2019年08月07日

暑中お見舞い

暑中お見舞い申し上げます。
久しぶりの書き込みとなりました

今夏の札幌は裏部長さんのコメントにもあるように、まるで本州のような蒸し暑さです。
ようやく朝晩は涼しくなりましたが。
とはいえ、こちらがこのような状況だと本州はもっと過酷なのでしょうけれども。

さて、8月は23日と24日に、M田君、M井君の本部遠征の知らせを受けて、私も行くことにしました。
あわせてこちらからは、Iさんが24日は参加、Fさんは両日参加予定ですので、楽しみにしています。
M(Mばかりですね)はすでに学校が始まっていることと、イベントが重なっているので不参加です。

師範には5月に伝えているのですが、3月に中国・恵州学院にて武術の先生から長拳の棍の基本を習う中で、「風車」につながるのではないかと連想した動きがありました。
棒の手に関して熟考されているのをうかがっていたところでしたので、ひとつ参考になるのではないかと思います。
M君たちにもそのことは今回伝えてみて、動きの質を高められたらと考えています。

それでは、また。

posted by 札幌支部 at 15:30 | Comment(0) | 裏部長の日記

2019年07月30日

手は足ほどにものを言い

 こんばんは、裏部長です。

 お暑うございます。七月も終わりに差しかかり、北海道は思いだしたかのように真夏日つづきです。熱帯夜です。

 みなさま、いかがおすごしでしょうか。


 さて、ふだんはあまり触れませんが、われわれのやっている空手は糸東流ですね。

 正確には、

藤谷派糸東流拳法空手道

 と言います。


 とはいえ、ごく一般的な糸東流空手とまったく同じことをしているかといえば、さにあらず。

 ここがなんとも説明のしにくい部分であります。


 そんな当流において、これまでの稽古のなかに、代表的な立ち方についての説明がありました。

 つまり、

猫足立ちは糸東流独特のもの

 というのと、

糸東流では段階が進むにつれて、足の横幅が狭くなってゆく

 のふたつです。


 前者はそのままですが、後者は、基立ちや前屈立ちをした際の両足の位置がレヴェルに応じて変化するというもので、段階が進めば進むほど狭く、ほとんど横幅はなくなってゆくというものです。

 裏部長、じつは最近この点にどういうわけか注目しているのであります。


 理由は単純なもので、空手の稽古時に、そうして立ってみるといろいろなことができるようになったから、という理由に尽きます。

 如実に違うのです。身体の感覚も、見える景色も、大幅に違う。これは何かあります。


 しかし、それが何なのかはいまだわかりません。そしてあまりの暑さに、文章を綴る気力もゆるんできました。


 詳しいことは、またいつか、より鮮明になったころに。



 裏部長でした。


posted by 札幌支部 at 20:37 | Comment(0) | 裏部長の日記

2019年06月29日

自由と不自由の狭間から

 おはようございます。裏部長です。

 六月もそろそろ終わりを告げます。全国的には梅雨と、そして台風の季節ですね。こちら札幌では比較的涼しい日がつづき、すごしやすい初夏となっております。

 みなさま、いかがおすごしでしょうか。


 今日はまず、最近の札幌支部の稽古内容をご紹介!

 現在、通常の稽古においては、三部構成でおこなっています。

 第一部 養生体操・中国武術

 第二部 空手

 第三部 体道

 さらに、月に一度の武道場での稽古では、体道に加えて「杖術、棒術(棍術)、剣術、抜刀術(居合術)」をおこないます。


 こうしてあらためて全体を眺めてみると、いやはや、多彩な稽古メニューだなあと感心しますが、やれば馴れるもので、札幌支部のメンバーにおいては、ごく日常的なものと化しつつあります。

 しかし、実際の稽古となると、それぞれの技のもつというか、技の力を生みだすための不自由さというか、そういった器に自分を入れこむ工夫をせねばならず、戸惑うことも、悩むこともあるわけです。

 最近、裏部長も生まれてはじめて居合刀というものを購入し、刀の稽古の際はこれを用いるようになりましたが、独特の質感、重量感、サイズ感に面喰う部分もあり、たかだか帯を角帯に換え、さして長大でもない居合刀を腰に帯びただけなのに、こうまでままならないものかと、すこし可笑しくなるほどです。


 ただ、空手などをやっていると如実に感じますが、その不自由さのなかで育まれる自由な動きというものが、結局のところ武術の技になるのではないか、と、ここ最近の裏部長は思っています。はなからすべてを自由にしてしまうことはできるが、収拾はつかず、崩れる一方になってしまう。ある程度かたちを守って、外側を変えないでいるからこそ、内面が変化し、豊かになってゆくのではないか

 技の稽古とはそういうものではないかと考えながら、今日もこうして書いています。


 みなさまにとって、いまの稽古とはどういうものでしょうか。


 裏部長でした。

posted by 札幌支部 at 10:34 | Comment(0) | 裏部長の日記

2019年05月25日

改めて武と体を考える

 こんばんは。裏部長です。

 五月も終盤に差しかかり、全国的に暑い日がちらほら訪れるようになって参りました。

 ちなみに、明日の札幌の予想最高気温は三十二度です。


 みなさま、いかがおすごしでしょうか!


 さて、いま裏部長は、「武術をする身体」について考えています。


 これまではどちらかというと、技一辺倒の考え方をしていたように思います。空手をするにしても柔術をするにしても、その技を正確に捉え、学び、実践し、研究してゆく。だから、多種多様な技がなければならないし、またそれらを深く追求する目も持たなければならない。

 もちろん、その姿勢は重要なものでしょう。

 しかし、最近はすこし考え方が変わってきました。


 技も大切なのですが、それ以上に、武術をしている自分の身体に興味が出てきたのです。


 ひとつには、武術をしているときの身体、あるいは、日常的に武術を稽古している身体、についての関心です。自分の肉体を通して、そのときに現れるもの、もしくは生じる現象や感覚、感情に至るまで、その変化がとても面白く感じられます。

 ただもうひとつには、特別なことではなく、たとえば呼吸のように、生きてゆくために必要不可欠なものとして武術をする身体とはどういうものか、という点にも興味が向いてきています。

 つまり、武術と身体を不可分のものとして捉える。乾燥肌や冷え性と同じように、武術する身体になるということ。


 技を知っていたり実践できたりすることはもちろんですが、それ以上に、裏部長はいまこういったことに目を向けはじめています。

 まさしく「修証一等」。


 新たなページが開かれることを。



posted by 札幌支部 at 20:10 | Comment(0) | 裏部長の日記

2019年04月30日

またあの頃のように

 おはようございます。裏部長です。

 いよいよ四月が終わり、明日から五月がはじまります。

 …ん? 

 間違いました。

 いよいよ平成が終わり、明日から令和がはじまります。

 これでした。


 世のなかはすっかり改元ブームで、あっちでもこっちでも賑やかにやっていますが、カレンダーとしては四月が五月になるだけであり、札幌ではようやく桜の便りが届いたころなので、お祝いムードで盛りあがるのもいいでしょうが、やはり穏やかな春の日をすごしたいものです。

 みなさま、いかがおすごしでしょうか。


 新しい春を迎え、裏部長的にはいくつか心機一転することがあったのですが、稽古に関してはむしろ、ここ十年ほどのあいだについた垢を落とし、より純粋なかたちで武術へ向きあえるよう工夫をはじめているところです。

 もともと合気道をやっていたこともあり、また性格的なことも相まって、ここ最近は体道に寄り添った稽古や武術観を心がけてきましたが、それらを取っ払い、空手、柔術、剣術、居合・抜刀術、杖術など、総合的な武術観、そしてその実践をこの身に馴染ませてゆきたいと考えています。

 結局のところそれは、入門した当初のスタイルであり、拘りをもたずに稽古に精進するということなのですが、存外容易くないことです。

 ひとことで言えば空心館の武術をやるということになるのだけれど、その中心には空手があり、しかし空手一色の空手ではなく、やわらの要素が色濃く、しかして素手の技だけでは習得できない領域の感覚があるため武具を無視することはできない…といったように、いろいろな武術が複合的に絡み合っているのが空心館の武術だと思うので、これを寄り道せず、偏りもせずに学ぶのは至難の業です。

 だからこそ、純粋に、適度な距離と情熱をもって稽古すべきです。入門十六年目に入り、裏部長はそう考えるようになりました。


 みなさんはどのような目で、どのように想い、そしてどのように稽古をつづけていますか?



 裏部長でした。

posted by 札幌支部 at 08:23 | Comment(0) | 裏部長の日記