2020年08月09日

Empty Hand

 おはようございます。裏部長です。

 三連休、いろいろと煩わしいことも多いですが、札幌は程よい気候ですごしやすいです。北海道はこうでなくちゃ。

 みなさま、いかがおすごしでしょうか。


 さて、デジタルに疎い裏部長も、今年の春から初夏にかけての自粛期間中、世にいうサブスク(サブスクリプション)というものにようやく出逢いまして、なつかしいTVドラマや映画を観てたのしむようになりました。

 先日は『ベスト・キッド』(1985年)を久方ぶりに鑑賞しました。いま改めて観ると発見が多く、べつのたのしみが生まれます。


 劇中での空手(カラテ)の描き方にはいくつも賛否や意見があるでしょうが、意外にも筋が通っているように思えたのは、主人公が学ぶ技術と師匠の系譜についてです。

 師匠となるのは、おなじみの「ミヤギ」さんで、沖縄から来たということでしたが、沖縄でミヤギというと、宮城長順さんを思い浮かべます。

 剛柔流をつくった方です。おそらくこの映画のミヤギさんも、この宮城さんの流れをくむ人なのでしょう。

 だから、あの少年(ダニエルさん!)に教えた受けの動作が、「転掌」に由来していたのです。このあたり、けっこう堅実です。


 学校でワルガキたちにいじめられている少年をミヤギ老人が助け、自分の部屋へ運びこむ。気がついた少年は、老人が空手をやっていて、なおかつ強いということにまだ半信半疑。不思議に思ってあれこれ尋ねます。

 それに対して、ミヤギ老人の答えた台詞がこれです。

沖縄のミヤギは皆 漁とカラテを知っている

 カラテは16世紀 中国から来た

 ″手”と呼ばれた

 後に ミヤギの先祖が

 ″カラテ”と呼んだ

 空の手だ

 最後の一文、英語では「Empty Hand」と言っています。

 わたしはなんだか、この表現にぐっときてしまったのです。


 思えば武術とは、すべてにおいて「Empty Hand」なのではないか。空手や柔術など、素手でおこなうものはもちろんですが、棒や杖、刀など、武具を用いる技においてさえ、その武具を扱うのは空っぽの手なのです。

 わたしの両手は、武術をするにふさわしい「Empty Hand」になっているだろうか。


 三十年以上前の映画を観ながら、ふとそんなことを思う裏部長なのでした。
posted by 札幌支部 at 09:34 | Comment(0) | 裏部長の日記

2020年08月01日

小川の水辺から大河の飛沫を見る

 こんにちは、裏部長です。

 八月になりました。全国各地、お暑うございます。

 こちら札幌もすこしずつ夏の息吹に包まれるようになりました。今月は真夏日も多くなるでしょう。

 みなさま、いかがおすごしでしょうか。


 札幌支部では先月から、小規模ではありますが、限定的に稽古を再開しております。

 以前のようにすべての参加者を受け入れることはできず、現時点では、大学関係者(教員、学生、OBなど)のみです。

 長らく通常の稽古をしていなかったのと、稽古休止期間中に自分であれこれ工夫してみた結果とがあいまって、いろいろと試行錯誤の連続であります。空手に関しては、やはりひとりで考えすぎてしまう傾向があり、いま大いに反省をしている最中です。

 刀の稽古も再開していますが、まだまだですね。技を覚える前に、身体がついていかないのです。

 空手にしても、柔術にしても、何にしても武術をやってゆくうちに、肉体も感覚も、あるいは精神も、その技をやるに適切なものへと変化してゆくのではないでしょうか。そういった意味でも、すくなくとも裏部長の身体は、まだ刀をやる身体になりきれていません。

 とにもかくにも、武術の灯はここ札幌でも、絶えずに点りつづけています。


 ああ、そういえば!

 昨夜の稽古のなかで、唯一の学生であるHちゃんから、師範の型の動画を見せてもらいました。「最破」と「征遠鎮」でしたが、彼女のスマートフォンを覗きこみ、わたしも、そして師匠も、唸りつつ感嘆の息を洩らしていました。

 わたしのような下っ端がこんなことを言うのはたいへん失礼にあたるのですが……

 ほんとうにもう、惚れ惚れするような型です。拳や足先などの張りや緊張感は残しつつ、腕や脚は力が抜けきっていて鞭のごとく、速く鋭く、全身には必要最低限の締まりしかない。わたしたちが師範の空手の型を見ることはとても稀なので、かなりの刺戟と衝撃をもって拝見しましたが、動画を見た師匠も、「あの力の抜けた感じは真似できない」とこぼしていました。

 そして、これは合わせて明記しておくべきことだと思いますが、その動画内でおこなわれていた師範の型と、われわれが教わったふたつの型が、微妙に異なっていました。素早く、切れよく動いていた部分がゆるやかになっていたり、呼吸とともに力強くやっていた部分がごくあっさりとしたものに変わっていたり。このあたりの変化、変更は、きちんと捉えて、必要な個所は改めねばなりません。

 ですから、そういった意味でも、師範の技や型の動画というのは貴重なのです。生きる空心館の宝物殿です。


 心身ともに、ぴりりと刺戟的な体験でした。


posted by 札幌支部 at 12:44 | Comment(0) | 裏部長の日記

2020年07月01日

 こんばんは、裏部長です。

 七月になりました。天候の面でいろいろと心配の多くなる季節です。暑いなかのマスクも注意が必要です。

 みなさま、いかがおすごしでしょうか。


 札幌支部においては、まだ稽古再開となっていませんが、六月はたった一度だけ、師匠らとお会いすることができました。

 これは厳密に言うと稽古ではなく、師匠のお仕事に関係する素材づくりのお手伝い、といった内容だったのですが、ひさしぶりに道着に身を包み、空手の型や約束組手もほんのすこしですがやれました。師匠とそのようにして相対したのは、二月末の稽古が最後でしたから、三箇月以上ぶりにご一緒したことになります。

 いやあ、よかったですねえ。さほど動いてはおりませんが、快い一日でした。

 そして返す返す、稽古のなかでやりたいこと、やらなければならないことの多さを目の当たりにしました。


 稽古が再開されたら……

 最近はじめたばかりのはもちろんですが、中途半端なところで止まっている本体高木楊心流柔術も進めたいし、何よりも空手の型です。これまでに教わってきたすべての型を振り返ってみると、靄がかかり、どうにも腑に落ちない箇所、納得のゆかない箇所がいくつも見られます。

 そもそも、三戦立ちについてさえ、疑問が解消されていないのです。また、空心館における型の位置づけなど、つきつめたい話は山のようにあります。

 
 これまでに培ってきたこと、学んできたこと、それらを継続させながら、いまからだからこそ、はじめるべき、見つめるべき、新しい視点と姿勢をもって、次なる稽古段階へ能動的に進んでゆく。課題を課題のままで終わらせない。

 やるべきことはたくさんあります。それに、いまこそ取りかかる時期なのです。


 札幌支部としての、そして、裏部長としての新たな第一歩は、この大変な時期をこえて、踏みだされます。

 空心館の一員として、ひとりの武術稽古者として、ここからさらに前進するのです。



 裏部長でした。

posted by 札幌支部 at 19:31 | Comment(0) | 裏部長の日記

2020年05月31日

追記

 またまた裏部長です。


 先ほど載せた文章の後半部分は、いわば理屈の上の発展といったようもので、なんとなく胡乱な印象がありました。

 裏部長個人の実感としましては、むしろ現在の状態こそ心地よく、爽快である、ということをここに書き加えておきます。


 いくつもの要素が互いに監視しあっている、などと書くと、何本もの鎖でわが身を拘束されているかのように思え、とても窮屈に感じられるかもしれませんが、逆に言うと、迷う必要がない状態にある、と捉えることもできます。

 長くつづく稽古の道の上で、あっちがいいかな、こっちが正解かなあと、悩む場面は山のように出てきます。

 近くに師がいて、強靭な指導力でいつも引っぱってくれていれば、そんな迷い道に翻弄されることもないでしょうが、最後の最後までそんな状態がつづくわけではありません。

 いつかは自分で考え、自分で判断しなければならない時期が来ます。


 そんなときに、現在のわたしのような、いくつもの要素の武術を同時におこなう状態はむしろ好都合です。

 師匠の技のように雑味がなく、嫌味がなく、スッキリとした武術。

 何物にも拘束されず、澄んでいて、つねにニュートラルな武術。あるいは、そんな武術家。


 これこそが目指すべき領域なのかもしれません。


 
 六月も武術とともに歩みましょう!


posted by 札幌支部 at 14:50 | Comment(0) | 裏部長の日記

糸東流

 こんにちは。裏部長です。

 五月が終わりを告げ、六月が顔を見せて、こちら札幌でも初夏の陽気です。今日も気温が高く、空には雲ひとつありません。

 暑いですが、爽快感があります。そういう季節になって来たということなのでしょう。

 みなさま、いかがおすごしでしょうか。


 さて、全国的に、非常事態宣言も取り下げられる傾向にあり、北海道でも徐々に日常がもどりつつあります。

 この流れが順調に進み、札幌支部としても、たとえ以前のペースやスケールとはいかないまでも、稽古を再開できればよいのですが、果たしてどうなりますことやら。

 優先すべきは、われわれの健康です。命です。

 ここをきちんと押さえた上で、新しい武術との向き合い方を模索したいものです。


 向き合い方、と言えば、空手に関して思うことがあります。

 裏部長もたまにはインターネット上に転がっている武術関連の動画を見たりするのですが、空手をやっていらっしゃる方々のものを拝見するたびに、「やはり、独特のクセがあるのだなあ」と感じます。

 これは、どちらかというと、よい意味で言っています。

 その流派の、その系統の、独特な動きのクセ。とくに型を見ると、これを顕著に感じてしまいます。


 なぜそう感じるのか、と自分に問えば、きっとそれは、自分のやっている型にクセがないと捉えているから、なのでしょう。

 師匠から教わってきた空手の型、あるいは師匠のやる空手の型は、上記の意味で言うクセがあまり強くない。アクがなく、雑味もなく、全体的にスッキリとしています。だからそれを教わったわたしの型もまた、濃いクセを有していないのでしょう。

 
 この自粛期間中に、わたしはつらつら考えてみたのです。

ではなぜ、師匠の型にはクセがすくないのか

 個人的に考察した結果は以下の通りです。


 糸東流というのは一般的に言うと、沖縄(琉球)にあった空手のすべての型を有した流派、ということらしいですね。日本の空手四大流派のうち、松濤館流、和道流、剛柔流はそれぞれひとつの系統を継ぐものだが、糸東流には那覇手も、首里手も、泊手もある、と物の本にも書かれていました。

 これ、もしかしたら、流れをくむ系統がひとつの性質のものならば、あるいはクセが生まれていたかもしれません。

 首里手なら首里手だけの要素をもって稽古を積んでゆく。そのうち深まり、濃度が増してゆくに従い、クセが生じてゆく。それは那覇手にしても泊手にしても同じです。ひとつの要素が煮詰まってゆく過程がそうさせるのではないか。


 しかし、糸東流においては、それらすべての型があり、またそれらの型を同時並行的に教わるので、ひとつの要素に染まる時間がないのですね。この時期は首里手のみ、この時期は那覇手のみ、というように、期間を決めてひとつの系統を集中的につきつめるのであれば話はべつでしょうが、抜塞大をしながら、三戦をやったりしているのですから、これはもう、どちらか一方に偏ることを許されないわけです。

 これ、言うなれば、いくつかの性質の型たちが、互いに監視しあっている状態にも見えます。

 酸性になりかけたらアルカリ性に、アルカリ性に染まりそうなら中性に、中性に落ちつく前にまた酸性に、というように。


 さらに空心館においての特徴は、ここに体道が加わることです。

 体道のなかにある柔術、各種棒術、札幌支部では法典流の剣術等のほか、最近では刀も登場しました。抜刀術や居合術が加わったわけです。


 これらすべてのものが、お互いを監視しあい、どちらにも偏りすぎることを看過しない状態。

 つまり、ニュートラルな状態、ですね。

 その最中にわれわれは生きているのではないか。数年前までの裏部長はこう思っていたわけです。


 ん?

 数年前?

 では、いまは……?


 現在の裏部長は、上記の内容をすべて呑みこんだ上で、さらにひっくり返して、こう考えはじめています。

「ならば、そのすべての技において、極端に偏ることもできるのではあるまいか」

 これは推論です。まだ肉体的にも、感覚的にも追いつきません。


 しかし、酸性のものやアルカリ性のものや中性のものがあって、すべてを扱う以上、その技をやっている瞬間はその要素に染まりきることができるのではあるまいか。いやむしろ、そうならなければいけないのではあるまいか。

 これは推論、と言うより幻想かもしれません。単なる創造上の産物なのかもしれない。


 ただ、こんな風に考えはじめると、われわれが稽古している武術、あるいは糸東流というものが、とても興味深く見えてくるのです。

 

 みなさまは、どうお考えでしょうか。


 裏部長でした。


posted by 札幌支部 at 13:51 | Comment(0) | 裏部長の日記

2020年04月30日

上足底が

 こんばんは。裏部長です。

 早くも四月が終わりを迎え、札幌でもようやく桜が咲きはじめました。今日はほとんど初夏の陽気で、どこを見ても澄みきった青空でした。

 みなさま、いかがおすごしでしょうか。


 昨日は「昭和の日」ということで、配分の仕様によっては、すでにゴールデンウィークということのようです。

 札幌支部ではいまだに稽古再開ができていません。

 北海道全域を見ましても、あまりよい状態とは言えず、通常運行はもうすこし先になりそうです。


 しかし、まあ、なんというのでしょうか、どこを見ても同じ話題ばかりで閉口してしまいますね。

 どこで何人感染者が出た、という情報ばかり集めてもまったく意味はありません。

 そんなデータばかり蓄積しても不安になるばかりです。

 要は自分や、自分の大切な人が無事かどうか、これに尽きます。己の身は己で守るべし。これです。


 斯く言う裏部長は、ここ最近、ずっと「上足底」について考えていました。

 ひとり稽古をするときも、外を歩いているときも、つねに意識し、立ち方にも工夫を凝らしていました。

 身体のポイントをすこし操作するだけで、驚くほどいろいろなものが変化します。

 動作の質も、肉体そのものも、です。このような実験は、これはこれで興味深いものです。


 通常の稽古ができず、運動不足になりがちな今日この頃ですが、なんでも、すこし汗ばむくらいがよいそうです。

 あたたかい陽気のなかで、軽く突き蹴りをするだけでも薄く汗ばみます。

 この記事を読まれているすべての方が健やかに、それぞれの生活をたのしまれていることを祈ります。


 裏部長も元気に、明日は「身体の裏側」を意識しながら活動をはじめます。

 五月も、武術とともに、進みましょう。



 裏部長でした。


posted by 札幌支部 at 18:56 | Comment(0) | 裏部長の日記

2020年03月29日

我々の工夫

 こんばんは。裏部長です。

 三月も終わろうとしています。桜はまだですが、札幌も日ごとに春めいて、心地よい日和に表情がほころびます。

 みなさま、いかがおすごしでしょうか。


 耳にタコだとは思いますが……

 新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けて、札幌支部では三月いっぱいと、とりあえず、四月十二日までは稽古をお休みにしています。わたしたちの心情の前に、利用している大学の事情というものがあるので、こればかりはどうしようもありません。

 体道をやろうと思えば、どうしても接触しないわけにはいかないわけで、なんとも歯痒い話です。


 このぶんだと、稽古休止はもうすこし伸びてしまいそうですが、いまは果報を練って待つのみです。

 東日本大震災のときも、胆振東部地震のときも、われわれには武術がありました。

 それは、いまも変わりません。柔術はできなくとも、空手も刀も、ひとりで稽古することができる武術です。

 この間に身体を整え、技を練り、考察や研究をしなさい。胴衣を着て大汗をかくだけが稽古ではない。

 と、神様に言われているような気になってみるのも、たまにはいいものだと言いたい気分にもなるものです。


 四月も前に進みましょう。

 みんなで、元気に、強く、武術とともに、歩みましょう!


 裏部長でした。


posted by 札幌支部 at 19:08 | Comment(0) | 裏部長の日記

2020年02月15日

かたくるしい

 おはようございます。裏部長です。


 みなさん!

 あけましておめでとうございます!!


 2020年最初の書き込みがこんな時期になってしまいました。光陰矢の如し! ぼおっとしていては瞬く間に時は移ろってゆきます。

 新しい年。新しい季節。

 みなさま、いかがおすごしでしょうか。


 裏部長は元気ながら、最近なかなか稽古へ行けず、悶々としております。とはいえ、焦ったところでどうしようもないことはどうしようもない。時期が時期なので、きちんと体調管理を徹底しつつ、自主稽古も怠らず、その日が来るのを待つばかりです。


 そんな日々のなかで感じたことがあります。

 至極単純なことです。


 札幌支部では昨年から本格的に刀の稽古をはじめた、とはここでも何度か書きました。

 もちろん、あれは継続中でして、次々と新しい技が目の前に展開されています。

 しかし、ひとふりの日本刀を扱うだけなのに、よくもまあこんなに多種多様な技を考えつくなあと感心します。立った状態でおこなうにしても、坐ったところからはじめるにしても、ほんとうにいろいろな動きがある。馴れない人間は面喰うばかりです。

 正坐したところから抜きつけるにしても、正面を向いたものもあれば、左右に向いて坐った状態から正面へ抜くものも、正面に向いて坐っていながら瞬転、後方へ振りかえって抜くものもありますね。その変化の広さ、多彩さには目を瞠るものがあります。


 つい先日、無雙直傳英信流をやってらっしゃる方の動画を見ました。年輩でいらして、おそらく師範格の方だったろうと思うのですが、その方の刀を扱うさまがとても軽やかでさり気ないのです。自然に、自由に、刀をつかっていらっしゃるようにわたしの目には映りました。

 これはもちろん、うちの師範の刀を見ていても感じることです。あんな風に軽やかに、こともなげに、さらりと刀は振れません。いまのわたしがやるともっと大仰な、へんにダイナミックな動きになってしまう。

 それは単にレヴェルの差、習熟度の違いではあるのですが、ではその差を生むものとは何かと考えてみたときに、あの多種多様な刀の技が脳裡に浮かんだのです。


 刀を用いて、ありとあらゆる動作を試す。さまざまな方角へ、いろいろな状況から動きはじめ、刀を抜き、斬り、納刀して体をおさめる。そしてそれを、長い時間をかけてくりかえし、練ってゆく。

 この稽古の果てに、あの自由さがあるのではないか。ふいと、最近になってそんなことを思うようになりました。


 では、これを空手にあてはめてみたら、いったいどうなるのでしょう。

 空手のなかで自由に動きまわることと、空手を自由自在につかうことは、きっと同義ではない。それは、英語が話せる人の英語と、英語を自由自在に話せる環境で生まれ育った人の英語とが、まるっきり同じではないように、大きな隔たりと質的な差があるはずです。

 受ける手が、踏みだす足が、ちゃんと空手になっているだろうか。

 その道を進んでゆくために何が必要だろうか。いや、すでに答えは見えている気がします。


 裏部長でした。

posted by 札幌支部 at 11:35 | Comment(0) | 裏部長の日記

2019年12月29日

受けるつもりで

 こんにちは、裏部長です。

 年の瀬です。札幌はここ数日わりかし天候に恵まれ、雪がすくないので歩道も車道も通りやすく、平穏です。個人的な願いを言うと、あと元日だけでも晴れていてくれればありがたい。初詣のときに、雪と寒風にさらされるのは辛いですからね。

 さあ、令和になって最初の年末です。

 みなさま、いかがおすごしでしょうか。


 札幌支部は去る12月20日、無事に稽古納めをしました。

 まあ、稽古納めと言っても特別なことはなく、ふだんどおりのメンバーで、気負わず、焦らず、ふだんどおりのメニューで終えました。

 いつの日も健康第一、平和が第一です。


 とはいえ、内容としては十分に濃いものがあり、なかでも「浅山一伝流体術一気喰い」には大いに汗をかきました。

 タイトルはいま考えたものです。

 食べるわけではありません。浅山一伝流体術五十六本の技を一気にすべて復習しよう、という試みだったのです。


 これはたのしい試みでした。得るものも大いにありました。

 体道のなかにある技や流派を考えるときに、すべてを一括に、同じまな板の上にのせて、まったく同じ手法で調理するというのはすこし違うのではないか。その技法や伝わり方を見るに、技の原理原則を教えているものもあれば、余白を大きくもたせた上で現在に至っているものもある。前者に関してはあまりいじるべきではなく、その原理原則に忠実に動くことで技の力を会得し、後者においては稽古者や指導者の手で技のリアリティを追求し、改良すべきところは改良してゆく

 そんな風に、すべての稽古姿勢を一様にしないことで、また新たな発見があるのではないか。

 今年の稽古納めでは、そのようなことに思いを馳せることができ、個人的にはたいへん有意義なものでした。


 札幌支部では今年の後半から本格的に刀の稽古をはじめています。これが来年はどうなってゆくのか。体道に関しては上記のように、それぞれの流派や技法を吟味し、それに応じた稽古姿勢を柔軟に採りたいと思うし、それらを貫くためにも空手を見つめ直したい。八月には何やらビッグ・イヴェントもあるようですし、個人としても、一段も二段も向上できるよう稽古に励んでゆきます。

 
 2020年も空心館の武術を愛し、空心館の武術に誇りをもって生きる


 みなさま、よいお年を!

 裏部長でした。
posted by 札幌支部 at 12:53 | Comment(0) | 裏部長の日記

2019年11月29日

心身を立脚すれば

 こんばんは。やめればいいのに、映画『シャイニング』を観て、観なきゃよかったと後悔している裏部長です。

 もともとホラー映画は苦手なのです。それが今回、たまたまBSで放送されるというのを知り、これはおそらく、同作の四十年後を描いたという新作映画『ドクター・スリープ』を受けてのことなのでしょうが、超がつくほどの有名な作品でありながらこれまで観てこなかった自分を責めさえして、とりあえず録画し、怖くて嫌になったらやめてしまおうと観はじめたところが、結局ラストまで行ってしまったというわけなのでした。

 返す返す、精神的に参るような映画でした。観なきゃよかったなあ。いまもなお、あのいや〜な感じが頭のなかにまとわりついています。


 みなさま、いかがおすごしでしょうか。



 早くも十一月が終わろうとしています。

 今月はあまり稽古へ参加できなかった裏部長です。2019年の締めくくりとして、来月は多く胴衣を着たいものです。


 最近は刀もやっておりますが、個人的には空手の立ち方に注目しています。

 おもに型においてですが、空手にはさまざまな立ち方がありますね。前屈立ち、後屈立ち、四股立ち、猫足立ち、三戦立ち、などなど。それぞれの立ち方にはそれぞれの特徴があり、その立ち方をするから生まれる力強さ、粘り、あるいは速さ、鋭さがあります。

 これ、型のなかできちんと発揮できているかどうか……?

 気づいたのは「十八」をやっているときでした。後半に三戦立ちが出てくるのですが、ここ以降の動きが、三戦立ちができているときとそうでないときとでは、効果の現れ方がまるで違っていたのです。流れに流されて、三戦立ちのかたちになっているだけのときは、節々が緩んでしまい、どうしようもない。逆に、きちんと三戦立ちの締まりができていれば、それが上半身(手や指先)までにも通じ、全体の動きがまるで別物になってしまうのです。


 当然、これは他の型の他の立ち方にも言えるはずです。

 これまで自分は、そこまで細かく型を見、型を打ってきただろうか……!


 課題は、これから歩もうとしている道の先にもあるでしょうが、これまで歩いてきた道の上にも転がっています。

 地に足つけて、稽古します。


 裏部長でした。

posted by 札幌支部 at 18:51 | Comment(0) | 裏部長の日記

2019年10月20日

私の帰るべき場所へ

 こんにちは、裏部長です。

 街はすっかり秋の色です。今日の札幌は気持ちのよい快晴。気温も高く、風もなく、すっかり葉を落とした街路樹たちも、なんだか今日は淋しさよりも清々しさを感じさせてくれる気がします。

 国民の多くが、今夜のラグビーを気にしている日曜日、みなさまいかがおすごしでしょうか。



 台風19号の被害に遭った方々へ、心よりお見舞い申し上げます。

 その惨状をTV等を通じ知るたびに驚くやら悲しいやらで、心が塞がりそうになります。実際にその渦中にいた人にとってみれば、被害のなかで感じた恐怖や絶望は、われわれの想像を絶するものでしょう。災害は、実際に体験した人でなければその苦しみを共感することはできません。だからいまは、ただ手をあわせて心を寄せて、壊れたものが元どおりになる日を願うばかりです。


 今回は栃木市の被害も大きかったようですが、師範をはじめ、空心館メンバーに大事はないそうです。ひと安心です。


 こうした災害はいつどこで起こるかわかりません。明日、自分が遭遇するかもしれない。

 だからこそ日々の生活を大切に、健康で、たのしく稽古できていることに感謝して生きてゆきたい。


 すこしでもみなさまの心のなかが平和でありますように。



 裏部長でした。

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2019年09月03日

9月の稽古

こんにちは。

まずは9月の稽古予定について。
6日を除く火曜日と金曜日、18時から21時まで札幌大学内の教室にて行います。
メニューは、養生体操と太極拳、太極剣、空手、体道となります。
21日(土)は、18時から21時まで、武道場にて体道の稽古です。

8月の本部遠征、参加された皆さまお疲れさまでした。
今回も、たくさんの宿題を得られました。
ともかく気づけば札幌に来て15年超、自分自身の稽古がおろそかになっていましたので、できる限り新たなものを修得して帰りたいと心入れ替えている昨今です。

その意味では、今回大日本抜刀法を習ってきたことが収穫でした。
GWにはMが習うのをはたから見て記録していたのですが、自ら動くと身体に記憶が残るのをあらためて実感しました。
とはいえ、体道の稽古のように、随時記録をしなかったので、細かなところで再確認も必要な状況にあります。
資料もいただきましたが、写真や記述に差異も見受けられましたので。
そこは反省点でした。
ともかく、裏部長さんではありませんが、刀を想定した時にみられる身体使いを、本格的にイメージできるようにもなれるよう努めたいです。

似たようなこととして、今回私から紹介した長拳の棍術については、杖術や棒術と違った動きに戸惑われている様子も見受けられましたが、何かしらのヒントになると嬉しいです。


もう一つ、空手の約束組手で行った、逆突き(裏突きや裏打ちと表現した方がいいでしょうか)についても、気づきがありました。
こちらに戻って反芻しながら、裏拳打ちの基本稽古での工夫、構えについての説明原理を一つ思いついたので、次回触れながらより良いものへと進化できればと考えています。
また、あの逆突きに対する技を考える段階に来ているので、これは今後の課題となりました。

お手合わせできるのを楽しみにしつつ、こちらで精進しておきます。





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2019年08月23日

「刀」が象徴するもの

 こんばんは、裏部長です。

 八月も後半戦です。本州のほうでは連日いやというほど暑く、その上、台風がすぎ去ったと思えば、ゲリラ的な豪雨や雷雨といった有様で、いろいろお見舞い申し上げます。

 札幌はようやく涼しくなりました。そろそろ半袖も着づらくなります。あと三箇月ほどで雪が降ります。

 みなさま、いかがおすごしでしょうか。


 ここ最近、芸能界では横浜流星という俳優が人気ですね。

 スカウトで芸能界へ入り、2014年にスーパー戦隊の『烈車戦隊トッキュウジャー』で注目されるも、同作の主演だった志尊淳とくらべると地味な出だしで、その後は映画や舞台、TVドラマなどで堅実な活動をつづけていました。そして今年、『初めて恋をした日に読む話』という作品でブレイクを果たし、それ以降は矢継ぎ早の活躍といった印象です。ブレイクとは恐ろしいものです。

 わたしは例によってトッキュウジャーを見ていたので、そのころからこの人のことは知っていましたが、彼が現在出演しているTVドラマ『あなたの番です -反撃編-』は残念ながら鑑賞していません。内容が内容なもので、あまり惹かれなかったのです。

 ただ、彼が本作の劇中で見せた空手アクションのシーンだけはチェックしておきました。

 横浜流星さんは極真空手をやっていて、中学生のころには世界大会での優勝経験もあり、今回の作品でもその勇躍ぶりをいかんなくやったわけですが、このアクションシーンを見ていて、わたしはつくづくこう思ってしまいました。

日本の武術だけでは、魅力的なアクションシーンはつくれないのではないか


 颯爽とした身のこなし、パンチの乱打、そして華麗な廻し蹴り。どれもきれいな動きで、魅了されたファンも多くいらっしゃったようですが、あれはアクションというか、一方的な彼の動きのアピールですよね。攻防の、互いのやり取りといった印象は薄い。

 これはなぜか。考えてゆくうちに、わたしはふと、

日本の武術・武道は、どれもすくなからず刀に影響されているのではないか

 という一事にぶつかったのです。


 刀というのはとても恐ろしい武具です。しかし、そのもの自体としてはあまりタフではない。時代劇で見るチャンバラのように、相手とカンカン打ちあっていてはすぐに刃こぼれするし、曲がりもし、下手すると折れます。手入れを怠ると錆びてもしまいます。

 だから、もし刀を用いて闘おうとした場合、相手と(あるいは相手の武具と)あまり接触したくないわけです。一手か二手くらいでどうにか片をつけたい。

 これは刀に対する他の武具においても同様で、こちらが杖や棒でもって刀とやり合う場合、同様に、やはりあまり強い接触はもちたくない。そして、やはりあまり多くの手数はかけたくないですよね。


 この「刀」というものの存在と性質が、日本の武術・武道全般に何かしらの影響を及ぼしているということはないでしょうか

 
 空手のほうでは一撃必殺という勇ましい言葉があるけれど、それに近い、あまりやり取りをせず、手数もかけず、最低限の動きで相手を制してしまう、倒してしまう、そんな技の理念が全体的に浸透しているのではないか。わたしはいまそう考えているのです。

 
 一方、中国武術は、そういった意味では日本のものより変化に富んでいると言いましょうか、臨機応変というか、相手がこう来たらこう返す、こうされたらこう変化する、といった按配に、あれこれと手数にヴァリエーションがある気がします。多彩、派手。

 アクションというのは動きの上での、相手との「会話」ですから、こうした性質は非常に重宝します。

 なので、日本の映画界などで、おもに素手のアクションを指導される方は、多く中国武術の動きを取り入れていらっしゃいます。きっと、純粋に日本の武術の動きだけでアクションを構築している人のほうが少ないのではないかなあ。


 裏部長自身、最近になって居合刀を入手し、師匠についてすこしずつ刀をやりはじめているので、どうも話題がそちらのほうへ傾きかけておりますが、この印象と感覚はこれまでになかった新しいものです。現に、上記の内容を踏まえて、空手も体道もやりはじめていて、わずかずつながら手ごたえも生まれはじめています。

 この時期、このタイミングで、刀をはじめたのには、それ相応の意味があったのかもしれません。


 裏部長でした。

posted by 札幌支部 at 19:19 | Comment(0) | 裏部長の日記

2019年08月07日

暑中お見舞い

暑中お見舞い申し上げます。
久しぶりの書き込みとなりました

今夏の札幌は裏部長さんのコメントにもあるように、まるで本州のような蒸し暑さです。
ようやく朝晩は涼しくなりましたが。
とはいえ、こちらがこのような状況だと本州はもっと過酷なのでしょうけれども。

さて、8月は23日と24日に、M田君、M井君の本部遠征の知らせを受けて、私も行くことにしました。
あわせてこちらからは、Iさんが24日は参加、Fさんは両日参加予定ですので、楽しみにしています。
M(Mばかりですね)はすでに学校が始まっていることと、イベントが重なっているので不参加です。

師範には5月に伝えているのですが、3月に中国・恵州学院にて武術の先生から長拳の棍の基本を習う中で、「風車」につながるのではないかと連想した動きがありました。
棒の手に関して熟考されているのをうかがっていたところでしたので、ひとつ参考になるのではないかと思います。
M君たちにもそのことは今回伝えてみて、動きの質を高められたらと考えています。

それでは、また。

posted by 札幌支部 at 15:30 | Comment(0) | 裏部長の日記

2019年07月30日

手は足ほどにものを言い

 こんばんは、裏部長です。

 お暑うございます。七月も終わりに差しかかり、北海道は思いだしたかのように真夏日つづきです。熱帯夜です。

 みなさま、いかがおすごしでしょうか。


 さて、ふだんはあまり触れませんが、われわれのやっている空手は糸東流ですね。

 正確には、

藤谷派糸東流拳法空手道

 と言います。


 とはいえ、ごく一般的な糸東流空手とまったく同じことをしているかといえば、さにあらず。

 ここがなんとも説明のしにくい部分であります。


 そんな当流において、これまでの稽古のなかに、代表的な立ち方についての説明がありました。

 つまり、

猫足立ちは糸東流独特のもの

 というのと、

糸東流では段階が進むにつれて、足の横幅が狭くなってゆく

 のふたつです。


 前者はそのままですが、後者は、基立ちや前屈立ちをした際の両足の位置がレヴェルに応じて変化するというもので、段階が進めば進むほど狭く、ほとんど横幅はなくなってゆくというものです。

 裏部長、じつは最近この点にどういうわけか注目しているのであります。


 理由は単純なもので、空手の稽古時に、そうして立ってみるといろいろなことができるようになったから、という理由に尽きます。

 如実に違うのです。身体の感覚も、見える景色も、大幅に違う。これは何かあります。


 しかし、それが何なのかはいまだわかりません。そしてあまりの暑さに、文章を綴る気力もゆるんできました。


 詳しいことは、またいつか、より鮮明になったころに。



 裏部長でした。


posted by 札幌支部 at 20:37 | Comment(0) | 裏部長の日記

2019年06月29日

自由と不自由の狭間から

 おはようございます。裏部長です。

 六月もそろそろ終わりを告げます。全国的には梅雨と、そして台風の季節ですね。こちら札幌では比較的涼しい日がつづき、すごしやすい初夏となっております。

 みなさま、いかがおすごしでしょうか。


 今日はまず、最近の札幌支部の稽古内容をご紹介!

 現在、通常の稽古においては、三部構成でおこなっています。

 第一部 養生体操・中国武術

 第二部 空手

 第三部 体道

 さらに、月に一度の武道場での稽古では、体道に加えて「杖術、棒術(棍術)、剣術、抜刀術(居合術)」をおこないます。


 こうしてあらためて全体を眺めてみると、いやはや、多彩な稽古メニューだなあと感心しますが、やれば馴れるもので、札幌支部のメンバーにおいては、ごく日常的なものと化しつつあります。

 しかし、実際の稽古となると、それぞれの技のもつというか、技の力を生みだすための不自由さというか、そういった器に自分を入れこむ工夫をせねばならず、戸惑うことも、悩むこともあるわけです。

 最近、裏部長も生まれてはじめて居合刀というものを購入し、刀の稽古の際はこれを用いるようになりましたが、独特の質感、重量感、サイズ感に面喰う部分もあり、たかだか帯を角帯に換え、さして長大でもない居合刀を腰に帯びただけなのに、こうまでままならないものかと、すこし可笑しくなるほどです。


 ただ、空手などをやっていると如実に感じますが、その不自由さのなかで育まれる自由な動きというものが、結局のところ武術の技になるのではないか、と、ここ最近の裏部長は思っています。はなからすべてを自由にしてしまうことはできるが、収拾はつかず、崩れる一方になってしまう。ある程度かたちを守って、外側を変えないでいるからこそ、内面が変化し、豊かになってゆくのではないか

 技の稽古とはそういうものではないかと考えながら、今日もこうして書いています。


 みなさまにとって、いまの稽古とはどういうものでしょうか。


 裏部長でした。

posted by 札幌支部 at 10:34 | Comment(0) | 裏部長の日記

2019年05月25日

改めて武と体を考える

 こんばんは。裏部長です。

 五月も終盤に差しかかり、全国的に暑い日がちらほら訪れるようになって参りました。

 ちなみに、明日の札幌の予想最高気温は三十二度です。


 みなさま、いかがおすごしでしょうか!


 さて、いま裏部長は、「武術をする身体」について考えています。


 これまではどちらかというと、技一辺倒の考え方をしていたように思います。空手をするにしても柔術をするにしても、その技を正確に捉え、学び、実践し、研究してゆく。だから、多種多様な技がなければならないし、またそれらを深く追求する目も持たなければならない。

 もちろん、その姿勢は重要なものでしょう。

 しかし、最近はすこし考え方が変わってきました。


 技も大切なのですが、それ以上に、武術をしている自分の身体に興味が出てきたのです。


 ひとつには、武術をしているときの身体、あるいは、日常的に武術を稽古している身体、についての関心です。自分の肉体を通して、そのときに現れるもの、もしくは生じる現象や感覚、感情に至るまで、その変化がとても面白く感じられます。

 ただもうひとつには、特別なことではなく、たとえば呼吸のように、生きてゆくために必要不可欠なものとして武術をする身体とはどういうものか、という点にも興味が向いてきています。

 つまり、武術と身体を不可分のものとして捉える。乾燥肌や冷え性と同じように、武術する身体になるということ。


 技を知っていたり実践できたりすることはもちろんですが、それ以上に、裏部長はいまこういったことに目を向けはじめています。

 まさしく「修証一等」。


 新たなページが開かれることを。



posted by 札幌支部 at 20:10 | Comment(0) | 裏部長の日記

2019年04月30日

またあの頃のように

 おはようございます。裏部長です。

 いよいよ四月が終わり、明日から五月がはじまります。

 …ん? 

 間違いました。

 いよいよ平成が終わり、明日から令和がはじまります。

 これでした。


 世のなかはすっかり改元ブームで、あっちでもこっちでも賑やかにやっていますが、カレンダーとしては四月が五月になるだけであり、札幌ではようやく桜の便りが届いたころなので、お祝いムードで盛りあがるのもいいでしょうが、やはり穏やかな春の日をすごしたいものです。

 みなさま、いかがおすごしでしょうか。


 新しい春を迎え、裏部長的にはいくつか心機一転することがあったのですが、稽古に関してはむしろ、ここ十年ほどのあいだについた垢を落とし、より純粋なかたちで武術へ向きあえるよう工夫をはじめているところです。

 もともと合気道をやっていたこともあり、また性格的なことも相まって、ここ最近は体道に寄り添った稽古や武術観を心がけてきましたが、それらを取っ払い、空手、柔術、剣術、居合・抜刀術、杖術など、総合的な武術観、そしてその実践をこの身に馴染ませてゆきたいと考えています。

 結局のところそれは、入門した当初のスタイルであり、拘りをもたずに稽古に精進するということなのですが、存外容易くないことです。

 ひとことで言えば空心館の武術をやるということになるのだけれど、その中心には空手があり、しかし空手一色の空手ではなく、やわらの要素が色濃く、しかして素手の技だけでは習得できない領域の感覚があるため武具を無視することはできない…といったように、いろいろな武術が複合的に絡み合っているのが空心館の武術だと思うので、これを寄り道せず、偏りもせずに学ぶのは至難の業です。

 だからこそ、純粋に、適度な距離と情熱をもって稽古すべきです。入門十六年目に入り、裏部長はそう考えるようになりました。


 みなさんはどのような目で、どのように想い、そしてどのように稽古をつづけていますか?



 裏部長でした。

posted by 札幌支部 at 08:23 | Comment(0) | 裏部長の日記

2019年03月31日

それも歩みのうち

 こんばんは、裏部長です。

 すっかり季節は進み、明日からもう四月です。

 長かった冬が終わり、平成という時代も幕を下ろします。身のまわりに心配の種は尽きませんが、何はともあれもう四月です。

 みなさま、いかがおすごしでしょうか。


 春は変化の季節です。

 長らく放送されていたTV番組が最終回を迎えたり、往年の歌手が引退を表明したり、いろいろなことが終わる季節です。

 つづけていたことをやめる。それはすこし感慨深げな、淋しいことではあります。

 しかし、同じことを長く、同じままにつづけることだけが歩みではありません。


 成長とは前進することでしょう。

 進みゆくこの道がいつまでも平坦ならば、これまでと同じ速度で構わないかもしれませんが、決してそんなことはないのです。

 落ち窪むこともあれば、逆に隆起し、上り坂となっている場所もありましょう。


 そんなとき、歩む速度を落とさないためにはどうしたらいいか。


 自分が変わるしかないのです。

 それまでもっていた荷物が不要なら捨てればいい。

 耐えることが必要なら、これまで以上に耐えてみればいい。

 下り坂なら足に力をこめて。階段をのぼるならまず太腿をひき上げることから。


 自身の変化。革新。

 それも歩みのうちです。


 いまよりももっとよくなるために。

 今日よりも明日、明日よりも明後日をよりよくするために。


 

 裏部長でした。

posted by 札幌支部 at 19:06 | Comment(0) | 裏部長の日記

2019年02月23日

技のリアリティ

 おはようございます。裏部長です。

 すっかりあたたかくなり、札幌の街もすっかり雪解けが進みました。このまま春になってゆくのかなあと、淡い期待を胸に起床してみると、昨夜に降雪があったとみえて、窓の外の景色は白く染まっていました。まだまだ春は遠いようです。

 みなさま、いかがおすごしでしょうか。


 今日はまず、近況をふたつほど。


 21日夜の地震ですが、発生時、わたしと師匠、そして師匠のご子息の三名は外にいました。道新文化センターの古武術講座の最中で、稽古をしていると、控室のほうから地震速報のアラームが聞こえ、それを耳にした全員が動きを止めた瞬間に、揺れが来ました。

 幸い何かが壊れたり倒れたりすることもなく、和やかな雰囲気のなかにおりましたが、すぐさま事務局より内線があり、余震等のこともあるので今日は早めに切りあげて帰ってほしいとのこと。さすがに、一度震災を経験しているせいか、対応が迅速でした。

 言われるがまま早仕舞いし、われわれも外へ出たのですが、師匠が「大丈夫だとは思うけれど、なんとなく気持ちのいいものではないから、地下鉄はやめて、タクシーで帰ろう」と提案。大通公園を抜け、ススキノへ向かいながらタクシーを探すことにしたのですが、なんとこのとき地下鉄は全面停止。翌朝まで動かなくなっていたのでした。師匠の慧眼、ここに極まれりといった印象です。

 しかし、どこまで行ってもタクシーはなく、バス停には長蛇の列、道という道には一方向へ流れる人の群れ。

 結局、徒歩で豊平川を越えたあたりでタクシーは諦めました。わたしは自宅が近いということでそのまま徒歩で帰宅。師匠らは、ご自宅から奥様が車でお迎えに来るという事態になったのでありました。自宅に帰ってみると、TVでは地震情報が流れっぱなしで、スマートフォンを見れば、奈良のM田さんからメールが届いていました。ご心配、いたみいります。

 とはいえ、おおごとでしたが大事なく、震災に対する緊張感を思いだすことができ、有意義な夜でした。

 
 つづいて、先月末にまたIshiさんよりコメントをいただきました。

 ドラムを習っていらっしゃるということ、驚きました。しかし、スティックの扱い方と刀や棒をつなげてしまうあたり、武術のなかに生きていらっしゃいますねえ。

 以前師匠も、ホームセンターにゆくと、「こんなにも武具になるものが売っている!」と思ってしまう、と話されていましたが、これとても武術のなかに生きている証左ですよね。わたしも、あるドラマーの映像から、挫の打ち方に共通するものを見出した経験もあり、おおいに肯くことができました。

 コメントいただけてうれしいです。またよろしくお願いします。


 さて、ここからは技の話です。


 以前、奈良支部にお邪魔した際、T技術顧問から浅山一伝流の「打落」について教わったことがありました。

 具体的な内容は省きますが、下げる足の意味と両手の使い方、「平安五段」からの流れなど新鮮な情報のオンパレードで、当時はいくらか面喰いならがも額面どおり受け取って帰ってきたのですが、しばらく解せずに悶々としておりました。

 たしかに、言われたことは理解できなくないのですが、いざ自分でやってみるとしっくり来ない。

 頭ではなく、身体で得心がゆかない、というのですかね。どうも腑に落ちず、時間だけがすぎてゆきました。


 しかし最近、この技においてひとつ変化が訪れたのです。

 それは最初、小さな疑問でした。拳槌打ちに来た相手の腕をこちらの肩までもってくるわけですが、従来のやり方では、この打ちを受けたところから肩までのあいだがどうにも危ういのです。打ち落とそうとする力がなければ受けを解いたときに下りてきてくれないが、その状態だと肩を打たれてしまう。しかして、そうならないように打ちの威力を殺してしまうと、受けを解いたところで下りてきてはくれない。T技術顧問が示されたように、相手は腕を引いてしまうでしょう。

 これをどうにか解消できないものか。そう考えたときに、わたしのなかへいくつかのヒントが舞い込んできました。

 ひとつはT技術顧問のされていた受け方。受けるタイミング。またそこに来て、師匠が稽古時に指導をされていた「このときは相手の肘を受けるのだ」という指摘。これらを掛け合わせた結果、どうにか疑問の解消にまでたどり着けたのです。


 長々と書いてきたのにも関わらず、その詳細をここに記すことは叶いませんが、一応師匠には合格印をもらうことができました。

 なるほど、たしかにああすれば技がきちんとつかえるし、また、あのようにやればたしかに金的蹴りはできなくなります。

 師匠、師範、T技術顧問それぞれからの教えがひとつになった瞬間でした。今年に入って経験した、最初の武術的快感でしたね。



 裏部長でした。

posted by 札幌支部 at 09:02 | Comment(0) | 裏部長の日記