。
 ここからは型です。留学生ふたりの「平安初段」を見ているあいだに師匠が到着されて、そこからはお任せしました。

 彼らはこのあと新しく「平安三段」を教わり、わたくしも新たな型「十手」を教えていただきましたが、こうして見ると、ホントに型って多彩なんですねえ。毎度毎度、驚かされます。
 きょう習った「十手」というのも、複雑なんだか単純なんだか、よくわからない型で、憶えづらさでいえば前回習った「征遠鎮」のほうが余程むつかしかったです。
 ただそれは表面的な動きの話であって、各動作のなかに含まれている技のエッセンスは深いものがあります。数をおおく憶えるだけで内容や質が置いてけぼりにならないよう、きちんと稽古したいと思います。

 今週はもう稽古ありません。次回は来週の月曜日ですか。きっと雪が降っていることでしょう。
 それまで滑らないようにします。
 裏部長でした。
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2007年11月19日

稽古下手

 こんばんは。裏部長ですよ〜わーい(嬉しい顔)

 えー、今夜は空手の稽古でした。月曜日ですから師匠はおりませんが、どうにか狗っちが来てくれたので、二人きりながらきちんと躰を動かしてきました。

 こういうときはどうしてもね、何となくいつもと同じような稽古をしたくないというか、変わったメニューでやってみたいような衝動に駆られてしまう裏部長。きょうもまた相手が狗っちひとりであることを良いことに、基本稽古は受けまでにして、あとは体道の稽古をやったり、そうかと思えばまた元にもどって約束組手をしたりと、かなり変則的なことをしてしまいました。
 まあ、失敗であったとまでは云いませんが、決して成功とまでは行かない内容でした。やっぱり日頃やっている稽古のメニューは、長年諸先輩方が苦労に苦労を重ね、その経験のなかから編み出されたものであって、そこへ不用意に、思いつきの要素を入れてはいけないのです。
 今日もやっぱりそうでした。ぐだぐだ感は否めません。
 稽古を仕切るのは本当にむつかしいことです。

 明日も稽古はございます。
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2007年11月18日

起床下手

 こんばんは。裏部長です。

 最近めっきり寒くなって参りまして、今日なんかも天気こそ穏やかなものの、街頭の気温計はず〜っとマイナス表示でした。北国の本領発揮というやつです。

 そのためかどうかはわかりませんが、最近はどうも朝スパッと起きられませんね。平日はそうでもないんですが、週末となると気が抜けてしまうのか、どうも決めた起床時刻にうまく起きられないんです。
 今日なんかもそうですよ。わたくしは、以前にこのBlogでもご紹介をしましたが、テレビ朝日系列で放送されている「獣拳戦隊ゲキレンジャー」と「仮面ライダー電王」の二本のヒーローものを、毎週欠かさず、きちんとリアル・タイムで見ているので、日曜日の朝はどんなに眠くとも午前七時半までには起きる!と決めてあるのです。現に今までもその予定どおり起床してきました。
 それがどうです。寒くなってからというもの、気づいたらもう八時過ぎ、なんてことがほとんどです。きょうもすっかり寝過ごしてしまいました。
 まあ、そんなこともあろうかと、ハード・ディスクに予約録画しておきましたけどね。起きようと思っていながら起きられないというのは、なんとも情けない限りです。
 来週からはスパッと起きてみせます。


 さて、明日からはまた新たな一週間。何度も申しあげておりますが、今週は木曜日、金曜日ともに稽古がなく、明日と火曜日の二回のみです。札幌支部のメンバーは気をつけてください。

 裏部長でした。
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2007年11月17日

なぜ先代は容易く師匠を投げたか?

 こんばんは。靴下なしでは生活できない裏部長です。ある程度、暖房をきかしていても足っ先はやっぱり冷えるもので、家のなかでもきちんと履いています。
 よく、やる気の減少は足元の冷えから、なんてことを聞きますが、あれはたしかにそうです。足が冷えてると活動そのものに勢いが出なくなります。パソコンに向かってこのBlogを書いている今もそうです。足元がぴりぴりと冷えてきております。
 早めに書いてしまいたいと思います。


 あれはいつの頃であったか。以前、師匠にこんな話を伺ったことがございました。
 それは師匠がまだ子供であった時分のことで(たぶん中学生くらいのことであったと思います)、あるとき稽古のなかで、先代・藤谷昌利師範と対する機会がありました。約束組手ですな。先代はただひと言、「突いてきなさい」とおっしゃって構えている。師匠もまだまだ若い。その年齢的にも肉体的にも若い、躍動的なところでもってご指示の通り、ドシィ−ンと突っ込んでいった。

 突いた!と思った瞬間、師匠は投げられていたそうです。

 このときのことを憶いだすに、師匠は「どういう風に投げられたかわからない」と懐古します。もちろん攻撃方は中段追い突きをしていたわけで、それをあの方向へあれくらいのテンポで投げたということは、きっと、こういう風にしたのだろう、ああいう風にする動きも有得るかもしれない、と、おおよその見当はつきますが、なにぶんにも子供時分のことゆえ、確かなところは判らないということらしいのです。

 どうして今わたくしがこのエピソードを紹介したかといえば、それは、先代・藤谷師範のそれほどまでの柔術的な技のキレが、きっと体道に代表される数数の柔術稽古の成果により発揮されたものではないか、と考えたからです。
 それは現在の師範、つまり師匠のお父様ですね、この方にも云えますし、きっとT技術顧問にも当てはまることなのだと思います。わたくしはまだT先生へお会いしたことはございませんが、師範には実際に触れて教えていただいたことがございますから、きっと間違いない見当だと思っております。

 この師範方がどうしてそこまでの柔術のキレ、技の凄まじさを修得していたか。これはきっと、長年の武術稽古のおかげ、と云いきってしまう以外になにかしらの要因があるように感じるのです。

 共通項は空手体道ですが、わたくしも今日までの数年間、その両方をあわせて稽古してきた感覚、そしてここ数箇月のあいだに感じ始めてきた「技」というものの正確性絶対性を総括して考察するに、きっとそこには体道の影響力がおおきく存在していたのではないか、という仮説に至ったのでした。

 わたくしは師匠のもとへ来る前、札幌で合気道をやっておりました。それこそ四六時中、合気道のことばかりを考えて過ごしておりました。いま思うと、どうしてあんなにも夢中になっていたのか、すこし不思議に感じられるほど熱くその稽古に打ち込んでおりました。
 ですから、相手を投げたり崩したり、もしくは押さえたり関節を極めたりすることに関してはある程度の技量を持っているように感じておりましたし、現に師匠のもとで体道の稽古をはじめてからも、最初のうちは合気道の延長のような感触で、ほとんど無理なく技を行なえていたのです。
 しかしそれもすぐに止まりました。一年もすると体道の、もっといえば柔術の技のむつかしさに喘ぐようになってしまったのです。
 
 合気道はどんなときでもよく動きます。突きや打ちを出すときはもちろん、相手の手を取りにゆくときでさえ、遠くから駈け寄るようにして近づきます。
 ですから、相手の攻撃をさらりとかわしてすらっと投げる、みたいな動作は、馴れさえすればそれほど困難なことではありません。投げや崩しの方向と、おのれの軸さえ崩さなければ技はできてしまうのです。
 しかし体道のほうの柔術は違います。手や袖、胸などを取る際は、相手はその場に立ったままです。もちろん技の内容として、そこから引くとか押すとか、さまざまな動作が続いて、ただ掴んだまま突っ立っているということはないにしても、合気道と比べると、やはりほとんど動かずにいると云って差し支えないと思います。
 動かないでいるというのは、いわば軸が完全に安定した状態にあるということですから、これを崩すのは容易なことではありません。立っている相手をただ単に前方や、もしくは後方へ倒すだけなら手でドンと押せばそれで済みます。しかし体道では技で崩します。もっと細かな、もっと具体的な動きでその軸を崩さなければならないのです。

 そこで「1mmとも違わない技」が必要となってくるのです。

 
 たいへん前置きが長くなってしまいましたが、上記がわたくしの体道(柔術)に対する現在の考えです。T技術顧問にはコメントにおいて、それらのことをご指摘いただいて、とてもとても有難いことではあったのですが、今年に入ってからというもの、例の「新生」がらみで、武術の技(型)というものの捉え方をみっちり仕込まれた直後のからだであったため、本当のことを云えば、そういった考えはわたくしの躰のなかに存在していたのです。
 愚かしいのはそれを文章のなかに出せなかったということです。疲れと時間的拘束のために、急ごしらえの、表現のあやふやな文章を書いてしまったということなのです。
 武術を稽古し、なおかつ文章を勉強している人間としてはあるまじき愚行、恥ずべき行為でした。以後、気をつけます。


 とはいえ、体道の奥深さは知れば知るほどすさまじく、わたくしの背筋をびしっと叩きます。じぶんの感覚のなかでいつも同じ、寸分違わぬ動作で相手を投げ、相手を押さえ、極め、崩すことがどんなにむつかしく、しかしてその実現の折には、どれほどの効力を発揮するのか。少しづつではありますが、そんなことを感じられ始めているからこそ、いまの体道稽古はむつかしく、そして愉しい。

 どうして武術の修業は「厳しい」というのか。その答えのひとつはきっと、こういうところに隠れているのでしょうね。

 
 生意気を申しました。
posted by 札幌支部 at 22:39 | Comment(1) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2007年11月16日

Look!!

 こんばんは、裏部長です。

 きょうも雪が降りましたが、これくらいの頃がちょうど良いですね。気分的にも、なんかこう悠悠として見ていられるというか、雪を風情あるものとして見ることができますから。これが十二月以降となると話は違ってきます。穏やかではなくなってきます。
 冬は雪との闘いですからね。安穏とはしていられないのです。すでに路面凍結による交通事故多発の報を聞いております。慎重に歩まねばなりません。

 高砂のT技術顧問からひさびさのコメントがありました。ありがとうございます。嬉しい限りですねわーい(嬉しい顔)
 ただ、あのことに関しては明日に書かせてください。今日は今日で書いておきたいことがあるので。
 

 さて今夜は空手の稽古です。参加者はわたくしと狗っちのみという、なんともあっさりとしたものでしたが、教室は広くつかって、型なんかを窮屈に感じることなく爽快に稽古することができたので、かえって少人数でよかったような内容でした。

 基本は受けまで。あとは移動稽古で、追い突き、逆突き、追い突き・逆突き、刻み突き、刻み突き・逆突き、逆突き・前蹴り、逆突き・廻し蹴りなどなど。いろいろやりました。
 中盤は型です。狗っちは長らくかかっている「平安三段」を卒業すべく師匠つきっきりの中での稽古で、かなり苦しんでおりましたが、それでも長くやっているだけあって健闘をし、きっと合格点はもらえたことでしょう。
 わたくしはというと、「二十四歩」や「征遠鎮」を中心に、「内歩進初段」や「十六」、「平安四段」など、思いつくままに次から次へと型を打っておりました。こうしていきなり昔やった型を打ってみると、当時感じられなかったものが体内に生まれてきて、意外とおもしろいものです。

 後半は約束組手。狗っちが突き、わたくしが受けるという形でスタートしたのですが、狗っちは狗っちで突きに課題があり、わたくしはわたくしで受けのほうに課題が見えてしまったので、攻守を交代することなく最後までいってしまいました。
 今日ここで突きつけられたことは、「相手を見る」ということです。
 むろん、目で見る、だけのことではありません。簡単にいってしまえば躰で見るからだ全体で相手を見るのです。

 わたくしは今日のように、後輩の突きを受ける際には、ただ内受けで捌くだけでは物足りなく、たまに下がってみたり、腹で突きを受けてみたり、あとは、小手先の技でその突きを捌いてみたりするのですが、それらはいかにも小手先の動きであって、相手の崩れを生む本質的な動作として完成されたものではないのですね。これはわたくしも薄薄感づいていたことで、とにかく師匠の動きを真似することでいろいろなことを吸収しようとしていたため、表面的な動作の“モノマネ”になってしまっていたのです。
 
 これを実あるものとするには、まず、受けの動作が終わったときのこちらの体勢を考えます。きちんと躰すべてで相手を見ているか(向いているか)躰の向きのままに手を出せば無理なく相手を崩せる場所に立っているか。これに気をつけます。
 第二には、その位置へ移動する最中にも相手にとって厭な動きをすること。いくら受け終わった位置が相手の死角に入っていても、そこへ行くまでのあいだが空白だと、相手としてはそれほど厭ではないはずです。体道の技でも習いましたが、極めるのなら最初から最後までず〜っと極めているようにしなくてはいけないように、こちらもまた、動きはじめから動き終わりまで、常にねち〜と相手にまとわりついているかの如く動かねばならないのです。

 これをし、受け終わった姿勢から無理なく相手を崩す(攻撃する)ことができて第一段階終了なのですが、この問題を考え始めると、たとえば追い突きに対して自分はほとんど動かず、その場で相手の突きを呑み込んでその躰を包み、投げや押さえへ持ってゆく、などという、これまでわたくしが小手先でやってきた技がかーなーりむつかしくなるのです(つまりは元元むつかしい技であったのを、勝手に表面的に理解してやっていただけだったのです)。

 この場合もまた、じぶんの手と躰の向きが一致して(もしくは連動して)相手の中心へと向いているか、崩れを働きかけているか。これは相手の突きの深さやスピードによって合わせる度合が違ってきますから、相当にむつかしい技術です。きょうはそれを、身をもって体感することができただけで、とてつもなく重要な稽古だったと云えるのではないでしょうか。

 たいへん抽象的で、その技を実際に見たことのないひとには何のこっちゃよくわからない話と思いますが、ごくごく単純な理屈のできているかどうかで、技が実のあるものになるかどうかが決定するということには違いありません。そういう説明で収めといてください。


 来週は月曜日と火曜日だけです。木・金は稽古ありません。みなさん、お間違いのないように。

 裏部長でした。
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2007年11月15日

技のレパートリー

 こんばんは。冬は肌荒れのひどい裏部長です。こんな顔をしておりますが、案外、デリケートな男なのです。

 ま、そんなことはどうでもいいのですが、きょう目出度くが降りました。今もうっすらと降りつづいております。
 やっぱりね、冬の寒さはちがう。ここ数日はたしかに肌寒かったけれど、それは「寒い」ってくらいの寒さであって、冬の寒さはあなた、むしろ「痛い」ってくらいなもんですから。きょうだって外に出ると、鼻っ先がツンツンするくらい寒いんです。これが冬の寒さだったなあ、なんて、妙に感慨深げに歩いたものです。
 
 ま、そんな話はどうでもよくて、とにかくそれくらい寒い中わたくしたちはきちんと体道稽古をしてきました、ってことです。参加者は大学のM先生と、すこし遅れて部長のみ。彼は久方ぶりの体道稽古だったと思われます。
 本日わたくしはもっぱら受け役に徹して、M先生の日本伝天心古流拳法初伝上段之位十二本、部長の浅山一伝流体術上段之位十二本をともに復習しました。ほとんどマットなんかも使わずにね、入れ替わり立ち代りで投げたり押さえたり、と存外忙しい稽古だったかもしれません。
 
 こうした受け役のときは意外と客観的に体道というものを見つめることができるので、M先生や部長が稽古している風景を前にして、改めておもしろいものだなあと感心してしまいました。

 たとえば、技のレパートリー、というのがあります。体道をやっていれば自ずと経験する技の数は増えてゆくわけで、自然とレパートリーは多彩になってゆくはずなのですが、実はこれだけではないんですね。もっともっと細かい次元で、わたくしたちは相当数のレパートリーを目にしているのです。
 想像してください。ある技が目の前にあって、あなたはそれを教わります。師匠を相手に稽古をし、ある程度できるようになったら自分のノートへ記し、その後何度か復習を重ねて身につけてゆく。その段階を卒業し、今度は後輩たちがその技を教わるときに傍から見ていると、

アレ、自分の習ったのとちょっと違うかな……?

 なんて思うこと、ないですか?
 これはどうしようもないことなのです。人それぞれ体格というものがあります。躰の硬さや腕の長さ、筋力の発達具合などで、武術の技というものはいくらでも変化してしまうのです。
 ですから例えば、わたくしと部長くらいの身長差があれば、おのずと動きそのものが変わってきてしまって、こちらが彼の動きをそのまま行なうことは理に適っていないと云えるでしょう。

 だからこそ自分自身の感覚でノートを記す必要があるのですが、しかし体格差によって若干変わる技の内容を、直接じぶんには関わってこないことだと知っていても憶えておいたほうがよいのかどうか、そんなことを考えさせられた稽古でございました。

 
 なんだか、まとまりのない文章でごめんなさい。もっと余裕のあるときに改めて書きます。

 明日は空手の稽古です。そして、ある記念日、でもあります。もし稽古へ来られるひとは、「おめでとう」のひと言をプレゼントにして、厚着をして来てください。
 裏部長でした。
posted by 札幌支部 at 22:43 | Comment(1) | TrackBack(0) | 裏部長の日記

2007年11月14日

免疫力

 こんばんは、裏部長です。いよいよ冬の到来。明日から北海道は、平野部でも雪が降るという予報で、きっと朝から積もっているのではないか、とさえ云われております。
 TVではね、旅番組かなにかで「今月いっぱい紅葉を見られます」なんてことを云っておりますが、こっちはもうそんな悠長なことじゃ間に合わないんです。あっという間に銀世界になって、そして今度は、歩行中に滑らないことだけを考えて外出することが多くなります。
 身も引き締めなければなりません。

 昨夜、ある本を読了しました。先日、大学院生のH田君から借りた『ザ・必殺術』(第三書館 1200円+税)です。この出版社からは同様のシリーズが何冊か出ていて、わたくしも一冊読んだことがあったので抵抗なく借り受けましたけども、いざ読んでみると、いろいろな意味でキツかったわ〜ふらふら
 これは洋書の翻訳です。つまりアメリカで出版された、殺人マニュアルを日本語訳したものであって、その中ではマフィアや殺し屋などが使う暗殺術武器や毒薬の性質から中国武術の点脈まで、とにかく人間を殺す方法について詳しく書かれており、実技のところでは、極端に描写を省いたシンプルな絵でもってわかりやすくその内容を説明しています。そういった方面に興味のある人からしてみれば、これほど愉快で充実した本もないでしょう。実際にそういった任務につく人にとっては当たり前のことが書かれているのかもしれません。

 しかしね、わたくしはマフィアでもなければ殺し屋でもありませんから、やっぱり嫌悪感に襲われましたよ。だって露骨なんだもん、表現が。
 内容に関しては、その過激度の面からいってもここでは公開できませんが、とにかく残酷。それが殺しの世界だ!と云われれば文句も云えませんが、それをそのまま本に載せる姿勢。これにわたくしは面喰ってしまったのです。
 唯一の救いは、イラストが少し笑えたことです。簡単な線でしか描かれていないので、見方を変えるとかなりおかしいのです。読みながら何度つっこみを入れてしまったことでしょう。
 とにかく、刺激的な体験をしました。

 こうして考えてみると、日頃から武術に接して、やれどこをどう突けば痛いだとか、ここをこの方向へ打つと絶命するとか、そういったことばかりに触れていると思っていても、実際のところは誰かを試しに殺すわけでもなく、そのための実用的な殺人技術を訓練するわけでもないから、われわれの中にある“死(殺し)に対する免疫力”は意外と低いままなのかもしれません。
 馴れというのはどの分野でも、恐ろしいものです。

 明日は体道稽古です。
posted by 札幌支部 at 22:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 裏部長の日記