2020年12月31日

本道へ

 おはようございます。裏部長です。

 あとすこしで2020年も終わりを告げます。昨日も、そしていまも、札幌は凍てつく寒さのなか、しずかに雪が降りつづいています。

 みなさま、いかがおすごしでしょうか。


 わざわざ振りかえるのがうざったいほど、今年はいろいろなことがありました。

 札幌支部でも、三月から七月までは稽古休止。その後も、諸々の状況に左右されながら、限定的に、細々と稽古をつづけてきました。

 とくに北海道は、全国的に見ても注意を要する土地ですので、われわれもある種の緊張感をもって臨んでおりました。


 この状況はきっと、来年、再来年もつづいてゆくでしょう。希望をもって、また以前のような日々に、と祈りたい気持ちは山々ですが、そう易々とすべてが短期間で元通りになるはずはない。楽観視して落ち込むよりも、いまは現実的に、この現実を上手く利用すべきです


 稽古が以前のように自由にできない。あるいは、以前のように潤沢に稽古時間が取れない

 ならば、その限られた稽古時間や環境のなかで、できうる限りのことをすればいい

 
 裏部長はむしろ、やることが煩雑ではなく、明確になったような気がして、胸のなかは清々しているほどです。


 自由にいくらでも稽古できたころは、あれもこれもと手を伸ばして、よくない言い方をすれば「つまみ喰い」をしてたのしんでいられたでしょうが、いまはそんなことをしている余裕はない。自分たちがやるべきこと、ほんとうにやらなければならないことを見つけ、それを最優先にして稽古してゆかなければ、いつまで経っても前進はないし、またいつ集まれなくなるかわからない状況下なのですから、やれるうちにそれらのことをやっておくにしくはないのです。


 来年は、これまでやってきたようなブログの更新をお休みし、当ブログ内にわれわれの道場や組織の情報をアップしようかと思っています。

 ほんとうは空心館のホームページをつくりたいのですが、そんな技術もノウハウもないので、当分はこのブログを利用し、外部の方が空心館について知りたいと思うような情報を載せておきたいと考えているのです。

 ということになれば、当然、

空心館

日本武術研究所

全日本体道連盟

 についても触れることになります。

 そして、このあたりを明瞭にしておくことが、すなわち、われわれがやるべきことを再確認する手助けになると考えます。


 まあ、このあたりはまだ、裏部長個人の目論見なのですが……


 ともあれ、来年も立ち止まることなく、いや、これまで以上にたしかな足どりで、前へ前へと進んでゆきましょう。

 
 みなさまもどうか健康で、元気な2021年をお迎えください。


 裏部長でした。


 よいお年を!

posted by 札幌支部 at 10:02 | Comment(0) | 裏部長の日記

2020年10月11日

蜂蜜と刃

 おはようございます。裏部長です。

 すっかり十月でございます。全国津々浦々、めっきり秋めいてまいりました。

 やはり、このくらいの気候がちょうどいいですねえ。暑くもなく、寒くもなく。空は青く晴れあがり、風は澄んで、落ち葉の奏でる乾いた音に一抹の淋しさを感じながら歩く道すがら、そういえば飛ぶ虫の姿もなくなったなあと、あれだけ過酷だった夏を儚く思い出す……。

 ちあきなおみさんの歌に『冬隣』というのがありますが、来月にはもう市街でも雪が降ろうというここ札幌では、いまくらいの季節がすでに冬隣なのでしょうね。

 みなさま、いかがおすごしでしょうか。


 こちら札幌支部ではあいかわらず、細々とではありますが稽古を継続中です。

 何かひとつの武術だけに限定して稽古をしていればそんなこともないのでしょうが、われわれのように、さまざまなことを同時並行的にやっているところでは、その日の参加メンバーなどに影響されて、稽古内容が変動します。空手をやるときもあればやらないときもあるし、逆に空手で稽古時間のほとんどをつかう日だってある。

 ここ最近はひさしぶりに空手色が濃く、面白く、かつ刺戟的な感覚に驚いております。

 わたしが見ていなかっただけで、まだ奥が深い。何十年もかけて地中を掘り、体力の限り掘削をしたあと、そのさらに下に、数十メートルにもわたる地底都市が現れたかのようです。

 まだこんなものがあったのか!? と驚く半面、ここまで歩んでこなければそれに気づくことさえできなかったのだ、つづけてきてよかったとも安堵するのです。稽古はやはり、長くつづけていなければわからないことが多くあります。


 刀のほうはとりあえず、現在こちらで稽古できる技数は尽きたので、今後はそれらの技たちと向き合うのみ。

 空手は、そうは言っても以前のように多くは稽古していないので、今後の発展に期待し、心身を整えておきたい。

 あとは体道です。あれこれ稽古するメニューが多いゆえに、気がつくと体道が滞っているという事態に陥りやすいので、このあたり注意しながら進めてゆきたい。時間は無限ではなく、いつ何が起こるかわからないからこそ、一歩一歩を確実なものにしたい。


 裏部長としてはこんな感じです。

 みなさまはどう取り組んでいらっしゃいますか。


 よい秋を。

 
posted by 札幌支部 at 10:01 | Comment(0) | 裏部長の日記

2020年08月29日

受けの武術

 おはようございます。裏部長です。

 過酷な暑さへ立ち向かっている方々へ、心より、残暑見舞い申しあげます。

 
 札幌もまだ油断はできません。昨日は33度まで上がりました。

 今日も夏日で湿気がきつく、午後から雨になるようで、明日の予想最高気温が17度……

 17度!?

 どういうことなのでしょうか、これは。気まぐれにも程があります。

 熱く焼いた肉を、十分に冷ます前に冷蔵庫へぶちこむようなものです。

 大丈夫かしさ、この身体……

 
 みなさま、いかがおすごしでしょうか。


 さて、取り立てて書くこともないのですが、いま裏部長は改めて「受け」の重要度を噛みしめている、とだけ記しておきたいのです。

 自分の属している道場や流派、師匠によって、武術観というのでしょうか、おのれの武術のポリシーのようなものが形成されてゆくと思うのですが、わたしの場合はもとが空手畑ではなかったせいか、どうもいまひとつ、突きや蹴りなどの攻撃に傾くことができません。

 単に精神的強度や、腕前の問題かもしれませんが、相対したとき、どう突いてやろう、どう打撃でやり返してやろうかと、考える力が薄弱なのです。

 しかし、もともと合気道をやっていて、柔術が好きで、いまも体道をやっているせいか、どう受けてやろう、どう応じ、どういなしてやろうかと、「受け」の立場に自分を置くと、積極的な姿勢になれます

 うちの師匠からして、攻撃を貴ぶのではなく、相手からのアプローチにいかに反応するか、できるか、ということを考えられている人なので、その影響も大いにあるように思われますが、そもそも体道のなかの技を見てみても、相手の攻撃に応じるものがほとんどである現実を踏まえれば、この状態も決しておかしなものではないと考えます。


 ただし、これまで裏部長が考えていた「受け」というのは、どちらかというと一方通行な、相手の攻撃を邪魔しない、受け入れる、突かせてあげる、といったものに終始していて、「受け」というより「受け身」でいる感じだったのですが、今後はそこにいささかの変化を生じさせてみたい、とも目論んでいるのです。

 姿勢はそのままに、「受け」という技をもって、積極的に応じてゆく。「受け」で攻める。「受け」で勝つ

 そんなことができれば、自分のこの軟弱な心身をもってしても、もしくはいくらか武術ができるのではないか。


 暑さにうなされながら、そんなことを思う裏部長でした。

posted by 札幌支部 at 10:09 | Comment(0) | 裏部長の日記

2020年08月09日

Empty Hand

 おはようございます。裏部長です。

 三連休、いろいろと煩わしいことも多いですが、札幌は程よい気候ですごしやすいです。北海道はこうでなくちゃ。

 みなさま、いかがおすごしでしょうか。


 さて、デジタルに疎い裏部長も、今年の春から初夏にかけての自粛期間中、世にいうサブスク(サブスクリプション)というものにようやく出逢いまして、なつかしいTVドラマや映画を観てたのしむようになりました。

 先日は『ベスト・キッド』(1985年)を久方ぶりに鑑賞しました。いま改めて観ると発見が多く、べつのたのしみが生まれます。


 劇中での空手(カラテ)の描き方にはいくつも賛否や意見があるでしょうが、意外にも筋が通っているように思えたのは、主人公が学ぶ技術と師匠の系譜についてです。

 師匠となるのは、おなじみの「ミヤギ」さんで、沖縄から来たということでしたが、沖縄でミヤギというと、宮城長順さんを思い浮かべます。

 剛柔流をつくった方です。おそらくこの映画のミヤギさんも、この宮城さんの流れをくむ人なのでしょう。

 だから、あの少年(ダニエルさん!)に教えた受けの動作が、「転掌」に由来していたのです。このあたり、けっこう堅実です。


 学校でワルガキたちにいじめられている少年をミヤギ老人が助け、自分の部屋へ運びこむ。気がついた少年は、老人が空手をやっていて、なおかつ強いということにまだ半信半疑。不思議に思ってあれこれ尋ねます。

 それに対して、ミヤギ老人の答えた台詞がこれです。

沖縄のミヤギは皆 漁とカラテを知っている

 カラテは16世紀 中国から来た

 ″手”と呼ばれた

 後に ミヤギの先祖が

 ″カラテ”と呼んだ

 空の手だ

 最後の一文、英語では「Empty Hand」と言っています。

 わたしはなんだか、この表現にぐっときてしまったのです。


 思えば武術とは、すべてにおいて「Empty Hand」なのではないか。空手や柔術など、素手でおこなうものはもちろんですが、棒や杖、刀など、武具を用いる技においてさえ、その武具を扱うのは空っぽの手なのです。

 わたしの両手は、武術をするにふさわしい「Empty Hand」になっているだろうか。


 三十年以上前の映画を観ながら、ふとそんなことを思う裏部長なのでした。
posted by 札幌支部 at 09:34 | Comment(0) | 裏部長の日記

2020年08月01日

小川の水辺から大河の飛沫を見る

 こんにちは、裏部長です。

 八月になりました。全国各地、お暑うございます。

 こちら札幌もすこしずつ夏の息吹に包まれるようになりました。今月は真夏日も多くなるでしょう。

 みなさま、いかがおすごしでしょうか。


 札幌支部では先月から、小規模ではありますが、限定的に稽古を再開しております。

 以前のようにすべての参加者を受け入れることはできず、現時点では、大学関係者(教員、学生、OBなど)のみです。

 長らく通常の稽古をしていなかったのと、稽古休止期間中に自分であれこれ工夫してみた結果とがあいまって、いろいろと試行錯誤の連続であります。空手に関しては、やはりひとりで考えすぎてしまう傾向があり、いま大いに反省をしている最中です。

 刀の稽古も再開していますが、まだまだですね。技を覚える前に、身体がついていかないのです。

 空手にしても、柔術にしても、何にしても武術をやってゆくうちに、肉体も感覚も、あるいは精神も、その技をやるに適切なものへと変化してゆくのではないでしょうか。そういった意味でも、すくなくとも裏部長の身体は、まだ刀をやる身体になりきれていません。

 とにもかくにも、武術の灯はここ札幌でも、絶えずに点りつづけています。


 ああ、そういえば!

 昨夜の稽古のなかで、唯一の学生であるHちゃんから、師範の型の動画を見せてもらいました。「最破」と「征遠鎮」でしたが、彼女のスマートフォンを覗きこみ、わたしも、そして師匠も、唸りつつ感嘆の息を洩らしていました。

 わたしのような下っ端がこんなことを言うのはたいへん失礼にあたるのですが……

 ほんとうにもう、惚れ惚れするような型です。拳や足先などの張りや緊張感は残しつつ、腕や脚は力が抜けきっていて鞭のごとく、速く鋭く、全身には必要最低限の締まりしかない。わたしたちが師範の空手の型を見ることはとても稀なので、かなりの刺戟と衝撃をもって拝見しましたが、動画を見た師匠も、「あの力の抜けた感じは真似できない」とこぼしていました。

 そして、これは合わせて明記しておくべきことだと思いますが、その動画内でおこなわれていた師範の型と、われわれが教わったふたつの型が、微妙に異なっていました。素早く、切れよく動いていた部分がゆるやかになっていたり、呼吸とともに力強くやっていた部分がごくあっさりとしたものに変わっていたり。このあたりの変化、変更は、きちんと捉えて、必要な個所は改めねばなりません。

 ですから、そういった意味でも、師範の技や型の動画というのは貴重なのです。生きる空心館の宝物殿です。


 心身ともに、ぴりりと刺戟的な体験でした。


posted by 札幌支部 at 12:44 | Comment(0) | 裏部長の日記