2018年10月01日

求道

 こんばんは、裏部長です。

 十月になりました。季節もすっかり秋めいておとなしく……と言おうと思っていたらまたもや台風で、気が休まりませんね。

 本州のみなさまはいかがおすごしでしょうか。大事なかったでしょうか。

 こちら札幌は懸念されていたほどの荒れもなく、ただの雨の一日でしたが、何はともあれ平穏にすぎたことに感謝です。


 さて今夜は短めに、ある書籍から引用をして終わりたいと思います。

 ここ最近、裏部長が個人的に考えたり一人前に悩んだりしていることに対して、そっと波紋を広げるような、手を差し伸べるような印象を受けた文章なのですが、みなさまはそこに何をお感じになるでしょうか。


 とりあえずは、今日はこれのみで失礼をいたします。



 どの分野においてもそうだろうが、先人たちが営々と築きあげた技法の体系がいかに豊饒で完成されたものであれ、結局それらは受け継ごうとする個人のなかで一から再構築されねばならない。もちろん遺産のすべてを引き継ぐことなど不可能だし、多くの場合不必要でもあるのだが、いずれにしてもこれは全く驚くべきことだ。もっとも、その再構築にかかる労苦をなるべく軽減するためにこそ、それぞれの分野でいろんなメチエが工夫され、開発されてもいるのだが、それでもなおかつ少なからぬ分野において、そんなものはたいした必然性も実効性も持たないだろう。すなわち、個人という現場で積みあげられる体系のかたちは、当然のことながら徹頭徹尾個人的なものなのである。
 さて、その個人的な体系のかたちは、まさしく個人的なものであるがゆえの複雑さ、不透明さに彩られている。その構成の全体像は恐らく当人にも把握しきれないものだろうし、仮に当人に把握しきれるような体系ならばたかが知れているともいえるだろう。従ってそれを把握し得るとすれば、洞察力や分析力に優れた第三者を持たねばならないが、もとよりそういった能力を持つ者の存在は稀有である以上、個人的な体系が公的に伝承される機会は常にそういった危うい可能性に賭けるほかないのである。

 竹本健治著『ウロボロスの基礎論(下)』より。



 

 裏部長でした。

posted by 札幌支部 at 19:35 | Comment(0) | 裏部長の日記