2016年07月24日

ただそれだけのこと

 こんにちは。裏部長です。


 七月も終盤となり、本州ではかなり鬱陶しい日々がつづいているようですが、皆様いかがおすごしでしょうか。札幌はいまだに真夏日がなく、日中はそれなりに気温は上がるのですが、夜になるととたんに肌寒くなり、半袖から出た腕をさすってしまう今日このごろです。





 今日はあらためて、ごくあたりまえのこんなことを。





 ふだんの稽古のなかで、空手をやるにしても体道をやるにしても、一貫して意識しているのは、「相手からのアプローチがあって技が生まれる」ということです。


 大きなブルドーザーのような重機でさまざまなものを圧してゆくような、なぎ倒してゆくような強さ、重さ、太さを求める人は多いでしょう。そういった状態の身体を目指して鍛えている人もいるでしょうし、伝わってきた教えとして、そのような肉体を追求する流派もあるはずです。



 しかし、われわれは違います



 わたしたちが稽古しているものは、終始一貫、どちらかといえば「受け」目線です。攻撃と防禦で言えば、後者ということになるでしょう。




 攻撃はみずからおこなうことができる、とても能動的な動作です。自分の裁量で、自分のタイミングで、自分の意思で、繰り出すことが可能です。しかし防禦は、自分で勝手にやったところで、それは防禦の動きをやったことにはなるかもしれませんが、防禦をした、ということにはなりません。


 防禦は、攻撃があってはじめて存在します。相手からのアプローチがあり、そこでようやく生まれるものなのです





 空手を習いはじめてすぐに、「相手を受け入れる。相手に突かせてあげる」という一事を教わります。これはとても大きなことで、空手にかぎらず、すべての技に通じている気がします。



 逆に言えば、このことさえ忘れずにいれば、大きく道を踏み外すことはない。わたしはそう感じています。






 稽古の過程にはさまざまな場面があり、そこにいるわれわれも機械ではなく人間ですから、さまざまな精神状態のときがある。もちろん、その振り幅を小さくしてゆくこと、変動しないこと、惑わされないことも、修業の目標なのですが、すぐにそこまでの境地には至れない。悩んだり間違ったりをくりかえします。



 ただ、上記の大切な一事だけは忘れてはいけない。


 この姿勢の上にすべての稽古が成り立っているのです。








 今日は、ふだんの稽古のなかでごくあたりまえに教えられていることについてあえて書きました。




 ただそれだけのことです。

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posted by 札幌支部 at 13:15 | Comment(0) | 裏部長の日記
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