2018年02月18日

手は差し伸べられる

 おはようございます。裏部長です。


 二月も後半に入り、各地ではまだまだ寒さや雪の被害が伝えられているようですが、おとなりの国では、氷点下のなかで熱いたたかいが繰り広げられています。時差の問題がなく、TVでの放送も見やすい時間帯なのでありがたいことはありがたいのですが、その分、ふだんのオリンピックより盛りあがっていないような気がするのはわたしだけでしょうか。


 そんな如月、みなさまいかがおすごしでしょうか。






 さて、先日の空手の稽古での話――。



 その日もいつものように、師匠、札幌大学のI先生、中国から来られているRさんほか、太極拳をしているTさんやIさん姉妹、そして栃木のHさんと、中国色と女性率の濃いメンバーだったのですが、稽古としては、基本を軽めにやって、その場での受け・突きなどをしたあと約束組手となりました。


 ふだんはもちろん中段追い突きをおもにおこなうのですが、この日はまず、互いに正対した状態で、一方はその場突きをし、もう一方は左右に沈んでこれから体を外し、まっすぐ突きを出すという動きをやり、つづけて、刻み突きに対して後ろの手をまっすぐ差し伸ばす動きをやりました。


 札幌支部ですごすわれわれにとってはどちらもおなじみの動きではあります。


 しかしこのとき、後者の技を説明する過程で、師匠が、「この崩れが生まれれば、そこからこんな風な投げにも発展させられる」と見せた技を目にして、中国から来られているRさんは驚きを――大仰に言えば、感動と興奮をおぼえたようなのです。


 Rさんいわく、

その動きは太極拳のなかのある技に似ているが、この技はかなり高度なもので、できる人はほとんどいない。私も読み聞きして知ってはいるが、自分ではできないし、できる人を見たこともない

 ということなのでした。



 この夜の稽古と、また別日の稽古もさらに費やして、師匠としては、その技の感覚の片鱗でもRさんにつかんでもらって、お土産として中国へもち帰ってもらえればと、あれやこれや手をかえ品をかえ実践してみたわけですが、みなさまもご存知のように、そう易々と身につけられる技ではありません。


 斯くいうわたしたちですらまだできないものです。これからきちんと取り組んで、できるように励まねばならない技なのです。


 ですから片鱗と書いたのですが、その領域の、この場合は受けの技ですね、この受け技を実践できるようになるまでには、もちろん突きの、攻撃のレヴェルも上げなければならず、その過程にはいくつものステップがあります。


 空手のかの字も知らない素人の状態から空手をはじめたわたしとしては、入門から十四年経って、これまでを振りかえるとほんとうに多くの段階を踏んできたのだなあとあらためて感じます。いまその受け技を考えるときに、前提となっている突き、攻撃を獲得するまでにも長い時間がかかりました。そしてこれからの技たちも、いまの状態の上に立って、さらに稽古を重ねることでしか習得できないのだろうと想像します。


 しかし、その成長の手がかりやヒントは、すでにわれわれの前へ提供されているということを、いまあらためて意識する必要があると思うのです


 現に、上記の受け技はこの日にはじめて教わったものではないのです。以前にもやったし、指導もしてもらいました。もちろん一朝一夕にできるものではないから、そのときに感覚をつかんだわけではなく、これから時間をかけて向きあってゆくものなのですが、目の前にはすでに差しだされていたわけです。



 この技には限りません。

 いくつもの教えが、その片鱗が、すでにわたしたちの前にはある。

 日々の稽古のなかでこれをやりすごさないこと。意識をもって、課題をもって、稽古すること。




 われわれが手にしようとしているのは、あの長い歴史をもつ中国武術のなかでもかなり高いレヴェルに匹敵するような技なのだと考えれば、おのずと腰も据わるというものです。





 裏部長でした。

posted by 札幌支部 at 10:04 | Comment(0) | 裏部長の日記

2018年01月29日

基準と感覚

 こんばんは、裏部長です。


 明けましておめでとうございます。本年も何卒よろしくお願い申し上げます。




 とはいえ、2018年がはじまってすでに一箇月が経とうとしています。この間、寒波が来たり大雪が降ったり、日本全国津々浦々、ひっちゃかめっちゃかになっているみたいですが、札幌はさほど悪天候ということもなく、例年どおりに寒い一月をすごしております。


 みなさま、いかがおすごしでしょうか。




 
 今年に入り、裏部長が考えたことのひとつが今日のタイトル、つまり、

基準と感覚

 です。



 たとえば体道のなかで技をやっているとして、捕と受の動きがあるわけですね。教わる際、われわれはまず自分の動き、捕のほうの動きをおぼえ、把握し、実践できるようくりかえし練習します。


 この場面では、ほんとうにさまざまな動作があります。


 足を引く、出す、手を伸ばす、上げる、体をひらく、鎮める……などなど、とにかくいろいろな動きのつながりのなかで技は進行し、相手を崩したり投げたり制したりする結末へと向かってゆくのですが、どうしてもこのとき、最初は自分の身体やその感覚を重視して動いてしまうのですね。


 たとえば足を引き、体をひらくとします。とはいえ、その足を、その半身を、どの程度引いたりひらいたりすればよいのか、すべてを数値や角度であらわすわけではないので、みな各自に任されるわけです。しかし、当然のことながら、自分のなかにある感覚に照らした動きをしているだけでは独りよがりです。たいていの場合、その動作は相手に響かず、技は上手くゆきません。


 自分の感覚に従って動くということは、悪く言えば、自分の好きなように動けるということです。自分の好きなだけ足を引き、自分のやりたいように体をひらく。それらがたまたま上手い具合に技にハマるということもないわけではないでしょうが、確率的にはかなり低い話です。


 そして、わたしは、そのやり方で実践しようとして上手くいっていない人たちを多く見てきました。



 この場合の改善点は何か。


 そのひとつとしてわたしは、「基準」ということをもち出してみるのです。



 つまり、その技の核は何か、肝の部分は何かをまず見極めること。その上で、相手を崩すために、相手へ力を伝えるためにどこが重要なのかを知り、それを成立させている箇所はどこか、それらを構成している自分の動作は何か。ここを押さえることができれば、そこさえ守ればよいのです。そのポイントさえ揺るがせにしなければ、技の全体像はおのずと整ってくるはずです。


 これが「基準」です。技のなかの心臓部、あるいは血管、神経のようなものです。これを知り、把握し、その「基準」がきちんと成立しているような動作を心がければ、技の様相はおのずと変わってきます。


 そしてほとんどの場合、この技の「基準」は、かならず相手との関係性のなかにあります


 自分の身体のなかの感覚にはありません


 技において必要な感覚とは、この「基準」を踏まえた動作をくりかえし稽古し、積み重ねたなかで獲得される感覚であって、自分の体内から自分の手で導き出すものではない


 裏部長は、現時点ではそう思っています。




 技の具体例を示せないので、いささかわかりづらい文章になりました。ご了承ください。


 裏部長でした。




posted by 札幌支部 at 18:58 | Comment(0) | 裏部長の日記

2017年12月30日

葦を揺らす風

 こんばんは。裏部長です。



 あと一日とちょっとで、2017年も幕を下ろします。

 巷ではさまざまなことが噂され、凄惨な事件、悲しい事故、世界規模の懸念など、長時間の報道番組を埋め尽くす出来事の数々がこの国を覆っているようですが、そんなあれこれとは無縁に、自分のペースで、自分らしく生きられる今日この一日をありがたく思えるわたしは、すっかりおじさんになってしまったのでしょうか。


 今年も大詰めです。みなさま、いかがおすごしでしょうか。




 年末には稽古納めがあり、年始には稽古初めがあります。

 旧い年から新しい年へ、決意をもって、目標をもってつき進むことは必要でしょうが、なんだか今年はそんな年末感があまりありません。年が変わったからといって何かを捨てるわけではなく、どこかを無理やり変えるわけでもない。

 もちろん、現状維持でよい、とも思っていません。

 来年はいまよりも前に、もっともっと上に、自分を鍛えて成長させてゆきたいと強く思います。しかし、その気持ちはすでに胸のなかにあるため、わざわざ何かをしてそれを表そうとはしていないだけなのかもしれません。



 まだまだ学ぶことはあるし、手にしたいものもあるし、ステップアップしてゆきたい。



 今年は後半に、月刊『秘伝』において師匠の対談記事が掲載され、体道連盟や藤谷師範のことも紹介されました。組織の規模を拡大することはべつに望むところのものではありませんが、自分たちが学んでいることがもそっと多くの方に知られ、愛され、気にかけてもらえるようになれば、それはとてもたのしい未来です。有望な人材も自然と集まるでしょう。



 2018年はそんなこれまでにない変化が生まれ、前進できる一年になりますように。

 裏部長も、自分らしいペースで、それでも上を目指します。




 空心館のみなさま、そして、武術に生きるすべてのみなさま。


 よいお年を。あなたらしい新年をお迎えください。


 裏部長でした。



posted by 札幌支部 at 17:45 | Comment(0) | 裏部長の日記

2017年11月11日

鉱脈

    部屋に暖房を入れる季節となりましたなあ〜





 おはようございます。裏部長です。


 長らく更新を怠っていましたが、わたしも札幌支部も、みな元気にやっております。

 夏が終わり、すっかり肌寒くなって今日までのあいだに、すでに何度か雪が降りました。もちろん、まだ積もるほどではありませんが、最高気温がひと桁という日があたりまえになり、吐く息も白いです。



 みなさま、いかがおすごしでしょうか。





 さて、まずは最近の札幌支部についていくつか。


 紅一点Hさんが栃木から来られて札幌大学の学生となり、札幌支部でともに稽古をはじめてずいぶん経ちました。彼女はわれわれのほうと合わせて空手部の練習にも参加し、定期的に試合へも出場しているので、大変だと思いますが、当人はどこ吹く風で、いつも飄々とたのしげに顔を出してくれます。


 栃木で、Y師範代のご子息Tくんに接したときにも思いましたが、ほんとうに空手が好きで、心から武術を愛し、稽古している人というのはこういう風に生きられるものなのだなあと、わたしなどは日々人知れず驚いている次第です。単に若いというだけではないエネルギーを感じます。



 十月からはさらに、中国からのお客さまも加わりました。


 Rさんといって、向こうの大学で武術を教えている方です。半年の期限つきで札幌大学へ来られて、武術の伝承について研究をされるということで、師匠のもとで日本の武術にも触れたいと、最近はほぼ毎回稽古に参加されています。


 空手も体道もともにやり、Rさんからは中国の養生体操や武術の動きを教わります。いわば武術の異国間交遊、駅前留学ならぬ、教室内武術的留学です。


 その動きの多彩さもさることながら、三十代後半であそこまで武術を知り、理解し、研究しているRさんには感嘆するばかりです。打てば響くように、訊いたそばからこたえてくれる、見せてくれる、提供してくれる師匠のような存在はじつは稀で、わたしたちはそんな師匠に学んでいるせいか馴れてしまっていますが、あのようにふだんの会話のなかで提示された疑問やテーマ、質問に対して臨機応変に回答をするというのはなまなかなことではないのです。Rさんはそれをやっていらっしゃる。いるところにはいるものなのです。





 そして、去る十一月三日から五日までの三日間、札幌支部は奈良遠征へ出かけてきました。


 今回の参加者は、師匠とそのご子息おふたり、札幌大学のIさん、紅一点Hさん、そして今回が初参加の大学四年生Kくんとわたしの七名。いつにない大所帯で伺いました。


 初日の金曜日は奈良支部の通常の空手稽古に混ぜていただき、M田さんとM井さんに手ほどきを受けました。わたしは、奈良支部の道場へ来たことはありましたが、通常の稽古に参加するのははじめてだったので、新鮮でした。基本も移動も札幌支部にはないメニューが多く、それでいて約束組手は、受ける側が固定される本部道場式ではなく、札幌支部でも採用されているローテーション式でと、なんとも言えない折衷感がありました。


 M田さんと組手で本格的に向き合うのはおそらく、M田さんが札幌へ来られたときに大学の教室でおこなった稽古が最初で最後、今回が二度目でして、M井さんとははじめてでした。厳しさと個性。しかし、それらは決して押しつけがましくなく、気づかせてくれる時間でした。ここが空いていると上段を突かれてしまうよ、ここを疎かにすると蹴りが入るよと、ことばではなく動きで示してくださったような気がしました。



 二日目は午前中から。


 少年部の稽古に混じり、動いていると、全日本体道連盟のT技術顧問が来られました。そこからは技術顧問につきっきりで指導をしていただきました。


 わたしが同氏にお会いするのは今回が三度目です。過去二回の稽古で、断片的に指導をされたことはありましたが、きちんと正式に教わるというのはやはり今回がはじめてでした。


 技術顧問は指導内容のレジュメを手ずから作成され、人数分プリントアウトまでしてきてくださり、九時すぎから昼食をはさみ午後四時半まで、みっちりたっぷり教えてくださいました。


 あまりに濃いものを大量に嚥下したため、お腹も頭もいっぱいいっぱいで、M田さんいわく「もうゲロ出てんで」ということでしたが、たしかに、そのときは消化できない量のほうが圧倒的に多く、戸惑ってしまいました。ただ、札幌へ帰ってきてあれこれ反芻し、その動きをふたたびやってみたり、師匠と話してみたりするうちに感じてくるものや見えてくるものなどもあり、有意義な稽古だったといまは言えます。


 指、骨、体道の技の再検討、一受必殺。



 おしなべて、空心館は個性ぞろいで、ふつうの人はほとんどいませんが(どちらかというと裏部長がいちばんまともなような気が……)、その個性に圧倒されて、受け入れるいとまもなく、拒絶反応を示して切り捨ててしまう気持ちは大いにわかります。


 しかし今回の遠征を経て気づいたのは、諸先輩方は、それぞれが数十年かけて研究し、見つけ、考えに考え抜いた結果であるところの技やそのエッセンス、要点を教えてくださっているのであって、これはじつに大変なことなのですね。われわれ学ぶ側の人間は、多少消化不良でも、多少ゲロが出てしまっても、考えすぎて脳髄が鼻から垂れてきたとしても、ちょっとのあいだ堪えて、冷静に、真剣にそれらと向きあってゆかねばなりません。


 それが義務だと言うと堅苦しくなってしまうし、辛いでしょう。


 たのしむことです。それがほんとうにたのしめるようになったとき、触れたものが沁みこんでくるはずです。



 奈良支部のみなさん、T技術顧問、このたびはお世話になりました。ありがとうございました。


 これからどんどん寒くなります。みなさまお体はじゅうぶんご自愛ください。



 裏部長でした。

posted by 札幌支部 at 11:02 | Comment(0) | 裏部長の日記

2017年07月07日

清冽な水で

 こんばんは。裏部長です。

 大変、うんざりするほど、お暑うございます。




 最高気温が三十三度を超えた本日、札幌支部の稽古はお休みです。しかし安心もしていられません。今日は熱帯夜になりそうな気配……とはいえ、湿度が比較的低いので、どうにか乗り越えられそうです。


 みなさま、いかがおすごしでしょうか。






 さて、変わった話題とてないのですが、最近の裏部長は体道で山本無辺流棒術を教わっています。



 これまで杖や短杖を用いた技はいくつか学んできていて、つい先だっては柳生新陰流の仕込杖もやっていましたが、それらすべては対刀の技であって、今回はなんと、こちらも棒ならばむこうも棒という、棒対棒のあらあらしい闘いが展開されております。


 六尺棒の威力、迫力。その長さ、重さゆえの用法が新鮮で、打ち払った際に残る振動が手をしびれさせ、また新たな刺戟をあたえてくれています。




 体道のなかで、こうしてそれまでにやっていない流派の技を教わると、毎回違った刺戟に触れられ、新鮮な思いで稽古場に立つことができます。


 そのたびに、ああ、いつも技をやる際にはこういった、新鮮で澄んだ心持ちでいられたらどんなにいいだろう、いや、稽古ばかりではない、日常のすべての場面でそう生きられたらどんなに素晴らしいだろうと、人知れず願っている裏部長であります。



 しかし、まだまだそんな風にはなれません。わたしの心身のなかにある不純物が、毒気が、黒く濁らせる瞬間がどうしてもあるのです。できることならば、これらの物質はすべて除去して、いつも澄んだ状態でいたい。透明で清冽な、一点の曇りもない姿勢。




 自分で実践可能なことからはじめ、これを徹底するのはそんなに難しいことだろうか……?




 答えは「否」ですよね。


posted by 札幌支部 at 20:19 | Comment(0) | 裏部長の日記