2021年03月20日

ただ その かたち の こと

 おはようございます。裏部長です。

 春分の日でございます。天気はどうですか。ちゃんと春の訪れははじまっているでしょうか。

 みなさま、いかがおすごしでしょうか。


 近ごろの札幌支部は、とくに混乱も停滞もなく、ごく平和に稽古がおこなわれています。

 今後も微細な変化や規制などはあるかもしれませんが、臨機応変に受け止めながら歩んでまいります。

 
 さて、そんな春先の、昨夜の稽古のことです。

 この三月で札幌大学を卒業し、栃木へ帰るHさんが稽古に参加し、わたしもひさしぶりに顔を合わせたわけですが、なんとそこには、彼女のご家族も勢揃い。引っ越しなどの手伝いもあって、来札されたのだそうです(しかも栃木から車で!)。

 なので昨夜は、師匠、Hさん、Hさん父、Hさん弟、裏部長、すこし遅れて師匠ご子息、という、バラエティに富んだメンバーでの稽古となったわけです(Hさん母も最後までご覧になっていました)。

 ふだんだと空手はもちろん、体道や刀にも時間を割きますが、昨日はほとんど空手に終始しました。

 弟さんは本部道場で師範の薫陶を受け、父君は長く武術に携わっているということで、そこには深い洞察やさまざまな疑問、葛藤、揺らぐことのない真摯な姿勢があり、昨夜はそれに師匠も目一杯応えるという、しずかななかにも熱気あふれる稽古となりました。

 きっと師匠が説くやり方と、師範や、本部道場のみなさんが導かれるやり方は異なるでしょうから、同じ技や理合に接していても刺戟は感じられたのではないでしょうか。

 われわれも最近はここまでたっぷり空手を稽古することがなかったため、ひさしぶりに汗をかき、爽快ささえ感じたほどです。

 Hさん、そしてご家族のみなさん、貴重な夜をありがとうございました。


 わたしたちが日ごろ接している技のほとんどは、やはり空手なのだなあと常々感じます

 突いた、蹴った、突かれた蹴られた、だけが空手ではなく、もちろん根性論や痛みに耐えるだけが空手でもありません。

 名前のない、手のかたち、足まわりの動き、そういったものが技になってゆくけれど、それは単に「攻撃」「受け」とカテゴリーに分類できるものではなく、また、相手を素手で崩しているから「柔術的だ」と断ずるのもまた違うような気がします

 唯一言えることは、それらをひっくるめて、すべては「空手である」ということだけなのでしょう。

 だから、そういった広義的解釈を踏まえた上でならば、

『空心館は空手の道場である』

 と言って差し支えないのでしょうね。


 裏部長でした。

 
posted by 札幌支部 at 09:02 | Comment(0) | 裏部長の日記

2021年01月30日

武術の定義

 こんばんは、裏部長です。

 2021年の1月もそろそろ終わろうとしていますが……

 みなさま、あけましておめでとうございます

 本年もみなさまにとって、幸多い一年でありますように


 さて、今年最初のブログはどういう話題からはじめるべきでしょうかねえ。

 昨年最後の記事で、わたしは、「しばらく通常の更新は止めて、空心館の紹介コーナーを設けたい」というようなことを書いたのですが、みなさまご記憶でしょうか。

 えっ、読んでない?

 なら仕方がない。そう。裏部長はそんなことを書いたのです。

 第一、われわれの道場には名前が多すぎます。空心館、日本武術研究所、全日本体道連盟。外から見たら何が何やら。

 しかし、きちんとしたホームページのようなものはないので、これらの名称に関して解説をする場がないのですね。

 当然わたしにもホームページを拵える手腕はありませんので、このブログを代用できないかと考えたわけです。

 この計画は頓挫したわけではありません。いずれかならず実現してみせます。そして、まだわれわれの道場や武術に触れていない人のなかで、すこしでも興味を引かれ、学びたいと志した方へ手を差しのべられるよう努めてまいります。

 今日はその前段階ということで――。


 たとえば、こんな問答があります。

「裏部長さんは何か格闘技をやってらっしゃるんですってね。聞きましたよ」

「格闘技なんてカッコいいもんじゃありませんよ。武術なんですがね」

「ホウ、武術ですか。具体的には?」

「まあ、空手などをやっております」

「空手! すごいじゃないですか」

「全然すごかないですよ。道場でもまだまだ下っ端です。諸先輩方はすごいですからねえ」

「しかし、先ほどおっしゃっていた空手などの″など″というのは?」

「はあ。つまり、空手以外にもいろいろやる道場でして」

「へえ、そうですか。例えばどんな?」

「うーん、平たく言えば古武術なんですけどね」

 いささか古風な会話で申し訳ないのですが、こうしたやり取りをすることは決してすくなくありません。いい歳ぶっこいていまだに稽古をしている人間というのが世間では珍しいらしく、たまに上記のような紹介をさせられます。

 これまでは、正確性よりも妥当性というのでしょうか、なんとなく伝わればいいという思いで、ざっとこんな説明をしていたのですが、最近ふとこれが馴染めなくなりましてね……


 先日、NHKのBSプレミアムで『明鏡止水〜武のKAMIWAZA〜』という番組がありました。古武術を紹介する番組だというのでアンテナに引っかかり、全二回とも目を通しましたが、このときあらためて、わたしのなかにあった疑念が再浮上してしまったのです。

 つまり、

われわれのやっている武術は"古武術"ではないのではないか

 これです。


 空手は脇に置いておいても、体道のなかでやっている柔術や杖術、最近はじめた居合や抜刀術はたしかに、分類的には古武術に入るものばかりでしょう。要は、成立した時代によってそう言えるわけで、体道をやっている、刀をやっている、イコール古武術をやっている、で間違ってはいない気がします。いや、これまではそう捉えていました。

 しかし、いざほんとうの古武術の方たちの動きなどを見てみると、あきらかに異なっています。

 その違いを明文化するのは憚れますが、あきらかに違うと思いました。あれが古武術です。われわれのは違います。


 では、われわれの稽古しているものは何でしょう

 元は古武術であったものが、何を経ることによって、古武術ではないと感じるものになったのでしょう


 実戦性? 型や伝統から離れて、実戦で有効だという点を追求するあまり、古武術ではなくなったのか……?


 これも、なんとなく違うように感じます。最近師匠より、実戦的な護身術や格闘術を公表している方の動画を紹介され、いくつか見てみましたが、どうも肌に合いません。たしかに実戦的は実戦的なのかもしれませんが、まるで興味が湧かないのです。

 じゃあ、われわれのやっている武術は実戦性からも離れてしまったものなのでしょうか。

 どうしてわたしは、それでも空心館の空手や体道に魅力を感じているのでしょう?


 心を惹かれる「武術」とはいったい何なのでしょうね。


 裏部長でした。

posted by 札幌支部 at 17:30 | Comment(0) | 裏部長の日記

2020年12月31日

本道へ

 おはようございます。裏部長です。

 あとすこしで2020年も終わりを告げます。昨日も、そしていまも、札幌は凍てつく寒さのなか、しずかに雪が降りつづいています。

 みなさま、いかがおすごしでしょうか。


 わざわざ振りかえるのがうざったいほど、今年はいろいろなことがありました。

 札幌支部でも、三月から七月までは稽古休止。その後も、諸々の状況に左右されながら、限定的に、細々と稽古をつづけてきました。

 とくに北海道は、全国的に見ても注意を要する土地ですので、われわれもある種の緊張感をもって臨んでおりました。


 この状況はきっと、来年、再来年もつづいてゆくでしょう。希望をもって、また以前のような日々に、と祈りたい気持ちは山々ですが、そう易々とすべてが短期間で元通りになるはずはない。楽観視して落ち込むよりも、いまは現実的に、この現実を上手く利用すべきです


 稽古が以前のように自由にできない。あるいは、以前のように潤沢に稽古時間が取れない

 ならば、その限られた稽古時間や環境のなかで、できうる限りのことをすればいい

 
 裏部長はむしろ、やることが煩雑ではなく、明確になったような気がして、胸のなかは清々しているほどです。


 自由にいくらでも稽古できたころは、あれもこれもと手を伸ばして、よくない言い方をすれば「つまみ喰い」をしてたのしんでいられたでしょうが、いまはそんなことをしている余裕はない。自分たちがやるべきこと、ほんとうにやらなければならないことを見つけ、それを最優先にして稽古してゆかなければ、いつまで経っても前進はないし、またいつ集まれなくなるかわからない状況下なのですから、やれるうちにそれらのことをやっておくにしくはないのです。


 来年は、これまでやってきたようなブログの更新をお休みし、当ブログ内にわれわれの道場や組織の情報をアップしようかと思っています。

 ほんとうは空心館のホームページをつくりたいのですが、そんな技術もノウハウもないので、当分はこのブログを利用し、外部の方が空心館について知りたいと思うような情報を載せておきたいと考えているのです。

 ということになれば、当然、

空心館

日本武術研究所

全日本体道連盟

 についても触れることになります。

 そして、このあたりを明瞭にしておくことが、すなわち、われわれがやるべきことを再確認する手助けになると考えます。


 まあ、このあたりはまだ、裏部長個人の目論見なのですが……


 ともあれ、来年も立ち止まることなく、いや、これまで以上にたしかな足どりで、前へ前へと進んでゆきましょう。

 
 みなさまもどうか健康で、元気な2021年をお迎えください。


 裏部長でした。


 よいお年を!

posted by 札幌支部 at 10:02 | Comment(0) | 裏部長の日記

2020年10月11日

蜂蜜と刃

 おはようございます。裏部長です。

 すっかり十月でございます。全国津々浦々、めっきり秋めいてまいりました。

 やはり、このくらいの気候がちょうどいいですねえ。暑くもなく、寒くもなく。空は青く晴れあがり、風は澄んで、落ち葉の奏でる乾いた音に一抹の淋しさを感じながら歩く道すがら、そういえば飛ぶ虫の姿もなくなったなあと、あれだけ過酷だった夏を儚く思い出す……。

 ちあきなおみさんの歌に『冬隣』というのがありますが、来月にはもう市街でも雪が降ろうというここ札幌では、いまくらいの季節がすでに冬隣なのでしょうね。

 みなさま、いかがおすごしでしょうか。


 こちら札幌支部ではあいかわらず、細々とではありますが稽古を継続中です。

 何かひとつの武術だけに限定して稽古をしていればそんなこともないのでしょうが、われわれのように、さまざまなことを同時並行的にやっているところでは、その日の参加メンバーなどに影響されて、稽古内容が変動します。空手をやるときもあればやらないときもあるし、逆に空手で稽古時間のほとんどをつかう日だってある。

 ここ最近はひさしぶりに空手色が濃く、面白く、かつ刺戟的な感覚に驚いております。

 わたしが見ていなかっただけで、まだ奥が深い。何十年もかけて地中を掘り、体力の限り掘削をしたあと、そのさらに下に、数十メートルにもわたる地底都市が現れたかのようです。

 まだこんなものがあったのか!? と驚く半面、ここまで歩んでこなければそれに気づくことさえできなかったのだ、つづけてきてよかったとも安堵するのです。稽古はやはり、長くつづけていなければわからないことが多くあります。


 刀のほうはとりあえず、現在こちらで稽古できる技数は尽きたので、今後はそれらの技たちと向き合うのみ。

 空手は、そうは言っても以前のように多くは稽古していないので、今後の発展に期待し、心身を整えておきたい。

 あとは体道です。あれこれ稽古するメニューが多いゆえに、気がつくと体道が滞っているという事態に陥りやすいので、このあたり注意しながら進めてゆきたい。時間は無限ではなく、いつ何が起こるかわからないからこそ、一歩一歩を確実なものにしたい。


 裏部長としてはこんな感じです。

 みなさまはどう取り組んでいらっしゃいますか。


 よい秋を。

 
posted by 札幌支部 at 10:01 | Comment(0) | 裏部長の日記

2020年08月29日

受けの武術

 おはようございます。裏部長です。

 過酷な暑さへ立ち向かっている方々へ、心より、残暑見舞い申しあげます。

 
 札幌もまだ油断はできません。昨日は33度まで上がりました。

 今日も夏日で湿気がきつく、午後から雨になるようで、明日の予想最高気温が17度……

 17度!?

 どういうことなのでしょうか、これは。気まぐれにも程があります。

 熱く焼いた肉を、十分に冷ます前に冷蔵庫へぶちこむようなものです。

 大丈夫かしさ、この身体……

 
 みなさま、いかがおすごしでしょうか。


 さて、取り立てて書くこともないのですが、いま裏部長は改めて「受け」の重要度を噛みしめている、とだけ記しておきたいのです。

 自分の属している道場や流派、師匠によって、武術観というのでしょうか、おのれの武術のポリシーのようなものが形成されてゆくと思うのですが、わたしの場合はもとが空手畑ではなかったせいか、どうもいまひとつ、突きや蹴りなどの攻撃に傾くことができません。

 単に精神的強度や、腕前の問題かもしれませんが、相対したとき、どう突いてやろう、どう打撃でやり返してやろうかと、考える力が薄弱なのです。

 しかし、もともと合気道をやっていて、柔術が好きで、いまも体道をやっているせいか、どう受けてやろう、どう応じ、どういなしてやろうかと、「受け」の立場に自分を置くと、積極的な姿勢になれます

 うちの師匠からして、攻撃を貴ぶのではなく、相手からのアプローチにいかに反応するか、できるか、ということを考えられている人なので、その影響も大いにあるように思われますが、そもそも体道のなかの技を見てみても、相手の攻撃に応じるものがほとんどである現実を踏まえれば、この状態も決しておかしなものではないと考えます。


 ただし、これまで裏部長が考えていた「受け」というのは、どちらかというと一方通行な、相手の攻撃を邪魔しない、受け入れる、突かせてあげる、といったものに終始していて、「受け」というより「受け身」でいる感じだったのですが、今後はそこにいささかの変化を生じさせてみたい、とも目論んでいるのです。

 姿勢はそのままに、「受け」という技をもって、積極的に応じてゆく。「受け」で攻める。「受け」で勝つ

 そんなことができれば、自分のこの軟弱な心身をもってしても、もしくはいくらか武術ができるのではないか。


 暑さにうなされながら、そんなことを思う裏部長でした。

posted by 札幌支部 at 10:09 | Comment(0) | 裏部長の日記