2019年08月23日

「刀」が象徴するもの

 こんばんは、裏部長です。

 八月も後半戦です。本州のほうでは連日いやというほど暑く、その上、台風がすぎ去ったと思えば、ゲリラ的な豪雨や雷雨といった有様で、いろいろお見舞い申し上げます。

 札幌はようやく涼しくなりました。そろそろ半袖も着づらくなります。あと三箇月ほどで雪が降ります。

 みなさま、いかがおすごしでしょうか。


 ここ最近、芸能界では横浜流星という俳優が人気ですね。

 スカウトで芸能界へ入り、2014年にスーパー戦隊の『烈車戦隊トッキュウジャー』で注目されるも、同作の主演だった志尊淳とくらべると地味な出だしで、その後は映画や舞台、TVドラマなどで堅実な活動をつづけていました。そして今年、『初めて恋をした日に読む話』という作品でブレイクを果たし、それ以降は矢継ぎ早の活躍といった印象です。ブレイクとは恐ろしいものです。

 わたしは例によってトッキュウジャーを見ていたので、そのころからこの人のことは知っていましたが、彼が現在出演しているTVドラマ『あなたの番です -反撃編-』は残念ながら鑑賞していません。内容が内容なもので、あまり惹かれなかったのです。

 ただ、彼が本作の劇中で見せた空手アクションのシーンだけはチェックしておきました。

 横浜流星さんは極真空手をやっていて、中学生のころには世界大会での優勝経験もあり、今回の作品でもその勇躍ぶりをいかんなくやったわけですが、このアクションシーンを見ていて、わたしはつくづくこう思ってしまいました。

日本の武術だけでは、魅力的なアクションシーンはつくれないのではないか


 颯爽とした身のこなし、パンチの乱打、そして華麗な廻し蹴り。どれもきれいな動きで、魅了されたファンも多くいらっしゃったようですが、あれはアクションというか、一方的な彼の動きのアピールですよね。攻防の、互いのやり取りといった印象は薄い。

 これはなぜか。考えてゆくうちに、わたしはふと、

日本の武術・武道は、どれもすくなからず刀に影響されているのではないか

 という一事にぶつかったのです。


 刀というのはとても恐ろしい武具です。しかし、そのもの自体としてはあまりタフではない。時代劇で見るチャンバラのように、相手とカンカン打ちあっていてはすぐに刃こぼれするし、曲がりもし、下手すると折れます。手入れを怠ると錆びてもしまいます。

 だから、もし刀を用いて闘おうとした場合、相手と(あるいは相手の武具と)あまり接触したくないわけです。一手か二手くらいでどうにか片をつけたい。

 これは刀に対する他の武具においても同様で、こちらが杖や棒でもって刀とやり合う場合、同様に、やはりあまり強い接触はもちたくない。そして、やはりあまり多くの手数はかけたくないですよね。


 この「刀」というものの存在と性質が、日本の武術・武道全般に何かしらの影響を及ぼしているということはないでしょうか

 
 空手のほうでは一撃必殺という勇ましい言葉があるけれど、それに近い、あまりやり取りをせず、手数もかけず、最低限の動きで相手を制してしまう、倒してしまう、そんな技の理念が全体的に浸透しているのではないか。わたしはいまそう考えているのです。

 
 一方、中国武術は、そういった意味では日本のものより変化に富んでいると言いましょうか、臨機応変というか、相手がこう来たらこう返す、こうされたらこう変化する、といった按配に、あれこれと手数にヴァリエーションがある気がします。多彩、派手。

 アクションというのは動きの上での、相手との「会話」ですから、こうした性質は非常に重宝します。

 なので、日本の映画界などで、おもに素手のアクションを指導される方は、多く中国武術の動きを取り入れていらっしゃいます。きっと、純粋に日本の武術の動きだけでアクションを構築している人のほうが少ないのではないかなあ。


 裏部長自身、最近になって居合刀を入手し、師匠についてすこしずつ刀をやりはじめているので、どうも話題がそちらのほうへ傾きかけておりますが、この印象と感覚はこれまでになかった新しいものです。現に、上記の内容を踏まえて、空手も体道もやりはじめていて、わずかずつながら手ごたえも生まれはじめています。

 この時期、このタイミングで、刀をはじめたのには、それ相応の意味があったのかもしれません。


 裏部長でした。

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posted by 札幌支部 at 19:19 | Comment(0) | 裏部長の日記
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