2015年08月18日

必要なこと(真面目編)

 こんばんは、裏部長です。


 お暑うございます。八月も半ばをすぎ、挨拶としては「残暑お見舞い」の時期に入りましたが、みなさまいかがおすごしでしょうか。

 札幌は夏らしい日がつづき、昨日二週間ぶりに大学で稽古をしましたが、動くほどに汗ばみ、濡れてゆくような夜があるかと思えば、今日などは気温が二十度を下回るという、わけのわからない天候に見舞われています。


 こういうときこそ、たゆまぬ稽古が必要不可欠です。




 前回、空心館において稽古している(あるいは稽古できる)武術の種類を列記し、われわれは知らず知らずのうちにこれほど多くのものを学んでいるのだ、みたいなことを書きましたが、なぜそこまでの量を習得するのか、この点も理解しておかなければいけないと感じました。


 よく師匠は昔の武士を例にあげられますが、これはわかりやすい例で、べつにわれわれも武士道に生きようという外国人受けする思想をもつのではなく、あくまで実践面において武士の生き方を見ると、その稽古量の必要性が見えてくるというものなのですね。



 武士の表看板はやはり刀です。闘うとなれば、刀を抜いて構えあうわけです。だから当然、剣術は稽古しなければなりません。

 しかし、相手と向きあった際、毎回かならず抜刀した状態で構えることができるかといえば、そんな確約はどこにもありません。こちらがまだ抜いていない間に、相手がいきなりということも十分ありえます。

 だから、鞘に入った状態から抜刀し、相手を斬る、あるいは相手の攻撃に対応する術を知らなければなりません。なので、抜刀術、居合術が必要になります。


 さて、剣術と抜刀・居合術を得たところで、刃物はもういいかといえば、まだ十分ではありませんね。長いほうの刀がなかった場合、脇差で闘わなければならないため、このサイズの刀法も知らねばなりません。武士が生きていた当時、つねに大刀を手もとに置いておけるわけではありませんでしたから、シチュエーションによっては短い刃物で対応する必要があります。


 しかし、これを言いはじめると、では刀そのものがなかったら、という状況設定が出てきます。闘っていたときに刀が折れる、飛ばされてしまう、奪われてしまう。可能性はいろいろあるでしょう。しかし相手は武具をもっている。こちらも何かを用いて応戦したい。


 となれば、刀以外の武具の技が必要になってきます。杖や棒、挫、あるいはそれらのサイズで違う素材のもの。師匠が以前、ホームセンターに行くと武器になりそうなものがごろごろしていて、つかえそうなものを自然と目で追ってしまうという話をされていましたが、現代においてはさまざまなものが武具として利用できそうです。


 この展開をつづけると、ではこちらが素手になったら、という話も出てくるでしょう。よって、柔術がほしい。投げ、押さえ、関節技を極める。できれば、素手でこちらから攻撃する術もほしい。われわれであれば、そこに空手がいてくれるのでたいへん助かります。



 こんな風に、ありとあらゆる場面に対応できるようにと考えると、特殊なものでない限りは、やはりひと通りで習得しておかなければ、武術家としては不十分である、という話は説得力をもちます。現代のほとんどの格闘技や武道は、それ単体でルールをつくり、みんな同じ状況下で向かいあうため、ひとつのスキルを磨いてゆけばよいのですが、こと武術ということになるとすこし複雑になってくるわけです。


 何が複雑かといって、上記に書いた武術の大まかな種類は、単にそれをつかえるようになることが目的ではないのです。相手にその技で打ちかかられたとき、それへ対応できる自分をつくるために、つまり防禦の立場で処理できるようになることが目標なのです。刀で相手を斬ることができる、は第一段階で、そんな刀で斬りかかってきた相手を制するための受けの技、ここへ到達することがわれわれの第二段階なのです。



 いま“われわれの目標”と書きましたが、これはあくまでうちの師匠のもとではということです。空心館全体でも同様のスタンスなのかもしれませんが、詳しく確認を取っていないので、一応こう書いておきます。




 師匠が以前、稽古のなかで話していました。約束組手をしていて、自分と同等かあるいは下のレヴェルの人間の突きはなかなか当たらないのに、自分よりも先輩の突きはあたってしまう。それはなぜか。


 それは、その人のなかに相手の突きと同等のスキルがないから。相手と同じレヴェルの突きがつかえれば、その速度、角度、鋭さ、重さなどが自分の感覚のなかに定着しているので、対処できる可能性がある。しかし、自分のなかにそれがない場合、感覚としてわかっていないから、見当をつけて動くしかなくなるわけですね。あるいは力技で対応するしかなくなってしまう。しかし、うちでは相手の突きを受け入れるというスタンスを崩すことはありません。だからほとんど場合、入ってしまうのです。



 これが武術全般に言えるのですね。相手の攻撃に対処するためには、その攻撃を知らねばなりません。もちろん、ただ知っているだけではなく、自分もそれができなければ意味はない。だから、何だかんだで、あれだけ多くのことを学ぶ方向へ進んでゆくのです。


 こういった実技面での話があると、武士でなくてもさまざまなことを稽古しなければならないという気になってきますし、また実際に武具の技などをやってみると、当然ですが、素手の技のなかにはない怖さや迫力、術理があり、感心することしきりです。


 
 武術を武術としてやらねばなりません。稽古あるのみです。
日本武術研究所空心館札幌支部TOPへ
posted by 札幌支部 at 20:17 | Comment(0) | 裏部長の日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: