2020年02月15日

かたくるしい

 おはようございます。裏部長です。


 みなさん!

 あけましておめでとうございます!!


 2020年最初の書き込みがこんな時期になってしまいました。光陰矢の如し! ぼおっとしていては瞬く間に時は移ろってゆきます。

 新しい年。新しい季節。

 みなさま、いかがおすごしでしょうか。


 裏部長は元気ながら、最近なかなか稽古へ行けず、悶々としております。とはいえ、焦ったところでどうしようもないことはどうしようもない。時期が時期なので、きちんと体調管理を徹底しつつ、自主稽古も怠らず、その日が来るのを待つばかりです。


 そんな日々のなかで感じたことがあります。

 至極単純なことです。


 札幌支部では昨年から本格的に刀の稽古をはじめた、とはここでも何度か書きました。

 もちろん、あれは継続中でして、次々と新しい技が目の前に展開されています。

 しかし、ひとふりの日本刀を扱うだけなのに、よくもまあこんなに多種多様な技を考えつくなあと感心します。立った状態でおこなうにしても、坐ったところからはじめるにしても、ほんとうにいろいろな動きがある。馴れない人間は面喰うばかりです。

 正坐したところから抜きつけるにしても、正面を向いたものもあれば、左右に向いて坐った状態から正面へ抜くものも、正面に向いて坐っていながら瞬転、後方へ振りかえって抜くものもありますね。その変化の広さ、多彩さには目を瞠るものがあります。


 つい先日、無雙直傳英信流をやってらっしゃる方の動画を見ました。年輩でいらして、おそらく師範格の方だったろうと思うのですが、その方の刀を扱うさまがとても軽やかでさり気ないのです。自然に、自由に、刀をつかっていらっしゃるようにわたしの目には映りました。

 これはもちろん、うちの師範の刀を見ていても感じることです。あんな風に軽やかに、こともなげに、さらりと刀は振れません。いまのわたしがやるともっと大仰な、へんにダイナミックな動きになってしまう。

 それは単にレヴェルの差、習熟度の違いではあるのですが、ではその差を生むものとは何かと考えてみたときに、あの多種多様な刀の技が脳裡に浮かんだのです。


 刀を用いて、ありとあらゆる動作を試す。さまざまな方角へ、いろいろな状況から動きはじめ、刀を抜き、斬り、納刀して体をおさめる。そしてそれを、長い時間をかけてくりかえし、練ってゆく。

 この稽古の果てに、あの自由さがあるのではないか。ふいと、最近になってそんなことを思うようになりました。


 では、これを空手にあてはめてみたら、いったいどうなるのでしょう。

 空手のなかで自由に動きまわることと、空手を自由自在につかうことは、きっと同義ではない。それは、英語が話せる人の英語と、英語を自由自在に話せる環境で生まれ育った人の英語とが、まるっきり同じではないように、大きな隔たりと質的な差があるはずです。

 受ける手が、踏みだす足が、ちゃんと空手になっているだろうか。

 その道を進んでゆくために何が必要だろうか。いや、すでに答えは見えている気がします。


 裏部長でした。

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posted by 札幌支部 at 11:35 | Comment(0) | 裏部長の日記
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