2018年12月16日

体道的反応

 おはようございます。裏部長でございます。

 今年もあとわずか。すっかり押し迫って参りまして、寒さもいちだんと厳しくなり、札幌も雪国らしい様相を見せております。今月に入ったばかりのころはまだ雪もすくなく、どこもかしこもアスファルトが顔を出しているなあと思っていたら、それからすぐにわんさか降りまして、降りつづけまして、いまはすっかり白い路面が広がっています。

 このまま根雪になるのかなあ、と思っていましたが、今夜からは雨が降るとの予報。明日以降の悪路が気鬱の種です。


 そんな師走、みなさまいかがおすごしでしょうか。


 さて、裏部長は最近、「体道的反応とはいかなるものか」ということをよく考えるのです。

 唐突なようですが、もう本題に入っているのです。


 体道的反応などと書くといささか大仰で、堅苦しい印象ですが、要は日ごろ稽古しているものがきちんと身に沁み込んで、馴染んで、吸収できていれば、何かあったときに、瞬間的にそれらが表に出てくるはずだ、という指摘をしたいわけです。

 過去にも書いたように、体道のなかには、柔術、剣術、各種棒術などがあります。体道を稽古する者のなかには、これらの技たちが蓄積しているはずなのです。

 だから、咄嗟に何かあった際(それは武術に関連した瞬間だけに限りませんが)、体道的な反応が起こるはずだ、いや、起こらなければいけないはずだと、わたしは思っているのです。


 以前、奈良支部のM田さんから、「すべてを空手化せよ」ということばを教わりました。

 これはたしか船越義珍さんのことばだったと記憶していますが、稽古のなかだけでなく、日常や仕事の場においても空手をしているつもりで生活せよという教えで、わたしが上記で言っていたのはこの体道版ということです。


 もちろんそれは、空手をやっている人は空手的反応、居合をやっている人は居合術的反応となるわけで、一様ではありませんが、共通するものは一緒ですね。


 重要なのは、自分がやっている武術にどれだけ切り込んでいるか。踏みこんで、向き合って、深く稽古しているか、ということでしょう。

 それがひいては、その武術らしい反応を示せる人間たらしめるのです。


 わたしは、もちろん空手も稽古していますが、トータルで見ると体道へ傾けるもののほうが多い人間なので(いつしかそうなっていたので)、この場合はやはり、体道的反応というものが重要になってくるように思われます。


 みなさまはどうお考えでしょうか。



 裏部長でした。

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posted by 札幌支部 at 09:16 | Comment(0) | 裏部長の日記
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